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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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メル響コンサート「Adams Conducts Adams」感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ピアノは結構順調に進んでますがもうずっと息が苦しくて困っています。昨日妹が洗濯に柔軟剤を使った香りがちょっと私の気道には刺激的なようで。外も暖かくなっても気道にやさしくないみたいで。
とりあえずスパイロメーター予約したので初めての検査は楽しみです。

さて、昨日はメル響のコンサートに行ってきました。
その前にメルボルンセントラルのPancake Parlourに行って夕飯を食べたのですが(あそこはサラダがなんか美味しいので甘くないパンケーキを頼みます)、途中でそこと隣の店が停電して暗い中で食べました。非常灯はあったりして食べるのには問題なかったですがお店の人達が大変そうでした。

メル響のコンサート、今回は1947年生まれのアメリカの作曲家、ジョン・アダムズが自身の作品を指揮するコンサートでした。
プログラムは以下の通り。

<メル響 Adams Conducts Adams>
指揮:ジョン・アダムズ
アダムズ Short Ride in a Fast Machine(1989)
アダムズ バイオリン協奏曲(1993)(バイオリン:Leila Josefowicz)
アダムズ City Noir(2009)(サキソフォン:Timothy McAllister)

今回↑に作曲年書いたのはちょっとそれに関して書きたい事があったので。
アダムズはいわゆるミニマル・ミュージックという、音楽の要素を単純にしたり繰り返しを特徴的にした音楽のスタイルで有名なのですが、彼の音楽は今はミニマル・ミュージックから大きく進化を遂げています。
コンサートで最初に演奏されたShort Ride in a Fast Machineは正にそのミニマル・ミュージックのスタイルで書かれた作品でしたが、バイオリン協奏曲とCity Noirではミニマル・ミュージックの要素を残したまま、そして過去や現在の音楽に大きく影響を受けて音楽的に広く深く円熟しています。
今回のコンサート、ちょっとお客さんの入りがいつもに比べて良くなかったのですがおそらくアダムズのミニマル・ミュージックの作曲家としてのイメージで敬遠した人が多かったと思われます。Short Ride in a Fast Machineから30年、その30年の間にアダムズの音楽が変わることなかったという偏見で敬遠するのは本当に勿体ないコンサートでした。

Short Ride in a Fast Machineはアダムズ曰く(そうそう、彼は曲間に自分で自分の作品の説明していました)昔友人のスポーツカーに乗せてもらった思い出(かならずしも良い物ではない)が題材だそうです。
以前聴いたピアノ2台のためのHallelujah Junctionと同じくリズムもハーモニーも明るくて、どこか機械的なところがある繰り返し。オーケストラにあれだけの人数がいても軽やかさがある音楽です。

バイオリン協奏曲は形式としては伝統的な、バイオリン協奏曲らしい曲。
特に(形式はバロック時代までさかのぼる)シャコンヌの第2楽章が美しかった。Robert Hassの「Body through which the dream flows」という肉体と精神が表裏一体となる喜び(でいいのかな)についての詩を題材としているのですが、地上の楽園でした。ただただ美しい。
そして第3楽章は打って変わって超絶技巧で激しく盛り上がる(ショスタコのバイオリン協奏曲第1番の終わりをちょっと思い出します)のですが、これがびっくりするくらいにロックンロール。ソリストもオケもストレートにパワフルな演奏でした。

そしてCity Noir。アダムズはこの作品を35分の交響曲、または交響詩と言っていましたが私は聴いてみて交響詩のほうがしっくりきました。
この曲はフィルム・ノワールという1940年~50年代に作られたアメリカの社会の闇などを描いた犯罪映画のジャンルを題材にしているそうです。なんでもそういった映画ってBGMは断片的にしか使われなくて、音楽をつけたらどうなるだろう、という思いがあったそうです。

アメリカの都会の夜と闇を描いたこの曲はダークだけどSinisterじゃない、確かに映画の描写のような、エキゾチックさやロマンがあって。
スタイルとしてはところどころミニマルミュージックの影もあるけれどものすごくジャズの色も強くて、ときどきブルース、さらに19世紀末のシュトラウスの交響詩のような音楽や、バルトークやマーラー辺りから始まった「夜の音楽」のフレーバーもかなりあり。それが一つの新しい現代の音楽の世界になっているのはぞくぞくしました。

普通に聴いてもかなり濃い音楽なのですが、弾く方にとっても濃い音楽のようでした。
特にサックスを始め木管軍団はジャズのように吹きっぱなしの部分が結構あったり。
ジャズらしくトロンボーンやトランペットのジャズもかっこいい中、ホルンのソロもかっこよかった(ホルンはあんまジャズとかで使われないんですよね、音がちょっと古いところがあるのか)!ホルンもジャズできるじゃんね!
あと打楽器が(特に最後にかけて)かっこよかった!本当に今は打楽器・リズムが特徴的な時代なのかもしれませんね。メル響の打楽器セクションも強いですし。

今回のコンサートで気づいたアダムズの音楽の魅力、それは今という時代、そしてその先にある未来にとても肯定的というかポジティブというか、そういうところだと思います。
それは題材に現代を感じる、というだけでなく変に懐古的でもなく、City Noirのように闇を描いてもそういったことに絶望している様子でも無く、音楽の表現が前向きな印象を終始受けました。だからアダムズの音楽は楽しいですし、同時に安心するところもあり、素晴らしいと思います。
改めて彼の進化した音楽に出会えてよかったです。もっとアダムズの音楽を手元に揃えたい。

さて、今回こうやって出かけたわけですがどうも最近疲れ気味。
あんまり休んでもいられないタイミングですし、季節の変わり目かもしれませんがあんまり寝落ちないようにしたいと思います。


今日の一曲: ジョン・アダムズ 「City Noir」



一回聴いただけで色々語るのは難しい曲ですが(特に上ですでに紹介している分もありますし)、ちょっとだけ。
先ほど書いたようにこの曲は都会の闇を題材にした交響曲or交響詩。3楽章に分かれています(第1楽章と第2楽章は続けて演奏されます)。
他の曲もそうですが、ジョン・アダムズにとって都会という場所、そしてその文化がとても身近なんだな、と思える作品です。(カリフォルニア出身らしいですが都会っ子なのかな)

一方私にとっては「大」が付くほどの都会というのはフィクション作品で見るのが主で、実際昨日コンサート終わりで外に出たらメルボルンのシティが小都会としてこぢんまりとして静かにたたずんでるのを見てギャップに力が抜けたくらい。
元々のモデルというかイメージはロサンゼルスらしいですが、自分にとっては例えばBANANA FISH(ニューヨークが舞台)だったり、あとポケモンのヒウンシティ(同じくニューヨークがモデル、夜にプレイするので夜景ばっかり見てます)あたりが中心。
先ほども書きましたが闇とはいえSinisterではないのでBANANA FISHみたいなリアルに迫る感じではないんですよね。
なのでやっぱりこの曲を聴いて大都市のその暗くもエキゾチックな部分にあこがれを持つ、というのはものすごくあるかも。

とにかくこの作品を聴いてアダムズがミニマル・ミュージックの作曲家だとは言えないと思います。曲の長さこそ交響曲にしては短めですが中身は深く広く、そして形式も中身もSymphonic。

先ほどもこの曲が色んなスタイルの影響を受けていることに言及しましたが、そういうところもアメリカの都市が、そして現代が様々な人種や文化を内包しているのに通じるところもあると思います。

そういった魅力が初めて聴いてどれだけ伝わるか分かりませんが、とにかくたくさんの魅力にあふれている曲です。
事前知識としてはジャズがどんな風な音楽かちょろっと知ってたりすると色々納得かもしれませんし、あとアダムズのミニマル・ミュージックが主だったときの音楽を知ってるとその面影と進化が聞こえるかもしれません。
とにかく色んなジャンル・時代の音楽が交わってる音楽なのでクラシック音楽をやる人はもちろん、他のジャンルの人にも是非聴いて欲しい曲です。

録音はこれは初演なのかな?生演奏の録音で、mp3アルバムにdigital booklet付きで出ています。(同じ録音はiTunes Storeにもあります)
出来たらCDで欲しいんですが最近はクラシックもmp3だけ、という録音がちょこちょこ出てるのでCDはないのかも。

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