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前回の短いエントリーに拍手どうもです~
今日はピーターと遊びに行って来ました。
彼と一緒に時を過ごす間のその穏やかさをなんとかちょっと格好付けてエントリーのタイトルにしようとしたらギリシャ神話のアルキュオネーとカワセミと海の凪の神話を思い出して、フレーズ的なものを探してたらWalt Whitmanの詩に「Halcyon Days」という題のがあって、中身を見たら好きで、ある程度心境に合うかな―と思ったのでタイトルに使って詩はメモ(手持ちのWhitman詩集に入ってなかったんですよ)。
Halcyon Daysっていうのはもともと冬の間の穏やかな一時期を指す言葉ですしね、時期的にも天候的にも今ぴったり。
遊びに行った、といっても本当にいつも通り。昼ご飯食べて、散歩に行って。
メルボルンのシティでもBourke St、Swanston StとRussel Stの間は(一本向こうのLittle Bourke Stのチャイナタウンとは別に)アジア系の店が多く、食べるお店、カラオケ、ゲームセンター、100円ショップ風雑貨などが並んでいて。
そこのなかのお店でちょっと軽い物食べて、そしてBourke StをTreasury Gardensに向かって散歩に行きました。
いつも通り話は音楽が中心。
こないだのビオラ祭りまでほとんどノンストップで曲を書いていたので今は休み兼ピアニストモードに戻り中だそうで。
今度の私のリサイタル(ここ数日若干チキン入り始めてたのですが)についてもちょっと話しました。どんな曲を弾くのか、からメシアンの暗譜の苦労、それからリサイタル全体のコンセプトについてちょっと話したり。ここら辺はまだ誰にも話してないことだからピーターに聞いてもらえてよかったです。何を話しても自分をそれでjudgeするようなことはない、という安心感があって。
リサイタルを楽しみにしている、と言ってもらうのはやっぱり嬉しいですね。若干プレッシャーはかかりますが(汗)まだ彼は私のピアノを聞いたことがないですから改めて得意分野で聴かせたい、というのもありますし、このリサイタルのコンセプトも含めて一つの全体的な表現としてちゃんとやりたいな、と思います。
相変わらず、というかピーターは私が弾いてる音楽よりももっと時代的に先の音楽を中心に弾いているとのことで、今度ブーレーズのフルートのためのソナチネ?を弾くらしいです。
それがあんまり楽しみじゃないんだな、と話していて。ブーレーズとかシュトックハウゼンとか、あそこらへんの所謂モダニズムの作曲家の作品は複雑かつ弾くにも難しくて、ピーターほどのピアニストでもなかなか労力と音楽に関する満足感が釣りあわない、というところがあるみたいで。
あの時代って音楽がどんどんエリート方向に進化していって(例えばロックとかポピュラー路線の枝分かれが加速したのもこの反動という面もあるそうです)、音楽がものすごく思想化というか、音楽自体の美しさよりもその思考プロセスとか元の思想に重きを置くような音楽が書かれていて。(ただその中でもベリオは比較的人間のエレメントが強い、との話でした)
だから音楽家としてその思想は面白いし、そこまでの音楽の進化の流れなんかも面白いけれど、実際弾くとなるとあんまり実用的でもなければ楽しいわけでもないし、美しさとか音楽としての価値を考えると・・・うーん、という事になる。
(実体験としての感想はピーターのものですが。私はまだちょこちょこ聴くぐらいであそこらの音楽はまだ向き合ったり弾いたり考えたりしてないんです)
私は私で数日ほどまで「音楽の時代の流れによる自然淘汰」について考えていたところで。
クラシック音楽でもう名曲として確立されている19世紀以前の曲ばっかり演奏するのではなく「今」の音楽、そして一つ前の時代(20世紀)の音楽を弾く大切さについて考えていて。
今&一つ前の時代の音楽が次の世代に残るかどうかを決めるのは今演奏家として活躍している人たちの仕事で、私たちの世代がやらないと良い曲があっても全部一緒くたに埋もれてしまうおそれがあって。
だから20~21世紀の音楽とちゃんと一人一人の演奏家が向き合って何を次の世代に残したいか自分で決めて選んで演奏していかないといけないんじゃないかな、と。
(そういう意味ではメシアンは大分安泰になってきたかな、クラムもいい方向に向かってるはず)
で、そうやって音楽を探し選んで評価していってるうちに例えば前述ピーターが言っているように音楽に関わる思想などは面白いけれど演奏家として弾くのが実用的じゃない、そんなに弾く価値が見いだせない、とかそういう曲は今後淘汰されていくのかな、と思ったわけです。
20世紀の中程のモダニズム、思想はもちろん後に受け継がれるだろうけど「実際の演奏」としては今評価が下され始めているのかな、とピーターの話を聞いて考えるところ色々。
一度ブーレーズとかシュトックハウゼンとか、真摯に向き合って弾こうとしてみたいですけどね。トライはしたい。
あとはブラームス、ショスタコーヴィチの室内楽のピアノパートってソロピアノレパートリーにはない特別なものがあるよね、という話も。(最近バイオリンソナタ類をさらっててこの2人に関しては「こういう音楽が弾きたいんだよ!でもソロでないんだよ!」と強く思ってたのです)
どちらの作曲家も交響曲・協奏曲・大きめの室内楽作品など素晴らしい曲をたくさん残している中、バイオリンソナタ、ビオラソナタ、チェロソナタにある種の真髄があるようなところがあって。
こういう小規模な曲への愛ってクラシックを良く知る人は普段から感じるものですが一般では浸透していない感があって、今度また別になんか書きたいと思ってます(どうまとめるか、がちょっと迷うところなんですが)
そして散歩してるあいだTreasury GardensでWood Duckのつがい2ペアに会いました。まだ若い感じで人にあんまり警戒心がない(というか鳴けばこっちがどっか行ってくれると思っているらしい)。
あんまり都市辺りにいるイメージがない鳥だったのですが植物園も近いですし、シティの周りの庭園って結構こういう鳥もいるみたいです。
その線でいけばいつかフクロウをメルボルン周りで見てみたいですね-。Flagstaff GardenのPowerful Owlのオリヴィアちゃんはまだいるかな?(フクロウって毎年同じ場所を巣にするってききましたが)
いつも通り数時間ピーターと一緒にいただけでしたがタイトルで表現したかったように心が本当に落ち着いて。今年の冬はいつもと比較するとそんなにしんどいわけじゃないのですが、こうやって穏やかな時間を過ごせてありがたい限りです。
あんまり演奏で忙しくなっちゃう前に(そして私が諸々本腰入れる前に)また一緒に遊びにいけたらいいな。
そうそう、ちょこちょこ話を聞くシティの居酒屋「伝」も一緒に、という話があったのでそちらも。居酒屋行きたい!メルボルンでいい居酒屋があったら嬉しいですしね~シティには色々面白そうなところまだまだいっぱいです。
今日の一曲: face to ace 「INTO THE BLUE」
こないだ日本から送ってもらったface to aceのアルバム「FIESTA」から。
まだまだじっくり聞き込みたい曲も結構ある中今日の一曲には2曲に絞っていて。で、このエントリーのタイトルが決まった時点でこっちに決定。こちらも作詩作曲ACEさん。(海月さんの曲は次回~)
face to aceのバラードの中でもものすごーく穏やかで、シンプルでソフトなサウンドが特徴で、手で包めるサイズが愛しいです。本当に必要な音、シンプルな言葉だけで優しく空間を染める、心を満たす感じ。
歌詞にも「夜明け前」だったり「Cloudy day」だったり疑問形のままだったり、必ずしも大変なことじゃないけれどかすかな不安、宙に浮いた感じがあって、そんな中でも歌声とハーモニーとサウンドが心を穏やかにさせ、安心させ包むような。(歌声・作詩・作曲はACEさんですが、編曲は海月さんなのでお二人合わせて素敵なサウンドを作るなあ、と改めて)
必ずしも楽しくなくとも、ポジティブじゃなくても、答えがはっきりなくてもいい、そのままでも大丈夫でほっとできる、ありがたくてここち良い空間と時間。
先ほど話が出ていた、例えばブラームスのソナタとかに似たintimateな音楽ですね。実際にミックステープを作るならブラームスのバイオリンソナタの小さい楽章と合わせたい。モンポウのピアノ曲とか、小さい曲で揃えて大事に繊細に。
face to aceの曲全般自分にとっては大事に聴きたい、心がぴったり合うときに合う物を聴きたい音楽なんですが、中でもこの曲は聴きたい時(心の状態)がものすごくピンポイントになる曲ですね。必要なときにぴったりはまる歌です。
今日はピーターと遊びに行って来ました。
彼と一緒に時を過ごす間のその穏やかさをなんとかちょっと格好付けてエントリーのタイトルにしようとしたらギリシャ神話のアルキュオネーとカワセミと海の凪の神話を思い出して、フレーズ的なものを探してたらWalt Whitmanの詩に「Halcyon Days」という題のがあって、中身を見たら好きで、ある程度心境に合うかな―と思ったのでタイトルに使って詩はメモ(手持ちのWhitman詩集に入ってなかったんですよ)。
Halcyon Daysっていうのはもともと冬の間の穏やかな一時期を指す言葉ですしね、時期的にも天候的にも今ぴったり。
遊びに行った、といっても本当にいつも通り。昼ご飯食べて、散歩に行って。
メルボルンのシティでもBourke St、Swanston StとRussel Stの間は(一本向こうのLittle Bourke Stのチャイナタウンとは別に)アジア系の店が多く、食べるお店、カラオケ、ゲームセンター、100円ショップ風雑貨などが並んでいて。
そこのなかのお店でちょっと軽い物食べて、そしてBourke StをTreasury Gardensに向かって散歩に行きました。
いつも通り話は音楽が中心。
こないだのビオラ祭りまでほとんどノンストップで曲を書いていたので今は休み兼ピアニストモードに戻り中だそうで。
今度の私のリサイタル(ここ数日若干チキン入り始めてたのですが)についてもちょっと話しました。どんな曲を弾くのか、からメシアンの暗譜の苦労、それからリサイタル全体のコンセプトについてちょっと話したり。ここら辺はまだ誰にも話してないことだからピーターに聞いてもらえてよかったです。何を話しても自分をそれでjudgeするようなことはない、という安心感があって。
リサイタルを楽しみにしている、と言ってもらうのはやっぱり嬉しいですね。若干プレッシャーはかかりますが(汗)まだ彼は私のピアノを聞いたことがないですから改めて得意分野で聴かせたい、というのもありますし、このリサイタルのコンセプトも含めて一つの全体的な表現としてちゃんとやりたいな、と思います。
相変わらず、というかピーターは私が弾いてる音楽よりももっと時代的に先の音楽を中心に弾いているとのことで、今度ブーレーズのフルートのためのソナチネ?を弾くらしいです。
それがあんまり楽しみじゃないんだな、と話していて。ブーレーズとかシュトックハウゼンとか、あそこらへんの所謂モダニズムの作曲家の作品は複雑かつ弾くにも難しくて、ピーターほどのピアニストでもなかなか労力と音楽に関する満足感が釣りあわない、というところがあるみたいで。
あの時代って音楽がどんどんエリート方向に進化していって(例えばロックとかポピュラー路線の枝分かれが加速したのもこの反動という面もあるそうです)、音楽がものすごく思想化というか、音楽自体の美しさよりもその思考プロセスとか元の思想に重きを置くような音楽が書かれていて。(ただその中でもベリオは比較的人間のエレメントが強い、との話でした)
だから音楽家としてその思想は面白いし、そこまでの音楽の進化の流れなんかも面白いけれど、実際弾くとなるとあんまり実用的でもなければ楽しいわけでもないし、美しさとか音楽としての価値を考えると・・・うーん、という事になる。
(実体験としての感想はピーターのものですが。私はまだちょこちょこ聴くぐらいであそこらの音楽はまだ向き合ったり弾いたり考えたりしてないんです)
私は私で数日ほどまで「音楽の時代の流れによる自然淘汰」について考えていたところで。
クラシック音楽でもう名曲として確立されている19世紀以前の曲ばっかり演奏するのではなく「今」の音楽、そして一つ前の時代(20世紀)の音楽を弾く大切さについて考えていて。
今&一つ前の時代の音楽が次の世代に残るかどうかを決めるのは今演奏家として活躍している人たちの仕事で、私たちの世代がやらないと良い曲があっても全部一緒くたに埋もれてしまうおそれがあって。
だから20~21世紀の音楽とちゃんと一人一人の演奏家が向き合って何を次の世代に残したいか自分で決めて選んで演奏していかないといけないんじゃないかな、と。
(そういう意味ではメシアンは大分安泰になってきたかな、クラムもいい方向に向かってるはず)
で、そうやって音楽を探し選んで評価していってるうちに例えば前述ピーターが言っているように音楽に関わる思想などは面白いけれど演奏家として弾くのが実用的じゃない、そんなに弾く価値が見いだせない、とかそういう曲は今後淘汰されていくのかな、と思ったわけです。
20世紀の中程のモダニズム、思想はもちろん後に受け継がれるだろうけど「実際の演奏」としては今評価が下され始めているのかな、とピーターの話を聞いて考えるところ色々。
一度ブーレーズとかシュトックハウゼンとか、真摯に向き合って弾こうとしてみたいですけどね。トライはしたい。
あとはブラームス、ショスタコーヴィチの室内楽のピアノパートってソロピアノレパートリーにはない特別なものがあるよね、という話も。(最近バイオリンソナタ類をさらっててこの2人に関しては「こういう音楽が弾きたいんだよ!でもソロでないんだよ!」と強く思ってたのです)
どちらの作曲家も交響曲・協奏曲・大きめの室内楽作品など素晴らしい曲をたくさん残している中、バイオリンソナタ、ビオラソナタ、チェロソナタにある種の真髄があるようなところがあって。
こういう小規模な曲への愛ってクラシックを良く知る人は普段から感じるものですが一般では浸透していない感があって、今度また別になんか書きたいと思ってます(どうまとめるか、がちょっと迷うところなんですが)
そして散歩してるあいだTreasury GardensでWood Duckのつがい2ペアに会いました。まだ若い感じで人にあんまり警戒心がない(というか鳴けばこっちがどっか行ってくれると思っているらしい)。
あんまり都市辺りにいるイメージがない鳥だったのですが植物園も近いですし、シティの周りの庭園って結構こういう鳥もいるみたいです。
その線でいけばいつかフクロウをメルボルン周りで見てみたいですね-。Flagstaff GardenのPowerful Owlのオリヴィアちゃんはまだいるかな?(フクロウって毎年同じ場所を巣にするってききましたが)
いつも通り数時間ピーターと一緒にいただけでしたがタイトルで表現したかったように心が本当に落ち着いて。今年の冬はいつもと比較するとそんなにしんどいわけじゃないのですが、こうやって穏やかな時間を過ごせてありがたい限りです。
あんまり演奏で忙しくなっちゃう前に(そして私が諸々本腰入れる前に)また一緒に遊びにいけたらいいな。
そうそう、ちょこちょこ話を聞くシティの居酒屋「伝」も一緒に、という話があったのでそちらも。居酒屋行きたい!メルボルンでいい居酒屋があったら嬉しいですしね~シティには色々面白そうなところまだまだいっぱいです。
今日の一曲: face to ace 「INTO THE BLUE」
こないだ日本から送ってもらったface to aceのアルバム「FIESTA」から。
まだまだじっくり聞き込みたい曲も結構ある中今日の一曲には2曲に絞っていて。で、このエントリーのタイトルが決まった時点でこっちに決定。こちらも作詩作曲ACEさん。(海月さんの曲は次回~)
face to aceのバラードの中でもものすごーく穏やかで、シンプルでソフトなサウンドが特徴で、手で包めるサイズが愛しいです。本当に必要な音、シンプルな言葉だけで優しく空間を染める、心を満たす感じ。
歌詞にも「夜明け前」だったり「Cloudy day」だったり疑問形のままだったり、必ずしも大変なことじゃないけれどかすかな不安、宙に浮いた感じがあって、そんな中でも歌声とハーモニーとサウンドが心を穏やかにさせ、安心させ包むような。(歌声・作詩・作曲はACEさんですが、編曲は海月さんなのでお二人合わせて素敵なサウンドを作るなあ、と改めて)
必ずしも楽しくなくとも、ポジティブじゃなくても、答えがはっきりなくてもいい、そのままでも大丈夫でほっとできる、ありがたくてここち良い空間と時間。
先ほど話が出ていた、例えばブラームスのソナタとかに似たintimateな音楽ですね。実際にミックステープを作るならブラームスのバイオリンソナタの小さい楽章と合わせたい。モンポウのピアノ曲とか、小さい曲で揃えて大事に繊細に。
face to aceの曲全般自分にとっては大事に聴きたい、心がぴったり合うときに合う物を聴きたい音楽なんですが、中でもこの曲は聴きたい時(心の状態)がものすごくピンポイントになる曲ですね。必要なときにぴったりはまる歌です。
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