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前回のエントリーに拍手ありがとうございました~
相変わらず不調気味です。昨日は一日休んだのですがどれくらいためになったかは分からない。
ちょこちょこしなきゃいけない事考えなきゃいけないことあるんですが。
メルボルンの冬はコンサートがたくさん。facebookでも友達のコンサートのお知らせが舞い込んできます。
プライベートに仕事に色々facebookも使い道がありますが、音楽をやってる友達がどうfacebookを使ってるか、というのもここ数年見てて面白いなと思ったのでちょっとここにまとめてみようと思います。
まずは今書いたコンサート等イベントの告知。
コンサートがあるよ、来てね、ということだけでなく友達の友達にも広告したり、遠くに住んでる友達なんかにも自分は今こういう活動をしてますよ、という広報の役割もあったり。
実際見てて面白いんですよね、海外に住んでる友達で向こうに行ってからがらっと弾くレパートリーが変わったり、あとメルボルンにいる友達でクラシック以外のジャンルもやるようになったり。
もちろん私もリサイタルの告知のこと考えなきゃ(もごもご)
そして多岐にわたる情報交換。
例えば学校や個人で楽器を教えている友達なんかは何らかの事情で(一時的に・ずっと)生徒を代わりに教えてくれる人を探さなきゃいけないときにfacebookで友達に呼びかけるケースなんかもあります。
それから楽器の修理はどこがいい、とか行けなくなったコンサートのチケットを安く売りたい、とかこの曲はだれの演奏を買ったらいいか、とかもよく見ます。
メルボルンやオーストラリアのクラシック音楽業界の動向などについてのニュースや議論なんかも。
特に海外渡航に関してこういう情報交換は重要になってきます。
中でも最近よく聞くのが飛行機に乗るときの楽器の扱い。オーストラリア外でもトラブルの話は聞くのですが、最近どうもオーストラリアの格安航空各社では楽器持ちの人に対してあんまり優しくないらしいです。
例えばホルンを機内持ち込みできなかったり、チェロを乗せるために1席チケットを購入させてくれない、という話だったり。例え国内移動でも楽器を預け荷物として乗せるのはリスクが高いです。
楽器は単純に値段が高いというだけでなく貴重なもの(そしてほぼ生き物のようなもの)なのでそこんところ何とかしてくれないと楽器弾きの人には本当に致命的。友達の中には抗議のメールやfacebookポストなどを書くと言ってた人も何人かいるので声を上げることで変わるといいなあ、と思います。(私も昔楽器を飛行機に乗せたことがあるので)
それから海外で大学に通ったりプロのオケで弾いたりしてる友達から色んな国の音楽事情が聞けるのも面白いです。
ここ数年思ったのは東南アジアのクラシック界隈って結構最近凄いんじゃないか、と。マレーシアのオケなんかは(ちょっと奏者解雇の問題で一悶着ありましたが)演奏をようつべでも聴けますし、シンガポールの大学で音楽の教育に関するお金のかけ方とかびっくりしました。
ちなみにfacebookからの情報ではないのですが最近両親が引っ越したマレーシアではオケのコンサートでドレスコードがあってジーンズとかでいっちゃダメ、ということになってるらしいです。メルボルンは全然そういうことなくてみんな普通にジーンズとかで来てます。メル響のページにもドレスコードなしと書いてあります。なのでもっと気軽に行きましょうよ。
そして最後になりますがとっても重要なfacebookの用途といえばネタの投稿・拡散でしょう。
オーストラリア内外のソースから音楽に携わった人が笑える、様々なネタが流れてきます。
身近に見つけたネタだったり、写真だったりコラージュだったり、はたまた音楽とは関係ないけど中国に演奏旅行に行くと決まって「変な英語の看板シリーズ」が流れてきたり。(日本のそれとは破壊力が違いますが日本の英語諸々も気をつけた方がいいですよー)
そんなわけで音楽関連の友達(&他アカウント)のfacebookポストを見てると色々面白いです。大学を卒業して、みんなそれぞれの道を進んでいても「音楽家コミュニティ」というのはfacebookを通して続いていて、大学の時と同じようにお互い必要な(そして不必要な(笑))情報を交換したりして支え合っていて。
そういうのがないとやっぱり一人で悩むしかない部分が多くて難しいですもんね。
自分が音楽を細々と続けていられるのもそういったコネクションのおかげ、というところも少なからずあるので、うまく活用しながら続けて行きたいです。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル ピアノ三重奏曲 第3楽章
こないだのパッサカリア特集からチョイス。
19世紀最後ぎりぎり~20世紀初頭のフランスって前の時代にあったソナタとか協奏曲とかそういう「お決まりの」形式からだんだん離れてく傾向にあって。同時に室内楽の楽器編成もピアノ三重奏とか弦楽四重奏の占める割合が少なくなる傾向にありました。
だからといってこの時代におけるそういう伝統的な形式・楽器編成の作品のクオリティが下がったわけではないです。
例えばプーランクのバイオリンソナタはそのレパートリーの中に強烈なくさびを打ち込んでますし、ラヴェルのピアノ協奏曲もユニークな立ち位置で愛され続けています。
そして同じくラヴェルのピアノ三重奏曲は20世紀ではショスタコのそれと性質はほぼ真逆ながら双璧といえるほど素晴らしい曲です。(あれ、他にこのジャンルで忘れてるのありましたっけ(汗))
さらに言えば少数精鋭的なラヴェルの作品の中でもかなり輝いてます。
このピアノ三重奏曲を第3楽章から紹介するのも大変勿体ないです。一番恋に落ちるのは第1楽章だと思ってますし、なんといっても第3楽章は「間奏曲」的な立ち位置まで含めての美しさ、みたいなところがあって。でも単体でも美しい。
強いて言えば似てる曲は同じラヴェルの「クープランの墓」の「フーガ」かな。バロック時代からある形式を完全にラヴェル味に作り替えた、というところと独特の静けさ、というか。こっちの方がどこか宗教音楽的な雰囲気はありますかね。グレゴリオ聖歌とか20世紀ヨーロッパのミニマルミュージックにも通じるstaticな流れ。
ピアノ、バイオリン、チェロどのパートもシンプルなのですが、音と音の間(縦も横も)の空間だったり、絶妙な色と緊張のハーモニーだったり(ピアノパートにあるんですよ、刺さるやつが)、ある意味人間が書いたとは思えないような、一種の完璧さがあって。
不思議な空間、不思議な時間。ちょっと心持ちを選ぶような曲ではありますが、最初ぱっとしなくてもじわじわ染みいって来る音楽だと思います。
先ほども書いたようにこのトリオは全楽章、頭から聞いて欲しい作品です。
自分にとって特別な曲なのであんまり頻繁には言及しませんが今が機会なので強くおすすめします。
(ちなみに私はこのトリオの4つの楽章をモチーフにして雨にまつわる4つの短編ストーリーを書いたこともあります。)
フランス音楽も基本「餅は餅屋」が大切なのでボザール・トリオの演奏を。(私が持ってるのとは別のCDですね)
そういえばまだラヴェルの弦楽四重奏の録音持ってなかったな・・・今度大学で借りられるかしらん。(=どっちかというと借りたあと延滞せずに返せるか、ですね)
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相変わらず不調気味です。昨日は一日休んだのですがどれくらいためになったかは分からない。
ちょこちょこしなきゃいけない事考えなきゃいけないことあるんですが。
メルボルンの冬はコンサートがたくさん。facebookでも友達のコンサートのお知らせが舞い込んできます。
プライベートに仕事に色々facebookも使い道がありますが、音楽をやってる友達がどうfacebookを使ってるか、というのもここ数年見てて面白いなと思ったのでちょっとここにまとめてみようと思います。
まずは今書いたコンサート等イベントの告知。
コンサートがあるよ、来てね、ということだけでなく友達の友達にも広告したり、遠くに住んでる友達なんかにも自分は今こういう活動をしてますよ、という広報の役割もあったり。
実際見てて面白いんですよね、海外に住んでる友達で向こうに行ってからがらっと弾くレパートリーが変わったり、あとメルボルンにいる友達でクラシック以外のジャンルもやるようになったり。
もちろん私もリサイタルの告知のこと考えなきゃ(もごもご)
そして多岐にわたる情報交換。
例えば学校や個人で楽器を教えている友達なんかは何らかの事情で(一時的に・ずっと)生徒を代わりに教えてくれる人を探さなきゃいけないときにfacebookで友達に呼びかけるケースなんかもあります。
それから楽器の修理はどこがいい、とか行けなくなったコンサートのチケットを安く売りたい、とかこの曲はだれの演奏を買ったらいいか、とかもよく見ます。
メルボルンやオーストラリアのクラシック音楽業界の動向などについてのニュースや議論なんかも。
特に海外渡航に関してこういう情報交換は重要になってきます。
中でも最近よく聞くのが飛行機に乗るときの楽器の扱い。オーストラリア外でもトラブルの話は聞くのですが、最近どうもオーストラリアの格安航空各社では楽器持ちの人に対してあんまり優しくないらしいです。
例えばホルンを機内持ち込みできなかったり、チェロを乗せるために1席チケットを購入させてくれない、という話だったり。例え国内移動でも楽器を預け荷物として乗せるのはリスクが高いです。
楽器は単純に値段が高いというだけでなく貴重なもの(そしてほぼ生き物のようなもの)なのでそこんところ何とかしてくれないと楽器弾きの人には本当に致命的。友達の中には抗議のメールやfacebookポストなどを書くと言ってた人も何人かいるので声を上げることで変わるといいなあ、と思います。(私も昔楽器を飛行機に乗せたことがあるので)
それから海外で大学に通ったりプロのオケで弾いたりしてる友達から色んな国の音楽事情が聞けるのも面白いです。
ここ数年思ったのは東南アジアのクラシック界隈って結構最近凄いんじゃないか、と。マレーシアのオケなんかは(ちょっと奏者解雇の問題で一悶着ありましたが)演奏をようつべでも聴けますし、シンガポールの大学で音楽の教育に関するお金のかけ方とかびっくりしました。
ちなみにfacebookからの情報ではないのですが最近両親が引っ越したマレーシアではオケのコンサートでドレスコードがあってジーンズとかでいっちゃダメ、ということになってるらしいです。メルボルンは全然そういうことなくてみんな普通にジーンズとかで来てます。メル響のページにもドレスコードなしと書いてあります。なのでもっと気軽に行きましょうよ。
そして最後になりますがとっても重要なfacebookの用途といえばネタの投稿・拡散でしょう。
オーストラリア内外のソースから音楽に携わった人が笑える、様々なネタが流れてきます。
身近に見つけたネタだったり、写真だったりコラージュだったり、はたまた音楽とは関係ないけど中国に演奏旅行に行くと決まって「変な英語の看板シリーズ」が流れてきたり。(日本のそれとは破壊力が違いますが日本の英語諸々も気をつけた方がいいですよー)
そんなわけで音楽関連の友達(&他アカウント)のfacebookポストを見てると色々面白いです。大学を卒業して、みんなそれぞれの道を進んでいても「音楽家コミュニティ」というのはfacebookを通して続いていて、大学の時と同じようにお互い必要な(そして不必要な(笑))情報を交換したりして支え合っていて。
そういうのがないとやっぱり一人で悩むしかない部分が多くて難しいですもんね。
自分が音楽を細々と続けていられるのもそういったコネクションのおかげ、というところも少なからずあるので、うまく活用しながら続けて行きたいです。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル ピアノ三重奏曲 第3楽章
こないだのパッサカリア特集からチョイス。
19世紀最後ぎりぎり~20世紀初頭のフランスって前の時代にあったソナタとか協奏曲とかそういう「お決まりの」形式からだんだん離れてく傾向にあって。同時に室内楽の楽器編成もピアノ三重奏とか弦楽四重奏の占める割合が少なくなる傾向にありました。
だからといってこの時代におけるそういう伝統的な形式・楽器編成の作品のクオリティが下がったわけではないです。
例えばプーランクのバイオリンソナタはそのレパートリーの中に強烈なくさびを打ち込んでますし、ラヴェルのピアノ協奏曲もユニークな立ち位置で愛され続けています。
そして同じくラヴェルのピアノ三重奏曲は20世紀ではショスタコのそれと性質はほぼ真逆ながら双璧といえるほど素晴らしい曲です。(あれ、他にこのジャンルで忘れてるのありましたっけ(汗))
さらに言えば少数精鋭的なラヴェルの作品の中でもかなり輝いてます。
このピアノ三重奏曲を第3楽章から紹介するのも大変勿体ないです。一番恋に落ちるのは第1楽章だと思ってますし、なんといっても第3楽章は「間奏曲」的な立ち位置まで含めての美しさ、みたいなところがあって。でも単体でも美しい。
強いて言えば似てる曲は同じラヴェルの「クープランの墓」の「フーガ」かな。バロック時代からある形式を完全にラヴェル味に作り替えた、というところと独特の静けさ、というか。こっちの方がどこか宗教音楽的な雰囲気はありますかね。グレゴリオ聖歌とか20世紀ヨーロッパのミニマルミュージックにも通じるstaticな流れ。
ピアノ、バイオリン、チェロどのパートもシンプルなのですが、音と音の間(縦も横も)の空間だったり、絶妙な色と緊張のハーモニーだったり(ピアノパートにあるんですよ、刺さるやつが)、ある意味人間が書いたとは思えないような、一種の完璧さがあって。
不思議な空間、不思議な時間。ちょっと心持ちを選ぶような曲ではありますが、最初ぱっとしなくてもじわじわ染みいって来る音楽だと思います。
先ほども書いたようにこのトリオは全楽章、頭から聞いて欲しい作品です。
自分にとって特別な曲なのであんまり頻繁には言及しませんが今が機会なので強くおすすめします。
(ちなみに私はこのトリオの4つの楽章をモチーフにして雨にまつわる4つの短編ストーリーを書いたこともあります。)
フランス音楽も基本「餅は餅屋」が大切なのでボザール・トリオの演奏を。(私が持ってるのとは別のCDですね)
そういえばまだラヴェルの弦楽四重奏の録音持ってなかったな・・・今度大学で借りられるかしらん。(=どっちかというと借りたあと延滞せずに返せるか、ですね)