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コンサートラッシュ引き続き!明日の2つでとりあえず聴きに行くのに忙しいのは終わりですがその後に感想など書くので終わりと言えるのはちょっと遅れます。
その感想の前に一つ。
タスマニアのホバート近郊(いまだに正確な場所はわからない)にある現代芸術を専門にするMuseum of Old and New Artsで2年前だったかな?メシアンの音楽を中心に音楽や美術などの分野を駆使した「Synaesthesia」(共感覚)というイベントをやってたんですが、この「Synaesthesia」が今年8月にまた開催されるとのことです。メシアンやスクリャービンの演奏やら色々企画されてるようでわくわく。行きたい!ただお値段が!そして8月ってタスマニアすごく寒いよ!
さて昨日のコンサートの感想。こないだ行ったばかりの国立アカデミー(ANAM)にまた行ってきました。
今回は弦楽器を主とした室内オーケストラMelbourne Chamber Orchestra(MCO)とANAMの共同コンサート。室内オケが1つではなく2つに分かれたdouble chamber orchestraという編成(バロック時代に特に使われた編成で、その後もちょこちょこレパートリーがあります)で書かれた現代の音楽4曲が演奏されました。うち2曲はオーストラリアの作曲家の作品で世界初演。
2つに分けたオケをどう扱うかがちょっとずつ違ってきて面白いです。
プログラムは以下の通り。
MCO & ANAM 「Double Entendre」
指揮者:Michael Dahlenburg
Director:William Hennessy
Gordon Kerry 「Music for Double Chamber Orchestra」(2014年)
フランク・マルタン バイオリン独奏と2つの小編成の弦楽オーケストラのための「Polyptyque」(1973年)(バイオリン:Doretta Balkizas)
(休憩)
Peter de Jager 「Fugue, Forest, Chorale & Toccata」(2014年)
マイケル・ティペット 二重弦楽オーケストラのための協奏曲(1934年)
演奏時間は1時間半くらいですが長さとか曲の規模とか関係なくMassiveでした。質量と密度がすごい。弾く方も指揮する方も大変そう。聞いててもちょっと捉えられない部分が多かった。
なのでなんとか感想が書けそうなマルタンとピーターの曲に絞って書きます。
マルタンは今回初めて聞いた&聴いた作曲なのですがなんでもスイスの作曲家(これも初)で数学とか科学とかをやっていた人だそうで、キリスト教関連の題材で多く曲を残しているそう。
一見そんなにものすごく変わったことはしていないような作風なのですが無調的な曲調と過去の伝統から流れてきてるような曲調がそれぞれ独特で、さらにそのバランスというか棲み分けがまた独特。
「Polyptyque」の曲自体の美しさもすごいのですがバイオリンソロの演奏には驚きの連続。レガートで音をつなげるそのつなげ方がものすごく粘度が高いというか、なめらかを超えたつながり方をしてものすごく濃い音で。ああいう感じの音はこれまでに聞いたことがなかったかも。
そして今回目当てで楽しみに行ったピーターの「Fugue, Forest, Chorale & Toccata」。
ものすごく好みな曲でしたが同時にものすごく難しい曲でした。
その複雑さから2つの室内オケを使っている感がちょっと薄い感じはしたかな。2つのパーツの掛け合いというレベルでない楽器の絡み合い。
4つのセクションそれぞれにユニークなtextureがあって各々の世界を展開していくのですが中でもフーガとForestが特に良かったと思います。
Forestでの自然を思わせる音の風景の静と動、まるで命を持っているような音の動き。そしてフーガの緻密さ。ものすごく詳細まで作り込んであって、顕微鏡レベルで耳をすますと後から後から主題が見つかるまるでフラクタル。それでいてマクロレベルで聞くtextureの魅力。フーガという形式に、そしてtextureという言葉をさらに高いレベルまで持ってったような印象です。
(このフーガを参考にこれまでのフーガの解釈・演奏の仕方を改めて見直したくなります、ほんとに)
ピーターの書く曲は良くも悪くも「安定している」というか、決まった一つの世界の中の秩序みたいなイメージがあります。それが良い方に働いたのがフーガで(完全な秩序未満だとカオスになりかねない)、逆にトッカータでは動きがないような印象になってしまっているような。たたみかけるようなエレメントがあるといいのかなあ、と思ったり。
あとピーターの作曲した音楽を聴くといつも絵を描きたくなります。幾何学的な作風だったり自分の書くステンドグラス風の絵が上記「決まった一つの世界の中の秩序」に合うところがあったりで。気が向いたらまた絵もやりたいです。しばらく手付けてないからなー。
今回のコンサートは作曲家(ピーター)と指揮者(ユースオケ以来のチェロ仲間で大学も同級生)だけが知り合いというちょっと変わった感じでした。
(directorはでも大学ではホビットにしか見えなかったり髪の毛をネタにされたり色々と有名な人で、まだまだ現役で演奏など続けててちょっと安心しました)
なので作曲サイドの話も聞きましたし指揮サイドの話も聞きましたし、そしてあとで飲みに行って初めまして(またはほぼ初めまして)の人から演奏サイドの裏話も聞いて。いろんなとこで難しいこと多々あったみたいでやっぱ演奏関連諸々楽しいことばかりじゃないんだな、と改めて思いましたが何より本番の演奏が良い結果で良かった。
そしてここしばらくのコンサートラッシュで色んな人に久しぶりだったり初めましてだったり会って音楽に関係あることないこと色々話してほんと楽しいです。コンサートとそのあとの打ち上げに関しては音楽関係者でよかったと毎回思います。次の機会が楽しみ。
ということで明日は2つコンサートに行ってきます。ホームじゃないジャンルのコンサートもありますがなんとか感想を書けたらいいな(汗)
今日の一曲: フランク・マルタン バイオリン独奏と2つの小編成の弦楽オーケストラのための「Polyptyque」より第4楽章「Image de Géthsémané」
今回のコンサートで演奏された曲は初演以外も結構知名度が低い曲だそうですが、マルタンのこの曲は是非紹介したいと思い初聴きで今日の一曲に挑戦。(一応録音とかもいくつか出てる曲だしピーターの曲よりは紹介しやすいはず・・・)
本文でも書きましたがマルタン(マーティンって英語読みで読んでた・・・)はスイス出身の作曲家でキリスト教関連の作品を色々書いていますが、「Polyptyque」もその一つ。~ptyqueという言葉には「~枚セットの(特に宗教的な)絵画」という意味があって、他にもTriptyqueとかDiptyqueなどがあります。(Poly=たくさんの、ですがpolyptyqueっていう言葉の字面がなんかむずむずします。ポリープ入ってるし。)
「Polyptyque」はキリストの受難を題材にした絵のセットとして書かれた音楽で、エルサレム入り(現代で祝われるPalm Sunday)から神に召されるまでを6つの楽章で描いています。
構成としてはエルサレム入り→弟子たちとの対話→ユダ→キリストが独りで瞑想する→キリスト十字架にかけられる→神の栄光になってます。
バイオリンのソロはほとんどの楽章でキリストを演じているようです(ユダの楽章のみユダなんだろうか)。このソロパートの一人のキャラクター感というか、独立したパートでありキャラクターに溢れているのがまた魅力的。
第4楽章のImage de Géthsémanéは前述要約でいうと「キリストが独りで瞑想する」部分にあたり、バイオリンのソロカデンツァを始めソロパートがものすごくでかい楽章です。(それでいてバックの弦楽オケが醸し出す雰囲気や感情もまた見事)
作品を通じてこの美しくも不思議な作風はもっと知りたくなりますね。いわゆる十二音技法みたいなのを使ってるのですがそれがトータル・セリーのスタイルとは全然違って、強いて言うならショスタコーヴィチの晩年の十二音技法に似てるかも。ショスタコもそうですが音楽の美しさを保ったまま20世紀の新しい音楽言語に進化しているという感があって、そこが自分にとってはツボなのかな。(あと特に宗教的な題材で以前の時代の形式を意識したり進化させたりの作曲ってのもあるのか)
とにかく埋もれさせておくにはものすごく勿体ない曲だと思います。大学の図書館で録音が見つからなかったのが残念ですが是非手元に欲しい曲。そしてマルタンの他の曲も知りたいです。
とりあえずAmazonでmp3録音は見つかりました。これ以外にもあるみたいですしNaxosからもCDが出てますし(Naxosはなんでもありますね)。試聴でどれくらい味わえるか微妙な曲の性質ですが是非。
その感想の前に一つ。
タスマニアのホバート近郊(いまだに正確な場所はわからない)にある現代芸術を専門にするMuseum of Old and New Artsで2年前だったかな?メシアンの音楽を中心に音楽や美術などの分野を駆使した「Synaesthesia」(共感覚)というイベントをやってたんですが、この「Synaesthesia」が今年8月にまた開催されるとのことです。メシアンやスクリャービンの演奏やら色々企画されてるようでわくわく。行きたい!ただお値段が!そして8月ってタスマニアすごく寒いよ!
さて昨日のコンサートの感想。こないだ行ったばかりの国立アカデミー(ANAM)にまた行ってきました。
今回は弦楽器を主とした室内オーケストラMelbourne Chamber Orchestra(MCO)とANAMの共同コンサート。室内オケが1つではなく2つに分かれたdouble chamber orchestraという編成(バロック時代に特に使われた編成で、その後もちょこちょこレパートリーがあります)で書かれた現代の音楽4曲が演奏されました。うち2曲はオーストラリアの作曲家の作品で世界初演。
2つに分けたオケをどう扱うかがちょっとずつ違ってきて面白いです。
プログラムは以下の通り。
MCO & ANAM 「Double Entendre」
指揮者:Michael Dahlenburg
Director:William Hennessy
Gordon Kerry 「Music for Double Chamber Orchestra」(2014年)
フランク・マルタン バイオリン独奏と2つの小編成の弦楽オーケストラのための「Polyptyque」(1973年)(バイオリン:Doretta Balkizas)
(休憩)
Peter de Jager 「Fugue, Forest, Chorale & Toccata」(2014年)
マイケル・ティペット 二重弦楽オーケストラのための協奏曲(1934年)
演奏時間は1時間半くらいですが長さとか曲の規模とか関係なくMassiveでした。質量と密度がすごい。弾く方も指揮する方も大変そう。聞いててもちょっと捉えられない部分が多かった。
なのでなんとか感想が書けそうなマルタンとピーターの曲に絞って書きます。
マルタンは今回初めて聞いた&聴いた作曲なのですがなんでもスイスの作曲家(これも初)で数学とか科学とかをやっていた人だそうで、キリスト教関連の題材で多く曲を残しているそう。
一見そんなにものすごく変わったことはしていないような作風なのですが無調的な曲調と過去の伝統から流れてきてるような曲調がそれぞれ独特で、さらにそのバランスというか棲み分けがまた独特。
「Polyptyque」の曲自体の美しさもすごいのですがバイオリンソロの演奏には驚きの連続。レガートで音をつなげるそのつなげ方がものすごく粘度が高いというか、なめらかを超えたつながり方をしてものすごく濃い音で。ああいう感じの音はこれまでに聞いたことがなかったかも。
そして今回目当てで楽しみに行ったピーターの「Fugue, Forest, Chorale & Toccata」。
ものすごく好みな曲でしたが同時にものすごく難しい曲でした。
その複雑さから2つの室内オケを使っている感がちょっと薄い感じはしたかな。2つのパーツの掛け合いというレベルでない楽器の絡み合い。
4つのセクションそれぞれにユニークなtextureがあって各々の世界を展開していくのですが中でもフーガとForestが特に良かったと思います。
Forestでの自然を思わせる音の風景の静と動、まるで命を持っているような音の動き。そしてフーガの緻密さ。ものすごく詳細まで作り込んであって、顕微鏡レベルで耳をすますと後から後から主題が見つかるまるでフラクタル。それでいてマクロレベルで聞くtextureの魅力。フーガという形式に、そしてtextureという言葉をさらに高いレベルまで持ってったような印象です。
(このフーガを参考にこれまでのフーガの解釈・演奏の仕方を改めて見直したくなります、ほんとに)
ピーターの書く曲は良くも悪くも「安定している」というか、決まった一つの世界の中の秩序みたいなイメージがあります。それが良い方に働いたのがフーガで(完全な秩序未満だとカオスになりかねない)、逆にトッカータでは動きがないような印象になってしまっているような。たたみかけるようなエレメントがあるといいのかなあ、と思ったり。
あとピーターの作曲した音楽を聴くといつも絵を描きたくなります。幾何学的な作風だったり自分の書くステンドグラス風の絵が上記「決まった一つの世界の中の秩序」に合うところがあったりで。気が向いたらまた絵もやりたいです。しばらく手付けてないからなー。
今回のコンサートは作曲家(ピーター)と指揮者(ユースオケ以来のチェロ仲間で大学も同級生)だけが知り合いというちょっと変わった感じでした。
(directorはでも大学ではホビットにしか見えなかったり髪の毛をネタにされたり色々と有名な人で、まだまだ現役で演奏など続けててちょっと安心しました)
なので作曲サイドの話も聞きましたし指揮サイドの話も聞きましたし、そしてあとで飲みに行って初めまして(またはほぼ初めまして)の人から演奏サイドの裏話も聞いて。いろんなとこで難しいこと多々あったみたいでやっぱ演奏関連諸々楽しいことばかりじゃないんだな、と改めて思いましたが何より本番の演奏が良い結果で良かった。
そしてここしばらくのコンサートラッシュで色んな人に久しぶりだったり初めましてだったり会って音楽に関係あることないこと色々話してほんと楽しいです。コンサートとそのあとの打ち上げに関しては音楽関係者でよかったと毎回思います。次の機会が楽しみ。
ということで明日は2つコンサートに行ってきます。ホームじゃないジャンルのコンサートもありますがなんとか感想を書けたらいいな(汗)
今日の一曲: フランク・マルタン バイオリン独奏と2つの小編成の弦楽オーケストラのための「Polyptyque」より第4楽章「Image de Géthsémané」
今回のコンサートで演奏された曲は初演以外も結構知名度が低い曲だそうですが、マルタンのこの曲は是非紹介したいと思い初聴きで今日の一曲に挑戦。(一応録音とかもいくつか出てる曲だしピーターの曲よりは紹介しやすいはず・・・)
本文でも書きましたがマルタン(マーティンって英語読みで読んでた・・・)はスイス出身の作曲家でキリスト教関連の作品を色々書いていますが、「Polyptyque」もその一つ。~ptyqueという言葉には「~枚セットの(特に宗教的な)絵画」という意味があって、他にもTriptyqueとかDiptyqueなどがあります。(Poly=たくさんの、ですがpolyptyqueっていう言葉の字面がなんかむずむずします。ポリープ入ってるし。)
「Polyptyque」はキリストの受難を題材にした絵のセットとして書かれた音楽で、エルサレム入り(現代で祝われるPalm Sunday)から神に召されるまでを6つの楽章で描いています。
構成としてはエルサレム入り→弟子たちとの対話→ユダ→キリストが独りで瞑想する→キリスト十字架にかけられる→神の栄光になってます。
バイオリンのソロはほとんどの楽章でキリストを演じているようです(ユダの楽章のみユダなんだろうか)。このソロパートの一人のキャラクター感というか、独立したパートでありキャラクターに溢れているのがまた魅力的。
第4楽章のImage de Géthsémanéは前述要約でいうと「キリストが独りで瞑想する」部分にあたり、バイオリンのソロカデンツァを始めソロパートがものすごくでかい楽章です。(それでいてバックの弦楽オケが醸し出す雰囲気や感情もまた見事)
作品を通じてこの美しくも不思議な作風はもっと知りたくなりますね。いわゆる十二音技法みたいなのを使ってるのですがそれがトータル・セリーのスタイルとは全然違って、強いて言うならショスタコーヴィチの晩年の十二音技法に似てるかも。ショスタコもそうですが音楽の美しさを保ったまま20世紀の新しい音楽言語に進化しているという感があって、そこが自分にとってはツボなのかな。(あと特に宗教的な題材で以前の時代の形式を意識したり進化させたりの作曲ってのもあるのか)
とにかく埋もれさせておくにはものすごく勿体ない曲だと思います。大学の図書館で録音が見つからなかったのが残念ですが是非手元に欲しい曲。そしてマルタンの他の曲も知りたいです。
とりあえずAmazonでmp3録音は見つかりました。これ以外にもあるみたいですしNaxosからもCDが出てますし(Naxosはなんでもありますね)。試聴でどれくらい味わえるか微妙な曲の性質ですが是非。
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