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前回のエントリーに拍手2つありがとうございます!
やっぱり需要があるのかAge of Wonders情報。
ちなみに宣言通りデラックス版予約してきました。ただその時にSteamにあったコメントで気づいたのですがMac版はなくてWindows版のみだそうなので要注意です。
(ちなみにあの後からAge of Wonders: Shadow Magic再開しました。ただ進歩が見られない上にのめりこんでしまってなかなかちょうどいいテンションで遊べないのが悩みです)
さて、最近忙しくてこっちにしっかり考えて書くことが少なくなり、結果先延ばしになってたのがこちらの本の感想。
「ボクの彼女は発達障害~障害者カップルのドタバタ日記~」
著:くらげ 漫画:寺島ヒロ
Twitter経由で出会ったこの本、こないだ両親が一時帰国したときに買って送ってもらいました。
数年前に「大人の発達障害」について日本で本が出始めた頃、母が自分も発達障害なのかもしれないと言ってたこともあり、母にも読んでもらって感想が聞きたかったので送ってもらうシステムがちょうどよかったです。そこら辺の詳しいとこは後ほど。
この本は著者であるくらげさんとその彼女あおさんの日常を描いた漫画です。くらげさんは聴覚障害、あおさんは発達障害を持つ障害者同士ですが、始めにある通り「付き合った相手に、お互い障害があった」という「当たり前のカップルの話」です。
タイトルの通り主となるのはあおさんの障害についての話ですが、性質の違う障害がうまく噛み合うところがある部分も面白い。
作品の舞台が現実で日常なのですが、その普通に思える日常を拡大すると発達障害を持つ人にはこんなにも大変なことがあるんだ、という話がたくさん。
母曰く当事者自身であるある、と思うけどその他の人にはなかなかわかりにくいことが書いてあって興味深かったそうです。
当事者じゃない私にはそういった日常の小さな事を一つずつクローズアップするフォーマットがわかりやすかった。全体的に優しい説明のしかたでしたし。(そして漫画+文の合わせ技が最初にがーっと全体読んであとでゆっくり読み込む私の本の読み方に大変フィットしました(笑))
あと障害の話に限らず日常の話を読むのが好きなのです。
そして専門家でない立場でのサポートのことについてもちょっと考えさせられます。
主に鬱を始めメンタルヘルス関係で患者の家族・友人としてのサポートとか役割とか線引きとか距離とかについて考えることが多いのですが、この本ではくらげさんが食事に行ったときなど各所でいいアシストを決めている場面が色々あって、それが読み手としてもなるほどと腑に落ちる感じ。そしてそのナイスアシストまでには試行錯誤が必要でいつもすんなり解決するわけではない、というのは忘れないようにしないとなあ。
ここらからちょっと母や自分のことについての話になりますが。
母が発達障害かもしれない、と言われてから数年、この本とちょっと照らし合わせるようにしてちょっと話したりもしましたが娘としてはあんまりまだぴんとこないというか。母親=第1基準なので自分が見てる母が普通みたいな感じですかね・・・あと子供の頃の行動とかはもちろん見てないですしね。
ちなみに母があるあるの例として挙げてたのがこだわりに関して、母の場合は洗濯物干しとか皿洗いとかでどうしてもこうしなくちゃいけない的なものがずっとあるそうで。
自分が発達障害に当てはまるとは思わないのですが個々の性質・行動・現象には共感することが少なくなかったです。(程度こそ普段の生活には問題ないですが。ただ普段の生活がちょっと特殊ではあるか。母の大人の発達障害関連の本で当てはまった項目はほぼ全部鬱から派生したことだった気が)
たとえば服の話とか、自分で選んだパターンの轍にはまることにちょっと似たような行動のrigidityが自分にも色々あって、それに改めて気づいて考えるきっかけになったり。
そして「適当に」とかの曖昧な表現も若干苦手なところがあるなあ(これは母は大丈夫で私が比較的弱いところっぽい。)
あとこのブログでも書いてますが聴覚過敏に関しての話も。そういえばそもそもこの本を知るきっかけになったのがTwitterでノイズキャンセリングイヤホンについての話を探してたのです。あおさんみたいに常時でないもののここ数年軽躁の時には聴覚過敏がほぼ必ず出てくるようになったので。常時じゃないから「そういえば」になったり、常時でないからお値段そこそこするのを購入するかどうか悩んでいるところです。当時はあんなにしんどいのに実際に悩んでないときってホントそこんところ見えなくなって分からなくなるんですよね・・・
話は大分逸れた上にどっちに関しても書きたいことが書けたかちょっと分からなくなってきたのですが感想という名のエントリーはここまでにします。
疲労はまだまだ強いですがやっと頭の中が片付いてきて少しずつ余裕が出来てきた気がするので仕事以外もだんだんと思考と表現の充実をなんとかしていきたいです。ちょっとずつ。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 歌曲集「シェヘラザード」より「アジア」
ラヴェルの歌曲、前回迷ってると書いてから何回か聴いているのですがどうも未だにぴんとこない。ラヴェルの音楽全般はものすごく自分にとって近いというか親しみがあるのに歌曲関係はなぜぴんとこない、とずっと悩んでいます。
決してラヴェルの歌曲が他の種類の楽曲と、そして他の作曲家の歌曲と比べて劣ってるわけではないんですけど、少なくとも自分にとってはラヴェルと歌曲の組み合わせはちょっと違うのかなあ、と。
そもそもラヴェルの歌曲ってメロディーがメインでものすごく印象が強いって感じじゃないんですよね。伴奏役のオケのハーモニーとか描写とかが負う役割がかなり大きくて、全体像として風景もひっくるめた映像作品のような感じで聞いています。(もしその役割分担だと歌い手は詩を届けるのがメインということになるのかな?)
で、やっぱりそこはラヴェルの強みでオケで色彩や風、雰囲気や空気を描き込むのがすごい。歌曲だけど楽器の活躍が凄い(とくに木管楽器。この「アジア」でのオーボエやコールアングレ、「魔法の笛」でのフルートは主演が歌い手ならかなりキャラのある助演俳優になりますね)。
特にこの「アジア」ではそのオケの運びや歌のパートの現れ方が物語的というか風景描写と語りの部分が強くて、歌曲としては長めながらも一続きの動きというか流れがあって、なんだか語り手としてのシェヘラザードを連想するような。
そしてこの詩(「シェヘラザード」は全3楽章トリスタン・クリングゾールの詩を歌詞としています)の遠方への憧れとラヴェルの音楽の遠くまで広がるような風景の相性が素晴らしいと思います。
ということでまだ腑に落ちていないながらも魅力を感じる曲です。
ちなみに同じCDに収録されていた「2つのヘブライの歌」も面白いですよ。以前ここでその中の「カディッシュ」のバイオリン版・フルート版を紹介or言及してると思うのですが、改めて歌曲として聴くとものすごく歌曲です(笑)
リンクしたのは(試聴なしですが)手持ちの録音。ジャケットがちょっと素敵。
やっぱり需要があるのかAge of Wonders情報。
ちなみに宣言通りデラックス版予約してきました。ただその時にSteamにあったコメントで気づいたのですがMac版はなくてWindows版のみだそうなので要注意です。
(ちなみにあの後からAge of Wonders: Shadow Magic再開しました。ただ進歩が見られない上にのめりこんでしまってなかなかちょうどいいテンションで遊べないのが悩みです)
さて、最近忙しくてこっちにしっかり考えて書くことが少なくなり、結果先延ばしになってたのがこちらの本の感想。
「ボクの彼女は発達障害~障害者カップルのドタバタ日記~」
著:くらげ 漫画:寺島ヒロ
Twitter経由で出会ったこの本、こないだ両親が一時帰国したときに買って送ってもらいました。
数年前に「大人の発達障害」について日本で本が出始めた頃、母が自分も発達障害なのかもしれないと言ってたこともあり、母にも読んでもらって感想が聞きたかったので送ってもらうシステムがちょうどよかったです。そこら辺の詳しいとこは後ほど。
この本は著者であるくらげさんとその彼女あおさんの日常を描いた漫画です。くらげさんは聴覚障害、あおさんは発達障害を持つ障害者同士ですが、始めにある通り「付き合った相手に、お互い障害があった」という「当たり前のカップルの話」です。
タイトルの通り主となるのはあおさんの障害についての話ですが、性質の違う障害がうまく噛み合うところがある部分も面白い。
作品の舞台が現実で日常なのですが、その普通に思える日常を拡大すると発達障害を持つ人にはこんなにも大変なことがあるんだ、という話がたくさん。
母曰く当事者自身であるある、と思うけどその他の人にはなかなかわかりにくいことが書いてあって興味深かったそうです。
当事者じゃない私にはそういった日常の小さな事を一つずつクローズアップするフォーマットがわかりやすかった。全体的に優しい説明のしかたでしたし。(そして漫画+文の合わせ技が最初にがーっと全体読んであとでゆっくり読み込む私の本の読み方に大変フィットしました(笑))
あと障害の話に限らず日常の話を読むのが好きなのです。
そして専門家でない立場でのサポートのことについてもちょっと考えさせられます。
主に鬱を始めメンタルヘルス関係で患者の家族・友人としてのサポートとか役割とか線引きとか距離とかについて考えることが多いのですが、この本ではくらげさんが食事に行ったときなど各所でいいアシストを決めている場面が色々あって、それが読み手としてもなるほどと腑に落ちる感じ。そしてそのナイスアシストまでには試行錯誤が必要でいつもすんなり解決するわけではない、というのは忘れないようにしないとなあ。
ここらからちょっと母や自分のことについての話になりますが。
母が発達障害かもしれない、と言われてから数年、この本とちょっと照らし合わせるようにしてちょっと話したりもしましたが娘としてはあんまりまだぴんとこないというか。母親=第1基準なので自分が見てる母が普通みたいな感じですかね・・・あと子供の頃の行動とかはもちろん見てないですしね。
ちなみに母があるあるの例として挙げてたのがこだわりに関して、母の場合は洗濯物干しとか皿洗いとかでどうしてもこうしなくちゃいけない的なものがずっとあるそうで。
自分が発達障害に当てはまるとは思わないのですが個々の性質・行動・現象には共感することが少なくなかったです。(程度こそ普段の生活には問題ないですが。ただ普段の生活がちょっと特殊ではあるか。母の大人の発達障害関連の本で当てはまった項目はほぼ全部鬱から派生したことだった気が)
たとえば服の話とか、自分で選んだパターンの轍にはまることにちょっと似たような行動のrigidityが自分にも色々あって、それに改めて気づいて考えるきっかけになったり。
そして「適当に」とかの曖昧な表現も若干苦手なところがあるなあ(これは母は大丈夫で私が比較的弱いところっぽい。)
あとこのブログでも書いてますが聴覚過敏に関しての話も。そういえばそもそもこの本を知るきっかけになったのがTwitterでノイズキャンセリングイヤホンについての話を探してたのです。あおさんみたいに常時でないもののここ数年軽躁の時には聴覚過敏がほぼ必ず出てくるようになったので。常時じゃないから「そういえば」になったり、常時でないからお値段そこそこするのを購入するかどうか悩んでいるところです。当時はあんなにしんどいのに実際に悩んでないときってホントそこんところ見えなくなって分からなくなるんですよね・・・
話は大分逸れた上にどっちに関しても書きたいことが書けたかちょっと分からなくなってきたのですが感想という名のエントリーはここまでにします。
疲労はまだまだ強いですがやっと頭の中が片付いてきて少しずつ余裕が出来てきた気がするので仕事以外もだんだんと思考と表現の充実をなんとかしていきたいです。ちょっとずつ。
今日の一曲: モーリス・ラヴェル 歌曲集「シェヘラザード」より「アジア」
ラヴェルの歌曲、前回迷ってると書いてから何回か聴いているのですがどうも未だにぴんとこない。ラヴェルの音楽全般はものすごく自分にとって近いというか親しみがあるのに歌曲関係はなぜぴんとこない、とずっと悩んでいます。
決してラヴェルの歌曲が他の種類の楽曲と、そして他の作曲家の歌曲と比べて劣ってるわけではないんですけど、少なくとも自分にとってはラヴェルと歌曲の組み合わせはちょっと違うのかなあ、と。
そもそもラヴェルの歌曲ってメロディーがメインでものすごく印象が強いって感じじゃないんですよね。伴奏役のオケのハーモニーとか描写とかが負う役割がかなり大きくて、全体像として風景もひっくるめた映像作品のような感じで聞いています。(もしその役割分担だと歌い手は詩を届けるのがメインということになるのかな?)
で、やっぱりそこはラヴェルの強みでオケで色彩や風、雰囲気や空気を描き込むのがすごい。歌曲だけど楽器の活躍が凄い(とくに木管楽器。この「アジア」でのオーボエやコールアングレ、「魔法の笛」でのフルートは主演が歌い手ならかなりキャラのある助演俳優になりますね)。
特にこの「アジア」ではそのオケの運びや歌のパートの現れ方が物語的というか風景描写と語りの部分が強くて、歌曲としては長めながらも一続きの動きというか流れがあって、なんだか語り手としてのシェヘラザードを連想するような。
そしてこの詩(「シェヘラザード」は全3楽章トリスタン・クリングゾールの詩を歌詞としています)の遠方への憧れとラヴェルの音楽の遠くまで広がるような風景の相性が素晴らしいと思います。
ということでまだ腑に落ちていないながらも魅力を感じる曲です。
ちなみに同じCDに収録されていた「2つのヘブライの歌」も面白いですよ。以前ここでその中の「カディッシュ」のバイオリン版・フルート版を紹介or言及してると思うのですが、改めて歌曲として聴くとものすごく歌曲です(笑)
リンクしたのは(試聴なしですが)手持ちの録音。ジャケットがちょっと素敵。
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