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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
今回は前回のエントリーでちょっと言及したハープの子とした話を一部。いろいろ聴いたり話したりしたのものすごく楽しかったのですがリアルタイムでないからどれくらい伝わるか。
前から何度か書いていますがハープもチェレスタ(他鍵盤楽器)もオーケストラにいつもいるわけではない、ゲストプレーヤーな立場の楽器です。オケの端っこで隣に座るときも多く、弾くパートや音の数なんかもちょっと似通ってたりで、一緒に弾くことも多いのでハープ奏者と一緒になったら声かけたり話したりして仲良くなることが多いです。(私はかなり人見知りではありますがハープ奏者に対してはなんかちょっとそれも和らぐような)
ちゃんとリハーサルの外でもコミュニケーションとってると演奏してるときも連携がうまくいくのはこの楽器に限ったことではないですしね。
チェレスタ奏者としてハープ奏者のパートを見たり聴いたり一緒に弾いたりしてると結構似てるなーと思うところがたくさんあるのですが、そうやってハープ奏者から話を聞いてみると実は違うところ(正反対のところも含め)もたくさんあることが毎回分かって、似たところに共感して盛り上がったりもしますが違うところを知ることもものすごく楽しいです。
ピアノ・チェレスタとハープに関して違うことのほとんどは楽器を弾く際の技巧に関するものがほとんどです。考えてみれば水平な鍵盤と垂直な弦、弾く動きはかなり違います。
例えばピアノなら長いアルペジオ(分散和音)を弾く時には指をくぐらせることでなめらかに弾くのですが、ハープは指をくぐらせるのが苦手で手のポジションを素早く移動させることで同じエフェクトを出すそう。
そしてもちろんハープは♯とか♭を弾くのにペダルを操作するので半音的な動きはかなり難しい。
他にも色々ちょこちょこ(特に伴奏音型とかで)ピアノを想定すると普通でもハープでは弾きにくいことは多数あるそうです。
で、作曲家がハープの得意不得意を分からないままパートを書いちゃうことも多々あるそうです。ピアノと似た前提で書かれちゃうと前述の通り難しいそうで。
特に古い音楽(たとえばモーツァルトとか)ほどその傾向は強く、今では割と分かってくれることも多いそうですがなんせ現代音楽なので元が難しい(半音的な動きも多い)。さらに弾きやすい=弾いてて楽しいわけではないそうで(まあどの楽器でもそうですね)。
今回一緒だったハープの子が「ハープのために弾きやすいいいパートを書いてくれる作曲家」として挙げてたのはラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンス、マーラー、ヒンデミットあたりだったかな。もう何人かいた。
それでそういう弾きにくい、または弾けないハープパートがもう何百年も巷に満ちあふれていて仕方がないのでハープ奏者は弾けるようにパートを書き直したりなんだりして弾いて、その書き直したパートを代々受け継いでいるそうです。ここら辺の話は打楽器の事情とちょっと似てるかな。(彼らも特定の性質の音の出し方とか先生にエスカレーションすることが多い)
作曲家が書いた楽譜の音の他に色々ノウハウがあってそれを先生から生徒に受け渡していくシステムがどうやらあるようで。
それとは対照的にピアノやバイオリンは作曲家が書いた楽譜に大抵書いてあるというか、奏者が楽譜から諸々読み取っていくシステム。これがハープ奏者からみると不思議みたいです。
ピアノは確かに楽譜から作曲者の意図や自分の解釈とかを読み取っていくのが自然で、ピアノ音楽の性質からしてもそれでいいと思うのですがオケにおいてのピアノ・チェレスタでは果たしてそのシステムでいいのかな、と今回話を聞いて思いました。
今はオケでピアニストとして諸々弾く時には指揮者の読み方もチェレスタの音の表現も全て自分で試行錯誤して自分にとっていいシステムを編み出していくのですが、誰にもそれを残したり教えたりしないのでノウハウの蓄積が個人単位に限られていくんですよね。
特にチェレスタのポテンシャルを高めるにはそういうシステムが必要なんじゃないかと(ぶつぶつ)
逆にハープとピアノ・チェレスタで似てるなーと思うことはオケにおいての立ち位置に多いと思います。
色んなオケに呼ばれて色んな指揮者さんとお仕事して、ハープ奏者もピアニストも似たようなところみてるんですよね、指揮者の評価に関しては。こうして欲しいなーという需要もだいたい同じ。
ハープやチェレスタみたいな周辺楽器(と私は呼ぶ)に理解があるだけでなくやっぱり細かい性格の、細かいところまでこだわる指揮者の方が好まれるというか。そもそもハープとかチェレスタとかの存在自体がディテールなので。
で、ちょっと思ったのがハープやオケピアノ・チェレスタ(特にハープ)の奏者が作曲家や指揮者と話すというか、啓蒙じゃないけどそういう場があったら・・・と思うのですが需要としては私が面白いと思うほどにはないかなあ。
もうちょっと痒いところに手が届いたら、みたいなことはちょっとだけ思います。今決して不当に扱われてると感じてるわけじゃないですがもうちょっと良く・面白くできるんじゃないかなーと。
少し前にはチェレスタの広報みたいなことがあったらいいのかな、と思ってたのですが昨日話してるうちにそれだけじゃないのかなーとちょっと改めて考えを整理してみたくなりました。整理しないで書くとこの段落みたいな体たらくになるので。
最終的に何もまとまらなくてぐっちゃぐちゃになりましたがハープのこと色々知るのも面白かったですしオケで弾く楽しさを改めてかみしめると共にオケで弾くことについてもっと考えたいことも出てきました。
自分が弾いて楽しむ以上のことは形にするのが難しいなあ・・・
難しいこともあれですがもっとオケで弾きたいよー!(できればまたハープの隣で!)
今日の一曲: Paul Stanhope ピッコロ協奏曲
ちょっと前(数ヶ月くらい?)にメル響がABCで出したアデスのPolarisのCDに収録されていたこの曲。オーストラリアのStanhopeによるピッコロ協奏曲です。
ピッコロはフルートを小さくした楽器(長さが半分=1オクターブ上の音がでる)です。オケの中で最も小さい楽器の一つではありますが音量・音質は場所を間違えれば本気で耳をつんざくほどの鋭いもので、フルオケをバックにしてもなんら遜色のない音。
でも音域が限られたりテクニックがトリッキーなところがあったり?など色々理由があってピッコロを専門にする人は少ないですし(そりゃあフルートで似たような音域+それ以上もつかって音も美しく表現豊かで比較的楽にだせればねえ)、ピッコロのためのソロレパートリーもかなり少ない。
私もピッコロの協奏曲を聴くのはこの曲が初めてでした。そしてStanhopeの曲を聴くのもほぼ初めて。景色を描くような作風にピッコロがまるで景色の一部のようにすっと入ってくる、ソロにしてはちょっと独特の存在感に最初からちょっと心くすぐられました。
ピッコロはフルートが得意な息の長いメロディーよりもリズミカルなパッセージの方が音が映えるのですがオーストラリア音楽に特徴的なリズムとピッコロの音の相性の良さに納得です。
そしてなかなか聞く機会がないピッコロの超絶技巧は第2楽章でたっぷり味わいましょう。
同時にこの協奏曲のソロのパートを成り立たせるためには奏者が最初から最後まで通じて音をかすれさせることなく長い一つの線を描くことが必要になると思うのですがこの演奏はほんと見事です。メル響のピッコロ奏者の方なのですがソロとしてもほんとすごいですね!
マイノリティ楽器を輝かせるということにおいてここまでできたらいいんだけどなあ・・・
Stanhopeの音楽は手元にある分(これ含めて3曲)全部すっと入ってくる感じで好きなのでもっと聴き広げていきたいです。決してキャッチーではないですが聴きにくいようなことはない作風で。馴染むのに苦労はないと思います。
日本のAmazonにもmp3アルバム出てますねー。アデスの「Polaris」もこのブログで何度も紹介してますが21世紀の名曲なので是非聴いてみてください。
今回は前回のエントリーでちょっと言及したハープの子とした話を一部。いろいろ聴いたり話したりしたのものすごく楽しかったのですがリアルタイムでないからどれくらい伝わるか。
前から何度か書いていますがハープもチェレスタ(他鍵盤楽器)もオーケストラにいつもいるわけではない、ゲストプレーヤーな立場の楽器です。オケの端っこで隣に座るときも多く、弾くパートや音の数なんかもちょっと似通ってたりで、一緒に弾くことも多いのでハープ奏者と一緒になったら声かけたり話したりして仲良くなることが多いです。(私はかなり人見知りではありますがハープ奏者に対してはなんかちょっとそれも和らぐような)
ちゃんとリハーサルの外でもコミュニケーションとってると演奏してるときも連携がうまくいくのはこの楽器に限ったことではないですしね。
チェレスタ奏者としてハープ奏者のパートを見たり聴いたり一緒に弾いたりしてると結構似てるなーと思うところがたくさんあるのですが、そうやってハープ奏者から話を聞いてみると実は違うところ(正反対のところも含め)もたくさんあることが毎回分かって、似たところに共感して盛り上がったりもしますが違うところを知ることもものすごく楽しいです。
ピアノ・チェレスタとハープに関して違うことのほとんどは楽器を弾く際の技巧に関するものがほとんどです。考えてみれば水平な鍵盤と垂直な弦、弾く動きはかなり違います。
例えばピアノなら長いアルペジオ(分散和音)を弾く時には指をくぐらせることでなめらかに弾くのですが、ハープは指をくぐらせるのが苦手で手のポジションを素早く移動させることで同じエフェクトを出すそう。
そしてもちろんハープは♯とか♭を弾くのにペダルを操作するので半音的な動きはかなり難しい。
他にも色々ちょこちょこ(特に伴奏音型とかで)ピアノを想定すると普通でもハープでは弾きにくいことは多数あるそうです。
で、作曲家がハープの得意不得意を分からないままパートを書いちゃうことも多々あるそうです。ピアノと似た前提で書かれちゃうと前述の通り難しいそうで。
特に古い音楽(たとえばモーツァルトとか)ほどその傾向は強く、今では割と分かってくれることも多いそうですがなんせ現代音楽なので元が難しい(半音的な動きも多い)。さらに弾きやすい=弾いてて楽しいわけではないそうで(まあどの楽器でもそうですね)。
今回一緒だったハープの子が「ハープのために弾きやすいいいパートを書いてくれる作曲家」として挙げてたのはラヴェル、ドビュッシー、サン=サーンス、マーラー、ヒンデミットあたりだったかな。もう何人かいた。
それでそういう弾きにくい、または弾けないハープパートがもう何百年も巷に満ちあふれていて仕方がないのでハープ奏者は弾けるようにパートを書き直したりなんだりして弾いて、その書き直したパートを代々受け継いでいるそうです。ここら辺の話は打楽器の事情とちょっと似てるかな。(彼らも特定の性質の音の出し方とか先生にエスカレーションすることが多い)
作曲家が書いた楽譜の音の他に色々ノウハウがあってそれを先生から生徒に受け渡していくシステムがどうやらあるようで。
それとは対照的にピアノやバイオリンは作曲家が書いた楽譜に大抵書いてあるというか、奏者が楽譜から諸々読み取っていくシステム。これがハープ奏者からみると不思議みたいです。
ピアノは確かに楽譜から作曲者の意図や自分の解釈とかを読み取っていくのが自然で、ピアノ音楽の性質からしてもそれでいいと思うのですがオケにおいてのピアノ・チェレスタでは果たしてそのシステムでいいのかな、と今回話を聞いて思いました。
今はオケでピアニストとして諸々弾く時には指揮者の読み方もチェレスタの音の表現も全て自分で試行錯誤して自分にとっていいシステムを編み出していくのですが、誰にもそれを残したり教えたりしないのでノウハウの蓄積が個人単位に限られていくんですよね。
特にチェレスタのポテンシャルを高めるにはそういうシステムが必要なんじゃないかと(ぶつぶつ)
逆にハープとピアノ・チェレスタで似てるなーと思うことはオケにおいての立ち位置に多いと思います。
色んなオケに呼ばれて色んな指揮者さんとお仕事して、ハープ奏者もピアニストも似たようなところみてるんですよね、指揮者の評価に関しては。こうして欲しいなーという需要もだいたい同じ。
ハープやチェレスタみたいな周辺楽器(と私は呼ぶ)に理解があるだけでなくやっぱり細かい性格の、細かいところまでこだわる指揮者の方が好まれるというか。そもそもハープとかチェレスタとかの存在自体がディテールなので。
で、ちょっと思ったのがハープやオケピアノ・チェレスタ(特にハープ)の奏者が作曲家や指揮者と話すというか、啓蒙じゃないけどそういう場があったら・・・と思うのですが需要としては私が面白いと思うほどにはないかなあ。
もうちょっと痒いところに手が届いたら、みたいなことはちょっとだけ思います。今決して不当に扱われてると感じてるわけじゃないですがもうちょっと良く・面白くできるんじゃないかなーと。
少し前にはチェレスタの広報みたいなことがあったらいいのかな、と思ってたのですが昨日話してるうちにそれだけじゃないのかなーとちょっと改めて考えを整理してみたくなりました。整理しないで書くとこの段落みたいな体たらくになるので。
最終的に何もまとまらなくてぐっちゃぐちゃになりましたがハープのこと色々知るのも面白かったですしオケで弾く楽しさを改めてかみしめると共にオケで弾くことについてもっと考えたいことも出てきました。
自分が弾いて楽しむ以上のことは形にするのが難しいなあ・・・
難しいこともあれですがもっとオケで弾きたいよー!(できればまたハープの隣で!)
今日の一曲: Paul Stanhope ピッコロ協奏曲
ちょっと前(数ヶ月くらい?)にメル響がABCで出したアデスのPolarisのCDに収録されていたこの曲。オーストラリアのStanhopeによるピッコロ協奏曲です。
ピッコロはフルートを小さくした楽器(長さが半分=1オクターブ上の音がでる)です。オケの中で最も小さい楽器の一つではありますが音量・音質は場所を間違えれば本気で耳をつんざくほどの鋭いもので、フルオケをバックにしてもなんら遜色のない音。
でも音域が限られたりテクニックがトリッキーなところがあったり?など色々理由があってピッコロを専門にする人は少ないですし(そりゃあフルートで似たような音域+それ以上もつかって音も美しく表現豊かで比較的楽にだせればねえ)、ピッコロのためのソロレパートリーもかなり少ない。
私もピッコロの協奏曲を聴くのはこの曲が初めてでした。そしてStanhopeの曲を聴くのもほぼ初めて。景色を描くような作風にピッコロがまるで景色の一部のようにすっと入ってくる、ソロにしてはちょっと独特の存在感に最初からちょっと心くすぐられました。
ピッコロはフルートが得意な息の長いメロディーよりもリズミカルなパッセージの方が音が映えるのですがオーストラリア音楽に特徴的なリズムとピッコロの音の相性の良さに納得です。
そしてなかなか聞く機会がないピッコロの超絶技巧は第2楽章でたっぷり味わいましょう。
同時にこの協奏曲のソロのパートを成り立たせるためには奏者が最初から最後まで通じて音をかすれさせることなく長い一つの線を描くことが必要になると思うのですがこの演奏はほんと見事です。メル響のピッコロ奏者の方なのですがソロとしてもほんとすごいですね!
マイノリティ楽器を輝かせるということにおいてここまでできたらいいんだけどなあ・・・
Stanhopeの音楽は手元にある分(これ含めて3曲)全部すっと入ってくる感じで好きなのでもっと聴き広げていきたいです。決してキャッチーではないですが聴きにくいようなことはない作風で。馴染むのに苦労はないと思います。
日本のAmazonにもmp3アルバム出てますねー。アデスの「Polaris」もこのブログで何度も紹介してますが21世紀の名曲なので是非聴いてみてください。
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