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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Vingt Regards et moi
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日も引き続きあのことが頭の大部分を占めています。大事なことだからじっくり悩みたい。
練習も増やさなくちゃいけないですし、今まで以上にもっと心と気を入れるようメンタル面も整えなくちゃいけないですし、いろいろやることはたくさん。
もうちょっと自分のなかで決意を固めたい。

もしも演奏をするとしたら、とプログラムを組むことを考えるとやっぱりスクリャービン「炎に向かって」はやりたいと思ってます。でもやっぱりプログラムのコアとなるのはメシアンじゃないと。
自分のホームグラウンドであり、自分の強みであり。
その中でも有力候補として曲集「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」がどっしり存在感を発揮しています。

私が初めて出会い、弾いたメシアンは「20のまなざし」で。それが20歳くらいの時で以来メシアンの音楽の中で(そしておそらく今まで弾いたどんな曲集と比べても)最も長く、濃いつきあいをしてきた曲集です。
今のところノータッチなのは第6,13,20楽章のみ。第10,15楽章もまだまだマスターしたとは到底言いがたい状態なので、実質20の内15つの楽章を弾いてきました。
(そのうちの多くは在学中に授業などで人前で弾いた経験も多く、そういう意味でも鳥カタよりも演奏復帰には向いてます)
大小いろいろなまなざしがあって、弾き手によってだいぶテンポが変わるのですが、とりあえず全曲弾くとCD二枚になるくらいの長さです。「鳥のカタログ」よりは短いですが、それでもなかなかの質量で。

20のまなざしは鳥のカタログと比較するとよりPianisticな印象がありますね。より伝統的なピアノ曲に近い、というか。まあ鳥のカタログは鳥としての表現だから当たり前といっちゃあ当たり前ではありますが・・・
なんだかんだでメシアンの基本、というか一番親しまれているメシアンの作品で、やっぱりメシアンを聴くなら、メシアンの音楽に出会うなら入り口は「20のまなざし」が良いと思います。
比較的聞きやすいですし、美しい音楽いっぱいですし、それからメシアンの世界観というか表現というか、音楽言語や信仰につい割とわかりやすいかな、と思うのですよね。

あと20のまなざしについて面白いのは、プログラムに組むのに柔軟性が高いこと。鳥のカタログだとなかなかちょっと難しいのですよね。
20のまなざしは曲集を通じて共通のテーマを使ったりしてるので、いくつか相性がいい曲を合わせたり、コンセプトでまとめたりしやすいのですよね。(曲の長さで選ぶことも可能ですし)
例えば:
2楽章(星のまなざし)+7楽章(十字架のまなざし)だったら共通テーマつながり+キリストの「誕生」と「死」の象徴、とか。
1楽章(父のまなざし)+5楽章(子に注ぐ子のまなざし)+10楽章(喜びの聖霊のまなざし)で三位一体とか。
4楽章(聖母のまなざし)+9楽章(時のまなざし)+11楽章(聖母の最初の聖体拝受)で聖母マリアつながりとか。
色々メシアンの信仰のに沿ってみたり、あとはピアノ曲としての組み合わせを考えてみたり、自分で解釈してコンセプトを創ってみたり。

私が得意としていた、というか在学時代にこの曲集のライフワークとしていたのは:
第17楽章(沈黙のまなざし)+第18楽章(恐るべき塗油のまなざし)+第19楽章(我眠る、されど我が心は目覚め)の3曲。
がっつり15~20分くらいするかな。(3曲続けてコンサートクラスで弾かせてくれたのはびっくり。)
「20のまなざし」のなかでもかなり抽象的なまなざしの組み合わせで。私は神の神秘・神の破壊・神の愛という「新たな三位一体」と考えてて(神秘・破壊・愛は他の楽章でもテーマとなってますが、この3つの楽章はその中でも抽象的な表現が特徴)。これらだけ切り出すと直接的なキリスト教信仰もかなり神秘主義的な方向になるんですよね。
もともと番号が続いてるのは合わせやすい、というのがあるのと、第18楽章がちょっと対称的なつくりになってたり、あとは3曲ともかなり対照的なスタイルでうまくバランスがとれている、というか。不思議な安定感があって好きなんです。

その3曲を在学中にがっつり弾いて、それからもいくつか新しくまなざしを弾いてきましたが、やっぱりこの「新たな三位一体」に対しての思い入れが強いんですよね。
自分がピアノにおいてやりたい「世界観を作り出す」というのを実現するには本当に向いてると思いますし、弾いててものすごく充実感がありますし(一つずつでも3つでも)。
3つ合わせればソナタを一つ弾くに等しいくらいの質量ですし、他弾く曲を選ぶ際にある程度柔軟性が残ります。

だからやっぱり弾きたいなーと思ってるんですけど数年あいてるしさてどうかなーとか思ったり。
もちょっと最近弾いた、またはもうちょっと小さめのまなざしにしたほうが良いんじゃないかな?とか。(14楽章の天使のまなざしとか7楽章の十字架のまなざしとか結構良い線いってましたし)
新しいコンセプトをくむのもいいんじゃない、とか、はたまた鳥のカタログでプログラムを組んでもおもしろいんじゃないか、とか。

でもこうやって悩めるのはこれまで数年メシアンにおいてレパートリーを広げながら基盤を固めてきたのがあるからで、そしてメシアンの音楽に対して本当に深い愛を持ってるからで。
なんかものすごく贅沢で幸せな悩みを抱えてるな、と思います(笑)
そもそも演奏に戻ることにもまだ迷いがありますが、でもメシアンの音楽はきっと自分の力になってくれる、とう信じています。運命の恋人のようなものですからね。あとは自分の努力と決意ですね。

今日はなんだかちょっとぐだぐだになりましたが(もともと20のまなざしの紹介として機能するとは思ってなかったですが・・・)メシアンの音楽と自分との間にある様々はまた別の日に話したいと思います。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第9楽章 「時のまなざし」



いやあー20のまなざし、あんまり取り扱わないんですでにどれを扱ったか全く覚えてないんですよね!
でもこれはまだ扱ってないだろう、という確信。なぜならあんまり書くことがないから。

20のまなざしを弾き始めたときは主に5分以下の小さめの楽章を中心に弾いていました。みんながそうするのかといえばそうではないようなんですが、自分はメシアンの音楽に慣れるために小さいところから始めよう、と決めてて(割と早いうちに「いずれは全部弾くんだから急がず行こう、いいのを後でとっておこう」と思ってたのもありますが)。
小さい曲はそれだけで音楽的に成立するのは難しいですし、それだけで弾いてて・聴いてて音楽的に満足するのは難しいですが、それでもこの曲集のキーコンセプトを握っている場合が多いです。
先ほどあった第2,7楽章しかり、この第9楽章しかり。

「時のまなざし」。メシアンはなにかと「時間の動き」を音楽に表すことが多く、そのときには似たようなテクニックを使うことがあります。リズムカノン、というのですが、ちょっと説明が難しいので説明は省きます(汗)
とにかく楽器が数パートに分かれてサイクルっぽく弾いてるのです。
この「時のまなざし」でも最初のセクションとリズムカノンが交互に出てきます。

サイクル、ぐるぐるまわるカノン、というのはメシアンにとってはまさに「永遠の時」の表現で。
リズミックな最初のテーマとリズムカノン、2種類のリズムが表すのはきっと「人間の時間」と「神の時間」。(これはトゥーランガリラなどでも似たような傾向があると思います)
キリストはどちらも司るんですよね、きっと。でも人間の(=聖母マリアの)胎内に生まれ人間となることで人間の時を歩むようになる。(だからさっきの「聖母マリアのくくり」に入れたんですがちょっとわかりにくい・・・)

でもキリストに限らず妊娠している状態ってそういう神秘もありますよね。母体に流れる時間と、胎内の子供に流れる時間。そして母体の住む世界と胎内の子供をつつむ世界。

まるで彫刻のようにかたどられた、抽象的な時間の描写。
先ほどの「新たな三位一体」のくくりであれば間違いなく「神の神秘」に入る楽章で、トゥーランガリラの「トゥーランガリラ」楽章と同じくこのくくりの曲ってちょっと取っつきにくい印象がありますが・・・
でもメシアンの「神秘」の描写、「時」の表現、そして「リズムの作曲家」と自ら称するそのユニークなリズムの世界とふれあって、少しでもわかってもらえたらなあ、と思います。

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