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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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明日の話ですがめでたい日なのでフライング
前回のエントリーに拍手ありがとうですー。

以前クラウドファンディング企画にちょっと参加したADOMというゲームですが、あれからプレリリースを重ねバグフィックスや新機能などが追加され、とうとう昨日グラフィックス&BGMを導入したバージョンがリリースされました。
ちょっとだけプレイしてみたのですがなんかそのRPG感が半端ないですね!(笑)これまでもがっつりRPGではあったのですが、なんかこう「らしい」絵と音楽がつくとさらに。
まだまだグラフィックスも楽しみたいのですが、記号表示のときよりも一画面に表示される部分が少ないのでそれがちょっと不便なところもあり。反面HPゲージの表示は本当にありがたい。
これからも遊び込んで行きたいです。まだ開発者さんたちも色々作業を続けてますし、わくわくはまだ終わりじゃないですので。

さて、本題に。
今年はワーグナーの生誕200年で年末にOpera Australiaによる指輪サイクル完全公演だったり世界中で色々盛り上がっています。
が、今年はクラシック音楽に対してもうひとつ大事なイベントのメモリアルイヤーでもあります。
それがストラヴィンスキーの春の祭典初演から100周年!
1913年の5月29日、パリでこのバレエが初めて公演された夜、その踊りと曲の斬新さに観客がヤジを飛ばし、評価する者と批判する者が言い合い暴動に発展した・・・という前代未聞の出来事だったのですが。

春の祭典は単純に暴動が起きたからすごい、というだけの作品ではありません。
ストラヴィンスキーの作品の筆頭にあげられる名曲で、作曲法とか楽器の使い方とかも本当に緻密にできていて、独特の雰囲気とエネルギー、これまでになかったサウンドとBarbaricなキャラクターなど色んな意味で圧倒的な作品です。(そして音楽はもちろん振り付け・衣装なども斬新かつ素晴らしいものです)
分析すればするほどストラヴィンスキーのすごさがわかりますが、普通に聴いただけでもものすごいインパクトのある音楽で、弾くにも個々のパート・オケ全体としてのアンサンブル・指揮者のパートそれぞれの要素が難しく、同時に楽しくて弾きごたえがあるのです。

1913年の初演では暴動が起きましたが、100年経った今は「春の祭典」といえばすっかりオケにとっては定番レパートリーの一つ(バレエだともちょっと公演機会は少ないかな)。聴衆にとっても人気のある曲です。
メルボルンだと1~2年に一回は演奏されてるかな。私も1回弾いたことがあります。
先ほど書いたように難易度は高く、さらにオケの編成で木管楽器・金管楽器が多くて普段使わない楽器なんかも出てきたりするのですがそこらをクリアすればユースオケなんかでも(レベルが高いとこは)弾いたりします。

そんなこんなで春の祭典はなじみのある曲ではあるのですが、100年経っても未だにこの曲は最初に出会った人に驚きをもたらしています。
私は物心ついたころはもうこの曲を普通に知ってたのですが、母や大学の友達などの話を聞くとこの曲を初めて聴いて「本当にこれは音楽なのか」くらい驚いたそうで。
しっかり定番として根付いているけど100年経ってもそんな新鮮さがある。(しかも驚かせるだけでなく聴き続けるごとに、弾くごとにさらなる魅力が発見できる深さがあるので長く愛される)
今もこの曲は一般に人が抱いている「音楽」「クラシック音楽」のイメージをぶち壊すようなものなのです。

そんな春の祭典の初演は音楽史で一つのターニングポイントであり、ここから20世紀が始まるみたいな印象が私にはあります。
その少し前からワーグナー周りで諸々あってロマン派の時代は終わりつつある状態で、音楽はどこに行くんだろうみたいなところはあったのが、春の祭典により一つ新しい扉が開いたようなところがあり(もちろんその前後に開いた扉は色々ありますが)。

その扉が開いてちょうど100年。あの時のような暴動が起こったりすることは(おそらく)なかったですが、だからといってクラシック音楽に春の祭典のような名曲が生まれなくなったわけでも、変化していく勢いがなくなったわけでもありません。
まず音楽のスタイルが多様化して、色んなところから色んな音楽が入ってくるようになって、音楽の拠点も散らばり、人が分散したり、多様性を受け入れやすくなったのもそういうことが起こらなくなった一因です。
クラシック音楽、というのがたくさんの流れの中の一つになり、新しい音楽が作曲され演奏されるのがローカル規模になったというか。

なんだか20世紀になってクラシック音楽が衰退した、いわゆる「オワコン」になったという風に思われているような風潮はありますが、私は必ずしもそうでないと思います。
ストラヴィンスキー以降でも素晴らしい作曲家が斬新な作品をたくさん残していますし、ちょっとモダニズムあたりの時期で迷走もしましたが21世紀もまだまだ素晴らしい作曲家が活躍しています(クラム、アデス、ディーンなど)。
そして彼らが新しく創った作品には本当に驚くことがたくさん。毎回20世紀から21世紀にかけて作曲した新しい曲に出会うたびにクラシック音楽は100年もの間、そして今も静かに進化し続けているな、と思うのです。
(そしてそんな20世紀と21世紀の音楽を生かすのもこの時代の音楽家の仕事だと思います。)

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は自分がずっと聴いてきているという意味でも、自分が主に弾いている20世紀の音楽の源であるという意味でもとっても大事な曲です。
あれからもう100年、同時にまだ100年。曲について、時代について色々考えさせられますが明日はとりあえず「春の祭典」を改めて聴きたいと思います。
みなさんも是非。


今日の一曲: ストラヴィンスキー 「春の祭典」より「敵の部族の遊戯」・「長老の行進」・「長老の大地への口づけ」



ストラヴィンスキーのバレエ、「春の祭典」はロシアの未開地の部族による春の(生け贄を伴う)祭りを表現した作品。
春の祭典は第1部・第2部に分かれていますがこれは第1部の後半。
曲を通じてテンポ・拍子がめまぐるしく変わる曲ですが、この「敵の部族の遊戯」はメロディー(的な音型)にその拍子の変わるのが聞き取りやすいかな。

先ほどオケ編成がでかいと書きましたがWikipediaによるとこんな感じ。だいたい目安は木管楽器の数で、各楽器が5人ずついる春の祭典は「5管編成」。しかもバスクラとかコントラファゴットとかが2本要る。ホルンはワーグナーチューバも含めて8人、ティンパニも2人体制。管に見合うように弦楽器も大人数です。
奏者が多い、ということはでっかい音が出せるというだけでなく、音量を確保しながらより多くのパートに分けて複雑な音楽にできるということ。この部分のスコアを見ると木管それぞれの楽器が3つのパートに分かれてたり、8人のホルンが大きく分けて2つのセクションに分かれてたり。

その複雑さがピークに達するのが「長老の行進」。だいたい4拍子に落ち着いたあたりです。
最初の方は割と優しく、というか一段一段違うパートを重ねていくので耳で追うのがなんとかできるのですが、クライマックスは本当にカオス(ただし完全にコントロールされた)。
スコアでいうと70番なのですが、ほぼ全ての楽器が違うことをしています。大まかな内訳は一小節に音を12個・6個・4個・8個弾くパートがそれぞれあって(ポリリズムですね)、それに繰り返されるメロディーっぽいパート複数と伴奏パート複数をさらに重ねる。
BBCの「春の祭典とポリリズム」に関しての動画を見つけたのですがここの1分10秒くらいからサンプルが聴けます。

一度この部分を打楽器だけが弾いているのを聴いたことあるのですが圧巻でした。(以前ブログに書いてると思います)あれは実際のコンサートでは聴けない貴重な体験ですね。

最後に大地への口づけも短くてものすごく音が小さく聴きとりづらいのですがストラヴィンスキーの天才が見られる箇所。弦のハーモニクスであんな言葉にできない和音を作れるなんて、あの人の頭のなかにはどんな「音」が住んでたんだ!本当にぶっとんだ頭脳と感性を持った人です。

よくは知らないのですがベルリン・フィル、ラトル指揮の録音を見つけたのでリンク。今年は新しい録音もいくつか出てるようなので色んな方向に要注目ですね。

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