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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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Pianistes
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日はちょっくらピアノのレッスンに行ってきました。
これで一応一通りリサイタルのプログラムは全曲先生に聞いてもらったことになります。
「金の魚」を始め懸念がちょっとあるのであと一回レッスンして欲しいところ。
とにかくもちょっと自分に厳しく、もっと腰を入れて練習せねばです。

前「楽器と性格」シリーズでちょっとピアノとピアニストとその性質について書きましたが、それとは関連して、でもちょっと別にピアニストという生き物について考えてました。
音楽家の中でもピアニストは本当に色んなイメージを持たれていて。
スター的な扱いだったり、孤高の存在だったり、どこか魔法使いのようなイメージもあったり。アーティストでありメカニックであり。
その反面ずっと練習室に籠もってる、とか自己中心なところがある、とか音楽性よりも技巧を重視する、それから楽器というより機械、なんて言われることもありますね。

良くも悪くもそういうイメージがあるのは今に限ったことじゃないです。
フランスの作曲家、サン=サーンスの「動物の謝肉祭」という(白鳥がずばぬけて有名です)曲は色々ジョーク的なエレメントがたくさん入ってるのですが、その中の「ピアニスト」という曲はピアニストという「動物」を皮肉っているというかおちょくっているというか、まあそういう感じなのです。
曲の内容は基本的で単調な音階・指のエクササイズの繰り返し。ピアノパート(2台とも)には奏者に初心者が弾いているように下手を演じて弾くように指示があります。

練習室という檻の中で黙々と技巧を磨く、というピアニストはサン=サーンスの時代にもいっぱいいたんでしょうね。
もちろんピアノで曲を弾いて、自由に表現をするにあたって基礎の技巧ってのは大事ですし(他の楽器と同じく)、特にピアノは演奏するにあたって技巧を披露することが求められるのですが、どうしてもそっちに偏ってると思われがちなのかな。

前回のエントリーでも書いたのですが、私の周りのピアニスト達も大学を離れてから「音を正確に弾いたり技巧を極めたりするよりもっと音楽を楽しんで自由に表現したい」と感じていて。
技巧に関してはどんなに磨いても昔の奏者だったり今の奏者だったり未来の奏者だったり、全然敵いっこない相手が常にいて。それに抗ったり競ったりするのではなく、ピアニストであること以前に音楽家・芸術家として演奏をしたい、という思い。

それはやっぱりここに来るまで受けてきた音楽・ピアノ教育にも原因があったりして。
ピアノを弾き始めたところから大学に至るまで、音楽を「正しく」弾くことに重きをおくような傾向は今のオーストラリアだけで見られる傾向ではなく。他の国でもそうですし、前述サン=サーンスの時代もそうだったと思われ。
ピアノを習う課程で大切なことではあるのですが、ピアノの膨大なレパートリー、多彩な表現の世界を知ること、そしてピアノに限らず色んな音楽やいろんな芸術とそのつながりに触れて、自分の表現したいこと、表現の仕方を考え試していくこともおろそかにしてはいけない。

自分もなんとなーく自分の表現したいこと、というのは分かってるのですがどうやって、というのはまだまだ試行錯誤中で。表現するためにどんなレパートリーを弾くか、レパートリーを広げるためにどこら辺を探せばいいのか、とかあと曲を組み合わせることとか、そういうことはだんだん分かってきてるのですが。アイディアを前に出して勝負したい。
それを形にするための技巧・表現のテクニックという「奏者」としての部分はまだまだ未熟です。特にピアニストのメカニックな側面はもっと出していきたいのに出せてない部分。

ところで先ほどのサン=サーンスの「ピアニスト」ですが、決してピアニストのその技巧重視なところをけなしたり指さして笑ったりするような意図じゃないと思います。
割とこの「動物の謝肉祭」って音楽をある程度知ってる人が分かるような、そしてサン=サーンスの周りの人たちでにやっとするようなネタが入ってて、つまりこの「ピアニスト」というのもピアノを弾いている、または弾いた経験のある人がにやりとするネタなんですよね。
つまりは描写されているピアニストは誰もが通ってきた道であり、自分や友人、生徒たちのちょっと懐かしい姿であり。
そこには愛があるんですよね。ほほえましい目で見てしまうというか。
練習室という檻からでてこようよ、広い世界においでよ、みたいな?同時にこの曲がピアニストに警告している・・・というとちょっと深読みしすぎかな。

ということでピアニストの一側面をちょろっと書き出してみました。
偉いこといえる立場じゃ全然ないんですがね、ちょっと書き出したいと思いまして。
ここに書く話はピアノ関連ちょっと少なめな気もしますがまた別のアングルからピアノ・ピアニストについても書きたいです。


今日の一曲: カミーユ・サン=サーンス 「動物の謝肉祭」より第12曲「化石」



「ピアニスト」の概要は書いちゃったんで自分のお気に入りを。もしかしたら前も紹介したかもしれない。
先ほどサン=サーンスはこの「動物の謝肉祭」にいろんなジョークを仕込んだ、と書きましたがこの曲もかなりそう。
当時ちょっとout-of-fashionというか、流行の波に流されていったメロディーが次から次に出てきます。主に民謡が多いような?(フランスにおける音楽が芸術として、上流階級的な発展しているという含みかな?)

その音楽の「化石」(ってほど古くないですけどね)の中にはサン=サーンス自身の作品も入ってます。曲の一番最初に聞こえるのがそのサン=サーンスの「死の舞踏」です。
フランスは今も流行の街ですが、この曲を聴くと音楽に関しても流行り廃れのペースが速かったのかな、ということがうかがわれますね。
(ちなみにサン=サーンスってクラシック界ではトップクラスの長寿作曲家なんでそういう時とおもに音楽が移り変わるのは人一倍見てきたんだろうなあ)

この曲で活躍するのは木琴。乾いた骨の音です。ものすごく難しいパートとかじゃないんですが、楽しいパートです。
それは他のパートもそうで、立ち替わり入れ替わりちょっとずつ主役になるそのテンポというか、そういうものも含めて楽しい。

「動物の謝肉祭」は「白鳥」ばっかり演奏されて、テレビでたまに「終曲」や「水族館」が使われて、くらいなのですが他の曲も軽く楽しく聴けます。
クラシックを知ってると仕込まれたジョークも分かることもありますが必ずしも必須知識ではありません。
私のバーンスタインの録音だとそういうとこも含めて説明してくれます。ピーターと狼と一緒に収録で子供からずっと楽しめるCDです。

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