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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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メシアン ~et moi~
今日はまあ練習でラヴェルとメシアンの調子が良かったです。
本当に好きで、自分の一部のように自然にくる音楽は(音楽的にです。指が回るかといえば回りません(笑))調子が良いと本当にテンションが急上昇して大変楽しかったですわ。

昔はでも先日話しましたようにメシアンが嫌いでした。
14歳くらいの時にピアノコンペで弾かれてたのを聴いてまあ嫌いになって。
今でもなんでそれくらいの歳(コンペの類はセクションごとに年齢制限があるのできっと同年代のはず)にメシアンを弾かせてさらにコンペにそれで望むというのが謎なんですが・・・
で、そのまま聴かずで嫌いだと思い込み。

大学に入ってから先生が「日本の作曲家の音楽を弾いたらどうか」というので武満徹の「遮られない休息」を弾くこととなり。全くの試行錯誤、わからないことだらけの日々で、自分が何を弾いているのか、それが音楽的に正しいのか、なにをするべきなのかまったくわからなくて、それでもいつか何かが身につくようになって。

「遮られない休息」を弾き終わったとき、武満が影響を受けたメシアンの音楽がどんなものなのか知りたくなって、改めてチャレンジしてみようと思い、先生の薦めで「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」を手に取ったわけです。

今までに「20のまなざし」のうち14曲(今弾いているのも併せて)、リズムエチュード1曲、「鳥のカタログ」から2曲・・・だけですかね、弾いているのは。
とりあえずこれからも20のまなざしはコンプリートするのが目標ですし、その他の曲もなるべく弾きたいですし・・・前奏曲に関してはまだ1曲も弾いてません。あれは聴いた印象よりも結構難しいぽいです。

メシアンの音楽は長調・短調とは違う調のシステムを使ったり、いろいろと曲のシンボリズムやリズムのシステムなどオリジナルな物が多いので、図書室やネットでそういうことの基本が書いてある本を読んだり、あとタイトルや楽譜内の指示などを片っ端からフランス語辞書で弾いたり。
そして「20のまなざし」を弾くと決めたとき大学の図書室からユヴォンヌ・ロリオ、ロジェール・ムラロ、そしてマイケルの録音を借りて(後にミシェル・ベロフの録音も買いました)いろんな解釈の違いを聞き比べたり、ハーモニーの色彩を頭にたたき込んだり。

大学のピアノの一番偉い先生はあんまり自分の弾いている曲の習い始めに別の演奏家の録音を聴かないよう言いますが・・・解釈などどうしても影響を受けてしまう、というのがその理由らしく。
でも、メシアンなど現代音楽はいくら聴いてもあんまり影響を受けるようなことはあんまりなく(自然と自分の道を行ってしまう)、それに目で複雑なコードを読むよりも耳で(音の色彩で)覚えてあとは手の形の筋肉の記憶で確かな物にする方が確実だったので。

そうこうして最初は慣れないエリアだったのが努力でいつしかカンが聞くようになってきて。
一見不協和音と思える和音もメシアンが感じていたのにはかないませんが独特の色彩を感じられるようになり、リズムも自然と感じられるようになり。
大学でもメシアン弾きとして知られるようになり、マイケルからも直々レッスンを受けたりして。

私もマイケルも無神論者なのにメシアンの音楽にはものすごく惹かれるのが不思議なところ。(マイケルは私の知っている人のなかで一番そっちに傾いてます)
音楽は文化だけではなく信仰の違いも超えるんですね。(もちろんそれをオープンに受け入れる心も重要ですが)

本当に大事な物に、自分に近しい音楽にこの数年でなりました。
今年再開するまで1年以上ピアノから離れていても、あまりレベルを後退することなく、実際ピアノから離れる前次弾いてもいいかなと思っていた曲から再開できたのは本当にうれしかったです。(他の作曲家はそうはいかなかったですからね)
ああ、覚えていたんだこの感じ、忘れずに自分のどこかにちゃんと自分の一部として残っていたんだ・・・と。
なんせ先日話したとおりメシアンの音楽は私にとって「恋人」の様なもの。
ドラマや漫画や小説でよくきく台詞ですが、本当に心から「今度こそは離しません」と誓いました。

もちろん1年以上離れていた前に弾いていた曲はちゃんとそのうち復習しなきゃ弾けるとはいえませんしね。
実は初見よりも長い間離れていた曲を再開するのが苦手だったりするので・・・

いま「20のまなざし」の中の第15番「幼子イエスの口づけ」を弾いていますが今日やっと「あとちょっと!」と思える様になったので実はもう次に何を弾こうか楽しみで(笑)取らぬ狸の皮算用とはいいますが楽しみにすることは良いことだと思いますし♪
「20のまなざし」から小さめの曲で1個新しいの、1個前弾いたのを弾くというのがプラン1。

今年の誕生日プレゼントは両親に「鳥のカタログ」の第3巻を買ってもらおうかと思います。
前弾いた「モリヒバリ」をもう一回弾いたり、新しく「モリフクロウ」(実物かわいいですね、モリフクロウ!掛川花鳥園に居ましたよ!)を弾いたりがちょうどいいかなーなんと思ったり。

大学在学中と同じくらいメシアン中心の生活をおくりたいなあ~と願ってます♪

今日は私とメシアンの音楽のつながりの話だけでこれだけ書いてしまったのでまた別の機会にメシアンの音楽そのものについてちゃんと話したいと思います。


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第15曲「幼子イエスの口づけ」



自分が実際に所有しているベロフの演奏を選んでみました~♪演奏もさながらこのCDジャケットも素敵です。

15番は・・・この20のまなざしで主として使われている「神の主題」をもっとも音楽的に豊かに応用した曲。
第1番みたいにストレートに使ってるとあんまり楽しくないのですが(!)この曲はそういうメカニックスもちゃんとしながら音楽的にもとても美しく、動く宗教画のように描かれた素敵な音楽です。

物語の様になっているこの曲、若くして神に仕えそして若くして亡くなった「幼きイエスのテレジア」との異名を持つリジューの聖テレジアの自伝にあるエピソードから来ています。
幼子イエスの眠り、子守歌を表す「眠り」の箇所から、同じ音楽で動きを増し、そしてイエスが扉を開けた向こうにある「庭」、そして「差し出された腕」による抱擁、神の愛に満ちた「口づけ」とその後「口づけの影」・・・
かぎかっこでくくったタイトルは実際に楽譜のそれぞれのセクションに書き入れてあり、まるで映画のコンテのような楽譜でもあります。

本当にロマンチックなんですよ。最初の子守歌の安らかさからの徐々な盛り上がりもそうですし、「口づけ」のところの天国的な高揚もそうですし、でも一番私が好きなのは最後の「口づけの影」の余韻の美しさ。

一応宗教音楽なので罰当たりなことは言いたくないんですがなんか曲の構成的に夜の営みに似たところがあると思います。メシアンの音楽では聖なる高揚というかそういうものがよくあるんですが結構そのロマンチックないろいろと重なるところもあるので聴くときにあんまり宗教音楽として構えないで聴いて欲しいですね。

もうちょっとで弾けるようになるこの曲、これからもがんばっていきたいです♪

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