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今日はピアノの練習で多少後退したなあ~とちょっぴり悔しく思うことがありました。
大学のときと比べちゃいけないのは重々承知なんですけどね。
でもやっぱり今になって「あのころの自分はどういうピアニストだったんだろう」と考えることで、このいわゆるピアノ弾きとしてのニューステージをどう進んでいくか、ということが見えてくるような気がしないでもないのでちょっと今日はそこらへんを考えてみたいと思います。
自分のピアニストとしての大きな弱点はまとめると2つあったと思います。
1つはテクニックの弱さ、もう1つはレパートリーに関してたいてい好きなものしか弾かなかったことです。
どちらも今も健在なのですが・・・
それはどちらもやっぱりピアニストとしての態度に問題があったのかなあと。表現することにはまじめだけれど「ピアノを弾く」ということに対しては不真面目ですから・・・うーん・・・
レパートリーは偏食・・・というのはもはやピアニストならではの贅沢ですね。
手の小ささですでにある程度弾けるレパートリーが狭まってるのにそれでもまだつべこべ言ってもまだ一生かかっても弾ききれないほどの曲があるのでそれに若干甘えちゃってるようなところがある私です。
音楽を知れば知るほど、弾きたい曲も増えるわけで、そんなにたくさん弾きたいものがあるとテクニックのためメインに曲を弾くことに時間を費やしたくなくなるんですよ。人生短し、表現したいことは無限なので。で、
・・・という言い訳なのです。
それが自分の進む道だ、と思ってたわけではないのですがとにかく曲を弾きたい!という思いが強すぎていろんなものをないがしろにしてきたことはうすうす気づいていましたが・・・
やっぱり大学も4年間だけ、ということであえて見ない振りをしてやってきちゃったわけです。
反対に自分のピアニストとしての強みはどこか、というと・・・
どうしても「ピアニストとして」ではなくて「音楽家としての」強みになってしまうのですが、なによりもまず「音楽的なカンの良さ」だと思います。
これに関しては本当に自分の中で自慢できる少ない一つなんですが・・・ただ「勘がいい」イコール「センスがいい」というわけではないのであしからず。
「勘の良さ」を説明するのは難しいのですが、とにかく自分はオーケストラでは特にずっとカンに頼って弾いてたような印象を受けます。
例えば休みの小節を数えなくていいとか(元々周りの楽器のやってることを聴いて判断してるのですが)、リズムは考えなくてもいい、感じることができるとか・・・そういうことをみんなひっくるめてカンと言わせてもらいます。
この勘の良さのおかげでオーケストラで弾く時はほとんど技術面以外で苦労をしたことはありません・・・が!ただバルトークの音楽だけは本当に躍起になって「こりゃいかん」と思いました。
そこで初めて「音楽的なカン」の存在に気づいた覚えがあります。
ただやっぱり勘の良さというのは自分のピアニストとしての能力にはかなり強みとなってくれて。
それはなんといってもオケピアニストとしての活動にものをいいました。
チェリストとしてオケで弾いた経験もそうですが、そこらへんの能力も一役買ってたのでは?と思います。
オケでの活動と、オケピアニストの特殊なところはまた別の機会に(本当は書きたかったのですがすでにここまでの文をみてこんなぐだぐだではいけないと思いましたので・・・すみません)
ピアノを弾くことが今自分にとってなんなのか、それさえも分からないのですが。
とりあえずピアノを弾きたいと思う以上、それによって表現したいと思う以上はやっぱり練習も、そしてピアニストとしての自分磨き、自分の表現を磨くこと、そしてそれを全部楽しむことを続けていきたいと思います。
ほんっとぐだぐだな文で本当にごめんなさい!磨くべきことはここにもありましたね・・・(汗)
今日の一曲: エンリケ・グラナドス 「ゴイェスカス」より「エピローグ」
今日はクラシック以外にしようかな~と思ったんですけどまた別の日に。
リアルでは特にロマンチックとは言えない私ですが(少なくとも表では)、音楽や小説ではロマンチックも気分によっては全然行けます。
この「ゴイェスカス」もそんなロマンチックな音楽の一つ。ジャンルは情熱と悲恋です。
前も言いましたが最終楽章から紹介するのはどうかなあ・・・と思いながら今回はエピローグを紹介させてもらいます。
ざっくりあらすじを。
マホとマハは恋人同士。二人は毎晩(?)愛を語り合う仲なのだけど、マホが決闘で殺され、死が二人の仲を引き裂いてしまう。悲しむマハの前にマホの亡霊が現れ、二人は歌い踊るけれど、朝を告げる鐘が鳴り、マホはギターを奏でながら消えてしまう。
これはスペイン人によるスペイン音楽なのですが(結構多くのスペイン音楽がフランス人によって書かれてます。例えばビゼーのカルメンとか)、スペイン音楽ってそこまで派手でもないんだなーという印象を受けますね。
でもやっぱり情熱的なことには変わりませんし、独特の土臭さもまたやみつきにないます。
なによりもやっぱりロマンスを求めるならこの曲はある意味最高のものを与えてくれると思います。
例えばこの曲集の前の楽章で使われたマホとマハの愛を表すテーマの展開(まるでお互い触れられないですれ違うようでまたきゅんとします!)もまたその効果を増幅しますし、個人的なツボは最後の最後で朝の鐘が鳴り、マホが消えるときに弾き手を失ったギターの開放弦が鳴るところですかね。あれはもう切なすぎて。
今日はこの楽章を薦めさせてもらいましたが、とりあえず最初から最後までまずは聴くことをおすすめします。
他の楽章(とくに「灯火のファンダンゴ」、「愛と死」)も名曲ですよ♪
そして願わくは他の楽章を紹介するときには文がもう少しまともになっていますように・・・(汗)
大学のときと比べちゃいけないのは重々承知なんですけどね。
でもやっぱり今になって「あのころの自分はどういうピアニストだったんだろう」と考えることで、このいわゆるピアノ弾きとしてのニューステージをどう進んでいくか、ということが見えてくるような気がしないでもないのでちょっと今日はそこらへんを考えてみたいと思います。
自分のピアニストとしての大きな弱点はまとめると2つあったと思います。
1つはテクニックの弱さ、もう1つはレパートリーに関してたいてい好きなものしか弾かなかったことです。
どちらも今も健在なのですが・・・
それはどちらもやっぱりピアニストとしての態度に問題があったのかなあと。表現することにはまじめだけれど「ピアノを弾く」ということに対しては不真面目ですから・・・うーん・・・
レパートリーは偏食・・・というのはもはやピアニストならではの贅沢ですね。
手の小ささですでにある程度弾けるレパートリーが狭まってるのにそれでもまだつべこべ言ってもまだ一生かかっても弾ききれないほどの曲があるのでそれに若干甘えちゃってるようなところがある私です。
音楽を知れば知るほど、弾きたい曲も増えるわけで、そんなにたくさん弾きたいものがあるとテクニックのためメインに曲を弾くことに時間を費やしたくなくなるんですよ。人生短し、表現したいことは無限なので。で、
・・・という言い訳なのです。
それが自分の進む道だ、と思ってたわけではないのですがとにかく曲を弾きたい!という思いが強すぎていろんなものをないがしろにしてきたことはうすうす気づいていましたが・・・
やっぱり大学も4年間だけ、ということであえて見ない振りをしてやってきちゃったわけです。
反対に自分のピアニストとしての強みはどこか、というと・・・
どうしても「ピアニストとして」ではなくて「音楽家としての」強みになってしまうのですが、なによりもまず「音楽的なカンの良さ」だと思います。
これに関しては本当に自分の中で自慢できる少ない一つなんですが・・・ただ「勘がいい」イコール「センスがいい」というわけではないのであしからず。
「勘の良さ」を説明するのは難しいのですが、とにかく自分はオーケストラでは特にずっとカンに頼って弾いてたような印象を受けます。
例えば休みの小節を数えなくていいとか(元々周りの楽器のやってることを聴いて判断してるのですが)、リズムは考えなくてもいい、感じることができるとか・・・そういうことをみんなひっくるめてカンと言わせてもらいます。
この勘の良さのおかげでオーケストラで弾く時はほとんど技術面以外で苦労をしたことはありません・・・が!ただバルトークの音楽だけは本当に躍起になって「こりゃいかん」と思いました。
そこで初めて「音楽的なカン」の存在に気づいた覚えがあります。
ただやっぱり勘の良さというのは自分のピアニストとしての能力にはかなり強みとなってくれて。
それはなんといってもオケピアニストとしての活動にものをいいました。
チェリストとしてオケで弾いた経験もそうですが、そこらへんの能力も一役買ってたのでは?と思います。
オケでの活動と、オケピアニストの特殊なところはまた別の機会に(本当は書きたかったのですがすでにここまでの文をみてこんなぐだぐだではいけないと思いましたので・・・すみません)
ピアノを弾くことが今自分にとってなんなのか、それさえも分からないのですが。
とりあえずピアノを弾きたいと思う以上、それによって表現したいと思う以上はやっぱり練習も、そしてピアニストとしての自分磨き、自分の表現を磨くこと、そしてそれを全部楽しむことを続けていきたいと思います。
ほんっとぐだぐだな文で本当にごめんなさい!磨くべきことはここにもありましたね・・・(汗)
今日の一曲: エンリケ・グラナドス 「ゴイェスカス」より「エピローグ」
今日はクラシック以外にしようかな~と思ったんですけどまた別の日に。
リアルでは特にロマンチックとは言えない私ですが(少なくとも表では)、音楽や小説ではロマンチックも気分によっては全然行けます。
この「ゴイェスカス」もそんなロマンチックな音楽の一つ。ジャンルは情熱と悲恋です。
前も言いましたが最終楽章から紹介するのはどうかなあ・・・と思いながら今回はエピローグを紹介させてもらいます。
ざっくりあらすじを。
マホとマハは恋人同士。二人は毎晩(?)愛を語り合う仲なのだけど、マホが決闘で殺され、死が二人の仲を引き裂いてしまう。悲しむマハの前にマホの亡霊が現れ、二人は歌い踊るけれど、朝を告げる鐘が鳴り、マホはギターを奏でながら消えてしまう。
これはスペイン人によるスペイン音楽なのですが(結構多くのスペイン音楽がフランス人によって書かれてます。例えばビゼーのカルメンとか)、スペイン音楽ってそこまで派手でもないんだなーという印象を受けますね。
でもやっぱり情熱的なことには変わりませんし、独特の土臭さもまたやみつきにないます。
なによりもやっぱりロマンスを求めるならこの曲はある意味最高のものを与えてくれると思います。
例えばこの曲集の前の楽章で使われたマホとマハの愛を表すテーマの展開(まるでお互い触れられないですれ違うようでまたきゅんとします!)もまたその効果を増幅しますし、個人的なツボは最後の最後で朝の鐘が鳴り、マホが消えるときに弾き手を失ったギターの開放弦が鳴るところですかね。あれはもう切なすぎて。
今日はこの楽章を薦めさせてもらいましたが、とりあえず最初から最後までまずは聴くことをおすすめします。
他の楽章(とくに「灯火のファンダンゴ」、「愛と死」)も名曲ですよ♪
そして願わくは他の楽章を紹介するときには文がもう少しまともになっていますように・・・(汗)
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