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前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
なんだか調子の下降が落ち着いた感じです。前回話したピアノのあれだったり、あとそんなには寒くないのがきいてるかな。
仕事もしばらく分きたので朝もちゃんと起きなきゃ。
さて、昨日はちょっとコンサートに行ってきました。珍しいですが午前中に。
今オーストラリア国立音楽アカデミーでは実技試験でもあるリサイタルの時期。アカデミーには何人か友達がいますがその直接の友達を通して知り合ったビオラの友達のリサイタルがあったので行ってきました。
前もそうでしたが試験とはいえ公共のリサイタルなのでいつも通り紹介。
<ANAM Recital: Katie Yap>
テレマン 幻想曲 第10番(ビオラ無伴奏:原曲はバイオリン曲)
マルティヌー 3つのマドリガル(バイオリンとビオラ)
コダーイ セレナード op.12(バイオリン2台とビオラ)
ブリテン 3つのディヴェルティメント(バイオリン2台、ビオラとチェロ)
なかなかマイナー・・・というかニッチなところを付いたプログラムです。
このプログラムは「1,2,3,4」がテーマになっていて、上に書いたようにビオラ1人からデュエット、トリオ、カルテットと人数が増えていくプログラムになっています。
一応アカデミーでのこういう実技試験は「ソロ・リサイタル」となっていますが室内楽作品を含めるケースも多く、でも今回のプログラムも(ビオラという内声担当の楽器にも関わらず)ビオラを主に聞かせる、という意味でちゃんとビオラのリサイタルなプログラムでした。
ほぼ全てが初めて聞く曲でしたが面白い曲でしたよー。
マルティヌーは大学1年のときにフルート、バイオリンとピアノの作品を聞いてあんまりぴんとこなかったのですが、今回のこのマドリガルで見直しました。いい味してます。
あとコダーイでのビオラパートの活躍すっごいですね。あの渋い低音がごうごう鳴る鳴る。「ハーリ・ヤーノシュ」でも長いビオラのソロがありますが、こちらの方がハンガリーらしいワイルドな感じ。
それから「ディヴェルティメント」って軽妙な小品というイメージがありますが(モーツァルト以来)、ブリテンのディヴェルティメントはもう小さなシンフォニーみたいな雰囲気というかテンションというか、作り込まれた度合いがすごいというか。
そんなプログラムを通じてKatieの音がよかったですね。私とそう変わらない体格でしっかり響くパワフルで豊かな音。音響も味方してましたが元もしっかり。
なにより「健康的」な音という印象でした。作曲家のラインアップから分かるかもしれませんが、必ずしも素直に美しい音ばかりでなく苦み走ってる音もたくさん求められる中で、苦みのある音も気持ちよく心に響くのが聞いててとっても良かったです。
そしてこのプログラムで素晴らしいと思ったのがソロ・デュオ・トリオ・カルテットと楽器編成が変わっていく中でビオラのキャラクター、役割が大きく変わっていくこと。
テレマンでの即興的な自由さ、マルティヌーでのバイオリンと対等に張り合う様子、コダーイで(ソロもあるけど)チェロとはまたひと味違った性質でアンサンブルを下から支える力持ち、そしてブリテンで内声を担当して内側から支えながら他の3人と違う立ち回りをしていたり。
チェロもそうですがビオラも本当に多彩な音でビオラならではの多彩な役割を演じられるんですよ。去年のビオラコンサートでもそれを実感しましたが、今回のプログラムではそれを改めて再確認しました。
(クラシックではマイナーながらも色々活躍しているのでクラシック以外のジャンルでももっと活躍させてあげてほしい!)
本当にこのコンサートではいいものを聴かせてもらいました。ビオラやっぱり大好きです。もちろんipodにも入ってますが生でもちょこちょこ聞きたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ビオラソナタ 第2楽章
ビオラつながりでチョイス。本当はこの曲は自分にとって本当に特別で、好きすぎて聴かないだけでなく曲の存在自体あまり口に出さないくらいな曲です。ものすごーく弾きたいです。
この第2楽章は実際弾いたことがあって、この曲全体を好きになるきっかけになった楽章です。
普通(というかモーツァルトとか古典派以降の伝統的な)ソナタって3楽章編成だと速い→遅い→速いという構成になりますが20世紀になるとそれとは違った楽章構成のソナタも色々出てきます。
ショスタコーヴィチは後期になると交響曲・弦楽四重奏・協奏曲・ソナタなどで第1楽章を遅いテンポにすることが増えるような気がします。
(もちろんショスタコ特有のことではないんですが、なんだかそういう傾向ははっきりしてきてますよね)
それはそれで効果的だったり、意味ありげだったりしてこの時期のショスタコの音楽を考える上で一番わかりやすいスタート地点じゃないかな、と思います。
以前も書いたと思いますがこのビオラソナタはショスタコーヴィチが書いた最後の作品。(これもまたわかりやすいスタート地点ですね)
彼の他の作品と比べるとシンプルで、色んなものが「無い」ように思えますが、その中にも本当にいろいろな思いがあります。
この第2楽章もちょっとどこか不気味なところがあるように思えます。
速い楽章ですがもちろん明るくはなく、含むエネルギーの質もちょっと異様。
何かを掴もうと、感じようとするのが怖くなる何かをはらんでいる曲。
ピアノのパートもそこそこしっかりありますが、なんといってもビオラです。
ビオラしか表現できない世界、というのが本当にあるんだなというのがこの楽章、そしてこのソナタにはたくさんあります。
バイオリンの音はタイトで神経質なところがあって向いてなかったり、逆にチェロだと感情が入って豊かすぎたり。ビオラならではの「虚」があるんですね。
この曲はバシュメットが弾く録音が二つ手持ちにあるんですが、自分で買ったほう(もう一つは友達に借りた)のこの楽章の演奏が面白い。
ものすごーく焦ってる感じなんですよ。テンポが速めで前のめりで、なにかにかき立てられているような。最初弾いててものすごく怖かったです。この曲が向かっているところ=死ですからね。スローで長い第3楽章が次にあるとはいえ、この弾き方はちょっと。
(でもそれがやっぱりこの曲の弾き方・解釈としてはぴったりなことがあって、今ではむしろ好きなのです)
なので今回は試聴はありませんがその録音をリンクします。バシュメットは自分の中ではザ・ビオリストというか。闇とか病みとかの度合いも含めて自分にとってビオラってこんな感じがいいな、と思うところがあります。特にこの曲で。
他にもカシュカシアンの録音、タベア・ツィンマーマンの録音も見つけました。まだまだ他にもありそう。
ブログ本文でもそうですが今日の一曲でも自分が好きな曲であればあるほど空回りしますね。反省。そしてどうか汲んでください(汗)
なんだか調子の下降が落ち着いた感じです。前回話したピアノのあれだったり、あとそんなには寒くないのがきいてるかな。
仕事もしばらく分きたので朝もちゃんと起きなきゃ。
さて、昨日はちょっとコンサートに行ってきました。珍しいですが午前中に。
今オーストラリア国立音楽アカデミーでは実技試験でもあるリサイタルの時期。アカデミーには何人か友達がいますがその直接の友達を通して知り合ったビオラの友達のリサイタルがあったので行ってきました。
前もそうでしたが試験とはいえ公共のリサイタルなのでいつも通り紹介。
<ANAM Recital: Katie Yap>
テレマン 幻想曲 第10番(ビオラ無伴奏:原曲はバイオリン曲)
マルティヌー 3つのマドリガル(バイオリンとビオラ)
コダーイ セレナード op.12(バイオリン2台とビオラ)
ブリテン 3つのディヴェルティメント(バイオリン2台、ビオラとチェロ)
なかなかマイナー・・・というかニッチなところを付いたプログラムです。
このプログラムは「1,2,3,4」がテーマになっていて、上に書いたようにビオラ1人からデュエット、トリオ、カルテットと人数が増えていくプログラムになっています。
一応アカデミーでのこういう実技試験は「ソロ・リサイタル」となっていますが室内楽作品を含めるケースも多く、でも今回のプログラムも(ビオラという内声担当の楽器にも関わらず)ビオラを主に聞かせる、という意味でちゃんとビオラのリサイタルなプログラムでした。
ほぼ全てが初めて聞く曲でしたが面白い曲でしたよー。
マルティヌーは大学1年のときにフルート、バイオリンとピアノの作品を聞いてあんまりぴんとこなかったのですが、今回のこのマドリガルで見直しました。いい味してます。
あとコダーイでのビオラパートの活躍すっごいですね。あの渋い低音がごうごう鳴る鳴る。「ハーリ・ヤーノシュ」でも長いビオラのソロがありますが、こちらの方がハンガリーらしいワイルドな感じ。
それから「ディヴェルティメント」って軽妙な小品というイメージがありますが(モーツァルト以来)、ブリテンのディヴェルティメントはもう小さなシンフォニーみたいな雰囲気というかテンションというか、作り込まれた度合いがすごいというか。
そんなプログラムを通じてKatieの音がよかったですね。私とそう変わらない体格でしっかり響くパワフルで豊かな音。音響も味方してましたが元もしっかり。
なにより「健康的」な音という印象でした。作曲家のラインアップから分かるかもしれませんが、必ずしも素直に美しい音ばかりでなく苦み走ってる音もたくさん求められる中で、苦みのある音も気持ちよく心に響くのが聞いててとっても良かったです。
そしてこのプログラムで素晴らしいと思ったのがソロ・デュオ・トリオ・カルテットと楽器編成が変わっていく中でビオラのキャラクター、役割が大きく変わっていくこと。
テレマンでの即興的な自由さ、マルティヌーでのバイオリンと対等に張り合う様子、コダーイで(ソロもあるけど)チェロとはまたひと味違った性質でアンサンブルを下から支える力持ち、そしてブリテンで内声を担当して内側から支えながら他の3人と違う立ち回りをしていたり。
チェロもそうですがビオラも本当に多彩な音でビオラならではの多彩な役割を演じられるんですよ。去年のビオラコンサートでもそれを実感しましたが、今回のプログラムではそれを改めて再確認しました。
(クラシックではマイナーながらも色々活躍しているのでクラシック以外のジャンルでももっと活躍させてあげてほしい!)
本当にこのコンサートではいいものを聴かせてもらいました。ビオラやっぱり大好きです。もちろんipodにも入ってますが生でもちょこちょこ聞きたいです。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ビオラソナタ 第2楽章
ビオラつながりでチョイス。本当はこの曲は自分にとって本当に特別で、好きすぎて聴かないだけでなく曲の存在自体あまり口に出さないくらいな曲です。ものすごーく弾きたいです。
この第2楽章は実際弾いたことがあって、この曲全体を好きになるきっかけになった楽章です。
普通(というかモーツァルトとか古典派以降の伝統的な)ソナタって3楽章編成だと速い→遅い→速いという構成になりますが20世紀になるとそれとは違った楽章構成のソナタも色々出てきます。
ショスタコーヴィチは後期になると交響曲・弦楽四重奏・協奏曲・ソナタなどで第1楽章を遅いテンポにすることが増えるような気がします。
(もちろんショスタコ特有のことではないんですが、なんだかそういう傾向ははっきりしてきてますよね)
それはそれで効果的だったり、意味ありげだったりしてこの時期のショスタコの音楽を考える上で一番わかりやすいスタート地点じゃないかな、と思います。
以前も書いたと思いますがこのビオラソナタはショスタコーヴィチが書いた最後の作品。(これもまたわかりやすいスタート地点ですね)
彼の他の作品と比べるとシンプルで、色んなものが「無い」ように思えますが、その中にも本当にいろいろな思いがあります。
この第2楽章もちょっとどこか不気味なところがあるように思えます。
速い楽章ですがもちろん明るくはなく、含むエネルギーの質もちょっと異様。
何かを掴もうと、感じようとするのが怖くなる何かをはらんでいる曲。
ピアノのパートもそこそこしっかりありますが、なんといってもビオラです。
ビオラしか表現できない世界、というのが本当にあるんだなというのがこの楽章、そしてこのソナタにはたくさんあります。
バイオリンの音はタイトで神経質なところがあって向いてなかったり、逆にチェロだと感情が入って豊かすぎたり。ビオラならではの「虚」があるんですね。
この曲はバシュメットが弾く録音が二つ手持ちにあるんですが、自分で買ったほう(もう一つは友達に借りた)のこの楽章の演奏が面白い。
ものすごーく焦ってる感じなんですよ。テンポが速めで前のめりで、なにかにかき立てられているような。最初弾いててものすごく怖かったです。この曲が向かっているところ=死ですからね。スローで長い第3楽章が次にあるとはいえ、この弾き方はちょっと。
(でもそれがやっぱりこの曲の弾き方・解釈としてはぴったりなことがあって、今ではむしろ好きなのです)
なので今回は試聴はありませんがその録音をリンクします。バシュメットは自分の中ではザ・ビオリストというか。闇とか病みとかの度合いも含めて自分にとってビオラってこんな感じがいいな、と思うところがあります。特にこの曲で。
他にもカシュカシアンの録音、タベア・ツィンマーマンの録音も見つけました。まだまだ他にもありそう。
ブログ本文でもそうですが今日の一曲でも自分が好きな曲であればあるほど空回りしますね。反省。そしてどうか汲んでください(汗)
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