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前回のエントリーに拍手どうもですー♪
あの後「ポケナガ」ゆっくり進めています。まだシステム・機能など把握できてないですし、なんといってもブショーの名前がローマ字表記で頭に入りにくい!
とりあえずなんとなーく進んでいる感じ。
あと細かいところですが出陣して砂煙が走っていくのが三国志VIと同じというかコーエーらしいというか。親しみがある表現です。
今日はとにかく息苦しかったです。
最近胃酸がまた悪さしてるな、とは思ってたのですが低気圧のせい、寝てる間~起床時の寒さもあり、今日はピアノに差し障るほどの息苦しさでした。
一応胃の薬も再開して(吸引ステロイドもやらなきゃ)、みかん・グレープフルーツジュースも控えて、風が強いので外に出ないようにしたり、それからなるべく寝転がらないように気をつけたりはしてるのですが。
特にピアノやってるときは気分が高ぶるのでそれとともに息苦しさも増すのが悩み。
ピアノって管楽器や声楽みたいに呼吸が直接音になる楽器ではないですが、それでも呼吸は大切。
弾いていてものすごく呼吸を意識する、ということはないですが演奏への影響は心に留めてますし、こういうふうに呼吸が乱れるとその影響はよーくわかります。
息の長さ・深さもそうですし、吸ってる途中で息がつまるのもそう。かなり演奏が左右されます。
でもそれを除けばリサイタルのプログラムはだんだんと詰められてきてるかな。
もちろん大きく改善したり変わったりすることはほとんどといってないですが、ちょっとずつ良くなってきてるところだったり、ちょっとずつ楽になってきてることだったり。
それでもまだ大きな問題もあります。
例えば「ダイシャクシギ」で霧があたりに立ちこめ夜が来る場面。大学で弾いたときもその部分だけ暗譜できなかったのですが、今回も苦戦中。この部分は本当にパターンとか全くなくて、一部分ずつ毎日、何回も繰り返し楽譜を見たり見なかったりしながら暗譜しています。
あとイソヒヨドリを始め技巧的に指が回らない(またはたまに回らなくなる)ところも目をそらさずしっかり練習したり。
あとは音楽的な諸々も。
ラフマニノフのop.39-8は最近「ゼラチンの量を調節する」という表現がぴったりくる練習をしています。流れるように、柔らかく、でもあんまりぐだぐだに流れてしまわないように。
それから「間の取り方」ももちょっと余裕があればなあ。
先ほど書いた呼吸に合わせる、というのもありますが鳥カタの場合外の鳥の声に耳を傾けてタイミングをとってみたり、なんてのもやってます。
ただ「ダイシャクシギ」はまた違って、ただひたすら自分の頭の中で海の波の音を聴いてるのが効く様子。
こういう実験も楽しいのですが、なんせ技巧的にも暗譜的にも余裕がないとできないこと。
特に暗譜で苦戦してるときってこれまで技巧・音楽どっちの面でも積み上げてきたことが一旦後退するところがあり。なかなか心にもこたえます。
でも一旦暗譜してしまうと楽譜を見て弾いてる時以上に音楽がしっかり身についてる感覚、自由に動かせる感覚がある・・・というのはあくまでも個人の感想ですが。
今はとりあえず7月19日の学校での演奏があるのでプログラム全体についてはちょっと考えられずにいます。
ただ思うのは、やっぱりこの計14曲(だったかな)は絵にまつわるタイトルが付いてないのも含めて絵画っぽいところがあるな、と。
自然の鮮やかさ、繊細さ、そして渋い色彩を描いた複数の画家の風景画を集めた展示みたいな印象があります。
それなりに曲調にもバラエティがあるプログラムだと思ってるのですが、長く弾いてるとどうしても「プログラムに欠けてるもの」へのcravingが出てくるんですよね。
今のcravingを単純に表すと炎、闇、そして人工超秩序/カオス(紙一重)。だからアデスの音楽、Carl Vineの音楽、それからこないだ届いた平沢進の音楽が特にこのcravingに当てはまるようで。
といっても今弾いてる曲達に飽きたとかそういう話ではないんですよね。ただ一昨年のダフニスとクロエの時の聖飢魔II割合アップといい、聴く音楽でバランスをとろうというメカニズムはやっぱりあるんだな、と実感しています。
毎日ピアノもやりたいしやんなきゃいけないのですが、これから1週間自分のバースデーディナー&ドリンクがあったり(夕飯ちゃんと食べられるか!?ばたばたしているんですが!)、あと在外投票にもいかなきゃいけない。仕事ももちろんある。
地味に全方向に忙しくなってしまいましたが忙しすぎ・飲み過ぎ・胃酸過多には気をつけようと思います。
今日の一曲はお休みです。
あの後「ポケナガ」ゆっくり進めています。まだシステム・機能など把握できてないですし、なんといってもブショーの名前がローマ字表記で頭に入りにくい!
とりあえずなんとなーく進んでいる感じ。
あと細かいところですが出陣して砂煙が走っていくのが三国志VIと同じというかコーエーらしいというか。親しみがある表現です。
今日はとにかく息苦しかったです。
最近胃酸がまた悪さしてるな、とは思ってたのですが低気圧のせい、寝てる間~起床時の寒さもあり、今日はピアノに差し障るほどの息苦しさでした。
一応胃の薬も再開して(吸引ステロイドもやらなきゃ)、みかん・グレープフルーツジュースも控えて、風が強いので外に出ないようにしたり、それからなるべく寝転がらないように気をつけたりはしてるのですが。
特にピアノやってるときは気分が高ぶるのでそれとともに息苦しさも増すのが悩み。
ピアノって管楽器や声楽みたいに呼吸が直接音になる楽器ではないですが、それでも呼吸は大切。
弾いていてものすごく呼吸を意識する、ということはないですが演奏への影響は心に留めてますし、こういうふうに呼吸が乱れるとその影響はよーくわかります。
息の長さ・深さもそうですし、吸ってる途中で息がつまるのもそう。かなり演奏が左右されます。
でもそれを除けばリサイタルのプログラムはだんだんと詰められてきてるかな。
もちろん大きく改善したり変わったりすることはほとんどといってないですが、ちょっとずつ良くなってきてるところだったり、ちょっとずつ楽になってきてることだったり。
それでもまだ大きな問題もあります。
例えば「ダイシャクシギ」で霧があたりに立ちこめ夜が来る場面。大学で弾いたときもその部分だけ暗譜できなかったのですが、今回も苦戦中。この部分は本当にパターンとか全くなくて、一部分ずつ毎日、何回も繰り返し楽譜を見たり見なかったりしながら暗譜しています。
あとイソヒヨドリを始め技巧的に指が回らない(またはたまに回らなくなる)ところも目をそらさずしっかり練習したり。
あとは音楽的な諸々も。
ラフマニノフのop.39-8は最近「ゼラチンの量を調節する」という表現がぴったりくる練習をしています。流れるように、柔らかく、でもあんまりぐだぐだに流れてしまわないように。
それから「間の取り方」ももちょっと余裕があればなあ。
先ほど書いた呼吸に合わせる、というのもありますが鳥カタの場合外の鳥の声に耳を傾けてタイミングをとってみたり、なんてのもやってます。
ただ「ダイシャクシギ」はまた違って、ただひたすら自分の頭の中で海の波の音を聴いてるのが効く様子。
こういう実験も楽しいのですが、なんせ技巧的にも暗譜的にも余裕がないとできないこと。
特に暗譜で苦戦してるときってこれまで技巧・音楽どっちの面でも積み上げてきたことが一旦後退するところがあり。なかなか心にもこたえます。
でも一旦暗譜してしまうと楽譜を見て弾いてる時以上に音楽がしっかり身についてる感覚、自由に動かせる感覚がある・・・というのはあくまでも個人の感想ですが。
今はとりあえず7月19日の学校での演奏があるのでプログラム全体についてはちょっと考えられずにいます。
ただ思うのは、やっぱりこの計14曲(だったかな)は絵にまつわるタイトルが付いてないのも含めて絵画っぽいところがあるな、と。
自然の鮮やかさ、繊細さ、そして渋い色彩を描いた複数の画家の風景画を集めた展示みたいな印象があります。
それなりに曲調にもバラエティがあるプログラムだと思ってるのですが、長く弾いてるとどうしても「プログラムに欠けてるもの」へのcravingが出てくるんですよね。
今のcravingを単純に表すと炎、闇、そして人工超秩序/カオス(紙一重)。だからアデスの音楽、Carl Vineの音楽、それからこないだ届いた平沢進の音楽が特にこのcravingに当てはまるようで。
といっても今弾いてる曲達に飽きたとかそういう話ではないんですよね。ただ一昨年のダフニスとクロエの時の聖飢魔II割合アップといい、聴く音楽でバランスをとろうというメカニズムはやっぱりあるんだな、と実感しています。
毎日ピアノもやりたいしやんなきゃいけないのですが、これから1週間自分のバースデーディナー&ドリンクがあったり(夕飯ちゃんと食べられるか!?ばたばたしているんですが!)、あと在外投票にもいかなきゃいけない。仕事ももちろんある。
地味に全方向に忙しくなってしまいましたが忙しすぎ・飲み過ぎ・胃酸過多には気をつけようと思います。
今日の一曲はお休みです。
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