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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
今日は心身ともにかなり調子が悪いですが一昨日と昨日のコンサートの感想はしっかり書いていきたいと思います。とりあえずまず一昨日のメル響から。
メル響は毎年この季節にMetropolis Festivalといって新しい音楽、それも21世紀の、オーストラリアやメルボルン、たまに世界で初演となるような音楽を演奏したり、今生きて活躍している作曲家をフィーチャーしたりするミニシリーズをやっています。
今年はメル響だけでなくMelbourne Recital Centreと合同で企画してイギリスの作曲家トーマス・アデスを中心に、クラシックとはまた別のジャンルも交えてたくさんのコンサートを展開していたようです。
その中でのこの「Tempest」。プログラムは以下の通りです。
指揮者:トーマス・アデス
ソリスト:Hila Plitmann(ソプラノ)、Penelope Mills(メゾ・ソプラノ)、Toby Spence(テノール)
チャイコフスキー 「The Tempest」
アデス オペラ「The Tempest」一部抜粋
(休憩)
ブリテン 「我らの狩りをする先祖達」
アデス 「Tevot」
・・・ということでシェークスピアの戯曲「The Tempest(テンペスト)」を中心にアデスの音楽、そしてイギリス音楽の先人であるブリテンの音楽を組み合わせたプログラムでした。
テンペストはちょろっと読んだことがあるだけなのですが(学校でやらなかったので)、wikipediaに相関図とあらすじが載っているので後でゆっくり。(英語版の方が詳しいかも)
チャイコフスキーのThe Tempestはざっくり言うと同じチャイコの幻想序曲であるロミジュリと全く同じテンプレートにのっとった曲ですね(汗)展開が似すぎて困るくらい。
でも海や嵐の描写はそれらしいですし(弦楽器の音の多さがすごい!)、あとホルンが結構活躍してました。ちょこちょこかっこいいパッセージが多くて。
アデスのThe Tempestはあくまでもシェークスピアの戯曲を「ベースにした」オペラだそうです。主なテーマを抜き出したり解釈を加えたり現代の言葉にしたりした、という風にプログラムに書いてありました。
最後のファーディナンド(テノール)とミランダ(メゾ・ソプラノ)が愛の力で自由になるシーンの音楽の美しさったら本当に舞台で完全な形として見たいと強く思ったのですが、なにより妖精アリエル(ソプラノ)が凄かった!
もともとアリエルって作中でも性別の解釈が難しいようですが(文にはheとあっても舞台では女性が演じたり)、そんな性別不詳で人間ではない存在であるアリエルをアデスはソプラノのかなり高音域をふんだんに使った、跳躍の激しいパートで表現。
かなり現代音楽的な感じで、叫び声だといえばそれまでなのですが(実際歌詞が英語なのに聞き取れない)、とにかく凄いんですよ。超絶技巧をただ使うのではなく、人間でない、妖精という存在を表現するのにはものすごく効果的だと思いますし、ものすごく納得がいく表現です。
それに実際歌った人がそれを見事に歌い上げましたよ。もう開いた口がふさがらなかったです!なんであんな声が、あんな跳躍ができるんだ!
(ちなみに上記ソプラノの方がこのパートを練習しているところを旦那さんが撮影してアップした動画が見られます。歌のパートだけだとちょっと曲の初印象としては微妙なので必ずしもおすすめしないですが、パートの凄さと彼女の凄さを味わうにはこちら。)
その狂気もすごかったですがブリテンの狂気も凄かったです。「我らの狩りをする先祖」はテノールとオケのための歌曲集(でいいのかな)なのですが、ブリテンの初期の作品にもかかわらずすでに色々確立しててびっくり。
彼の他の作品(特にSinfonia da Requiem)や、親交があったというショスタコとの共通点も見られたり(最終楽章がショスタコの交響曲第14番の最終楽章に似てたり。でもこっちが先なんですよね、時系列的には)。
歌詞は同時代のオーデンという詩人の物だったり、オーデンが現代訳したものだったりがあるのですが唯一Thomas Ravencroftの詩を死の舞踏に仕立てた楽章(Dance of Death (Hawking for the Partridge)) が一番心に刺さりました。
ブリテンもオーデンも反戦的なテーマで作品を書いているのですが(ブリテンに関しては「戦争レクイエム」参照)、特にこの曲での「Rats Away!」では反ユダヤ主義に対して声を上げたりもしていて。
こういうメッセージ性の強い音楽が得意だな、と思うのと同時にブリテンがRats Awayを始め音での風景描写が鮮明ですごいな、と。(戦争レクイエムの手榴弾のくだりとかそうですもんねー)
そして最後にアデスのTevot。去年彼のPolarisを聞いた時にPolaris、以前メル響の演奏で聞いたAsyla、そしてこのTevotが同じようなテーマで書かれた、半分連作みたいな感じになっているという話を読んでからこの曲を聞くのを楽しみにしていました。
TevotはPolarisに似ているところも多かったですが、なんといってもマーラーを感じました。(The Tempestはブリテンの声楽曲やリゲティのLe Grand Macabreを感じましたね)
20分くらいの曲なのですが、オーケストラの響きとか、全体としてのまとまり、流れや壮大さが説明するのは難しいながらもマーラーっぽいところがあり。実際プログラムにマーラーがシベリウスに語った言葉が載っていましたが。
でももしかしたらTevotよりはPolarisの方が聞きやすいかも。Polarisの方が海のイメージとか星空のイメージがつかみやすいか・・・Tevotは途中でものすごく魅力的なリズムに引き込まれたのですが。
録音手に入れてもっと聞きたいですね。
あ、もちろんオケも大活躍でしたよ。バルコニー席でしたがコントラファゴットさんもしっかり聞こえましたし。打楽器、特にマリンバがかっこよかった!縦横無尽の活躍でした。
ということで今回全曲初めて聴く曲で、本当に素晴らしい音楽と出会えてものすごく嬉しかったです。
イギリス音楽好き、20世紀以降音楽好きとしてはたまらなかったですし、狂気の音楽としてもどストライクでした。
かなり刺激が強かったですがこれからもっともっと聞いて親しみたいです。
昨日のコンサートについてはまた明日。
今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 「我らの狩りをする先祖」より「Dance of Death (Hawking for Partridge)」
本当はTevotを紹介したかったのですが文にするのならこっちかな。またTevotは今度ゆっくりいつか。
この曲の歌詞であるHawking for PartridgeというのはThomas Ravencroftという17世紀の詩人の作品で、この曲集のタイトルにあるように「狩り」についての詩です。(英語ですが詩はこちらに)
「我らの狩りをする先祖達」はプロローグとエピローグで「我らの先祖」の事が語られ、そしてその間の3つの楽章が全て「動物」に関する詩となっています・・・・が、それらは「動物」のことでなく、他の事を指しています。
例えば「Rats Away!」(詩:オーデン)は20世紀ヨーロッパに起こった反ユダヤ的な諸々を指していたり。
前述の通りこの「Hawking for Partridge」という詩自体は17世紀に書かれた狩りについての詩なのですが、ブリテンはこの詩を曲にするにあたって、そしてこの曲集に含めるにあたってその詩に新しい意味を持たせています。
例えば詩の中に「German」とか「Jew」という言葉が出てくるのを繰り返したり。
曲をタランテラ=死ぬまで踊り狂う舞踏に仕立てて、死神のバイオリン(とビオラ)を出したり。
こうやってブリテンが曲を仕立てた結果「Murdering kites」まで狩りに使う猛禽類のことではなく戦闘機を連想してしまったりするのが本当に不思議。
そしてタランテラも同じ音型をぐるぐる繰り返すところにつながらない単語の羅列が繰り返されたり、そういうところから生まれる狂気がたまらない!
特に冒頭で歌い手が無伴奏でつぶやくように単語の羅列を「Whurret!」をはさみながら繰り返し、一人で盛り上げていくところは圧巻です。作曲家も歌い手もすごい。
リンクした試聴のところがちょうどタランテラがはっきり現れてる部分なのですが、そういえばイギリスのタランテラって初めてかも。イギリス風だと割とイギリス周りのジーグという踊りに似ていますがね。
そこらへんはまた別のエントリーで。
とにかく死の舞踏、狂気の音楽としてピカ一です。ブリテン好きなのに今まで知らなかったのが悔やまれますが、今回のコンサートで素晴らしい演奏に出会ってよかった。
「我らの狩りをする先祖」はソプラノ版とテノール版がありますがブリテンといえばテノールがやっぱりおすすめかな。ソプラノ版も聞いてみたいです。
今日は心身ともにかなり調子が悪いですが一昨日と昨日のコンサートの感想はしっかり書いていきたいと思います。とりあえずまず一昨日のメル響から。
メル響は毎年この季節にMetropolis Festivalといって新しい音楽、それも21世紀の、オーストラリアやメルボルン、たまに世界で初演となるような音楽を演奏したり、今生きて活躍している作曲家をフィーチャーしたりするミニシリーズをやっています。
今年はメル響だけでなくMelbourne Recital Centreと合同で企画してイギリスの作曲家トーマス・アデスを中心に、クラシックとはまた別のジャンルも交えてたくさんのコンサートを展開していたようです。
その中でのこの「Tempest」。プログラムは以下の通りです。
指揮者:トーマス・アデス
ソリスト:Hila Plitmann(ソプラノ)、Penelope Mills(メゾ・ソプラノ)、Toby Spence(テノール)
チャイコフスキー 「The Tempest」
アデス オペラ「The Tempest」一部抜粋
(休憩)
ブリテン 「我らの狩りをする先祖達」
アデス 「Tevot」
・・・ということでシェークスピアの戯曲「The Tempest(テンペスト)」を中心にアデスの音楽、そしてイギリス音楽の先人であるブリテンの音楽を組み合わせたプログラムでした。
テンペストはちょろっと読んだことがあるだけなのですが(学校でやらなかったので)、wikipediaに相関図とあらすじが載っているので後でゆっくり。(英語版の方が詳しいかも)
チャイコフスキーのThe Tempestはざっくり言うと同じチャイコの幻想序曲であるロミジュリと全く同じテンプレートにのっとった曲ですね(汗)展開が似すぎて困るくらい。
でも海や嵐の描写はそれらしいですし(弦楽器の音の多さがすごい!)、あとホルンが結構活躍してました。ちょこちょこかっこいいパッセージが多くて。
アデスのThe Tempestはあくまでもシェークスピアの戯曲を「ベースにした」オペラだそうです。主なテーマを抜き出したり解釈を加えたり現代の言葉にしたりした、という風にプログラムに書いてありました。
最後のファーディナンド(テノール)とミランダ(メゾ・ソプラノ)が愛の力で自由になるシーンの音楽の美しさったら本当に舞台で完全な形として見たいと強く思ったのですが、なにより妖精アリエル(ソプラノ)が凄かった!
もともとアリエルって作中でも性別の解釈が難しいようですが(文にはheとあっても舞台では女性が演じたり)、そんな性別不詳で人間ではない存在であるアリエルをアデスはソプラノのかなり高音域をふんだんに使った、跳躍の激しいパートで表現。
かなり現代音楽的な感じで、叫び声だといえばそれまでなのですが(実際歌詞が英語なのに聞き取れない)、とにかく凄いんですよ。超絶技巧をただ使うのではなく、人間でない、妖精という存在を表現するのにはものすごく効果的だと思いますし、ものすごく納得がいく表現です。
それに実際歌った人がそれを見事に歌い上げましたよ。もう開いた口がふさがらなかったです!なんであんな声が、あんな跳躍ができるんだ!
(ちなみに上記ソプラノの方がこのパートを練習しているところを旦那さんが撮影してアップした動画が見られます。歌のパートだけだとちょっと曲の初印象としては微妙なので必ずしもおすすめしないですが、パートの凄さと彼女の凄さを味わうにはこちら。)
その狂気もすごかったですがブリテンの狂気も凄かったです。「我らの狩りをする先祖」はテノールとオケのための歌曲集(でいいのかな)なのですが、ブリテンの初期の作品にもかかわらずすでに色々確立しててびっくり。
彼の他の作品(特にSinfonia da Requiem)や、親交があったというショスタコとの共通点も見られたり(最終楽章がショスタコの交響曲第14番の最終楽章に似てたり。でもこっちが先なんですよね、時系列的には)。
歌詞は同時代のオーデンという詩人の物だったり、オーデンが現代訳したものだったりがあるのですが唯一Thomas Ravencroftの詩を死の舞踏に仕立てた楽章(Dance of Death (Hawking for the Partridge)) が一番心に刺さりました。
ブリテンもオーデンも反戦的なテーマで作品を書いているのですが(ブリテンに関しては「戦争レクイエム」参照)、特にこの曲での「Rats Away!」では反ユダヤ主義に対して声を上げたりもしていて。
こういうメッセージ性の強い音楽が得意だな、と思うのと同時にブリテンがRats Awayを始め音での風景描写が鮮明ですごいな、と。(戦争レクイエムの手榴弾のくだりとかそうですもんねー)
そして最後にアデスのTevot。去年彼のPolarisを聞いた時にPolaris、以前メル響の演奏で聞いたAsyla、そしてこのTevotが同じようなテーマで書かれた、半分連作みたいな感じになっているという話を読んでからこの曲を聞くのを楽しみにしていました。
TevotはPolarisに似ているところも多かったですが、なんといってもマーラーを感じました。(The Tempestはブリテンの声楽曲やリゲティのLe Grand Macabreを感じましたね)
20分くらいの曲なのですが、オーケストラの響きとか、全体としてのまとまり、流れや壮大さが説明するのは難しいながらもマーラーっぽいところがあり。実際プログラムにマーラーがシベリウスに語った言葉が載っていましたが。
でももしかしたらTevotよりはPolarisの方が聞きやすいかも。Polarisの方が海のイメージとか星空のイメージがつかみやすいか・・・Tevotは途中でものすごく魅力的なリズムに引き込まれたのですが。
録音手に入れてもっと聞きたいですね。
あ、もちろんオケも大活躍でしたよ。バルコニー席でしたがコントラファゴットさんもしっかり聞こえましたし。打楽器、特にマリンバがかっこよかった!縦横無尽の活躍でした。
ということで今回全曲初めて聴く曲で、本当に素晴らしい音楽と出会えてものすごく嬉しかったです。
イギリス音楽好き、20世紀以降音楽好きとしてはたまらなかったですし、狂気の音楽としてもどストライクでした。
かなり刺激が強かったですがこれからもっともっと聞いて親しみたいです。
昨日のコンサートについてはまた明日。
今日の一曲: ベンジャミン・ブリテン 「我らの狩りをする先祖」より「Dance of Death (Hawking for Partridge)」
本当はTevotを紹介したかったのですが文にするのならこっちかな。またTevotは今度ゆっくりいつか。
この曲の歌詞であるHawking for PartridgeというのはThomas Ravencroftという17世紀の詩人の作品で、この曲集のタイトルにあるように「狩り」についての詩です。(英語ですが詩はこちらに)
「我らの狩りをする先祖達」はプロローグとエピローグで「我らの先祖」の事が語られ、そしてその間の3つの楽章が全て「動物」に関する詩となっています・・・・が、それらは「動物」のことでなく、他の事を指しています。
例えば「Rats Away!」(詩:オーデン)は20世紀ヨーロッパに起こった反ユダヤ的な諸々を指していたり。
前述の通りこの「Hawking for Partridge」という詩自体は17世紀に書かれた狩りについての詩なのですが、ブリテンはこの詩を曲にするにあたって、そしてこの曲集に含めるにあたってその詩に新しい意味を持たせています。
例えば詩の中に「German」とか「Jew」という言葉が出てくるのを繰り返したり。
曲をタランテラ=死ぬまで踊り狂う舞踏に仕立てて、死神のバイオリン(とビオラ)を出したり。
こうやってブリテンが曲を仕立てた結果「Murdering kites」まで狩りに使う猛禽類のことではなく戦闘機を連想してしまったりするのが本当に不思議。
そしてタランテラも同じ音型をぐるぐる繰り返すところにつながらない単語の羅列が繰り返されたり、そういうところから生まれる狂気がたまらない!
特に冒頭で歌い手が無伴奏でつぶやくように単語の羅列を「Whurret!」をはさみながら繰り返し、一人で盛り上げていくところは圧巻です。作曲家も歌い手もすごい。
リンクした試聴のところがちょうどタランテラがはっきり現れてる部分なのですが、そういえばイギリスのタランテラって初めてかも。イギリス風だと割とイギリス周りのジーグという踊りに似ていますがね。
そこらへんはまた別のエントリーで。
とにかく死の舞踏、狂気の音楽としてピカ一です。ブリテン好きなのに今まで知らなかったのが悔やまれますが、今回のコンサートで素晴らしい演奏に出会ってよかった。
「我らの狩りをする先祖」はソプラノ版とテノール版がありますがブリテンといえばテノールがやっぱりおすすめかな。ソプラノ版も聞いてみたいです。
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