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本当にいつからだったんだろう、と思います。
あ、いきなりすみません。
いえ、なにかに興味を持つプロセスって意外と複雑なんだな、と今日ふと思いまして。
10年生?かなんかの歴史の授業で第二次世界大戦について勉強しているときにリサーチ課題があって。いくつか選べるトピックの中から「アウシュヴィッツ強制収容所」を選んで当時マイブームだった(!?)Powerpointプレゼンテーションにまとめたことがあります。
そのときに調べて出てきたたくさんのこと、現在のアウシュヴィッツの写真、そしてプレゼンテーションに自分が作ったテンプレートの赤と黒の色彩が心に突き刺さって。
同じく10年生のReligious Studiesの授業では様々なメジャーどころの宗教のことを習って。そのうちユダヤ教に関しては結構地域的にわりと身近だったりしていろいろと不思議に思い興味を持ったことはあります。
さらに12年生の英語の授業でエリー・ウィーゼルの「夜」という、著者のユダヤ人としての強制収容所を生き延びた経験について綴られた本をじっくり勉強したことも大きかったです。
(ユダヤ教≠ユダヤ民族ですが「ユダヤ」というキーワードが心のどこかに引っかかったことは確かです)
音楽的にもユダヤ文化には惹かれるところがありまして。
ユダヤ音楽を元にした、または題材にした曲もいくつか弾いたことがあります。
例えばマーラーの交響曲第1番第3楽章の一部分とかなら小さい頃から知って親しんでますし、特にショスタコーヴィチにはまってからは彼はユダヤ民族とその音楽に強く心惹かれ引用したり影響されてたりしたので多少刷り込まれていたところもあると思います。
そして今書いているストーリーのうちの一つの構想中に意識的にまた一層興味を持ちつつあります。
最初はそういうことを考えていなかったんですが、ふとしたことからあるキャラがユダヤ民族・文化と深い関わりを持つことになって。なんか新しいアイディアを思いつくたびにつながりが強くなるもんですからもっと知りたい、と思うようになりました。
ショスタコーヴィチはちなみにユダヤ音楽について特別な思い入れがあったようで。
うろ覚えで要約すればこんな感じです:「ユダヤの音楽は笑いながら泣いている。迫害される苦しみ、つらさを泣いたり、語り合うことによってではなく、踊りや音楽に込めて表現する。」
彼自身政府の圧力をいやというほど感じていて、彼や他の音楽家たちがいた境遇をずっと味わっていたユダヤという民族に心を寄せていたらしいです。(そして優れた音楽家にはユダヤ人が多かったらしいですね)
ショスタコーヴィチの音楽を通して自分に染みこんだ、ショスタコの音楽の好きな部分のなかに「ユダヤ音楽のエレメント」が私に知らず入ってたのかどうか知らないんですけど、ユダヤ音楽の独特の(ショスタコが言うようなところ)スタイルというかなんというかが好きです。
暗くて、でもどこか陽気ででも陰気で、ひねくれて毒があって。
でもまだまだ自分の知っていることは上皮程度で、まだまだ民族・音楽の「心」の理解もまだ浅いと思い。
音楽に関してはクラシック音楽の中で、という形でのみ知っているのでこれから「民族音楽」としても知りたいな-と思います。
例えばまずクレズマーから始めたいですね。
他にもまだまだ勉強・・・したいな、と思ってます。
今日の一曲は上皮程度の知識と理解しかない私でもなにかその「心」の一部にちょっと近づけたかな?と思ったうちの一曲です。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 「バービ・ヤール」 第1楽章
バービ・ヤールとはドイツ軍によりユダヤ人が虐殺されたウクライナの谷の名前です。
この第1楽章はそれを題材としたエフゲニー・エフトシェンコの詩を歌詞として書かれています。
内容はロシアで反ユダヤの動きが強まる中、詩人自身がユダヤ人と心を同じくすることによって迫害を受けているというもの。
今回のエントリーのタイトルもその詩の一部で。
「ユダヤの血をひいていないけれどユダヤ人と心を同じくする」というのはショスタコーヴィチもそうでしたし、上記私のキャラにもそれは当てはまって。
それを意識する前も歌詞を見たとき心に突き刺さりました。
音楽もまたショスタコーヴィチ典型的な感じです。
なんと言っても最初の鐘の音の不吉さ、冷たさといったらたまりませんね。
ロシアの音楽の冷たさは臨場感があります。特にショスタコーヴィチのソヴィエトの冷たさは。
そして臨場感と言えば「恐怖」の臨場感もなかなかあります。
「恐怖にうちふるえる」メインテーマのトリル付、なんかはショスタコがよくやるテクニックですがこれもまたすばらしいです。
先ほどの鐘、男声合唱、そして重厚な金管のしっかりした魅力ももちろんですが、なにげにチェレスタがいるんですよね。
通の人はそこにもちょっと耳を傾けて欲しいです(チェレスタ推進委員(?)としては)
実はロシア語の歌詞と照らしあわせながら聴いたことないので今日あたりじっくり聴いてみたいと思います。
あ、いきなりすみません。
いえ、なにかに興味を持つプロセスって意外と複雑なんだな、と今日ふと思いまして。
10年生?かなんかの歴史の授業で第二次世界大戦について勉強しているときにリサーチ課題があって。いくつか選べるトピックの中から「アウシュヴィッツ強制収容所」を選んで当時マイブームだった(!?)Powerpointプレゼンテーションにまとめたことがあります。
そのときに調べて出てきたたくさんのこと、現在のアウシュヴィッツの写真、そしてプレゼンテーションに自分が作ったテンプレートの赤と黒の色彩が心に突き刺さって。
同じく10年生のReligious Studiesの授業では様々なメジャーどころの宗教のことを習って。そのうちユダヤ教に関しては結構地域的にわりと身近だったりしていろいろと不思議に思い興味を持ったことはあります。
さらに12年生の英語の授業でエリー・ウィーゼルの「夜」という、著者のユダヤ人としての強制収容所を生き延びた経験について綴られた本をじっくり勉強したことも大きかったです。
(ユダヤ教≠ユダヤ民族ですが「ユダヤ」というキーワードが心のどこかに引っかかったことは確かです)
音楽的にもユダヤ文化には惹かれるところがありまして。
ユダヤ音楽を元にした、または題材にした曲もいくつか弾いたことがあります。
例えばマーラーの交響曲第1番第3楽章の一部分とかなら小さい頃から知って親しんでますし、特にショスタコーヴィチにはまってからは彼はユダヤ民族とその音楽に強く心惹かれ引用したり影響されてたりしたので多少刷り込まれていたところもあると思います。
そして今書いているストーリーのうちの一つの構想中に意識的にまた一層興味を持ちつつあります。
最初はそういうことを考えていなかったんですが、ふとしたことからあるキャラがユダヤ民族・文化と深い関わりを持つことになって。なんか新しいアイディアを思いつくたびにつながりが強くなるもんですからもっと知りたい、と思うようになりました。
ショスタコーヴィチはちなみにユダヤ音楽について特別な思い入れがあったようで。
うろ覚えで要約すればこんな感じです:「ユダヤの音楽は笑いながら泣いている。迫害される苦しみ、つらさを泣いたり、語り合うことによってではなく、踊りや音楽に込めて表現する。」
彼自身政府の圧力をいやというほど感じていて、彼や他の音楽家たちがいた境遇をずっと味わっていたユダヤという民族に心を寄せていたらしいです。(そして優れた音楽家にはユダヤ人が多かったらしいですね)
ショスタコーヴィチの音楽を通して自分に染みこんだ、ショスタコの音楽の好きな部分のなかに「ユダヤ音楽のエレメント」が私に知らず入ってたのかどうか知らないんですけど、ユダヤ音楽の独特の(ショスタコが言うようなところ)スタイルというかなんというかが好きです。
暗くて、でもどこか陽気ででも陰気で、ひねくれて毒があって。
でもまだまだ自分の知っていることは上皮程度で、まだまだ民族・音楽の「心」の理解もまだ浅いと思い。
音楽に関してはクラシック音楽の中で、という形でのみ知っているのでこれから「民族音楽」としても知りたいな-と思います。
例えばまずクレズマーから始めたいですね。
他にもまだまだ勉強・・・したいな、と思ってます。
今日の一曲は上皮程度の知識と理解しかない私でもなにかその「心」の一部にちょっと近づけたかな?と思ったうちの一曲です。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第13番 「バービ・ヤール」 第1楽章
バービ・ヤールとはドイツ軍によりユダヤ人が虐殺されたウクライナの谷の名前です。
この第1楽章はそれを題材としたエフゲニー・エフトシェンコの詩を歌詞として書かれています。
内容はロシアで反ユダヤの動きが強まる中、詩人自身がユダヤ人と心を同じくすることによって迫害を受けているというもの。
今回のエントリーのタイトルもその詩の一部で。
「ユダヤの血をひいていないけれどユダヤ人と心を同じくする」というのはショスタコーヴィチもそうでしたし、上記私のキャラにもそれは当てはまって。
それを意識する前も歌詞を見たとき心に突き刺さりました。
音楽もまたショスタコーヴィチ典型的な感じです。
なんと言っても最初の鐘の音の不吉さ、冷たさといったらたまりませんね。
ロシアの音楽の冷たさは臨場感があります。特にショスタコーヴィチのソヴィエトの冷たさは。
そして臨場感と言えば「恐怖」の臨場感もなかなかあります。
「恐怖にうちふるえる」メインテーマのトリル付、なんかはショスタコがよくやるテクニックですがこれもまたすばらしいです。
先ほどの鐘、男声合唱、そして重厚な金管のしっかりした魅力ももちろんですが、なにげにチェレスタがいるんですよね。
通の人はそこにもちょっと耳を傾けて欲しいです(チェレスタ推進委員(?)としては)
実はロシア語の歌詞と照らしあわせながら聴いたことないので今日あたりじっくり聴いてみたいと思います。
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