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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
昨日は行ってきました私のピアノの先生、Stephen McIntyreのバースデーコンサート。
Melbourne Recital Centreの大きい方のホール、Elizabeth Murdoch Hallで開催されたのですがここは入るのも初めて。面白いホールですよ、ここのリンクのview allから見れるのですが。入るのは2階からなんですが、ホールのドアを閉めてしまうとまるで地中・地下にいるような感覚。
バルコニーは見えなかったのですがお客さんの入りもなかなかよかったようです。
プログラムは結構曲が多いのでこちらから。時系列に追って話します。
今回のコンサートは本来なら先生の70歳の誕生日にサプライズとして企画されたのですが、どこから漏れたのか先生の耳に伝わって、照れくさかったのか自分で主催・企画するとハイジャックしてしまったという経緯らしく(笑)
先生と縁の深いピアニスト達、そしてピアノ以外の音楽家(作曲家含む)が集まって先生の誕生日を祝うコンサートになりました。
最初のブロック(説明のために勝手にブロック分けしました)はシューベルト特集。
ピアノ連弾「人生の嵐」、シューベルトとシューマンの歌曲、シューベルト最後のピアノソナタ、そして有名な「鱒」。
最初の連弾以外では先生がピアノ弾いてました。
先生が一人で弾くのは見たことあるのですが歌曲の伴奏とか室内楽で弾くのは初めて見ました。
鱒についてはプログラムに先生の言葉で「(コントラバスの方とは)釣り教室を開けるくらいたくさん弾いた」そうで(笑)
休憩後の次のブロックは「About a Barcarolle」と名付けられた、先生の誕生日のために先生の好きなショパンの「舟歌」をモチーフにオーストラリアの作曲家達が音楽の寄せ書き(といえばいいのかな)として曲を書いたコレクション。
4者4様の舟歌連想の曲、どれも違った形でショパンのそれとつながってどれも魅力的でしたがとりあえず友人2人の作品について言及。
ピーターの書いた曲は今まで聴いたよりもシンプルというか素直というか、舟歌風伴奏とちょっとオーストラリアっぽいと思おうハーモニー(五度+五度がそうなのかな)。
マイケルの書いた曲はマズルカ風だけどがっつり濃くマイケルフレーバー(笑)彼が自分の曲を楽譜を見ながら弾いてるのを初めてみたいのですがなんだか「そうか、あの音楽は楽譜に物理的に書いてあるのか」と別の方向で驚きました。
で、このブロックは元のショパンの「舟歌」でしめ。
次のブロックは主にコメディーブロックと言いますか。
フルート、オーボエとピアノ(先生弾き)のトリオはかわいらしい小品。
そして次からコメディーショーの始まり。
ロッシーニの「猫の二重奏」では2人の歌手が茶目っ気&演技たっぷりに猫を演じ観客を沸かせ(ガチ猫→ガチ歌の間がコンマ数秒とかすごい(笑))、伴奏してるピアニストがオチを決めたり。
その次は1台のピアノに2人→3人→4人と一曲ずつピアニストが増えていくちょっとコミカルなプログラム。それも割と背の高い男性&女性が一つのピアノにぎゅうぎゅう詰めという大変な状態(笑)
そして最後には友達のピアノデュオによるラフマニノフ、そして2台ピアノ・4人ピアニストによるサン=サーンスの「死の舞踏」でエキサイティングにフィニッシュ。
がっつりクオリティの高い音楽を深く味わいながら、先生と周りの音楽家達のつながりを感じさせながら、結構エンターテインメント的なところもあってものすごく楽しかったです。
コンサートの終わりにはfoyerで先生がお客さんみんなに挨拶して回ってて。もう知ってる人いっぱいいて私もいろんなところで挨拶したりなんだり。先生のために、先生の誕生日を祝うためにこんなに人が集まって先生は幸せ者だな、としみじみ。
私は本来だったらここでお開きなのですが、後で先生の誕生日パーティーがあって、奏者とか招待客はパートナーだったりなんだったりプラスワン連れてきていいらしい、ということなのでプラスワンがいないピーターの好意に甘えて連れてってもらいました。
(1)パートナーでもないし(2)そもそもあの子は男の子が好きなのに、申し出て連れてっていただいて本当にありがたいのです。
ということでシティからそう遠くないとある方の家でパーティーに行って来ました。
といっても先生が70歳ということは先生と親しい人と、私たち生徒世代と親しい人というのは違うわけで。わりと生徒世代(主にコンサートでの奏者)でかたまって話してることが多かったです。(ピーターとはほぼずっと一緒だった(笑)人見知り同士なので)
美味しいワインと軽食(ただし北京ダックもあった!すごい!)をいただきながら音楽事情だったりそうでないことだったり色々話してました。
前も何回か言及しているようにうちの先生の生徒って二足のわらじというか、ピアノ・音楽以外でも力を入れてることがあったり、そしてなんかこう、一歩引いたクールな?とはちょっと違うかもしれないのですが共通の雰囲気・姿勢があるような気がするんですよね。
で、「若い衆」の中でも私と同期、といえば若い方で。たまに他から見て先生の生徒達が「ファミリー」扱いされることがあるのですが、そう考えるとピーターが末の弟になるなあ、とか思ったり。(ただし私よりも先に先生に習ってるので実は兄弟子だったりするんです)
彼は私と4歳違いで、共通の友達ってこないだまで少なかったのですがこのコンサートを通じてピーターも私と同期のピアニスト達と仲良くなっていて、それがなんだかものすごく嬉しかったです。
パーティー会場だった家には猫が2匹居たのですが人が多くてちと迷惑そうでしたね。若い衆から(特にピーター)猫と友達になろうとしてかまう人も出てくるし(笑)
ピーターが猫をかまうのは見てて大変ほほえましかったです(笑)
(そして結局かまわない人の方に猫が行く、というのはお約束)
今回同門の友達に会って「コンサートやろうと思ってる」と言ったらみんな「絶対行くよ」と言ってくれて、その応援が本当に心強かったです。
先生の誕生日にこうやってみんなが集まったのもそうですが、こうやって私を応援してくれる友達の存在を感じて思うのはピアニストはステージとか練習では一人だけれど、決して独りではないんだな、ということ。
素晴らしい先生と、素晴らしい仲間と一緒に音楽の世界(端っこですが)に居ることができて、本当に嬉しいし光栄です。
結局さんざん友達としゃべって酔っ払って帰ったのですが、なんだか大きな、ではないながらも奇跡のような一日でしたね。良い意味でとっても非日常な感じ。
こんな日はそんなに頻繁にないと思うので思い出を大事にしていきたいです。
(なんだか書き忘れたことがいろいろあるようなのですが思い出したらまた後日に・・・)
今日の一曲: フランツ・シューベルト ピアノソナタ D960 第1楽章
今回のコンサートで先生がソロで弾いた曲です。
シューベルトの最後のピアノソナタにしておそらく一番ピアニストに愛されているピアノソナタ。
私も前々からシューベルトのピアノソナタが弾きたいな、と思ってるのですがやっぱりこれが好きすぎて、偉大すぎて他のを弾く気になかなかなれないのが正直なところ。かといっていきなりこの曲を弾くのも以前のエントリーで書いた「いきなり晩年の音楽を弾く」問題とか、「シューベルトの晩年の不思議な枯れてる感じ」のあれとか、今弾くのはどうも自分が未熟なような気がするんです。どうしてもとっておきたい。
この第1楽章の穏やかなメロディーと自由に移り変わるハーモニーはまるで広い空をのんびり見上げているようで。
実際最初の方で音楽が一旦止まったときに左手に聞こえるのは遠雷だそうですね。
なにか悟ったような平安さ、すがすがしさは聴いていてものすごく幸せになります。派手な幸せでなく、果てしなく穏やかな幸せ。
先生が弾くとものすごい柔らかいタッチで、メロディーが本当にのびのびとして。(よくレッスンでもっとメロディーを際立たせなさいと言われるのですが今回の演奏で聴かされましたね!)こういう風な心と感性を持つよう歳を重ねたいなあ、と思うのです。
コンサートの最初に弾かれた同じシューベルトの「人生の嵐」も旅路的なところがあるのですが、この曲も歩んでいくようなところがあって。ただあちらは波瀾万丈の旅、こちらはゆっくり自分の足で杖をついて気ままに進む旅。
「冬の旅」もありますし「さすらい人」という曲も書いてますし、シューベルトの音楽って心をここではないどこかに連れてってくれるようなところがあるんですね。
先生のシューベルトのCDは残念ながらないみたいなのですが、世界のピアニストの中でもシューベルトといえばやっぱりブレンデル。後期の他のピアノソナタも(やっぱりこれには敵わないとはいっても)素晴らしい作品なので一緒にどうぞ。
昨日は行ってきました私のピアノの先生、Stephen McIntyreのバースデーコンサート。
Melbourne Recital Centreの大きい方のホール、Elizabeth Murdoch Hallで開催されたのですがここは入るのも初めて。面白いホールですよ、ここのリンクのview allから見れるのですが。入るのは2階からなんですが、ホールのドアを閉めてしまうとまるで地中・地下にいるような感覚。
バルコニーは見えなかったのですがお客さんの入りもなかなかよかったようです。
プログラムは結構曲が多いのでこちらから。時系列に追って話します。
今回のコンサートは本来なら先生の70歳の誕生日にサプライズとして企画されたのですが、どこから漏れたのか先生の耳に伝わって、照れくさかったのか自分で主催・企画するとハイジャックしてしまったという経緯らしく(笑)
先生と縁の深いピアニスト達、そしてピアノ以外の音楽家(作曲家含む)が集まって先生の誕生日を祝うコンサートになりました。
最初のブロック(説明のために勝手にブロック分けしました)はシューベルト特集。
ピアノ連弾「人生の嵐」、シューベルトとシューマンの歌曲、シューベルト最後のピアノソナタ、そして有名な「鱒」。
最初の連弾以外では先生がピアノ弾いてました。
先生が一人で弾くのは見たことあるのですが歌曲の伴奏とか室内楽で弾くのは初めて見ました。
鱒についてはプログラムに先生の言葉で「(コントラバスの方とは)釣り教室を開けるくらいたくさん弾いた」そうで(笑)
休憩後の次のブロックは「About a Barcarolle」と名付けられた、先生の誕生日のために先生の好きなショパンの「舟歌」をモチーフにオーストラリアの作曲家達が音楽の寄せ書き(といえばいいのかな)として曲を書いたコレクション。
4者4様の舟歌連想の曲、どれも違った形でショパンのそれとつながってどれも魅力的でしたがとりあえず友人2人の作品について言及。
ピーターの書いた曲は今まで聴いたよりもシンプルというか素直というか、舟歌風伴奏とちょっとオーストラリアっぽいと思おうハーモニー(五度+五度がそうなのかな)。
マイケルの書いた曲はマズルカ風だけどがっつり濃くマイケルフレーバー(笑)彼が自分の曲を楽譜を見ながら弾いてるのを初めてみたいのですがなんだか「そうか、あの音楽は楽譜に物理的に書いてあるのか」と別の方向で驚きました。
で、このブロックは元のショパンの「舟歌」でしめ。
次のブロックは主にコメディーブロックと言いますか。
フルート、オーボエとピアノ(先生弾き)のトリオはかわいらしい小品。
そして次からコメディーショーの始まり。
ロッシーニの「猫の二重奏」では2人の歌手が茶目っ気&演技たっぷりに猫を演じ観客を沸かせ(ガチ猫→ガチ歌の間がコンマ数秒とかすごい(笑))、伴奏してるピアニストがオチを決めたり。
その次は1台のピアノに2人→3人→4人と一曲ずつピアニストが増えていくちょっとコミカルなプログラム。それも割と背の高い男性&女性が一つのピアノにぎゅうぎゅう詰めという大変な状態(笑)
そして最後には友達のピアノデュオによるラフマニノフ、そして2台ピアノ・4人ピアニストによるサン=サーンスの「死の舞踏」でエキサイティングにフィニッシュ。
がっつりクオリティの高い音楽を深く味わいながら、先生と周りの音楽家達のつながりを感じさせながら、結構エンターテインメント的なところもあってものすごく楽しかったです。
コンサートの終わりにはfoyerで先生がお客さんみんなに挨拶して回ってて。もう知ってる人いっぱいいて私もいろんなところで挨拶したりなんだり。先生のために、先生の誕生日を祝うためにこんなに人が集まって先生は幸せ者だな、としみじみ。
私は本来だったらここでお開きなのですが、後で先生の誕生日パーティーがあって、奏者とか招待客はパートナーだったりなんだったりプラスワン連れてきていいらしい、ということなのでプラスワンがいないピーターの好意に甘えて連れてってもらいました。
(1)パートナーでもないし(2)そもそもあの子は男の子が好きなのに、申し出て連れてっていただいて本当にありがたいのです。
ということでシティからそう遠くないとある方の家でパーティーに行って来ました。
といっても先生が70歳ということは先生と親しい人と、私たち生徒世代と親しい人というのは違うわけで。わりと生徒世代(主にコンサートでの奏者)でかたまって話してることが多かったです。(ピーターとはほぼずっと一緒だった(笑)人見知り同士なので)
美味しいワインと軽食(ただし北京ダックもあった!すごい!)をいただきながら音楽事情だったりそうでないことだったり色々話してました。
前も何回か言及しているようにうちの先生の生徒って二足のわらじというか、ピアノ・音楽以外でも力を入れてることがあったり、そしてなんかこう、一歩引いたクールな?とはちょっと違うかもしれないのですが共通の雰囲気・姿勢があるような気がするんですよね。
で、「若い衆」の中でも私と同期、といえば若い方で。たまに他から見て先生の生徒達が「ファミリー」扱いされることがあるのですが、そう考えるとピーターが末の弟になるなあ、とか思ったり。(ただし私よりも先に先生に習ってるので実は兄弟子だったりするんです)
彼は私と4歳違いで、共通の友達ってこないだまで少なかったのですがこのコンサートを通じてピーターも私と同期のピアニスト達と仲良くなっていて、それがなんだかものすごく嬉しかったです。
パーティー会場だった家には猫が2匹居たのですが人が多くてちと迷惑そうでしたね。若い衆から(特にピーター)猫と友達になろうとしてかまう人も出てくるし(笑)
ピーターが猫をかまうのは見てて大変ほほえましかったです(笑)
(そして結局かまわない人の方に猫が行く、というのはお約束)
今回同門の友達に会って「コンサートやろうと思ってる」と言ったらみんな「絶対行くよ」と言ってくれて、その応援が本当に心強かったです。
先生の誕生日にこうやってみんなが集まったのもそうですが、こうやって私を応援してくれる友達の存在を感じて思うのはピアニストはステージとか練習では一人だけれど、決して独りではないんだな、ということ。
素晴らしい先生と、素晴らしい仲間と一緒に音楽の世界(端っこですが)に居ることができて、本当に嬉しいし光栄です。
結局さんざん友達としゃべって酔っ払って帰ったのですが、なんだか大きな、ではないながらも奇跡のような一日でしたね。良い意味でとっても非日常な感じ。
こんな日はそんなに頻繁にないと思うので思い出を大事にしていきたいです。
(なんだか書き忘れたことがいろいろあるようなのですが思い出したらまた後日に・・・)
今日の一曲: フランツ・シューベルト ピアノソナタ D960 第1楽章
今回のコンサートで先生がソロで弾いた曲です。
シューベルトの最後のピアノソナタにしておそらく一番ピアニストに愛されているピアノソナタ。
私も前々からシューベルトのピアノソナタが弾きたいな、と思ってるのですがやっぱりこれが好きすぎて、偉大すぎて他のを弾く気になかなかなれないのが正直なところ。かといっていきなりこの曲を弾くのも以前のエントリーで書いた「いきなり晩年の音楽を弾く」問題とか、「シューベルトの晩年の不思議な枯れてる感じ」のあれとか、今弾くのはどうも自分が未熟なような気がするんです。どうしてもとっておきたい。
この第1楽章の穏やかなメロディーと自由に移り変わるハーモニーはまるで広い空をのんびり見上げているようで。
実際最初の方で音楽が一旦止まったときに左手に聞こえるのは遠雷だそうですね。
なにか悟ったような平安さ、すがすがしさは聴いていてものすごく幸せになります。派手な幸せでなく、果てしなく穏やかな幸せ。
先生が弾くとものすごい柔らかいタッチで、メロディーが本当にのびのびとして。(よくレッスンでもっとメロディーを際立たせなさいと言われるのですが今回の演奏で聴かされましたね!)こういう風な心と感性を持つよう歳を重ねたいなあ、と思うのです。
コンサートの最初に弾かれた同じシューベルトの「人生の嵐」も旅路的なところがあるのですが、この曲も歩んでいくようなところがあって。ただあちらは波瀾万丈の旅、こちらはゆっくり自分の足で杖をついて気ままに進む旅。
「冬の旅」もありますし「さすらい人」という曲も書いてますし、シューベルトの音楽って心をここではないどこかに連れてってくれるようなところがあるんですね。
先生のシューベルトのCDは残念ながらないみたいなのですが、世界のピアニストの中でもシューベルトといえばやっぱりブレンデル。後期の他のピアノソナタも(やっぱりこれには敵わないとはいっても)素晴らしい作品なので一緒にどうぞ。
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