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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
あれから元気にポケモン育成はげんでおります。ウルガモス2匹(正確にはウルガモスとメラルバ)を努力値の振り方を変えて使い勝手・用途がある程度異なるようにとの試み。
あのタウンマップだと家の近くだっていうけど意外と遠い変な場所でもらったタマゴが孵ったメラルバはメスだったのでニックネームを「Alexandra」に(ニコライ2世の奥さんから)、そしてこだいのしろで捕まえたウルガモスはオスだったので悩んだ結果「Akhenaten」(ツタンカーメンの父のファラオから)と名付けました。「A」の音が似合うんですよね。ブラック2で出会ったら(あとタマゴで増やしたら)またAのついた王族の名前にしたいです。インド、タイ周りでまだありそう。
さて、今日は日本から荷物が着きましたので頼んだCD3枚を聞いて一人で楽しんでいるところです。ちょっと興奮し気味かも。
今回手元に来たのはface to ace「a new day」、平沢進「点呼する惑星」、そして滝本晃司「カタチ」。先ほどご飯の準備&ご飯食べながら最初の2枚を聞いて、今は3枚目をちょうど聞いているところ。
もうあれですね、新しい音楽に出会うのはいつも楽しくて素晴らしい。感極まっています。なのでこないだからたまってる分も合わせてゆっくりこちらでも紹介していきます。きっと。
最近ちょっと・・・というか随分長いことオンオフありで考えてきたことなのですが、英語のボキャブラリーに関して今日はちょっとだけ書きたいと思います。
医薬翻訳の仕事でもある程度は意識しているけれど、どっちかというと創作だったり日常で英語を書いたり話したり読んだりすることの方が強く意識することで。
小学校6年生のときだったかな、こっちに来て1年くらいたって小学校でネイティブの人が読むような本もだんだん読めるようになって、友達や先生の言ってることもだいぶ(雰囲気込みですが)分かるようになり。
そんなときのぼんやりした記憶の中に先生達(6年生は2クラスが半分合同でいつも授業してたのでした)が教えてくれたこと、というのがいくつか残っていて。その中の一つが「goとかgetとかそういうgenericな言葉はなるべく文を書くとき使うのを避けるように」ということでした。
つまり同じ「行く」というニュアンスがある言葉でも、goでなくwalkとかstrollとかrushとか、様子をより正確に表し、読み手が想像しやすくする言葉を使うこと、という教え。
もちろん6年生時点でそれを実行するには私にはちょっと無理な部分も多かったですが、英語で文を書く能力が高まって、それからいろんな機会で文を書くことが多くなるにつれてじわじわと意識して実行するようになってきたことです。先生達ありがとう。
Go=行く、でなくwalk=歩いて行く、stroll=ぶらぶら歩く、rush=急いで行くだったり。
Think=考える、でなくponder=考えをめぐらす、meditate=熟考する、reflect=思い返すだったり。
翻訳するにも文を1から書くにも「ニュアンス」まで伝える表現の正確さ(またでたぞこのフレーズ!)というのは大切だと思うし、英語日本語関係なくもっと重きを置いた方がいいんじゃないのかなあ、と思うのです。
で、そういう(名詞でなく特に上記動詞などで)表現のレパートリー、ボキャブラリーを広げるには何よりも小説を読むことなんじゃないのかな、と思います。
英語を学ぶにおいて英語の本(絵本から子供向けの本、ヤングアダルトフィクション、小説全般全部ひっくるめて)を読むことの大切さって知られてるんだろうか、とよく思います。
(技術翻訳においても科学論文だったり翻訳しようとしている分野で使われている文書を読むのは大切ですが)
ちなみにうちの両親は今でも英語の本を読むことで英語の色々を維持していたりしているようです。
「英語を勉強する」ということについては一度母に話を聞いてみるのが一番かもしれませんね。母はオーストラリアにいる間に(私達のように学校教育ではなく)英語やそのほかオーストラリアの文化を勉強する、色んな国籍の大人達が集まる教室に通ってたこともあったので。それから本も読んでるので。
で、このボキャブラリーに関してあくまで私としては真剣に(でも楽しく考えていた)話もうひとつ。
「おっぱい」を表す英語とそれに対応する日本語、考えてみるとなかなか難しい。
Twitterにつぶやいたのを引用すると:
自分のイメージだとTits=乳、Boobies=おっぱい、Boobs=胸、Breast=胸、Chest=胸・・・あらら(汗)。ちなみに胸筋はPecks。男性の胸が(筋肉でなく)ふくらんでいるのはMan-boobsといいます(なかなかこたえる言葉なので多用はしないほうがいい)
・・・となります。
ちなみに「おしり」を表す英語とそれに対応する日本語、だと:
Bottom=お尻、Bum=おしり、Butt=尻、Ass=尻、Arse=ケツ、Rear=ケツ、Behind=お尻?、Booties=お尻?、Gluteal=臀筋、Buttocks=尻の肉・・・なのかな。?マークをつけたのはかなりニュアンスが違う気がする。
この「ニュアンスの違いによる違和感ともどかしさ」というのが現れやすいのがこういう口語というか、スラングというかなのかもしれませんねえ。映画とか小説の翻訳やってたら転がり回ってたわー(汗)
ということで何が言いたいかというと日本語も英語も他のどんな言語でもやっぱり自分が書く文、言葉のニュアンスとか表現の正確さ、そして正確に表現するためのレパートリーとしてのボキャブラリーについて考えを広げてみるのも大事だし意外と楽しいよ、ということです。
ついでに言えば鬱を始め気分障害や不安障害だったり、はたまた身体的な痛みとかの症状に関してもドクターになるべく正確に伝えることってものすごく大切です。むしろこれは別のエントリーを立てるべきかな。考えておきます。
今日の一曲: トーマス・アデス オペラ「Powder Her Face」の舞踏組曲より「終曲」
正式には「Dances from Powder Her Face」で舞踏組曲ではないかも(汗)序曲・ワルツ・終曲のうちの最後の曲です。
アデスのオペラは以前シェークスピアをモチーフにした「The Tempest」を紹介していますがあちらは古典作品の解釈であるのに対してこちらは20世紀の実話(しかも主人公が亡くなったのは作曲のわずか2年前)を元にしているオペラ。op.番号からして「Asyla」と同時期かな?
元になっているというのがアーガイル公爵夫人マーガレットの離婚を巡ったスキャンダル。どうも様々な男性との不倫関係が問題になったらしいのですが、なんかさすが20世紀というか写真がいっぱい出てきているようで。英語版wikipediaで裸に真珠のネックレス、くらいならまあいいじゃんと思って読み進めたら「....oh(汗)」な内容で。
(写真が残るってやっぱインパクトありますよね。もっと昔の上流階級のスキャンダルとか絵で描いてた時代とかじゃなかなか考えられない。今はインターネットやソーシャルネットワークでさらに流出しやすくなった時代なんであれですが)
まあそういうあらすじなので内容、そして音楽も色っぽいです。特にこの「終曲」の妖しさったらたまらない!
元々アデスの音楽って澄んだ空気のような透明さがあって、このオペラも大編成のオケを使いながらも不思議な軽さがあって(バイオリン、クラリネット辺りの音が特徴的)、色気があるところもべたつかなく、下品にならない洗練された感じがあるのがすごい。
アデスの得意な闇の低音+透明な高音のギャップがここでも味わえます。
古典のスタイルであれ都会風のスタイルであれ、なんでも自分のものにしてしまうアデスの器用さ、そしてアデスの手でしか形作れないような絶妙なスタイルが本当に大好きです。あと彼の他の作品ではあんまりみられないセクシーさは貴重。この3つのダンスだけなら聞きにくいことはないと思うので是非是非聞いてみてください。
同じCDに収録されてる新古典派作品Three Studies after Couperinもさらに聞きやすいですし、ちょっとチャレンジならTevotも名曲。
あれから元気にポケモン育成はげんでおります。ウルガモス2匹(正確にはウルガモスとメラルバ)を努力値の振り方を変えて使い勝手・用途がある程度異なるようにとの試み。
あのタウンマップだと家の近くだっていうけど意外と遠い変な場所でもらったタマゴが孵ったメラルバはメスだったのでニックネームを「Alexandra」に(ニコライ2世の奥さんから)、そしてこだいのしろで捕まえたウルガモスはオスだったので悩んだ結果「Akhenaten」(ツタンカーメンの父のファラオから)と名付けました。「A」の音が似合うんですよね。ブラック2で出会ったら(あとタマゴで増やしたら)またAのついた王族の名前にしたいです。インド、タイ周りでまだありそう。
さて、今日は日本から荷物が着きましたので頼んだCD3枚を聞いて一人で楽しんでいるところです。ちょっと興奮し気味かも。
今回手元に来たのはface to ace「a new day」、平沢進「点呼する惑星」、そして滝本晃司「カタチ」。先ほどご飯の準備&ご飯食べながら最初の2枚を聞いて、今は3枚目をちょうど聞いているところ。
もうあれですね、新しい音楽に出会うのはいつも楽しくて素晴らしい。感極まっています。なのでこないだからたまってる分も合わせてゆっくりこちらでも紹介していきます。きっと。
最近ちょっと・・・というか随分長いことオンオフありで考えてきたことなのですが、英語のボキャブラリーに関して今日はちょっとだけ書きたいと思います。
医薬翻訳の仕事でもある程度は意識しているけれど、どっちかというと創作だったり日常で英語を書いたり話したり読んだりすることの方が強く意識することで。
小学校6年生のときだったかな、こっちに来て1年くらいたって小学校でネイティブの人が読むような本もだんだん読めるようになって、友達や先生の言ってることもだいぶ(雰囲気込みですが)分かるようになり。
そんなときのぼんやりした記憶の中に先生達(6年生は2クラスが半分合同でいつも授業してたのでした)が教えてくれたこと、というのがいくつか残っていて。その中の一つが「goとかgetとかそういうgenericな言葉はなるべく文を書くとき使うのを避けるように」ということでした。
つまり同じ「行く」というニュアンスがある言葉でも、goでなくwalkとかstrollとかrushとか、様子をより正確に表し、読み手が想像しやすくする言葉を使うこと、という教え。
もちろん6年生時点でそれを実行するには私にはちょっと無理な部分も多かったですが、英語で文を書く能力が高まって、それからいろんな機会で文を書くことが多くなるにつれてじわじわと意識して実行するようになってきたことです。先生達ありがとう。
Go=行く、でなくwalk=歩いて行く、stroll=ぶらぶら歩く、rush=急いで行くだったり。
Think=考える、でなくponder=考えをめぐらす、meditate=熟考する、reflect=思い返すだったり。
翻訳するにも文を1から書くにも「ニュアンス」まで伝える表現の正確さ(またでたぞこのフレーズ!)というのは大切だと思うし、英語日本語関係なくもっと重きを置いた方がいいんじゃないのかなあ、と思うのです。
で、そういう(名詞でなく特に上記動詞などで)表現のレパートリー、ボキャブラリーを広げるには何よりも小説を読むことなんじゃないのかな、と思います。
英語を学ぶにおいて英語の本(絵本から子供向けの本、ヤングアダルトフィクション、小説全般全部ひっくるめて)を読むことの大切さって知られてるんだろうか、とよく思います。
(技術翻訳においても科学論文だったり翻訳しようとしている分野で使われている文書を読むのは大切ですが)
ちなみにうちの両親は今でも英語の本を読むことで英語の色々を維持していたりしているようです。
「英語を勉強する」ということについては一度母に話を聞いてみるのが一番かもしれませんね。母はオーストラリアにいる間に(私達のように学校教育ではなく)英語やそのほかオーストラリアの文化を勉強する、色んな国籍の大人達が集まる教室に通ってたこともあったので。それから本も読んでるので。
で、このボキャブラリーに関してあくまで私としては真剣に(でも楽しく考えていた)話もうひとつ。
「おっぱい」を表す英語とそれに対応する日本語、考えてみるとなかなか難しい。
Twitterにつぶやいたのを引用すると:
自分のイメージだとTits=乳、Boobies=おっぱい、Boobs=胸、Breast=胸、Chest=胸・・・あらら(汗)。ちなみに胸筋はPecks。男性の胸が(筋肉でなく)ふくらんでいるのはMan-boobsといいます(なかなかこたえる言葉なので多用はしないほうがいい)
・・・となります。
ちなみに「おしり」を表す英語とそれに対応する日本語、だと:
Bottom=お尻、Bum=おしり、Butt=尻、Ass=尻、Arse=ケツ、Rear=ケツ、Behind=お尻?、Booties=お尻?、Gluteal=臀筋、Buttocks=尻の肉・・・なのかな。?マークをつけたのはかなりニュアンスが違う気がする。
この「ニュアンスの違いによる違和感ともどかしさ」というのが現れやすいのがこういう口語というか、スラングというかなのかもしれませんねえ。映画とか小説の翻訳やってたら転がり回ってたわー(汗)
ということで何が言いたいかというと日本語も英語も他のどんな言語でもやっぱり自分が書く文、言葉のニュアンスとか表現の正確さ、そして正確に表現するためのレパートリーとしてのボキャブラリーについて考えを広げてみるのも大事だし意外と楽しいよ、ということです。
ついでに言えば鬱を始め気分障害や不安障害だったり、はたまた身体的な痛みとかの症状に関してもドクターになるべく正確に伝えることってものすごく大切です。むしろこれは別のエントリーを立てるべきかな。考えておきます。
今日の一曲: トーマス・アデス オペラ「Powder Her Face」の舞踏組曲より「終曲」
正式には「Dances from Powder Her Face」で舞踏組曲ではないかも(汗)序曲・ワルツ・終曲のうちの最後の曲です。
アデスのオペラは以前シェークスピアをモチーフにした「The Tempest」を紹介していますがあちらは古典作品の解釈であるのに対してこちらは20世紀の実話(しかも主人公が亡くなったのは作曲のわずか2年前)を元にしているオペラ。op.番号からして「Asyla」と同時期かな?
元になっているというのがアーガイル公爵夫人マーガレットの離婚を巡ったスキャンダル。どうも様々な男性との不倫関係が問題になったらしいのですが、なんかさすが20世紀というか写真がいっぱい出てきているようで。英語版wikipediaで裸に真珠のネックレス、くらいならまあいいじゃんと思って読み進めたら「....oh(汗)」な内容で。
(写真が残るってやっぱインパクトありますよね。もっと昔の上流階級のスキャンダルとか絵で描いてた時代とかじゃなかなか考えられない。今はインターネットやソーシャルネットワークでさらに流出しやすくなった時代なんであれですが)
まあそういうあらすじなので内容、そして音楽も色っぽいです。特にこの「終曲」の妖しさったらたまらない!
元々アデスの音楽って澄んだ空気のような透明さがあって、このオペラも大編成のオケを使いながらも不思議な軽さがあって(バイオリン、クラリネット辺りの音が特徴的)、色気があるところもべたつかなく、下品にならない洗練された感じがあるのがすごい。
アデスの得意な闇の低音+透明な高音のギャップがここでも味わえます。
古典のスタイルであれ都会風のスタイルであれ、なんでも自分のものにしてしまうアデスの器用さ、そしてアデスの手でしか形作れないような絶妙なスタイルが本当に大好きです。あと彼の他の作品ではあんまりみられないセクシーさは貴重。この3つのダンスだけなら聞きにくいことはないと思うので是非是非聞いてみてください。
同じCDに収録されてる新古典派作品Three Studies after Couperinもさらに聞きやすいですし、ちょっとチャレンジならTevotも名曲。
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