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相変わらずネットがつながりません。
しかも回復するのがいつかわからないときました。仕事とかほんと不便です。
創作も結構不便です。(ネットで色々見ながら考えを広げてる部分がこんなに多かったとは)
なにより追加のパケット代が大変なので早くなんとかならないかしらん。
こないだメル響からコンサート3つで99ドルのお知らせが来たので3つまとめて予約しましたが、その最初のコンサートが昨日でした。
プログラムは以下の通り:
指揮者:Matthew Coorey
ムソルグスキー 禿げ山の一夜
ハイドン チェロ協奏曲第2番 (チェロ:Pieter Wispelwey)
(休憩)
ムソルグスキー 「ホヴァーンシチナ」序曲
スクリャービン 法悦の詩
実はこのプログラムのリハーサル期間の間に本来指揮するはずだったヤン・パスカル・トルトゥリエが急遽母国に帰らなくちゃいけなかったという事情でこのMatthew Cooreyというオーストラリアの指揮者が代役になったそうです。
その際にコンチェルトがプロコフィエフのSinfonie-Concertanteからハイドンのニ長調に変更になり、それとともに曲の順番も一部変わりました。これはオケだけでなくソリストも大変!でもリスクベネフィットを考えてのことでしょうね(プロコはチェロにとって最難関らしいですが曲もでかくてリハーサル時間が足りなかったと思われます)。
変更後の後半に当たる2曲はそんなに演奏頻度も高くなく、プログラムによると前回メル響が「法悦の詩」を演奏したのは1972年で2度目、ということなので振れる人を探すのも難しかっただろうな。
そんな事情があったわけで今回のコンサートはベストな形ではなかったと思われます。
実際弦を中心にアンサンブルがちょっと崩れてしまうところもありましたし(ただ禿げ山に関してはもともとあのさくさくしたテンポでやるにはちょっと音楽的にもアンサンブル的にも無理があったかも)、あとはオールロシアで普段聴けないような曲(Sinfonie-Concertanteもそうです)が聴ける、そのプログラムとしてのまとまりが聴けなかったのはちょっと残念かな。
ただプログラムが変更になったことで別に貴重な演奏が聴けましたよ。
ハイドンのニ長調といえばチェロの協奏曲の中でも良く聴く、でも難しいところも技巧・音楽性合わせて多々ある曲。優雅さと威風堂々とした雰囲気を兼ね備えた曲で割と素直に弾くと美しさがでるようなところがあるコンチェルトなのですが、昨日の演奏はそんなイメージを窓の外にぽいっとするような奇抜な演奏でした。
とにかく表現がquirky。気まぐれで、自由で、どこか神経質なところがあって。それだけでひょろっとひょうひょうしたジョーカー的なキャラクターができちゃうような。
楽譜に書いてある音を変えてる箇所もありましたし、カデンツァもものすごく変わった感じで、1音1音に意表を突かれるような演奏でした。あと高音の駆使がすごい!
斬新な解釈が聴いてて楽しかったですし、驚きっぱなしなのも楽しかったです。
「ホヴァーンシチナ」序曲は存在すら知らなかった曲ですが面白かったですねー。プログラムによるとオペラの中身はドラマチックなのですが序曲は穏やかなまま終始進むので終わってびっくりしました。
ちなみに今回演奏されたのはリムスキー=コルサコフによる編曲(ショスタコ版もあるそうです)。前述禿げ山もリムスキー=コルサコフによる編曲ですし、「展覧会の絵」もオケに編曲したのはラヴェル、とどうもムソルグスキーはオケ使いに難があるっぽい。でもリムスキーにしろラヴェルにしろ一流のオケ使いが編曲しているあたり元のアイディアの魅力もちゃんとあるんだろうな。
スクリャービンといえばピアノで少なからず弾いている作曲家ですが、ピアノ音楽も割と難解な作曲家なのに、オケ音楽もまた難解、しかもスタイルが全く違うのがまた分からない!という知れば知るほど変な作曲家。
一応「法悦の詩」は(交響曲いくつかとともに)録音を持ってて、聴いたことあるのですが生で聴くのは初めて。ハーモニーとか盛り上がり方、色彩の豊かさとかは確かにスクリャービンで、だけど音が波のように押し寄せて渦巻く感じがあってオーケストレーションとか考える暇が無い。というかずっと「えーっこんな表現!?」と驚くことが多かったです。
スクリャービンのオケ曲って妙にちょっとシュトラウスっぽいところがあるというか、あと躁に傾いている時に触れられたくない神経に触れるところがってちょっと敬遠してたのですが今回聴いてみてもっと分かりたくなりましたね。聴けば聴くほど分からなくなりそうではありますが。
ということで今回のコンサートでは色々驚きました。もちろん良い驚きで。
そして大学以来の友達でちょくちょくメル響でバイオリン弾いてる子がいるのですが、その子にちょっと後で挨拶してきました。彼女は高校のころくらいから慢性疲労症候群を患ってて、病気は違えど慢性的に調子が不安定で特に冬に具合が悪くなりがちなのは私と共通していて、ちょっとそこらへんわかり合えるところがあるのです。お互い「大丈夫~?」みたいに挨拶するのです(笑)
実際具合はそんなに良くなかったようなのですがコンサートで弾けててなにより。私も無理せずがんばらなくちゃ。
そうそう、今年も誕生日はアブサン飲んで祝うことになりました。大変楽しみ。(年一よりも機会を多くしたいです、ほんとは)
今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「禿げ山の一夜」
(ネットがつながらないため録音リンクなし)
おそらく前紹介したけど気にしない。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」もそうですが、この曲も「夜になると魔王がでて配下の魔物と騒ぐ」みたいな話です。子供に夜に外に出ずおとなしく寝なさい、みたいな目的があると考えるとそういうのは万国共通なのかな。魔物のイメージの国による違いとか調べてみるのも面白そうですが。
暗くて派手で騒がしくて、なのがこの曲の主な魅力というか楽しさですが、実は「美しい」部分も多々あるのはもっと知られて欲しいですね。
例えば最後、朝が来て鐘が鳴り、魔物達と魔王が眠りにつくシーンでのクラリネットのソロ、それからそれに続く(同じメロディーを長調で奏でる)フルートのソロはシンプルだけれど本当に綺麗。長く延ばす音の表現がうまいと心にぐんぐんしみいります。
それから曲の中程でちょっと静かになってテンポを落とす部分がありますが(そのセクションに入るところのビオラ達のソロも好きです)、そこの色気が良いですね。ほんの短い間ではありますがロシア音楽らしい妖艶さが見えて。
やっぱりロシア音楽ですし、あと原曲・編曲どちらもこの魔物の禍々しさとかを表現するために色んな音で効果を出しているということもあって、速いと盛り上がるのは分かってるながらもあんまり速すぎるテンポではいけないなあ、と。
ある程度重厚さと暗さが味わえる演奏が一番だと思います。
(私も弾いたことあるんですがそのときにどんな風な演奏だったか覚えてないなあ・・・楽しかったのは確かですね)
今回リンクする録音をゆっくり探すあれがなかったので省きましたが自分の持ってる録音はショルティ&ロンドン交響楽団のWeekend in RussiaというCDでした。でも地元ロシアのオケで聴いてみたいという気持ちも強いです。
しかも回復するのがいつかわからないときました。仕事とかほんと不便です。
創作も結構不便です。(ネットで色々見ながら考えを広げてる部分がこんなに多かったとは)
なにより追加のパケット代が大変なので早くなんとかならないかしらん。
こないだメル響からコンサート3つで99ドルのお知らせが来たので3つまとめて予約しましたが、その最初のコンサートが昨日でした。
プログラムは以下の通り:
指揮者:Matthew Coorey
ムソルグスキー 禿げ山の一夜
ハイドン チェロ協奏曲第2番 (チェロ:Pieter Wispelwey)
(休憩)
ムソルグスキー 「ホヴァーンシチナ」序曲
スクリャービン 法悦の詩
実はこのプログラムのリハーサル期間の間に本来指揮するはずだったヤン・パスカル・トルトゥリエが急遽母国に帰らなくちゃいけなかったという事情でこのMatthew Cooreyというオーストラリアの指揮者が代役になったそうです。
その際にコンチェルトがプロコフィエフのSinfonie-Concertanteからハイドンのニ長調に変更になり、それとともに曲の順番も一部変わりました。これはオケだけでなくソリストも大変!でもリスクベネフィットを考えてのことでしょうね(プロコはチェロにとって最難関らしいですが曲もでかくてリハーサル時間が足りなかったと思われます)。
変更後の後半に当たる2曲はそんなに演奏頻度も高くなく、プログラムによると前回メル響が「法悦の詩」を演奏したのは1972年で2度目、ということなので振れる人を探すのも難しかっただろうな。
そんな事情があったわけで今回のコンサートはベストな形ではなかったと思われます。
実際弦を中心にアンサンブルがちょっと崩れてしまうところもありましたし(ただ禿げ山に関してはもともとあのさくさくしたテンポでやるにはちょっと音楽的にもアンサンブル的にも無理があったかも)、あとはオールロシアで普段聴けないような曲(Sinfonie-Concertanteもそうです)が聴ける、そのプログラムとしてのまとまりが聴けなかったのはちょっと残念かな。
ただプログラムが変更になったことで別に貴重な演奏が聴けましたよ。
ハイドンのニ長調といえばチェロの協奏曲の中でも良く聴く、でも難しいところも技巧・音楽性合わせて多々ある曲。優雅さと威風堂々とした雰囲気を兼ね備えた曲で割と素直に弾くと美しさがでるようなところがあるコンチェルトなのですが、昨日の演奏はそんなイメージを窓の外にぽいっとするような奇抜な演奏でした。
とにかく表現がquirky。気まぐれで、自由で、どこか神経質なところがあって。それだけでひょろっとひょうひょうしたジョーカー的なキャラクターができちゃうような。
楽譜に書いてある音を変えてる箇所もありましたし、カデンツァもものすごく変わった感じで、1音1音に意表を突かれるような演奏でした。あと高音の駆使がすごい!
斬新な解釈が聴いてて楽しかったですし、驚きっぱなしなのも楽しかったです。
「ホヴァーンシチナ」序曲は存在すら知らなかった曲ですが面白かったですねー。プログラムによるとオペラの中身はドラマチックなのですが序曲は穏やかなまま終始進むので終わってびっくりしました。
ちなみに今回演奏されたのはリムスキー=コルサコフによる編曲(ショスタコ版もあるそうです)。前述禿げ山もリムスキー=コルサコフによる編曲ですし、「展覧会の絵」もオケに編曲したのはラヴェル、とどうもムソルグスキーはオケ使いに難があるっぽい。でもリムスキーにしろラヴェルにしろ一流のオケ使いが編曲しているあたり元のアイディアの魅力もちゃんとあるんだろうな。
スクリャービンといえばピアノで少なからず弾いている作曲家ですが、ピアノ音楽も割と難解な作曲家なのに、オケ音楽もまた難解、しかもスタイルが全く違うのがまた分からない!という知れば知るほど変な作曲家。
一応「法悦の詩」は(交響曲いくつかとともに)録音を持ってて、聴いたことあるのですが生で聴くのは初めて。ハーモニーとか盛り上がり方、色彩の豊かさとかは確かにスクリャービンで、だけど音が波のように押し寄せて渦巻く感じがあってオーケストレーションとか考える暇が無い。というかずっと「えーっこんな表現!?」と驚くことが多かったです。
スクリャービンのオケ曲って妙にちょっとシュトラウスっぽいところがあるというか、あと躁に傾いている時に触れられたくない神経に触れるところがってちょっと敬遠してたのですが今回聴いてみてもっと分かりたくなりましたね。聴けば聴くほど分からなくなりそうではありますが。
ということで今回のコンサートでは色々驚きました。もちろん良い驚きで。
そして大学以来の友達でちょくちょくメル響でバイオリン弾いてる子がいるのですが、その子にちょっと後で挨拶してきました。彼女は高校のころくらいから慢性疲労症候群を患ってて、病気は違えど慢性的に調子が不安定で特に冬に具合が悪くなりがちなのは私と共通していて、ちょっとそこらへんわかり合えるところがあるのです。お互い「大丈夫~?」みたいに挨拶するのです(笑)
実際具合はそんなに良くなかったようなのですがコンサートで弾けててなにより。私も無理せずがんばらなくちゃ。
そうそう、今年も誕生日はアブサン飲んで祝うことになりました。大変楽しみ。(年一よりも機会を多くしたいです、ほんとは)
今日の一曲: モデスト・ムソルグスキー 「禿げ山の一夜」
(ネットがつながらないため録音リンクなし)
おそらく前紹介したけど気にしない。
ストラヴィンスキーの「火の鳥」もそうですが、この曲も「夜になると魔王がでて配下の魔物と騒ぐ」みたいな話です。子供に夜に外に出ずおとなしく寝なさい、みたいな目的があると考えるとそういうのは万国共通なのかな。魔物のイメージの国による違いとか調べてみるのも面白そうですが。
暗くて派手で騒がしくて、なのがこの曲の主な魅力というか楽しさですが、実は「美しい」部分も多々あるのはもっと知られて欲しいですね。
例えば最後、朝が来て鐘が鳴り、魔物達と魔王が眠りにつくシーンでのクラリネットのソロ、それからそれに続く(同じメロディーを長調で奏でる)フルートのソロはシンプルだけれど本当に綺麗。長く延ばす音の表現がうまいと心にぐんぐんしみいります。
それから曲の中程でちょっと静かになってテンポを落とす部分がありますが(そのセクションに入るところのビオラ達のソロも好きです)、そこの色気が良いですね。ほんの短い間ではありますがロシア音楽らしい妖艶さが見えて。
やっぱりロシア音楽ですし、あと原曲・編曲どちらもこの魔物の禍々しさとかを表現するために色んな音で効果を出しているということもあって、速いと盛り上がるのは分かってるながらもあんまり速すぎるテンポではいけないなあ、と。
ある程度重厚さと暗さが味わえる演奏が一番だと思います。
(私も弾いたことあるんですがそのときにどんな風な演奏だったか覚えてないなあ・・・楽しかったのは確かですね)
今回リンクする録音をゆっくり探すあれがなかったので省きましたが自分の持ってる録音はショルティ&ロンドン交響楽団のWeekend in RussiaというCDでした。でも地元ロシアのオケで聴いてみたいという気持ちも強いです。
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