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つい最近新しい取引先ができて、医薬の仕事中心になるので小躍りしていたところですが、ここのところやっていたArts系の翻訳をやっていてやっぱり心はやっぱり芸術系の方にまだまだ思いが深いな-と思いました。
こういう仕事もやっていけるといいなあ・・・
それはさておき。
今日唐突に書きたくなったのは「暗譜」のこと。
音楽を覚えて、演奏などで楽譜なしで弾くこと・・・と書いたところでこの説明の下手さを謝罪させてください(汗)
音楽の演奏では楽譜を見て演奏する場合と、演奏しない場合があります。
どういうときにどういう人が楽譜を見て弾くのか、そうでないのか・・・というのは私の知る限りはっきりとは決まってません。しいていえば「慣習に従う」というのが一般的なルールでしょうか。
オーケストラではたいていみんな楽譜をみますが、ピアニストの演奏はほとんどの場合暗譜です(が、そうでない演奏も結構あります)。
基本的に同時に一緒に演奏するのが2人以上の場合(声+ピアノの場合を除く)は楽譜有りで弾く場合が多い・・・ような気がします。
伴奏・室内楽でのピアノ奏者は必ずといっていいほど楽譜有りで弾きます。主な理由はピアノ譜には他のパートも記されていて、まとめ役のピアニストが他のパートの動向を把握するために楽譜を見ている必要がある、というわけなのですが。
その法則で行くと指揮者はオーケストラの全てのパートが記されている複雑なスコアを見ながら指揮する、ということになりますが、スコアなしで指揮する指揮者、そして特定の曲のみスコアなしで指揮する指揮者も結構居るみたいです。
でもそんなことは生半可な気持ちじゃきっとできませんもんね。あれだけの複雑な情報を脳の中に蓄積してちゃんと引き出しながら、同時に指揮の全てをするなんて。
大学だとピアニストと歌う人以外はコンサートクラスなんかだと楽譜を見て弾くことも珍しくありませんでした。
大まかな分け方で言えばコンチェルトは暗譜し、ソナタ他は楽譜を見る(ソナタは一応室内楽ですしね)、というところかな。
そんななかちょっと地味に大変な楽器が一つ。
ホルンの人はみんなモーツァルトの4つの協奏曲を弾くのですが、このうち3つ(2番~4番)は同じ調で、しかも曲自体もかなり似通っています。
なのでいくつか弾いて、暗譜するようになると弾いてる途中で別のコンチェルトに変わっちゃったりしちゃうそうです。あわてて楽譜をチェックしたり、ipodで確認したり(笑)
ちなみにその唯一似通ってない第1番は実はモーツァルトが書いた物ではない、という説もあるそうです。
暗譜の演奏中に音を忘れたりそれによって演奏ストップすることをMemory slipとこちらでは呼びます。
演奏家が恐れていることの一つで、どんなによく知っていて自分の一部のような曲でも、たまにランダムにおそってきます。
大学のピアニストにとってMemory slipに関して鬼門だったのはショパンのスケルツォ第4番。何人もの凄腕の先輩が弾いてますがコンサートクラスでmemory slipを経験する人の多いこと。
私が4年半のうちに唯一経験した授業での演奏でのmemory slipはヒンデミットのピアノソナタ第3番第3楽章。途中でフーガがあるのですがその途中で頭が真っ白に・・・いやあ怖かったです。
バッハがちょっと怖い、とみんな(?)感じるのはやっぱり同じくフーガの途中で分からなくなったらもうお手上げですからね。
楽譜を見る、見ない、それは慣習に従う従わないありますが結局は演奏者自身が決めることです。
楽譜を見た方が安心するんじゃないか、と思われる方もいらっしゃると思いますが、むしろ楽譜がない方がいい、という人が特にピアノ弾きには多いです。
楽譜を見ることで脳の集中がそっちに行く、というのとやっぱり暗譜してあった方が音楽が自分の一部のように感じる、というようなことを良く聞きます。
私の場合、上記の理由もありますが、なんといっても楽譜のページをめくるのが面倒くさい、という理由が大きいです。
(だからといって楽譜がデジタル化されるのもなんか違うなーと思います。わがままです。基本)
なのでごく自然とページめくりがやっかいな所ばっかり早く覚えます。
あと生涯のほとんど目が悪いので基本的に細かい物をがんばって見るのが嫌い、というまたこれもくだらない理由もあります。
基本演奏は暗譜ですが、今までに武満の作品、メシアンの「ダイシャクシギ」などは楽譜を見て演奏したことがあります。説明するほどの理由はないのですが・・・どうも自信がつかなかったというか、なんというか・・・
暗譜する方法・・・というのは特にこれといってありません。私の場合。
弾いてると自然と覚えますし、頭の中で音名を言っていることも多いので。
ただ弾いているところが楽譜のページのどこらへんにあるか、とかぼんやりとした楽譜面は覚えていて、それを参照することもあります。
メシアンを暗譜で弾く、というと驚かれることもありますが、比較的自然にくるほうですし、そのぼんやりとした楽譜面、一部の音、手の形、そして音の色彩の組み合わせで案外結構覚えられます。
人前で弾くことはとりあえず全くなくなりましたが、自分が弾く分にも「自分の一部となった」と思える様になるべく暗譜していきたいと思います。
今日の一曲: パウル・ヒンデミット ピアノソナタ第3番 第3楽章
さきほど私がMemory Slipがあったといった曲です。
録音はグールドのですが、なんせグールドですので他の演奏が聴きたいなあ、と今更(だって弾いてたの在学中ですよ)思います。
ヒンデミットは20世紀のドイツの作曲家ですが、彼の音楽のおよそ半分ほどはこのソナタの第1楽章のようにイギリス風味の強い性格をしています。
ただこの第3楽章は珍しくドイツ風味、しかもどこかブラームスに似たものを感じます。
自分がこの曲に惹かれたのはやっぱりどこか「苦しみ」「重み」のエレメントがあったからだと思います。
そしてそれにともなう人間味、あったかさも。
和音がずっしり心にくるのは聞いていてもそうですし、弾いていると指を通じてさらに感じられます。
そしてちょっと不思議なことなのですが、この楽章には先ほども言いましたようにフーガになっているセクションがあります。バッハのフーガとは分析してみるとここが違うんだな~と思うところが多々ありますが。
(実は第4楽章がまるまるフーガなので、そこんとこどうなんだろうと思わざるを得ませんがね)
苦しみ、重みと対照的な高音域のセクションもまた秀逸です。
なんでしょうね、どこをとっても人間の心に近いトーンというか色彩というか・・・そこがやっぱりブラームスっぽい要素なんでしょうけど。
ヒンデミットはビオラ奏者、金管奏者などのように弾くのを避けて通れないような楽器の奏者にはよく知られ、愛され、高評価を得ているのですがピアニストはほとんど彼の作品を弾かないため彼のソナタは忘れられがちです。
ドイツ音楽の歴史のまぎれもない一部であり、それも素晴らしい20世紀、そしてドイツの音楽ですのでもうちょっと弾かれるようになるといいなあ~と思ってます。
私自身ももう一回チャレンジしたいです!
こういう仕事もやっていけるといいなあ・・・
それはさておき。
今日唐突に書きたくなったのは「暗譜」のこと。
音楽を覚えて、演奏などで楽譜なしで弾くこと・・・と書いたところでこの説明の下手さを謝罪させてください(汗)
音楽の演奏では楽譜を見て演奏する場合と、演奏しない場合があります。
どういうときにどういう人が楽譜を見て弾くのか、そうでないのか・・・というのは私の知る限りはっきりとは決まってません。しいていえば「慣習に従う」というのが一般的なルールでしょうか。
オーケストラではたいていみんな楽譜をみますが、ピアニストの演奏はほとんどの場合暗譜です(が、そうでない演奏も結構あります)。
基本的に同時に一緒に演奏するのが2人以上の場合(声+ピアノの場合を除く)は楽譜有りで弾く場合が多い・・・ような気がします。
伴奏・室内楽でのピアノ奏者は必ずといっていいほど楽譜有りで弾きます。主な理由はピアノ譜には他のパートも記されていて、まとめ役のピアニストが他のパートの動向を把握するために楽譜を見ている必要がある、というわけなのですが。
その法則で行くと指揮者はオーケストラの全てのパートが記されている複雑なスコアを見ながら指揮する、ということになりますが、スコアなしで指揮する指揮者、そして特定の曲のみスコアなしで指揮する指揮者も結構居るみたいです。
でもそんなことは生半可な気持ちじゃきっとできませんもんね。あれだけの複雑な情報を脳の中に蓄積してちゃんと引き出しながら、同時に指揮の全てをするなんて。
大学だとピアニストと歌う人以外はコンサートクラスなんかだと楽譜を見て弾くことも珍しくありませんでした。
大まかな分け方で言えばコンチェルトは暗譜し、ソナタ他は楽譜を見る(ソナタは一応室内楽ですしね)、というところかな。
そんななかちょっと地味に大変な楽器が一つ。
ホルンの人はみんなモーツァルトの4つの協奏曲を弾くのですが、このうち3つ(2番~4番)は同じ調で、しかも曲自体もかなり似通っています。
なのでいくつか弾いて、暗譜するようになると弾いてる途中で別のコンチェルトに変わっちゃったりしちゃうそうです。あわてて楽譜をチェックしたり、ipodで確認したり(笑)
ちなみにその唯一似通ってない第1番は実はモーツァルトが書いた物ではない、という説もあるそうです。
暗譜の演奏中に音を忘れたりそれによって演奏ストップすることをMemory slipとこちらでは呼びます。
演奏家が恐れていることの一つで、どんなによく知っていて自分の一部のような曲でも、たまにランダムにおそってきます。
大学のピアニストにとってMemory slipに関して鬼門だったのはショパンのスケルツォ第4番。何人もの凄腕の先輩が弾いてますがコンサートクラスでmemory slipを経験する人の多いこと。
私が4年半のうちに唯一経験した授業での演奏でのmemory slipはヒンデミットのピアノソナタ第3番第3楽章。途中でフーガがあるのですがその途中で頭が真っ白に・・・いやあ怖かったです。
バッハがちょっと怖い、とみんな(?)感じるのはやっぱり同じくフーガの途中で分からなくなったらもうお手上げですからね。
楽譜を見る、見ない、それは慣習に従う従わないありますが結局は演奏者自身が決めることです。
楽譜を見た方が安心するんじゃないか、と思われる方もいらっしゃると思いますが、むしろ楽譜がない方がいい、という人が特にピアノ弾きには多いです。
楽譜を見ることで脳の集中がそっちに行く、というのとやっぱり暗譜してあった方が音楽が自分の一部のように感じる、というようなことを良く聞きます。
私の場合、上記の理由もありますが、なんといっても楽譜のページをめくるのが面倒くさい、という理由が大きいです。
(だからといって楽譜がデジタル化されるのもなんか違うなーと思います。わがままです。基本)
なのでごく自然とページめくりがやっかいな所ばっかり早く覚えます。
あと生涯のほとんど目が悪いので基本的に細かい物をがんばって見るのが嫌い、というまたこれもくだらない理由もあります。
基本演奏は暗譜ですが、今までに武満の作品、メシアンの「ダイシャクシギ」などは楽譜を見て演奏したことがあります。説明するほどの理由はないのですが・・・どうも自信がつかなかったというか、なんというか・・・
暗譜する方法・・・というのは特にこれといってありません。私の場合。
弾いてると自然と覚えますし、頭の中で音名を言っていることも多いので。
ただ弾いているところが楽譜のページのどこらへんにあるか、とかぼんやりとした楽譜面は覚えていて、それを参照することもあります。
メシアンを暗譜で弾く、というと驚かれることもありますが、比較的自然にくるほうですし、そのぼんやりとした楽譜面、一部の音、手の形、そして音の色彩の組み合わせで案外結構覚えられます。
人前で弾くことはとりあえず全くなくなりましたが、自分が弾く分にも「自分の一部となった」と思える様になるべく暗譜していきたいと思います。
今日の一曲: パウル・ヒンデミット ピアノソナタ第3番 第3楽章
さきほど私がMemory Slipがあったといった曲です。
録音はグールドのですが、なんせグールドですので他の演奏が聴きたいなあ、と今更(だって弾いてたの在学中ですよ)思います。
ヒンデミットは20世紀のドイツの作曲家ですが、彼の音楽のおよそ半分ほどはこのソナタの第1楽章のようにイギリス風味の強い性格をしています。
ただこの第3楽章は珍しくドイツ風味、しかもどこかブラームスに似たものを感じます。
自分がこの曲に惹かれたのはやっぱりどこか「苦しみ」「重み」のエレメントがあったからだと思います。
そしてそれにともなう人間味、あったかさも。
和音がずっしり心にくるのは聞いていてもそうですし、弾いていると指を通じてさらに感じられます。
そしてちょっと不思議なことなのですが、この楽章には先ほども言いましたようにフーガになっているセクションがあります。バッハのフーガとは分析してみるとここが違うんだな~と思うところが多々ありますが。
(実は第4楽章がまるまるフーガなので、そこんとこどうなんだろうと思わざるを得ませんがね)
苦しみ、重みと対照的な高音域のセクションもまた秀逸です。
なんでしょうね、どこをとっても人間の心に近いトーンというか色彩というか・・・そこがやっぱりブラームスっぽい要素なんでしょうけど。
ヒンデミットはビオラ奏者、金管奏者などのように弾くのを避けて通れないような楽器の奏者にはよく知られ、愛され、高評価を得ているのですがピアニストはほとんど彼の作品を弾かないため彼のソナタは忘れられがちです。
ドイツ音楽の歴史のまぎれもない一部であり、それも素晴らしい20世紀、そしてドイツの音楽ですのでもうちょっと弾かれるようになるといいなあ~と思ってます。
私自身ももう一回チャレンジしたいです!
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