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突然ですが、自分にとって音楽はいろいろな別の分野に開く窓・・・みたいな存在でもあります。
例えば国の文化や歴史を理解するのに音楽を参照しながら理解を深めたり、音楽がきっかけとなってそういうものに興味を持ったりすることが多いです。
もちろんそれだけでは理解の幅も限られてしまうので、そこから広げる別の努力をしなければいけませんが。
オーストラリアという国の一側面も音楽と照らし合わせて考えると面白いです。
そもそもオーストラリアという国はイギリスからの流刑囚によって作られた国です。
いきなり余談ですが流刑囚といっても単にイギリスの収容所・監獄にもう人が入らなくなったからという理由なので、罪の重さはまちまちで。ついでにイギリスのそういう制度もあまりなってなかったらしいですね。
むしろ流刑になったほうがイギリスに普通に暮らすよりもいい暮らしができたと評判だったとか。
ただ始めたのは流刑囚ですがその後オーストラリアの大半がそういった人でなくさまざまな国からの移民によって占められるようになったので今私の年齢くらいの人だと先祖に流刑囚は1人いるかいないか、がほとんどらしいですね。
とにもかくにも、オーストラリアの白人の文化はイギリスから来たといって自然でしょう。
実際オーストラリアで初めて作曲家として有名になったパーシー・グレンジャーの音楽はまさにイギリスから来たオーストラリアの文化を表しています。
代表作は「カントリー・ガーデン」や「デリー地方のアイルランド民謡」など。タイトルでもわかるようにイギリスを題材にしたり、イギリスの民謡などを使った曲が多いです。
ただ国としてオーストラリアがイギリスとは違う道を歩み始めると、自然と国のアイデンティティを見直すようになりました。それは先住民の文化を見直すということも含まれ。
芸術は社会をあらわすので、音楽でももちろんそういう動きはあって、ピーター・スカルソープという作曲家がオーストラリアの音楽はヨーロッパ的でなく、もっと別のところに近しい源がある、というようなことを解いて。
彼なりの答えは、オーストラリアの音楽的アイデンティティはアジアと近いものだ、というもので。「太陽の音楽」(I~IV)や「日本の音楽」はそんな彼の思想を表しています。
スカルソープは他にもオーストラリアの伝統楽器ディジェリドゥーをオーケストラとともに用いたり、オーストラリアの自然を題材とした曲を多く書いています。
オーストラリアの先住民、アボリジニは東南アジアの諸民族と同じルーツの民族だったと言われていますので、アジアも東南アジアならたしかにルーツは近いのでは、と思います。
そして歴史的に考えて同じくイギリスの植民地から国になったアメリカともかなり音楽的に似ているところは多いと思います。
本当に直感的な所見なのですが、イギリスの音楽はものすごくノスタルジックな性格をしています。そしてそれとは対照的にアメリカの音楽は前に前に、という性格をしていて、これはスカルソープ以降のオーストラリアの音楽にもある程度いえること。
ただそれだけではオーストラリアの音楽、というものは説明がつかないような気がします。
今やオーストラリアには著名な作曲家が何人もいます。
ロス・エドワーズ、カール・ヴァイン、Graeme Koehne、Matthew Hindsonなどなど・・・それに加えて自分が知っている作曲家たちや作曲家の音楽をよくよく考えてみると、ぼんやりとした印象がだんだん固まってきました。
それは・・・オーストラリアの音楽は何よりもリズムを重視する、ということです。
私の知っているオーストラリアの曲のどれもがメロディーの美しさでは他の国に劣っているけれど、それでも魅力で劣っていないのはリズムの魅力とパワーが大変強いから、という印象を持っています。
一番わかりやすい例を挙げれば、先ほどの伝統楽器ディジェリドゥー。
基本あまりピッチに自由が利かないディジェリドゥーは、音色をアクセントなどで変えるリズムで音楽を作り出しています。
そういう風に考えるとむしろオーストラリアの音楽は意外とアフリカの音楽に近いところもあるのではないか、という気がします。アフリカから文化的に影響を多く受けているはずのアメリカよりもずっとその傾向は強く。
ただこれは純粋に音楽的な面からいったもので、他の歴史や文化的側面から見たらどうかわからないんですけど・・・
もちろんオーストラリアには他の文化の影響もありますし、まだまだこれから変わっていくことも多いと思いますが、こうやって音楽で考えただけでもこの国の文化は面白いなーと思います。
自分はメロディーよりもずっとリズムに惹かれる人間なので、このリズム文化がオーストラリアの音楽で大きく発展していくことを願っています。
今日の一曲の前に主なオーストラリアの作曲家とその代表作(というか個人的なお勧め)を一曲ずつリストしていきたいと思います。
(表記は英語で統一させていただきます。あしからず。)
Percy Grainger - Country Garden
Peter Sculthorpe - Sun Music III
Peggy Glanville-Hicks - Harp Sonata
Carl Vine - Piano Concerto
Ross Edwards - Violin Concerto "Maninyas"
Graeme Koehne - Elevator Music
Matthew Hindson - Speed
Michael Kieran Harvey - Pink Nautilus
最後の作曲家は知り合いなんですが入れさせてもらいました(笑)
他にもKeith Humble, Bruce Rowland, Nigel Westlake, Malcolm Williamson, Barry Conynghamなどの作曲家がいます。
いろいろ見てみると知らない作曲家もいっぱいいますし、知ってる作曲家も知らない作品がたくさんあるので・・・これからもどんどん聴いていかなくちゃ、と思います。
今日の一曲: Matthew Hindson 「Speed」
視聴はこちら。
なんというか・・・いい曲、よりも自分が紹介したい曲、で選ばせてもらいました。
Hindsonは今もばりばり現役のシドニーの作曲家。モダンなシティな感じの曲を書く人です。
そんな中この「Speed」はなんとオーケストラでテクノをやっちゃおう!・・・というテンションかはしりませんがとにかくそういう曲です。
テクノと言えばやっぱりリズム。さまざまなリズムパターンを繰り返しその繰り返しによってどんどんテンションがあがっていく弾いてると不思議と楽しい曲です。聴いていてもやっぱりテンションあがりっぱなし。これもリズムのなせる業ですね。
実は私昔この曲をオーストラリア中のユースオケが集まったコンサートで460人のオーケストラで弾いた経験があります。若い人が弾くには文化的にもテンション的にもぴったりです。
ただそのときはLiteバージョンだったので短めのバージョン。フルバージョンは16分の長丁場です!
その16分の間で気づくことが少々。
トロンボーンとドラムキットが尋常ない頻度で演奏している!
ドラムキットは役割上本当にしょうがないとして、ちょっとトロンボーンが気になります。
本来トロンボーンはあんまり弾かないのですが(ざっくり)、それはやはり体力を消耗する楽器だと言うこともあり。なのでこの曲の16分間ぶっつづけとはいかなくてもかなり続けて弾いているのはちょっと不思議と言うか心配と言うか。
特に第1、第2トロンボーンは最初から聞こえるスライドを交互に延々と弾いていたりして。大丈夫?死んでない?と思ったところ曲のもう一番最後のクライマックスでとんでもないものが待ってます。
最後の方で不可能ともいえるほど難しいリズムパターンを大音量で一人ずつやらかさなくちゃいけなく、それでクライマックスにフルオーケストラで持っていくという・・・
スコアで確認したんですがここら辺はいかにも即興に聞こえるのにちゃんと一音一音スコアに作曲家が書いているんです!これは地獄だ!
体力自慢の体育会系トロンボーン奏者でぜひ最後までパワフルな演奏を聞きたいものです(私の持ってる演奏ももう奇跡的に最後までパワフルです)
あともう1つ私の心を捉えて離さない箇所は、中間部いろんな楽器がソロを奏でるスローなセクションであるハープのソロ。
「えー!?こんな曲でこんなハープのソロが!」と思いますが本当にあの喧騒(失礼、でもいわゆるクラブみたいな雰囲気の曲ですからね、そういう意図で)の間にこんな透明な心洗われるハープのソロがあるなんて、まるでオアシスのようで。
場違いのようながら、かなりいい味出してます。
名曲、というのとは違うかもしれませんが、本当にエキサイティングで、どこか今の社会の一側面を強くあらわすなかなか興味深い曲です。Rave、ダンス、クラブ、ドラッグみたいな文化を(ポピュラー文化にはとんとうとくてごめんなさい)
オーケストラでそういうものを味わってみるのもまた一興ですね。
例えば国の文化や歴史を理解するのに音楽を参照しながら理解を深めたり、音楽がきっかけとなってそういうものに興味を持ったりすることが多いです。
もちろんそれだけでは理解の幅も限られてしまうので、そこから広げる別の努力をしなければいけませんが。
オーストラリアという国の一側面も音楽と照らし合わせて考えると面白いです。
そもそもオーストラリアという国はイギリスからの流刑囚によって作られた国です。
いきなり余談ですが流刑囚といっても単にイギリスの収容所・監獄にもう人が入らなくなったからという理由なので、罪の重さはまちまちで。ついでにイギリスのそういう制度もあまりなってなかったらしいですね。
むしろ流刑になったほうがイギリスに普通に暮らすよりもいい暮らしができたと評判だったとか。
ただ始めたのは流刑囚ですがその後オーストラリアの大半がそういった人でなくさまざまな国からの移民によって占められるようになったので今私の年齢くらいの人だと先祖に流刑囚は1人いるかいないか、がほとんどらしいですね。
とにもかくにも、オーストラリアの白人の文化はイギリスから来たといって自然でしょう。
実際オーストラリアで初めて作曲家として有名になったパーシー・グレンジャーの音楽はまさにイギリスから来たオーストラリアの文化を表しています。
代表作は「カントリー・ガーデン」や「デリー地方のアイルランド民謡」など。タイトルでもわかるようにイギリスを題材にしたり、イギリスの民謡などを使った曲が多いです。
ただ国としてオーストラリアがイギリスとは違う道を歩み始めると、自然と国のアイデンティティを見直すようになりました。それは先住民の文化を見直すということも含まれ。
芸術は社会をあらわすので、音楽でももちろんそういう動きはあって、ピーター・スカルソープという作曲家がオーストラリアの音楽はヨーロッパ的でなく、もっと別のところに近しい源がある、というようなことを解いて。
彼なりの答えは、オーストラリアの音楽的アイデンティティはアジアと近いものだ、というもので。「太陽の音楽」(I~IV)や「日本の音楽」はそんな彼の思想を表しています。
スカルソープは他にもオーストラリアの伝統楽器ディジェリドゥーをオーケストラとともに用いたり、オーストラリアの自然を題材とした曲を多く書いています。
オーストラリアの先住民、アボリジニは東南アジアの諸民族と同じルーツの民族だったと言われていますので、アジアも東南アジアならたしかにルーツは近いのでは、と思います。
そして歴史的に考えて同じくイギリスの植民地から国になったアメリカともかなり音楽的に似ているところは多いと思います。
本当に直感的な所見なのですが、イギリスの音楽はものすごくノスタルジックな性格をしています。そしてそれとは対照的にアメリカの音楽は前に前に、という性格をしていて、これはスカルソープ以降のオーストラリアの音楽にもある程度いえること。
ただそれだけではオーストラリアの音楽、というものは説明がつかないような気がします。
今やオーストラリアには著名な作曲家が何人もいます。
ロス・エドワーズ、カール・ヴァイン、Graeme Koehne、Matthew Hindsonなどなど・・・それに加えて自分が知っている作曲家たちや作曲家の音楽をよくよく考えてみると、ぼんやりとした印象がだんだん固まってきました。
それは・・・オーストラリアの音楽は何よりもリズムを重視する、ということです。
私の知っているオーストラリアの曲のどれもがメロディーの美しさでは他の国に劣っているけれど、それでも魅力で劣っていないのはリズムの魅力とパワーが大変強いから、という印象を持っています。
一番わかりやすい例を挙げれば、先ほどの伝統楽器ディジェリドゥー。
基本あまりピッチに自由が利かないディジェリドゥーは、音色をアクセントなどで変えるリズムで音楽を作り出しています。
そういう風に考えるとむしろオーストラリアの音楽は意外とアフリカの音楽に近いところもあるのではないか、という気がします。アフリカから文化的に影響を多く受けているはずのアメリカよりもずっとその傾向は強く。
ただこれは純粋に音楽的な面からいったもので、他の歴史や文化的側面から見たらどうかわからないんですけど・・・
もちろんオーストラリアには他の文化の影響もありますし、まだまだこれから変わっていくことも多いと思いますが、こうやって音楽で考えただけでもこの国の文化は面白いなーと思います。
自分はメロディーよりもずっとリズムに惹かれる人間なので、このリズム文化がオーストラリアの音楽で大きく発展していくことを願っています。
今日の一曲の前に主なオーストラリアの作曲家とその代表作(というか個人的なお勧め)を一曲ずつリストしていきたいと思います。
(表記は英語で統一させていただきます。あしからず。)
Percy Grainger - Country Garden
Peter Sculthorpe - Sun Music III
Peggy Glanville-Hicks - Harp Sonata
Carl Vine - Piano Concerto
Ross Edwards - Violin Concerto "Maninyas"
Graeme Koehne - Elevator Music
Matthew Hindson - Speed
Michael Kieran Harvey - Pink Nautilus
最後の作曲家は知り合いなんですが入れさせてもらいました(笑)
他にもKeith Humble, Bruce Rowland, Nigel Westlake, Malcolm Williamson, Barry Conynghamなどの作曲家がいます。
いろいろ見てみると知らない作曲家もいっぱいいますし、知ってる作曲家も知らない作品がたくさんあるので・・・これからもどんどん聴いていかなくちゃ、と思います。
今日の一曲: Matthew Hindson 「Speed」
視聴はこちら。
なんというか・・・いい曲、よりも自分が紹介したい曲、で選ばせてもらいました。
Hindsonは今もばりばり現役のシドニーの作曲家。モダンなシティな感じの曲を書く人です。
そんな中この「Speed」はなんとオーケストラでテクノをやっちゃおう!・・・というテンションかはしりませんがとにかくそういう曲です。
テクノと言えばやっぱりリズム。さまざまなリズムパターンを繰り返しその繰り返しによってどんどんテンションがあがっていく弾いてると不思議と楽しい曲です。聴いていてもやっぱりテンションあがりっぱなし。これもリズムのなせる業ですね。
実は私昔この曲をオーストラリア中のユースオケが集まったコンサートで460人のオーケストラで弾いた経験があります。若い人が弾くには文化的にもテンション的にもぴったりです。
ただそのときはLiteバージョンだったので短めのバージョン。フルバージョンは16分の長丁場です!
その16分の間で気づくことが少々。
トロンボーンとドラムキットが尋常ない頻度で演奏している!
ドラムキットは役割上本当にしょうがないとして、ちょっとトロンボーンが気になります。
本来トロンボーンはあんまり弾かないのですが(ざっくり)、それはやはり体力を消耗する楽器だと言うこともあり。なのでこの曲の16分間ぶっつづけとはいかなくてもかなり続けて弾いているのはちょっと不思議と言うか心配と言うか。
特に第1、第2トロンボーンは最初から聞こえるスライドを交互に延々と弾いていたりして。大丈夫?死んでない?と思ったところ曲のもう一番最後のクライマックスでとんでもないものが待ってます。
最後の方で不可能ともいえるほど難しいリズムパターンを大音量で一人ずつやらかさなくちゃいけなく、それでクライマックスにフルオーケストラで持っていくという・・・
スコアで確認したんですがここら辺はいかにも即興に聞こえるのにちゃんと一音一音スコアに作曲家が書いているんです!これは地獄だ!
体力自慢の体育会系トロンボーン奏者でぜひ最後までパワフルな演奏を聞きたいものです(私の持ってる演奏ももう奇跡的に最後までパワフルです)
あともう1つ私の心を捉えて離さない箇所は、中間部いろんな楽器がソロを奏でるスローなセクションであるハープのソロ。
「えー!?こんな曲でこんなハープのソロが!」と思いますが本当にあの喧騒(失礼、でもいわゆるクラブみたいな雰囲気の曲ですからね、そういう意図で)の間にこんな透明な心洗われるハープのソロがあるなんて、まるでオアシスのようで。
場違いのようながら、かなりいい味出してます。
名曲、というのとは違うかもしれませんが、本当にエキサイティングで、どこか今の社会の一側面を強くあらわすなかなか興味深い曲です。Rave、ダンス、クラブ、ドラッグみたいな文化を(ポピュラー文化にはとんとうとくてごめんなさい)
オーケストラでそういうものを味わってみるのもまた一興ですね。
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