×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今日は外の世界はイースター休み。なんとか仕事も一段落して気持ち的には落ち着いた感じ。
ただ書き物とピアノに関してはちょっとずつそわそわしている感じ。ちょっと前みたいな大々的なアウトプット欲とは違うんですけどなにやら落ち着きのない感じ。
ピアノは最近とんでもないことに気がつきました。
レッスンに向けて、演奏に向けてといろいろやってたらなんと、4つもフーガを今弾いている計算に。
ラヴェルの「クープランの墓」のフーガと、バッハの平均律第2巻第8番のフーガ、そして同じくバッハのトッカータホ短調には2つフーガが入ってるのです。
これだけそろってショスタコが入ってないのがむしろちょっと惜しい。
でもラヴェルのあれはあんまり「フーガ」を意識して弾くと自分の解釈・イメージから遠ざかるのですよね。元々が修善寺の旅館での景色を見て「これだ!」と思ったイメージを再現するよう弾いてるので。
あとフーガという形式自体がバロック時代だとドイツがメイン、みたいなところがあるので形式を意識しすぎるのはやっぱりラヴェルでのフランスのタッチを邪魔しかねないのです。
バッハの嬰ニ短調(平均律)のフーガはずっと自分がこの曲で表現したいのは何だろう、と悩み続けてたのがやっと答えが出た感じです。今日。(笑)
もともとこの曲を弾き始めたのがこのフーガの一部が引用されているクラムの「夏の夜の音楽」(マクロコスモス第3巻)がきっかけだったので、こっちを弾くことになるのかは全く分からないながらもリンクしたイメージが欲しいな、と思って。だいぶ欲張りなあれですが、結局なんとかなるものですね。
詳しくはまだあんまり言葉にしたくはないのですがバッハの方が「人間」フォーカスで、クラムの方が「宇宙」フォーカスで(たまに人間の方を見下ろすようにフォーカスする)、同じ世界にいる感じ。
バッハのトッカータホ短調、最初のフーガはスローなやつで最後のフーガは速い、というかせわしくアクティブな感じ。
全体的にハープシコードで弾くイメージよりはオルガンで弾く感じで、それがまた好きなんですよね。もっと(バッハに限らず)オルガンを聴いて楽器がどういうことをできるか、どういうことをするかを検討しないと。
この曲も本当つきあい長いんで(最初に弾いてから10年くらいかな)、改めて新しいイメージとか解釈を構築してみるのもいいかな、なんて思ったりもしています。
フーガは前も書いたと思うのですがメロディーと伴奏、という形式でなく複数のメロディーがほぼ対等なポジションで絡み合う音楽の形式なんです。
それが3声だったり4声だったりたまに5声だったり(以前弾いた平均律第1番の変ロ短調とか)、つまり一つの手で複数の声部を担当するようになっていて、それがちょっと特殊な(でもどんなピアニストも身につけることになる)スキルになってます。
ちなみに日本語ではフーガは遁走曲、というのですが私が思うに「音楽が逃げてる」というか弾き手・聴き手がメロディーの始めの部分である「テーマ」の部分を追っかけながら聴く、という感覚の方が説明するには正確かも。
フーガはバロック時代と20世紀によく使われた形式で、20世紀のそれはフーガを書く、という精神よりも表現したいことがあってそれを表現フーガという形式を選ぶ、みたいなイメージがあります。つまりは付加価値があるフーガ、なんですけどおそらくフーガの方が元々表現したいことの付加価値かも。
前述ラヴェルにもそんな雰囲気はありますし、やはりショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガの中の色んな「キャラクター」を持ったフーガはその良い例だと思います。
私も表現したいこと最優先でピアノを弾いてるようなところがあるのでそういった20世紀のキャラクターなフーガも好きなんですが今回バッハ2曲弾いて「純粋なフーガ」を弾くのもやっぱり好きだな、と改めて思いましたね。
そもそもバッハに限らずですが特にバッハで「伝統的な」解釈で弾くのでなく今ここにいる私ならではの解釈を構築していくのが楽しい。キャラクター的な部分があるフーガとはちょっとそこのところアプローチが違います。
今の状態が(気づいてみると)なかなか面白いんでそのうちバッハとショスタコと、どっちも今まで弾いたことないまっさらな前奏曲とフーガを平行してやってみるのも面白そうです。さらに言えば調も同じでそろえたり(できれば)。
さて、日曜日はオーケストラプロジェクトの第1コンサート、モーツァルトのハ短調ミサのコンサートがあるのでとても楽しみです。
一日休めるのですが明日はどうしようか、少しくらいはやっとこうかちょっぴり悩みながら・・・
少しはゆとりがあるから休むべきかもしれないですがさてどうしたらいいか。
あ、今日の一曲は遅くなっちゃったんでお休みです。次回フーガに関する曲を選ぼうと思います。
今日は外の世界はイースター休み。なんとか仕事も一段落して気持ち的には落ち着いた感じ。
ただ書き物とピアノに関してはちょっとずつそわそわしている感じ。ちょっと前みたいな大々的なアウトプット欲とは違うんですけどなにやら落ち着きのない感じ。
ピアノは最近とんでもないことに気がつきました。
レッスンに向けて、演奏に向けてといろいろやってたらなんと、4つもフーガを今弾いている計算に。
ラヴェルの「クープランの墓」のフーガと、バッハの平均律第2巻第8番のフーガ、そして同じくバッハのトッカータホ短調には2つフーガが入ってるのです。
これだけそろってショスタコが入ってないのがむしろちょっと惜しい。
でもラヴェルのあれはあんまり「フーガ」を意識して弾くと自分の解釈・イメージから遠ざかるのですよね。元々が修善寺の旅館での景色を見て「これだ!」と思ったイメージを再現するよう弾いてるので。
あとフーガという形式自体がバロック時代だとドイツがメイン、みたいなところがあるので形式を意識しすぎるのはやっぱりラヴェルでのフランスのタッチを邪魔しかねないのです。
バッハの嬰ニ短調(平均律)のフーガはずっと自分がこの曲で表現したいのは何だろう、と悩み続けてたのがやっと答えが出た感じです。今日。(笑)
もともとこの曲を弾き始めたのがこのフーガの一部が引用されているクラムの「夏の夜の音楽」(マクロコスモス第3巻)がきっかけだったので、こっちを弾くことになるのかは全く分からないながらもリンクしたイメージが欲しいな、と思って。だいぶ欲張りなあれですが、結局なんとかなるものですね。
詳しくはまだあんまり言葉にしたくはないのですがバッハの方が「人間」フォーカスで、クラムの方が「宇宙」フォーカスで(たまに人間の方を見下ろすようにフォーカスする)、同じ世界にいる感じ。
バッハのトッカータホ短調、最初のフーガはスローなやつで最後のフーガは速い、というかせわしくアクティブな感じ。
全体的にハープシコードで弾くイメージよりはオルガンで弾く感じで、それがまた好きなんですよね。もっと(バッハに限らず)オルガンを聴いて楽器がどういうことをできるか、どういうことをするかを検討しないと。
この曲も本当つきあい長いんで(最初に弾いてから10年くらいかな)、改めて新しいイメージとか解釈を構築してみるのもいいかな、なんて思ったりもしています。
フーガは前も書いたと思うのですがメロディーと伴奏、という形式でなく複数のメロディーがほぼ対等なポジションで絡み合う音楽の形式なんです。
それが3声だったり4声だったりたまに5声だったり(以前弾いた平均律第1番の変ロ短調とか)、つまり一つの手で複数の声部を担当するようになっていて、それがちょっと特殊な(でもどんなピアニストも身につけることになる)スキルになってます。
ちなみに日本語ではフーガは遁走曲、というのですが私が思うに「音楽が逃げてる」というか弾き手・聴き手がメロディーの始めの部分である「テーマ」の部分を追っかけながら聴く、という感覚の方が説明するには正確かも。
フーガはバロック時代と20世紀によく使われた形式で、20世紀のそれはフーガを書く、という精神よりも表現したいことがあってそれを表現フーガという形式を選ぶ、みたいなイメージがあります。つまりは付加価値があるフーガ、なんですけどおそらくフーガの方が元々表現したいことの付加価値かも。
前述ラヴェルにもそんな雰囲気はありますし、やはりショスタコーヴィチの24の前奏曲とフーガの中の色んな「キャラクター」を持ったフーガはその良い例だと思います。
私も表現したいこと最優先でピアノを弾いてるようなところがあるのでそういった20世紀のキャラクターなフーガも好きなんですが今回バッハ2曲弾いて「純粋なフーガ」を弾くのもやっぱり好きだな、と改めて思いましたね。
そもそもバッハに限らずですが特にバッハで「伝統的な」解釈で弾くのでなく今ここにいる私ならではの解釈を構築していくのが楽しい。キャラクター的な部分があるフーガとはちょっとそこのところアプローチが違います。
今の状態が(気づいてみると)なかなか面白いんでそのうちバッハとショスタコと、どっちも今まで弾いたことないまっさらな前奏曲とフーガを平行してやってみるのも面白そうです。さらに言えば調も同じでそろえたり(できれば)。
さて、日曜日はオーケストラプロジェクトの第1コンサート、モーツァルトのハ短調ミサのコンサートがあるのでとても楽しみです。
一日休めるのですが明日はどうしようか、少しくらいはやっとこうかちょっぴり悩みながら・・・
少しはゆとりがあるから休むべきかもしれないですがさてどうしたらいいか。
あ、今日の一曲は遅くなっちゃったんでお休みです。次回フーガに関する曲を選ぼうと思います。
PR