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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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モネ展+α @NGV
前回のエントリーに拍手どうもですー♪
昨日は珍しく朝早く(6時なのでまだ暗い方角もありました)起きて、友達が仕事に行く前にちょっとシティでお茶しました。

場所はFlinders Street駅のはすむかいにあるメルボルンで2番目に大きい大聖堂、聖ポール大聖堂の敷地内にあるように見える裏の小道にあるLittle Kingというカフェ。目立たないところにあって、割と小さいところなのですが素敵なところでした。
あの時間は会社勤めの方がテイクアウェイでコーヒーを買ったり、というお客さんが多いので実際店の中はそんなにスペース無くても大丈夫っぽいですね。
でも店の中で飲むとマグとか可愛いので出してくれたり内装もささやかなかわいらしさがあったり。チャイはどうやら手作りのブレンド(タッパに入ってた)で、ものすごくおいしかったです。あとバナナブレッドもクルミが入ってて美味しかったです。クルミが入ったパン大好き。
短い時間でしたが話も盛り上がりましたしほっとするところでした。また行こう。

さて、今日は精神科医とのアポ(次は6ヶ月後だそうです。自分でやっていけることに喜ぶべきなのですがちょっと不安もあり)があり、その後にシティをぶらついてきました。
ちょうど今National Gallery of Victoria (NGV) International でモネ展をやっているということで(世間の学校が休みにならないうちに)行ってきました。

モネは19世紀末~20世紀初頭にヨーロッパで起こった芸術のスタイル、「印象派」の芸術家として有名です。
印象派は美術だけの話ではなく、音楽でもそれに相当するスタイルは同時期に生まれ育っています。本場フランスではドビュッシーやラヴェルが有名です。そしてフランス以外だとイタリアのレスピーギ、イギリスのヴォーン=ウィリアムス、ポーランドのシマノフスキとかが「印象派」っぽいと言えるかな。
つまりは音楽での「印象派」は自分の好み・専門どストライクなのです。

もちろん音楽と美術は別物ではあるのですが、時代がかぶっていること、そして表現手法にも通じるもが色々あるというということ、それから美術の印象派の手法もちゃんと理解している自信が全くなかったのでしっかり真面目に勉強・分析みたいな姿勢で見に行きました。

もう1年分の緑色を見た気分です。前も書いてると思うんですがオーストラリア東南部って「本当の緑」が自然に存在しないにも等しいんですよ。モネがよく使う青寄りの緑はだから本当に新鮮。潤い。

やっぱりでもモネの作品を見ていると色の使い方をまず考えさせられて、見た物を自分というフィルターを通してどう絵にするか、というプロセスを考えさせられます(そこのプロセスの違いが印象派がそれ以前の絵画で大きく違うところだそうです)。
「物」を「object」として見るんじゃなくて色の連なり、塊として見るというか。一旦ものを「物」として見ることから始めなきゃいけないんだなあ、と。

それに関してはモネの得意な「睡蓮」をモチーフとした一連の作品(いっぱいあった!そしていっぱい来てた!広間一つほぼ全部睡蓮という部屋があった!)が参考になるんですね。
水に映った景色だったり水に沈んでるものを描く、というのは必然的にものが「物」じゃなくなって、色の塊になる、ということなので上記見方を変えるのが難しいと思ったら水に沈めたものを描く、という手もあるんだな、と。

モネの睡蓮シリーズだったり他の作品で面白いのは同じモチーフを違う光で、例えば夕方の光と朝の光、別の視点で書いてみたりとか割とシステマティックに表現を追求しているように見える部分かな。
新しい表現手法だったから、というのもあると思うんですがそうやって睡蓮の作品を色々みて回るだけで絵には素人の私でもプロセスがわかりやすいというか「なるほどこういう風に考えてるんだ」と思える、という。

そして「物」を「object」として見ない、ということは空は青、雲は白、という見方から純粋に見える色を乗せていく、みたいなことなのですがそれはドビュッシーとかラヴェルよりもむしろメシアンの鳥の声に通じるところが大きいと思います。鳥の声は単旋律、と決めつけず倍音まで聞いて再現して、というところがそのまま。細かい和音のバランスのしかたは乗せる・混ぜる色のバランスに相当したり。

それからモネの晩期の作品がすごかったです。キャンバスに白い部分があったり筆の動きがはっきり見えて粗いようだけれど奥が深い。
前々から音楽家の晩期の作品の変化が面白い、ということはここで書いていますがモネの晩年の作品での変わり様は音楽で色々見てきたのとはまた違う感じで面白かったです。
先ほど物を物としてでなく自分が見たまんま色を乗せていく、というのが極端になったというか。もう「物」がほとんど無いんですよ。うっすら見えるくらい。
で、色が写実的な色からどんどん離れて、実際にこの色ないだろ!っていう色が出てきたり。感覚がものすごくとんがるんでしょうかね、見えないけれど感じる色がよりビビッドになって。
(そういえば統合失調症の患者さんは外的な諸々にものすごく敏感になると聴きましたがそういう患者さんの芸術作品って見えないけど感じる色がいっぱい使われてるような)
晩期にかけた変化、そしてスタイルの分析は改めて時間をかけて反芻したいところです。

色々モネの作品を見て好きだーと思ったものはたくさんありますが、中でも今回「Yellow Iris」が特に好きでした。見上げるアングルとか空の色とか強く印象に残っています。

それから同じくNGV Internationalのロビーのちょっと奥のエリアでフランスの芸術家・作曲家Céleste Boursier-Mougenotの「Clinamen」という作品の展示があったので見に行きました(こちらは無料)。
リンク写真の写真をみると分かると思いますが作品はいたってシンプル。丸いプールに大小色んなサイズの磁器のお皿が浮いています。プールの水は(一箇所から)動くようになっていて、それとともにお皿が動き、ぶつかって音を奏でるというものです。
これはジョン・ケージなどに代表される「偶然の音楽」の考え方を応用した作品で、視覚・聴覚に働きかける形態の芸術でもあります。

ちょうどプールの周りに座るところがあったので足休めにしばらく見て&聴いていましたが割と飽きずに聴いてられました。いい磁器なので(このために特別に作られたんでしょうか)一つ一つの音が良かったり、そして音と音の組み合わせも良い物が聴けて。
ケージとかの実験音楽だったり偶然の音楽だったり、そのアイディアが生まれた時代の作品ってそんなに心に響くものって少なかったり、一般的にも評価がちょっと微妙だったりするのですがこういう作品で、こういう形で展示されているのを見るとそういった芸術に対しても一般に受け入れやすくなったことが感じられますし、そして時と共にスタイルが育ってジャンル内の作品の質も上がったみたいだなあ・・・と思いを馳せたりしていました。改めて偶然の音楽をもっと聴いたり考えたりしてみるべきかも。いいきっかけです。

そして芸術といえば今日QVでランチついでにたまたま入ったSaxonyという服の店でも芸術作品の展示をやっていました。名前からして日本の方っぽい。こういう展示の形式・場所もあるんですね。
実はそこは黒とか灰色とか、あとデザインも自分好みの服を置いてるっぽく。ただお値段が・・・(汗)ケープが素敵だったんだけれど。素敵な黒い服求む。


今日の一曲はお休みです。

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