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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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好きなゲームはどマイナー?(パートII)
昨日の続きです。

うちの学校は(オーストラリアは結構そういうところおおいのかな?)5年生からノートパソコンを持つことが必須で、私も転入してきたときみんなと同じくMacのノートパソを持ってました。
タッチタイピングやワードプロセッサーのほかにも簡単なプログラミング、クリエイティブ系のプロジェクトなどもやったりしてました。
で、ノートパソは各自入手するものなのでみんな違うモデルつかってたりするんですよね。そうすると付いてくるプログラムなども若干違ったりするので当時フロッピーディスクでゲームを交換していた悪い私たち・・・でしたが。

そのなかで私&フレンズの間でかなりロングランではやったゲームが1つ。
それはSpin Doctor(Callisto)。
これもMac OS 9まで対応だからAbandonware 扱いなのかな。

昨日のSacrificeの複雑さとは対照的にこちらはルール・ヴィジュアル的にものすごくシンプルなゲーム。
盤の上にはぽつぽつとドットがあり、いくつかの棒(ワンド)が回っています。自分の白いワンドを操作し、ドットからドットへ渡り、ゴールを目指すというもの。

もちろん障害物はたくさんあります。
白以外の色のワンドは接触するとアウト(これらは自分の色のドットの間のみを動けますが、プレーヤーは何色のドットでも渡り歩けます)、スイッチ式の開閉ドア(自分、または他のワンドがスイッチに触れると開閉)にはさまれるとアウト、爆弾(導火線のスイッチに触れることで起爆)の爆発に巻き込まれるとアウト、他にもスパイクに接触する、接触すると動き出す酸のかたまりが自分のドットに取り付く、など他にもいろいろ。

このゲームの魅力はそんなシンプルなルールの中頭をひねらせられる108のレベル。
レベルには「Wand」、「Surge」、「Current」、「Ratchet」、「Carousel」などの名前がついていて、その名前はレベルの性質や外見にちなんだものになっています。
例えば「Carousel」ではその名の通りいくつもの敵ワンドが「メリーゴーランド」のようにくるくる回っているレベル。その合間を縫ってメリーゴーランドの向こうのゴールを目指す、など。
「Kaleidoscope」レベルで最初に何色ものワンドが1つのドットの周りをぐるぐる回る様子もまた万華鏡そのもの。
かねてから私はこのSpin Doctorのレベルのケーキが作りたくて数年前に作ったのですがまた作ってみたいですね♪
要するに四角いスポンジケーキのうえに色のついたクリームを乗っけてアラザンとアイシングやチョコペンなどでドットやワンドや障害物を書いていく、と先ほど言いましたようにシンプルにできちゃいます(笑)

そしてこのレベルの名前で当時オーストラリアに来たばかりの私は英語のボキャブラリーを広げました。
ちょっと日常会話では使わなくてもやっていけるけれど知ってて使えると言葉に深みが広がる単語で、大体ちゅ一語なので中くらいの辞書で引くとでてくる言葉。
例えば「Molasses」は糖蜜の意味。「Surge」は波という意味。長く暮らしていれば本や生活の中で出会う言葉ですが、先にSpin Doctorで出会ったのでもう「Molasses」とか「Pursuit」とかみると「あ、Spin Doctorのだ」と反応してしまいます。

一応大まかにやさしい→難しいとレベルは並んでますが、最後のほうでいまだにどうしても!クリアできないレベルが2つあります。どちらもドアを通るタイミングがものすごく難しいレベルで、クリアできた友達も運に助けられてのことだったらしいです。

レベル一つ一つは解けなくてやっきにならない限り短いものですのでちょっとした脳のトレーニングとリズムの練習(??)にいいです♪

結局Sacrificeやる時間が昨日はなかったけれど今日でもいつでもまた挑戦する時間があるといいです。


今日の一曲: セルゲイ・プロコフィエフ 「10の小品」 op.12より 「ガヴォット」



こないだの「アルマンド」と私個人的には対になっていると思う一曲です。
なんというか、テンポが似ていて、暗い雰囲気の質も似ていて、あとは男と女、シャープとフラットで対照的になっている・・・という漠然とした印象です。
アルマンドは硬くて余計なものをそぎ落とされた感じが男性らしく、メロディーのラインがしなやかでフレーズの終わりなんかにちょっとした装飾みたいな音が入るこのガヴォットは女性的なイメージがあります。

そのフレーズのおわりがいちいち色っぽくて。メロディーの下にさりげなく入れてあるその飾りが・・・なんというか、チラリズム的なセクシーさがあるんですよ。
色彩と言うか表情的にもアルマンドははっきりしていたけれど、ガヴォットはすっと突然変わったり、どこか含むような、わざと少しかいまみせているような微妙な表情が多く。
最近練習しててすっかりその密かに妖しげな魅力にやられっぱなしです。

この2曲は「10の小品」のなかでもどちらかというとわかりやすい表情や性格を持った曲ですが、例えば4番目から6番目(6番目は今私も弾いていますが)なんかはなかなか雲をつかむような、じっくり聴いていても練習してもなにがいいたいかわからなくて首を傾げてしまうような曲だったりします。
特に若いころのぶいぶい言わせてたころに限らずプロコフィエフは毒をつくにもロマンスあらわすにもはっきりした物言いをする、というイメージがあったから余計にわからなくて。ただいま思案中です。

アルマンドがシュミットホフにささげられたように他の9曲もプロコフィエフの友人たちにささげられてるんですけど4~6番目をささげた人たちはどんな人だったのかむしろ顔がみてみたいですねえ。

どんな曲集でもそうですが、こうやっていろんな性格を持った小品の集まりで大切なのはいかに曲の性格を掴み取って表現するか、ということで。
趣味で文を書く身としては例えばこの10の小品の一つ一つを擬人化したらどうなる?なんて考えも沸いたりします。というか今書いてて思いつきましたがなかなか面白そうな試みなのでちょっと頭に余裕ができたら考えてみたいと思います。


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