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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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予想外の不調。
一体全体どうしたことか、と問いたいところなのですが。
なんか今日起きて活動始めたら明らかに軽躁状態で。
長ズボン・レギンスをはくと皮膚の表面がかゆいようないらいら感覚を始め焦燥感がひどい。
とりあえず朝なのに「Evening」ティーを飲みながらあるだけ仕事を終わらせて、ピアノは休んで本を返しに行ってなんとか一日過ごしているのですが、ただいま日本から送ってもらったらららクラシックのワーグナーの回で音楽の影響と自分の思い入れに関する諸々をもろに受けてぐるぐるしているところです。
いろいろ思考があるのですが、飛び交ってて全く形にできないのが残念。

でも振り返ってみれば昨日もある程度変な感じはあったよな、と。
それ以前も振り返ってみれば兆候と思われるものの一つや二つもあったのかもしれない。
ただこの躁転といいますか、変化のきっかけが見つからない。
きっかけが必ずしもあるわけではないのですが、これまでの経験だと季節がトリガーだったので首をかしげざるを得ない状況なのです。

実はこれとは別で自分の精神的健康の維持についてちょっと考えていたこともあって。
最近どうも臨機応変とか新しいものとかにめっぽう弱くなったようなことはないか、ということなのですが。
発病(最初は鬱として)からもう13年ほど経って、薬もある程度機能していて、環境要因も大きく改善し、いろんなスキルなども学び、自分の基礎の精神状態もだいぶ良くなってきたとは思います。
仕事もピアノも家のこともなんとかやってて、その日常の連なりで(多少の変動はあれども)なんとか精神状態の健康を保っているという感じなのですが・・・
どうもその自分がこれなら大丈夫と思える日常のroutineだったりなんだりから外れることに不安を感じるようなところがあるんですよね。

たとえば運転する前の不安だったり、遠出する前の不安、遠出するためにスケジュールをずらしたりすること、新しいパソコンに音楽を入れ直してプレイリストとかがちゃんとなってなくて思ったままに音楽を聴いたり参照できないことへのいらだち、とか。
どれも割と些細なことなんですがね。

やっぱりcomfort zoneは自分の健康を保つためにはある程度必要なのですが(なので今の生活にたどり着けて本当に良かったと思っています)、そのゾーンがちょっと狭まってやしないか?という疑問をここ1週間くらい抱き始めて。
あんまりがちがちにしてしまうと自分の行動の範囲やできることのキャパが狭まるだけではなく、それを外れることに関して不安を感じるようになって、そういう変化は(病院でもらったプリントとかによると)不安障害でやっかいな問題なんですよね。

自分が今時折感じる不安は病的なレベルだとは思わないのですが、その程度、そして不安を感じる条件というかシチュエーションがエスカレートすると不安障害につながりかねないようなことは自覚しているので・・・
来週あたりかな、精神医とのアポで話すつもりではいますが。

それにしてもそれまでこの軽躁状態が続くのは勘弁してほしいです。
いざとなったらセロクエルもありますが、突発的に起こったものなので原因を取り除くことはできないし。
ほんと最近は鬱に悩まされることよりも(比較的頻度が低いにもかかわらず)軽躁に悩まされること、苦痛を感じることが多いです。
何よりも早く「ちゃんと」ピアノが弾きたいです。そして好きに音楽が聴きたいです。


今日の一曲・・・はお休みです。さっきのワーグナー(「ニーベルンクの指輪」のマゼールによる管弦楽版)、それから今ちょろっとやってたマーラー1番のエンディングでちょっと涙ぐんでるのですが前述いろんな思いがぐるぐるすごいスピードで渦巻いて書けない状態なので。
また今度。

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