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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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コンサート「Plexus: Pantheon」感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
AoW III の公開周りで関連エントリーにアクセスが増えててなんだか恐縮です。
前回のエントリーでAoWシリーズが戦略ゲームであるとかかなり基本的な事書くの忘れてたりそういう変な至らなさがあってすみません(汗)

そして音楽エントリーもまだ至らぬところだらけですが、ちょっとずつ心を取り戻している(?)ようなのでぼちぼちまたネタを探したり詰めたりしていきたいところ。

さて、昨日はコンサートに行ってきました。メルボルンで4月といえば新しい音楽の祭典Metropolisシリーズ。Melbourne Recital Centreで今年もやっています。
そんなMetropolisのコンサートで同門の先輩であり友人であるピアニスト(こないだドイツのベートーヴェンコンクールで準優勝してきたとのこと!)が最近新しく始めたアンサンブル「Plexus」で演奏する、ということで行っていました。詳細は下記に。

Plexus 「Pantheon」
場所:Melbourne Recital Centre(Salon)
ピアノ:Stefan Cassomenos
バイオリン:Monica Curro
クラリネット:Philip Arkinstall
テノール:Christopher Saunders

プログラム:
Paul Grabowsky 「Djuwalparra」
Ian Grandage 「The Keep」
Richard Mills 「Ganymede and Leda」
Gordon Kerry「The End of Many Worlds」
Michael Kieran Harvey 「Deus est Fabula」

オーストラリアの作曲家による神話や信仰に関する曲を集めたプログラム。1時間ちょっとのコンサートでしたが濃かった!
そして5曲中5曲が世界初演です。ちょっと一部プログラム順が変わっててMillsとGrandageの曲がどっちかどっちかわからなくなってしまったため感想は他の3曲について書きます。

テノール歌手が入ってたのがGrabowskyとKerryの2曲。どちらも聴き応えのある曲でした。
こないだシューベルトの歌曲について考えてたり聴いたり(生じゃなくてですが)してたのですが、あの頃と比べてほんと楽器付きの歌曲って進化したなあと思います。歌のパートもピアノのパートもその他の楽器のパートもものすごく規模が大きく難しくなって。それでいて個々のパートも自由と表現の豊かさが増えて、パート間の掛け合いもすごいことになって。

特に「Djuwalparra」はその歌曲の進化を実感しました。歌、ピアノ、バイオリン、クラリネットそれぞれのパートがすごく自由で豊かな表現をしていて、音楽の至るところが生きているような。一つの生きてる世界がありました。この曲はオーストラリア北部の先住民の部族の祖先にあたる人物を題材にしていて、その名前をこのタイトルに使うのに実際にその部族の代表から許可をもらっているそうです(オーストラリア従来の文化とのコラボ自体も素晴らしいですがそのプロセスも大事ですね)。

Kerryの「The End of Many Worlds」はカンタータという形をとっているため上記の曲よりもテキストの中身が音楽の意味に重要な役割を担ってきます。なのでできたらテキスト入手してからもう一回じっくり聴きたい。(ちなみにテキストはエウリピデスの「トロイアの女たち」、セバスチャン・バリーの「A Long, Long Way」から来ているそうです)
とにかく歌い手のパートが強くて、こちらは「人間」を感じる曲でした。

そしてHarveyの「Deus est Fabula」。マイケルの曲は久しぶりに聴きますが(会うのも久しぶり)安定の曲調というか世界観、そしてパワフルさですね。一つのテーマ(この場合はDeusを表すレ(D)とミ♭(Es)からパターンを幾何学的に展開していく、思考に通じるところがある音楽。ところどころ特定の音型が何かを「象徴」しているんじゃないかと思える部分があったり、テーマの繰り返しを追ったり、そういう音楽は自分にとって聴いて楽しいです。わからなくとも楽しめる音楽ってそういうものなのかもしれない(一例として)。

あとクラリネットは途中何曲かでバスクラリネット持ち替えだったのですがバスクラかっこよかった!ものすごく良さそうな楽器で狭いホールとはいえものすごく密な響きでぶいぶい言ってました。あれはもっと聴きたい。

そもそも室内楽のアンサンブルだと普通ピアノ+バイオリン+チェロとかバイオリン+ビオラ+チェロみたいに音域的にもバランスをとるような編成になってるのですが、このピアノ+バイオリン+クラリネット(バルトークとかストラヴィンスキー以来多くなった編成)という編成ではクラリネットが割と低音も弾けるにもかかわらずバイオリンとクラリネットがどっちも高音で似たようなパートを時に競うように、時に寄り添うように弾くのが特徴的。

5つの曲どれもアンサンブルのポテンシャルをフルに発揮してさらに挑戦するような作品ばかりで、書く方も大変だと思いましたがなにより5つまとめて弾く奏者がものすごく大変そう!
でも(ほとんど満席だった)聴衆の反応も良さそうでしたし、新しい(オーストラリアの)音楽を発表する場としては素晴らしい機会のコンサートになったと思います。

そしてちょっとぶり&長いことぶりのピアノ仲間にも会えて良かったです。
音楽仲間とコンサートという場であったり話したりするのは楽しいし安心しますね。奏者に友達がいるとそのつてでまた輪が広がったり。
(必ずといって良いほど「メシアン弾き」として紹介されるんですよね、そういう場だと。そして前述同門の友達は昨日私をとんでもなくもったいない言葉で紹介して今でもなんだかプレッシャーに感じてます)

コンサートとその後の集まり合わせてちょっと音楽に関する燃料が補給された気がします。まだちょっと低迷は続くかもしれませんがなんとかそっち方面色々取り戻していきたいです。
(室内楽アンサンブルちょっと憧れたけどまずはソロの心ですねー)
あとMetropolisはあと1つ2つコンサートに行きたいです!両親のいるマレーシアに遊びに行く前に!


今日の一曲: エイノユハニ・ラウタヴァーラ チェロ協奏曲第2番 「地平線に向かって」



今回コンサートで演奏された曲は紹介無理で、似たようなジャンルとしてオーストラリアの比較的前衛的ながっつりな音楽を選ぶのもハードルが高くて、となった時にちょうどこないだ借りたラウタヴァーラの音楽が(曲は違いますが)Metropolisで演奏されるということでそれならラウタヴァーラにしようと。
手持ちからだとチェロ協奏曲と打楽器協奏曲が面白いのですが、後者はもちょっと聴き込みたいので前者に。

20世紀のチェロ協奏曲ってちょっと難解というか、難解なこと自体よりもチェロの得意である情熱とかメロディーを歌わせるとかいう表現形態とはちょっと別なところにある場合が多かったりする印象。そんな中でラウタヴァーラのチェロ協奏曲は古き良きチェロ魂と伝統的な形式に新しいサウンドを融合させた作品です。

もう最初の最初の音からチェロがかっこいい!嵐の様なオケの音に乗って駆け上がるチェロの音。そしてそこから続く情熱的なメロディー。哀愁もあれば気高さもあり、技巧も充実しています。
同じフィンランドのシベリウスのバイオリン協奏曲をちょっと思わせるような冷たさのなかの情熱、独特の暗さ、そして語り手・歌い手としてのソロの楽器のかっこよさがたまらない。

ハーモニーやオケ使いも大部分が聴きやすい、後期ロマン派と比べてそんなには変わらないような感じですが、要所要所での緊張感ある不協和音の混ぜ込みが良いですね。冒頭部分でも一部締め上げるような和音があります。

とにかくチェロ弾きの心をくすぐる新星のコンチェルトです。ちなみに作曲年は2008~09年。生年1928年ですから86歳ですか。そんなお年とは思えない感じ(むしろ成熟しているスタイルながらも精神は若々しい)曲です。
Metropolisで演奏されるのは1970年代のバイオリン協奏曲。スタイルが違ってくるのかちょっと気になります(聞きにいけるかわからないですが)。

新しい曲ということで録音は今のところ手持ちのと一緒のしかないかな?
同じCDに収録されてる打楽器も同時代の作曲で似たところがありますが打楽器がソロということでまた違う展開になっていて面白いです。また別の機会に紹介できるかな。

(お、Amazonのmp3アルバムのリンク表示直ったっぽいですね)

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