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あと1週間です!
<ピアノリサイタル 「Tableaux」>
9月28日 午後2時半開演
Richmond Uniting Church
プログラム:
メシアン 「鳥のカタログ」より第3曲「イソヒヨドリ」
ドビュッシー 「映像」第2集
メシアン 「鳥のカタログ」より第8曲「ヒメコウテンシ」
フォーレ 前奏曲 op.103より第3、8、6、5、7番
ラフマニノフ 練習曲「音の絵」op.39より第4、8、7番
メシアン 「鳥のカタログ」より第13曲「ダイシャクシギ」
昨日は現地リハーサルに行ってきました。
ピアノはあったかい音をしてるのでうちのピアノで懸念があったことも心配ないじゃないか、なんてことも少なくなかったです。
あとは来週もちょっと余韻とか間の取り方とか試すかな。
今日練習しながら色々考えてました。
この曲の連なりが(自分で組み合わせたんですが)ものすごく好きで、このプログラムの演奏を聴く側だったらいいなあ、と思って。
ただその曲の連なりにかける思い入れ(それが演奏に現れるかというとちょっと自信がないのですが)は曲を組み合わせた自分のもので、それを今まで1年色んな体験を糧にして作り上げてきたもので。
同じプログラムを弾いても個々の曲・プログラム全体の解釈とか演奏とかは違ってくるし、だから別のものになるわけです。
もしもこのプログラムを自分よりもっと技巧・表現に優れたピアニストの演奏で、でも自分の経験とか思い入れとかをそのままにした演奏を聴けたらベストだなーと。
演奏する時って音楽を形にする独特の楽しさと気持ちよさはありますけど、同時に音楽を聴くときみたいに完全に力を抜いて全神経で音楽を感じて吸収する楽しさとは両立できないんですよね。
音楽を演奏するのも好きで、それと同じくらい聴くのも好きで。今回のプログラムは(前回よりさらに)弾きたいプログラムであり自分が聴きたいプログラムなのでそれを弾く・聴くどっちの側面からも味わいたいというジレンマ。
結局は自分のプログラム組みの自画自賛によるものなんですけどね(笑)
これくらい自分でも好き!といえるリサイタルプログラムが組めればと思います。
でも今はほんと視野というかアンテナというかがほんと狭まってて。本番に向けて集中力とメンタルを守る反応みたいなものなんでしょうが地味にこたえる(前も書いてますね)。
創作関連はほとんど考えられなくなりましたし、聴く曲の範囲もぐっと狭まっています。
そんな中本番の日に聴く用のプレイリストをちまちま作ってるのですがこの作業も面白い。
リサイタルで弾く曲自体は聴かないのですが(というかもう長いこと聞いてませんね)、それに似た精神・キャラクターを持った曲を(主にクラシック以外で)選んでます。それから聴いてて自分の心が楽になる曲も選んだり。
去年はヴィラ=ロボスのブラジルのバッハ第4番の第2楽章に通じるところのある聖飢魔IIの「Arcadia」が入ってました。
今年はまだ確定してないのですがとりあえずフォーレの前奏曲第7番に絡めてface to aceの「Has Come」が入ってたりします。
このプレイリストはリサイタルが終わったら役目が終わるのですが(でも去年のとっとけばよかったなー)、曲の間に感じるつながりは本番の前に聴くことでその後も続きます。それがまた新しく曲と曲のつながりを生んで、プログラムのアイディアにつながったり。
人の縁と似たように曲と曲の縁も自分の想像力や体験を通してつながり広がるもので、そうやって曲と曲をつなぎ合わせるのが好きです。
演奏する側面だったり聴いて楽しむ側面だったりプログラム組みだったり、もっとちゃんと説明したい話です(別々に)。今はちょっと無理ですが。
そうそう、ここでこんな形で書くのもあれですが、前回選曲・曲順を含むプログラム作りは先生の影響が大きいと書きましたが去年の一時帰国の時に聴きに行ったface to aceのライブのセットリストに感じたものも影響の一つになっています。ジャンルこそ違えど他にもちょこちょこ目立たないところ・説明できないところでお二人には影響を受けている・・・と思っています。
今年も聴きに行くのが本当に楽しみです。聴く方の楽しみを心おきなく。
今日の一曲: ガブリエル・フォーレ 前奏曲 op.103 第5番
今回のリサイタルで初めてピアノでフォーレを弾くわけですが、結局全部で5曲選んだ前奏曲のうちではこの第5番が一番好きな曲だと思います。(ちなみに前奏曲集全体では9曲あります)
やっぱりニ短調とか音階の7つめの音を半音上げない(もうあんまり珍しくはないですけどね)とか自分にツボな要素がちょこちょこあるのもそうですが、全体的な音楽としての存在感が素晴らしい。
嵐のような激しさ、暗さ、そしてメロディーが翔けながら指の下でつむじ風が回る感覚。弾いててとにかく気持ちいい。うまく表現できれば(そして特に近くで聴ければ)聴いてる方も気持ちいい。
でも例えばマーラー1番の第1楽章とかシュトラウスのアルプス交響曲の嵐みたいなでっかいスケールの嵐じゃないんですよね。あくまでも「コップの中の嵐」みたいな感覚。なので↑で書いたように近くで味わうのが本来の姿だと思います。
大規模な嵐も大好きなのですが、手の内に収まるほどのスケールの嵐もまた別の愛しさがあります。
そして何より自分がこの曲を好きになったのが最初の2/3の荒々しい部分と最後の1/3の打って変わった静けさのコントラスト。
実際楽譜を見るとちょうどその変化がページをめくるところになっていて最初「!?」とびっくりしました。ほとんど別の曲ですよ。
静けさ、とは言いましたが静かながらも相変わらずの雲が立ちこめた暗さ、そしてどこか不穏さが続くような空気。それがまた独特で愛しい。
そういえばWikipediaかどっかでこのセクションが同じくフォーレの「レクイエム」の「Libera Me」に似ている、という記述があってなるほど、と思いました。その類似には気づかなかったのですが言われるとなんとなくそうですし、確かに私もフォーレのLibera Meはものすごーく好きです。
録音はいつもので。コラール演奏のボックスセット。
今言及がありましたレクイエムも(去年のABC Classic 100フランス音楽カウントダウンで第3位に輝きました)素晴らしい曲なので是非聴いてみてください。
昨日は現地リハーサルに行ってきました。
ピアノはあったかい音をしてるのでうちのピアノで懸念があったことも心配ないじゃないか、なんてことも少なくなかったです。
あとは来週もちょっと余韻とか間の取り方とか試すかな。
今日練習しながら色々考えてました。
この曲の連なりが(自分で組み合わせたんですが)ものすごく好きで、このプログラムの演奏を聴く側だったらいいなあ、と思って。
ただその曲の連なりにかける思い入れ(それが演奏に現れるかというとちょっと自信がないのですが)は曲を組み合わせた自分のもので、それを今まで1年色んな体験を糧にして作り上げてきたもので。
同じプログラムを弾いても個々の曲・プログラム全体の解釈とか演奏とかは違ってくるし、だから別のものになるわけです。
もしもこのプログラムを自分よりもっと技巧・表現に優れたピアニストの演奏で、でも自分の経験とか思い入れとかをそのままにした演奏を聴けたらベストだなーと。
演奏する時って音楽を形にする独特の楽しさと気持ちよさはありますけど、同時に音楽を聴くときみたいに完全に力を抜いて全神経で音楽を感じて吸収する楽しさとは両立できないんですよね。
音楽を演奏するのも好きで、それと同じくらい聴くのも好きで。今回のプログラムは(前回よりさらに)弾きたいプログラムであり自分が聴きたいプログラムなのでそれを弾く・聴くどっちの側面からも味わいたいというジレンマ。
結局は自分のプログラム組みの自画自賛によるものなんですけどね(笑)
これくらい自分でも好き!といえるリサイタルプログラムが組めればと思います。
でも今はほんと視野というかアンテナというかがほんと狭まってて。本番に向けて集中力とメンタルを守る反応みたいなものなんでしょうが地味にこたえる(前も書いてますね)。
創作関連はほとんど考えられなくなりましたし、聴く曲の範囲もぐっと狭まっています。
そんな中本番の日に聴く用のプレイリストをちまちま作ってるのですがこの作業も面白い。
リサイタルで弾く曲自体は聴かないのですが(というかもう長いこと聞いてませんね)、それに似た精神・キャラクターを持った曲を(主にクラシック以外で)選んでます。それから聴いてて自分の心が楽になる曲も選んだり。
去年はヴィラ=ロボスのブラジルのバッハ第4番の第2楽章に通じるところのある聖飢魔IIの「Arcadia」が入ってました。
今年はまだ確定してないのですがとりあえずフォーレの前奏曲第7番に絡めてface to aceの「Has Come」が入ってたりします。
このプレイリストはリサイタルが終わったら役目が終わるのですが(でも去年のとっとけばよかったなー)、曲の間に感じるつながりは本番の前に聴くことでその後も続きます。それがまた新しく曲と曲のつながりを生んで、プログラムのアイディアにつながったり。
人の縁と似たように曲と曲の縁も自分の想像力や体験を通してつながり広がるもので、そうやって曲と曲をつなぎ合わせるのが好きです。
演奏する側面だったり聴いて楽しむ側面だったりプログラム組みだったり、もっとちゃんと説明したい話です(別々に)。今はちょっと無理ですが。
そうそう、ここでこんな形で書くのもあれですが、前回選曲・曲順を含むプログラム作りは先生の影響が大きいと書きましたが去年の一時帰国の時に聴きに行ったface to aceのライブのセットリストに感じたものも影響の一つになっています。ジャンルこそ違えど他にもちょこちょこ目立たないところ・説明できないところでお二人には影響を受けている・・・と思っています。
今年も聴きに行くのが本当に楽しみです。聴く方の楽しみを心おきなく。
今日の一曲: ガブリエル・フォーレ 前奏曲 op.103 第5番
今回のリサイタルで初めてピアノでフォーレを弾くわけですが、結局全部で5曲選んだ前奏曲のうちではこの第5番が一番好きな曲だと思います。(ちなみに前奏曲集全体では9曲あります)
やっぱりニ短調とか音階の7つめの音を半音上げない(もうあんまり珍しくはないですけどね)とか自分にツボな要素がちょこちょこあるのもそうですが、全体的な音楽としての存在感が素晴らしい。
嵐のような激しさ、暗さ、そしてメロディーが翔けながら指の下でつむじ風が回る感覚。弾いててとにかく気持ちいい。うまく表現できれば(そして特に近くで聴ければ)聴いてる方も気持ちいい。
でも例えばマーラー1番の第1楽章とかシュトラウスのアルプス交響曲の嵐みたいなでっかいスケールの嵐じゃないんですよね。あくまでも「コップの中の嵐」みたいな感覚。なので↑で書いたように近くで味わうのが本来の姿だと思います。
大規模な嵐も大好きなのですが、手の内に収まるほどのスケールの嵐もまた別の愛しさがあります。
そして何より自分がこの曲を好きになったのが最初の2/3の荒々しい部分と最後の1/3の打って変わった静けさのコントラスト。
実際楽譜を見るとちょうどその変化がページをめくるところになっていて最初「!?」とびっくりしました。ほとんど別の曲ですよ。
静けさ、とは言いましたが静かながらも相変わらずの雲が立ちこめた暗さ、そしてどこか不穏さが続くような空気。それがまた独特で愛しい。
そういえばWikipediaかどっかでこのセクションが同じくフォーレの「レクイエム」の「Libera Me」に似ている、という記述があってなるほど、と思いました。その類似には気づかなかったのですが言われるとなんとなくそうですし、確かに私もフォーレのLibera Meはものすごーく好きです。
録音はいつもので。コラール演奏のボックスセット。
今言及がありましたレクイエムも(去年のABC Classic 100フランス音楽カウントダウンで第3位に輝きました)素晴らしい曲なので是非聴いてみてください。
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