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前回の記事に拍手ありがとうございました~
ちょっと思い出して書き残しておきたいこと一つ。
こないだ出かける日の朝に夢の中でパニック発作を起こしたんですよ。そして目が覚めなかった。
パニック発作は10年ほど前にそんなにひどくないですが1,2回ほど起こったきりで、こんな形で戻ってくるとは。
でもそれ以来特に関連症状とか変化とかはないので特に心配するようなことはなさそうです。
ちなみに今日facebookでフォローしてるメンタルヘルス団体がこんなイラストを紹介してました。
「何が起きても最悪の想定に光の速さで飛んでいく不安ガール」。ちょっと悔しくなるくらいいいとこ突いて思わず笑いました。確かにいるもんな、不安ガール。
さて、2月といえばコンサートシーズンがだんだんと始まってくる時期で、すでにメル響のSecret Symphonyも動き出していますし、メル響本体もSFドラマ「ドクター・フー」のコンサートをやったりしているようです。
遠出中にそういうクラシックに限らないコンサートについて友達と話をしてて、もちろんというかなんというか「そういうコンサートをもっとやったらいいのにね」という意見で。
ただ後から外部の素人なりに考えてみるとそういうコンサートって結構難しいんじゃないのかな・・・と思うようになってきました。
参考までにメル響がクラシック外でやってるコンサートには今回のドクター・フーだったりLord of the Ringsだったり、Tan Dunの映画音楽だったり、それからゲーム界隈ではThe Elder Scrolls V Skyrimのコンサートなど。こういうコンサートは大抵Melbourne Town Hallで行われ、映像も使ったりするそうです。
Melbourne Town Hallはメイン場所のHamer Hallより若干キャパシティが小さいホールで、前者満員=後者80%入り、くらいになりますかね。
そもそもMTHでやる理由はなんなのかな、と考えた結果やっぱり音楽と映像を合わせるためというのがあるかもしれない。ステージ横にブースみたいのが出来るようになってるので、あそこは。Hamer Hallはそこんとこそううまくいかないものなのかもしれない。
そして普通にクラシックのコンサートをやるよりも関わる人間も多くなる。
映像や演奏に関わる人員はもちろん、こういった映画などの作品ではオケは普段より小さくなることはなく、フルオケまたは普段より大人数になることもありそう。特に打楽器界隈・鍵盤界隈は多くなるんじゃないかな?さらに楽器も普段使わないようなもの(特に打楽器)を借りたり取り寄せたり、ということも必要になるか。
プラス映像との兼ね合いも合わせて&馴れないレパートリーを弾くのでリハーサルが多く・・・なるんだろうか。そこは変わらないのかな。プロだし。
それから楽譜も必然的に作曲者側から取り寄せになる。普段やってるようなレパートリーなら自分とこの楽譜ライブラリから使ったり国内の他のオケから借りることもできますが(ここら辺はちょっと知ってる話)、こういうレパートリーだとそれもできない。
そしてもちろん映像を取り寄せたり編集したりも必要になる。
あとは著作権とか作者への還元とかもあると考えると(チケット予約するのにも普通のシリーズまとめて予約とは別になってますし)、お客さんがいっぱい集まっても必ずしもものすごく儲かるわけじゃないのかもしれない、と素人なりにですが思います。
メル響は大きいオケでこういう大きいこともできたり、それを大きく宣伝したりできます(あとスポンサーにEmiratesがいたりしいます)が、他のオケだとなかなか難しそう。お金の問題もそうですがそれ以外の意味でも企画して実現する余裕ってなかなか得るのが難しい。
でも今はそういう大規模な形でなくとも「純コンサート」とはちょっと違った形のコンサートって増えてきて演奏形態は確かに広がっていると思います。
こないだのCathexisの限られたスペースの中で(とにかく楽器が多かった)映像と照明を効果的に使った演奏もそうですし、Grigoryan Brothersのプラネタリウムでのコンサート、メル響のSecret Symphony各シリーズもそう。
他にもちょろっと話を聞く限りでも踊りや演劇などのエレメントを取り入れたり、静画や映像、詩の朗読を取り入れたり、音楽の表現のため枠にとらわれない色々な試みが色んなところで行われています。
そういうのも考えてみたいなーとか思いながらもやっぱり自分にはそんな余裕は今のところなかなかないですね。個人単位でやってるのと、あと奏者としてできることがほんと狭いですし。
でもやってみたい。ちょっと世界が広がりそう。
それと同時にしっかりクラシックの範囲・純コンサートに特化してそれだけやってるオケも多くあってもいいんじゃないか、と思います。クラシックのレパートリーの多さとそれを外に出していくことの大切さがまず最初に思いつく理由なのですが、あと広げるだけでなく一つの形態を深める大切さもそうですし、私みたいな割と不器用というか活動範囲が狭い人間が力を出せる場があるといいなという気持ちもあったり(やっぱりチャレンジする、広げる機会があるとある程度広がりますが、常に色んなジャンルのことがプロレベルでできる器用な人は少数だと思うです)。
あとは逆に他の音楽・表現ジャンルの人がクラシックとのコラボだったりクラシックの作品を演奏する機会も増えていいんじゃないかな。(ニコニコ動画でエース長官が葉加瀬太郎さんと共演してたのをちょろっと見たのですがあくまでも一例としてそういう形とか)
クラシック側から歩み寄ってる部分って意外と多くて、例えば現代音楽でクラシック外のスタイルに影響を受けて書いてる曲もあったり、もっとがっつりジャンル融合してたりってのもあったり。逆方向だったらクラシック音楽のリミックスとかアレンジとかもあったりしますし、でももっと色んな形態や機会で見てみたい&聴いてみたい。
せっかくジャンル(クラシックとそれ以外に限らず)の垣根が曖昧になってるのでどっちが歩み寄るとかじゃなく色んな方向から色んな方向に力を合わせていくのが一番。
今年もたくさんのコンサートを手帳に書き入れましたが色んな形で音楽を楽しめるといいな。
自分のこともちゃんとせねばですがとにかく聴く楽しみが楽しみです。
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「沈める寺」(富田勲によるシンセサイザー版)
そういう意図で選んだのではないのですが奇しくもクラシックとその外のジャンルの融合作品。
日本で買ったiTunes Store Cardの残り2000円でこのアルバムを買いました。富田勲の展覧会の絵、惑星に続いてドビュッシー作品集。前の2枚と同じく良く知っている曲揃いで、シンセサイザーの音で聴くと最初奇妙に聞こえるのですが、ちょっと聴き込むだけで新しい解釈と色彩が馴染むのがまた面白い。
ドビュッシーのピアノ音楽ってペダルを長く踏むことが多く(うちの先生は基本的にはベースが替わるまで変えなくて良い、と言ってます)、それがシンセサイザーの長ーく伸ばす音と似ているようで違うようで、でも相性が良かったり。
この「沈める寺」では特にその伸ばす音の重なりようが素晴らしいハーモニーと色彩を作っています。ピアノとはまた違うtexture。
シンセサイザー版の「沈める寺」はピアノ版の「沈める寺」と随分曲調が違うようにも思えますが、でも元の話(フランスの西の沖にあり海に沈んだ国イスの寺が姿を現すという伝説)にはどちらのバージョンも忠実なのが面白い。ピアノ版では強弱、和音の厚さやタッチで色彩を表しますが、シンセサイザーでは音色の違いで情景の変化をさらに視覚的に描きます。
これまで聴いた前述2枚では音色は違えど(そこを変換・翻訳してしまえば)そんなに解釈違わないなーという印象だったのですが、富田勲のドビュッシーは自分の解釈と色々違うところがあってものすごく新鮮でした。(ただ「沈める寺」はそこまで違わなかったかも。「雪の上の足跡」とか特にそうで、ちょっと弾き直してみたくなりました)
ピアノ同士でドビュッシーの演奏・解釈がものすごく違ってくるってことはあんまりないぽいのでそういう意味でもこの版を知って良かったです。
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ちょっと思い出して書き残しておきたいこと一つ。
こないだ出かける日の朝に夢の中でパニック発作を起こしたんですよ。そして目が覚めなかった。
パニック発作は10年ほど前にそんなにひどくないですが1,2回ほど起こったきりで、こんな形で戻ってくるとは。
でもそれ以来特に関連症状とか変化とかはないので特に心配するようなことはなさそうです。
ちなみに今日facebookでフォローしてるメンタルヘルス団体がこんなイラストを紹介してました。
「何が起きても最悪の想定に光の速さで飛んでいく不安ガール」。ちょっと悔しくなるくらいいいとこ突いて思わず笑いました。確かにいるもんな、不安ガール。
さて、2月といえばコンサートシーズンがだんだんと始まってくる時期で、すでにメル響のSecret Symphonyも動き出していますし、メル響本体もSFドラマ「ドクター・フー」のコンサートをやったりしているようです。
遠出中にそういうクラシックに限らないコンサートについて友達と話をしてて、もちろんというかなんというか「そういうコンサートをもっとやったらいいのにね」という意見で。
ただ後から外部の素人なりに考えてみるとそういうコンサートって結構難しいんじゃないのかな・・・と思うようになってきました。
参考までにメル響がクラシック外でやってるコンサートには今回のドクター・フーだったりLord of the Ringsだったり、Tan Dunの映画音楽だったり、それからゲーム界隈ではThe Elder Scrolls V Skyrimのコンサートなど。こういうコンサートは大抵Melbourne Town Hallで行われ、映像も使ったりするそうです。
Melbourne Town Hallはメイン場所のHamer Hallより若干キャパシティが小さいホールで、前者満員=後者80%入り、くらいになりますかね。
そもそもMTHでやる理由はなんなのかな、と考えた結果やっぱり音楽と映像を合わせるためというのがあるかもしれない。ステージ横にブースみたいのが出来るようになってるので、あそこは。Hamer Hallはそこんとこそううまくいかないものなのかもしれない。
そして普通にクラシックのコンサートをやるよりも関わる人間も多くなる。
映像や演奏に関わる人員はもちろん、こういった映画などの作品ではオケは普段より小さくなることはなく、フルオケまたは普段より大人数になることもありそう。特に打楽器界隈・鍵盤界隈は多くなるんじゃないかな?さらに楽器も普段使わないようなもの(特に打楽器)を借りたり取り寄せたり、ということも必要になるか。
プラス映像との兼ね合いも合わせて&馴れないレパートリーを弾くのでリハーサルが多く・・・なるんだろうか。そこは変わらないのかな。プロだし。
それから楽譜も必然的に作曲者側から取り寄せになる。普段やってるようなレパートリーなら自分とこの楽譜ライブラリから使ったり国内の他のオケから借りることもできますが(ここら辺はちょっと知ってる話)、こういうレパートリーだとそれもできない。
そしてもちろん映像を取り寄せたり編集したりも必要になる。
あとは著作権とか作者への還元とかもあると考えると(チケット予約するのにも普通のシリーズまとめて予約とは別になってますし)、お客さんがいっぱい集まっても必ずしもものすごく儲かるわけじゃないのかもしれない、と素人なりにですが思います。
メル響は大きいオケでこういう大きいこともできたり、それを大きく宣伝したりできます(あとスポンサーにEmiratesがいたりしいます)が、他のオケだとなかなか難しそう。お金の問題もそうですがそれ以外の意味でも企画して実現する余裕ってなかなか得るのが難しい。
でも今はそういう大規模な形でなくとも「純コンサート」とはちょっと違った形のコンサートって増えてきて演奏形態は確かに広がっていると思います。
こないだのCathexisの限られたスペースの中で(とにかく楽器が多かった)映像と照明を効果的に使った演奏もそうですし、Grigoryan Brothersのプラネタリウムでのコンサート、メル響のSecret Symphony各シリーズもそう。
他にもちょろっと話を聞く限りでも踊りや演劇などのエレメントを取り入れたり、静画や映像、詩の朗読を取り入れたり、音楽の表現のため枠にとらわれない色々な試みが色んなところで行われています。
そういうのも考えてみたいなーとか思いながらもやっぱり自分にはそんな余裕は今のところなかなかないですね。個人単位でやってるのと、あと奏者としてできることがほんと狭いですし。
でもやってみたい。ちょっと世界が広がりそう。
それと同時にしっかりクラシックの範囲・純コンサートに特化してそれだけやってるオケも多くあってもいいんじゃないか、と思います。クラシックのレパートリーの多さとそれを外に出していくことの大切さがまず最初に思いつく理由なのですが、あと広げるだけでなく一つの形態を深める大切さもそうですし、私みたいな割と不器用というか活動範囲が狭い人間が力を出せる場があるといいなという気持ちもあったり(やっぱりチャレンジする、広げる機会があるとある程度広がりますが、常に色んなジャンルのことがプロレベルでできる器用な人は少数だと思うです)。
あとは逆に他の音楽・表現ジャンルの人がクラシックとのコラボだったりクラシックの作品を演奏する機会も増えていいんじゃないかな。(ニコニコ動画でエース長官が葉加瀬太郎さんと共演してたのをちょろっと見たのですがあくまでも一例としてそういう形とか)
クラシック側から歩み寄ってる部分って意外と多くて、例えば現代音楽でクラシック外のスタイルに影響を受けて書いてる曲もあったり、もっとがっつりジャンル融合してたりってのもあったり。逆方向だったらクラシック音楽のリミックスとかアレンジとかもあったりしますし、でももっと色んな形態や機会で見てみたい&聴いてみたい。
せっかくジャンル(クラシックとそれ以外に限らず)の垣根が曖昧になってるのでどっちが歩み寄るとかじゃなく色んな方向から色んな方向に力を合わせていくのが一番。
今年もたくさんのコンサートを手帳に書き入れましたが色んな形で音楽を楽しめるといいな。
自分のこともちゃんとせねばですがとにかく聴く楽しみが楽しみです。
今日の一曲: クロード・ドビュッシー 「沈める寺」(富田勲によるシンセサイザー版)
そういう意図で選んだのではないのですが奇しくもクラシックとその外のジャンルの融合作品。
日本で買ったiTunes Store Cardの残り2000円でこのアルバムを買いました。富田勲の展覧会の絵、惑星に続いてドビュッシー作品集。前の2枚と同じく良く知っている曲揃いで、シンセサイザーの音で聴くと最初奇妙に聞こえるのですが、ちょっと聴き込むだけで新しい解釈と色彩が馴染むのがまた面白い。
ドビュッシーのピアノ音楽ってペダルを長く踏むことが多く(うちの先生は基本的にはベースが替わるまで変えなくて良い、と言ってます)、それがシンセサイザーの長ーく伸ばす音と似ているようで違うようで、でも相性が良かったり。
この「沈める寺」では特にその伸ばす音の重なりようが素晴らしいハーモニーと色彩を作っています。ピアノとはまた違うtexture。
シンセサイザー版の「沈める寺」はピアノ版の「沈める寺」と随分曲調が違うようにも思えますが、でも元の話(フランスの西の沖にあり海に沈んだ国イスの寺が姿を現すという伝説)にはどちらのバージョンも忠実なのが面白い。ピアノ版では強弱、和音の厚さやタッチで色彩を表しますが、シンセサイザーでは音色の違いで情景の変化をさらに視覚的に描きます。
これまで聴いた前述2枚では音色は違えど(そこを変換・翻訳してしまえば)そんなに解釈違わないなーという印象だったのですが、富田勲のドビュッシーは自分の解釈と色々違うところがあってものすごく新鮮でした。(ただ「沈める寺」はそこまで違わなかったかも。「雪の上の足跡」とか特にそうで、ちょっと弾き直してみたくなりました)
ピアノ同士でドビュッシーの演奏・解釈がものすごく違ってくるってことはあんまりないぽいのでそういう意味でもこの版を知って良かったです。