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前回のエントリーに拍手ありがとです~
昨日はユースオケでショスタコのリハーサルだったのですが結局午前も午後も居なくちゃいけませんでした。
途中数時間空いたんでシティでランチしたり、公園のベンチでうとうとしたり。
あ、そうでしたね、コンサートのお知らせ。
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
ということで昨日の時点で本番までもうあと1週間、なんですがやっぱりショスタコの方はまだまだ懸念がたくさん。
いっちょまえに「若いオケメンバーたち」に言いたいこといろいろあるのですが、何よりも「ちゃんと録音を聴こうよ」、と。
シンフォニーは長いんで最低でも一番難しい第2楽章だけでも。
ショスタコに関しては実際弾く音は難しいのですが、自分のパートの音を弾けるようになるのと同じくらい全体の流れを知って自分のパートがどうその中で動いているか、というのを理解するの大切だし有用なことなんだよ、ということですね。
そこがやっぱりオケで弾く事、オケの音楽を弾く事の醍醐味だと思いますし(同時にそれがオケに特異的なスキルでもあると思います)。そうすることで自分がどこで弾くか、とか誰と音を合わせるか、とか見えてきて色々楽になりますし。
話し始めると説教がましくなっちゃうんでこれ以上は言わないでおきますが・・・
前も書いたようにユースオケのメンバーの年齢層、経験値ともにぐっと平均が下がったのももちろんあります。
今回のプログラムは特に初めてリーダーを務めるメンバーにはなかなか難しいです(ショスタコ11番でのコールアングレ奏者、ビオラのリーダー、トランペットのリーダーなど本当にがんばってます)。
そしてやっぱり奏者としての腕とオケで問われるスキルにおける「腕」はまた別で。
私が最初にユースオケで弾き始めたのが2001年、もちろんそれ以前にもサマーキャンプや学校のオケでも弾いてるのですが、ずっとそうやってオケでチェロだったりピアノ、チェレスタを弾いてきた年月の中で誰に直接教えられたでもなくオケでの演奏で学び、積み重ねた知識やスキルがいろいろあるんだな、と改めて思いました。
本当にパートのどこにキュー書き入れればいいか、とかそういうちょこちょこしたオケスキルは自信ありますよー。
そして日は変わって今日、久しぶりのピアノのレッスンでした。
一時帰国のお土産まだ渡してなかったくらい久しぶり(汗)
今回はラヴェルの「クープランの墓」から「フーガ」、ヴィラ=ロボスの「ブラジルのバッハ」第4番第2楽章、そしてスクリャービンの「炎に向かって」。
概ね良い評価をいただたいて安心しました(そんなに不安だったわけでもないですが)。あと先生は初めましてだったこのヴィラ=ロボスが好感触で。私が先生が知らない曲をいきなりレッスンに持ってくるのは今に始まったことじゃないのですが(笑)、先生がそういう曲を好きになってもらえるのは嬉しいです。(先日書きました「おすすめした音楽を好きって言ってもらえるうれしさ」ですね)
聴く音楽・弾く音楽とも先生の好みと私の好みと重なってるところが結構あったりするのですが(というかうちの母と先生の好みはかなり似ていると思います。どっちも私の好みのうちの「趣味の良い」部分が主で)。
今回弾いたスクリャービンの「炎に向かって」も先生は20年前によく弾いてたそうです。他にもスクリャービンだったら中期のソナタとか色々弾いてたり。私は先生がスクリャービンを弾いてるのは聴いた事ないんですよねえ。
これからスクリャービンの中期・後期の作品をもっと弾いて行きたいと思っていますが、同時に「炎に向かって」は長期的に、自分のコアレパートリーの「炎代表」として大切にしていきたいと思います。
今を含めて4月5月は仕事がそんなに忙しくない時期なようなので5月にもう一回レッスンしてもらえたらな、と思ってます。
2つのバッハと、もう一つのブラジルのバッハ(第3楽章)。
先生も5月末はバースデーコンサートの色々できっと忙しくなるのでそれまでに。
バースデーコンサートも楽しみです。あまりにも奏者が多くてどんな集まり・コンサートになるか今のところ想像もつかないですが。
さて、明日の分も仕事が来てないのですがしっかりちゃんと寝起きしなきゃ。家の掃除も両親が来る前に。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第3楽章 「永遠の記憶」
こっちもちゃんと紹介しなくちゃ、ということで第3楽章。
まずはこの交響曲について概要。
この交響曲は1905年に起こった「血の日曜日」事件を題材として書かれています。(ちなみにショスタコは1906年生まれ)
生活の困難さを訴えにツァーリの宮殿に集まった民衆を軍隊が虐殺した、という事件で、共産党がツァーリの帝政を覆したロシア革命のさきがけ、みたいに扱われることもあります(社会主義の革命の定義というか、そういうものに当てはめると確かにそういうポジションですね)。
その「血の日曜日」の虐殺の物語を語るにあたってショスタコーヴィチはこの曲のあらゆるところで革命歌のメロディーを引用したり使用したりいじったりモチーフとしたりしてるのです。それもかなり細かいスケールで(ショスタコ自身が書いたメロディーってあるのかな・・・)。
実際の虐殺の様子は第2楽章で描写されています。第3楽章は死者を思い、弔う楽章。
虐殺の後の静寂から現れるチェロとコントラバスのピチカート、そしてそれに乗せて静かな歌が流れてきます。
この「同士は倒れぬ」という美しい革命歌のメロディーを歌っているのはビオラたち!
ピチカートの音だけをバックにものすごーく長ーいビオラのセクションソロが続くのが本当に美しくて涙を誘います。
ビオラの1人のソロでなくセクションソロならきっとこのメロディーが私の中での最高のビオラソロだと思います。
葬送行進曲のようなセクションからクライマックスまでの流れはショスタコの「映画音楽作曲家」としての一面がもろに現れますね。
悲痛で、でも豊かなオケの音はプロコフィエフのロミジュリやラフマニノフに劣らないロマンチックさがあります。
前このブログで書いてると思うんですがショスタコーヴィチの交響曲とか大規模作品はソヴィエト政府の目を気にして、というかソヴィエト政府の目的のために書いていた作品が多くあって。
この第11番もソヴィエト政府がその「革命の第一歩」みたいなことを記念というか、そういうことでショスタコに作曲を依頼したと思うのですよ。
だからあのビオラのソロで涙するのもクライマックスで胸が熱くなるのも、ソヴィエトのお偉いさんが狙った効果であり、ショスタコがその意図に合わせてそうしたものだっていえばきっとそうで、それはものすごく癪なんですが・・・
でもショスタコーヴィチが自分が生まれた1年前に起こったその事件に心を痛めていたのは確かで、犠牲になった人々を忘れてはならないと強く思っているのがこの第3楽章に現れていて。
そして第4楽章「警鐘」の存在からも分かるようにこの交響曲はただソヴィエトのお偉いさんの思う「革命の成功」をたたえるものではなく、共産党政府にも同じ轍を踏まないよう警告・批判する意味もあったり。
もちろん音楽それだけでも素晴らしいものですが、歴史・社会背景とのつながりもまた深く、そしてわかりやすい作品です(何回も書いてますがこれが私のショスタコ&ソヴィエト史の入り口でしたからねー)。
でもとにかく強調したいのは!ビオラたちのソロを聴いてください!
メル響の録音があって試聴もあるのでリンクしました。(ただしこの第3楽章は抜き出されてる箇所が悪いな・・・)
私が最近気に入ってるジャズ組曲第1番も入ってます~「ワルツ」が特に格好いいですのでそちらも試聴強くおすすめです!
昨日はユースオケでショスタコのリハーサルだったのですが結局午前も午後も居なくちゃいけませんでした。
途中数時間空いたんでシティでランチしたり、公園のベンチでうとうとしたり。
あ、そうでしたね、コンサートのお知らせ。
メルボルン・ユース・オーケストラ 第1コンサート
2012年4月29日 2:30開演 Iwaki Auditoriumにて
指揮者: Imre Pallo
ツィンバロム: Rob Cossom
<プログラム>
コダーイ 「ハーリ・ヤーノシュ」組曲
ショスタコーヴィチ 交響曲第11番 「1905年」
ということで昨日の時点で本番までもうあと1週間、なんですがやっぱりショスタコの方はまだまだ懸念がたくさん。
いっちょまえに「若いオケメンバーたち」に言いたいこといろいろあるのですが、何よりも「ちゃんと録音を聴こうよ」、と。
シンフォニーは長いんで最低でも一番難しい第2楽章だけでも。
ショスタコに関しては実際弾く音は難しいのですが、自分のパートの音を弾けるようになるのと同じくらい全体の流れを知って自分のパートがどうその中で動いているか、というのを理解するの大切だし有用なことなんだよ、ということですね。
そこがやっぱりオケで弾く事、オケの音楽を弾く事の醍醐味だと思いますし(同時にそれがオケに特異的なスキルでもあると思います)。そうすることで自分がどこで弾くか、とか誰と音を合わせるか、とか見えてきて色々楽になりますし。
話し始めると説教がましくなっちゃうんでこれ以上は言わないでおきますが・・・
前も書いたようにユースオケのメンバーの年齢層、経験値ともにぐっと平均が下がったのももちろんあります。
今回のプログラムは特に初めてリーダーを務めるメンバーにはなかなか難しいです(ショスタコ11番でのコールアングレ奏者、ビオラのリーダー、トランペットのリーダーなど本当にがんばってます)。
そしてやっぱり奏者としての腕とオケで問われるスキルにおける「腕」はまた別で。
私が最初にユースオケで弾き始めたのが2001年、もちろんそれ以前にもサマーキャンプや学校のオケでも弾いてるのですが、ずっとそうやってオケでチェロだったりピアノ、チェレスタを弾いてきた年月の中で誰に直接教えられたでもなくオケでの演奏で学び、積み重ねた知識やスキルがいろいろあるんだな、と改めて思いました。
本当にパートのどこにキュー書き入れればいいか、とかそういうちょこちょこしたオケスキルは自信ありますよー。
そして日は変わって今日、久しぶりのピアノのレッスンでした。
一時帰国のお土産まだ渡してなかったくらい久しぶり(汗)
今回はラヴェルの「クープランの墓」から「フーガ」、ヴィラ=ロボスの「ブラジルのバッハ」第4番第2楽章、そしてスクリャービンの「炎に向かって」。
概ね良い評価をいただたいて安心しました(そんなに不安だったわけでもないですが)。あと先生は初めましてだったこのヴィラ=ロボスが好感触で。私が先生が知らない曲をいきなりレッスンに持ってくるのは今に始まったことじゃないのですが(笑)、先生がそういう曲を好きになってもらえるのは嬉しいです。(先日書きました「おすすめした音楽を好きって言ってもらえるうれしさ」ですね)
聴く音楽・弾く音楽とも先生の好みと私の好みと重なってるところが結構あったりするのですが(というかうちの母と先生の好みはかなり似ていると思います。どっちも私の好みのうちの「趣味の良い」部分が主で)。
今回弾いたスクリャービンの「炎に向かって」も先生は20年前によく弾いてたそうです。他にもスクリャービンだったら中期のソナタとか色々弾いてたり。私は先生がスクリャービンを弾いてるのは聴いた事ないんですよねえ。
これからスクリャービンの中期・後期の作品をもっと弾いて行きたいと思っていますが、同時に「炎に向かって」は長期的に、自分のコアレパートリーの「炎代表」として大切にしていきたいと思います。
今を含めて4月5月は仕事がそんなに忙しくない時期なようなので5月にもう一回レッスンしてもらえたらな、と思ってます。
2つのバッハと、もう一つのブラジルのバッハ(第3楽章)。
先生も5月末はバースデーコンサートの色々できっと忙しくなるのでそれまでに。
バースデーコンサートも楽しみです。あまりにも奏者が多くてどんな集まり・コンサートになるか今のところ想像もつかないですが。
さて、明日の分も仕事が来てないのですがしっかりちゃんと寝起きしなきゃ。家の掃除も両親が来る前に。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第3楽章 「永遠の記憶」
こっちもちゃんと紹介しなくちゃ、ということで第3楽章。
まずはこの交響曲について概要。
この交響曲は1905年に起こった「血の日曜日」事件を題材として書かれています。(ちなみにショスタコは1906年生まれ)
生活の困難さを訴えにツァーリの宮殿に集まった民衆を軍隊が虐殺した、という事件で、共産党がツァーリの帝政を覆したロシア革命のさきがけ、みたいに扱われることもあります(社会主義の革命の定義というか、そういうものに当てはめると確かにそういうポジションですね)。
その「血の日曜日」の虐殺の物語を語るにあたってショスタコーヴィチはこの曲のあらゆるところで革命歌のメロディーを引用したり使用したりいじったりモチーフとしたりしてるのです。それもかなり細かいスケールで(ショスタコ自身が書いたメロディーってあるのかな・・・)。
実際の虐殺の様子は第2楽章で描写されています。第3楽章は死者を思い、弔う楽章。
虐殺の後の静寂から現れるチェロとコントラバスのピチカート、そしてそれに乗せて静かな歌が流れてきます。
この「同士は倒れぬ」という美しい革命歌のメロディーを歌っているのはビオラたち!
ピチカートの音だけをバックにものすごーく長ーいビオラのセクションソロが続くのが本当に美しくて涙を誘います。
ビオラの1人のソロでなくセクションソロならきっとこのメロディーが私の中での最高のビオラソロだと思います。
葬送行進曲のようなセクションからクライマックスまでの流れはショスタコの「映画音楽作曲家」としての一面がもろに現れますね。
悲痛で、でも豊かなオケの音はプロコフィエフのロミジュリやラフマニノフに劣らないロマンチックさがあります。
前このブログで書いてると思うんですがショスタコーヴィチの交響曲とか大規模作品はソヴィエト政府の目を気にして、というかソヴィエト政府の目的のために書いていた作品が多くあって。
この第11番もソヴィエト政府がその「革命の第一歩」みたいなことを記念というか、そういうことでショスタコに作曲を依頼したと思うのですよ。
だからあのビオラのソロで涙するのもクライマックスで胸が熱くなるのも、ソヴィエトのお偉いさんが狙った効果であり、ショスタコがその意図に合わせてそうしたものだっていえばきっとそうで、それはものすごく癪なんですが・・・
でもショスタコーヴィチが自分が生まれた1年前に起こったその事件に心を痛めていたのは確かで、犠牲になった人々を忘れてはならないと強く思っているのがこの第3楽章に現れていて。
そして第4楽章「警鐘」の存在からも分かるようにこの交響曲はただソヴィエトのお偉いさんの思う「革命の成功」をたたえるものではなく、共産党政府にも同じ轍を踏まないよう警告・批判する意味もあったり。
もちろん音楽それだけでも素晴らしいものですが、歴史・社会背景とのつながりもまた深く、そしてわかりやすい作品です(何回も書いてますがこれが私のショスタコ&ソヴィエト史の入り口でしたからねー)。
でもとにかく強調したいのは!ビオラたちのソロを聴いてください!
メル響の録音があって試聴もあるのでリンクしました。(ただしこの第3楽章は抜き出されてる箇所が悪いな・・・)
私が最近気に入ってるジャズ組曲第1番も入ってます~「ワルツ」が特に格好いいですのでそちらも試聴強くおすすめです!
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