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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今回は案の定前回書き忘れた話があるので「先生のバースデーコンサート周りの話・続き」ということで。
内容は主にピアニスト同士の会話で面白いものかどうかは微妙ですが・・・
身近に「天才」が居るのはたまにちょっと妬ましいながらも楽しいこともいろいろありますね。
パーティーへ行く途中にピーターがコンクールで弾くべきレパートリー、というのを冗談で話してて。
ショパンの練習曲(どれか忘れた)のゴドフスキー版(ただでさえ難しいショパンの練習曲をさらに難しくしたという恐ろしい曲)をやるのは冗談抜きでやるらしいので、それならすっごい難しい編曲版ばっかり弾いたらいいじゃん、と。
シューベルトの「魔王」のリストによるピアノ版からはじめてバッハのバイオリンのための「シャコンヌ」のブゾーニ版、ワーグナーの「タンホイザー」序曲のリストによるピアノ版、でついでだからベートーヴェンの第9のリストによるピアノ版でしめちゃいなよ・・・とかもう馬鹿馬鹿しいほど難しいプログラム(笑)
もちろん「ありえないだろ!」っていう前提なのですがピーターなら本気になったらできそうでもあるんですよね。
同じくパーティーに行く途中、話はラフマニノフのピアノソナタ第1番のことに。
前から私は好きだけど、ピーターはそうでもなかった曲で、それでも好きになる可能性があるようなことを言っていて。
で、曲の良さを分かってもらうには私が弾くことだよ、という話になり。
まだ私の手で弾けるか(そしてこの曲の魅力を伝えられる程度に弾けるか)わからないし、そもそも40分がっつりだし(ただし20のまなざしとかコンプリートでやるともっと長いのでそこはやっぱり愚痴るところではないのかも)、この曲の良さってぱっとしないところだからそれをどう伝えればいいのか、とか・・・
悩みながらもこう、チャレンジ精神をくすぐられて「そのうちやっぱり自分で弾いてみて形にしなきゃなあ・・・」という思いが芽生えてしまっていて結果諸々地味に困っています(汗)
(ピーターは私がピアノ弾いてるのを聴いたことがなくて楽しみにしてくれてるからなあ・・・うれしいんだけど大丈夫か私)
パーティー会場には顔見知りの大学の先生方も何人か居ました。
ピアノで一番偉い先生もコンサートから来ててびっくり。ちょっと生徒側から見ると色々好ましくないところのある人で、「若い衆」で誰が最初に挨拶にいくかで罰ゲームのようにもめたり(笑)私はその時点ですでにその先生とにっこりpoliteな笑みを交わして挨拶を済ませていたのですが(会話が続く気がしなかったのですよ)。結局もめてる間に相手は帰っちゃったのですが・・・
大学で働いている先輩「若い衆」と違って大学からすっかり離れた私たちもそういう先生達との関係性って変わらないことあるんですよね。「生徒」じゃないからって対等に振る舞えるわけではないみたいです。
先生方サイドでパーティーに結局来なかったのはマイケル。
コンサート場所ではちゃんと場所を聞いていったのに。ピーターに何度も呼ばせたんですが応答なし。
見失う前は私に「自分でそう思えなくてもちゃんと(精神的に)wellだから自信を持って」とありがたい言葉をいただいたのですが。
私もそうですがみんなマイケルとはなかなか会って話す機会が少ない(とにかくつかまらない!)のでちょっと残念。次はいつ会えるかしらん。
先生はなんとコンサートで演奏した奏者たち一人一人にプレゼントを用意していました。綺麗な包み紙に、カードに、プレゼント。いくつかその場で見れたのですが一人一人のために考えて選んだ感のあるチョイスでした。
ピーターは「音律」についての本をもらってました。ピーターは本を普段読まないのですが、先輩で本を普段読まないといってた人も本をもらってて、どうやら「本を読め」とのお達し・・・?(知ってたのかなあ・・・)
デュオで弾いていた後輩はこれはネクタイか?と思ったら靴下でした(笑)
先生のみんな一人一人への心遣いとユーモアが垣間見れたプレゼントでした。
ということで前回のエントリーにあふれた分の記録でした。
前回も書きましたがこういう機会は本当に珍しくて貴重なので、心の中・記憶の中でも大切にしていきたいです。
珍しいは珍しいですが先生についてはは80歳の誕生日も90歳の誕生日もその後もずっとコンサートでみんなとお祝いできたらいいな、と思います。
そして先生にも私が演奏するところを聞いてもらわないと。少なくとも「20のまなざし」コンプリート、そして「鳥のカタログ」コンプリートも・・・
そこは私ががんばるところなので。しっかりします。
今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第2番 第3楽章 「影の踊り」
イザイの無伴奏バイオリンソナタはこの楽器のためのレパートリーの中でも私が特に好きな曲集の一つです。
一番有名で、一番バイオリンの真髄!と思うのは単一楽章の第3番「バラード」ですが、第2番にもものすごく愛着があります。
たしかイザイの無伴奏バイオリンソナタに出会ったのが、どこかのコンサートのアンコールでこの第2番の第1楽章を聞いたときのはず。
この第2番の全楽章「Dies Irae」のメロディーが現れ、それに支配されているというか呪われているような風があるのですが、第3楽章は「Dies Irae」のメロディーをテーマとしたバリエーションの形をとっています。
イザイの無伴奏ソナタといえばかなり技巧的に複雑ですが、これは凝ってはいるものの変奏曲に必要な範囲といいますか、ストレートな感じで素直に心に来ます。
Dies Iraeは一般的に死や最後の審判を連想させるメロディーで、暗いcontextで使われることが多いのですが、この曲ではト長調という明るい音楽のなかで使われているのが面白い。
この楽章の名前が「Danse des Ombres」=「影の踊り」というのですが全体的に暗い影というよりは人が光に当たって出来た影が人と一緒に動く踊り、みたいなイメージになるんですかね。
なんだったか歌でも自分の影法師に対する親しみみたいなのありますけど、日の光の暖かさと同時に影が自分の側にいつも居るあのほっとする感じを思う音楽です。
いつも紹介している曲たちよりももっと全般的な意味で、素直な意味で単純にいい曲です。
他のイザイのソナタと一緒にどうぞ。
今回は案の定前回書き忘れた話があるので「先生のバースデーコンサート周りの話・続き」ということで。
内容は主にピアニスト同士の会話で面白いものかどうかは微妙ですが・・・
身近に「天才」が居るのはたまにちょっと妬ましいながらも楽しいこともいろいろありますね。
パーティーへ行く途中にピーターがコンクールで弾くべきレパートリー、というのを冗談で話してて。
ショパンの練習曲(どれか忘れた)のゴドフスキー版(ただでさえ難しいショパンの練習曲をさらに難しくしたという恐ろしい曲)をやるのは冗談抜きでやるらしいので、それならすっごい難しい編曲版ばっかり弾いたらいいじゃん、と。
シューベルトの「魔王」のリストによるピアノ版からはじめてバッハのバイオリンのための「シャコンヌ」のブゾーニ版、ワーグナーの「タンホイザー」序曲のリストによるピアノ版、でついでだからベートーヴェンの第9のリストによるピアノ版でしめちゃいなよ・・・とかもう馬鹿馬鹿しいほど難しいプログラム(笑)
もちろん「ありえないだろ!」っていう前提なのですがピーターなら本気になったらできそうでもあるんですよね。
同じくパーティーに行く途中、話はラフマニノフのピアノソナタ第1番のことに。
前から私は好きだけど、ピーターはそうでもなかった曲で、それでも好きになる可能性があるようなことを言っていて。
で、曲の良さを分かってもらうには私が弾くことだよ、という話になり。
まだ私の手で弾けるか(そしてこの曲の魅力を伝えられる程度に弾けるか)わからないし、そもそも40分がっつりだし(ただし20のまなざしとかコンプリートでやるともっと長いのでそこはやっぱり愚痴るところではないのかも)、この曲の良さってぱっとしないところだからそれをどう伝えればいいのか、とか・・・
悩みながらもこう、チャレンジ精神をくすぐられて「そのうちやっぱり自分で弾いてみて形にしなきゃなあ・・・」という思いが芽生えてしまっていて結果諸々地味に困っています(汗)
(ピーターは私がピアノ弾いてるのを聴いたことがなくて楽しみにしてくれてるからなあ・・・うれしいんだけど大丈夫か私)
パーティー会場には顔見知りの大学の先生方も何人か居ました。
ピアノで一番偉い先生もコンサートから来ててびっくり。ちょっと生徒側から見ると色々好ましくないところのある人で、「若い衆」で誰が最初に挨拶にいくかで罰ゲームのようにもめたり(笑)私はその時点ですでにその先生とにっこりpoliteな笑みを交わして挨拶を済ませていたのですが(会話が続く気がしなかったのですよ)。結局もめてる間に相手は帰っちゃったのですが・・・
大学で働いている先輩「若い衆」と違って大学からすっかり離れた私たちもそういう先生達との関係性って変わらないことあるんですよね。「生徒」じゃないからって対等に振る舞えるわけではないみたいです。
先生方サイドでパーティーに結局来なかったのはマイケル。
コンサート場所ではちゃんと場所を聞いていったのに。ピーターに何度も呼ばせたんですが応答なし。
見失う前は私に「自分でそう思えなくてもちゃんと(精神的に)wellだから自信を持って」とありがたい言葉をいただいたのですが。
私もそうですがみんなマイケルとはなかなか会って話す機会が少ない(とにかくつかまらない!)のでちょっと残念。次はいつ会えるかしらん。
先生はなんとコンサートで演奏した奏者たち一人一人にプレゼントを用意していました。綺麗な包み紙に、カードに、プレゼント。いくつかその場で見れたのですが一人一人のために考えて選んだ感のあるチョイスでした。
ピーターは「音律」についての本をもらってました。ピーターは本を普段読まないのですが、先輩で本を普段読まないといってた人も本をもらってて、どうやら「本を読め」とのお達し・・・?(知ってたのかなあ・・・)
デュオで弾いていた後輩はこれはネクタイか?と思ったら靴下でした(笑)
先生のみんな一人一人への心遣いとユーモアが垣間見れたプレゼントでした。
ということで前回のエントリーにあふれた分の記録でした。
前回も書きましたがこういう機会は本当に珍しくて貴重なので、心の中・記憶の中でも大切にしていきたいです。
珍しいは珍しいですが先生についてはは80歳の誕生日も90歳の誕生日もその後もずっとコンサートでみんなとお祝いできたらいいな、と思います。
そして先生にも私が演奏するところを聞いてもらわないと。少なくとも「20のまなざし」コンプリート、そして「鳥のカタログ」コンプリートも・・・
そこは私ががんばるところなので。しっかりします。
今日の一曲: ウジェーヌ・イザイ 無伴奏バイオリンソナタ第2番 第3楽章 「影の踊り」
イザイの無伴奏バイオリンソナタはこの楽器のためのレパートリーの中でも私が特に好きな曲集の一つです。
一番有名で、一番バイオリンの真髄!と思うのは単一楽章の第3番「バラード」ですが、第2番にもものすごく愛着があります。
たしかイザイの無伴奏バイオリンソナタに出会ったのが、どこかのコンサートのアンコールでこの第2番の第1楽章を聞いたときのはず。
この第2番の全楽章「Dies Irae」のメロディーが現れ、それに支配されているというか呪われているような風があるのですが、第3楽章は「Dies Irae」のメロディーをテーマとしたバリエーションの形をとっています。
イザイの無伴奏ソナタといえばかなり技巧的に複雑ですが、これは凝ってはいるものの変奏曲に必要な範囲といいますか、ストレートな感じで素直に心に来ます。
Dies Iraeは一般的に死や最後の審判を連想させるメロディーで、暗いcontextで使われることが多いのですが、この曲ではト長調という明るい音楽のなかで使われているのが面白い。
この楽章の名前が「Danse des Ombres」=「影の踊り」というのですが全体的に暗い影というよりは人が光に当たって出来た影が人と一緒に動く踊り、みたいなイメージになるんですかね。
なんだったか歌でも自分の影法師に対する親しみみたいなのありますけど、日の光の暖かさと同時に影が自分の側にいつも居るあのほっとする感じを思う音楽です。
いつも紹介している曲たちよりももっと全般的な意味で、素直な意味で単純にいい曲です。
他のイザイのソナタと一緒にどうぞ。
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