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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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「鳥のカタログ」周りで・・・
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪

相変わらずのろのろとしたPCにストレスを感じつつ仕事したり、間に練習もしたり。
練習もやっぱり新しい曲が多いとぐるぐるすることもありいろいろ壁を感じますが・・・
でも例えばプロコフィエフは「楽しんで弾けるほどの余裕がほしい」(果たしてできるのか・・・)というモチベーションのもとトリッキーな音さらいプロセスにがっつり取り組んでますし。
やっぱりですね、曲の全体的なビジョンだったり、この曲で何がしたいのかがわからなくて悩むより音が弾けなくて悩むほうが楽です。少なくとも精神的にはずっと楽。
「この曲で何がしたいのか」がちょっとまだわからないバルトークともうまく付き合っていきたいです。

バルトークも始めましたが今日は鳥のカタログの新しいのも始めましたよ~
第2楽章「ニシコウライウグイス」(「キガシラコウライウグイス」としている版もあるそうです)。
これで鳥カタは5曲目。全部で7巻、全部で13曲なのでまだまだ。
(モリヒバリ→ダイシャクシギ→モリフクロウ→ヒメコウテンシ→ニシコウライウグイス)
20のまなざしを弾き始めてから2年遅れで始めた、というのもありますし、20のまなざしよりも各曲の平均の長さが長いのもありますが、それをひっくるめても「まだまだだなー」と思います。
今まで弾いてきた曲は(ダイシャクシギを除くと)比較的短く、でてくる鳥の種類も少ないですが、最終的には全長27分超?の第7楽章も弾けなくちゃいけないですしね。曲集全体で3時間半?とかですし。先は長い。

以前から「冒頭で損する」とか「間違った初印象」とか、そういう話をちょくちょくしてますが、「鳥のカタログ」が昔私にとってまさにそれだったんですよね。第1楽章から聴いてこの曲集を好きになれる人はメシアンをちょっと知ってる人でも少ないんじゃないかなあ・・・と。
(でも聴いてても弾いてても音楽の性質は「20のまなざし」と「鳥のカタログ」ではだいぶ違いますねー)

そんな私が「鳥のカタログ」を好きになったきっかけが今弾いてる「ニシコウライウグイス」で。
最初の2つの和音で恋に落ちた、というか。あの黄金の色、不思議な音色、そして暖かな光。この主役の鳥の姿もまたすばらしいですよ。オスの黄金色のボディに映える黒のコントラスト、それがまたイラストとかだと周りの植物の濃緑色にまたマッチして。
曲の後半のスローな部分の光と色もまた美しいとしか表現しようがないです(というかそこはメシアン自身の前書きが一番かなー)。

「鳥のカタログ」を習得するにおいては他の曲とは違うところ、特殊なところがあるような気がします。
鳥の実際の声を聴いたり、姿や環境(季節や風景など)を知ったり、ピアノ以外でいろいろすることがあるのがまずあって。
あと鳥の音楽的常識は人間の音楽的常識と違うな、というのもあり。(他の曲から鳥カタに入ってくるとそういうとこのタッチだったり勘、感覚が失われた、と感じることが多いんですよね)
ピアノを弾く、というよりはいかに鳥の声を再現するか、いかに鳥に近づくか、という思考が多くなります。

そういう「普通ピアノですること」とはちょっと違うことをするのが好き、というのもありますが、「鳥のカタログ」で私が本当に楽しい、と思うのは「空間を創りあげる」ことで。
鳥の声をリアルに再現しながら、他の風景をも忠実に再現して、それから音楽における「間」もいろいろ試して駆使していつもすんでいる自分の家のリビングルームの中にフランスの野外を創りだす、というこれがなんといっても好きなプロセスなんです。
それは聴覚に限ったことでなく、温度や湿度など、五感に訴える世界を作らなくちゃいけない、というのがまた燃える。
例えば外の鳥の鳴き声に合わせて間を調節してみたり、そうやって外の世界とのつながりを作ったり。
限られた空間と時間の中で、その空間と時間よりもはるかに大きい世界を作り出すのが(音楽に限らず)自分がやろうとしていることの大事な一部だと思います。
そして「鳥のカタログ」はそういった意味でも「自分のしたいこと」の大事な一部で。

もちろん20のまなざしも好きですし(そして今でも30歳になるまでに全曲制覇、と思ってます。あと4つ)、あれはあれで素晴らしいんですが・・・
「鳥のカタログ」も自分の心の中にものすごく特別なポジションを築いています。こういう音楽って(メシアンの外では特に)存在しないので・・・
あともともと鳥好きだから、という理由もありますね(笑)少なくとも鳥のいる風景(視覚的・聴覚的)に親しんでるとそれだけで鳥カタの見方って変わると思いますし。
そもそも日本人は鳥や植物や温度や天候や、そういった季節の移り変わりや季節の風景に親しみが深いので「鳥のカタログ」は結構相性がいいというか親しみやすいと思います。ほぼガイジンの感覚としては例えば俳句や短歌にものすごく似てると思いますよ(ちょっと長いですが)。

ちなみに次弾く「鳥のカタログ」も決まってます。次は第3楽章の「イソヒヨドリ」。これも不思議な鳴き声と特徴的な外見を持った鳥で、海の情景とあってこれまた新鮮。ものすごく好きな曲で今からもう楽しみです。
そのあとはきっと冬の間に20のまなざしを1つ2つ?はさんで。そのあとは第9楽章の「ヨーロッパウグイス」で葦原の情景かな。

それから「鳥のカタログ」を聴くときに、という話を少し。
先ほど言いましたが第1楽章から聴くととっつきづらいです。最初は比較的短くて、鳥の鳴き声とそれ以外の「風景をあらわす部分」がはっきり分かれている(そして後者が特徴的&聴き易い)ものが良いかしら。
お勧めスターターは第2楽章「ニシコウライウグイス」、第6楽章「モリヒバリ」。第9楽章「ヨーロッパウグイス」、第13楽章「ダイシャクシギ」あたりもいけるかな。雰囲気なら第5楽章「モリフクロウ」もなかなか面白いです(不協和音的ですが、フクロウ3種の鳴き声はわかりやすいので一応リストに加えました)。

英語でいうところのいわゆるGreenieでは私はないのですが、メシアンが自然を愛するのを、音楽を通して私も愛していて。
人生のほとんどの時間を都会で育ってすごしている私ですが、そうでない時間をものすごく愛しく思っていますし、いつも自然と近くありたい、と思っていて。
自分の心の中にある自然の世界を自分の手で音楽を通じて作り上げるのもだからものすごく大切で。
もっと鳥に近く、もっと自然に近く、自分の手でもっといろいろなものを、もっと濃密で鮮やかで広い世界を創りたい。その1つの形として「鳥のカタログ」を弾き感じ創ることを大事にしていけたらなあ・・・と思います。
(もちろん「ピアノを弾く」ということとして「鳥のカタログを弾く」のもそうですが!)

鳥のカタログで新しい楽章を始めたときに恒例なんですが鳥の鳴き声とか動画をとあるサイトで調べたりするのですが、このPCではブックマークされてない!(汗)
「可愛い!」とか言って結構時間かけちゃうんですが私が鳥カタを弾くときには欠かせないプロセスなのでなるべく早く対応したいですね~


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」 第6楽章「モリヒバリ」



ニシコウライウグイスはちょっと待ってください!必ずやります!(メモメモ)
スターターとして挙げたもう1つの曲を。こっちのほうがわかりやすく解説できる自信が大きいので(汗)

鳥のカタログでは夜を舞台にした(そう、鳥は夜にも鳴くらしいです)曲がいくつかあります。
第7,8楽章は夜から始まりますし、第5,6楽章は短いですが完全に夜の世界。
そんな中の第6楽章、モリヒバリ。

この曲を初めましてに選んだ理由としては:
(1)でてくる鳥が2種類のみ(モリヒバリとサヨナキドリ(ナイチンゲール))
(2)モリヒバリの鳴き声が大変メロディックで特徴的
(3)曲が短め
(4)夜の闇の描写がわかりやすく(最初にも見られる和音の連続)、鳥の鳴き声からも識別しやすい
(5)全体的に聴きやすい(比較的)

同じ「夜」の風景でもモリフクロウとモリヒバリではちょっと情景が違います。モリフクロウはひたすら闇の暗さ、恐怖を、そしてモリヒバリは夜の神秘さ、静かさ、月の光など。
(隣同士の曲でもありますので比較して聞いてみるのもいいかも)

とにかくこのモリヒバリの流れるような歌声。ちょっとバリエーション形式にも通じるような、それからちょっと即興的なところがあって。
この鳴き声が夜更けに聞こえたら思わず耳をすませてしまうような美しい歌です。
そしてサヨナキドリはそれとまた対照的で。断片的な、まったく違った性質の鳴き声をころころ変える即興性。どっかぶっきらぼうなときもあったり、繊細さを見せたり。ちょっとピアノでは普段使わないような強弱とかを使うのがちょっと弾き手にとってはトリッキーだったり。

できたら月のきれいな夜にそっとかけてみてほしい曲です。
(そしてサヨナキドリの鳴き声がちょっと不協和音的でもめげずに最後まで聞いてみてくださいね)
今回リンクしたのはマイケルの録音以外で持ってるもう一つの録音、ムラロの演奏にしてみました。

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