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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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モネ展+α @NGV
前回のエントリーに拍手どうもですー♪
昨日は珍しく朝早く(6時なのでまだ暗い方角もありました)起きて、友達が仕事に行く前にちょっとシティでお茶しました。

場所はFlinders Street駅のはすむかいにあるメルボルンで2番目に大きい大聖堂、聖ポール大聖堂の敷地内にあるように見える裏の小道にあるLittle Kingというカフェ。目立たないところにあって、割と小さいところなのですが素敵なところでした。
あの時間は会社勤めの方がテイクアウェイでコーヒーを買ったり、というお客さんが多いので実際店の中はそんなにスペース無くても大丈夫っぽいですね。
でも店の中で飲むとマグとか可愛いので出してくれたり内装もささやかなかわいらしさがあったり。チャイはどうやら手作りのブレンド(タッパに入ってた)で、ものすごくおいしかったです。あとバナナブレッドもクルミが入ってて美味しかったです。クルミが入ったパン大好き。
短い時間でしたが話も盛り上がりましたしほっとするところでした。また行こう。

さて、今日は精神科医とのアポ(次は6ヶ月後だそうです。自分でやっていけることに喜ぶべきなのですがちょっと不安もあり)があり、その後にシティをぶらついてきました。
ちょうど今National Gallery of Victoria (NGV) International でモネ展をやっているということで(世間の学校が休みにならないうちに)行ってきました。

モネは19世紀末~20世紀初頭にヨーロッパで起こった芸術のスタイル、「印象派」の芸術家として有名です。
印象派は美術だけの話ではなく、音楽でもそれに相当するスタイルは同時期に生まれ育っています。本場フランスではドビュッシーやラヴェルが有名です。そしてフランス以外だとイタリアのレスピーギ、イギリスのヴォーン=ウィリアムス、ポーランドのシマノフスキとかが「印象派」っぽいと言えるかな。
つまりは音楽での「印象派」は自分の好み・専門どストライクなのです。

もちろん音楽と美術は別物ではあるのですが、時代がかぶっていること、そして表現手法にも通じるもが色々あるというということ、それから美術の印象派の手法もちゃんと理解している自信が全くなかったのでしっかり真面目に勉強・分析みたいな姿勢で見に行きました。

もう1年分の緑色を見た気分です。前も書いてると思うんですがオーストラリア東南部って「本当の緑」が自然に存在しないにも等しいんですよ。モネがよく使う青寄りの緑はだから本当に新鮮。潤い。

やっぱりでもモネの作品を見ていると色の使い方をまず考えさせられて、見た物を自分というフィルターを通してどう絵にするか、というプロセスを考えさせられます(そこのプロセスの違いが印象派がそれ以前の絵画で大きく違うところだそうです)。
「物」を「object」として見るんじゃなくて色の連なり、塊として見るというか。一旦ものを「物」として見ることから始めなきゃいけないんだなあ、と。

それに関してはモネの得意な「睡蓮」をモチーフとした一連の作品(いっぱいあった!そしていっぱい来てた!広間一つほぼ全部睡蓮という部屋があった!)が参考になるんですね。
水に映った景色だったり水に沈んでるものを描く、というのは必然的にものが「物」じゃなくなって、色の塊になる、ということなので上記見方を変えるのが難しいと思ったら水に沈めたものを描く、という手もあるんだな、と。

モネの睡蓮シリーズだったり他の作品で面白いのは同じモチーフを違う光で、例えば夕方の光と朝の光、別の視点で書いてみたりとか割とシステマティックに表現を追求しているように見える部分かな。
新しい表現手法だったから、というのもあると思うんですがそうやって睡蓮の作品を色々みて回るだけで絵には素人の私でもプロセスがわかりやすいというか「なるほどこういう風に考えてるんだ」と思える、という。

そして「物」を「object」として見ない、ということは空は青、雲は白、という見方から純粋に見える色を乗せていく、みたいなことなのですがそれはドビュッシーとかラヴェルよりもむしろメシアンの鳥の声に通じるところが大きいと思います。鳥の声は単旋律、と決めつけず倍音まで聞いて再現して、というところがそのまま。細かい和音のバランスのしかたは乗せる・混ぜる色のバランスに相当したり。

それからモネの晩期の作品がすごかったです。キャンバスに白い部分があったり筆の動きがはっきり見えて粗いようだけれど奥が深い。
前々から音楽家の晩期の作品の変化が面白い、ということはここで書いていますがモネの晩年の作品での変わり様は音楽で色々見てきたのとはまた違う感じで面白かったです。
先ほど物を物としてでなく自分が見たまんま色を乗せていく、というのが極端になったというか。もう「物」がほとんど無いんですよ。うっすら見えるくらい。
で、色が写実的な色からどんどん離れて、実際にこの色ないだろ!っていう色が出てきたり。感覚がものすごくとんがるんでしょうかね、見えないけれど感じる色がよりビビッドになって。
(そういえば統合失調症の患者さんは外的な諸々にものすごく敏感になると聴きましたがそういう患者さんの芸術作品って見えないけど感じる色がいっぱい使われてるような)
晩期にかけた変化、そしてスタイルの分析は改めて時間をかけて反芻したいところです。

色々モネの作品を見て好きだーと思ったものはたくさんありますが、中でも今回「Yellow Iris」が特に好きでした。見上げるアングルとか空の色とか強く印象に残っています。

それから同じくNGV Internationalのロビーのちょっと奥のエリアでフランスの芸術家・作曲家Céleste Boursier-Mougenotの「Clinamen」という作品の展示があったので見に行きました(こちらは無料)。
リンク写真の写真をみると分かると思いますが作品はいたってシンプル。丸いプールに大小色んなサイズの磁器のお皿が浮いています。プールの水は(一箇所から)動くようになっていて、それとともにお皿が動き、ぶつかって音を奏でるというものです。
これはジョン・ケージなどに代表される「偶然の音楽」の考え方を応用した作品で、視覚・聴覚に働きかける形態の芸術でもあります。

ちょうどプールの周りに座るところがあったので足休めにしばらく見て&聴いていましたが割と飽きずに聴いてられました。いい磁器なので(このために特別に作られたんでしょうか)一つ一つの音が良かったり、そして音と音の組み合わせも良い物が聴けて。
ケージとかの実験音楽だったり偶然の音楽だったり、そのアイディアが生まれた時代の作品ってそんなに心に響くものって少なかったり、一般的にも評価がちょっと微妙だったりするのですがこういう作品で、こういう形で展示されているのを見るとそういった芸術に対しても一般に受け入れやすくなったことが感じられますし、そして時と共にスタイルが育ってジャンル内の作品の質も上がったみたいだなあ・・・と思いを馳せたりしていました。改めて偶然の音楽をもっと聴いたり考えたりしてみるべきかも。いいきっかけです。

そして芸術といえば今日QVでランチついでにたまたま入ったSaxonyという服の店でも芸術作品の展示をやっていました。名前からして日本の方っぽい。こういう展示の形式・場所もあるんですね。
実はそこは黒とか灰色とか、あとデザインも自分好みの服を置いてるっぽく。ただお値段が・・・(汗)ケープが素敵だったんだけれど。素敵な黒い服求む。


今日の一曲はお休みです。

拍手[1回]

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選んで集めて育てて
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~

6月、といえばメルボルンは冬。そしてログをたどってみたらどうやら去年は今頃リサイタルの場所を決めるのに動き出していたらしい。
そろそろ今年も動き出さなきゃな。(7月の件もありますがあれは呼ばれているので。「リサイタル」の方は去年同様自分で全部段取りやらなきゃです)

となるとやっぱり9月が狙い目なのですが、曲の仕上がりはまだまだ。3ヶ月あれば大丈夫なのかも分からない。
個々の曲はもちろんなのですが、プログラム全体としてのまとまり、整合性?みたいなものもまだまだなんですよね。前回通して弾いた印象は「展覧会の絵」に似たところがどこかあるような感じだったので(どの曲も題だったり等から「絵」のイメージは確かに強い)そういう方向性かなー・・・うーむ。

前回のエントリーではプログラムの組み方とその効果に結構言及しましたが、特にソロのリサイタルでは選曲って結構興味深く見ています(室内楽もちょっと、オケだとプログラム組のシステムがまたちょっと違うので難しい)。
どんな曲を選んで、どんな順番で、どんな風に演奏するか、というのは奏者の好みや思い、心などが現れるものだと思うので。
それは弾くだけでなく聴くときのプレイリストもそうですね。

そしてまあ違うっちゃあ違うかもしれませんがポケモンの手持ちもそういう「人」が出るというか。
対人戦のパーティーはやっぱりもっと難しいですがストーリークリアのパーティーはにじみでやすいのかしらん。

数日前に唯一のポケモン友達である田舎に住んでいる友達からメッセージが来て、ポケモンのブラックだったかホワイトだったかのゲーチスクリア時のパーティーを教えてくれました。
彼女とは私がオーストラリアに来て以来友達で、彼女の好みは(baby showerのときのクイズの正解率は低かったながらも)結構知ってるつもりでいたのですが、割とその「知ってるつもり」の好みぴったりでちょっと笑いました。

ちなみに彼女のそのパーティーはダイケンキ、ムーランド、ゼブライカ、ズルズキン、ビクティニ、シンボラー、ゴルーグから6匹だそうで。
昔から犬好き、馬好き(&飼ってる)とくればムーランドとゼブライカはほんと外せないんだろうなあ、とにやにやしたり。サザンドラを倒したのはズルズキンあたりかな、と想像したり。

変わって私のパーティーはジャローダ、シンボラー、フリージオ、ペンドラー、シャンデラ、ブルンゲル、デンチュラ、ワルビアルから6匹。かぶったのはシンボラーのみ、で比較的「動物的」でない印象かな。あと虫が多い(というかほぼ岩に弱い!ウルガモスもそうだしな!)。
私の選んだパーティーに私の好みが現れてるのはだいたい分かりましたが、他人から見てその好み以外の「人」が出てるのかどうか、気になりますね。

今ちょっと遊びで色々ポケモンのパーティー組みをちょっと(というか複数)作ってたりするのですが、ポケモンの外見、組み合わせ、わざや想定される戦い方とかほんとうに好みや思考のパターンが現れそうな変数がたくさんで。
そういうところもひっくるめて面白いなーと思うのです。

ブラックバージョンでは「パーティーの流動が!」と戸惑いながらも自分の好みを割と反映した、これ以外で旅するのは考えられないとまで思ったパーティーに落ち着きましたが、ソウルシルバーでは4つめのジムでマツバを倒した時点でもまだまだ手持ちが迷走中。
(しかしマツバには苦しめられました。銀・クリスタル・ハートゴールド・ソウルシルバーと毎回です!一応イケメンキャラのようですが今回ばかりは殴ろうかと思いましたよ)

迷走している結果育成の効率が大変に下がって苦戦したり、さらにハートゴールドやダイヤモンドから持ってきたい、手持ちに加えたいかもしれないポケモンがたくさんいてもうなにがなんだか(汗)
選択肢を広げてゆっくり、とは決めていたもののそれが若干あだとなっているというか難しく考えさせてしまっているというか。
とにかくアーボックは絶対長く手持ちにいさせたいところ。初代蛇最高。虫好きと同じくらい長く蛇好きなんです。

それからロケット団も楽しみだ!リメイク版は幹部にキャラがついて楽しくなった!
ラムダさんに会うのが楽しみ(やっぱりおじさん好きらしいです)
そしてブラックバージョンも残り少なく。どう攻略するかしっかりプランしなければ。


今日の一曲: たま 「ワルツおぼえて」



たまのアルバム「さんだる」はもう物心ついた頃にはうちにあって、当たり前のように家や車で(主に車で)聴いてて。この曲も当たり前のように聴いてて、当たり前のように好きだったのです。
好きの度合いで言えばそのころは「らんちう」とかそっちの方が好きだったかも。この「ワルツおぼえて」は滝本さんの曲ですが、彼の楽曲だったら「ひるね」に収録されてる方が「好き」がはっきりしていた覚えが。

で、年を重ねて色んな音楽とふれあい、改めてこの曲を聴いてみると当たり前に聴いてたのがちょっとびっくりするような。その色彩とか、感性とか、リズムの変わり方とか、サウンドとか、展開の仕方とかどれをとっても「当たり前」なことはなくて。(春の祭典もそうなのですが)

その独特さに気づいてからこの曲は自分にとって当たり前に聴くものじゃなく、その特定の何かを求めてるときだけに聴く特別な曲になりました。なんとなく「空」とか「虚」に似た、言葉ではちと説明しがたい感覚をつかみたいときに聴いています。

歌詞を覚えるのが私は苦手なのですが、たまは小さいときから聞いてて自然と覚えるパターンが多いです。この曲もそうなのですが、歌詞はともかく歌のパートの難しさ!
音域は滝本さんの曲に珍しく自分に合ってるのに歌い出しからフルに難しくて(長い間知ってる曲とはいえ)一人で歌うにもひやひやものです。でもそれが導く(?)不安定さがやっぱり良いんだよなあ。

そしてこの歌で一番好きなのが柳原さんのアコーディオン。オルガンを弾いたりギターを弾いたりすることもあるけどやっぱりアコーディオン、そしてやっぱり「ワルツおぼえて」のアコーディオンが一番自分のなかでは特別。懐かしい音、という以上に大好きです。

あ、そういえば日本で滝本さんのソロのアルバム買いました。(+face to aceの「a new day」と平沢進の「点呼する惑星」も)。そのうち来ると思いますが楽しみです。たまのCDもゆっくり揃えていってますがそちらも興味があったので。
それに最近聖飢魔IIとかface to aceの曲もあんまり紹介してない気が。そちらも後日。

拍手[1回]

オーストラリア国立音楽アカデミーのリサイタル感想
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
なんだか調子の下降が落ち着いた感じです。前回話したピアノのあれだったり、あとそんなには寒くないのがきいてるかな。
仕事もしばらく分きたので朝もちゃんと起きなきゃ。

さて、昨日はちょっとコンサートに行ってきました。珍しいですが午前中に。
今オーストラリア国立音楽アカデミーでは実技試験でもあるリサイタルの時期。アカデミーには何人か友達がいますがその直接の友達を通して知り合ったビオラの友達のリサイタルがあったので行ってきました。
前もそうでしたが試験とはいえ公共のリサイタルなのでいつも通り紹介。

<ANAM Recital: Katie Yap>
テレマン 幻想曲 第10番(ビオラ無伴奏:原曲はバイオリン曲)
マルティヌー 3つのマドリガル(バイオリンとビオラ)
コダーイ セレナード op.12(バイオリン2台とビオラ)
ブリテン 3つのディヴェルティメント(バイオリン2台、ビオラとチェロ)

なかなかマイナー・・・というかニッチなところを付いたプログラムです。
このプログラムは「1,2,3,4」がテーマになっていて、上に書いたようにビオラ1人からデュエット、トリオ、カルテットと人数が増えていくプログラムになっています。
一応アカデミーでのこういう実技試験は「ソロ・リサイタル」となっていますが室内楽作品を含めるケースも多く、でも今回のプログラムも(ビオラという内声担当の楽器にも関わらず)ビオラを主に聞かせる、という意味でちゃんとビオラのリサイタルなプログラムでした。

ほぼ全てが初めて聞く曲でしたが面白い曲でしたよー。
マルティヌーは大学1年のときにフルート、バイオリンとピアノの作品を聞いてあんまりぴんとこなかったのですが、今回のこのマドリガルで見直しました。いい味してます。
あとコダーイでのビオラパートの活躍すっごいですね。あの渋い低音がごうごう鳴る鳴る。「ハーリ・ヤーノシュ」でも長いビオラのソロがありますが、こちらの方がハンガリーらしいワイルドな感じ。

それから「ディヴェルティメント」って軽妙な小品というイメージがありますが(モーツァルト以来)、ブリテンのディヴェルティメントはもう小さなシンフォニーみたいな雰囲気というかテンションというか、作り込まれた度合いがすごいというか。

そんなプログラムを通じてKatieの音がよかったですね。私とそう変わらない体格でしっかり響くパワフルで豊かな音。音響も味方してましたが元もしっかり。
なにより「健康的」な音という印象でした。作曲家のラインアップから分かるかもしれませんが、必ずしも素直に美しい音ばかりでなく苦み走ってる音もたくさん求められる中で、苦みのある音も気持ちよく心に響くのが聞いててとっても良かったです。

そしてこのプログラムで素晴らしいと思ったのがソロ・デュオ・トリオ・カルテットと楽器編成が変わっていく中でビオラのキャラクター、役割が大きく変わっていくこと。
テレマンでの即興的な自由さ、マルティヌーでのバイオリンと対等に張り合う様子、コダーイで(ソロもあるけど)チェロとはまたひと味違った性質でアンサンブルを下から支える力持ち、そしてブリテンで内声を担当して内側から支えながら他の3人と違う立ち回りをしていたり。
チェロもそうですがビオラも本当に多彩な音でビオラならではの多彩な役割を演じられるんですよ。去年のビオラコンサートでもそれを実感しましたが、今回のプログラムではそれを改めて再確認しました。
(クラシックではマイナーながらも色々活躍しているのでクラシック以外のジャンルでももっと活躍させてあげてほしい!)

本当にこのコンサートではいいものを聴かせてもらいました。ビオラやっぱり大好きです。もちろんipodにも入ってますが生でもちょこちょこ聞きたいです。


今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ ビオラソナタ 第2楽章



ビオラつながりでチョイス。本当はこの曲は自分にとって本当に特別で、好きすぎて聴かないだけでなく曲の存在自体あまり口に出さないくらいな曲です。ものすごーく弾きたいです。
この第2楽章は実際弾いたことがあって、この曲全体を好きになるきっかけになった楽章です。

普通(というかモーツァルトとか古典派以降の伝統的な)ソナタって3楽章編成だと速い→遅い→速いという構成になりますが20世紀になるとそれとは違った楽章構成のソナタも色々出てきます。
ショスタコーヴィチは後期になると交響曲・弦楽四重奏・協奏曲・ソナタなどで第1楽章を遅いテンポにすることが増えるような気がします。
(もちろんショスタコ特有のことではないんですが、なんだかそういう傾向ははっきりしてきてますよね)
それはそれで効果的だったり、意味ありげだったりしてこの時期のショスタコの音楽を考える上で一番わかりやすいスタート地点じゃないかな、と思います。

以前も書いたと思いますがこのビオラソナタはショスタコーヴィチが書いた最後の作品。(これもまたわかりやすいスタート地点ですね)
彼の他の作品と比べるとシンプルで、色んなものが「無い」ように思えますが、その中にも本当にいろいろな思いがあります。

この第2楽章もちょっとどこか不気味なところがあるように思えます。
速い楽章ですがもちろん明るくはなく、含むエネルギーの質もちょっと異様。
何かを掴もうと、感じようとするのが怖くなる何かをはらんでいる曲。

ピアノのパートもそこそこしっかりありますが、なんといってもビオラです。
ビオラしか表現できない世界、というのが本当にあるんだなというのがこの楽章、そしてこのソナタにはたくさんあります。
バイオリンの音はタイトで神経質なところがあって向いてなかったり、逆にチェロだと感情が入って豊かすぎたり。ビオラならではの「虚」があるんですね。

この曲はバシュメットが弾く録音が二つ手持ちにあるんですが、自分で買ったほう(もう一つは友達に借りた)のこの楽章の演奏が面白い。
ものすごーく焦ってる感じなんですよ。テンポが速めで前のめりで、なにかにかき立てられているような。最初弾いててものすごく怖かったです。この曲が向かっているところ=死ですからね。スローで長い第3楽章が次にあるとはいえ、この弾き方はちょっと。
(でもそれがやっぱりこの曲の弾き方・解釈としてはぴったりなことがあって、今ではむしろ好きなのです)

なので今回は試聴はありませんがその録音をリンクします。バシュメットは自分の中ではザ・ビオリストというか。闇とか病みとかの度合いも含めて自分にとってビオラってこんな感じがいいな、と思うところがあります。特にこの曲で。
他にもカシュカシアンの録音、タベア・ツィンマーマンの録音も見つけました。まだまだ他にもありそう。

ブログ本文でもそうですが今日の一曲でも自分が好きな曲であればあるほど空回りしますね。反省。そしてどうか汲んでください(汗)

拍手[1回]

Memorizing Messiaen(再び)
前回のエントリーに拍手、そしていつもよりも多いアクセスありがとうございます~
春の祭典についてですが、facebook経由で面白い動画が流れてきたので紹介。
「春の祭典」の音を可視化したミュージックアニメーションの動画です。
第1部はこちら、第2部はこちら。仕組みなどについては第1部の動画に説明が(英語で)。
電子演奏ですが結構音もちゃんとしてますし、楽譜が読めなくてもなんとなーく曲の構成とかが分かるように、そして複雑で全部は聞きとることができない部分も光で見れるようになっています。
ようつべではバレエのパフォーマンスもみれますが、これは全く違う意味で大変おすすめの動画。
(ちなみにこれを作った方はほかにもいろんな曲のミュージックアニメーションを作っています。電子演奏ではなく人間の演奏で作っているのもたくさん)

さて、こないだ「面白いこと」が出てきたと言いましたが、ちょっと詳細を。
こないだ同窓会で行ってきた私の母校なんですが、最近新しくグランドピアノを購入したそうで(楽器買うんだったら少しは寄付したぞー)、そのお披露目的なコンサートをやるので弾かないか、というお便りがこないだ来たのです。
で、正式な詳細は決まってないのですがとりあえずお返事して弾くことになりました。今準備してるプログラムから一部弾きたいです。どんなピアノかな。
(ちなみに依頼主の音楽で一番偉い先生が、私が在学中もクラリネットを教えたり吹奏楽の指揮したりしてた先生なのですが、卒業したんだからファーストネームでもいいって言うんですがなんかそういう切り替え難しいですよね(汗))

で、上記のあれが7月中旬の予定で、それまでに自分の持ち曲の半分以上はなんとか演奏可能な状態になってるはず。
実際今の時点でも完全に・ほぼ暗譜までできている曲は結構多くて、7月のあれには持ち時間が何分でもそれに合わせて曲を選べそうな雰囲気。
で、始めたときからずっとそうなのですが、メシアンの「鳥のカタログ」、中でも「イソヒヨドリ」がプログラム中最難関で。(これが唯一7月までに演奏可能ではない曲ですね)

それでちゃんと演奏できるようになるのかなー暗譜できるようになるのかなーとここ数ヶ月悩んできたわけですが、今日やっと「そろそろイソヒヨドリも暗譜始めなきゃなー・・・」と思ってちょっと(楽譜は開いたままなるべく見ない、という形で)暗譜のお試しをしてみました。
そしたら・・・結構できました!(笑)
これまで意識的に暗譜しよう、と思って練習したことがないのになんとなーくできる、というかほとんど止まらずに通して弾けるくらい。もちろん詳細は覚えてなくてごまかした部分も結構ありますが、ごまかしがきくくらいには起点となるポイントが多く確保できているみたい。

これまでメシアンの曲を普通に練習してる(=暗譜を意識せず)中でだんだんと指と頭が音楽を覚えてくる、ということはありましたが先に書いたように今回はとにかく自信がなかったので本当にびっくりしました。
イソヒヨドリは自分が弾いてきた鳥カタの中では一番長く、結構音も多くて多くの部分に分かれているし、ハーモニーなんかももちろん伝統的なものとはかけはなれている。
でも自分でも知らないうちにどうやってか覚えていて、なんだか不思議だったり驚きだったり安心だったりでちょっと笑ってしまいました。
もちろんこれからやるべきことはたくさんありますし、暗譜に関して気は抜けないですけどね。

大学時代からメシアンを弾くたびに「難しいんでしょ?暗譜どうやってやってるの?」と言われます。
確かに弾くのも暗譜するのも簡単だとは全く言えませんが、だからって所謂伝統的なピアノのレパートリーと比べてものすごく難しいわけでもないと思います。

ちょっとコツがいることはいるんですよね。メシアンの音楽言語をある程度知ってると(特に20のまなざしは)その言語の中での動き方はわかってきますし。
以前も書きましたが手の形の記憶は割と大きいです。あと常にメインとなるメロディー・・・じゃないけど一つ主になるラインを耳で追っていって、それを頭の中に刻み込み、それを基準点として手の形を合わせていくと割と覚えられるものです。

あと前回このことを話したときはハーモニーの「色」を覚えることで暗譜練習のときに音の正誤をチェックしたり、と書いた覚えも。
とにかく(メシアンの音楽言語についてちょっとは学ぶことは必須として)自分なりに記憶のコツを見つけることなんです、きっと。そしてそうすると絶対といっていいくらい複数の記憶法を組み合わせることになると思うんです。

でも結局複数の記憶法を組み合わせるのも、個人個人で合った暗譜のコツを探すのも結局メシアンや他の20世紀以降の音楽に限ったことじゃなくて、それ以前の時代の曲でもそうだと思うんです。
ただそれをより強く、合理的・論理的に意識して、ちょっと工夫を加えたりするのが必要かな。そうやってやってるとだんだん弾くのが楽になって、その積み重ねが今日みたいな嬉しい驚きにつながったり。
で、その暗譜の工夫やスキルはメシアンの音楽のみならずいろんな時代のいろんな音楽に応用できると思います。

なのでメシアン(そしてその他いわゆる現代音楽)を難しい、特に暗譜が難しいという理由で敬遠しないでほしいなあ、と思っています。
もちろん理由がそれだけでないのはよーくわかっていますが(笑)
ちょっとあれな言い方かもしれませんが要するに「慣れ」です。慣れってほんと大きいですよ。なめちゃいけません。
それにわからないまま暗中模索しててふと頭と心のギアがかちっと合ったときの気持ちよさとか、わからないのがだんだん馴染んできて自分の一部になってくる感覚、それを自分のものに少しでもできたと感じるときの感覚とか。それが今日だったんですが(今日以外にも何度となく経験してます)。
そういった快感が(とっつきにくい、努力が報われない、理解できないなどと思われがちですが)現代音楽でもちゃんと感じられるんです。

ということでメシアン難しくないです、といったら嘘になりますが「そんなには」難しくないです。
怖がらないで聴いて&弾いてくださいな~


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「峡谷から星達へ・・・」 第6楽章「恒星の呼び声」



やっと今日聴きました!聴いて良かった!素晴らしい音楽に出会えてよかった!
(大学在学中も一回だけ聴いたことあるんですが大学の図書館から持ち出し禁止なのでその1回だけだったんです)
前回、というか結構前になりますがメシアンの大規模曲を紹介したのは「彼方の閃光」でしたね。あの作品はメシアンがオーストラリアに来た時聞いた鳥の声を使ったりしてますが、この「峡谷から星達へ」はメシアンがその前にアメリカに行ったときの風景や鳥の声をがっつり使っています。
(ちなみにCDジャケットにはアメリカで撮ったメシアンの写真が載ってます。カラー写真です!)

アメリカの田舎とか大自然の風景ってオーストラリアのそれと似たようなところがあって、クラムの音楽やこの曲でもその似たところというか、ちょっと親しみを覚えるような感じがあるんですよね。
そしてそういった景色を映像で見て「あー違うなー」というところは音楽でも違うと感じるのも面白い。
その違いを具体的に感じるのがアメリカは壮大な地球の大地と果てない宇宙がものすごく近く感じる、というところですかね。(ハワイも含め)そういう感覚がオーストラリアで無いわけじゃないんですけど、度合いが違うというか。

その宇宙の近さもこの「峡谷から星達へ・・・」で強く感じられます。実際星たちを題材にした楽章も複数あります。
そんななかのこの「恒星の呼び声」はオケ曲の一部ながらホルンがたった一人で吹く珍しい楽章です。
(なのでレパートリーが元々小さいホルンではこの曲もソロレパートリーとしてコンクールの課題などに使ったりしています)

果てしなく広がる宇宙をオケやピアノで表すのはよく見られますがホルン、というのはまた意外な気もします。
ただ星と星の間に本当の意味で何もない、その孤独さというか「虚」の感じを表現するにはある意味ホルンは向いてるのかな、と。
ホルンって独特の響きや余韻があって、それが長すぎず短すぎず強すぎず、他の楽器ではまねできない呼び声になるのかなーと。

で、改めて聞いてみるとこのホルンのソロ、思ったよりも技巧がすごい!ホルンにしたら超絶技巧の類になるんですかね。
それもホルンの技巧を披露するための曲でないし(星の呼び声=星の言語を表現するのが第一目的)、書いたメシアンがホルン吹きでもないのもあって「普通のホルン曲」よりも難しくなってるのではと推測。スコアみてみないと諸々分かりませんけど。(図書館にスコアあるかな)

先ほど書きましたがこの楽章は「響き」が命だと思います。音のアタックから音が消えるまで、そして音と音の間の静寂も。なのでやっぱりこの曲は是非!生で聞かないと100%味わえないと思います。
ホルンの音と、それがホールに反射して響き、消えていくの、それから場の緊張の空気まであって初めて宇宙になるかな。
(でも考えてみるとただでさえ難しい、音が外れるホルンがこんなにプレッシャーmaxなシチュエーションでこんな難しい曲を聴衆・オケの前でたった一人で吹くって大変も大変ですね)

でもこの楽章はちょっと初めてだと聴きにくい。そもそもこの時代のメシアンのオケ曲ってそんなに聞きやすいといえるものは多くない。
ただ「峡谷から星達へ」だと第8楽章の「甦りしものとアルデバランの歌」が美しいと思います。まだ聞き始めたばっかりですが星の描写が綺麗でおすすめ。

そしてリンクしたのが購入した録音です。ジャケットも素敵だし前述メシアンのカラー写真も。(笑)

拍手[1回]

明日の話ですがめでたい日なのでフライング
前回のエントリーに拍手ありがとうですー。

以前クラウドファンディング企画にちょっと参加したADOMというゲームですが、あれからプレリリースを重ねバグフィックスや新機能などが追加され、とうとう昨日グラフィックス&BGMを導入したバージョンがリリースされました。
ちょっとだけプレイしてみたのですがなんかそのRPG感が半端ないですね!(笑)これまでもがっつりRPGではあったのですが、なんかこう「らしい」絵と音楽がつくとさらに。
まだまだグラフィックスも楽しみたいのですが、記号表示のときよりも一画面に表示される部分が少ないのでそれがちょっと不便なところもあり。反面HPゲージの表示は本当にありがたい。
これからも遊び込んで行きたいです。まだ開発者さんたちも色々作業を続けてますし、わくわくはまだ終わりじゃないですので。

さて、本題に。
今年はワーグナーの生誕200年で年末にOpera Australiaによる指輪サイクル完全公演だったり世界中で色々盛り上がっています。
が、今年はクラシック音楽に対してもうひとつ大事なイベントのメモリアルイヤーでもあります。
それがストラヴィンスキーの春の祭典初演から100周年!
1913年の5月29日、パリでこのバレエが初めて公演された夜、その踊りと曲の斬新さに観客がヤジを飛ばし、評価する者と批判する者が言い合い暴動に発展した・・・という前代未聞の出来事だったのですが。

春の祭典は単純に暴動が起きたからすごい、というだけの作品ではありません。
ストラヴィンスキーの作品の筆頭にあげられる名曲で、作曲法とか楽器の使い方とかも本当に緻密にできていて、独特の雰囲気とエネルギー、これまでになかったサウンドとBarbaricなキャラクターなど色んな意味で圧倒的な作品です。(そして音楽はもちろん振り付け・衣装なども斬新かつ素晴らしいものです)
分析すればするほどストラヴィンスキーのすごさがわかりますが、普通に聴いただけでもものすごいインパクトのある音楽で、弾くにも個々のパート・オケ全体としてのアンサンブル・指揮者のパートそれぞれの要素が難しく、同時に楽しくて弾きごたえがあるのです。

1913年の初演では暴動が起きましたが、100年経った今は「春の祭典」といえばすっかりオケにとっては定番レパートリーの一つ(バレエだともちょっと公演機会は少ないかな)。聴衆にとっても人気のある曲です。
メルボルンだと1~2年に一回は演奏されてるかな。私も1回弾いたことがあります。
先ほど書いたように難易度は高く、さらにオケの編成で木管楽器・金管楽器が多くて普段使わない楽器なんかも出てきたりするのですがそこらをクリアすればユースオケなんかでも(レベルが高いとこは)弾いたりします。

そんなこんなで春の祭典はなじみのある曲ではあるのですが、100年経っても未だにこの曲は最初に出会った人に驚きをもたらしています。
私は物心ついたころはもうこの曲を普通に知ってたのですが、母や大学の友達などの話を聞くとこの曲を初めて聴いて「本当にこれは音楽なのか」くらい驚いたそうで。
しっかり定番として根付いているけど100年経ってもそんな新鮮さがある。(しかも驚かせるだけでなく聴き続けるごとに、弾くごとにさらなる魅力が発見できる深さがあるので長く愛される)
今もこの曲は一般に人が抱いている「音楽」「クラシック音楽」のイメージをぶち壊すようなものなのです。

そんな春の祭典の初演は音楽史で一つのターニングポイントであり、ここから20世紀が始まるみたいな印象が私にはあります。
その少し前からワーグナー周りで諸々あってロマン派の時代は終わりつつある状態で、音楽はどこに行くんだろうみたいなところはあったのが、春の祭典により一つ新しい扉が開いたようなところがあり(もちろんその前後に開いた扉は色々ありますが)。

その扉が開いてちょうど100年。あの時のような暴動が起こったりすることは(おそらく)なかったですが、だからといってクラシック音楽に春の祭典のような名曲が生まれなくなったわけでも、変化していく勢いがなくなったわけでもありません。
まず音楽のスタイルが多様化して、色んなところから色んな音楽が入ってくるようになって、音楽の拠点も散らばり、人が分散したり、多様性を受け入れやすくなったのもそういうことが起こらなくなった一因です。
クラシック音楽、というのがたくさんの流れの中の一つになり、新しい音楽が作曲され演奏されるのがローカル規模になったというか。

なんだか20世紀になってクラシック音楽が衰退した、いわゆる「オワコン」になったという風に思われているような風潮はありますが、私は必ずしもそうでないと思います。
ストラヴィンスキー以降でも素晴らしい作曲家が斬新な作品をたくさん残していますし、ちょっとモダニズムあたりの時期で迷走もしましたが21世紀もまだまだ素晴らしい作曲家が活躍しています(クラム、アデス、ディーンなど)。
そして彼らが新しく創った作品には本当に驚くことがたくさん。毎回20世紀から21世紀にかけて作曲した新しい曲に出会うたびにクラシック音楽は100年もの間、そして今も静かに進化し続けているな、と思うのです。
(そしてそんな20世紀と21世紀の音楽を生かすのもこの時代の音楽家の仕事だと思います。)

ストラヴィンスキーの「春の祭典」は自分がずっと聴いてきているという意味でも、自分が主に弾いている20世紀の音楽の源であるという意味でもとっても大事な曲です。
あれからもう100年、同時にまだ100年。曲について、時代について色々考えさせられますが明日はとりあえず「春の祭典」を改めて聴きたいと思います。
みなさんも是非。


今日の一曲: ストラヴィンスキー 「春の祭典」より「敵の部族の遊戯」・「長老の行進」・「長老の大地への口づけ」



ストラヴィンスキーのバレエ、「春の祭典」はロシアの未開地の部族による春の(生け贄を伴う)祭りを表現した作品。
春の祭典は第1部・第2部に分かれていますがこれは第1部の後半。
曲を通じてテンポ・拍子がめまぐるしく変わる曲ですが、この「敵の部族の遊戯」はメロディー(的な音型)にその拍子の変わるのが聞き取りやすいかな。

先ほどオケ編成がでかいと書きましたがWikipediaによるとこんな感じ。だいたい目安は木管楽器の数で、各楽器が5人ずついる春の祭典は「5管編成」。しかもバスクラとかコントラファゴットとかが2本要る。ホルンはワーグナーチューバも含めて8人、ティンパニも2人体制。管に見合うように弦楽器も大人数です。
奏者が多い、ということはでっかい音が出せるというだけでなく、音量を確保しながらより多くのパートに分けて複雑な音楽にできるということ。この部分のスコアを見ると木管それぞれの楽器が3つのパートに分かれてたり、8人のホルンが大きく分けて2つのセクションに分かれてたり。

その複雑さがピークに達するのが「長老の行進」。だいたい4拍子に落ち着いたあたりです。
最初の方は割と優しく、というか一段一段違うパートを重ねていくので耳で追うのがなんとかできるのですが、クライマックスは本当にカオス(ただし完全にコントロールされた)。
スコアでいうと70番なのですが、ほぼ全ての楽器が違うことをしています。大まかな内訳は一小節に音を12個・6個・4個・8個弾くパートがそれぞれあって(ポリリズムですね)、それに繰り返されるメロディーっぽいパート複数と伴奏パート複数をさらに重ねる。
BBCの「春の祭典とポリリズム」に関しての動画を見つけたのですがここの1分10秒くらいからサンプルが聴けます。

一度この部分を打楽器だけが弾いているのを聴いたことあるのですが圧巻でした。(以前ブログに書いてると思います)あれは実際のコンサートでは聴けない貴重な体験ですね。

最後に大地への口づけも短くてものすごく音が小さく聴きとりづらいのですがストラヴィンスキーの天才が見られる箇所。弦のハーモニクスであんな言葉にできない和音を作れるなんて、あの人の頭のなかにはどんな「音」が住んでたんだ!本当にぶっとんだ頭脳と感性を持った人です。

よくは知らないのですがベルリン・フィル、ラトル指揮の録音を見つけたのでリンク。今年は新しい録音もいくつか出てるようなので色んな方向に要注目ですね。

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