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今日は久しぶりに精神医とのアポイントメントでした。
とりあえず現状、冬になってやっぱり気持ちがやっぱり変わることを話して。
まあなにも心配するようなことはないのでCatch-up sessionとう形でした。
私のお世話になってる病院は一回のアポが30分、または1時間となっています。
具合が悪いときやそのほか時間が必要なときは1時間、とかですね。
患者さんが緊急の場合、具合が特に悪い場合は優先的に割り込ませてもらったり、緊急性が低いほかの患者さんの時間をもらうこともできたりします。
あ、英語でよく精神医(ただこの日本語が正しいかどうかもわかりませんが)を指す言葉にShrinkという言葉がありますが、メンタルヘルスにかかわる人(職業的に、または患者として、そして患者の周りの人)はあんまりその言葉を使わないみたいです。
普通に「Doctor」というか(偏見がない単語ですね)、たまに「Psychiatrist」の略として「Psych」と呼びます(臨床心理士=Psychologistの略でもあるっぽいです)。
ちなみに今のドクターは生涯二人目。
最初のドクター(その前にGPやPsychologistにもお世話になってますが、精神医としては最初)が徐々に退職の準備を始めるというので移行という形で今のドクターにかかることになりました。
最初のドクターも今の病院(彼女を通じて3度の入院でおせわになった病院)の精神医なのですが患者さんは主に自宅で診ていました。
今のドクターは基本非常勤務(週3日かな?)で、病院でのみ患者を診ています。
私のドクターはどうやら病院では結構すごい人らしいです。
まず年が他のドクターに比べて若い。
前のドクターは12年大学で勉強して精神医になったといいますが、それ以上にお医者さん自体かなりの年数の経験がものをいい、マニュアルらしいマニュアルがない、人の心を扱う精神医学ももちろんそうです。
実際の年齢はわからないのですが(それもアジア系でいわゆるとっちゃん坊や系統の顔なので余計に)、若いながらもすでに病院のお偉いさんの6人のドクターに名を連ねているのです。
詳しいことはわからないんですけど、前回入院してるときに:
1)ECTに立ち会う精神医であり、
2)入院患者が治療や精神医学全般について質問するセッションを受けもつなんだか「幹部」的なドクターのグループの一人だった
ということで。
彼に診てもらってから自分のこと、どうやって病気をmanageしていくか、そして精神医学の治療などのことをいっぱい学びました。
治療として話すことでいろいろ生まれるのはもちろん、調子がいい時にそうやっていろいろ学ぶのもためになり、楽しく、そして自分の力になります。
アポとして話すのも「学びたい」という欲求には「話したりない!」と思うので・・・むしろ弟子入りして「師匠」と呼びたいくらいです。
彼のおかげでメンタルヘルスをきちんと勉強してその道に進みたい、理論を学びながら人の心と触れ合いたいと願うようになったんです。ドクターが私にはやっぱり学術的に学ぶほうが合ってるから大学で心理学の勉強をDegreeとしてするといいよ、ということを言ってくれましたし。
精神医療といっても内容はいろいろあります。
病気の種類もたくさんありますし、治療法もいろいろ。
なので精神医もいろいろ専門を絞る場合がいます。
たとえば摂食障害専門の女性のPsychologistや精神医が真っ先に頭に浮かびますし、若い人を専門に見るお医者さんもいます。
私のドクターも若い人を多く診るそうです。そして治療法で言えば彼は認知行動療法を中心に治療をすすめていく派で、生物学的な原因による鬱などを主に診るんだとか。
もちろん薬も扱いますし、薬についての知識も広いです。ただこっちの精神医は薬の使用は比較的慎重で、彼ももちろんそうです。
なのでたとえば心理療法の観点からのアドバイスが欲しいときは(私の印象なのですがドクターの「師匠」であるらしい)病院で一番偉いドクターにセカンドオピニオンをお願いするんだそうです。
まあセカンドオピニオンは患者さんがリクエストした場合など気軽にするもんなんですけどね。特に「精神病院」という場所の性質上セカンドオピニオンを頼めるお医者さんがたくさんいますし、誰がどんなエリア専門でどんな治療をするかというのも把握してるんでしょうから。
あと精神医のネットワークが大切なのは精神医自身の心のケア。もともとストレスの多い職種ですし、患者が自殺してしまったりすることも十分ありえるので、そういう時は精神医たちも精神医などにかかるらしいです。病院という環境はそういう場合にもいい環境となりえます。
診察はもちろん精神医の個室みたいので行うのですが、部屋の感じとかおいてあるものでドクターのことがわかることもあります。
DSMや他の精神医学関係の分厚い本や資料はもちろん(あと医薬品の会社からのグッズが何気にどこでも気になります)、私のドクターの場合装飾品が面白い。
だいたい装飾品は二つに分かれます。
1)仏像、2)スターウォーズのなかなかのサイズのフィギュア。
好きだそうです、スターウォーズ。
ごくごく稀に考えかたの話ででてきます(笑)
ドクターの考え方で好きなのはポジティブなこととか「正しい」ことに偏りすぎていないことかな。
自殺が「間違った」ことではない、という私の持論も元はドクターの話が元で。
ポジティブなことを主張し、ネガティブなことを否定するのではなく、バランスを大切にした・・・まあどっちかというと仏教的な思想を持つ人みたいなのでそっちの雰囲気もあります。
何年か前はドクターの名言とか知ってたんですけどね~最近はお互い知り合うようになったのと調子がよくなったから(それは良いことなのですが)あんまりそういう話しなくなっちゃったんで。
次のアポは3ヶ月後なんですけど(これは進歩ですよ!調子悪いときは毎週ですからね)、その時に改めていろいろドクターにそういうことを聞いたり、学びたいということを伝え、話したいと思います。(手帳に書きます!)
ドクターには本当に今までお世話になりましたし、助けられましたし、そしてなによりも信頼し、尊敬しています。
そして患者としてそういう精神医がいることはものすごい心の支えになります。
ちゃんと診てくれて、話を聞いてくれて、そして一緒に治療に取り組み、普段からの管理を助けてくれて。そして自分自身でもなんとかやっていけてももしもの時はちゃんと対応してくれる。
そんなドクターとめぐり合えて本当に幸せです。
自分の一番尊敬する人であるドクター。これからも彼といっしょに治療と管理に取り組み、たくさんのことを学んでいきたいと思います。
今日の一曲: パーシー・グレンジャー 子供のマーチ「丘を越えてかなたへ」
正直言ってあなどっていました。グレンジャーという作曲家のことを。
オーストラリアでのクラシック音楽の始まりといってもいい作曲家で、しかも私が学生時代住んでた近くで生を受けた地元メルボルンの作曲家ながらも、やっぱりイギリスから来た音楽の二番煎じみたいな曲が多く、ポップで深みに欠ける音楽を書き、しかもそれがこっちに住んでるとEnglish Country GardensとかMolly on the Shoreとかもう100回くらい聞いて聞き飽きた~みたいなイメージがあって。
でも先日これを聞いて不覚にもやられました。
これもまたイギリス民謡風の曲なんですけど、ぴょこぴょこ跳ねるようなリズムに無邪気さと・・・なんというか、いろいろな曲に言うんですけど・・・夢があるんですよ。子供時代に世界に夢見たような、きらきらした色彩。
それであってなぜかこの曲は「メルボルンらしい!」と思えるんですよね。
まあリトル・ロンドンと呼ばれる都市なのでそれもきっとあるんだと思いますが、決して派手ではない、でも味があるところとか、もっと言葉では表せないような直感的な感じもあります。
私の持ってるバージョンはwind bandのバージョンですが珍しくピアノが入ってます。で、またこのピアノが不思議なメリハリと迫力を出してピアニスト冥利に尽きるんですよねえ~。
ピアノが和音連打してるところなんてポジティブな感じでぞくぞくします。
Over the Hill and Far Away・・・
思い出すのは2つのこと。
ピーターラビットのシリーズの話でそんなエンディングがあったようななかったような・・・
そしてもうひとつは子供十字軍のこと。聖地をもとめて子供たちだけで行進した・・・(こないだWyrd読んだからですかねえ。あとSylviaの印象も強い)。
子供十字軍のことは結末からしてあんまりこの曲と関連付けたくないんですけどねえ・・・
丘の向こうに夢を見ながらまた聴きたいと思います。
とりあえず現状、冬になってやっぱり気持ちがやっぱり変わることを話して。
まあなにも心配するようなことはないのでCatch-up sessionとう形でした。
私のお世話になってる病院は一回のアポが30分、または1時間となっています。
具合が悪いときやそのほか時間が必要なときは1時間、とかですね。
患者さんが緊急の場合、具合が特に悪い場合は優先的に割り込ませてもらったり、緊急性が低いほかの患者さんの時間をもらうこともできたりします。
あ、英語でよく精神医(ただこの日本語が正しいかどうかもわかりませんが)を指す言葉にShrinkという言葉がありますが、メンタルヘルスにかかわる人(職業的に、または患者として、そして患者の周りの人)はあんまりその言葉を使わないみたいです。
普通に「Doctor」というか(偏見がない単語ですね)、たまに「Psychiatrist」の略として「Psych」と呼びます(臨床心理士=Psychologistの略でもあるっぽいです)。
ちなみに今のドクターは生涯二人目。
最初のドクター(その前にGPやPsychologistにもお世話になってますが、精神医としては最初)が徐々に退職の準備を始めるというので移行という形で今のドクターにかかることになりました。
最初のドクターも今の病院(彼女を通じて3度の入院でおせわになった病院)の精神医なのですが患者さんは主に自宅で診ていました。
今のドクターは基本非常勤務(週3日かな?)で、病院でのみ患者を診ています。
私のドクターはどうやら病院では結構すごい人らしいです。
まず年が他のドクターに比べて若い。
前のドクターは12年大学で勉強して精神医になったといいますが、それ以上にお医者さん自体かなりの年数の経験がものをいい、マニュアルらしいマニュアルがない、人の心を扱う精神医学ももちろんそうです。
実際の年齢はわからないのですが(それもアジア系でいわゆるとっちゃん坊や系統の顔なので余計に)、若いながらもすでに病院のお偉いさんの6人のドクターに名を連ねているのです。
詳しいことはわからないんですけど、前回入院してるときに:
1)ECTに立ち会う精神医であり、
2)入院患者が治療や精神医学全般について質問するセッションを受けもつなんだか「幹部」的なドクターのグループの一人だった
ということで。
彼に診てもらってから自分のこと、どうやって病気をmanageしていくか、そして精神医学の治療などのことをいっぱい学びました。
治療として話すことでいろいろ生まれるのはもちろん、調子がいい時にそうやっていろいろ学ぶのもためになり、楽しく、そして自分の力になります。
アポとして話すのも「学びたい」という欲求には「話したりない!」と思うので・・・むしろ弟子入りして「師匠」と呼びたいくらいです。
彼のおかげでメンタルヘルスをきちんと勉強してその道に進みたい、理論を学びながら人の心と触れ合いたいと願うようになったんです。ドクターが私にはやっぱり学術的に学ぶほうが合ってるから大学で心理学の勉強をDegreeとしてするといいよ、ということを言ってくれましたし。
精神医療といっても内容はいろいろあります。
病気の種類もたくさんありますし、治療法もいろいろ。
なので精神医もいろいろ専門を絞る場合がいます。
たとえば摂食障害専門の女性のPsychologistや精神医が真っ先に頭に浮かびますし、若い人を専門に見るお医者さんもいます。
私のドクターも若い人を多く診るそうです。そして治療法で言えば彼は認知行動療法を中心に治療をすすめていく派で、生物学的な原因による鬱などを主に診るんだとか。
もちろん薬も扱いますし、薬についての知識も広いです。ただこっちの精神医は薬の使用は比較的慎重で、彼ももちろんそうです。
なのでたとえば心理療法の観点からのアドバイスが欲しいときは(私の印象なのですがドクターの「師匠」であるらしい)病院で一番偉いドクターにセカンドオピニオンをお願いするんだそうです。
まあセカンドオピニオンは患者さんがリクエストした場合など気軽にするもんなんですけどね。特に「精神病院」という場所の性質上セカンドオピニオンを頼めるお医者さんがたくさんいますし、誰がどんなエリア専門でどんな治療をするかというのも把握してるんでしょうから。
あと精神医のネットワークが大切なのは精神医自身の心のケア。もともとストレスの多い職種ですし、患者が自殺してしまったりすることも十分ありえるので、そういう時は精神医たちも精神医などにかかるらしいです。病院という環境はそういう場合にもいい環境となりえます。
診察はもちろん精神医の個室みたいので行うのですが、部屋の感じとかおいてあるものでドクターのことがわかることもあります。
DSMや他の精神医学関係の分厚い本や資料はもちろん(あと医薬品の会社からのグッズが何気にどこでも気になります)、私のドクターの場合装飾品が面白い。
だいたい装飾品は二つに分かれます。
1)仏像、2)スターウォーズのなかなかのサイズのフィギュア。
好きだそうです、スターウォーズ。
ごくごく稀に考えかたの話ででてきます(笑)
ドクターの考え方で好きなのはポジティブなこととか「正しい」ことに偏りすぎていないことかな。
自殺が「間違った」ことではない、という私の持論も元はドクターの話が元で。
ポジティブなことを主張し、ネガティブなことを否定するのではなく、バランスを大切にした・・・まあどっちかというと仏教的な思想を持つ人みたいなのでそっちの雰囲気もあります。
何年か前はドクターの名言とか知ってたんですけどね~最近はお互い知り合うようになったのと調子がよくなったから(それは良いことなのですが)あんまりそういう話しなくなっちゃったんで。
次のアポは3ヶ月後なんですけど(これは進歩ですよ!調子悪いときは毎週ですからね)、その時に改めていろいろドクターにそういうことを聞いたり、学びたいということを伝え、話したいと思います。(手帳に書きます!)
ドクターには本当に今までお世話になりましたし、助けられましたし、そしてなによりも信頼し、尊敬しています。
そして患者としてそういう精神医がいることはものすごい心の支えになります。
ちゃんと診てくれて、話を聞いてくれて、そして一緒に治療に取り組み、普段からの管理を助けてくれて。そして自分自身でもなんとかやっていけてももしもの時はちゃんと対応してくれる。
そんなドクターとめぐり合えて本当に幸せです。
自分の一番尊敬する人であるドクター。これからも彼といっしょに治療と管理に取り組み、たくさんのことを学んでいきたいと思います。
今日の一曲: パーシー・グレンジャー 子供のマーチ「丘を越えてかなたへ」
正直言ってあなどっていました。グレンジャーという作曲家のことを。
オーストラリアでのクラシック音楽の始まりといってもいい作曲家で、しかも私が学生時代住んでた近くで生を受けた地元メルボルンの作曲家ながらも、やっぱりイギリスから来た音楽の二番煎じみたいな曲が多く、ポップで深みに欠ける音楽を書き、しかもそれがこっちに住んでるとEnglish Country GardensとかMolly on the Shoreとかもう100回くらい聞いて聞き飽きた~みたいなイメージがあって。
でも先日これを聞いて不覚にもやられました。
これもまたイギリス民謡風の曲なんですけど、ぴょこぴょこ跳ねるようなリズムに無邪気さと・・・なんというか、いろいろな曲に言うんですけど・・・夢があるんですよ。子供時代に世界に夢見たような、きらきらした色彩。
それであってなぜかこの曲は「メルボルンらしい!」と思えるんですよね。
まあリトル・ロンドンと呼ばれる都市なのでそれもきっとあるんだと思いますが、決して派手ではない、でも味があるところとか、もっと言葉では表せないような直感的な感じもあります。
私の持ってるバージョンはwind bandのバージョンですが珍しくピアノが入ってます。で、またこのピアノが不思議なメリハリと迫力を出してピアニスト冥利に尽きるんですよねえ~。
ピアノが和音連打してるところなんてポジティブな感じでぞくぞくします。
Over the Hill and Far Away・・・
思い出すのは2つのこと。
ピーターラビットのシリーズの話でそんなエンディングがあったようななかったような・・・
そしてもうひとつは子供十字軍のこと。聖地をもとめて子供たちだけで行進した・・・(こないだWyrd読んだからですかねえ。あとSylviaの印象も強い)。
子供十字軍のことは結末からしてあんまりこの曲と関連付けたくないんですけどねえ・・・
丘の向こうに夢を見ながらまた聴きたいと思います。
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