×
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
そしてポケモンYプレイし始めました!最初に表示言語が選べるようになってましたが諸々名前をつけるのが英語のほうが都合がいいため結局英語にしました。
1つめのジムと2つめのジムの長い道のりの中にいますが感想などはまた後日。
今日はちょっと真面目な、というか真剣にやってみた試みを。
奏者として音楽を解釈するプロセスをちょっと可視化してみようと思いまして。
もちろんみんながみんなこういうプロセスで解釈してるわけじゃないと思いますし、自分でも必ずこのステップを踏んでるわけではないですし(もっと直感的な場合も多くあります)、そもそもここでどれだけ正確に書き表せてるか分かりませんが。
今回題材として今弾いているヨハン・セバスチャン・バッハの平均律第2巻第8番(嬰ニ短調)のフーガを選んでみました。
楽譜はIMSLPのここ(pdf、前奏曲とフーガのセット)で無料で読めますが今回は最初の一小節だけしか要りません。最初の小節だけでかなり判断材料になります。
手書きで書き出してみたのがこちら。
始める前にちょっと説明を:
右手だけです。左手は休み。嬰ニ短調という珍しい調で調号は♯(シャープ)6つ。
Cは4分の4拍子の略号。×はシャープをさらに半音上げたダブルシャープです。
バッハは基本楽譜に音符以外のああ弾けこう弾け的なことを書きません(ただし私の持ってる楽譜のように編集者が色々書き足すこともあります)。
ということでこの曲をどう弾くかは奏者が主に楽譜を元に解釈して判断します。
まずはテンポ(曲の速さ)ですね。
このフーガはこの前に演奏される前奏曲とセットになっています。前奏曲はもっと細かい音が多くて聴いた感じ割と速く(そしてごちゃごちゃして)聞こえます。
このフーガはそれとくらべると8分音符中心で1小節の幅も広い。ただこの珍しい調から来る楽譜面のちょっと込み入った感じもある。
そういう音楽的経験からの印象・感覚からするとこのフーガはどっちかというとゆっくり弾いた方がよさそう、ということになる。
ただし!楽譜をぺらぺらめくってみるとこれが結構長く見える。つまりあんまり遅く弾き過ぎると弾く方も聴く方もしんどいです。ということで「ほどよく」ゆっくり聞こえるテンポがベストかな。
で、この曲をどういう音楽にするか、というのはこの小節の最初の3つの音(3つのレ♯)からある程度判断できます。
この3つの音をニュアンスをつけて「面白く」するべきか、それともフラットな感じで弾くべきか。
フーガ、というのはメロディー+伴奏という形式ではなく、複数のメロディーが絡み合うような音楽で、同じ主題が曲を通じて何度も現れます。主題の冒頭はそれと分かるように特徴的になってて、この場合3回同じ音が繰り返されることで主題が来たな、とわかるわけですね。
なので主題の冒頭をはっきりさせることは大切。ただし主題は何度も何度もやってくるので、あんまり毎回強調しすぎるとちょっとくどくなる恐れも。
特にこのフーガみたいにゆっくりで何分も(何ページも)続くとなると毎回毎回「面白く」弾いてしまうと効果が薄れるばかりか、曲を断片化させて余計に長く感じてしまいます。
お笑いと一緒で「かぶせる」テクニックを使うときは的確なタイミングでしかるべきオチをつけることが大切です。つまり主題を繰り返し強調することでオチを期待させるのですが、この曲の長さだとちょっとそれは酷です。しかも曲全体見ても蓄積した期待につりあうようなオチはないような印象。
なのでこのフーガの場合最初の3つの音、そして主題はわりと平たく弾いて、曲全体としての流れを大切にするのが一番かな、と思います。
そもそもフーガは主題が新しいキーで入ってくることにより全体の調が転々とするエフェクトがあって、それで自然と動きとか変化とかが出てきて、自然と方向が決まっていくようなところがあり。なのでここはその自然な流れに任せて余計な事はしないほうがいいんじゃないかと。
このフーガの主題自体もちょっと長めで、その息の長いフレーズを感じながらもっともっと長く曲全体の流れを感じるのがこの曲を美しく聴かせるポイントではないかと思います。
そしてそれには先ほど書いた「テンポを遅くしすぎないこと」も大事。
とりあえずそんなところです・・・が、もう一つ自分なりのアプローチとして追加しておきたいことが。
このバッハの前奏曲とフーガを弾く場合、もしかしたらショスタコーヴィチの前奏曲とフーガ第12番も同じプログラムで弾きたいな、と思ってます。
調は同じではないですが♯5つ(嬰ト短調)と結構近い。曲調もちょっとだけ似たところがある。バッハの前奏曲がショスタコのフーガと似てて、バッハのフーガがショスタコの前奏曲と似ているところがある、交差的な感じがまた相性が良いわけです。
この2つの作品を一緒に弾くとなるとそのつながりを(例え聞き手にはほぼわからなくても)ちょっとちょいちょいしたくなります。
例えば、バッハのフーガをショスタコーヴィチの前奏曲と同じテンポで弾いてみる、とか。
実はこれ、何かと遅くなりがちな二つの曲のテンポが重くなるのを抑制する効果もありそう。
さらには(実際まだやってないですが)バッハの前奏曲とショスタコーヴィチのフーガを同じテンポで弾いてみることも可能は可能なはず。
・・・とまあなんとか説明してみました。あくまでも自分の音楽的な経験とか色々なアイディアとかから出てきた個人的なアプローチですが(少なくとも一部は)こういう感じでやってますよーという紹介でした。
バッハはやっぱり個人の感覚とか色々な要素で解釈もいろいろと言われる作曲家ですが、意外とメシアンとかも(作曲家が色々注文細かくつけるにもかかわらず)解釈が分かれたり。
なのでそのうち次回やるとしたら今度はホームグラウンドの20世紀あたりで書いてみるのもおもしろそうですね。
長くなったので今日の一曲はお休みー
そしてポケモンYプレイし始めました!最初に表示言語が選べるようになってましたが諸々名前をつけるのが英語のほうが都合がいいため結局英語にしました。
1つめのジムと2つめのジムの長い道のりの中にいますが感想などはまた後日。
今日はちょっと真面目な、というか真剣にやってみた試みを。
奏者として音楽を解釈するプロセスをちょっと可視化してみようと思いまして。
もちろんみんながみんなこういうプロセスで解釈してるわけじゃないと思いますし、自分でも必ずこのステップを踏んでるわけではないですし(もっと直感的な場合も多くあります)、そもそもここでどれだけ正確に書き表せてるか分かりませんが。
今回題材として今弾いているヨハン・セバスチャン・バッハの平均律第2巻第8番(嬰ニ短調)のフーガを選んでみました。
楽譜はIMSLPのここ(pdf、前奏曲とフーガのセット)で無料で読めますが今回は最初の一小節だけしか要りません。最初の小節だけでかなり判断材料になります。
手書きで書き出してみたのがこちら。
始める前にちょっと説明を:
右手だけです。左手は休み。嬰ニ短調という珍しい調で調号は♯(シャープ)6つ。
Cは4分の4拍子の略号。×はシャープをさらに半音上げたダブルシャープです。
バッハは基本楽譜に音符以外のああ弾けこう弾け的なことを書きません(ただし私の持ってる楽譜のように編集者が色々書き足すこともあります)。
ということでこの曲をどう弾くかは奏者が主に楽譜を元に解釈して判断します。
まずはテンポ(曲の速さ)ですね。
このフーガはこの前に演奏される前奏曲とセットになっています。前奏曲はもっと細かい音が多くて聴いた感じ割と速く(そしてごちゃごちゃして)聞こえます。
このフーガはそれとくらべると8分音符中心で1小節の幅も広い。ただこの珍しい調から来る楽譜面のちょっと込み入った感じもある。
そういう音楽的経験からの印象・感覚からするとこのフーガはどっちかというとゆっくり弾いた方がよさそう、ということになる。
ただし!楽譜をぺらぺらめくってみるとこれが結構長く見える。つまりあんまり遅く弾き過ぎると弾く方も聴く方もしんどいです。ということで「ほどよく」ゆっくり聞こえるテンポがベストかな。
で、この曲をどういう音楽にするか、というのはこの小節の最初の3つの音(3つのレ♯)からある程度判断できます。
この3つの音をニュアンスをつけて「面白く」するべきか、それともフラットな感じで弾くべきか。
フーガ、というのはメロディー+伴奏という形式ではなく、複数のメロディーが絡み合うような音楽で、同じ主題が曲を通じて何度も現れます。主題の冒頭はそれと分かるように特徴的になってて、この場合3回同じ音が繰り返されることで主題が来たな、とわかるわけですね。
なので主題の冒頭をはっきりさせることは大切。ただし主題は何度も何度もやってくるので、あんまり毎回強調しすぎるとちょっとくどくなる恐れも。
特にこのフーガみたいにゆっくりで何分も(何ページも)続くとなると毎回毎回「面白く」弾いてしまうと効果が薄れるばかりか、曲を断片化させて余計に長く感じてしまいます。
お笑いと一緒で「かぶせる」テクニックを使うときは的確なタイミングでしかるべきオチをつけることが大切です。つまり主題を繰り返し強調することでオチを期待させるのですが、この曲の長さだとちょっとそれは酷です。しかも曲全体見ても蓄積した期待につりあうようなオチはないような印象。
なのでこのフーガの場合最初の3つの音、そして主題はわりと平たく弾いて、曲全体としての流れを大切にするのが一番かな、と思います。
そもそもフーガは主題が新しいキーで入ってくることにより全体の調が転々とするエフェクトがあって、それで自然と動きとか変化とかが出てきて、自然と方向が決まっていくようなところがあり。なのでここはその自然な流れに任せて余計な事はしないほうがいいんじゃないかと。
このフーガの主題自体もちょっと長めで、その息の長いフレーズを感じながらもっともっと長く曲全体の流れを感じるのがこの曲を美しく聴かせるポイントではないかと思います。
そしてそれには先ほど書いた「テンポを遅くしすぎないこと」も大事。
とりあえずそんなところです・・・が、もう一つ自分なりのアプローチとして追加しておきたいことが。
このバッハの前奏曲とフーガを弾く場合、もしかしたらショスタコーヴィチの前奏曲とフーガ第12番も同じプログラムで弾きたいな、と思ってます。
調は同じではないですが♯5つ(嬰ト短調)と結構近い。曲調もちょっとだけ似たところがある。バッハの前奏曲がショスタコのフーガと似てて、バッハのフーガがショスタコの前奏曲と似ているところがある、交差的な感じがまた相性が良いわけです。
この2つの作品を一緒に弾くとなるとそのつながりを(例え聞き手にはほぼわからなくても)ちょっとちょいちょいしたくなります。
例えば、バッハのフーガをショスタコーヴィチの前奏曲と同じテンポで弾いてみる、とか。
実はこれ、何かと遅くなりがちな二つの曲のテンポが重くなるのを抑制する効果もありそう。
さらには(実際まだやってないですが)バッハの前奏曲とショスタコーヴィチのフーガを同じテンポで弾いてみることも可能は可能なはず。
・・・とまあなんとか説明してみました。あくまでも自分の音楽的な経験とか色々なアイディアとかから出てきた個人的なアプローチですが(少なくとも一部は)こういう感じでやってますよーという紹介でした。
バッハはやっぱり個人の感覚とか色々な要素で解釈もいろいろと言われる作曲家ですが、意外とメシアンとかも(作曲家が色々注文細かくつけるにもかかわらず)解釈が分かれたり。
なのでそのうち次回やるとしたら今度はホームグラウンドの20世紀あたりで書いてみるのもおもしろそうですね。
長くなったので今日の一曲はお休みー
PR