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前回のエントリーに拍手ありがとうございました~
低調のため休んでいたら次のコンサートの感想になってしまいました。
今回行ってきたのは大学時代の友達のリサイタル@Melbourne Recital Centre(Salon)。
彼はイギリスを拠点にして演奏したりしてるのですが年一くらいのペースでこっちに戻ってきてるみたいで、戻ってきてるときはコンサートを開いたりもしています。
ピアニストとしての彼の話はちょっと後で。今回のプログラムはこんな感じでした。
<Tristan Lee Piano Recital>
ピアノ:Tristan Lee
ワーグナー/リスト 「リエンツィ」の主題による小幻想曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第15番 「田園風」
ワーグナー/リスト 「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛の死」
(休憩)
ブラームス ピアノソナタ第3番
見ての通りドイツ音楽尽くしのプログラム。かなりヘヴィーでした!ただそれがよかった!
今回演奏した彼はオージー基準でも背が高く、というか身体が大きくて手も大きく、在学中からパワフルな演奏が特徴的でした。卒業してからは繊細な方向の表現もぐーんと広がって、それも存分に楽しめたプログラムでした。
前半だと聞いてて安心するベートーヴェンもよかったのですがなんといっても「愛の死」が素晴らしかったです。元のオケ版は聴いたことありますが、ピアノで聴くのは始めて。むしろピアノの方がいいような所も。
とにかく美しくて(エンディング!)、そしてワーグナー独特の音楽と時の流れがものすごく自然に感じられて、これぞ音楽の神髄!みたいに思う音楽で。ふと独り占めしたくなる演奏でした。
私はブラームスの音楽が大好きだということは何回かここでも書いてますが、ブラームスの3つのピアノソナタは全く未履修で(でかくて弾けない、というのも一つの理由ですが)。
今回演奏された第3番が最後のピアノソナタなのですが作品番号はop.5 、20歳のときの作品です。つまりこのブログで言及があったどの作品よりずっと早い時期の作品。交響曲第1番を書き始めるより前。
そんな背景を知るとなかなか面白い曲です。ベートーヴェンの初期の作品にちょっと似た、挑戦的なハーモニーの変化とか音楽の展開だったり、照れないストレートな表現だったり。それとともにピアノという楽器には収まりきらない巨大な、後に交響曲というジャンルで開花したような表現が見られたり。
ほんっと難しい曲なんですが、素晴らしい演奏でしたし、曲に対するものすごい愛を感じました。特に第2楽章。
先ほども彼の体格について書きましたが彼と私とは体格も演奏のスタイルも得意とするレパートリーも対照的な、かなりタイプの違うピアニストで。でも在学中から彼も私の演奏を高く評価してくれて、私も彼の演奏を高く評価していて。
だから特に今回のリサイタルでは自分にはとうてい真似できない、敵わないとこがいっぱいあったのですが、だからといって嫉妬したり真似しようとしたりとかはないんですよね。
自分がピアノを弾いてて支えになる、そして学ぶところが多いのは偉大な奏者よりも身近なライバル・同志が大きいんだと改めて思いました。
私が思うところの彼の演奏全般での長所というのはぎっしりパワーに満ちて、どっしりした、そしてゆるぎない安定感だと思います。私の演奏には欠けているエレメント。
ただその裏返しとして、安定な故にどこか音楽がstaticになってしまうというか、不平衡力による動力、momentumの流れが欠けているという印象もあります(愛の死ではそうでもなかったのですが)。
そんな演奏から学ぶことももちろん多いですが、コンサート後で飲みながら話して学ぶことも多く。
ピアノを弾くにあたってどれだけ音を正確に弾くかではなく、自由な音楽表現を追求したい、という話になるのは今回に限ったことではなく。大学を離れてから複数のピアニスト友達が語っていることなんですよね。大学の教育にも原因があるっぽいんですが。
そこら辺、あと自分が思うことについては次回ちょっとエントリーを割いて書ければなあ、と思ってます。
それから今回のリサイタルで知り合った友達の友達でダンスの歴史を研究している人に会ったのですが、その人はバレエ・リュス辺りが専門だそうでびっくり(今のリサーチトピックは別みたいですが)。
バレエ・リュスについて、そして今それを研究することについてたくさん興味深い話がきけました。そして彼女の話によるとバレエ業界が19世紀に逆戻りしていて、レパートリーや振り付けのスタイルなどあらゆる方向でそういう傾向だそうです。バレエ・リュスで切り開いたものが元に戻って、そしてバレエ・リュスの素晴らしい作品が演じられない、と彼女も懸念していました。
バレエ・リュスも好きですが、そういう懸念も私のクラシック音楽(現代音楽)についての思いと似てい共感しました。
そのほかにも色んな人と初めて・久しぶりに出会って、音楽のマニアックな話から革製パンツの話まで色んな話をしました。結果タクシーで家に帰るくらい遅く居てしまいましたがたまには良いですよね。
バレエ・リュスの話が出ましたがもうちょっとしたらメル響のストラヴィンスキー祭り。是非春の祭典に行きたいのでチケット予約せねば。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ピアノソナタ第3番 第2楽章
聴いただけじゃ意外とキャッチできなかった部分も多いので(弾くことは全く考えてないのですが)今度スコアをさらわなきゃ。
このピアノソナタ第3番は全部で5楽章編成、なんと演奏時間40分。ジャンル・作曲家は違えど同じ5楽章編成の、前回紹介したマーラー5番みたいに一つ一つの楽章のキャラが立ってる作品です。(それだけでなくてマーラーの音楽に通じるところ、言葉で説明できないレベルであるんですよねー)
その中でもスローで長い、ロマンチックな第2楽章が今回の演奏で一番印象に残りました。
ブラームスの後期の作品に通じる暖かい人間的な音楽なのですが、あふれるようなロマンチシズム、想像の自由さなど若々しいところも多々あり。
ちょっと青臭いながらも内気さなどもあって、それもまた暖かい目で見てしまう。
面白いなーと思ったのはエンディングでなかなか終わってくれないこと。ブラームスの音楽ってちょくちょくそういうことがあるのですが、この曲でのエンディングは恋人同士の電話で自分から切れなくて延々と話しちゃうあれに通じるようなところがあると思います。私だけでしょうか。
若さとか感情とか、ロマンとか、人の心とか、そういったものひっくるめて素晴らしいなあ、愛しいなあと思わせる曲です。
若いころを振り返って素直な心で聴きたいですね。
リンクしたのはジュリアス・カッチェンのブラームスピアノ曲全集。20代から60代まで、ブラームスの人間と音楽を味わえるCD6枚組。いいなあ欲しいなあ。
低調のため休んでいたら次のコンサートの感想になってしまいました。
今回行ってきたのは大学時代の友達のリサイタル@Melbourne Recital Centre(Salon)。
彼はイギリスを拠点にして演奏したりしてるのですが年一くらいのペースでこっちに戻ってきてるみたいで、戻ってきてるときはコンサートを開いたりもしています。
ピアニストとしての彼の話はちょっと後で。今回のプログラムはこんな感じでした。
<Tristan Lee Piano Recital>
ピアノ:Tristan Lee
ワーグナー/リスト 「リエンツィ」の主題による小幻想曲
ベートーヴェン ピアノソナタ第15番 「田園風」
ワーグナー/リスト 「トリスタンとイゾルデ」より「イゾルデの愛の死」
(休憩)
ブラームス ピアノソナタ第3番
見ての通りドイツ音楽尽くしのプログラム。かなりヘヴィーでした!ただそれがよかった!
今回演奏した彼はオージー基準でも背が高く、というか身体が大きくて手も大きく、在学中からパワフルな演奏が特徴的でした。卒業してからは繊細な方向の表現もぐーんと広がって、それも存分に楽しめたプログラムでした。
前半だと聞いてて安心するベートーヴェンもよかったのですがなんといっても「愛の死」が素晴らしかったです。元のオケ版は聴いたことありますが、ピアノで聴くのは始めて。むしろピアノの方がいいような所も。
とにかく美しくて(エンディング!)、そしてワーグナー独特の音楽と時の流れがものすごく自然に感じられて、これぞ音楽の神髄!みたいに思う音楽で。ふと独り占めしたくなる演奏でした。
私はブラームスの音楽が大好きだということは何回かここでも書いてますが、ブラームスの3つのピアノソナタは全く未履修で(でかくて弾けない、というのも一つの理由ですが)。
今回演奏された第3番が最後のピアノソナタなのですが作品番号はop.5 、20歳のときの作品です。つまりこのブログで言及があったどの作品よりずっと早い時期の作品。交響曲第1番を書き始めるより前。
そんな背景を知るとなかなか面白い曲です。ベートーヴェンの初期の作品にちょっと似た、挑戦的なハーモニーの変化とか音楽の展開だったり、照れないストレートな表現だったり。それとともにピアノという楽器には収まりきらない巨大な、後に交響曲というジャンルで開花したような表現が見られたり。
ほんっと難しい曲なんですが、素晴らしい演奏でしたし、曲に対するものすごい愛を感じました。特に第2楽章。
先ほども彼の体格について書きましたが彼と私とは体格も演奏のスタイルも得意とするレパートリーも対照的な、かなりタイプの違うピアニストで。でも在学中から彼も私の演奏を高く評価してくれて、私も彼の演奏を高く評価していて。
だから特に今回のリサイタルでは自分にはとうてい真似できない、敵わないとこがいっぱいあったのですが、だからといって嫉妬したり真似しようとしたりとかはないんですよね。
自分がピアノを弾いてて支えになる、そして学ぶところが多いのは偉大な奏者よりも身近なライバル・同志が大きいんだと改めて思いました。
私が思うところの彼の演奏全般での長所というのはぎっしりパワーに満ちて、どっしりした、そしてゆるぎない安定感だと思います。私の演奏には欠けているエレメント。
ただその裏返しとして、安定な故にどこか音楽がstaticになってしまうというか、不平衡力による動力、momentumの流れが欠けているという印象もあります(愛の死ではそうでもなかったのですが)。
そんな演奏から学ぶことももちろん多いですが、コンサート後で飲みながら話して学ぶことも多く。
ピアノを弾くにあたってどれだけ音を正確に弾くかではなく、自由な音楽表現を追求したい、という話になるのは今回に限ったことではなく。大学を離れてから複数のピアニスト友達が語っていることなんですよね。大学の教育にも原因があるっぽいんですが。
そこら辺、あと自分が思うことについては次回ちょっとエントリーを割いて書ければなあ、と思ってます。
それから今回のリサイタルで知り合った友達の友達でダンスの歴史を研究している人に会ったのですが、その人はバレエ・リュス辺りが専門だそうでびっくり(今のリサーチトピックは別みたいですが)。
バレエ・リュスについて、そして今それを研究することについてたくさん興味深い話がきけました。そして彼女の話によるとバレエ業界が19世紀に逆戻りしていて、レパートリーや振り付けのスタイルなどあらゆる方向でそういう傾向だそうです。バレエ・リュスで切り開いたものが元に戻って、そしてバレエ・リュスの素晴らしい作品が演じられない、と彼女も懸念していました。
バレエ・リュスも好きですが、そういう懸念も私のクラシック音楽(現代音楽)についての思いと似てい共感しました。
そのほかにも色んな人と初めて・久しぶりに出会って、音楽のマニアックな話から革製パンツの話まで色んな話をしました。結果タクシーで家に帰るくらい遅く居てしまいましたがたまには良いですよね。
バレエ・リュスの話が出ましたがもうちょっとしたらメル響のストラヴィンスキー祭り。是非春の祭典に行きたいのでチケット予約せねば。
今日の一曲: ヨハネス・ブラームス ピアノソナタ第3番 第2楽章
聴いただけじゃ意外とキャッチできなかった部分も多いので(弾くことは全く考えてないのですが)今度スコアをさらわなきゃ。
このピアノソナタ第3番は全部で5楽章編成、なんと演奏時間40分。ジャンル・作曲家は違えど同じ5楽章編成の、前回紹介したマーラー5番みたいに一つ一つの楽章のキャラが立ってる作品です。(それだけでなくてマーラーの音楽に通じるところ、言葉で説明できないレベルであるんですよねー)
その中でもスローで長い、ロマンチックな第2楽章が今回の演奏で一番印象に残りました。
ブラームスの後期の作品に通じる暖かい人間的な音楽なのですが、あふれるようなロマンチシズム、想像の自由さなど若々しいところも多々あり。
ちょっと青臭いながらも内気さなどもあって、それもまた暖かい目で見てしまう。
面白いなーと思ったのはエンディングでなかなか終わってくれないこと。ブラームスの音楽ってちょくちょくそういうことがあるのですが、この曲でのエンディングは恋人同士の電話で自分から切れなくて延々と話しちゃうあれに通じるようなところがあると思います。私だけでしょうか。
若さとか感情とか、ロマンとか、人の心とか、そういったものひっくるめて素晴らしいなあ、愛しいなあと思わせる曲です。
若いころを振り返って素直な心で聴きたいですね。
リンクしたのはジュリアス・カッチェンのブラームスピアノ曲全集。20代から60代まで、ブラームスの人間と音楽を味わえるCD6枚組。いいなあ欲しいなあ。
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