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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
無事!今週の日曜のコンサートのための合唱リハーサルの伴奏終わりました。
まずはそのコンサートのお知らせから:
無事!今週の日曜のコンサートのための合唱リハーサルの伴奏終わりました。
まずはそのコンサートのお知らせから:
Stonnington Symphony Orchestra Malvern Town Hall Seriesコンサート2
Malvern Town Hall 8月17日(日)2時30分開演
指揮者:Roy Theaker
ソリスト: Alison Rae Jones (ソプラノ)、Emily Bauer-Jones (アルト)、Stephen Smith (テノール)、Roger Howell (バス)
ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデル 「ジョージ2世の戴冠式アンセム」より「司祭ザドク」
ジュゼッペ・ヴェルディ 「聖歌四編」より「スターバト・マーテル」
ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン 交響曲第九番「歓喜の歌」
全曲合唱付きという大編成のコンサート。合唱のリハーサルも量が多くて大変そうでした。
合唱をみっちりやる部分が多い分私が弾くのは結構少なかったり(最初の音を示すだけがほとんど)。しかも懸念してた第九はほとんど弾かず、主にヴェルディで伴奏パートを弾きました。
ヴェルディはちょっとここ数日の練習で惚れた曲ですがそれについては後ほど今日の一曲で。
今回は合唱のリハーサルで面白かったことを中心に。
リハーサルの時間がかなり限られてるというのもありリハーサル本体を始める前のウォームアップも私が知ってる合唱のウォームアップよりも簡略化したものになってたのですが、なんとウォームアップとしてWaltzing Matildaを歌ってました(笑)これにはびっくり。
でもよく考えてみればオーストラリアで過ごしてれば大体知ってる曲ですし、大体メロディー的にもいい感じで色んな要素を含んでいて確かにウォームアップには向いてるものなのかも。
今回のコンサートはヘンデルで英語、ヴェルディでラテン語、ベートーヴェンでドイツ語と三ヶ国語で歌わなくちゃいけないのが大変そう。(英語といってもオーストラリア英語のなまりで歌っちゃいけなさそうだし)
合唱の指揮者さんが話してた感じだとどうもテキストの内容を把握してない人も結構いるみたいで、アマチュアだからしょうがないとはいえちょっと勿体ない。どんな歌の歌詞でも元の詩を知るのは演奏に大事ですし、あと文学方面に広げる機会にもなる。
ヴェルディは本当に合唱の歌い手たちを試す曲ですね。しっかり(宗教的な)内容のあるラテン語の歌詞、最初のエントリーの音程、キーチェンジの多さ、途中のアカペラ部分、表現の豊かさ、強弱や表現の細かさ、パート同士が独立してることなどなどありますがなによりハーモニーやメロディーの中で自分の歌う音がどういう機能・役割をしてるのかしっかり把握して音程の微調整で音を豊かにしたり表現を高めたりする。昨日のリハーサルで一番時間を割いたのにも納得。
合唱の指揮者さんも面白い人でしたねー。例えとか話の運びとかにちょこちょこユーモアが光ったり、あとクレッシェンドの表現を練習するのに合唱に拳を振り回させたり(他の人に当たらないように!)。あとクイーンズランド出身だそうです。たまにちょっと変わった発音がでるなとは思ってたのですが。クイーンズランドは特徴的だとは言われますが私はなかなかオーストラリア内の訛りの違いってまだわからないですねえ。オケの指揮者さんがちょっとイギリス訛りなので比べて聞くと面白い。
さて、今回のコンサートは最近亡くなったオケに縁の深い方に捧げられていて、その方が自分のお葬式で黒服に赤を足すよう言い残していたのにならってコンサートでも演奏服がオールブラック+ちょっと赤となっています。
なので今日ちょっと近くの石屋さんでガーネットのネックレスを買ってきちゃいました。最近ネックレス入手多いな。
演奏服は私が弾くオケだと(というかメル響以外のほとんどのオケは)男女とも上下黒なのが多いですがそういうイレギュラーもたびたびあります。前も多分この話してる。
以前ユースオケでCancer Council Australia恒例のDaffodil Dayの一貫として?コンサートをやってDaffodil=黄色いスイセンの造花をつけて演奏した記憶もぼんやりありますし、こういうイベントによってオールブラックにワンポイント追加ってのもほどよいインパクトがあって良いなと思います。ちょっと楽しいですよね。
以前一回大学のオケで指揮者さんの意向で急遽上はカラーシャツにした回もあったのですがなんかちょっと浮き足立ってた思い出があります。統一感はやっぱり大切ですね。
あとは例えば学校の生徒のための教育目的コンサートだとセクション毎に違う色のシャツ着たり、なんてのもどっかで見たことある。(とはいえ学童のためのクラシック音楽イベントも今は色々あって必ずしもフォーマルなor本格的なコンサートの形式をとらないことも多いですしね)
さて、もう日曜日は本番。合唱も居ますし聴衆もたくさんくるはずなので(さすが第九というか、かなり早い時点からチケットがものすごく売れていたそうです)人いっぱいでばたばたになることが予想されます。
なにはともあれ人が多いとそれだけコンサートの楽しみを共有できる人が多くなるわけですしおおいに盛り上がるといいなと思ってます。楽しみ。
今日の一曲: ジュゼッペ・ヴェルディ 「聖歌四編」より「スターバト・マーテル」
ピアノ弾きとして出会う音楽の傾向が関係しているのかなんなのか、あんまりイタリアの音楽に惚れることがない私ですが(レスピーギは例外、でもレスピーギの音楽に対する惚れ方もちょっと違うかな)、この曲には惚れました。
ヴェルディは特にオペラで有名なイタリアの作曲家。イタリアはオペラでも有名ですがキリスト教のカトリック宗派が強いことでも有名。
「スターバト・マーテル」は十字架にかけられたキリストを見る聖母マリアを表した曲で、その強い悲しみを含んだシーンが題材として魅力的なのか同じテキストで他にも色んな作曲家が曲を書いているみたいです(私も要フォローアップ。特にプーランク、シマノフスキ、ペルト、ペンデレツキなど)。
ヴェルディのスターバト・マーテルは彼の最晩年の作品で、前からもある意味内向きなところがある作風だったのがさらに内向的に深く深く沈むような曲です。
この曲のなにに惚れたというとハーモニーの美しさ。
西洋音楽って大体ハーモニーの流れ(和音進行)で緊張を作ったり解いたりすることで流れを作っていくのですが(別のやりかたで音楽を作る文化も日本を初めもちろんたくさんあります)、それがヴェルディ尋常じゃないほどうまい。
最初の合唱のエントリーのトライトーン(増4度=減5度の音程、和音の中でも特に緊張が強い和音)から始まりメロディーの中で適宜緊張を増す音をぶっこんではうまいこと和らげていく。
特に合唱のパートはそれがパワフル。オケのパートも大きいですが基本はサポートの役目です(かなりしっかり支えてますがね)。
横のメロディーの流れも縦の和音もどちらも和音・メロディーが効果的に色彩豊かに響くように書かれていて、一つ一つの音が音楽的な役割をしっかり担っている。
ぱっと聞いただけでも美しい曲ですが、美しいだけでなく細部のメカニズムまでしっかりしているのがさらにすごい。
そこにまた歌詞が来るわけですよ。ラテン語は音楽諸方面で見るくらいしかわからないのですが、自分が分かるだけでもメロディーの中での緊張の度合いと歌詞の単語の緊張の度合いがちゃんとぴたっと合ってさらにエフェクトを高めてるのがわかります。しかも強弱の表示でさらに細かい(たまにトリッキーな)表現を作ったり。
この曲において発音する音節一つ一つ、奏でる音一つ一つの重みがすごいのはそういうヴェルディの工夫もあるんだろうな。
で、そこにさらにイタリア(しかもオペラが得意な)の熱い情熱的な魂が宿るわけです。
この熱さゆえに音楽が理屈っぽくならない。でも細かいディテールが後ろで支えてこそ魂がより熱くなるってのはあると思います。
なので普通に聞いてもものすごく美しい、悲しみの表現が素晴らしい曲だと思いますが、もう一歩踏み込んでどうして美しいのか分析してみることでさらに魅力が増す曲でもあります。
(私も伴奏パートを弾いて改めて気づいたのでスコアをさらってみると面白いかも)
まだ手元に録音持ってない上に合唱とかヴェルディとかどこのオケ・合唱団とか指揮者がいいとか全くわからないのでとりあえず見つけたのリンク。有名なヴェルディのレクイエムと一緒に収録されてるやつ。
この曲は「聖歌四編」の1曲、つまり他にも3曲このくくりに入ってます。ゆっくりな曲ばっかりちょっと試聴しただけじゃわかりにくいですが試聴もあります。
全曲合唱付きという大編成のコンサート。合唱のリハーサルも量が多くて大変そうでした。
合唱をみっちりやる部分が多い分私が弾くのは結構少なかったり(最初の音を示すだけがほとんど)。しかも懸念してた第九はほとんど弾かず、主にヴェルディで伴奏パートを弾きました。
ヴェルディはちょっとここ数日の練習で惚れた曲ですがそれについては後ほど今日の一曲で。
今回は合唱のリハーサルで面白かったことを中心に。
リハーサルの時間がかなり限られてるというのもありリハーサル本体を始める前のウォームアップも私が知ってる合唱のウォームアップよりも簡略化したものになってたのですが、なんとウォームアップとしてWaltzing Matildaを歌ってました(笑)これにはびっくり。
でもよく考えてみればオーストラリアで過ごしてれば大体知ってる曲ですし、大体メロディー的にもいい感じで色んな要素を含んでいて確かにウォームアップには向いてるものなのかも。
今回のコンサートはヘンデルで英語、ヴェルディでラテン語、ベートーヴェンでドイツ語と三ヶ国語で歌わなくちゃいけないのが大変そう。(英語といってもオーストラリア英語のなまりで歌っちゃいけなさそうだし)
合唱の指揮者さんが話してた感じだとどうもテキストの内容を把握してない人も結構いるみたいで、アマチュアだからしょうがないとはいえちょっと勿体ない。どんな歌の歌詞でも元の詩を知るのは演奏に大事ですし、あと文学方面に広げる機会にもなる。
ヴェルディは本当に合唱の歌い手たちを試す曲ですね。しっかり(宗教的な)内容のあるラテン語の歌詞、最初のエントリーの音程、キーチェンジの多さ、途中のアカペラ部分、表現の豊かさ、強弱や表現の細かさ、パート同士が独立してることなどなどありますがなによりハーモニーやメロディーの中で自分の歌う音がどういう機能・役割をしてるのかしっかり把握して音程の微調整で音を豊かにしたり表現を高めたりする。昨日のリハーサルで一番時間を割いたのにも納得。
合唱の指揮者さんも面白い人でしたねー。例えとか話の運びとかにちょこちょこユーモアが光ったり、あとクレッシェンドの表現を練習するのに合唱に拳を振り回させたり(他の人に当たらないように!)。あとクイーンズランド出身だそうです。たまにちょっと変わった発音がでるなとは思ってたのですが。クイーンズランドは特徴的だとは言われますが私はなかなかオーストラリア内の訛りの違いってまだわからないですねえ。オケの指揮者さんがちょっとイギリス訛りなので比べて聞くと面白い。
さて、今回のコンサートは最近亡くなったオケに縁の深い方に捧げられていて、その方が自分のお葬式で黒服に赤を足すよう言い残していたのにならってコンサートでも演奏服がオールブラック+ちょっと赤となっています。
なので今日ちょっと近くの石屋さんでガーネットのネックレスを買ってきちゃいました。最近ネックレス入手多いな。
演奏服は私が弾くオケだと(というかメル響以外のほとんどのオケは)男女とも上下黒なのが多いですがそういうイレギュラーもたびたびあります。前も多分この話してる。
以前ユースオケでCancer Council Australia恒例のDaffodil Dayの一貫として?コンサートをやってDaffodil=黄色いスイセンの造花をつけて演奏した記憶もぼんやりありますし、こういうイベントによってオールブラックにワンポイント追加ってのもほどよいインパクトがあって良いなと思います。ちょっと楽しいですよね。
以前一回大学のオケで指揮者さんの意向で急遽上はカラーシャツにした回もあったのですがなんかちょっと浮き足立ってた思い出があります。統一感はやっぱり大切ですね。
あとは例えば学校の生徒のための教育目的コンサートだとセクション毎に違う色のシャツ着たり、なんてのもどっかで見たことある。(とはいえ学童のためのクラシック音楽イベントも今は色々あって必ずしもフォーマルなor本格的なコンサートの形式をとらないことも多いですしね)
さて、もう日曜日は本番。合唱も居ますし聴衆もたくさんくるはずなので(さすが第九というか、かなり早い時点からチケットがものすごく売れていたそうです)人いっぱいでばたばたになることが予想されます。
なにはともあれ人が多いとそれだけコンサートの楽しみを共有できる人が多くなるわけですしおおいに盛り上がるといいなと思ってます。楽しみ。
今日の一曲: ジュゼッペ・ヴェルディ 「聖歌四編」より「スターバト・マーテル」
ピアノ弾きとして出会う音楽の傾向が関係しているのかなんなのか、あんまりイタリアの音楽に惚れることがない私ですが(レスピーギは例外、でもレスピーギの音楽に対する惚れ方もちょっと違うかな)、この曲には惚れました。
ヴェルディは特にオペラで有名なイタリアの作曲家。イタリアはオペラでも有名ですがキリスト教のカトリック宗派が強いことでも有名。
「スターバト・マーテル」は十字架にかけられたキリストを見る聖母マリアを表した曲で、その強い悲しみを含んだシーンが題材として魅力的なのか同じテキストで他にも色んな作曲家が曲を書いているみたいです(私も要フォローアップ。特にプーランク、シマノフスキ、ペルト、ペンデレツキなど)。
ヴェルディのスターバト・マーテルは彼の最晩年の作品で、前からもある意味内向きなところがある作風だったのがさらに内向的に深く深く沈むような曲です。
この曲のなにに惚れたというとハーモニーの美しさ。
西洋音楽って大体ハーモニーの流れ(和音進行)で緊張を作ったり解いたりすることで流れを作っていくのですが(別のやりかたで音楽を作る文化も日本を初めもちろんたくさんあります)、それがヴェルディ尋常じゃないほどうまい。
最初の合唱のエントリーのトライトーン(増4度=減5度の音程、和音の中でも特に緊張が強い和音)から始まりメロディーの中で適宜緊張を増す音をぶっこんではうまいこと和らげていく。
特に合唱のパートはそれがパワフル。オケのパートも大きいですが基本はサポートの役目です(かなりしっかり支えてますがね)。
横のメロディーの流れも縦の和音もどちらも和音・メロディーが効果的に色彩豊かに響くように書かれていて、一つ一つの音が音楽的な役割をしっかり担っている。
ぱっと聞いただけでも美しい曲ですが、美しいだけでなく細部のメカニズムまでしっかりしているのがさらにすごい。
そこにまた歌詞が来るわけですよ。ラテン語は音楽諸方面で見るくらいしかわからないのですが、自分が分かるだけでもメロディーの中での緊張の度合いと歌詞の単語の緊張の度合いがちゃんとぴたっと合ってさらにエフェクトを高めてるのがわかります。しかも強弱の表示でさらに細かい(たまにトリッキーな)表現を作ったり。
この曲において発音する音節一つ一つ、奏でる音一つ一つの重みがすごいのはそういうヴェルディの工夫もあるんだろうな。
で、そこにさらにイタリア(しかもオペラが得意な)の熱い情熱的な魂が宿るわけです。
この熱さゆえに音楽が理屈っぽくならない。でも細かいディテールが後ろで支えてこそ魂がより熱くなるってのはあると思います。
なので普通に聞いてもものすごく美しい、悲しみの表現が素晴らしい曲だと思いますが、もう一歩踏み込んでどうして美しいのか分析してみることでさらに魅力が増す曲でもあります。
(私も伴奏パートを弾いて改めて気づいたのでスコアをさらってみると面白いかも)
まだ手元に録音持ってない上に合唱とかヴェルディとかどこのオケ・合唱団とか指揮者がいいとか全くわからないのでとりあえず見つけたのリンク。有名なヴェルディのレクイエムと一緒に収録されてるやつ。
この曲は「聖歌四編」の1曲、つまり他にも3曲このくくりに入ってます。ゆっくりな曲ばっかりちょっと試聴しただけじゃわかりにくいですが試聴もあります。
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