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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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昨日行ったリサイタルの感想♪
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
昨日は久しぶりにコンサート行って来ました。やっぱり生きているピアノの音を聴くのはいいですね。(いかに普段の自分の弾くピアノの音が生きてないか、というか)
場所はMelbourne Recital CentreのSalon。こういうリサイタルでした。
・・・つまりピーターのリサイタルです。プログラムはリンク先のとおり、全部で1時間強のプログラムでした。
面白いプログラムでしたね。聞いたことない曲もたくさん。
一見ばらばらに見えてものすごくさりげないというか抽象的なところでつながりがある。不思議な組み合わせと連なりのプログラム。

Brett Deanの「Equality」はメゾソプラノとのバージョン(作曲家の娘さん)と一緒に弾いたのを聴いたことがあるのですがこれはピアニストが読みながら弾くバージョン。これは曲よりもMichael Leunigの詩が面白いのよですねー。(歌手とのバージョンであった「Prayer」も好き)

メトネルはあんまり縁の無い作曲家で、以前聴いたときはそんなに魅力を感じなかったのですが今回の「Skazka」(お伽話)からの3曲はなるほどピーターがメトネルが好きだというのがものすごく分かりました。がっつりなロシア系のピアニズムに後期ロマン派的な表現と色彩、それでいてどこか内向きなところがあって。特に第1番の河の流れの曲が良かったです。それから3河の流れを表す曲、森の妖精みたいなものを表す曲、リア王が嵐に向かって荒ぶるシーンを表す曲という曲の組み合わせも素晴らしかったですね。

ブラームスによるバッハのシャコンヌ(バイオリンのためのパルティータ第2番ニ短調から)は左手だけで弾く曲なのですが、それを感じさせない演奏でしたね。こういうのを聴くととにかく大きい手がうらやましくなる(左手オンリーの曲はほんとそうなんですよ)。あとバッハのパッサカリアとフーガハ短調もそうですがこういうパッサカリアとかシャコンヌとかの素晴らしい演奏を聴いているとなんか自分の創作した諸々の運命に対してものすごくさいなまれるというかなんというか(汗)

「E-330 Plays」は作曲家が聴衆にいました(空いた席のその隣でした(笑))。面白い曲でしたね。エヴゲーニイ・ザミャーチンの「われら」というディストピア小説が元になっていて、20年以上もオペラとして暖めているうちの1シーンだそうです。
先日Michael Kieran Harveyが今年のPeggy Glanville Hicks addressで説いたようにオーストラリアで自国の作曲家の評価がそんなに高くないと言われる中、こういう風なリサイタルプログラムで地元の作品が演奏されたりする機会があること、それを聴く機会があるのは良いですね。(でもやっぱりオペラは大がかりだからもっと難しいんだろうな)
後でピーターの家族周りと一緒に夕飯をいただいた時にもそういう話になったのですが、割とクラシック好きな人が多い中地元の音楽も聴衆側の需要は結構あるっぽい雰囲気はあるような気がします。

照明を落として演奏されたDenisovの「Signes En Blanc」。クレーの絵画と少なからずつながりがある曲らしいのですが、なんとなくそれが分かるようなところはありました。
こういう曲好きなんですよ、余韻を楽しむ、抽象絵画みたいで何か音楽というよりはなにか神秘的な言語みたいなところがあるフレーズ使いの音楽。
いいなあ、そういう曲に出会いたい。

そしてリゲティの練習曲第4,5,6番(第1巻より)。
前の2曲も合わせてですがピーターの強みはやっぱり現代音楽だと思います。メトネルとかバッハ(ブラームス)の演奏もすばらしいながらも現代にもっと近いレパートリーが自然に聞こえるというかすっと入ってくると言うか。(リア王のメトネルは今回聴いたよりももっともっと激情的に弾くのもあると思うんですよね)
曲として好きなのは第6番で(おそらく私にとって一番のお気に入り)、演奏で一番好きだったのがスローな第5番。
(今日初見で弾いてみましたが私でも弾けそう。第2巻も楽譜買っていくつか弾けるようにしておきたい)

楽しかったです、聴いていて。ものすごく興味深かったですし、なんといってもプログラムを組むことについて勉強になったというか。改めて自分が弾きたい曲を練り直してみようという気になりました。
あと久しぶりに会ってちっとは話せてよかったですね。いつも会うとほっとします。あとお土産(箸、お茶と金平糖のセット)も渡しました。
あと夕飯で「先に頼んで良いよ」っていったら頼もうと思ってた料理と同じの頼みやがりまして(笑)
生ハムとクルミとメロンとゴルゴンゾーラとイチジクの、メインディッシュにリストされてるのに前菜とデザートを足したような料理でした。美味しかったです。

近いうちにまたゆっくり、と約束しているのでピアノの諸々の相談はまたそのとき。
今州立図書館で真ん中に穴を空けて内側から弾けるようにしたピアノの演奏、というのをやってるのですが(NHKニュースでも取り上げられたのですが今は記事はないみたいです)、ピーターもどうやらそれで弾いているらしく(お父さんが携帯で動画撮ってました)、その周りでなんかぶらぶらする予定になりそうです。ちょっと見たい(笑)ちなみに腰がめちゃくちゃしんどいらしいです。

ということでまあ自分のピアノのほうはぼちぼち。なかなか他の音楽家仲間との話し合いとか刺激とかそういうものが少ない環境(=主に自分側の問題ですが)がちょっとネックになってきそうな予感があって。室内楽とかやったほうがよかったりするのかな、と。
ただ前回のプログラムもなんとなくこう自分の内的世界の切り取りみたいな側面があって、そういうのがやっぱりやりたいところもあり。これからのプログラム組みもそういう風になってくれればいいな、と少し思っていたり。

とりあえず明日・明後日はマッサージを始めちょっとゆっくりの予定なのでゆっくり考えたいと思います。


今日の一曲: リゲティ・ジェルジュ 練習曲第1巻 第4番「ファンファーレ」



リゲティの練習曲で一番最初に出会う曲、というと多分これが一番かな。一番良く聴くような気がします(単に身近なピアニストでこれを弾く人がちょこちょこある、というだけかも?)。
リゲティに特徴的な機械っぽいところがあるながらも明るくて色彩もはっきりしていて、比較的catchyなリズムで聞くには分かりやすい曲かも。

でもとにかくリゲティの練習曲というのは難しい。ピアノのレパートリーの中でもトップクラスの技巧的難易度を誇る曲集です。
何が難しいというとまず指を動かすこと、それからイレギュラーなリズムでアクセントをしっかり強調してリズムの魅力を出すこと、それから求められているスピードで弾くこと。

この曲も曲集のなかでは比較的難しくない方だと思うんですよ。音だけなら。私でもそこそこ初見でなんとかなるくらいは。
ただこの曲のモチーフになっている繰り返される音階的なパッセージのアクセントを最初から最後まで落とさずつけるのがものすごく難しい。特に右手のアクセントとずれるところが。
なんかこう、狂うと思うんですよね、こういうディテールを継続して完璧にやるのには。人間の脳としてパンクするというか。

曲調もそうですし、上記ディテールの再現に求められる技巧・脳の能力も合わせてリゲティの音楽って人間の域を超えた機械っぽいところがあるんですよね。
それがなんというか無機質で冷たくみえるというか、そういうことはよく言われるそうで。ちなみにラヴェルも似たような印象を抱かれることが多いのですが、母曰くそういうところに魅力を感じるか否かの差が文系・理系の感性の違いだそうで(もちろん文系の感性は別のところで理系の感性にはなかなか共感しがたい魅力を感じるということで、どちらが勝っているということではないです。

でもこの曲をつまらなく感じたからといってリゲティの音楽全部捨てたもんでもないと思います。同じように無機質かもしれませんが色んな魅力を持った曲が全3巻の練習曲集にはありますし。例えば第6番は結構激情型だったり(私はそのバランスが好きです)。
なかなか普段出会うことは少ないかもしれませんが、リゲティのピアノ曲は面白いですよ。ちょっとご挨拶してみてください。

リンクしたのはエマールの演奏。もうこれがバイブル、というかこんなに完璧にこの曲集を弾きこなす人はほぼいませんね。人間らしい演奏に聞こえるか機械の完璧さを感じるかはまあ聞いてみてくださいな(リンク先には残念ながら試聴はありませんが)。

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