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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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初リハーサル行ってきました。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
ミッション2はあとちょっとで終わりです。今日ちゃちゃっと終わらせたいところ。

今日は本当に色々ありましたが今日はとりあえずリハーサルについて書きたいと思います。
メルボルンにはいくつかコミュニティベースのアマチュアオケがあって、その中のStonnington Symphony Orchestraに今年の初めに「チェレスタ弾かせてください」とお願いしたのですが、その結果が今日のリハーサル。
とりあえずコンサートの詳細はこちら:

Stonnington Symphony Orchestra
Malvern Town Hallシリーズ コンサート1
指揮者:Mark Shiell
Frederick Septimus Kelly 弦楽のためのエレジー
ジョージ・バターワース 「緑の枝垂れ柳の岸辺」
エドワード・エルガー チェロ協奏曲(チェロ:Kalina Krusteva)
ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第3番「田園交響曲」(ソプラノ:Alexandra Flood)

オール英国プログラム(Kellyはオーストラリア生まれイギリス育ち)で、今調べてみたらどれも「第一次世界大戦の後の置き土産」みたいな多少なりところがある曲の集まりです(たぶん)。
私が弾くのはヴォーン=ウィリアムズの3番のうち第3楽章のコーダ部分。のべ13小節くらい、時間にして1分ほど。でも大切なパートです。

ヴォーン=ウィリアムズはピアノのためにほとんど曲を残してなくてピアニストとしては縁が薄い作曲家なのですが、英国文化圏で弦楽器を弾いてれば一度は必ず聞く、そして結構弾く機会がある作曲家です。
交響曲はでもちょっと演奏頻度が低い印象。大体2番か5番かな。

交響曲第3番は最初の印象からずっと続けてとても地味なイメージ。でも聴き込むと(といっても自分の弾いてる第3楽章が主ですが)地味だからこその魅力とか味、表現があって面白いは面白い。地味というのは必ずしも悪いことではないのです。なのでこの交響曲に関しては地味さを強調したい。
(そしてたぶん今回のプログラム全体が渋そうなんですよね。唯一知ってるエルガーのチェロ協奏曲もロマンチックで有名な曲ですが暗さとか渋さはありますよね)

今回初めてのリハーサルということで(そして自分が弾くのが後半ということで)最初に楽章を通して弾いたときの1回しか弾く機会がありませんでした。しかもオケ所有のキーボードが壊れててピアノで弾くことに。

でもかなり得る物ありましたよ。まず今回の指揮者さん(何年もちょこちょこお世話になっています)がこの楽章に選んだテンポが手持ちの録音より(前半特に)ずっと速いことが判明して、そのテンポが体感できたことは大きいです。

そして指揮者さんがこの楽章のイメージについてちょっと話してくれたのは良かった。この曲には主に金管楽器で勇ましいテーマが出てきますが、その勇ましさは長く続かなくて崩れほどけてしまう、ということ。
確かにこの曲にはそういう「なくなってしまう」「過ぎ去ってしまう」的な感覚が至る所で感じられて、ヴォーン=ウィリアムズの音楽に特徴的な触れられない感と合わさって独特な儚さがあります。それは手持ちの録音より今回練習したテンポの方が強く感じられるわけですね。
(リハーサル中に改めて曲とその解釈を噛みしめると松尾芭蕉の「夏草や兵どもが夢の跡」という句を思い出しました)

そんなわけで地味なこの交響曲を噛みしめるように味わって、だんだん味が出てくるのを感じています。ヴォーン=ウィリアムズの交響曲ですでに好きな5番6番8番辺りを超えることはなさそうですが、これはこれで好きになりそう。
他の楽章も(そしてコンサートで演奏される他の曲も)聴き込んでみなきゃなあ。

そうそう、今回コンサートする場所がリハーサル場所と同じなのですがこのMalvern Town Hallというホールがなかなか素敵。薄い青を基調にしたすっきりしたヨーロピアンな装飾が素敵。古風なデザインでもあんまりごちゃごちゃしたり古い色なのは好きではないのですがこういうのは好き。公式サイトに内部の写真はなかったですがグーグル画像検索でいくつかちょっとずつ見れます。

さて、今日の朝の部の話はまた次回。これも自分にとっては大切な出来事だったので別エントリーを立てます。


今日の一曲: レイフ・ヴォーン=ウィリアムズ 交響曲第3番「田園交響曲」 第3楽章



コンサートの日にも紹介したいのですがとりあえず初めましてとして。
「田園交響曲」といえばベートーヴェンの6番ですがこちらも一応その名を冠しています。田園といってももちろんイギリスの田舎の風景。どの楽章をとっても「これは雨がよく降る地域の音楽だな-」と思います。メルボルンの冬の湿り気と若干通じるところはあるかな。

大体交響曲ってのは4楽章くらいで成り立ってて真ん中の2つの楽章が1つは遅くて1つは速くて(スケルツォ)、というのが定番というかバランスが取りやすいようになっています。
ただこの交響曲はちょっと変わっていて、第1楽章から第3楽章までテンポが何らかの「モデラート(中くらいのテンポ)」の範囲で、最後の楽章がそれよりちょっと遅い「レント」になってます。テンポからして地味さがすでにあります。

その中で第3楽章がいわゆるスケルツォに当たる役割になっています。前半は作曲家曰く「遅い舞曲」となっていて、3拍子中心でテンポがちょくちょく変わって展開します。舞曲のイメージを踏まえてよく考えてみるとホルストの「木星」に通じるようなところもあるかな。あんなに明るくないですが。
で、終わり1/3くらいが本当のスケルツォっぽい速い部分。前半で出てきた主題いくつかがフーガのように様々な楽器にめまぐるしくパスされ現れます。

風のように駆け抜けるスケルツォ部分も確かに空気のように透明で、捕まえられない、触れられない、消えてしまう感があるのですが前半も高音から低音に下がっていく部分とかフレーズの終わりとか、前述指揮者さんがいうように儚いところのある音楽になっています。

そんななかほんとにちょこっとしか弾かないけれどファンタジックに現れて少しの余韻を残してまた消えていくチェレスタのパートもまたその儚さを体現してるのではないか、と思います。
似たようなパートはラフマニノフの交響曲第3番の第2楽章にもあります。スケルツォの部分で非現実的で夢のような雰囲気を作る、主役ではないけど世界観を作り上げるには欠かせないパート。チェレスタの存在意義・役割ってこういうのもあるんですね。

ただ前述通りめまぐるしくあれよあれよと過ぎていく部分でちょろっと弾いてるだけなのでチェレスタの音を捕まえるのもちょっと難しいかも。耳が慣れてる人でも聞き流しちゃいそう。

どれくらい初聴きでぴんとくるか分かりませんがとりあえず聞いてみてください、とリンクしたのはもちろん英国のオケ&指揮者の録音。
するめのように噛めば噛むほど味が出る地味さ&渋さで、耳が慣れてディテールが聞こえるようになるたび新しい魅力が出てくる曲なので「なーんだ」と思っても諦めないで欲しいなあ、と思ってます。
実際私は練習+リハーサルで心にハーモニーが染みついてなんとも言えない面白い気持ちになっています(笑)なかなか他の曲では味わえない味覚ですよー。

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