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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Grandparents' Generation
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

とある友達カップルが今ヨーロッパ旅行にいってるのですが、道中での婚約の報せが(facebookを介して)届きました。エッフェル塔の上でプロポーズですって!めでたいですねー♪
なので今日改めて(時差があるので)ちょうどお祝いにメールをしたためていたところです。

今回婚約することとなった友達は男の子の方が大学時代に学校の友達を通じて知り合ったのですが、前回2人に会ったときは彼は「おばあちゃんが彼女がユダヤ系の方がいいって言ってるんだよね」という話をしていたんですよね(彼はユダヤ系の人なんです)。
おばあちゃんが、ということはユダヤの血筋的なものは母系で継がれるとされてるため母方の祖母なんでしょうね。

今のメルボルンの若い人(私と同世代+ちょっと上)だと結婚相手の人種、宗教などはそんなに気にしない人が多いですが、親の世代、祖父母の世代だとまだまだ難しいところがあるのかなー・・・と。
そもそもイメージとしてユダヤの文化がそういうことに厳しいようなように思われがちですが、そこもやっぱりピンキリなんですよね、家によって厳しさの度合いは全然違うようです(独特の食文化とか宗教行事などについても言えることですが。あと他の宗教にも同じように言えることです)。

話は戻りますが、だから今回二人が婚約したことについてそのおばあちゃんはどう思うんだろうな-、ちゃんと認めてもらえるといいな、と(外部者ながら)いう気持ちもありますね。
ちなみにその前回会ったとき彼がもうひとつおばあちゃんについて言ってたことがあって。どうもホロコーストを受けて移住した経緯があるらしいんですよね。それで「おばあちゃんの話をなんとか記録したほうがいいのかな、貴重な体験だし」という事を話していたのです。
ホロコーストが起こったことによってアメリカやオーストラリアに移住したユダヤ人は結構多いはずですが、研究とか記録とかのためのフォローアップってちゃんと行われてるのかどうか、難しいところですよね(亡命ですから追跡するのがまず難しそう)。時代から言ってもだんだんホロコーストの時代を生きた人って少なくなってきてるはずですし、貴重な記録を残す必要性は高まってると思われます。

ちなみに私の親友なんですが、姉妹全4人、お母さん、そしてお母さんのお母さんとも同じ学校(私がいった学校)に通ってたというこれまたすごい家系。(おばあちゃんはわかりませんがお母さんも4姉妹もみんな優等生でした)
学校の設立が1909年だったのですが、2009年の100周年記念の時だったかな、そのおばあちゃんが在学中のことについて学校の記録のためにインタビューを受けた、なんてこともありました。
在学中にちょろっと学校の歴史のことなんかも学びましたが(制服の変遷とか面白かったです)、古ーい写真の中でしか見たことのないような世界なんですよね。

親友のおばあちゃんは今親友の実家(ってことになるんですね)の庭の小さな家で暮らしています(一人暮らしっちゃあそうですし、そうでないっちゃあそうです)。
数年前ipadを買ってもらってからはそれで新聞や本を読んだり、facebookで海外留学中の孫の様子をチェックしたり、撮った写真をphotoshopで加工したりなかなか多趣味かつハイテクに暮らしている様子です。

こないだ父が出張ついでに父の両親の家に泊まってきたそうで。そしたら「子ども達(私と妹)は日本に帰ってきた方がいいんじゃないか」と祖父が言ったそうです(苦笑)
二人とも永住権とりましたし、いずれ妹は結婚で?そして私はおそらく別の手続きでオーストラリアの市民権もとるつもりでいますし。それがこっちに住んで自分たちで決めたことで、自分にとっての幸せなんだってのはなかなか分かってもらえないんだろうか・・・と想定内の反応ながらもつい。
特に父方の祖父母はメルボルンまで(そしてオーストラリアに)来たことがない、というのもありますがやっぱり世代的なものもあるのかなあ、と。

母方は祖母が健在ですが、オーストラリアに2回遊びに来たことがあるのもあって私たちがこっちに住んでること、結婚するならおそらくこっちの人とになることはまあ想定内みたいな感じです。ただ一回「黒人はやめてね」というようなことを言われた記憶が。ここにもちょっとジェネレーションギャップが・・・うーむ。

親の世代との価値観の違いが衝突につながったり壁になったりとか、そういうことはほとんどといってなかったですし、周りでもあんまりそういう話は聞かないですが、祖父母の世代となると(両親ほどには衝突はしない間柄ながらも)かなり価値観とかに差が開いてくるな―・・・と。
とりあえず次回日本に帰ったときは祖父にメルボルンで暮らして楽しいこと幸せなことをちゃんと話していこうかと思います(それで大きく変わるとは思いませんが・・・)


今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「展覧会の絵」より「サムエル・ゴールデンベルクとシュムイレ」 (ラヴェルによる管弦楽版)



裕福なユダヤ人と貧しいユダヤ人を描いた絵。
ユダヤ音楽を思わせるような音階を使った曲で(でもなんかイマイチ癖が少ないような気もするんですよね、本場のあれと比べると。オケ編曲したラヴェルのスタイルもあるのかな)、ハーモニーもほとんどなく、最初のテーマと第2のテーマ→どっちも同時に演奏、というシンプルな構成で絵を表します。

やっぱりこの曲でかっこいいのはトランペットですね。第2のテーマ(貧しい方のユダヤ人を表す)から続くトランペットソロが!音が細かい、というか細かいタンギングに装飾音が多く細かく入ってるちょっと凝ったパートです。
ムソルグスキーはこの「展覧会の絵」を元はピアノのために書きましたが、このパートをトランペットに振り分けたのはオーケストレーターのラヴェル。数ある楽器なかからきっと直感的に「これだ!」とひらめいたんでしょうね。(例えばクラリネットを使うこともできたしその方がもしかしたら弾くには簡単だったかもしれませんが、多少難しくても求める音がトランペットだったんだと思います)。この采配はラヴェルもどや顔していいんじゃないかな(笑)

ちなみにこのソロ、ピアノ版とラヴェルのオケ版で若干音が違うみたいなのですが実際のところどうなんでしょ。(録音によって、という可能性もあるのですが・・・)

「展覧会の絵」は本当にたくさんの編曲がなされていて、色々見てみるだけでも本当に面白い。先ほども書いたように元はピアノのための曲で素晴らしい音楽ですが、ラヴェルの管弦楽版はそれをさらに何倍にも生きさせる魅力で、もはやオリジナルよりも有名&演奏頻度が高いかも。(私にとってはラヴェル版が一番心に近いです。ずっとずっときいてきてますし)
でも富田勲のシンセサイザー版もものすごく面白いですし、オーストラリアのジュリアン・ユーの版もありますし、一つのピアノ曲をこれまでも解釈できるのか、とびっくりしますね。
もう有名曲のなかの有名曲といってもいい曲で、決してものすごく複雑とか深いとかそういう音楽ではないのですが、この広がる世界は本当に面白いですね~

手持ちの録音が見つからなかったのはちと残念(自分が聴いて育った録音ってちょくちょくそうなんだよなあ・・・)。
「展覧会の絵」のカップリング曲って「元がムソルグスキーで他の作曲家に編曲された曲」つながりで「はげ山の一夜」(リムスキー=コルサコフが編曲したんです)、または編曲者つながりでラヴェルのオケ曲がカップリングされている場合もありますね。
リンクしたのは後者。ボレロもスペイン狂詩曲もいわばラヴェルの基本のオケ曲です。一緒にお楽しみください~

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