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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
そして「精神の調子が悪いときの練習」についてのエントリーに拍手ありがとうございます!
あれは自分でも自信があるというか、自分ができることをなんとか形に出来たエントリーだったので。
少しでもヒントになれれば幸いです。
さて、無事日本からの年賀状も届き、お正月も終わり。
こないだPhysiotherapistに腕を診てもらいに行ったら腕(腱鞘炎)でなくて頸椎の神経のトラブルということでした。
首や首から腕へ繋がる神経のストレッチをしながらピアノも仕事も少なめ(しっかり休憩もとる)ということで当分は行くことになりました。
去年末にちょっと書きたかったことがあるのですが、時間が経ってしまったのである程度ざっくりした感じで書きます。
前回のエントリーで2011年の一時帰国の辺りから聴く音楽の幅が広がったと書きましたが(ボサノバ、聖飢魔II、アジアの民族音楽、などなど)、それとは別に同じ時期でクラシック音楽に関してもちょっと変化を感じたことがありまして。
それは自分が自発的に聞く音楽ではなく、メルボルン周辺で演奏されるレパートリーに関することで。
メルボルンでここ数年の間で20世紀以降の音楽の演奏頻度が大分多くなった気がするんですよね。
実際のところその変化は私が大学を卒業してから徐々に起こっていたはずなのですが、でも私が特に好きなメシアン、そしてクラムの演奏頻度は2011年から目立って増えてるような・・・気がするのです。
(もちろん2008年はメシアン・イヤーでアカデミーのメシアン祭りなどもありましたが)
あくまでも感覚的な話ですが(一度メルボルン各所で演奏されてるレパートリーを分析してみたいものです)。ただし卒業当時と比べると違いは明確です。
メシアンについてはこのブログで何度も書いているようにもうスタンダードなレパートリーの立派な一員だと思います。
去年ユースオケでトゥーランガリラを弾いたり、時の終わりの四重奏曲についてはここ2年で複数回演奏されていますし、オルガン作品もリサイタルなどで弾かれているようですし(ただフランスのオルガンとは楽器の違いもあって難しいところもあるんだろうな)。あとはフルートとピアノのための「Le Merle Noir」もちらほら。
20のまなざしとか鳥カタとかがっつり曲集全部演奏される機会、そして大編成の曲が演奏される機会というのはさすがに少ないですが、それはこれからかなあ・・・なんといっても奏者・聴衆の慣れ、そして奏者が練習などに費やす時間の関係がありますからね。
クラムは確かにここ2年で演奏機会が変わった作曲家だと思います。
2011年から2012年にかけて私が実際聴きに行っただけでもApparition、Black Angels、鯨の声、天体の力学。
Black Angelsは私が聴きに行ったコンサートの他にAustralian Chamber Orchestraが「The Reef」というコンサートで今年・来年と一部を抜粋して演奏していたり。
片手で数えられはしますが、今も生きている作曲家の中では割と演奏頻度が高いと思われます。
当然私はこれらの変化を好ましいものだと思っています。
自分が大好きな(そして素晴らしいと信じている)音楽を生で聞く機会が増えること、そういった音楽の話をする仲間が増えることも嬉しいですし、奏者だけでなく聴衆にもそういった音楽が受け入れられ愛されるのも嬉しいですし。
現代音楽って難しいようで本当はそんなに難しくないし、独特の言語ながらも独特の美しさや表現があって面白いものだということが奏者に、そして聴き手に伝わりつつあるのは素晴らしいことだと思います。
前なんかのコンサートの前でマイケルが話していたのですが、ポピュラーな、聴衆に受けの良い音楽ばかりを提供することは奏者にとっても、音楽にとっても、そして聴衆にとっても良いことではないんです。
音楽によって新しい世界を拓くのは奏者が担うべき責任で、奏者は演奏を以て常に先頭に立って道を拓かなくちゃいけないと私は思っていて。(自分が出来てるかというとあれなんですが)
それは弾き手・聴き手にとって大変なことだけれどとっても大事なこと。
なかなかその奏者の意識も難しいです。私と一緒に大学を卒業したピアニストたちで海外に留学に行った友達がいるのですが、そのうち何人かは向こうで現代音楽をアクティブに弾くようになってるんですよね。(アカデミーに進学した友達もしかり)
つまり、メルボルン大学音楽科においての現代音楽に関する教育(特にピアニストの)はどうもいかんですよ。
(それはまあクラムの音楽を実験音楽扱いしていたことを始め在学中もうすうす気づいていたのですが)
それからマイケルの話でちょろっと聞いたのが世界の色んなところでクラシック音楽の新しい音楽の作曲・演奏活動が推進力を失って来ている、ということで。マイケルのがんばりなどもありオーストラリア(特に南部)はまだまだmomentumを持っているとのことですが・・・
それは先ほど書いた「受けの良い」音楽への偏り(もちろんお客さん集めて稼がなくちゃいけないのですが、それでも一般への浸透も合わせて諸々)、奏者の教育(奏者の質は高くなっているのに)など色々要因があって。
演奏の形態を工夫したり、色々試行錯誤がなされているのですが・・・
そんな中メシアンとかクラムは(現代音楽でも)必ずしも前衛的な音楽ではなくて、抽象的だけれど音楽的・イメージ的にとっかかりがある、現代音楽におけるゲートウェイとしてのポテンシャルがあると思うのです。
(マリファナがゲートウェイ・ドラッグと言われるのと重ねてしまった(汗))
だからメシアンやクラムの作品がその前の時代の作品と組み合わせられたり、もっと前衛的な作品と組み合わせられたりすることで奏者・聴衆共に道を拓くきっかけになると思いたいんです。
(クラムの作品は踊りや照明など演出のポテンシャルもありますし、それにどちらも室内楽でちょっと変わった組み合わせの楽器を使ってたりとかして、それでもレパートリー組みの可能性が広がりますしね)
だから純粋にもっとメシアンが聞きたい、クラムが聞きたい、というだけじゃなくてさらに向こうへの広がりもあるといいな、と思っています。
もちろん自分でもメシアン、クラムを弾いてそしてそこから20・21世紀音楽のレパートリーを広げていかないと、ですね。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「鯨の声」 第四変奏 「中生代」
今日はメルボルン、最高気温が41度でした。暑くなるとクラムが聞きたくなりますが、特に最近海を思うことが多くなり、海が恋しくなるとやっぱり「鯨の声」(Vox Balaenae)が恋しくなります。
このブログでも何度か話が出ていますがこの「鯨の声」はフルート、チェロ、ピアノのために書かれた曲で、時の始まりから時の終わりまでの海、そして時代と共にその海で生命をはぐくむ生物たちの栄枯盛衰を描いた作品です。
作曲家クラムがザトウクジラの声をテープで聴いたのがきっかけでこの曲を書いたんだとか。
どこまでこの曲が科学的な諸々を反映しているかは分かりませんが(それに1971年作曲ですから新しい発見によって変わってることもいっぱいあるかも)、地学周りで調べて見ると面白いものがいっぱい出てきますね。
私がお気に入りに入れてるページにこういうサイトがあるのですが、割と「鯨の声」に対応するところがあって活用しています。
第4変奏の「中生代」は爬虫類、特に恐竜が地球に君臨した時代です。
気候は温暖で多湿、海は低酸素だったそう。爬虫類は地上だけでなく海にも生息していて、その鱗と牙を持った「竜」たちの繁栄をこの「中生代」の賑やかでメタリックな音から連想します。
(ちなみに金属音はピアノの特殊奏法によるもの。彫刻刀を使ったりしてるはず)
この「中生代」でフルートとチェロが奏でるエキゾチックなメロディーだったり、波のしぶきを思わせるピアノの5連符の音だったり、ダイナミックな曲調が私がこの曲を好きになったきっかけで。(あとは小さいころ恐竜が好きだったのもかなりイメージに影響してるかも)
やっぱりこの変奏はピアノ無双ですから(笑)フルートがかっこいい変奏も、チェロがかっこいい変奏もあって、全員それぞれ見せ場があるのもいいですね。楽しそう。難しそうですが。
そして以前書いているのですがこの曲、割とクラムの愛好家でない音楽家にも人気なんですよ。フルート奏者での人気は言わずもがなですがこれでクラムに興味を持ち始める人がちらほら。
そんなには不協和音的ではないですし、割と伝統的な「美しさ」も持ち合わせているのでクラムをあんまり聞いたことがない、という場合でもお薦めです。
なんか書いてたらこないだWunderkammerで見た各時代(古生代・中生代など)のカードを買いたくなりましたね。楽譜がなぜかちょろっとついてるやつ。ぴったりじゃないですか、この曲に。
こんど買ってこようかな。
リンクしたのは手元にある録音。Zizi Muellerのフルートがかっこいいんだ!(Idyll for the Misbegottenでも)
そしてMadrigalsを歌ってるのはJan DeGaetani!さらにジャケットもかっこいい(笑)
これも大学図書館コピーなのでそのうち(リンクしたのはmp3ですがCDとして)入手したいです。
そして「精神の調子が悪いときの練習」についてのエントリーに拍手ありがとうございます!
あれは自分でも自信があるというか、自分ができることをなんとか形に出来たエントリーだったので。
少しでもヒントになれれば幸いです。
さて、無事日本からの年賀状も届き、お正月も終わり。
こないだPhysiotherapistに腕を診てもらいに行ったら腕(腱鞘炎)でなくて頸椎の神経のトラブルということでした。
首や首から腕へ繋がる神経のストレッチをしながらピアノも仕事も少なめ(しっかり休憩もとる)ということで当分は行くことになりました。
去年末にちょっと書きたかったことがあるのですが、時間が経ってしまったのである程度ざっくりした感じで書きます。
前回のエントリーで2011年の一時帰国の辺りから聴く音楽の幅が広がったと書きましたが(ボサノバ、聖飢魔II、アジアの民族音楽、などなど)、それとは別に同じ時期でクラシック音楽に関してもちょっと変化を感じたことがありまして。
それは自分が自発的に聞く音楽ではなく、メルボルン周辺で演奏されるレパートリーに関することで。
メルボルンでここ数年の間で20世紀以降の音楽の演奏頻度が大分多くなった気がするんですよね。
実際のところその変化は私が大学を卒業してから徐々に起こっていたはずなのですが、でも私が特に好きなメシアン、そしてクラムの演奏頻度は2011年から目立って増えてるような・・・気がするのです。
(もちろん2008年はメシアン・イヤーでアカデミーのメシアン祭りなどもありましたが)
あくまでも感覚的な話ですが(一度メルボルン各所で演奏されてるレパートリーを分析してみたいものです)。ただし卒業当時と比べると違いは明確です。
メシアンについてはこのブログで何度も書いているようにもうスタンダードなレパートリーの立派な一員だと思います。
去年ユースオケでトゥーランガリラを弾いたり、時の終わりの四重奏曲についてはここ2年で複数回演奏されていますし、オルガン作品もリサイタルなどで弾かれているようですし(ただフランスのオルガンとは楽器の違いもあって難しいところもあるんだろうな)。あとはフルートとピアノのための「Le Merle Noir」もちらほら。
20のまなざしとか鳥カタとかがっつり曲集全部演奏される機会、そして大編成の曲が演奏される機会というのはさすがに少ないですが、それはこれからかなあ・・・なんといっても奏者・聴衆の慣れ、そして奏者が練習などに費やす時間の関係がありますからね。
クラムは確かにここ2年で演奏機会が変わった作曲家だと思います。
2011年から2012年にかけて私が実際聴きに行っただけでもApparition、Black Angels、鯨の声、天体の力学。
Black Angelsは私が聴きに行ったコンサートの他にAustralian Chamber Orchestraが「The Reef」というコンサートで今年・来年と一部を抜粋して演奏していたり。
片手で数えられはしますが、今も生きている作曲家の中では割と演奏頻度が高いと思われます。
当然私はこれらの変化を好ましいものだと思っています。
自分が大好きな(そして素晴らしいと信じている)音楽を生で聞く機会が増えること、そういった音楽の話をする仲間が増えることも嬉しいですし、奏者だけでなく聴衆にもそういった音楽が受け入れられ愛されるのも嬉しいですし。
現代音楽って難しいようで本当はそんなに難しくないし、独特の言語ながらも独特の美しさや表現があって面白いものだということが奏者に、そして聴き手に伝わりつつあるのは素晴らしいことだと思います。
前なんかのコンサートの前でマイケルが話していたのですが、ポピュラーな、聴衆に受けの良い音楽ばかりを提供することは奏者にとっても、音楽にとっても、そして聴衆にとっても良いことではないんです。
音楽によって新しい世界を拓くのは奏者が担うべき責任で、奏者は演奏を以て常に先頭に立って道を拓かなくちゃいけないと私は思っていて。(自分が出来てるかというとあれなんですが)
それは弾き手・聴き手にとって大変なことだけれどとっても大事なこと。
なかなかその奏者の意識も難しいです。私と一緒に大学を卒業したピアニストたちで海外に留学に行った友達がいるのですが、そのうち何人かは向こうで現代音楽をアクティブに弾くようになってるんですよね。(アカデミーに進学した友達もしかり)
つまり、メルボルン大学音楽科においての現代音楽に関する教育(特にピアニストの)はどうもいかんですよ。
(それはまあクラムの音楽を実験音楽扱いしていたことを始め在学中もうすうす気づいていたのですが)
それからマイケルの話でちょろっと聞いたのが世界の色んなところでクラシック音楽の新しい音楽の作曲・演奏活動が推進力を失って来ている、ということで。マイケルのがんばりなどもありオーストラリア(特に南部)はまだまだmomentumを持っているとのことですが・・・
それは先ほど書いた「受けの良い」音楽への偏り(もちろんお客さん集めて稼がなくちゃいけないのですが、それでも一般への浸透も合わせて諸々)、奏者の教育(奏者の質は高くなっているのに)など色々要因があって。
演奏の形態を工夫したり、色々試行錯誤がなされているのですが・・・
そんな中メシアンとかクラムは(現代音楽でも)必ずしも前衛的な音楽ではなくて、抽象的だけれど音楽的・イメージ的にとっかかりがある、現代音楽におけるゲートウェイとしてのポテンシャルがあると思うのです。
(マリファナがゲートウェイ・ドラッグと言われるのと重ねてしまった(汗))
だからメシアンやクラムの作品がその前の時代の作品と組み合わせられたり、もっと前衛的な作品と組み合わせられたりすることで奏者・聴衆共に道を拓くきっかけになると思いたいんです。
(クラムの作品は踊りや照明など演出のポテンシャルもありますし、それにどちらも室内楽でちょっと変わった組み合わせの楽器を使ってたりとかして、それでもレパートリー組みの可能性が広がりますしね)
だから純粋にもっとメシアンが聞きたい、クラムが聞きたい、というだけじゃなくてさらに向こうへの広がりもあるといいな、と思っています。
もちろん自分でもメシアン、クラムを弾いてそしてそこから20・21世紀音楽のレパートリーを広げていかないと、ですね。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「鯨の声」 第四変奏 「中生代」
今日はメルボルン、最高気温が41度でした。暑くなるとクラムが聞きたくなりますが、特に最近海を思うことが多くなり、海が恋しくなるとやっぱり「鯨の声」(Vox Balaenae)が恋しくなります。
このブログでも何度か話が出ていますがこの「鯨の声」はフルート、チェロ、ピアノのために書かれた曲で、時の始まりから時の終わりまでの海、そして時代と共にその海で生命をはぐくむ生物たちの栄枯盛衰を描いた作品です。
作曲家クラムがザトウクジラの声をテープで聴いたのがきっかけでこの曲を書いたんだとか。
どこまでこの曲が科学的な諸々を反映しているかは分かりませんが(それに1971年作曲ですから新しい発見によって変わってることもいっぱいあるかも)、地学周りで調べて見ると面白いものがいっぱい出てきますね。
私がお気に入りに入れてるページにこういうサイトがあるのですが、割と「鯨の声」に対応するところがあって活用しています。
第4変奏の「中生代」は爬虫類、特に恐竜が地球に君臨した時代です。
気候は温暖で多湿、海は低酸素だったそう。爬虫類は地上だけでなく海にも生息していて、その鱗と牙を持った「竜」たちの繁栄をこの「中生代」の賑やかでメタリックな音から連想します。
(ちなみに金属音はピアノの特殊奏法によるもの。彫刻刀を使ったりしてるはず)
この「中生代」でフルートとチェロが奏でるエキゾチックなメロディーだったり、波のしぶきを思わせるピアノの5連符の音だったり、ダイナミックな曲調が私がこの曲を好きになったきっかけで。(あとは小さいころ恐竜が好きだったのもかなりイメージに影響してるかも)
やっぱりこの変奏はピアノ無双ですから(笑)フルートがかっこいい変奏も、チェロがかっこいい変奏もあって、全員それぞれ見せ場があるのもいいですね。楽しそう。難しそうですが。
そして以前書いているのですがこの曲、割とクラムの愛好家でない音楽家にも人気なんですよ。フルート奏者での人気は言わずもがなですがこれでクラムに興味を持ち始める人がちらほら。
そんなには不協和音的ではないですし、割と伝統的な「美しさ」も持ち合わせているのでクラムをあんまり聞いたことがない、という場合でもお薦めです。
なんか書いてたらこないだWunderkammerで見た各時代(古生代・中生代など)のカードを買いたくなりましたね。楽譜がなぜかちょろっとついてるやつ。ぴったりじゃないですか、この曲に。
こんど買ってこようかな。
リンクしたのは手元にある録音。Zizi Muellerのフルートがかっこいいんだ!(Idyll for the Misbegottenでも)
そしてMadrigalsを歌ってるのはJan DeGaetani!さらにジャケットもかっこいい(笑)
これも大学図書館コピーなのでそのうち(リンクしたのはmp3ですがCDとして)入手したいです。
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