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前回のエントリーに拍手どうもですー♪
最近新しいCDも3枚全部聞き終わってなんとか頭の中・心の中でそれぞれの曲がそれぞれのところに落ち着くのを待っている、消化反芻のプロセス中。色々気に入った曲があったのもあるのですがまだ若干興奮状態で、音楽に過敏?に反応しては知ってる曲も知らない曲も新しい曲もそうでない曲も歌い出す、という状態(メル響でブリテンとアデス聞いて以来続いているあれですがねー)。
音楽を聞くだけで亡く感じたい、というのはもちろんですが積極的に噛み砕いて紹介したい欲の現れかな。
この元気とアウトプット欲が物書きに回ればなあ!(苦笑)(ピアノでは十分できてると思います)
さて、こないだ「自分の伝えたいことをより正確に伝えるためのボキャブラリー」について話したとき、書いてる途中で「これメンタルヘルス関係で結構大事じゃね」みたいな気がしてたので今回ちょっとまとめてみることにしました。
ただし、完全に中間品です(汗)以前書いたと思いますがメンタルヘルス関係のトピックはものすごくしっかり考えることが必要ですが、同時に書きたいと思った時の勢いを時と共に無くすとそれはそれで書けなくなっちゃうんですよね。
結論から先に言いますと、身体の調子にしろ心の調子にしろ、普段からなるべく的確な言葉で表現できるようにしておく、というのは自分の状態を把握する予防・維持ケアとしても、そしてお医者さんに行ったときになるべく的確に対応できるよう、という目的にも有意義ですよ、ということ。
特に鬱状態とか、それから身体的に大きな痛みがあったりとかだと冷静に自分・状況を判断、分析、表現する能力ががくっと下がるので、普段から底上げしておくことは大切。
自分の状態を把握する、表現するといっても色んな側面があって、意識してないとぼんやりした像しかできないので、なんとか把握・表現しやすいように仕立てる必要があり。
なので英語でいう「5W1H」に分けるとわかりやすいかなー、と。
つまり:
Who(誰が)(シチュエーションによって省略可)
What(何を)(何に対して)
When(いつ)(なにをきっかけにして、どんな状況でなど解釈は広げられる)
Where(どこで)(シチュエーションによって省略したりWhenとかぶったり)
Why(なぜ)
How(どう)
をそれぞれ明確にすること。
例えば不安症状に関してWhen/Whereが大事になってきたり、各項目のウェイトや意味合いはケースによって結構変わるかな。
それからメンタルヘルス以外でもピアノの練習をするときだとか(どこに問題があってどう解決するのか自分で分析する)、それからピアノを教える時にも役立ちそうなテンプレート。
特に上記の中でもWhyとHowは明確にするのが比較的難しく、びしっと正確に言葉で表すのも難しい。ただ、それだけ重要なエレメントでもあります。
Whyはでもその場で短く言葉にまとめるような項目でない(色々掘り起こしたり認めたりして時間をかけて形にしていく)。そして前述ボキャブラリー、言語表現が大事になってくるのがHowのエレメントなのです。
例えば同じ「抑鬱状態」と言われる状態でも、抱えている感情は様々。人によっても違いますし(それは本人の感じ方もそうですし、他から見ての現れ方も)、一人の患者さんでも時によって色んな「鬱」の種類を感じます。
その時によって、というのも病状で長い間患ってる間に変化していくものだったり、ただころころ変わるものだったり。
でもどっちにしろその変化を把握することで、その人の状態についてある程度のヒントが得られたり、状態・経過を分析することができる。
ちょっと今の段落迷走しましたが、例えば同じ程度の鬱状態でも、重苦しい鬱の気持ちが空っぽな鬱に変わったり、そういう質的な変化を自覚すること、伝えることは大切だと思うのです。そのために普段から自分の状態を把握・分析して言葉にする習慣をつけておく、表現するボキャブラリーを身につけておく。
そのためには必ずしもこういうテンプレートでなくてもいいわけですし、もっと言えば表現する手段は「言葉」に限らなくてもいいと思います。
私のドクターは私の認知行動療法の一貫として私が時その時で好きな曲、弾きたく(聴きたくなる)曲、それから書きたくなる創作の性質から自分の状態・自分の心を分析する、ということをおしえてくれました。
自分にとってはhowのところで言葉で表すより、曲にたとえたほうが正確さが増します。例えば同じ鬱でもマーラー5番の第1楽章の感じとショスタコの弦楽四重奏第15番の感じでは全然違う、という表現の仕方。実際鬱状態に関する音楽の好みはその病状というか性質によってだいぶ変わってるようで。
他には色や形に例えるのがしっくり来る人もいれば、動きだったり着る服だったり、そういったもので表す方が上手く行くと思う人もいる。
言葉ではないですが、これもまた自分の状態を表す「ボキャブラリー」だと思っています。
で、こうやって的確に表現する手段を確立することによって、何か変化があったら気づいてお医者さんに伝えることもできますし、お医者さんとのアポでのコミュニケーションを効率的にしたり、あときちんと伝えることでアポ終わりすっきりできたり。
それから調子が上向きになってることに気づくと嬉しいですしね。あとある程度自分で把握しているという感覚、自分でちょっとでもケアできる感覚もほっとします。
メンタルヘルス分野の治療って薬ももちろんありますが患者さん側も何もしないわけではなく。自分をケアするためにすることが色々あるのですが、やりすぎちゃいけないし、何をやればいいか分からない場合も多いです。
そういう時にこういう風に噛み砕いてアプローチするのは有用なんじゃないのかな-・・・と治療を受けた経験として思うんです。
ということであくまでもまだ考え途中ですがまとめてみました。
メンタルヘルス界隈の話も書くの好きなんでまた考えることができたら書きたいと思います。
今日の一曲: ヤニス・クセナキス 「エヴリアリ」
こないだiTunes Storeでダウンロードしたクセナキスのピアノ作品集のCDから。
そもそもクセナキスを聴くようになったきっかけって(今年ですが)ちょっと覚えてなくて。どっか経由でようつべのクセナキス演奏を聴いて、そのなかでこのエヴリアリを「これだ!」と直感的に思ったのが直接のきっかけ。
以前も書きましたがクセナキスはギリシャの作曲家でメシアンの弟子にあたる立ち位置。
数学や建築にも造形が深く、メシアンの勧めもありそれらの分野を音楽に生かし、数学的なグラフを音楽に起こす(で正しいのかな)作法で音楽を書いた面白い人です。
ギリシャで音楽・数学と言えばピタゴラス。ピタゴラスは西洋音楽での和音や音階の元の理論を作った人なのである意味クセナキスで一周して戻ってきたような感覚がありますね。
クセナキスのピアノ独奏曲って片手で数えられるくらいしかなくて、そのほとんどがこのエヴリアリみたいな複雑な現代音楽ばりばりな音楽で。正直曲同士の違いもなんとなーくしか分からないのですが、でもこのエヴリアリはなにか特別感じるものがありました。
おそらくその直感的に特別感じるもの、というのは冒頭のリズム。クラシックでいうシンコペーションのような、私に比較的親しみのある感じのリズムになんとか手が届いて握ることができた、みたいな感覚。
やっぱり一般的にカオスに聞こえる現代音楽ではとっかかりが印象に大きく影響するんだな、と改めて実感。
こないだピーターにクセナキス弾いたことあるか尋ねたら「弾こうとは思っていたけど弾かずに数年」との話で。私も一応このエヴリアリが弾きたいと思ってるのですが(ピーター曰く「簡単簡単」だそうですが絶対そんなことはない!)、この突発的な好きを大事にしながら数年かけて思考面、そして音楽面をじっくり詰めていきたいと思ってます。
(その間にピアノ以外の曲にも親しんでいければなあ)
今回購入した録音は日本人のピアニストによる演奏なのですが、クセナキスを録音してる人って日本人が結構いるみたいですね。(名を連ねられるかな?)
実際クセナキスも日本、そして日本の作曲家と縁が深かったらしくどこか縁を感じずにはいられないです。
とりあえず冒頭を逃さないように聴いてみてください。同じCDには聞きやすい「ピアノのための6つの歌」も収録されています。
最近新しいCDも3枚全部聞き終わってなんとか頭の中・心の中でそれぞれの曲がそれぞれのところに落ち着くのを待っている、消化反芻のプロセス中。色々気に入った曲があったのもあるのですがまだ若干興奮状態で、音楽に過敏?に反応しては知ってる曲も知らない曲も新しい曲もそうでない曲も歌い出す、という状態(メル響でブリテンとアデス聞いて以来続いているあれですがねー)。
音楽を聞くだけで亡く感じたい、というのはもちろんですが積極的に噛み砕いて紹介したい欲の現れかな。
この元気とアウトプット欲が物書きに回ればなあ!(苦笑)(ピアノでは十分できてると思います)
さて、こないだ「自分の伝えたいことをより正確に伝えるためのボキャブラリー」について話したとき、書いてる途中で「これメンタルヘルス関係で結構大事じゃね」みたいな気がしてたので今回ちょっとまとめてみることにしました。
ただし、完全に中間品です(汗)以前書いたと思いますがメンタルヘルス関係のトピックはものすごくしっかり考えることが必要ですが、同時に書きたいと思った時の勢いを時と共に無くすとそれはそれで書けなくなっちゃうんですよね。
結論から先に言いますと、身体の調子にしろ心の調子にしろ、普段からなるべく的確な言葉で表現できるようにしておく、というのは自分の状態を把握する予防・維持ケアとしても、そしてお医者さんに行ったときになるべく的確に対応できるよう、という目的にも有意義ですよ、ということ。
特に鬱状態とか、それから身体的に大きな痛みがあったりとかだと冷静に自分・状況を判断、分析、表現する能力ががくっと下がるので、普段から底上げしておくことは大切。
自分の状態を把握する、表現するといっても色んな側面があって、意識してないとぼんやりした像しかできないので、なんとか把握・表現しやすいように仕立てる必要があり。
なので英語でいう「5W1H」に分けるとわかりやすいかなー、と。
つまり:
Who(誰が)(シチュエーションによって省略可)
What(何を)(何に対して)
When(いつ)(なにをきっかけにして、どんな状況でなど解釈は広げられる)
Where(どこで)(シチュエーションによって省略したりWhenとかぶったり)
Why(なぜ)
How(どう)
をそれぞれ明確にすること。
例えば不安症状に関してWhen/Whereが大事になってきたり、各項目のウェイトや意味合いはケースによって結構変わるかな。
それからメンタルヘルス以外でもピアノの練習をするときだとか(どこに問題があってどう解決するのか自分で分析する)、それからピアノを教える時にも役立ちそうなテンプレート。
特に上記の中でもWhyとHowは明確にするのが比較的難しく、びしっと正確に言葉で表すのも難しい。ただ、それだけ重要なエレメントでもあります。
Whyはでもその場で短く言葉にまとめるような項目でない(色々掘り起こしたり認めたりして時間をかけて形にしていく)。そして前述ボキャブラリー、言語表現が大事になってくるのがHowのエレメントなのです。
例えば同じ「抑鬱状態」と言われる状態でも、抱えている感情は様々。人によっても違いますし(それは本人の感じ方もそうですし、他から見ての現れ方も)、一人の患者さんでも時によって色んな「鬱」の種類を感じます。
その時によって、というのも病状で長い間患ってる間に変化していくものだったり、ただころころ変わるものだったり。
でもどっちにしろその変化を把握することで、その人の状態についてある程度のヒントが得られたり、状態・経過を分析することができる。
ちょっと今の段落迷走しましたが、例えば同じ程度の鬱状態でも、重苦しい鬱の気持ちが空っぽな鬱に変わったり、そういう質的な変化を自覚すること、伝えることは大切だと思うのです。そのために普段から自分の状態を把握・分析して言葉にする習慣をつけておく、表現するボキャブラリーを身につけておく。
そのためには必ずしもこういうテンプレートでなくてもいいわけですし、もっと言えば表現する手段は「言葉」に限らなくてもいいと思います。
私のドクターは私の認知行動療法の一貫として私が時その時で好きな曲、弾きたく(聴きたくなる)曲、それから書きたくなる創作の性質から自分の状態・自分の心を分析する、ということをおしえてくれました。
自分にとってはhowのところで言葉で表すより、曲にたとえたほうが正確さが増します。例えば同じ鬱でもマーラー5番の第1楽章の感じとショスタコの弦楽四重奏第15番の感じでは全然違う、という表現の仕方。実際鬱状態に関する音楽の好みはその病状というか性質によってだいぶ変わってるようで。
他には色や形に例えるのがしっくり来る人もいれば、動きだったり着る服だったり、そういったもので表す方が上手く行くと思う人もいる。
言葉ではないですが、これもまた自分の状態を表す「ボキャブラリー」だと思っています。
で、こうやって的確に表現する手段を確立することによって、何か変化があったら気づいてお医者さんに伝えることもできますし、お医者さんとのアポでのコミュニケーションを効率的にしたり、あときちんと伝えることでアポ終わりすっきりできたり。
それから調子が上向きになってることに気づくと嬉しいですしね。あとある程度自分で把握しているという感覚、自分でちょっとでもケアできる感覚もほっとします。
メンタルヘルス分野の治療って薬ももちろんありますが患者さん側も何もしないわけではなく。自分をケアするためにすることが色々あるのですが、やりすぎちゃいけないし、何をやればいいか分からない場合も多いです。
そういう時にこういう風に噛み砕いてアプローチするのは有用なんじゃないのかな-・・・と治療を受けた経験として思うんです。
ということであくまでもまだ考え途中ですがまとめてみました。
メンタルヘルス界隈の話も書くの好きなんでまた考えることができたら書きたいと思います。
今日の一曲: ヤニス・クセナキス 「エヴリアリ」
こないだiTunes Storeでダウンロードしたクセナキスのピアノ作品集のCDから。
そもそもクセナキスを聴くようになったきっかけって(今年ですが)ちょっと覚えてなくて。どっか経由でようつべのクセナキス演奏を聴いて、そのなかでこのエヴリアリを「これだ!」と直感的に思ったのが直接のきっかけ。
以前も書きましたがクセナキスはギリシャの作曲家でメシアンの弟子にあたる立ち位置。
数学や建築にも造形が深く、メシアンの勧めもありそれらの分野を音楽に生かし、数学的なグラフを音楽に起こす(で正しいのかな)作法で音楽を書いた面白い人です。
ギリシャで音楽・数学と言えばピタゴラス。ピタゴラスは西洋音楽での和音や音階の元の理論を作った人なのである意味クセナキスで一周して戻ってきたような感覚がありますね。
クセナキスのピアノ独奏曲って片手で数えられるくらいしかなくて、そのほとんどがこのエヴリアリみたいな複雑な現代音楽ばりばりな音楽で。正直曲同士の違いもなんとなーくしか分からないのですが、でもこのエヴリアリはなにか特別感じるものがありました。
おそらくその直感的に特別感じるもの、というのは冒頭のリズム。クラシックでいうシンコペーションのような、私に比較的親しみのある感じのリズムになんとか手が届いて握ることができた、みたいな感覚。
やっぱり一般的にカオスに聞こえる現代音楽ではとっかかりが印象に大きく影響するんだな、と改めて実感。
こないだピーターにクセナキス弾いたことあるか尋ねたら「弾こうとは思っていたけど弾かずに数年」との話で。私も一応このエヴリアリが弾きたいと思ってるのですが(ピーター曰く「簡単簡単」だそうですが絶対そんなことはない!)、この突発的な好きを大事にしながら数年かけて思考面、そして音楽面をじっくり詰めていきたいと思ってます。
(その間にピアノ以外の曲にも親しんでいければなあ)
今回購入した録音は日本人のピアニストによる演奏なのですが、クセナキスを録音してる人って日本人が結構いるみたいですね。(名を連ねられるかな?)
実際クセナキスも日本、そして日本の作曲家と縁が深かったらしくどこか縁を感じずにはいられないです。
とりあえず冒頭を逃さないように聴いてみてください。同じCDには聞きやすい「ピアノのための6つの歌」も収録されています。
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