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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
数週間前突然「無料で聴力検査受けませんか?」と家に電話がかかってきてなんとなくアポを作られ今日検査だったので行ってきました。
特にこれといって耳の問題に心当たりがあるわけではないのですが、やっぱり音楽やる身ですし聴力検査は日本の小学校の時以来だったはずなので無料だしそこそこ近いしやるっきゃないだろう、と思ったわけです。
小学校のときにやった聴力検査ってどんなもんだったかほとんど記憶がないのですが今回やったのはそういう耳のクリニックでブースに入ってヘッドホンをして行う検査。
いくつか違うオクターブの音が異なった音量で再生されるのでそれが聞こえたら手元のボタンを押す、というものでした。
結果は良好でした。むしろ平均より良いとか。
音量に気をつけてるとはいえヘッドホン(耳かけタイプ)を使うことも少なくないのでちょっと安心です。
チャートはこんな感じ。
横軸に音の高さが周波数として、そして縦軸に音の大きさがプロットしてあって手書きが私の成績。イラストで音の高さや大きさを例えたり、そしてよく見ると特定の子音の発音が中央よりちょっと右上にプロットしてあるのが分かります。中央上にあるのは葉擦れの音?
広く知られているように年齢と共に可聴範囲は高音から狭くなっていくのですが私はまだまだ高音もいけるそうで、年齢平均と比べると高音の聴力もまだまだ残っているそうです。
検査をしてくれた方と後でちょっとしゃべったら音楽をやってる人にそういう傾向は少なからずあるらしく。
同時に音楽やる人全般耳にダメージを与えるリスクも高いです。例えばクラシックだとオケで周りの音が大きかったり、狭い部屋で練習したり、ヘッドホン・イヤホンで音を聞いたり。
オケのリハーサル用に特殊な耳栓を作ったりもどうやらしているみたい。私はとりあえずは大丈夫ですが。
今回検査して分かったのは自分が音を「探す」作業が上手いな、ということ。
最初にそこそこの音量で音が聞こえて、その同じピッチがもっと小さい音で聞こえるというシステムなので音程を覚えていれば音量が小さくてもある程度探せるというか。
音を脳で処理することに関しては結構自信があります。音の方向を探ることとか、オケのなかから楽器の音を探すこととか、音をある程度分解したりとか。視力が弱いから、というのとオケ生活もあるのかな。果たして実際自慢できるレベルなのかは分からないのですが。
でも脳がそういう働きを出来ても耳が健康でなければ聞こえないですからね。
(大学1年生の心理学で習ったことによると)耳が年齢とともに聞こえなくなるのは耳の蝸牛にある有毛細胞が減ってくるというmechanicalな問題で、しかも今のところ不可逆性らしいです。(どっかにあったっけ、有毛細胞の再生を研究している論文)
ところで先ほどのチャートの一番右上に鳥の声が示してあります。
メシアンは鳥の声の基音だけでなくその上の倍音まで書き表すので(なのでピアノ音楽にするときは音を落としているそう)、晩年まで様々な国で聞いた鳥の声を楽譜に起こしていたということは相当高音の聴力が強かったはず。どうやってその耳を維持していたんだろう。(脳で音を処理する能力のすごさももちろんですが)
ということで今回聴力検査の結果も良く一安心ですがこれからも普通に耳に気をつけていかなくちゃなりませんね。
ちなみに再検査は何も問題がなければ5年後でいいそうです。それまで維持につとめます。
今日の一曲: ジェラルド・フィンジ 「Let us garlands bring」より「Fear no more the heat o' the sun」


前回に続いて最近偶然聞いてちょっとビビッと来た曲。
フィンジはイギリスの作曲家なのですがethnic backgroundといい経緯といい独特な人です。日本語Wikipediaにもありますが「生涯」の最初の段落と、それからもちょっと後にあるリンゴの栽培と品種の保存のくだりが特に面白い。
「Let us garlands bring」はシェイクスピアの喜劇いくつかのテキストを歌詞にした歌曲集です。(学校で勉強したのは悲劇ばっかりなので全然元ネタ知らないよー)
全部で5つある歌曲のうち最初の「Come away, come away, death」は大学の伴奏の授業で弾いてものすごく好きでした。そちらもおすすめ。
「Fear no more the heat o' the sun」は戯曲「シンベリン」の中の弔いの歌だそうです。(シンベリンは今ちょっと見たら喜劇にカテゴライズされてるけどちょっと不明確なところあるっぽい)。この作品の中だと一番有名といえる部分だそうで、フィンジの他にも主にイギリスの作曲家が歌曲に仕立てているそう。
改めて歌詞を見てみると素晴らしいのですが、私はとにかく歌を聴いて歌詞が聞こえない人なので惚れたのは曲の方。バリトンの暖かみとピアノのシンプルなパートの美しさが優しい曲です。同じメロディーを調を変えてみたりハーモニーを変えてみたり、ちょっとした変化が綺麗で、曲全体を通した移り変わりもまるで夕暮れの空の色を愛しく見送るよう。
特に最後のセクション(歌詞では調子がちょっと変わる)の、西の空にちょっと残った名残惜しいかすかな光のようなのが好きです。
今日ようつべで色々探していたらどうもこの曲はオケ伴奏版もあるみたいです。ちょっと聞いただけだとピアノ伴奏の方が好きかな。色彩的に。
フィンジは他にも色々書いてるみたいでちょっと探ってみましたが、一遍にたくさん聞くのには向いてない感じもありますが綺麗な曲、面白い曲いろいろあるようです。こんど大学で見つけよう。
リンクしたのは手持ちのイギリス歌曲がいっぱいつまったCD。先ほど紹介した「Come away, come away, death」も合わせてお楽しみください。
数週間前突然「無料で聴力検査受けませんか?」と家に電話がかかってきてなんとなくアポを作られ今日検査だったので行ってきました。
特にこれといって耳の問題に心当たりがあるわけではないのですが、やっぱり音楽やる身ですし聴力検査は日本の小学校の時以来だったはずなので無料だしそこそこ近いしやるっきゃないだろう、と思ったわけです。
小学校のときにやった聴力検査ってどんなもんだったかほとんど記憶がないのですが今回やったのはそういう耳のクリニックでブースに入ってヘッドホンをして行う検査。
いくつか違うオクターブの音が異なった音量で再生されるのでそれが聞こえたら手元のボタンを押す、というものでした。
結果は良好でした。むしろ平均より良いとか。
音量に気をつけてるとはいえヘッドホン(耳かけタイプ)を使うことも少なくないのでちょっと安心です。
チャートはこんな感じ。
横軸に音の高さが周波数として、そして縦軸に音の大きさがプロットしてあって手書きが私の成績。イラストで音の高さや大きさを例えたり、そしてよく見ると特定の子音の発音が中央よりちょっと右上にプロットしてあるのが分かります。中央上にあるのは葉擦れの音?
広く知られているように年齢と共に可聴範囲は高音から狭くなっていくのですが私はまだまだ高音もいけるそうで、年齢平均と比べると高音の聴力もまだまだ残っているそうです。
検査をしてくれた方と後でちょっとしゃべったら音楽をやってる人にそういう傾向は少なからずあるらしく。
同時に音楽やる人全般耳にダメージを与えるリスクも高いです。例えばクラシックだとオケで周りの音が大きかったり、狭い部屋で練習したり、ヘッドホン・イヤホンで音を聞いたり。
オケのリハーサル用に特殊な耳栓を作ったりもどうやらしているみたい。私はとりあえずは大丈夫ですが。
今回検査して分かったのは自分が音を「探す」作業が上手いな、ということ。
最初にそこそこの音量で音が聞こえて、その同じピッチがもっと小さい音で聞こえるというシステムなので音程を覚えていれば音量が小さくてもある程度探せるというか。
音を脳で処理することに関しては結構自信があります。音の方向を探ることとか、オケのなかから楽器の音を探すこととか、音をある程度分解したりとか。視力が弱いから、というのとオケ生活もあるのかな。果たして実際自慢できるレベルなのかは分からないのですが。
でも脳がそういう働きを出来ても耳が健康でなければ聞こえないですからね。
(大学1年生の心理学で習ったことによると)耳が年齢とともに聞こえなくなるのは耳の蝸牛にある有毛細胞が減ってくるというmechanicalな問題で、しかも今のところ不可逆性らしいです。(どっかにあったっけ、有毛細胞の再生を研究している論文)
ところで先ほどのチャートの一番右上に鳥の声が示してあります。
メシアンは鳥の声の基音だけでなくその上の倍音まで書き表すので(なのでピアノ音楽にするときは音を落としているそう)、晩年まで様々な国で聞いた鳥の声を楽譜に起こしていたということは相当高音の聴力が強かったはず。どうやってその耳を維持していたんだろう。(脳で音を処理する能力のすごさももちろんですが)
ということで今回聴力検査の結果も良く一安心ですがこれからも普通に耳に気をつけていかなくちゃなりませんね。
ちなみに再検査は何も問題がなければ5年後でいいそうです。それまで維持につとめます。
今日の一曲: ジェラルド・フィンジ 「Let us garlands bring」より「Fear no more the heat o' the sun」
前回に続いて最近偶然聞いてちょっとビビッと来た曲。
フィンジはイギリスの作曲家なのですがethnic backgroundといい経緯といい独特な人です。日本語Wikipediaにもありますが「生涯」の最初の段落と、それからもちょっと後にあるリンゴの栽培と品種の保存のくだりが特に面白い。
「Let us garlands bring」はシェイクスピアの喜劇いくつかのテキストを歌詞にした歌曲集です。(学校で勉強したのは悲劇ばっかりなので全然元ネタ知らないよー)
全部で5つある歌曲のうち最初の「Come away, come away, death」は大学の伴奏の授業で弾いてものすごく好きでした。そちらもおすすめ。
「Fear no more the heat o' the sun」は戯曲「シンベリン」の中の弔いの歌だそうです。(シンベリンは今ちょっと見たら喜劇にカテゴライズされてるけどちょっと不明確なところあるっぽい)。この作品の中だと一番有名といえる部分だそうで、フィンジの他にも主にイギリスの作曲家が歌曲に仕立てているそう。
改めて歌詞を見てみると素晴らしいのですが、私はとにかく歌を聴いて歌詞が聞こえない人なので惚れたのは曲の方。バリトンの暖かみとピアノのシンプルなパートの美しさが優しい曲です。同じメロディーを調を変えてみたりハーモニーを変えてみたり、ちょっとした変化が綺麗で、曲全体を通した移り変わりもまるで夕暮れの空の色を愛しく見送るよう。
特に最後のセクション(歌詞では調子がちょっと変わる)の、西の空にちょっと残った名残惜しいかすかな光のようなのが好きです。
今日ようつべで色々探していたらどうもこの曲はオケ伴奏版もあるみたいです。ちょっと聞いただけだとピアノ伴奏の方が好きかな。色彩的に。
フィンジは他にも色々書いてるみたいでちょっと探ってみましたが、一遍にたくさん聞くのには向いてない感じもありますが綺麗な曲、面白い曲いろいろあるようです。こんど大学で見つけよう。
リンクしたのは手持ちのイギリス歌曲がいっぱいつまったCD。先ほど紹介した「Come away, come away, death」も合わせてお楽しみください。
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