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前回のエントリーに拍手どうもですー♪
あの後「ポケナガ」ゆっくり進めています。まだシステム・機能など把握できてないですし、なんといってもブショーの名前がローマ字表記で頭に入りにくい!
とりあえずなんとなーく進んでいる感じ。
あと細かいところですが出陣して砂煙が走っていくのが三国志VIと同じというかコーエーらしいというか。親しみがある表現です。
今日はとにかく息苦しかったです。
最近胃酸がまた悪さしてるな、とは思ってたのですが低気圧のせい、寝てる間~起床時の寒さもあり、今日はピアノに差し障るほどの息苦しさでした。
一応胃の薬も再開して(吸引ステロイドもやらなきゃ)、みかん・グレープフルーツジュースも控えて、風が強いので外に出ないようにしたり、それからなるべく寝転がらないように気をつけたりはしてるのですが。
特にピアノやってるときは気分が高ぶるのでそれとともに息苦しさも増すのが悩み。
ピアノって管楽器や声楽みたいに呼吸が直接音になる楽器ではないですが、それでも呼吸は大切。
弾いていてものすごく呼吸を意識する、ということはないですが演奏への影響は心に留めてますし、こういうふうに呼吸が乱れるとその影響はよーくわかります。
息の長さ・深さもそうですし、吸ってる途中で息がつまるのもそう。かなり演奏が左右されます。
でもそれを除けばリサイタルのプログラムはだんだんと詰められてきてるかな。
もちろん大きく改善したり変わったりすることはほとんどといってないですが、ちょっとずつ良くなってきてるところだったり、ちょっとずつ楽になってきてることだったり。
それでもまだ大きな問題もあります。
例えば「ダイシャクシギ」で霧があたりに立ちこめ夜が来る場面。大学で弾いたときもその部分だけ暗譜できなかったのですが、今回も苦戦中。この部分は本当にパターンとか全くなくて、一部分ずつ毎日、何回も繰り返し楽譜を見たり見なかったりしながら暗譜しています。
あとイソヒヨドリを始め技巧的に指が回らない(またはたまに回らなくなる)ところも目をそらさずしっかり練習したり。
あとは音楽的な諸々も。
ラフマニノフのop.39-8は最近「ゼラチンの量を調節する」という表現がぴったりくる練習をしています。流れるように、柔らかく、でもあんまりぐだぐだに流れてしまわないように。
それから「間の取り方」ももちょっと余裕があればなあ。
先ほど書いた呼吸に合わせる、というのもありますが鳥カタの場合外の鳥の声に耳を傾けてタイミングをとってみたり、なんてのもやってます。
ただ「ダイシャクシギ」はまた違って、ただひたすら自分の頭の中で海の波の音を聴いてるのが効く様子。
こういう実験も楽しいのですが、なんせ技巧的にも暗譜的にも余裕がないとできないこと。
特に暗譜で苦戦してるときってこれまで技巧・音楽どっちの面でも積み上げてきたことが一旦後退するところがあり。なかなか心にもこたえます。
でも一旦暗譜してしまうと楽譜を見て弾いてる時以上に音楽がしっかり身についてる感覚、自由に動かせる感覚がある・・・というのはあくまでも個人の感想ですが。
今はとりあえず7月19日の学校での演奏があるのでプログラム全体についてはちょっと考えられずにいます。
ただ思うのは、やっぱりこの計14曲(だったかな)は絵にまつわるタイトルが付いてないのも含めて絵画っぽいところがあるな、と。
自然の鮮やかさ、繊細さ、そして渋い色彩を描いた複数の画家の風景画を集めた展示みたいな印象があります。
それなりに曲調にもバラエティがあるプログラムだと思ってるのですが、長く弾いてるとどうしても「プログラムに欠けてるもの」へのcravingが出てくるんですよね。
今のcravingを単純に表すと炎、闇、そして人工超秩序/カオス(紙一重)。だからアデスの音楽、Carl Vineの音楽、それからこないだ届いた平沢進の音楽が特にこのcravingに当てはまるようで。
といっても今弾いてる曲達に飽きたとかそういう話ではないんですよね。ただ一昨年のダフニスとクロエの時の聖飢魔II割合アップといい、聴く音楽でバランスをとろうというメカニズムはやっぱりあるんだな、と実感しています。
毎日ピアノもやりたいしやんなきゃいけないのですが、これから1週間自分のバースデーディナー&ドリンクがあったり(夕飯ちゃんと食べられるか!?ばたばたしているんですが!)、あと在外投票にもいかなきゃいけない。仕事ももちろんある。
地味に全方向に忙しくなってしまいましたが忙しすぎ・飲み過ぎ・胃酸過多には気をつけようと思います。
今日の一曲はお休みです。
あの後「ポケナガ」ゆっくり進めています。まだシステム・機能など把握できてないですし、なんといってもブショーの名前がローマ字表記で頭に入りにくい!
とりあえずなんとなーく進んでいる感じ。
あと細かいところですが出陣して砂煙が走っていくのが三国志VIと同じというかコーエーらしいというか。親しみがある表現です。
今日はとにかく息苦しかったです。
最近胃酸がまた悪さしてるな、とは思ってたのですが低気圧のせい、寝てる間~起床時の寒さもあり、今日はピアノに差し障るほどの息苦しさでした。
一応胃の薬も再開して(吸引ステロイドもやらなきゃ)、みかん・グレープフルーツジュースも控えて、風が強いので外に出ないようにしたり、それからなるべく寝転がらないように気をつけたりはしてるのですが。
特にピアノやってるときは気分が高ぶるのでそれとともに息苦しさも増すのが悩み。
ピアノって管楽器や声楽みたいに呼吸が直接音になる楽器ではないですが、それでも呼吸は大切。
弾いていてものすごく呼吸を意識する、ということはないですが演奏への影響は心に留めてますし、こういうふうに呼吸が乱れるとその影響はよーくわかります。
息の長さ・深さもそうですし、吸ってる途中で息がつまるのもそう。かなり演奏が左右されます。
でもそれを除けばリサイタルのプログラムはだんだんと詰められてきてるかな。
もちろん大きく改善したり変わったりすることはほとんどといってないですが、ちょっとずつ良くなってきてるところだったり、ちょっとずつ楽になってきてることだったり。
それでもまだ大きな問題もあります。
例えば「ダイシャクシギ」で霧があたりに立ちこめ夜が来る場面。大学で弾いたときもその部分だけ暗譜できなかったのですが、今回も苦戦中。この部分は本当にパターンとか全くなくて、一部分ずつ毎日、何回も繰り返し楽譜を見たり見なかったりしながら暗譜しています。
あとイソヒヨドリを始め技巧的に指が回らない(またはたまに回らなくなる)ところも目をそらさずしっかり練習したり。
あとは音楽的な諸々も。
ラフマニノフのop.39-8は最近「ゼラチンの量を調節する」という表現がぴったりくる練習をしています。流れるように、柔らかく、でもあんまりぐだぐだに流れてしまわないように。
それから「間の取り方」ももちょっと余裕があればなあ。
先ほど書いた呼吸に合わせる、というのもありますが鳥カタの場合外の鳥の声に耳を傾けてタイミングをとってみたり、なんてのもやってます。
ただ「ダイシャクシギ」はまた違って、ただひたすら自分の頭の中で海の波の音を聴いてるのが効く様子。
こういう実験も楽しいのですが、なんせ技巧的にも暗譜的にも余裕がないとできないこと。
特に暗譜で苦戦してるときってこれまで技巧・音楽どっちの面でも積み上げてきたことが一旦後退するところがあり。なかなか心にもこたえます。
でも一旦暗譜してしまうと楽譜を見て弾いてる時以上に音楽がしっかり身についてる感覚、自由に動かせる感覚がある・・・というのはあくまでも個人の感想ですが。
今はとりあえず7月19日の学校での演奏があるのでプログラム全体についてはちょっと考えられずにいます。
ただ思うのは、やっぱりこの計14曲(だったかな)は絵にまつわるタイトルが付いてないのも含めて絵画っぽいところがあるな、と。
自然の鮮やかさ、繊細さ、そして渋い色彩を描いた複数の画家の風景画を集めた展示みたいな印象があります。
それなりに曲調にもバラエティがあるプログラムだと思ってるのですが、長く弾いてるとどうしても「プログラムに欠けてるもの」へのcravingが出てくるんですよね。
今のcravingを単純に表すと炎、闇、そして人工超秩序/カオス(紙一重)。だからアデスの音楽、Carl Vineの音楽、それからこないだ届いた平沢進の音楽が特にこのcravingに当てはまるようで。
といっても今弾いてる曲達に飽きたとかそういう話ではないんですよね。ただ一昨年のダフニスとクロエの時の聖飢魔II割合アップといい、聴く音楽でバランスをとろうというメカニズムはやっぱりあるんだな、と実感しています。
毎日ピアノもやりたいしやんなきゃいけないのですが、これから1週間自分のバースデーディナー&ドリンクがあったり(夕飯ちゃんと食べられるか!?ばたばたしているんですが!)、あと在外投票にもいかなきゃいけない。仕事ももちろんある。
地味に全方向に忙しくなってしまいましたが忙しすぎ・飲み過ぎ・胃酸過多には気をつけようと思います。
今日の一曲はお休みです。
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メルボルンも冬真っ盛り!
・・・といいたいところですがなんだか妙に暖かいこの頃。
調子が落ち着いたと思いきやこの暖冬に精神がざわざわするようなところもあり。
そのくせ朝部屋が寒いので起きたときに気道が荒れたり酸が逆流したりで大変なことに。
今日はそれのせいか胃の調子も悪くて、しかも夕飯の買い物にいくのにピアノ練習を休んだりでなんだか腑に落ちない感じの一日。
本来ならピアノで弾いてるプログラムの話がしたいんですがそんなわけでぐずぐず変な気分になっているのでゲームの話でも。
最近ツイッターのお友達(クイズ周りの、去年一時帰国の時に一緒に遊んだお二方)とポケモンの交換の約束などしてブラック版クリアといえども色々ちまちまやってます。
それと同時にハートゴールドからブラックに移住させたり(第四世代に戻せないので慎重にやってますが、わざマシンのシステムなどの理由で育てたりするのはブラックが楽)。
今度田舎の友達との交換もまたしたいですしね。
こういうのもやっぱり楽しいなあ。妹くらいだからなー、ゲームボーイ時代に交換できたのは。ケーブルでつなぐ時代ですよ。
そしてソウルシルバーでは7つめのジムクリア。ヤナギのじっちゃんはこおり専門で、こおり+もう1タイプの組み合わせ方から何をしても苦戦するのですが、今回はこおり苦手なはずのベイリーフがその組み合わせ先のタイプの弱点をついて大活躍。そこそこ耐久もあるのが良かったみたいで。(ジョウト御三家で不遇とは言われるけれどできるときゃあできますな)
で、そのジムクリアがロケット団ラジオ塔占拠のイベントのトリガー。
悪の組織ロケット団をやっつけないと先に進めないとはいえなんだか倒すのがためらわれる。
だってラジオ塔占拠してするのが赤青緑黄およびそれらのリメイクで主人公に倒され行方不明になったボス、サカキに向けてひたすら呼びかけることで。
英語でも若干味わえるのですが日本語で当該台詞を見てみるとほんと不憫になります。したっぱまでみんな泣いてますよ、おそらく。
(あとリメイク版で追加された幹部達が好きなのもありますが)
でもほんとこっちがサカキ様帰ってこいと呼びかけたいくらいですよ。
前回会ったのが赤/黄版プレイしたときだからもしかしたら15年くらい経ってるかも。
リメイク金銀が最初に出たとき映画で配布された某ポケモンの某イベントでは会えるんですがそれも後で知ったことで。
それもなんだか寂しいなあ、と思うのです。幹部だけでなくしたっぱからも結構名前が出るし、クラシックなボスといえばサカキのイメージなんですがね。(そういえば漫画ポケスペのサカキもかっこよかったなー)
まあそれもそうなんですがサカキ様はブラック2でトーナメントに出場なのでそこで再会、ということで(慕ってくれてる団員達はどうしたんだ!)。お召し物もポケモンも新調とのことで大変楽しみにしております。ストーンエッジ持ち結構いるんでフリージオで立ち向かうのは厳しいかな。
それつながりと、あとまた別の方面からのつながりで今「タイプ統一パーティー」というものをちょっと考えたりしています。
すでに使い勝手が分かってる面々を集められる&好きである虫タイプだったり、火力に難ありだけれどバラエティに富んでるゴーストあたり楽しそうかなーと思ってるのですが、あと一つ気になってるのが毒タイプ。
毒タイプはオフェンス的にもタイプ相性が良くなかったり技にも恵まれなかったりでもう一つのタイプに頼ることが多いのですが、何かと好きなポケモンがいたり、あと毒撒きやることちょくちょくあったりで。
クロバットとかアーボックとかゲンガーとかモルフォンとかアリアドスとかペンドラーとか、集めれば強くなくても俺得になるんじゃないかと(笑)
クロバットは「なつき」進化を最初に経験したかわいいやつですし(あとそれが金銀ライバルとかアカギのキャラクター解釈に絡んでくるのがいい)、アーボックも初代からのお気に入り蛇。
アニメでも漫画でも大活躍する割にはそんな強くない子なのですがちょっとプレイしてない間にすっかり器用になってしまってこんどいっぱい増やしてしまおうかと考え中。
虫も好きですが蛇も好きなのです。
そんなことを色々考えながらこないだ買ったポケモン+信長の野望も始めました。最初のセーブポイントまでとりあえず。まだどんなもんか分かってませんがこちらも楽しみ。
さあて明日はピアノに復帰。仕事もありますしもちょっと胃の調子がよくなってくれれば。
今日の一曲: 滝本晃司 「楽し楽しい時間」
日本から届いたCD3枚、まずはこれ。
たまでの楽曲は小さいときからずっと聴いてきましたがソロで滝本さんの楽曲に触れるのは初めてで。とっても楽しみにしていました。
やっぱりずっと時間とアンサンブルの違いを超えて共通するものはあるのですが、違って新鮮なところもいろいろ。
元々この「カタチ」というアルバムにしようと思ったのが某所でこの歌を聴いたのがきっかけで。なので特にこの歌が手元にくるのを楽しみにしていました。
ちょうどいい緩い感じの曲調だけれど、特に曲が進むにつれて切なさが増すというか。曲は繰り返しがあってテンションもそんなに変わらないんだけど、主に歌詞に込められた狂気というか(言葉がなんか違うな、危うさというか危なさというか)、そういうものによって音楽に緊張が増す印象。
昔の楽曲にもそういう要素はあったのですが(「星を食べる」とか)、このアルバムでのすっきりしたアレンジとサウンドだとそのぐさぐさ刺さるのが鋭利というか。良い意味で。
なのでこのアルバム全体そうなのですがちょっと聞き流してると聞きやすいけれど、曲の一部とか歌詞の一部が聞こえると急に深みが出てくるというか。実は今回届いた3枚の内で一番噛み砕くのに時間がかかってびっくりしてます。
特に「カタチ」という曲が本当にepic。(楽曲の平均長さが長い中最長の曲で、そういった意味だけでなくepic。)
ということで時間はかかりますがゆっくりじっくり(切なさが刺さりながら)浸透していくのが楽しいです。
そして改めて滝本さんの音楽は小さいときからずっと自分の根底に通じているなあ、と。ソロの作品も知ってよかった。ゆっくり集めよう。
・・・といいたいところですがなんだか妙に暖かいこの頃。
調子が落ち着いたと思いきやこの暖冬に精神がざわざわするようなところもあり。
そのくせ朝部屋が寒いので起きたときに気道が荒れたり酸が逆流したりで大変なことに。
今日はそれのせいか胃の調子も悪くて、しかも夕飯の買い物にいくのにピアノ練習を休んだりでなんだか腑に落ちない感じの一日。
本来ならピアノで弾いてるプログラムの話がしたいんですがそんなわけでぐずぐず変な気分になっているのでゲームの話でも。
最近ツイッターのお友達(クイズ周りの、去年一時帰国の時に一緒に遊んだお二方)とポケモンの交換の約束などしてブラック版クリアといえども色々ちまちまやってます。
それと同時にハートゴールドからブラックに移住させたり(第四世代に戻せないので慎重にやってますが、わざマシンのシステムなどの理由で育てたりするのはブラックが楽)。
今度田舎の友達との交換もまたしたいですしね。
こういうのもやっぱり楽しいなあ。妹くらいだからなー、ゲームボーイ時代に交換できたのは。ケーブルでつなぐ時代ですよ。
そしてソウルシルバーでは7つめのジムクリア。ヤナギのじっちゃんはこおり専門で、こおり+もう1タイプの組み合わせ方から何をしても苦戦するのですが、今回はこおり苦手なはずのベイリーフがその組み合わせ先のタイプの弱点をついて大活躍。そこそこ耐久もあるのが良かったみたいで。(ジョウト御三家で不遇とは言われるけれどできるときゃあできますな)
で、そのジムクリアがロケット団ラジオ塔占拠のイベントのトリガー。
悪の組織ロケット団をやっつけないと先に進めないとはいえなんだか倒すのがためらわれる。
だってラジオ塔占拠してするのが赤青緑黄およびそれらのリメイクで主人公に倒され行方不明になったボス、サカキに向けてひたすら呼びかけることで。
英語でも若干味わえるのですが日本語で当該台詞を見てみるとほんと不憫になります。したっぱまでみんな泣いてますよ、おそらく。
(あとリメイク版で追加された幹部達が好きなのもありますが)
でもほんとこっちがサカキ様帰ってこいと呼びかけたいくらいですよ。
前回会ったのが赤/黄版プレイしたときだからもしかしたら15年くらい経ってるかも。
リメイク金銀が最初に出たとき映画で配布された某ポケモンの某イベントでは会えるんですがそれも後で知ったことで。
それもなんだか寂しいなあ、と思うのです。幹部だけでなくしたっぱからも結構名前が出るし、クラシックなボスといえばサカキのイメージなんですがね。(そういえば漫画ポケスペのサカキもかっこよかったなー)
まあそれもそうなんですがサカキ様はブラック2でトーナメントに出場なのでそこで再会、ということで(慕ってくれてる団員達はどうしたんだ!)。お召し物もポケモンも新調とのことで大変楽しみにしております。ストーンエッジ持ち結構いるんでフリージオで立ち向かうのは厳しいかな。
それつながりと、あとまた別の方面からのつながりで今「タイプ統一パーティー」というものをちょっと考えたりしています。
すでに使い勝手が分かってる面々を集められる&好きである虫タイプだったり、火力に難ありだけれどバラエティに富んでるゴーストあたり楽しそうかなーと思ってるのですが、あと一つ気になってるのが毒タイプ。
毒タイプはオフェンス的にもタイプ相性が良くなかったり技にも恵まれなかったりでもう一つのタイプに頼ることが多いのですが、何かと好きなポケモンがいたり、あと毒撒きやることちょくちょくあったりで。
クロバットとかアーボックとかゲンガーとかモルフォンとかアリアドスとかペンドラーとか、集めれば強くなくても俺得になるんじゃないかと(笑)
クロバットは「なつき」進化を最初に経験したかわいいやつですし(あとそれが金銀ライバルとかアカギのキャラクター解釈に絡んでくるのがいい)、アーボックも初代からのお気に入り蛇。
アニメでも漫画でも大活躍する割にはそんな強くない子なのですがちょっとプレイしてない間にすっかり器用になってしまってこんどいっぱい増やしてしまおうかと考え中。
虫も好きですが蛇も好きなのです。
そんなことを色々考えながらこないだ買ったポケモン+信長の野望も始めました。最初のセーブポイントまでとりあえず。まだどんなもんか分かってませんがこちらも楽しみ。
さあて明日はピアノに復帰。仕事もありますしもちょっと胃の調子がよくなってくれれば。
今日の一曲: 滝本晃司 「楽し楽しい時間」
日本から届いたCD3枚、まずはこれ。
たまでの楽曲は小さいときからずっと聴いてきましたがソロで滝本さんの楽曲に触れるのは初めてで。とっても楽しみにしていました。
やっぱりずっと時間とアンサンブルの違いを超えて共通するものはあるのですが、違って新鮮なところもいろいろ。
元々この「カタチ」というアルバムにしようと思ったのが某所でこの歌を聴いたのがきっかけで。なので特にこの歌が手元にくるのを楽しみにしていました。
ちょうどいい緩い感じの曲調だけれど、特に曲が進むにつれて切なさが増すというか。曲は繰り返しがあってテンションもそんなに変わらないんだけど、主に歌詞に込められた狂気というか(言葉がなんか違うな、危うさというか危なさというか)、そういうものによって音楽に緊張が増す印象。
昔の楽曲にもそういう要素はあったのですが(「星を食べる」とか)、このアルバムでのすっきりしたアレンジとサウンドだとそのぐさぐさ刺さるのが鋭利というか。良い意味で。
なのでこのアルバム全体そうなのですがちょっと聞き流してると聞きやすいけれど、曲の一部とか歌詞の一部が聞こえると急に深みが出てくるというか。実は今回届いた3枚の内で一番噛み砕くのに時間がかかってびっくりしてます。
特に「カタチ」という曲が本当にepic。(楽曲の平均長さが長い中最長の曲で、そういった意味だけでなくepic。)
ということで時間はかかりますがゆっくりじっくり(切なさが刺さりながら)浸透していくのが楽しいです。
そして改めて滝本さんの音楽は小さいときからずっと自分の根底に通じているなあ、と。ソロの作品も知ってよかった。ゆっくり集めよう。
前回のエントリーに拍手どうもですー♪
最近新しいCDも3枚全部聞き終わってなんとか頭の中・心の中でそれぞれの曲がそれぞれのところに落ち着くのを待っている、消化反芻のプロセス中。色々気に入った曲があったのもあるのですがまだ若干興奮状態で、音楽に過敏?に反応しては知ってる曲も知らない曲も新しい曲もそうでない曲も歌い出す、という状態(メル響でブリテンとアデス聞いて以来続いているあれですがねー)。
音楽を聞くだけで亡く感じたい、というのはもちろんですが積極的に噛み砕いて紹介したい欲の現れかな。
この元気とアウトプット欲が物書きに回ればなあ!(苦笑)(ピアノでは十分できてると思います)
さて、こないだ「自分の伝えたいことをより正確に伝えるためのボキャブラリー」について話したとき、書いてる途中で「これメンタルヘルス関係で結構大事じゃね」みたいな気がしてたので今回ちょっとまとめてみることにしました。
ただし、完全に中間品です(汗)以前書いたと思いますがメンタルヘルス関係のトピックはものすごくしっかり考えることが必要ですが、同時に書きたいと思った時の勢いを時と共に無くすとそれはそれで書けなくなっちゃうんですよね。
結論から先に言いますと、身体の調子にしろ心の調子にしろ、普段からなるべく的確な言葉で表現できるようにしておく、というのは自分の状態を把握する予防・維持ケアとしても、そしてお医者さんに行ったときになるべく的確に対応できるよう、という目的にも有意義ですよ、ということ。
特に鬱状態とか、それから身体的に大きな痛みがあったりとかだと冷静に自分・状況を判断、分析、表現する能力ががくっと下がるので、普段から底上げしておくことは大切。
自分の状態を把握する、表現するといっても色んな側面があって、意識してないとぼんやりした像しかできないので、なんとか把握・表現しやすいように仕立てる必要があり。
なので英語でいう「5W1H」に分けるとわかりやすいかなー、と。
つまり:
Who(誰が)(シチュエーションによって省略可)
What(何を)(何に対して)
When(いつ)(なにをきっかけにして、どんな状況でなど解釈は広げられる)
Where(どこで)(シチュエーションによって省略したりWhenとかぶったり)
Why(なぜ)
How(どう)
をそれぞれ明確にすること。
例えば不安症状に関してWhen/Whereが大事になってきたり、各項目のウェイトや意味合いはケースによって結構変わるかな。
それからメンタルヘルス以外でもピアノの練習をするときだとか(どこに問題があってどう解決するのか自分で分析する)、それからピアノを教える時にも役立ちそうなテンプレート。
特に上記の中でもWhyとHowは明確にするのが比較的難しく、びしっと正確に言葉で表すのも難しい。ただ、それだけ重要なエレメントでもあります。
Whyはでもその場で短く言葉にまとめるような項目でない(色々掘り起こしたり認めたりして時間をかけて形にしていく)。そして前述ボキャブラリー、言語表現が大事になってくるのがHowのエレメントなのです。
例えば同じ「抑鬱状態」と言われる状態でも、抱えている感情は様々。人によっても違いますし(それは本人の感じ方もそうですし、他から見ての現れ方も)、一人の患者さんでも時によって色んな「鬱」の種類を感じます。
その時によって、というのも病状で長い間患ってる間に変化していくものだったり、ただころころ変わるものだったり。
でもどっちにしろその変化を把握することで、その人の状態についてある程度のヒントが得られたり、状態・経過を分析することができる。
ちょっと今の段落迷走しましたが、例えば同じ程度の鬱状態でも、重苦しい鬱の気持ちが空っぽな鬱に変わったり、そういう質的な変化を自覚すること、伝えることは大切だと思うのです。そのために普段から自分の状態を把握・分析して言葉にする習慣をつけておく、表現するボキャブラリーを身につけておく。
そのためには必ずしもこういうテンプレートでなくてもいいわけですし、もっと言えば表現する手段は「言葉」に限らなくてもいいと思います。
私のドクターは私の認知行動療法の一貫として私が時その時で好きな曲、弾きたく(聴きたくなる)曲、それから書きたくなる創作の性質から自分の状態・自分の心を分析する、ということをおしえてくれました。
自分にとってはhowのところで言葉で表すより、曲にたとえたほうが正確さが増します。例えば同じ鬱でもマーラー5番の第1楽章の感じとショスタコの弦楽四重奏第15番の感じでは全然違う、という表現の仕方。実際鬱状態に関する音楽の好みはその病状というか性質によってだいぶ変わってるようで。
他には色や形に例えるのがしっくり来る人もいれば、動きだったり着る服だったり、そういったもので表す方が上手く行くと思う人もいる。
言葉ではないですが、これもまた自分の状態を表す「ボキャブラリー」だと思っています。
で、こうやって的確に表現する手段を確立することによって、何か変化があったら気づいてお医者さんに伝えることもできますし、お医者さんとのアポでのコミュニケーションを効率的にしたり、あときちんと伝えることでアポ終わりすっきりできたり。
それから調子が上向きになってることに気づくと嬉しいですしね。あとある程度自分で把握しているという感覚、自分でちょっとでもケアできる感覚もほっとします。
メンタルヘルス分野の治療って薬ももちろんありますが患者さん側も何もしないわけではなく。自分をケアするためにすることが色々あるのですが、やりすぎちゃいけないし、何をやればいいか分からない場合も多いです。
そういう時にこういう風に噛み砕いてアプローチするのは有用なんじゃないのかな-・・・と治療を受けた経験として思うんです。
ということであくまでもまだ考え途中ですがまとめてみました。
メンタルヘルス界隈の話も書くの好きなんでまた考えることができたら書きたいと思います。
今日の一曲: ヤニス・クセナキス 「エヴリアリ」
こないだiTunes Storeでダウンロードしたクセナキスのピアノ作品集のCDから。
そもそもクセナキスを聴くようになったきっかけって(今年ですが)ちょっと覚えてなくて。どっか経由でようつべのクセナキス演奏を聴いて、そのなかでこのエヴリアリを「これだ!」と直感的に思ったのが直接のきっかけ。
以前も書きましたがクセナキスはギリシャの作曲家でメシアンの弟子にあたる立ち位置。
数学や建築にも造形が深く、メシアンの勧めもありそれらの分野を音楽に生かし、数学的なグラフを音楽に起こす(で正しいのかな)作法で音楽を書いた面白い人です。
ギリシャで音楽・数学と言えばピタゴラス。ピタゴラスは西洋音楽での和音や音階の元の理論を作った人なのである意味クセナキスで一周して戻ってきたような感覚がありますね。
クセナキスのピアノ独奏曲って片手で数えられるくらいしかなくて、そのほとんどがこのエヴリアリみたいな複雑な現代音楽ばりばりな音楽で。正直曲同士の違いもなんとなーくしか分からないのですが、でもこのエヴリアリはなにか特別感じるものがありました。
おそらくその直感的に特別感じるもの、というのは冒頭のリズム。クラシックでいうシンコペーションのような、私に比較的親しみのある感じのリズムになんとか手が届いて握ることができた、みたいな感覚。
やっぱり一般的にカオスに聞こえる現代音楽ではとっかかりが印象に大きく影響するんだな、と改めて実感。
こないだピーターにクセナキス弾いたことあるか尋ねたら「弾こうとは思っていたけど弾かずに数年」との話で。私も一応このエヴリアリが弾きたいと思ってるのですが(ピーター曰く「簡単簡単」だそうですが絶対そんなことはない!)、この突発的な好きを大事にしながら数年かけて思考面、そして音楽面をじっくり詰めていきたいと思ってます。
(その間にピアノ以外の曲にも親しんでいければなあ)
今回購入した録音は日本人のピアニストによる演奏なのですが、クセナキスを録音してる人って日本人が結構いるみたいですね。(名を連ねられるかな?)
実際クセナキスも日本、そして日本の作曲家と縁が深かったらしくどこか縁を感じずにはいられないです。
とりあえず冒頭を逃さないように聴いてみてください。同じCDには聞きやすい「ピアノのための6つの歌」も収録されています。
最近新しいCDも3枚全部聞き終わってなんとか頭の中・心の中でそれぞれの曲がそれぞれのところに落ち着くのを待っている、消化反芻のプロセス中。色々気に入った曲があったのもあるのですがまだ若干興奮状態で、音楽に過敏?に反応しては知ってる曲も知らない曲も新しい曲もそうでない曲も歌い出す、という状態(メル響でブリテンとアデス聞いて以来続いているあれですがねー)。
音楽を聞くだけで亡く感じたい、というのはもちろんですが積極的に噛み砕いて紹介したい欲の現れかな。
この元気とアウトプット欲が物書きに回ればなあ!(苦笑)(ピアノでは十分できてると思います)
さて、こないだ「自分の伝えたいことをより正確に伝えるためのボキャブラリー」について話したとき、書いてる途中で「これメンタルヘルス関係で結構大事じゃね」みたいな気がしてたので今回ちょっとまとめてみることにしました。
ただし、完全に中間品です(汗)以前書いたと思いますがメンタルヘルス関係のトピックはものすごくしっかり考えることが必要ですが、同時に書きたいと思った時の勢いを時と共に無くすとそれはそれで書けなくなっちゃうんですよね。
結論から先に言いますと、身体の調子にしろ心の調子にしろ、普段からなるべく的確な言葉で表現できるようにしておく、というのは自分の状態を把握する予防・維持ケアとしても、そしてお医者さんに行ったときになるべく的確に対応できるよう、という目的にも有意義ですよ、ということ。
特に鬱状態とか、それから身体的に大きな痛みがあったりとかだと冷静に自分・状況を判断、分析、表現する能力ががくっと下がるので、普段から底上げしておくことは大切。
自分の状態を把握する、表現するといっても色んな側面があって、意識してないとぼんやりした像しかできないので、なんとか把握・表現しやすいように仕立てる必要があり。
なので英語でいう「5W1H」に分けるとわかりやすいかなー、と。
つまり:
Who(誰が)(シチュエーションによって省略可)
What(何を)(何に対して)
When(いつ)(なにをきっかけにして、どんな状況でなど解釈は広げられる)
Where(どこで)(シチュエーションによって省略したりWhenとかぶったり)
Why(なぜ)
How(どう)
をそれぞれ明確にすること。
例えば不安症状に関してWhen/Whereが大事になってきたり、各項目のウェイトや意味合いはケースによって結構変わるかな。
それからメンタルヘルス以外でもピアノの練習をするときだとか(どこに問題があってどう解決するのか自分で分析する)、それからピアノを教える時にも役立ちそうなテンプレート。
特に上記の中でもWhyとHowは明確にするのが比較的難しく、びしっと正確に言葉で表すのも難しい。ただ、それだけ重要なエレメントでもあります。
Whyはでもその場で短く言葉にまとめるような項目でない(色々掘り起こしたり認めたりして時間をかけて形にしていく)。そして前述ボキャブラリー、言語表現が大事になってくるのがHowのエレメントなのです。
例えば同じ「抑鬱状態」と言われる状態でも、抱えている感情は様々。人によっても違いますし(それは本人の感じ方もそうですし、他から見ての現れ方も)、一人の患者さんでも時によって色んな「鬱」の種類を感じます。
その時によって、というのも病状で長い間患ってる間に変化していくものだったり、ただころころ変わるものだったり。
でもどっちにしろその変化を把握することで、その人の状態についてある程度のヒントが得られたり、状態・経過を分析することができる。
ちょっと今の段落迷走しましたが、例えば同じ程度の鬱状態でも、重苦しい鬱の気持ちが空っぽな鬱に変わったり、そういう質的な変化を自覚すること、伝えることは大切だと思うのです。そのために普段から自分の状態を把握・分析して言葉にする習慣をつけておく、表現するボキャブラリーを身につけておく。
そのためには必ずしもこういうテンプレートでなくてもいいわけですし、もっと言えば表現する手段は「言葉」に限らなくてもいいと思います。
私のドクターは私の認知行動療法の一貫として私が時その時で好きな曲、弾きたく(聴きたくなる)曲、それから書きたくなる創作の性質から自分の状態・自分の心を分析する、ということをおしえてくれました。
自分にとってはhowのところで言葉で表すより、曲にたとえたほうが正確さが増します。例えば同じ鬱でもマーラー5番の第1楽章の感じとショスタコの弦楽四重奏第15番の感じでは全然違う、という表現の仕方。実際鬱状態に関する音楽の好みはその病状というか性質によってだいぶ変わってるようで。
他には色や形に例えるのがしっくり来る人もいれば、動きだったり着る服だったり、そういったもので表す方が上手く行くと思う人もいる。
言葉ではないですが、これもまた自分の状態を表す「ボキャブラリー」だと思っています。
で、こうやって的確に表現する手段を確立することによって、何か変化があったら気づいてお医者さんに伝えることもできますし、お医者さんとのアポでのコミュニケーションを効率的にしたり、あときちんと伝えることでアポ終わりすっきりできたり。
それから調子が上向きになってることに気づくと嬉しいですしね。あとある程度自分で把握しているという感覚、自分でちょっとでもケアできる感覚もほっとします。
メンタルヘルス分野の治療って薬ももちろんありますが患者さん側も何もしないわけではなく。自分をケアするためにすることが色々あるのですが、やりすぎちゃいけないし、何をやればいいか分からない場合も多いです。
そういう時にこういう風に噛み砕いてアプローチするのは有用なんじゃないのかな-・・・と治療を受けた経験として思うんです。
ということであくまでもまだ考え途中ですがまとめてみました。
メンタルヘルス界隈の話も書くの好きなんでまた考えることができたら書きたいと思います。
今日の一曲: ヤニス・クセナキス 「エヴリアリ」
こないだiTunes Storeでダウンロードしたクセナキスのピアノ作品集のCDから。
そもそもクセナキスを聴くようになったきっかけって(今年ですが)ちょっと覚えてなくて。どっか経由でようつべのクセナキス演奏を聴いて、そのなかでこのエヴリアリを「これだ!」と直感的に思ったのが直接のきっかけ。
以前も書きましたがクセナキスはギリシャの作曲家でメシアンの弟子にあたる立ち位置。
数学や建築にも造形が深く、メシアンの勧めもありそれらの分野を音楽に生かし、数学的なグラフを音楽に起こす(で正しいのかな)作法で音楽を書いた面白い人です。
ギリシャで音楽・数学と言えばピタゴラス。ピタゴラスは西洋音楽での和音や音階の元の理論を作った人なのである意味クセナキスで一周して戻ってきたような感覚がありますね。
クセナキスのピアノ独奏曲って片手で数えられるくらいしかなくて、そのほとんどがこのエヴリアリみたいな複雑な現代音楽ばりばりな音楽で。正直曲同士の違いもなんとなーくしか分からないのですが、でもこのエヴリアリはなにか特別感じるものがありました。
おそらくその直感的に特別感じるもの、というのは冒頭のリズム。クラシックでいうシンコペーションのような、私に比較的親しみのある感じのリズムになんとか手が届いて握ることができた、みたいな感覚。
やっぱり一般的にカオスに聞こえる現代音楽ではとっかかりが印象に大きく影響するんだな、と改めて実感。
こないだピーターにクセナキス弾いたことあるか尋ねたら「弾こうとは思っていたけど弾かずに数年」との話で。私も一応このエヴリアリが弾きたいと思ってるのですが(ピーター曰く「簡単簡単」だそうですが絶対そんなことはない!)、この突発的な好きを大事にしながら数年かけて思考面、そして音楽面をじっくり詰めていきたいと思ってます。
(その間にピアノ以外の曲にも親しんでいければなあ)
今回購入した録音は日本人のピアニストによる演奏なのですが、クセナキスを録音してる人って日本人が結構いるみたいですね。(名を連ねられるかな?)
実際クセナキスも日本、そして日本の作曲家と縁が深かったらしくどこか縁を感じずにはいられないです。
とりあえず冒頭を逃さないように聴いてみてください。同じCDには聞きやすい「ピアノのための6つの歌」も収録されています。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
ただいま新しいCD噛み砕き期間です。いいものいっぱいで幸せ!
そしてゲーム屋さんでポケモンブラック2とポケモン信長の野望買って来ました。どちらもまだ始めません。始めるとそっちにかかりっきりになるのでもうちょっと待つ。
さて、昨日は友達のリサイタルに行ってきました。
去年私がリサイタルを開くきっかけになった同門の先輩です。
会うのはちょっとぶり。演奏を聴くのもそれより長いぶりかな。
プログラムはこんな感じでした:
<12 Etudes and a Toccatissimo>
ピアノ:Stefan Cassomenos
Vine 「Toccatissimo」
リスト 超絶技巧練習曲集より
第7番「英雄」
第11番「夕べの調べ」
第8番「荒々しき狩り」
リゲティ 練習曲集より
第4番「ファンファーレ」
第11番「宙吊りで」
第8番「鉄」
ドビュッシー 練習曲集より
第11番「組み合わされたアルペジオのための練習曲」
ラフマニノフ 練習曲集「音の絵」より
op.33-4 ニ短調
op.39-1 ハ短調
op.33-1 ヘ短調
op.39-6 イ短調
op.39-9 ニ長調
リストからリゲティまで様々な作曲家による「エチュード」を計12曲、そしてトッカータというこれまた技巧を凝らした形式の最高峰、という意味の「Toccatissimo」(オーストラリアの作曲家Carl Vineが去年のシドニー国際ピアノコンクールの課題曲として書いた曲だそうです)、という最初から最後まで技巧がハードな、ピアニストとしてものすごくスタミナを要するプログラム。
ただそんなに超絶技巧が続くプログラムながら、選曲・演奏どちらの面からも聞いてて飽きない、面白いコンサートでした。
彼の演奏は大学にいた頃ソロに伴奏に室内楽に頻繁に聴いていたのですが、そんななかで意外と彼が弾くリストを聞くのは初めてだったかも。
激情も持ち合わせてる彼ですがリストの演奏は意外とドライ。もしかしたらちょっと物足りないと感じる人もいたかもしれませんが、元がロマンチックな音楽なのであんまり濃い弾き方だと胃がもたれがちなので私はこれでも全然いけます。
これはプログラム通じていえることなんですけど両手で弾く音楽の中で(縦にも横にも)優先順位のつけかたというか、取捨選択がうまくできてるんですよね。聞かせたいところ盛り上げたいところはしっかり聞かせて、そうでないところは抑える、みたいな。
プログラムの性質もありますが、今回の演奏ではステファンの感情的な面よりも分析的な面が良く現れてた印象でした。大学では音楽だけでなく法律もやっていて(ただピアノで忙しすぎて両立は苦しそうでしたが)、そういう面があることは分かっていたはずなのですが。(っていうかうちの先生の門下ってそういうプレイヤー多いな)
その2つの側面のバランスが演奏に現れる、という意味で一番しっくり来たのがラフマニノフのop.39-1でしたね。曲自体もラフマニノフの緻密なメカニックな側面と情熱的な側面のバランスが面白いです。
それにしても「Toccatissimo」はすごかった。技巧の極み、というのもそうですがこないだ説明しようとしたVineの色彩とか音楽回路が爆発してましたね。解説に「not for the faint-hearted(心臓の弱い人には向いてない)」とありましたが、いやああれは弾けん(笑)
あとしばらく会ってなかったピーターが来てたのでちょっとしゃべりました。というか久しぶりすぎてちと空回ってすまん。またちょっとして会ってゆっくりしゃべりたいです。
彼もCDを作るとかいう話なので(去年弾いてたメトネルは彼の演奏で是非手に入れたい!というか他の人の演奏だと手に入れる気がしない作曲家なのです)、私も諸々がんばらなきゃ。
実はちとばかり(というかそれ以上)ピアノで伸び悩んでるのですが、今日はヒメコウテンシを弾いてるときにキジバトがしばらく近くに来てて鳥の鳴き声弾いて遊んだりもしたのでちょっと気が楽になりました。もうちょっとメシアンをしっかりしないといけないので。がんばります。
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲集「音の絵」 op.39-1
ラフマニノフは以前も書いてるはずなのですが背も2mくらいあって手もとっても大きい作曲家・ピアニストだったため、書いてる作品も大きな手が必要なものがちょこちょこあって。
私のサイズの手ではどうしても弾けない(または弾けても手に悪い)曲が結構あったりするのです。
そんなわけで弾きたくてもどうしてもあきらめなきゃいけない曲、というのは存在して。
ただこの練習曲「音の絵」のop.39-1は諦めきれないのです。まだ弾けるかどうか試してないのですが、試して絶対ダメなのが分かるのがちょっと怖い。
op.39のセットは(今いくつか弾いてますが)ちょっと渋めの良い曲揃いで、一番好きは他にもあるのですが、この第1番を諦めるのも勿体ない。
先ほど書きましたが練習曲らしく技巧が緻密にできていてメカニック的な組み立てがある曲で、同時に炎のような情熱も秘めたり爆発させたり。
この曲って主となる調はハ短調だけれどハーモニーはヘ短調のそれが濃く混じってて、それがまた炎の暗さに拍車をかけてたり。
ハ短調も好きですが、ヘ短調もいい調ですよね。ラフマニノフの作品でヘ短調ってそんなにないですが(練習曲のop.33-1、そして前奏曲くらいかな)全部かっこいい。あとベートーヴェンの「熱情」ソナタや「エグモント」序曲など、とにかく闇と炎を表すような曲が多いキーです。
とにかくかっこいい。頭と心がつながって炎が暗く燃え上がる感覚はたまらんだろうなあ。
自分が弾いたらそこの炎の部分とメカの部分のバランスはどうなるんだろう、というのも楽しみなところ。だから諦められないのです。
リンクしたのはリヒテルの演奏で、練習曲集「音の絵」の抜粋と前奏曲集の抜粋が収録されています。正にラフマニノフのピアノ!って感じのする演奏ですね。(今弾いてるop.39-7も試聴してみましたがロシアの重さが!自分の演奏にも重みと渋みが欲しいです)
私がいつも聞いてるMichael Kieran Harvey(3曲だけ録音してるんですよ)の演奏はメカ寄りで、ちょっと神経質な感じが実は結構ツボっているのです。面白いですよ。
(私もそっちに似るかなーそしたら)
ただいま新しいCD噛み砕き期間です。いいものいっぱいで幸せ!
そしてゲーム屋さんでポケモンブラック2とポケモン信長の野望買って来ました。どちらもまだ始めません。始めるとそっちにかかりっきりになるのでもうちょっと待つ。
さて、昨日は友達のリサイタルに行ってきました。
去年私がリサイタルを開くきっかけになった同門の先輩です。
会うのはちょっとぶり。演奏を聴くのもそれより長いぶりかな。
プログラムはこんな感じでした:
<12 Etudes and a Toccatissimo>
ピアノ:Stefan Cassomenos
Vine 「Toccatissimo」
リスト 超絶技巧練習曲集より
第7番「英雄」
第11番「夕べの調べ」
第8番「荒々しき狩り」
リゲティ 練習曲集より
第4番「ファンファーレ」
第11番「宙吊りで」
第8番「鉄」
ドビュッシー 練習曲集より
第11番「組み合わされたアルペジオのための練習曲」
ラフマニノフ 練習曲集「音の絵」より
op.33-4 ニ短調
op.39-1 ハ短調
op.33-1 ヘ短調
op.39-6 イ短調
op.39-9 ニ長調
リストからリゲティまで様々な作曲家による「エチュード」を計12曲、そしてトッカータというこれまた技巧を凝らした形式の最高峰、という意味の「Toccatissimo」(オーストラリアの作曲家Carl Vineが去年のシドニー国際ピアノコンクールの課題曲として書いた曲だそうです)、という最初から最後まで技巧がハードな、ピアニストとしてものすごくスタミナを要するプログラム。
ただそんなに超絶技巧が続くプログラムながら、選曲・演奏どちらの面からも聞いてて飽きない、面白いコンサートでした。
彼の演奏は大学にいた頃ソロに伴奏に室内楽に頻繁に聴いていたのですが、そんななかで意外と彼が弾くリストを聞くのは初めてだったかも。
激情も持ち合わせてる彼ですがリストの演奏は意外とドライ。もしかしたらちょっと物足りないと感じる人もいたかもしれませんが、元がロマンチックな音楽なのであんまり濃い弾き方だと胃がもたれがちなので私はこれでも全然いけます。
これはプログラム通じていえることなんですけど両手で弾く音楽の中で(縦にも横にも)優先順位のつけかたというか、取捨選択がうまくできてるんですよね。聞かせたいところ盛り上げたいところはしっかり聞かせて、そうでないところは抑える、みたいな。
プログラムの性質もありますが、今回の演奏ではステファンの感情的な面よりも分析的な面が良く現れてた印象でした。大学では音楽だけでなく法律もやっていて(ただピアノで忙しすぎて両立は苦しそうでしたが)、そういう面があることは分かっていたはずなのですが。(っていうかうちの先生の門下ってそういうプレイヤー多いな)
その2つの側面のバランスが演奏に現れる、という意味で一番しっくり来たのがラフマニノフのop.39-1でしたね。曲自体もラフマニノフの緻密なメカニックな側面と情熱的な側面のバランスが面白いです。
それにしても「Toccatissimo」はすごかった。技巧の極み、というのもそうですがこないだ説明しようとしたVineの色彩とか音楽回路が爆発してましたね。解説に「not for the faint-hearted(心臓の弱い人には向いてない)」とありましたが、いやああれは弾けん(笑)
あとしばらく会ってなかったピーターが来てたのでちょっとしゃべりました。というか久しぶりすぎてちと空回ってすまん。またちょっとして会ってゆっくりしゃべりたいです。
彼もCDを作るとかいう話なので(去年弾いてたメトネルは彼の演奏で是非手に入れたい!というか他の人の演奏だと手に入れる気がしない作曲家なのです)、私も諸々がんばらなきゃ。
実はちとばかり(というかそれ以上)ピアノで伸び悩んでるのですが、今日はヒメコウテンシを弾いてるときにキジバトがしばらく近くに来てて鳥の鳴き声弾いて遊んだりもしたのでちょっと気が楽になりました。もうちょっとメシアンをしっかりしないといけないので。がんばります。
今日の一曲: セルゲイ・ラフマニノフ 練習曲集「音の絵」 op.39-1
ラフマニノフは以前も書いてるはずなのですが背も2mくらいあって手もとっても大きい作曲家・ピアニストだったため、書いてる作品も大きな手が必要なものがちょこちょこあって。
私のサイズの手ではどうしても弾けない(または弾けても手に悪い)曲が結構あったりするのです。
そんなわけで弾きたくてもどうしてもあきらめなきゃいけない曲、というのは存在して。
ただこの練習曲「音の絵」のop.39-1は諦めきれないのです。まだ弾けるかどうか試してないのですが、試して絶対ダメなのが分かるのがちょっと怖い。
op.39のセットは(今いくつか弾いてますが)ちょっと渋めの良い曲揃いで、一番好きは他にもあるのですが、この第1番を諦めるのも勿体ない。
先ほど書きましたが練習曲らしく技巧が緻密にできていてメカニック的な組み立てがある曲で、同時に炎のような情熱も秘めたり爆発させたり。
この曲って主となる調はハ短調だけれどハーモニーはヘ短調のそれが濃く混じってて、それがまた炎の暗さに拍車をかけてたり。
ハ短調も好きですが、ヘ短調もいい調ですよね。ラフマニノフの作品でヘ短調ってそんなにないですが(練習曲のop.33-1、そして前奏曲くらいかな)全部かっこいい。あとベートーヴェンの「熱情」ソナタや「エグモント」序曲など、とにかく闇と炎を表すような曲が多いキーです。
とにかくかっこいい。頭と心がつながって炎が暗く燃え上がる感覚はたまらんだろうなあ。
自分が弾いたらそこの炎の部分とメカの部分のバランスはどうなるんだろう、というのも楽しみなところ。だから諦められないのです。
リンクしたのはリヒテルの演奏で、練習曲集「音の絵」の抜粋と前奏曲集の抜粋が収録されています。正にラフマニノフのピアノ!って感じのする演奏ですね。(今弾いてるop.39-7も試聴してみましたがロシアの重さが!自分の演奏にも重みと渋みが欲しいです)
私がいつも聞いてるMichael Kieran Harvey(3曲だけ録音してるんですよ)の演奏はメカ寄りで、ちょっと神経質な感じが実は結構ツボっているのです。面白いですよ。
(私もそっちに似るかなーそしたら)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
あれから元気にポケモン育成はげんでおります。ウルガモス2匹(正確にはウルガモスとメラルバ)を努力値の振り方を変えて使い勝手・用途がある程度異なるようにとの試み。
あのタウンマップだと家の近くだっていうけど意外と遠い変な場所でもらったタマゴが孵ったメラルバはメスだったのでニックネームを「Alexandra」に(ニコライ2世の奥さんから)、そしてこだいのしろで捕まえたウルガモスはオスだったので悩んだ結果「Akhenaten」(ツタンカーメンの父のファラオから)と名付けました。「A」の音が似合うんですよね。ブラック2で出会ったら(あとタマゴで増やしたら)またAのついた王族の名前にしたいです。インド、タイ周りでまだありそう。
さて、今日は日本から荷物が着きましたので頼んだCD3枚を聞いて一人で楽しんでいるところです。ちょっと興奮し気味かも。
今回手元に来たのはface to ace「a new day」、平沢進「点呼する惑星」、そして滝本晃司「カタチ」。先ほどご飯の準備&ご飯食べながら最初の2枚を聞いて、今は3枚目をちょうど聞いているところ。
もうあれですね、新しい音楽に出会うのはいつも楽しくて素晴らしい。感極まっています。なのでこないだからたまってる分も合わせてゆっくりこちらでも紹介していきます。きっと。
最近ちょっと・・・というか随分長いことオンオフありで考えてきたことなのですが、英語のボキャブラリーに関して今日はちょっとだけ書きたいと思います。
医薬翻訳の仕事でもある程度は意識しているけれど、どっちかというと創作だったり日常で英語を書いたり話したり読んだりすることの方が強く意識することで。
小学校6年生のときだったかな、こっちに来て1年くらいたって小学校でネイティブの人が読むような本もだんだん読めるようになって、友達や先生の言ってることもだいぶ(雰囲気込みですが)分かるようになり。
そんなときのぼんやりした記憶の中に先生達(6年生は2クラスが半分合同でいつも授業してたのでした)が教えてくれたこと、というのがいくつか残っていて。その中の一つが「goとかgetとかそういうgenericな言葉はなるべく文を書くとき使うのを避けるように」ということでした。
つまり同じ「行く」というニュアンスがある言葉でも、goでなくwalkとかstrollとかrushとか、様子をより正確に表し、読み手が想像しやすくする言葉を使うこと、という教え。
もちろん6年生時点でそれを実行するには私にはちょっと無理な部分も多かったですが、英語で文を書く能力が高まって、それからいろんな機会で文を書くことが多くなるにつれてじわじわと意識して実行するようになってきたことです。先生達ありがとう。
Go=行く、でなくwalk=歩いて行く、stroll=ぶらぶら歩く、rush=急いで行くだったり。
Think=考える、でなくponder=考えをめぐらす、meditate=熟考する、reflect=思い返すだったり。
翻訳するにも文を1から書くにも「ニュアンス」まで伝える表現の正確さ(またでたぞこのフレーズ!)というのは大切だと思うし、英語日本語関係なくもっと重きを置いた方がいいんじゃないのかなあ、と思うのです。
で、そういう(名詞でなく特に上記動詞などで)表現のレパートリー、ボキャブラリーを広げるには何よりも小説を読むことなんじゃないのかな、と思います。
英語を学ぶにおいて英語の本(絵本から子供向けの本、ヤングアダルトフィクション、小説全般全部ひっくるめて)を読むことの大切さって知られてるんだろうか、とよく思います。
(技術翻訳においても科学論文だったり翻訳しようとしている分野で使われている文書を読むのは大切ですが)
ちなみにうちの両親は今でも英語の本を読むことで英語の色々を維持していたりしているようです。
「英語を勉強する」ということについては一度母に話を聞いてみるのが一番かもしれませんね。母はオーストラリアにいる間に(私達のように学校教育ではなく)英語やそのほかオーストラリアの文化を勉強する、色んな国籍の大人達が集まる教室に通ってたこともあったので。それから本も読んでるので。
で、このボキャブラリーに関してあくまで私としては真剣に(でも楽しく考えていた)話もうひとつ。
「おっぱい」を表す英語とそれに対応する日本語、考えてみるとなかなか難しい。
Twitterにつぶやいたのを引用すると:
自分のイメージだとTits=乳、Boobies=おっぱい、Boobs=胸、Breast=胸、Chest=胸・・・あらら(汗)。ちなみに胸筋はPecks。男性の胸が(筋肉でなく)ふくらんでいるのはMan-boobsといいます(なかなかこたえる言葉なので多用はしないほうがいい)
・・・となります。
ちなみに「おしり」を表す英語とそれに対応する日本語、だと:
Bottom=お尻、Bum=おしり、Butt=尻、Ass=尻、Arse=ケツ、Rear=ケツ、Behind=お尻?、Booties=お尻?、Gluteal=臀筋、Buttocks=尻の肉・・・なのかな。?マークをつけたのはかなりニュアンスが違う気がする。
この「ニュアンスの違いによる違和感ともどかしさ」というのが現れやすいのがこういう口語というか、スラングというかなのかもしれませんねえ。映画とか小説の翻訳やってたら転がり回ってたわー(汗)
ということで何が言いたいかというと日本語も英語も他のどんな言語でもやっぱり自分が書く文、言葉のニュアンスとか表現の正確さ、そして正確に表現するためのレパートリーとしてのボキャブラリーについて考えを広げてみるのも大事だし意外と楽しいよ、ということです。
ついでに言えば鬱を始め気分障害や不安障害だったり、はたまた身体的な痛みとかの症状に関してもドクターになるべく正確に伝えることってものすごく大切です。むしろこれは別のエントリーを立てるべきかな。考えておきます。
今日の一曲: トーマス・アデス オペラ「Powder Her Face」の舞踏組曲より「終曲」
正式には「Dances from Powder Her Face」で舞踏組曲ではないかも(汗)序曲・ワルツ・終曲のうちの最後の曲です。
アデスのオペラは以前シェークスピアをモチーフにした「The Tempest」を紹介していますがあちらは古典作品の解釈であるのに対してこちらは20世紀の実話(しかも主人公が亡くなったのは作曲のわずか2年前)を元にしているオペラ。op.番号からして「Asyla」と同時期かな?
元になっているというのがアーガイル公爵夫人マーガレットの離婚を巡ったスキャンダル。どうも様々な男性との不倫関係が問題になったらしいのですが、なんかさすが20世紀というか写真がいっぱい出てきているようで。英語版wikipediaで裸に真珠のネックレス、くらいならまあいいじゃんと思って読み進めたら「....oh(汗)」な内容で。
(写真が残るってやっぱインパクトありますよね。もっと昔の上流階級のスキャンダルとか絵で描いてた時代とかじゃなかなか考えられない。今はインターネットやソーシャルネットワークでさらに流出しやすくなった時代なんであれですが)
まあそういうあらすじなので内容、そして音楽も色っぽいです。特にこの「終曲」の妖しさったらたまらない!
元々アデスの音楽って澄んだ空気のような透明さがあって、このオペラも大編成のオケを使いながらも不思議な軽さがあって(バイオリン、クラリネット辺りの音が特徴的)、色気があるところもべたつかなく、下品にならない洗練された感じがあるのがすごい。
アデスの得意な闇の低音+透明な高音のギャップがここでも味わえます。
古典のスタイルであれ都会風のスタイルであれ、なんでも自分のものにしてしまうアデスの器用さ、そしてアデスの手でしか形作れないような絶妙なスタイルが本当に大好きです。あと彼の他の作品ではあんまりみられないセクシーさは貴重。この3つのダンスだけなら聞きにくいことはないと思うので是非是非聞いてみてください。
同じCDに収録されてる新古典派作品Three Studies after Couperinもさらに聞きやすいですし、ちょっとチャレンジならTevotも名曲。
あれから元気にポケモン育成はげんでおります。ウルガモス2匹(正確にはウルガモスとメラルバ)を努力値の振り方を変えて使い勝手・用途がある程度異なるようにとの試み。
あのタウンマップだと家の近くだっていうけど意外と遠い変な場所でもらったタマゴが孵ったメラルバはメスだったのでニックネームを「Alexandra」に(ニコライ2世の奥さんから)、そしてこだいのしろで捕まえたウルガモスはオスだったので悩んだ結果「Akhenaten」(ツタンカーメンの父のファラオから)と名付けました。「A」の音が似合うんですよね。ブラック2で出会ったら(あとタマゴで増やしたら)またAのついた王族の名前にしたいです。インド、タイ周りでまだありそう。
さて、今日は日本から荷物が着きましたので頼んだCD3枚を聞いて一人で楽しんでいるところです。ちょっと興奮し気味かも。
今回手元に来たのはface to ace「a new day」、平沢進「点呼する惑星」、そして滝本晃司「カタチ」。先ほどご飯の準備&ご飯食べながら最初の2枚を聞いて、今は3枚目をちょうど聞いているところ。
もうあれですね、新しい音楽に出会うのはいつも楽しくて素晴らしい。感極まっています。なのでこないだからたまってる分も合わせてゆっくりこちらでも紹介していきます。きっと。
最近ちょっと・・・というか随分長いことオンオフありで考えてきたことなのですが、英語のボキャブラリーに関して今日はちょっとだけ書きたいと思います。
医薬翻訳の仕事でもある程度は意識しているけれど、どっちかというと創作だったり日常で英語を書いたり話したり読んだりすることの方が強く意識することで。
小学校6年生のときだったかな、こっちに来て1年くらいたって小学校でネイティブの人が読むような本もだんだん読めるようになって、友達や先生の言ってることもだいぶ(雰囲気込みですが)分かるようになり。
そんなときのぼんやりした記憶の中に先生達(6年生は2クラスが半分合同でいつも授業してたのでした)が教えてくれたこと、というのがいくつか残っていて。その中の一つが「goとかgetとかそういうgenericな言葉はなるべく文を書くとき使うのを避けるように」ということでした。
つまり同じ「行く」というニュアンスがある言葉でも、goでなくwalkとかstrollとかrushとか、様子をより正確に表し、読み手が想像しやすくする言葉を使うこと、という教え。
もちろん6年生時点でそれを実行するには私にはちょっと無理な部分も多かったですが、英語で文を書く能力が高まって、それからいろんな機会で文を書くことが多くなるにつれてじわじわと意識して実行するようになってきたことです。先生達ありがとう。
Go=行く、でなくwalk=歩いて行く、stroll=ぶらぶら歩く、rush=急いで行くだったり。
Think=考える、でなくponder=考えをめぐらす、meditate=熟考する、reflect=思い返すだったり。
翻訳するにも文を1から書くにも「ニュアンス」まで伝える表現の正確さ(またでたぞこのフレーズ!)というのは大切だと思うし、英語日本語関係なくもっと重きを置いた方がいいんじゃないのかなあ、と思うのです。
で、そういう(名詞でなく特に上記動詞などで)表現のレパートリー、ボキャブラリーを広げるには何よりも小説を読むことなんじゃないのかな、と思います。
英語を学ぶにおいて英語の本(絵本から子供向けの本、ヤングアダルトフィクション、小説全般全部ひっくるめて)を読むことの大切さって知られてるんだろうか、とよく思います。
(技術翻訳においても科学論文だったり翻訳しようとしている分野で使われている文書を読むのは大切ですが)
ちなみにうちの両親は今でも英語の本を読むことで英語の色々を維持していたりしているようです。
「英語を勉強する」ということについては一度母に話を聞いてみるのが一番かもしれませんね。母はオーストラリアにいる間に(私達のように学校教育ではなく)英語やそのほかオーストラリアの文化を勉強する、色んな国籍の大人達が集まる教室に通ってたこともあったので。それから本も読んでるので。
で、このボキャブラリーに関してあくまで私としては真剣に(でも楽しく考えていた)話もうひとつ。
「おっぱい」を表す英語とそれに対応する日本語、考えてみるとなかなか難しい。
Twitterにつぶやいたのを引用すると:
自分のイメージだとTits=乳、Boobies=おっぱい、Boobs=胸、Breast=胸、Chest=胸・・・あらら(汗)。ちなみに胸筋はPecks。男性の胸が(筋肉でなく)ふくらんでいるのはMan-boobsといいます(なかなかこたえる言葉なので多用はしないほうがいい)
・・・となります。
ちなみに「おしり」を表す英語とそれに対応する日本語、だと:
Bottom=お尻、Bum=おしり、Butt=尻、Ass=尻、Arse=ケツ、Rear=ケツ、Behind=お尻?、Booties=お尻?、Gluteal=臀筋、Buttocks=尻の肉・・・なのかな。?マークをつけたのはかなりニュアンスが違う気がする。
この「ニュアンスの違いによる違和感ともどかしさ」というのが現れやすいのがこういう口語というか、スラングというかなのかもしれませんねえ。映画とか小説の翻訳やってたら転がり回ってたわー(汗)
ということで何が言いたいかというと日本語も英語も他のどんな言語でもやっぱり自分が書く文、言葉のニュアンスとか表現の正確さ、そして正確に表現するためのレパートリーとしてのボキャブラリーについて考えを広げてみるのも大事だし意外と楽しいよ、ということです。
ついでに言えば鬱を始め気分障害や不安障害だったり、はたまた身体的な痛みとかの症状に関してもドクターになるべく正確に伝えることってものすごく大切です。むしろこれは別のエントリーを立てるべきかな。考えておきます。
今日の一曲: トーマス・アデス オペラ「Powder Her Face」の舞踏組曲より「終曲」
正式には「Dances from Powder Her Face」で舞踏組曲ではないかも(汗)序曲・ワルツ・終曲のうちの最後の曲です。
アデスのオペラは以前シェークスピアをモチーフにした「The Tempest」を紹介していますがあちらは古典作品の解釈であるのに対してこちらは20世紀の実話(しかも主人公が亡くなったのは作曲のわずか2年前)を元にしているオペラ。op.番号からして「Asyla」と同時期かな?
元になっているというのがアーガイル公爵夫人マーガレットの離婚を巡ったスキャンダル。どうも様々な男性との不倫関係が問題になったらしいのですが、なんかさすが20世紀というか写真がいっぱい出てきているようで。英語版wikipediaで裸に真珠のネックレス、くらいならまあいいじゃんと思って読み進めたら「....oh(汗)」な内容で。
(写真が残るってやっぱインパクトありますよね。もっと昔の上流階級のスキャンダルとか絵で描いてた時代とかじゃなかなか考えられない。今はインターネットやソーシャルネットワークでさらに流出しやすくなった時代なんであれですが)
まあそういうあらすじなので内容、そして音楽も色っぽいです。特にこの「終曲」の妖しさったらたまらない!
元々アデスの音楽って澄んだ空気のような透明さがあって、このオペラも大編成のオケを使いながらも不思議な軽さがあって(バイオリン、クラリネット辺りの音が特徴的)、色気があるところもべたつかなく、下品にならない洗練された感じがあるのがすごい。
アデスの得意な闇の低音+透明な高音のギャップがここでも味わえます。
古典のスタイルであれ都会風のスタイルであれ、なんでも自分のものにしてしまうアデスの器用さ、そしてアデスの手でしか形作れないような絶妙なスタイルが本当に大好きです。あと彼の他の作品ではあんまりみられないセクシーさは貴重。この3つのダンスだけなら聞きにくいことはないと思うので是非是非聞いてみてください。
同じCDに収録されてる新古典派作品Three Studies after Couperinもさらに聞きやすいですし、ちょっとチャレンジならTevotも名曲。
