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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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だいたいちまちまやってます。
前回のエントリーに拍手どうもです~

熱波も去り家も大分涼しくなりました。数日前と比べると格段に過ごしやすいです。
ただ最近どうも枕がへそを曲げたのかやたらと寝違えるので寝苦しさは暑かったとき以上です。
どうしてこうなったんだろう・・・

仕事の進みはまあまあですがピアノはそこそこ進歩が見られる・・・かも。
今延滞してたヒンデミットの1922年組曲の楽譜を返して手元にないので代わりに日替わりラヴェルやってます。久しぶりの曲もありますがそこそこ指が動いてくれて(そんな難しいやつまでまだ回ってないのですが)なかなか良い感じ。大好きなのですがなかなか演奏までは行ってないのでいずれは演奏レパートリーに組み込みたい。

そういえば今日の早朝(こっち時間で)にベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールでクラムの「子供たちの古の声」をズービン・メータの指揮で演奏していたそうです。
時間が時間だけに聞けませんでしたがが、クラムの音楽がこうやって一流の指揮者と奏者で、オケ音楽のコンサートで演奏されること(ちなみに一緒のコンサートでブルックナーの9番も演奏されたそうです)は嬉しいです。
もっとクラムの作品の演奏頻度が増えますように。

ゲームの方は元気に停滞中。
Twitterのフォロー先さんとポケモン交換してもらったりそれでフレンドサファリが解禁されたりなんだりズバット厳選進めたり。
それとポケモンでのパーティの組み方をちょっと調べて勉強したり色々考えてみたり。

パーティ組むの難しいですね。こないだピアノのプログラム組みと似てると書きました、がピアノは好きな曲を選んでなんとかある程度リンクができてつながりますのに対してポケモンは好きなのばっかり選ぶとストーンエッジがやたらと怖くなる(汗)
なので1匹選ぶところから苦手・得意・バランスをそれぞれ順に考えていく考え方をいまトレーニング中。

ポケモンは今718種類いますが、そうやってタイプのバランスを取るように選んでもタイプ内で選ぶポケモンは結局自分が親しみがある・使い勝手を知ってる・好きなポケモンに限られてくるわけで。
例えばじめんポケモンを選ぼう、となるとだいたいドリュウズとかトリトドンとかが先にでてドサイドンとかガマゲロゲとかは大体思いつかない。この傾向はタイプによって差があって、格闘ともなれば名前と大まかな種族値の傾向以外はほとんど知らなかったり。
なのでケースにより最適なのが選べてないだろうなーということは多々あります。
(ただこの偏りはあくまで「自分が使う」パーティに限ったもので、キャラクターに割り当てやるときは大分幅が広がるのがまた不思議なところ)

話は変わりますが先日車のフル免許が来ました。
こちらのシステムだと16歳からLマーク(筆記試験で取得)で保護者等付きで運転の練習を(公道で)始められて、18歳からPマーク(ハザード認識テスト+実技試験で取得)で一人で運転できるようになり、そこから3年経つと自動的にフル免許(Pマークより規制が若干緩い)取得となります。(Pマークも年齢によって2種類あって規制が違うのですが割愛)
私もほとんど運転してないながらあっという間に3年でフル免許。この先どれくらい運転するかわからないのでなんだか微妙な気持ちです。

さて、まだ首が痛いのでそろそろ寝転がりたいです。
その前に今日の一曲。


今日の一曲: ジョージ・クラム 「Apparition」より「Death Carol ("Song Of The Nightbird")」



本文でちょっとだけ言及したのでクラムを選ぼうと思いましたが、「子供たちの古の声」はおそらくほとんど紹介してるので、共にちょっと考えを巡らせていた「Apparition」を。
ものすごく短くて一見印象の薄い楽章ですがその巡らせていた考えの関係で選びました。

クラムは割と早くから、もう長いこと歌曲をたくさん作曲していますが、メゾ・ソプラノ歌手ジャン・デガエタニとコラボしていた頃の作品ってやっぱり特別な魅力があって、特殊な手法を用いているな、と考えていたのです。子供たちの~もそうですし、Apparitionもしかり、Madrigalsも。
これらの作品で使われている、無意味だけれどアーティキュレーションや発音で独特の表現をする音節の連なりだったり、鳥の声を真似るようなパッセージだったり、普通人間の声には無理な(かといって楽器でもあんまりやらない)変わった音の跳躍や表現だったり、そういうのはこの時期に限った表現手法なんですよね。
デガエタニが亡くなった後のアメリカ歌曲集とかには出てこない。少なくともあんまり。

それだけデガエタニがミューズであったということ、そしてその表現スタイルが奏者に依存していた、ということは本当にすごいと思います。そういった他の歌い手とは違うレベルの独特な表現ができるデガエタニも凄いですし、彼女の表現キャパをフルに使い広げるクラムもすごい。さらに言えば彼女が亡くなった後にさらに表現スタイルを別の方向に発展させていったところまですごい。

人間の声で「人間ではない、そして多くの場合現実には存在しない不思議な存在」を表現するここと(別の作曲家だとアデスの「テンペスト」のアリエルでも書きましたね)においてデガエタニは特別な歌い手だと思いますし、そんな彼女の歌を想定して書いたクラムの作品が本当に好きです。

「Apparition」は各楽章のキャラクターが違うだけじゃなくて中心となる存在もまた違ってくるので歌い手の表現の変化が楽しみ。この「Death Carol」はピアノ伴奏がほぼなしで、タイトルにあるように夜鳴く鳥(Whitmanの詩の原文では灰茶色だと書いてあるだけ)の声をアカペラで表しています。
短い楽章ですがちょっと真似してみると面白いですよ。音程だけじゃなくてアーティキュレーション、強弱などクラムがどれだけ繊細に、表現豊かに書いてるかがわかるかも。音楽の解釈のプロセスもちょっと味わえるんじゃないかしらん。

個人的なあれなのですが私にとって夏はクラムの季節です。とくに夏の夜はクラムの音楽にぴったり。(やっぱそういうとこバルトークやマーラーから受け継いでるところがあるんだなー)
好き好き言う割にはあんまりじっくり聞いてないので今夏は夏があるうちにクラムの音楽をもっと楽しみたいと思います。本当は弾きたいです。弾けたらなあ。

リンクはもちろんジャン・デガエタニの演奏で。
画像のみということはmp3アルバムありです。


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