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前回のエントリーに拍手どうもです~
相変わらず手とか疲れ気味ですがなんとかなってるかなー・・・精神的な疲れもあってなかなか大変ですが。
出かけたい予定があるのでなんとかやりくりしていきたいです。
最近はだからピアノの練習も望んでるほどは集中できてないというかproductiveでないというか。
ラヴェルは指の疲れも頭の疲れもよく出ますし、メシアンは頭の疲れがかなり響く。
それに加えてフォーレをちょろっと弾いてるのですがなかなかこれがスタイルに慣れなくて。和音進行というかHarmonic languageというかが伝統的なそれをはちょっと離れているところがあって、かといって論理で理解できるようなところもなくて感覚的というか、そういうところがあってなかなか馴染みにくいのです。
聴いて綺麗なことは綺麗なんですけどね。
メシアンは相変わらずの「イソヒヨドリ」 from 鳥のカタログ。
まだちょうど折り返し地点(といってももちろん完全に同じではないですが)で止まっていて、音のバランスとか音楽性とかもあんまり手が届いてなくて音をさらってるのみ。
進んでるのかどうかというとちょっと難しいところですね。だんだん身について来てるかな。
で、弾き始めてからの忙しさでまだこの曲に出てくる「実際の鳥の声」を聴いていないんですよね。
前も紹介したかもれませんがInternet Birds Collectionとか、Oiseaux.net(メシアンはフランス語で楽譜に書いてるのでフランス語のまま調べられるのは内容が読めなくてもありがたい)にお世話になっています。前者は写真や動画、音声が聞けますし後者はメシアンが使うのに近い音声が聞けます。
メシアンの耳は素晴らしいもので鳥の鳴き声を単旋律としてではなく倍音まで聞き取って、リズムも細かく記しているのですが、それでも色々再現できないものはあるんですよね。鳥の鳴き声ってピアノの音域より高く飛び出すのもありますし、倍音を2つの手で再現しようとするとなかなかバランスが難しい。
イソヒヨドリの鳴き声だったりニシコウライウグイスの鳴き声とかはそのハーモニーを構成している音のバランスが難しくて、ぴたっと合わないと響きが濁ったり鳥の鳴き声に聞こえなかったりするんですよね。
でもこの曲の中のイソヒヨドリの鳴き声って(メシアンは正確に記しているとはいえ)色々鳥離れしたような印象を持つところがあって、実際メシアンも最後の余韻的な鳴き声は「女声合唱のように」という風に書かれてますし。
その柔らかくて不思議なハーモニーが海辺の崖や波やセグロカモメの荒々しい音楽とコントラストになっているんですが、それがなんか羽衣を纏った天女みたいなイメージを抱きます。(羽衣伝説が関連している鳥は白鳥らしいですが)
そもそも、というかなんですが鳥の音楽的な・言語的な常識と人間のそれってものすごく違うんですよね。
例えばフレーズの作り方一つにしても人間はメロディーの形、そして強弱も上向きに弧を描く、ある程度のシンメトリーがあるものが基本というか、美しくて自然だと感じます。良い例が「北の国から」のあのメロディーですし、それに音楽だけでなく言語も語尾は弱くなるのが自然です。
鳥はそうじゃないんですよね。フレーズの終わりが予期なくぶつ切れるのはよくあることですし、とっても即興的にフレーズが続いていくような、全体的な構成がわかりにくいような。(全体的な構成、あるんだろうな、と思うことはちょこちょこありますが)
基本拍子がない、というかメシアンがよく使うAdditive rhythmを鳥も使います。
一小節を2つとか4つに分けるヨーロッパの伝統的なリズムの取り方ではなく、2+3+2+2+・・・とどんどん長さを足していくようなリズムのシステム。
それだけでなく記譜できないようなリズムを鳥って使うんだな、というのが鳥カタを弾き始めて分かるようになりました。
なんというか、速い部分は一気にまくし立てるようにいっぺんにまとめて歌ってしまうというか。相対的な長さはあるんだけれど比率はめちゃくちゃ、みたいな。あと特に下降する音で音が「落ちる」のが異常に速い。
だからメシアンが書いているよりもちょっと違うんですよね、リズムが。鳥の鳴き声そのものに近づけようとするとメシアンが書いているリズムはどっちかというとガイドラインみたいな位置づけになるかなあ・・・と私は思っているのですが。
他の奏者はどうこの「鳥のカタログ」でピアノと鳥の間の諸々を解決しているのかわからないのですが、とりあえず私は楽譜に忠実に、というよりは元の鳥の声に近づけられるときはなるべく再現してみよう、という方針でいます。
例えば「ヒメコウテンシ」の最後のヒバリの声なんかその高揚した感じを表現するには16分音符と32分音符の比率を大事にするよりも、音がすごい激しく飛躍するのを強調して、鳥がやるみたいな速い跳躍を再現できたらなあ、と思うのです。
そういうところの感覚や考え方も含めて同じメシアンを弾いていても「20のまなざし」と「鳥のカタログ」って弾いててものすごく違うなあ、と思います。
だから常にメシアンを弾いていても「鳥のカタログ」を弾かない状態でしばらくいるとなかなかその鳥的な勘・感覚を忘れちゃったりするんですよね。ほかの曲で練習できるようなものではないですし。
それにそもそも「鳥のカタログ」全13曲(大体2時間半)をマスターするとなるとかなり時間が必要なので、なるべく多くの時間を弾いて過ごしたいとは思っていますしね。
20のまなざしをコンプリートするのもだんだん近づいてきていますが(残りの楽章についても書きたいですね)、鳥のカタログも大事にして、全部弾けるようにするだけじゃなくて自分の誇れるレパートリーにしたいです。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第12曲 「全能の言葉」
NaxosでのMichael Kieran Harveyの録音(時間限定試聴あり)
鳥カタの話でしたが20のまなざしから。最近これも再習得中です。
マイケルをして「ハードロックのやつ」と言わしめた(笑)(とピーターが言っていた)この曲。短いけれどパワフルで弾いてて楽しい・・・けど手が痛くなる曲です。
メシアンといえば不思議な和音の連なりで虹のような色彩を作り上げるのが特徴的ですがこの曲ではハーモニーはほとんどないです。
オクターブのメロディー、そしてガムランの銅鑼のような超低音のリズムサイクル(3-5-8-5-3+7休み。フィボナッチ数列の一部を使ってシンメトリーにしています)。それだけ。
というのもメシアンが言うには「神の言葉」は唯一にして絶対、全能のものなのでハーモニーを使わずユニゾン、オクターブで表現するのだとか。
それをこの曲では全てf以上の音量で力強く奏でます。
メシアンの音楽に特徴的なadditive rhythm、そして繰り返されるリズムサイクルが合わさってとってもダイナミックでどこか幾何学的なリズムになるのが大好きです。
あとこの曲を弾く際に大事なのが「身体の動き」だと思います。弾く時はなんというか振り付けというか、効率的かつ最大音量が出せるような身体の動きになってそれがどこか儀式的な感覚を帯びてくるところがあって。私だけかしらん。
割と直線的な動きをしていると自分では思ってるんですがどうだろう。
不協和音的といったらそうかもしれませんし、割と刺激の強い音楽ですが、慣れるとこれが爽快なんです(笑)とにかくパワー!
(ただやっぱり弾く方がそれが味わえるですねー)
リンクした演奏はマイケルの演奏。パワフルもパワフルですがテンポが速いのが特徴的です(笑)らしいというかなんというか。でも大学時代自分が弾いてたときは割と似たようなテンポで弾いてた(汗)今は・・・どうだろう、再習得してる間なんでもちょっと遅いかな
そういえばこの曲マイケルに在学中に見てもらったことありますがパワーが足りないからmuesliをもっと食べろと言われました(笑)良い思い出です。
相変わらず手とか疲れ気味ですがなんとかなってるかなー・・・精神的な疲れもあってなかなか大変ですが。
出かけたい予定があるのでなんとかやりくりしていきたいです。
最近はだからピアノの練習も望んでるほどは集中できてないというかproductiveでないというか。
ラヴェルは指の疲れも頭の疲れもよく出ますし、メシアンは頭の疲れがかなり響く。
それに加えてフォーレをちょろっと弾いてるのですがなかなかこれがスタイルに慣れなくて。和音進行というかHarmonic languageというかが伝統的なそれをはちょっと離れているところがあって、かといって論理で理解できるようなところもなくて感覚的というか、そういうところがあってなかなか馴染みにくいのです。
聴いて綺麗なことは綺麗なんですけどね。
メシアンは相変わらずの「イソヒヨドリ」 from 鳥のカタログ。
まだちょうど折り返し地点(といってももちろん完全に同じではないですが)で止まっていて、音のバランスとか音楽性とかもあんまり手が届いてなくて音をさらってるのみ。
進んでるのかどうかというとちょっと難しいところですね。だんだん身について来てるかな。
で、弾き始めてからの忙しさでまだこの曲に出てくる「実際の鳥の声」を聴いていないんですよね。
前も紹介したかもれませんがInternet Birds Collectionとか、Oiseaux.net(メシアンはフランス語で楽譜に書いてるのでフランス語のまま調べられるのは内容が読めなくてもありがたい)にお世話になっています。前者は写真や動画、音声が聞けますし後者はメシアンが使うのに近い音声が聞けます。
メシアンの耳は素晴らしいもので鳥の鳴き声を単旋律としてではなく倍音まで聞き取って、リズムも細かく記しているのですが、それでも色々再現できないものはあるんですよね。鳥の鳴き声ってピアノの音域より高く飛び出すのもありますし、倍音を2つの手で再現しようとするとなかなかバランスが難しい。
イソヒヨドリの鳴き声だったりニシコウライウグイスの鳴き声とかはそのハーモニーを構成している音のバランスが難しくて、ぴたっと合わないと響きが濁ったり鳥の鳴き声に聞こえなかったりするんですよね。
でもこの曲の中のイソヒヨドリの鳴き声って(メシアンは正確に記しているとはいえ)色々鳥離れしたような印象を持つところがあって、実際メシアンも最後の余韻的な鳴き声は「女声合唱のように」という風に書かれてますし。
その柔らかくて不思議なハーモニーが海辺の崖や波やセグロカモメの荒々しい音楽とコントラストになっているんですが、それがなんか羽衣を纏った天女みたいなイメージを抱きます。(羽衣伝説が関連している鳥は白鳥らしいですが)
そもそも、というかなんですが鳥の音楽的な・言語的な常識と人間のそれってものすごく違うんですよね。
例えばフレーズの作り方一つにしても人間はメロディーの形、そして強弱も上向きに弧を描く、ある程度のシンメトリーがあるものが基本というか、美しくて自然だと感じます。良い例が「北の国から」のあのメロディーですし、それに音楽だけでなく言語も語尾は弱くなるのが自然です。
鳥はそうじゃないんですよね。フレーズの終わりが予期なくぶつ切れるのはよくあることですし、とっても即興的にフレーズが続いていくような、全体的な構成がわかりにくいような。(全体的な構成、あるんだろうな、と思うことはちょこちょこありますが)
基本拍子がない、というかメシアンがよく使うAdditive rhythmを鳥も使います。
一小節を2つとか4つに分けるヨーロッパの伝統的なリズムの取り方ではなく、2+3+2+2+・・・とどんどん長さを足していくようなリズムのシステム。
それだけでなく記譜できないようなリズムを鳥って使うんだな、というのが鳥カタを弾き始めて分かるようになりました。
なんというか、速い部分は一気にまくし立てるようにいっぺんにまとめて歌ってしまうというか。相対的な長さはあるんだけれど比率はめちゃくちゃ、みたいな。あと特に下降する音で音が「落ちる」のが異常に速い。
だからメシアンが書いているよりもちょっと違うんですよね、リズムが。鳥の鳴き声そのものに近づけようとするとメシアンが書いているリズムはどっちかというとガイドラインみたいな位置づけになるかなあ・・・と私は思っているのですが。
他の奏者はどうこの「鳥のカタログ」でピアノと鳥の間の諸々を解決しているのかわからないのですが、とりあえず私は楽譜に忠実に、というよりは元の鳥の声に近づけられるときはなるべく再現してみよう、という方針でいます。
例えば「ヒメコウテンシ」の最後のヒバリの声なんかその高揚した感じを表現するには16分音符と32分音符の比率を大事にするよりも、音がすごい激しく飛躍するのを強調して、鳥がやるみたいな速い跳躍を再現できたらなあ、と思うのです。
そういうところの感覚や考え方も含めて同じメシアンを弾いていても「20のまなざし」と「鳥のカタログ」って弾いててものすごく違うなあ、と思います。
だから常にメシアンを弾いていても「鳥のカタログ」を弾かない状態でしばらくいるとなかなかその鳥的な勘・感覚を忘れちゃったりするんですよね。ほかの曲で練習できるようなものではないですし。
それにそもそも「鳥のカタログ」全13曲(大体2時間半)をマスターするとなるとかなり時間が必要なので、なるべく多くの時間を弾いて過ごしたいとは思っていますしね。
20のまなざしをコンプリートするのもだんだん近づいてきていますが(残りの楽章についても書きたいですね)、鳥のカタログも大事にして、全部弾けるようにするだけじゃなくて自分の誇れるレパートリーにしたいです。
今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第12曲 「全能の言葉」
NaxosでのMichael Kieran Harveyの録音(時間限定試聴あり)
鳥カタの話でしたが20のまなざしから。最近これも再習得中です。
マイケルをして「ハードロックのやつ」と言わしめた(笑)(とピーターが言っていた)この曲。短いけれどパワフルで弾いてて楽しい・・・けど手が痛くなる曲です。
メシアンといえば不思議な和音の連なりで虹のような色彩を作り上げるのが特徴的ですがこの曲ではハーモニーはほとんどないです。
オクターブのメロディー、そしてガムランの銅鑼のような超低音のリズムサイクル(3-5-8-5-3+7休み。フィボナッチ数列の一部を使ってシンメトリーにしています)。それだけ。
というのもメシアンが言うには「神の言葉」は唯一にして絶対、全能のものなのでハーモニーを使わずユニゾン、オクターブで表現するのだとか。
それをこの曲では全てf以上の音量で力強く奏でます。
メシアンの音楽に特徴的なadditive rhythm、そして繰り返されるリズムサイクルが合わさってとってもダイナミックでどこか幾何学的なリズムになるのが大好きです。
あとこの曲を弾く際に大事なのが「身体の動き」だと思います。弾く時はなんというか振り付けというか、効率的かつ最大音量が出せるような身体の動きになってそれがどこか儀式的な感覚を帯びてくるところがあって。私だけかしらん。
割と直線的な動きをしていると自分では思ってるんですがどうだろう。
不協和音的といったらそうかもしれませんし、割と刺激の強い音楽ですが、慣れるとこれが爽快なんです(笑)とにかくパワー!
(ただやっぱり弾く方がそれが味わえるですねー)
リンクした演奏はマイケルの演奏。パワフルもパワフルですがテンポが速いのが特徴的です(笑)らしいというかなんというか。でも大学時代自分が弾いてたときは割と似たようなテンポで弾いてた(汗)今は・・・どうだろう、再習得してる間なんでもちょっと遅いかな
そういえばこの曲マイケルに在学中に見てもらったことありますがパワーが足りないからmuesliをもっと食べろと言われました(笑)良い思い出です。
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