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前回のエントリーに拍手どうもですー。
生活リズムも音楽の聴き進めもだんだん落ち着いてきたかなー・・・(昨日また新しくチェレスタ間連曲をダウンロードしたんですが)
もちょっと早く起きたいですね、もっと仕事を進めるには。結構大きい案件がいくつか繋がって12月の中旬まで続く予定なので。
昨日バクテー(肉骨茶とも書くスペアリブスープで、2種類ある内シンガポールスタイルです。市販のハーブミックスで煮るだけ)を煮たのでしっかり食べてこれからしばらく頑張りたいです。
さて、一時帰国の間(主に飛行機で)読んだ本の感想を。
以前紹介した「生きるための自殺学」(感想はこのエントリー)の著者であるKay Redfield Jamisonによる「Touched with Fire」です。
どちらもメンタルヘルス・精神医学をアカデミックな部分も合わせディープに扱うという点では同じですが、その中でフォーカスしているトピックはかなり違います。
昔から芸術家(作家、画家、音楽家などなど)は心を病んでいたり不安定だったり狂気をはらんでいたりというイメージが定着していますが、この本では芸術に携わる人によく双極性障害(昔でいう躁うつ病)、または類似した気分障害の特徴が現れることがあるのに注目し、芸術・創造性と双極性障害の関連性について考察しています。
もちろん双極性障害などの気分障害を患っている人の中で芸術に携わる人は多くないですし、芸術家の中で双極性障害などを患っている人も決して多いわけではなく。でもそういう疾患は芸術家でない人より芸術に携わる人に多く見られることは確かで、そして芸術家の創造プロセスや人生、感性などと気分障害の症状などからくる特徴には少なからず関連があったりする。そして病気と折り合いをつけたりするためとしての芸術という側面もある。うーん、ちゃんと説明できてるかな。
「生きるための自殺学」と同じでこの本もものすごくしっかりしたステップを踏むような構成になってるんですよね。
最初にまず双極性障害を初めとした気分障害(きっぱり分類できるものではなくグラデーション状になっていたり個人差がいろいろあったりします)の特徴などの説明だったり、そして芸術家におけるそういった疾患の事情(現れ方、創造的なアクティビティとの関連、自殺の割合、治療を受けていた割合など)を説明したり。
その中で作家たちの言葉など、芸術家による体験の記録・表現、そういった芸術家についてのエピソードなどを交えながら病気が創造にどう影響したか(季節変動など)、どういった点から双極性障害などが疑われるか、などを説明していったり(昔は今みたいな診断基準もなかったですし、精神疾患についていろいろ理解されてないことも多かったですからね)。
それからケーススタディ的な部分もあります。
詩人ジョージ・ゴードン・バイロン卿についてはまるまる一つ章を割いていますし、あと第6章はテニスン卿が言うところの「黒い血」、つまり芸術家の家系に受け継がれる双極性障害の遺伝子をシューマン、ゴッホなどの家系毎に説明したり。
この遺伝的な部分なかなか面白いです。双極性障害は遺伝性の強い疾患(単極性のうつはそうでないらしいです)なのですが、一緒に住んでいる家族ともなると環境的な影響もきっとあるんだろうなあ(ただそれを評価するのは限界があったりするのが理由かこの本ではその側面はあんまり考察されてませんね)。
あともうひとつ面白いのはテニスンだったりバイロンだったり代々続く貴族の家系だったり、生前からすでに有名な人だったりだと面白いほど人格やら素行やら奇行やらの記録が文書で残ってるんですよね。そういうのはゴシップみたいなものも多いんでしょうけど、例えば浪費癖(躁で見られる症状の一つ)やアルコール中毒(精神疾患と薬物中毒の相関性は高い)なども含めて数百年後で後ろ向きにある程度病状が掴めるような情報もあったり。
先ほど書きましたが今と違って昔は診断基準もあやふやで、医者も一般も精神疾患についての知識があんまりなかったのですが、そんな中でそういった疾患を患っている人の気質だったり行動だったりをどういう言葉で、どういうフレーズで表現しているかってのも面白いですね。引用部分や本文によく出てくる形容詞だとVolatile、tumultuous, temperamentalなど色々ありますが、一番気に入っているのはMercurial。気分や気質が変わりやすい、という意味ではありますがあの液体の中でも水銀独特の粘性による気味悪さだったり、気化して毒だったりと連想が働きます。
でも私が一番興味を引かれ、ものすごく大事だと思ったのは最後の章。
簡単にまとめると、双極性障害などを患っている芸術家に対してどう治療を進めていけばいいのか、なにを考慮しなくちゃいけないのか、という話です。
この本で詳細に書かれているように芸術家の創造性は患っている精神疾患に深くつながりがあって、創造性や創造的なハイを失いたくないがために治療が遅れることがよくあり(もちろん治療が遅れて重症化したらそれはそれで芸術活動が続けられなくなります)。芸術家でない人とは治療で求められる事が違ったり、もっと慎重にならなくちゃいけないところがあったり、薬物治療や他の治療も含めてどうやりくりしていくか、どう病気と折り合いを付けていくか、というのが考察されています。
さらに前述双極性障害の遺伝性について、将来その遺伝子が特定された場合、双極性障害の遺伝子を避けることは倫理的にどうなのか、そして避けたことで失う創造性があるのではないか、という倫理の話とこの「黒い血」に関するリスクベネフィットの考察もあったり。
さらに巻末の付録としてDSMにおける気分障害いくつかの分類(今はこういう基準で扱ってますよ、というのとあと分けるのが難しいのが少し分かると思います)、そして芸術の各分野で各種気分障害を患っていた、または患っていたと思われる芸術家のリストがあります。自殺した人、自殺未遂を経験した人もかなり多いです。このリストを見るとなんとなく心強く思うんですよね。一人じゃない、というのはちょっと違うけれど、この人もこういう風に苦しんでたんだ、と思うと親近感がわきます。
それからこのリストを見ると「気分障害を患っている人、自殺する人は弱い人間」だとはとてもじゃないけれど言えませんね。病気、そしてそれと戦うことによって弱った人間はいるけれど、心の中にあるある種の強さが色んな作品を生んだと思うので。
あとこの本を一通り読んで、芸術の一つの役割について考えてました。
例えば双極性障害であるような自己破壊行動だったり、間接的な自傷行為、それから躁での注意散漫などの行動症状などなどが動物に現れれば単独行動の動物であればその動物の命取りになるし、群れで行動する動物であれば群れから追い出されたりして命に関わることもあるんじゃないかと。
実際人間でもそれに値するようなことは少なからずあるんだけど、でも昔かcrazyな芸術家は「すごいものを生み出す変わり者」みたいな立ち位置で社会の一員となってるイメージがありますし、ある程度の奇行というかは「芸術家だから」で済ませられることがあるんですよね。(それから幻覚を見たりする人がシャーマンとかとして崇められたり)
それは作品の素晴らしさというか、芸術家の気質と表現が人間の奥底をゆさぶるようなものを作って周りとコミュニケーションを取ったり、他では与えられないものを与えたりするから(この本で書いてあったフレーズのおおまかな意訳)なのかなあ、と思うんです。
だから人間が芸術を素晴らしいと思える能力は、そういった疾患を患う人を社会からのけものにさせないためのものでもあるのかな、というようなことを考えてました。
この本がものすごく人生の役に立つかといったらそういうことじゃない気がします。かなりピンポイントに絞ったトピックの話ですし、使われてる統計などのデータもかなりピンポイントだったりします。
ただ、双極性障害などの気分障害のある側面を深く理解するため、そして芸術のある側面(全部じゃないです、もちろん)を深く理解するためには面白い切り口を提供してくれる本だと思います。
双極性障害などを患っていた色んな芸術家(この本で出てくるうち一番日本人に身近なのはゴッホでしょうか)の表現がどこからどう来ているのか、と知ることができますし、この「双極性障害」と「芸術」のつながりからさらにちょこちょこ見えてくることもありますし。(メンタルヘルスに興味がなくとも面白いと思うんですがどうでしょう)
カバーしているエリアは限定的ですが、そのカバー範囲において「知る」「分かる」「共感する」をしっかと実感する本です。
あと単純に面白い(interesting)。人間も、心も、芸術も。
長くなったので今日の一曲はおやすみです(汗)
生活リズムも音楽の聴き進めもだんだん落ち着いてきたかなー・・・(昨日また新しくチェレスタ間連曲をダウンロードしたんですが)
もちょっと早く起きたいですね、もっと仕事を進めるには。結構大きい案件がいくつか繋がって12月の中旬まで続く予定なので。
昨日バクテー(肉骨茶とも書くスペアリブスープで、2種類ある内シンガポールスタイルです。市販のハーブミックスで煮るだけ)を煮たのでしっかり食べてこれからしばらく頑張りたいです。
さて、一時帰国の間(主に飛行機で)読んだ本の感想を。
以前紹介した「生きるための自殺学」(感想はこのエントリー)の著者であるKay Redfield Jamisonによる「Touched with Fire」です。
どちらもメンタルヘルス・精神医学をアカデミックな部分も合わせディープに扱うという点では同じですが、その中でフォーカスしているトピックはかなり違います。
昔から芸術家(作家、画家、音楽家などなど)は心を病んでいたり不安定だったり狂気をはらんでいたりというイメージが定着していますが、この本では芸術に携わる人によく双極性障害(昔でいう躁うつ病)、または類似した気分障害の特徴が現れることがあるのに注目し、芸術・創造性と双極性障害の関連性について考察しています。
もちろん双極性障害などの気分障害を患っている人の中で芸術に携わる人は多くないですし、芸術家の中で双極性障害などを患っている人も決して多いわけではなく。でもそういう疾患は芸術家でない人より芸術に携わる人に多く見られることは確かで、そして芸術家の創造プロセスや人生、感性などと気分障害の症状などからくる特徴には少なからず関連があったりする。そして病気と折り合いをつけたりするためとしての芸術という側面もある。うーん、ちゃんと説明できてるかな。
「生きるための自殺学」と同じでこの本もものすごくしっかりしたステップを踏むような構成になってるんですよね。
最初にまず双極性障害を初めとした気分障害(きっぱり分類できるものではなくグラデーション状になっていたり個人差がいろいろあったりします)の特徴などの説明だったり、そして芸術家におけるそういった疾患の事情(現れ方、創造的なアクティビティとの関連、自殺の割合、治療を受けていた割合など)を説明したり。
その中で作家たちの言葉など、芸術家による体験の記録・表現、そういった芸術家についてのエピソードなどを交えながら病気が創造にどう影響したか(季節変動など)、どういった点から双極性障害などが疑われるか、などを説明していったり(昔は今みたいな診断基準もなかったですし、精神疾患についていろいろ理解されてないことも多かったですからね)。
それからケーススタディ的な部分もあります。
詩人ジョージ・ゴードン・バイロン卿についてはまるまる一つ章を割いていますし、あと第6章はテニスン卿が言うところの「黒い血」、つまり芸術家の家系に受け継がれる双極性障害の遺伝子をシューマン、ゴッホなどの家系毎に説明したり。
この遺伝的な部分なかなか面白いです。双極性障害は遺伝性の強い疾患(単極性のうつはそうでないらしいです)なのですが、一緒に住んでいる家族ともなると環境的な影響もきっとあるんだろうなあ(ただそれを評価するのは限界があったりするのが理由かこの本ではその側面はあんまり考察されてませんね)。
あともうひとつ面白いのはテニスンだったりバイロンだったり代々続く貴族の家系だったり、生前からすでに有名な人だったりだと面白いほど人格やら素行やら奇行やらの記録が文書で残ってるんですよね。そういうのはゴシップみたいなものも多いんでしょうけど、例えば浪費癖(躁で見られる症状の一つ)やアルコール中毒(精神疾患と薬物中毒の相関性は高い)なども含めて数百年後で後ろ向きにある程度病状が掴めるような情報もあったり。
先ほど書きましたが今と違って昔は診断基準もあやふやで、医者も一般も精神疾患についての知識があんまりなかったのですが、そんな中でそういった疾患を患っている人の気質だったり行動だったりをどういう言葉で、どういうフレーズで表現しているかってのも面白いですね。引用部分や本文によく出てくる形容詞だとVolatile、tumultuous, temperamentalなど色々ありますが、一番気に入っているのはMercurial。気分や気質が変わりやすい、という意味ではありますがあの液体の中でも水銀独特の粘性による気味悪さだったり、気化して毒だったりと連想が働きます。
でも私が一番興味を引かれ、ものすごく大事だと思ったのは最後の章。
簡単にまとめると、双極性障害などを患っている芸術家に対してどう治療を進めていけばいいのか、なにを考慮しなくちゃいけないのか、という話です。
この本で詳細に書かれているように芸術家の創造性は患っている精神疾患に深くつながりがあって、創造性や創造的なハイを失いたくないがために治療が遅れることがよくあり(もちろん治療が遅れて重症化したらそれはそれで芸術活動が続けられなくなります)。芸術家でない人とは治療で求められる事が違ったり、もっと慎重にならなくちゃいけないところがあったり、薬物治療や他の治療も含めてどうやりくりしていくか、どう病気と折り合いを付けていくか、というのが考察されています。
さらに前述双極性障害の遺伝性について、将来その遺伝子が特定された場合、双極性障害の遺伝子を避けることは倫理的にどうなのか、そして避けたことで失う創造性があるのではないか、という倫理の話とこの「黒い血」に関するリスクベネフィットの考察もあったり。
さらに巻末の付録としてDSMにおける気分障害いくつかの分類(今はこういう基準で扱ってますよ、というのとあと分けるのが難しいのが少し分かると思います)、そして芸術の各分野で各種気分障害を患っていた、または患っていたと思われる芸術家のリストがあります。自殺した人、自殺未遂を経験した人もかなり多いです。このリストを見るとなんとなく心強く思うんですよね。一人じゃない、というのはちょっと違うけれど、この人もこういう風に苦しんでたんだ、と思うと親近感がわきます。
それからこのリストを見ると「気分障害を患っている人、自殺する人は弱い人間」だとはとてもじゃないけれど言えませんね。病気、そしてそれと戦うことによって弱った人間はいるけれど、心の中にあるある種の強さが色んな作品を生んだと思うので。
あとこの本を一通り読んで、芸術の一つの役割について考えてました。
例えば双極性障害であるような自己破壊行動だったり、間接的な自傷行為、それから躁での注意散漫などの行動症状などなどが動物に現れれば単独行動の動物であればその動物の命取りになるし、群れで行動する動物であれば群れから追い出されたりして命に関わることもあるんじゃないかと。
実際人間でもそれに値するようなことは少なからずあるんだけど、でも昔かcrazyな芸術家は「すごいものを生み出す変わり者」みたいな立ち位置で社会の一員となってるイメージがありますし、ある程度の奇行というかは「芸術家だから」で済ませられることがあるんですよね。(それから幻覚を見たりする人がシャーマンとかとして崇められたり)
それは作品の素晴らしさというか、芸術家の気質と表現が人間の奥底をゆさぶるようなものを作って周りとコミュニケーションを取ったり、他では与えられないものを与えたりするから(この本で書いてあったフレーズのおおまかな意訳)なのかなあ、と思うんです。
だから人間が芸術を素晴らしいと思える能力は、そういった疾患を患う人を社会からのけものにさせないためのものでもあるのかな、というようなことを考えてました。
この本がものすごく人生の役に立つかといったらそういうことじゃない気がします。かなりピンポイントに絞ったトピックの話ですし、使われてる統計などのデータもかなりピンポイントだったりします。
ただ、双極性障害などの気分障害のある側面を深く理解するため、そして芸術のある側面(全部じゃないです、もちろん)を深く理解するためには面白い切り口を提供してくれる本だと思います。
双極性障害などを患っていた色んな芸術家(この本で出てくるうち一番日本人に身近なのはゴッホでしょうか)の表現がどこからどう来ているのか、と知ることができますし、この「双極性障害」と「芸術」のつながりからさらにちょこちょこ見えてくることもありますし。(メンタルヘルスに興味がなくとも面白いと思うんですがどうでしょう)
カバーしているエリアは限定的ですが、そのカバー範囲において「知る」「分かる」「共感する」をしっかと実感する本です。
あと単純に面白い(interesting)。人間も、心も、芸術も。
長くなったので今日の一曲はおやすみです(汗)
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