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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
今日で6月も終わり、先月「一旦リサイタルのプログラムを休んで新しい曲を弾いてみる」といった期間の一応の終わりです。
結局弾いたのは(復習も合わせて)こんな曲:
モンポウ 歌と踊り 第5,6,7番
カバレフスキー 前奏曲 嬰ト短調、変ロ短調、変ホ長調
シマノフスキ 練習曲 op.4-3
ヴェーベルン 変奏曲
ドビュッシー 「映像」第2集より「葉ずえを渡る鐘」
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39-4
メシアン 「鳥のカタログ」より「ニシコウライウグイス」
この1ヶ月新しい曲と出会えて楽しかったですし新鮮でしたし、リサイタルのプログラムを続けるだけでは身につけられないものも少しはあったかな・・・と。
出会いに関してはやっぱりヴェーベルンと改めて向き合えたのは大きかったです。前々からいわゆる「新ウィーン楽派」と呼ばれる、20世紀前半のオーストリア周りの音楽(シェーンベルクとかベルクとかも)を弾いてみたかったですし、去年のマイケルのこの曲の演奏で「できるかもしれない」と思っていたのでこれはいい機会でした。わりといけるかも、と自信がつきました。まだ弾くだけでなく分析面でもやることいっぱいありますが・・・
でも、一見何が何だか分からないような音楽でも、自分が親しんでいる音楽と変わらない物理の法則というか、なんらかの共通言語が存在していて、それを見つけたり、音の数列(Series)を見つけたりすると一気に曲との距離が縮まる感覚はもうやめられませんね(笑)わけがわからない、なんて言われますが現代音楽と向き合って関係を深めていくのはやっぱり楽しいです。
そして去年の冬弾いていたカバレフスキーに戻れたのはなんだかほっとしました。去年始めたばかりなのですがこの馴染み様は自分でもびっくり。ショスタコとかプロコフィエフで長年培ってきたソヴィエト音楽への愛と親しみなんでしょうか。
もともとこの前奏曲集からいくつか弾きたい、と思ったのは今回弾いた変ロ短調のがきっかけで。いかにもソヴィエト!と私が感じたこの曲、本当に楽しく弾けたのですが同時に自分の腕の長さの限界も思い知った曲でした(笑)
それから「映像」を1曲増やせたのは大きかったです。何よりもドビュッシーにまた触れられて安心しましたし、弾いていて気持ち良かったですし。そして結果これで「水」系の音の細かい2曲だけが残り(以前も描きましたが)。
ラフマニノフは大学1年の最終試験で弾いた曲なんですが、今回弾いたことでいかに最近自分の指が衰えているか、いかに技巧的な側面を怠ってきたかが浮き彫りになりましたね。
この曲はがっつりの動きと細かい動きがミックスで出てくるのがトリッキーで、自分の手のキャパをちょっと超えてる感じがして。曲も何回戻ってきてもものすごく好きですし、指を鍛えるにはいいかなと思った次第ですがこれがリサイタル曲に生きてくるかな・・・?
そして今後演奏プログラムにちょこちょこっと組み入れられるような、人前で弾いてもいいと思える曲が増えたという意味でもこの1ヶ月のレパートリーは自分の力になったのではないかと思います。
ソナタ一つまるまるとか曲集まるまるとか習得するのも大切ですが、小さい曲をこうやってちょこちょことやっていくのに時間を割くのも大切ですね。
今月やった曲が生きるのはまだ先になりそうですが再会するのを楽しみにしています。
・・・といっても実は今日で全部打ち止めにするのではなく、ドビュッシーとかラフマニノフ、ヴェーベルンとニシコウライウグイスはもうちょっと延長で弾くつもりでいます。1週間とか2週間とか。(もちろんリサイタルのプログラムには順次以降しながら)まだまだやりのこしたことがあって。
ニシコウライウグイスはもう半年も弾いてるんですよね。ちょっと習得遅いなあ、というかだらだらやってるなあ、一旦置いておいて戻ってきた方がいいのかな、とは思うのですが。どうも手放すには好き過ぎるというか(苦笑)弾けなくても弾くのが好きで。でもまあいずれは置いて先にすすまなきゃ。春にはイソヒヨドリが待っている。
とはいっても「鳥のカタログ」は「20のまなざし」より時間はかかる気がしますし、何回か戻ってくる必要性をより感じます。もっと「鳥のカタログ」を身につけたい。
ということでなんか内省的というか「誰が知りたいんだ」という内容のエントリーになってしまいましたが今月身につけた曲はまた将来生かしていくつもりですのでその再会の時にはちょっと思い出してやってくださいな(笑)
明日からはまた気を引き締めて。
今日の一曲: カール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」より「Estuans Interius」
寒い冬には必ず思い出すこの曲。外の寒さの厳しさとそれに伴う心の厳しさ(Bitterness)、そして飲み屋の暖炉で燃える炎を思います。
人生に翻弄され運命に弄ばれる一人の人間とその心のbitterな様子を表す歌なのですが、割とこう、率直な歌詞が印象的ですね(あくまでも私の印象ですが)。
率直に怒り語るバリトンのパートももちろん魅力的ですが、オケのパートもなかなか好きです。
これは歌曲全般に言えることですが、歌い手は多くの場合主人公、一人の人間の心情を表す役目で、伴奏は(ピアノなりオケなり)周りの空気、風景、より大きい力を表す役目をしています。
例えばシューベルトの「美しき水車小屋の娘」だと小川・水車を表す音型が頻繁に出てきたり、風景描写などのテクニックが分かりやすくあったりするのです。そういうとこに作曲家のトリックや技が聴いていたり、見つかると面白いですよ。
なので是非歌曲では歌だけではなくバックのオケやピアノにも注意して聴いてみてくださいね~
このEstuans Interiusは主に弦の伴奏がこの激情と空気の厳しさをよく表してると思います。とにかくリズムがにくいですね。
あとサビの前のオケだけの3小節のリズム大好きです(笑)
このEstuans Interiusに始まってIn Tavernaに終わる、男声+オケによる飲み屋の一連のシーンはほんと楽しいですね♪たのしく聴きたい弾きたい歌いたいです(笑)
今日で6月も終わり、先月「一旦リサイタルのプログラムを休んで新しい曲を弾いてみる」といった期間の一応の終わりです。
結局弾いたのは(復習も合わせて)こんな曲:
モンポウ 歌と踊り 第5,6,7番
カバレフスキー 前奏曲 嬰ト短調、変ロ短調、変ホ長調
シマノフスキ 練習曲 op.4-3
ヴェーベルン 変奏曲
ドビュッシー 「映像」第2集より「葉ずえを渡る鐘」
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」 op.39-4
メシアン 「鳥のカタログ」より「ニシコウライウグイス」
この1ヶ月新しい曲と出会えて楽しかったですし新鮮でしたし、リサイタルのプログラムを続けるだけでは身につけられないものも少しはあったかな・・・と。
出会いに関してはやっぱりヴェーベルンと改めて向き合えたのは大きかったです。前々からいわゆる「新ウィーン楽派」と呼ばれる、20世紀前半のオーストリア周りの音楽(シェーンベルクとかベルクとかも)を弾いてみたかったですし、去年のマイケルのこの曲の演奏で「できるかもしれない」と思っていたのでこれはいい機会でした。わりといけるかも、と自信がつきました。まだ弾くだけでなく分析面でもやることいっぱいありますが・・・
でも、一見何が何だか分からないような音楽でも、自分が親しんでいる音楽と変わらない物理の法則というか、なんらかの共通言語が存在していて、それを見つけたり、音の数列(Series)を見つけたりすると一気に曲との距離が縮まる感覚はもうやめられませんね(笑)わけがわからない、なんて言われますが現代音楽と向き合って関係を深めていくのはやっぱり楽しいです。
そして去年の冬弾いていたカバレフスキーに戻れたのはなんだかほっとしました。去年始めたばかりなのですがこの馴染み様は自分でもびっくり。ショスタコとかプロコフィエフで長年培ってきたソヴィエト音楽への愛と親しみなんでしょうか。
もともとこの前奏曲集からいくつか弾きたい、と思ったのは今回弾いた変ロ短調のがきっかけで。いかにもソヴィエト!と私が感じたこの曲、本当に楽しく弾けたのですが同時に自分の腕の長さの限界も思い知った曲でした(笑)
それから「映像」を1曲増やせたのは大きかったです。何よりもドビュッシーにまた触れられて安心しましたし、弾いていて気持ち良かったですし。そして結果これで「水」系の音の細かい2曲だけが残り(以前も描きましたが)。
ラフマニノフは大学1年の最終試験で弾いた曲なんですが、今回弾いたことでいかに最近自分の指が衰えているか、いかに技巧的な側面を怠ってきたかが浮き彫りになりましたね。
この曲はがっつりの動きと細かい動きがミックスで出てくるのがトリッキーで、自分の手のキャパをちょっと超えてる感じがして。曲も何回戻ってきてもものすごく好きですし、指を鍛えるにはいいかなと思った次第ですがこれがリサイタル曲に生きてくるかな・・・?
そして今後演奏プログラムにちょこちょこっと組み入れられるような、人前で弾いてもいいと思える曲が増えたという意味でもこの1ヶ月のレパートリーは自分の力になったのではないかと思います。
ソナタ一つまるまるとか曲集まるまるとか習得するのも大切ですが、小さい曲をこうやってちょこちょことやっていくのに時間を割くのも大切ですね。
今月やった曲が生きるのはまだ先になりそうですが再会するのを楽しみにしています。
・・・といっても実は今日で全部打ち止めにするのではなく、ドビュッシーとかラフマニノフ、ヴェーベルンとニシコウライウグイスはもうちょっと延長で弾くつもりでいます。1週間とか2週間とか。(もちろんリサイタルのプログラムには順次以降しながら)まだまだやりのこしたことがあって。
ニシコウライウグイスはもう半年も弾いてるんですよね。ちょっと習得遅いなあ、というかだらだらやってるなあ、一旦置いておいて戻ってきた方がいいのかな、とは思うのですが。どうも手放すには好き過ぎるというか(苦笑)弾けなくても弾くのが好きで。でもまあいずれは置いて先にすすまなきゃ。春にはイソヒヨドリが待っている。
とはいっても「鳥のカタログ」は「20のまなざし」より時間はかかる気がしますし、何回か戻ってくる必要性をより感じます。もっと「鳥のカタログ」を身につけたい。
ということでなんか内省的というか「誰が知りたいんだ」という内容のエントリーになってしまいましたが今月身につけた曲はまた将来生かしていくつもりですのでその再会の時にはちょっと思い出してやってくださいな(笑)
明日からはまた気を引き締めて。
今日の一曲: カール・オルフ 「カルミナ・ブラーナ」より「Estuans Interius」
寒い冬には必ず思い出すこの曲。外の寒さの厳しさとそれに伴う心の厳しさ(Bitterness)、そして飲み屋の暖炉で燃える炎を思います。
人生に翻弄され運命に弄ばれる一人の人間とその心のbitterな様子を表す歌なのですが、割とこう、率直な歌詞が印象的ですね(あくまでも私の印象ですが)。
率直に怒り語るバリトンのパートももちろん魅力的ですが、オケのパートもなかなか好きです。
これは歌曲全般に言えることですが、歌い手は多くの場合主人公、一人の人間の心情を表す役目で、伴奏は(ピアノなりオケなり)周りの空気、風景、より大きい力を表す役目をしています。
例えばシューベルトの「美しき水車小屋の娘」だと小川・水車を表す音型が頻繁に出てきたり、風景描写などのテクニックが分かりやすくあったりするのです。そういうとこに作曲家のトリックや技が聴いていたり、見つかると面白いですよ。
なので是非歌曲では歌だけではなくバックのオケやピアノにも注意して聴いてみてくださいね~
このEstuans Interiusは主に弦の伴奏がこの激情と空気の厳しさをよく表してると思います。とにかくリズムがにくいですね。
あとサビの前のオケだけの3小節のリズム大好きです(笑)
このEstuans Interiusに始まってIn Tavernaに終わる、男声+オケによる飲み屋の一連のシーンはほんと楽しいですね♪たのしく聴きたい弾きたい歌いたいです(笑)
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