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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
あの後無事(乳が出ている)Sahiraを倒して、さらにJuliaのキャンペーンゲームの最初のシナリオもなんとかクリアしました。優勢になってから本拠に攻撃を仕掛けるまでもっとくまなくマップを冒険して高位ユニットを得るために町を育てて・・・が必要なようです。三国志よりもそこんとこの辛抱が必要なのかも。
今日はシティのFederation SquareのThe Edge Theatreでベートーヴェンのピアノソナタマラソンが開催されていました。これはメルボルンのコミュニティーベースのラジオ局3MBS主催のイベントで、朝9時の部から夜9時の部まで7つのコンサートでベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を演奏するという試み。コンサート時間は休憩含め14時間、メルボルン内外から28人のピアニストが集まって演奏しました。
もちろん知り合いや友達も演奏していましたよ~
ピアノ弾きとしてはちょっとベートーヴェンから心離れているようなところのある私でもこのイベントは是非1つ2つ行きたい、と思っていたのですがとにかく仕事が立て込んでいて家を離れられず。
でもイベント主催がラジオ局とあって生中継がラジオ・オンラインラジオで放送されていたので聴きながら仕事しました。
(聴いたのは3時の部、5時の部)
コンサートホールのように大きな場所じゃないですがどのコンサートもほぼ満席だったらしいですし、Twitter, facebookでも反響が結構あったようで。
何よりもこんなに多くの凄腕ピアニストが集まってこういうイベントをできる、それぞれ違った&どれもすばらしい「ベートーヴェン」の演奏が聴けるのはすばらしいことです。
・・・ただやっぱり行きたかったなあ、と。
演奏を生で聴きたい、というのももちろんそうですが、ピアノ仲間みんなに会いたかったなあ・・・
どうしても今の生活だと音楽仲間に会えるのは間隔があいてしまって、こういうコンサートイベントだけに限られて。しかもこれだけ大規模なピアノイベントで普段会わないピアノの先輩や知り合いと会えるチャンスはなかなかないですし。
会うだけじゃなくてこういう機会で色々音楽の話を聞くのがいいんですよね。
特に今回自分の守備範囲の外であるけどピアノを語るには欠かせないベートーヴェンとあって、自分よりもずっとまっとうなピアニスト達から色々ピアノの深いところ、ベートーヴェンを弾くと言うこととか色々学ぶこともたくさんあったはず。
(ラジオで演奏やインタビューを少しずつ聴いて思うこと、勉強になったことありましたが)
でも実際に聴きに行ったとして、ベートーヴェンのピアノソナタがもうすぐ弾きたくなるか、といったらそうじゃないと思うんですよね。
今目の前に自分でよく考えて組んだプログラムがあってがっつり食いつき中だから、というのもあるのですがどうもベートーヴェンのピアノソナタに食指が動かなくて。
(チェロソナタは第3番が弾きたいですが、いつも。ピアノでもチェロでも。)
ベートーヴェンの生涯のうち若いうちから晩年まで、32曲のピアノソナタを書いているのに卒業してから数年間あんまりストライクしてないんですよね。
もちろん録音は全曲昔から持ってて全く知らないソナタはなく、聴くのは結構好きなんですが自分で弾くとなるとぴんとこない、というか・・・
これが弾きたい!という強い思いもなければ、こういうプログラムに組み入れたいというアイディアもなければ自分ならこう弾きたいという解釈の思いもなく。
主に自分のピアノ弾きとしての未熟さなのかな、と思います。こういうピアノのためのピアノの魂みたいな、王道でクラシックな音楽に向き合って自分なりの意味を探して自分のものだと胸をはって表現できないのは。
・・・まあ一生このままではないと思うんですがね。きっとどっかでひらめいたり炎が燃えたりしてなにかベートーヴェンのソナタを弾く時がくると思います。こればかりはもう時の流れと運と出会いに任せるしかないかと。
ベートーヴェンのピアノ作品はピアノという楽器の一つの魂(唯一ではなく)であり、そして人間の魂も濃く表現していて、なにより芸術作品として(完璧とは言いませんが)素晴らしいものなので、ピアノを続けてればいつか交わる道なのかな、と思います。
ちなみに過去にはいくつかベートーヴェンのピアノソナタは弾いています。
全楽章コンプリートで弾いたのが第9番、第14番(月光)、第18番・・・あたりかな。
他にも一部だけ弾いてるのがいくつか。人前で弾いたことはかなり少ないはず。
これから弾きたいかも・・・と思う気持ちが今あるのが第13番、第17番、第22番、第23番(熱情)、第24番、第27番、第31番でしょうか。
主にちょっとだけひねった感のある、そんなにスケールの大きくない、比較的マイナーで自分の解釈を追求できそうな曲が中心ですね(がっつり直球勝負で熱情とか入ってますけど)。
いつか弾きたい気持ちになるのが、ベートーヴェンのソナタを良い感じで組み入れたプログラムが作れるようになるのが静かながら楽しみです。
そしてメルボルンでこういう比較的大規模なコンサートイベント(過去にやってたPiano Landmarksとかもそうですが)がまた開かれるといいな。メシアンメシアン(笑)メシアンだったら一枚噛みたい、というか演奏したいですよ!(ただ鳥カタはもう一人で全部とかやってますけどね、マイケルが!)
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第21番 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中でも愛称がつけられているものは有名ですね。例えば第14番「月光」とか、第23番「熱情」とか。この第21番は「ヴァルトシュタイン」という愛称で親しまれている名曲です。
全32曲の中の第21番。ここらへんからベートーヴェンのソナタも「後期」にさしかかってくるはず。
ベートーヴェンはピアノソナタに限らずですが当時の音楽の常識や決まりをぶち破る破天荒なことをした作曲家で、例えば形式だったりハーモニーだったり、意外な展開が大得意。
それが初期の作品だとちょっとどや顔が見えるというか、素晴らしい音楽なんだけれど意外なことをやりたいがためみたいな印象がちょっと前に出てきて、音楽としての深みがちょっと追いついてないところがあるような気がするんですよね。若気の至りというか。それも愛される理由なんですが。
でもこのヴァルトシュタインくらいになってくると音楽が良い感じに成熟してきていろんなところで常識をぶちこわしてきた表現の広さにさらに深みを与えて。
発展した技巧も、ものすごく変わったハーモニーも、すべて音楽的に意味がある、そんな満足感がある音楽です。
ベートーヴェンの音楽を代表する交響曲だったら自分は第5番「運命」を選びますが、ピアノソナタだったらこのヴァルトシュタイン。運命はハ短調でベートーヴェンがものすごく得意としている帳ですが、同じCのハ長調もまたベートーヴェンの魂だと思います。(ちなみに最後のソナタ32番はハ短調→ハ長調)
そこは話し始めたらちょっと長くなるんですけど、もちろん調性以外でもこのヴァルトシュタインはベートーヴェンを代表する作品だと思います。
これについては言葉を費やすよりも聴くのが早いです。この第1楽章を最初から最後まで旅するとその道のりの隅々までその魂と芸術の極みがあると思うので。
・・・とはいえ前述自分が弾きたい曲には入れてませんね。第1楽章は弾いたことあるのですが第3楽章がものすごく自分にとって難しかった!オクターブで音階とか(しかも右手)死ぬほどハードだったです。
なのでこの曲に関しては自分で弾くよりいろんな人の素晴らしい演奏に出会っていきたいと思います。
ベートーヴェンのピアノソナタは全32曲のボックスセットも多くありますし、いくつか組み合わせて1~2枚のCDにまとめたものも色々あります。
とりあえず初めましてを想定して32曲全部試聴があるアシュケナージの録音(家にあるやつ)をリンク。調も難易度もキャラクターも長さも規模も違う32曲。きっと好きになるソナタが見つかるはずです。
あの後無事(乳が出ている)Sahiraを倒して、さらにJuliaのキャンペーンゲームの最初のシナリオもなんとかクリアしました。優勢になってから本拠に攻撃を仕掛けるまでもっとくまなくマップを冒険して高位ユニットを得るために町を育てて・・・が必要なようです。三国志よりもそこんとこの辛抱が必要なのかも。
今日はシティのFederation SquareのThe Edge Theatreでベートーヴェンのピアノソナタマラソンが開催されていました。これはメルボルンのコミュニティーベースのラジオ局3MBS主催のイベントで、朝9時の部から夜9時の部まで7つのコンサートでベートーヴェンのピアノソナタ全32曲を演奏するという試み。コンサート時間は休憩含め14時間、メルボルン内外から28人のピアニストが集まって演奏しました。
もちろん知り合いや友達も演奏していましたよ~
ピアノ弾きとしてはちょっとベートーヴェンから心離れているようなところのある私でもこのイベントは是非1つ2つ行きたい、と思っていたのですがとにかく仕事が立て込んでいて家を離れられず。
でもイベント主催がラジオ局とあって生中継がラジオ・オンラインラジオで放送されていたので聴きながら仕事しました。
(聴いたのは3時の部、5時の部)
コンサートホールのように大きな場所じゃないですがどのコンサートもほぼ満席だったらしいですし、Twitter, facebookでも反響が結構あったようで。
何よりもこんなに多くの凄腕ピアニストが集まってこういうイベントをできる、それぞれ違った&どれもすばらしい「ベートーヴェン」の演奏が聴けるのはすばらしいことです。
・・・ただやっぱり行きたかったなあ、と。
演奏を生で聴きたい、というのももちろんそうですが、ピアノ仲間みんなに会いたかったなあ・・・
どうしても今の生活だと音楽仲間に会えるのは間隔があいてしまって、こういうコンサートイベントだけに限られて。しかもこれだけ大規模なピアノイベントで普段会わないピアノの先輩や知り合いと会えるチャンスはなかなかないですし。
会うだけじゃなくてこういう機会で色々音楽の話を聞くのがいいんですよね。
特に今回自分の守備範囲の外であるけどピアノを語るには欠かせないベートーヴェンとあって、自分よりもずっとまっとうなピアニスト達から色々ピアノの深いところ、ベートーヴェンを弾くと言うこととか色々学ぶこともたくさんあったはず。
(ラジオで演奏やインタビューを少しずつ聴いて思うこと、勉強になったことありましたが)
でも実際に聴きに行ったとして、ベートーヴェンのピアノソナタがもうすぐ弾きたくなるか、といったらそうじゃないと思うんですよね。
今目の前に自分でよく考えて組んだプログラムがあってがっつり食いつき中だから、というのもあるのですがどうもベートーヴェンのピアノソナタに食指が動かなくて。
(チェロソナタは第3番が弾きたいですが、いつも。ピアノでもチェロでも。)
ベートーヴェンの生涯のうち若いうちから晩年まで、32曲のピアノソナタを書いているのに卒業してから数年間あんまりストライクしてないんですよね。
もちろん録音は全曲昔から持ってて全く知らないソナタはなく、聴くのは結構好きなんですが自分で弾くとなるとぴんとこない、というか・・・
これが弾きたい!という強い思いもなければ、こういうプログラムに組み入れたいというアイディアもなければ自分ならこう弾きたいという解釈の思いもなく。
主に自分のピアノ弾きとしての未熟さなのかな、と思います。こういうピアノのためのピアノの魂みたいな、王道でクラシックな音楽に向き合って自分なりの意味を探して自分のものだと胸をはって表現できないのは。
・・・まあ一生このままではないと思うんですがね。きっとどっかでひらめいたり炎が燃えたりしてなにかベートーヴェンのソナタを弾く時がくると思います。こればかりはもう時の流れと運と出会いに任せるしかないかと。
ベートーヴェンのピアノ作品はピアノという楽器の一つの魂(唯一ではなく)であり、そして人間の魂も濃く表現していて、なにより芸術作品として(完璧とは言いませんが)素晴らしいものなので、ピアノを続けてればいつか交わる道なのかな、と思います。
ちなみに過去にはいくつかベートーヴェンのピアノソナタは弾いています。
全楽章コンプリートで弾いたのが第9番、第14番(月光)、第18番・・・あたりかな。
他にも一部だけ弾いてるのがいくつか。人前で弾いたことはかなり少ないはず。
これから弾きたいかも・・・と思う気持ちが今あるのが第13番、第17番、第22番、第23番(熱情)、第24番、第27番、第31番でしょうか。
主にちょっとだけひねった感のある、そんなにスケールの大きくない、比較的マイナーで自分の解釈を追求できそうな曲が中心ですね(がっつり直球勝負で熱情とか入ってますけど)。
いつか弾きたい気持ちになるのが、ベートーヴェンのソナタを良い感じで組み入れたプログラムが作れるようになるのが静かながら楽しみです。
そしてメルボルンでこういう比較的大規模なコンサートイベント(過去にやってたPiano Landmarksとかもそうですが)がまた開かれるといいな。メシアンメシアン(笑)メシアンだったら一枚噛みたい、というか演奏したいですよ!(ただ鳥カタはもう一人で全部とかやってますけどね、マイケルが!)
今日の一曲: ルートヴィッヒ・ファン・ベートーヴェン ピアノソナタ第21番 第1楽章
ベートーヴェンのピアノソナタの中でも愛称がつけられているものは有名ですね。例えば第14番「月光」とか、第23番「熱情」とか。この第21番は「ヴァルトシュタイン」という愛称で親しまれている名曲です。
全32曲の中の第21番。ここらへんからベートーヴェンのソナタも「後期」にさしかかってくるはず。
ベートーヴェンはピアノソナタに限らずですが当時の音楽の常識や決まりをぶち破る破天荒なことをした作曲家で、例えば形式だったりハーモニーだったり、意外な展開が大得意。
それが初期の作品だとちょっとどや顔が見えるというか、素晴らしい音楽なんだけれど意外なことをやりたいがためみたいな印象がちょっと前に出てきて、音楽としての深みがちょっと追いついてないところがあるような気がするんですよね。若気の至りというか。それも愛される理由なんですが。
でもこのヴァルトシュタインくらいになってくると音楽が良い感じに成熟してきていろんなところで常識をぶちこわしてきた表現の広さにさらに深みを与えて。
発展した技巧も、ものすごく変わったハーモニーも、すべて音楽的に意味がある、そんな満足感がある音楽です。
ベートーヴェンの音楽を代表する交響曲だったら自分は第5番「運命」を選びますが、ピアノソナタだったらこのヴァルトシュタイン。運命はハ短調でベートーヴェンがものすごく得意としている帳ですが、同じCのハ長調もまたベートーヴェンの魂だと思います。(ちなみに最後のソナタ32番はハ短調→ハ長調)
そこは話し始めたらちょっと長くなるんですけど、もちろん調性以外でもこのヴァルトシュタインはベートーヴェンを代表する作品だと思います。
これについては言葉を費やすよりも聴くのが早いです。この第1楽章を最初から最後まで旅するとその道のりの隅々までその魂と芸術の極みがあると思うので。
・・・とはいえ前述自分が弾きたい曲には入れてませんね。第1楽章は弾いたことあるのですが第3楽章がものすごく自分にとって難しかった!オクターブで音階とか(しかも右手)死ぬほどハードだったです。
なのでこの曲に関しては自分で弾くよりいろんな人の素晴らしい演奏に出会っていきたいと思います。
ベートーヴェンのピアノソナタは全32曲のボックスセットも多くありますし、いくつか組み合わせて1~2枚のCDにまとめたものも色々あります。
とりあえず初めましてを想定して32曲全部試聴があるアシュケナージの録音(家にあるやつ)をリンク。調も難易度もキャラクターも長さも規模も違う32曲。きっと好きになるソナタが見つかるはずです。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
最近すっかり昼は仕事・ピアノ(先生に連絡がつかない)に精を出し、夜は夜でゲームと書き物(少しずつ)に精を出し。
ブログに書くこと=主に音楽関連でもうちょっとゆっくり考え事したいのですが頭が向かないというか。ゲームやってるから、じゃなくて頭の中がせわしいからゲームに向いてしまうというか。
創作の方もちょこちょこなんとかするですよー(明後日の方向に向かって呼びかける)
そんな中Age of Wondersの次作の話が公式フォーラムで盛り上がってたりなのでちょこちょこ進めています。Age of WondersシリーズはTriumph Studio制作のファンタジー(ターン制)戦略ゲームで、舞台となる Valley of Wondersでそれぞれの種族を率い各々の思惑と意図を持ち群雄割拠する半分不死の魔法使い(wizard)の1人としてプレイします。
ついこないだまではAge of Wonders: Shadow Magicはシングルプレイヤー用マップ(ランダム生成)でいろんな種族の使い勝手を試していたのですが世界観とかストーリー・歴史も併せて色々知りたくなったのでキャンペーンゲームにちょっと手を出してみました。
キャンペーンゲームで最初に選択できるのは次の3つのルートです:
1)チュートリアル(HalflingのSymon主人公)
2)Elfの女王Julia(AoW第1作の主人公)のルート
3)Nomadsの若きリーダーKe-nanのルート
ちなみにストーリーの都合上プレイヤーwizardの種族は固定ですが、操るエレメントは(チュートリアル以外)変えられます。変えたところでどれくらいプレイに影響がでるか分からないですが。
始めたのは3)のNomadsルート。(2も3も最初のシナリオはEasyとあるのですが、始める前にさらに難易度設定があったので「ビギナー」に設定しました(笑))
Nomadsは今作追加された、ちょこっと変わった特徴のある種族です(後述)。
このシナリオが始まるまでのおおまかなストーリーとしては・・・
Nomadsと一口に言ってもたくさんの部族がゲーム内の世界には点在していたのですが、それを主人公のKe-nanの父親がひとまとめにしてThe Great Tentという集まりを作ったそうで。
そしてNomadsが勢力としてまとまってきたころ第2作の主人公であるMerlinがKe-nanを呼び出して、the Great Tentを後にしている間に父親が突然急病→亡くなり、後を任されていたという女wizard、Sahiraが権力を奪ってしまった・・・という流れらしいです。
で、ゲームに突入するという訳ですが、なかなかこれが気の滅入るスタートで。
まず近隣のwizard2人に宣戦布告を受ける。Orcを率いるKarissa、Halflingを率いるMarinusなのですが2人の台詞からするにこの世界の中ではどうもあんまり良く思われてない・・・というかむしろ蔑まれてるみたいで。エルフとかみたいに長い歴史もないし、自分の土地を持たないし、いきなり領土に入ってきたらいい気はしないしなあ・・・でもちとへこむ。
(ただしこの2人に関しては完全に「民族差別」というあれだったようで、後ほど人となりを実際に行動で見せれば味方についてくれます。Karissaの態度の変わりようったらもう・・・)
スタートでもう一つ参ったのがプレイ開始すぐで逃げなくちゃいけないこと。
自分所有の町をベースにしてしっかり経済を回して防御・攻撃の手はずを整えて・・・という通常の流れではなく最寄りの町に着いたら「町をたたんで」さっさと逃げる、という流れに。
この「町をたたむ」というのがNomads独特の特徴で、キャラバンさえあれば1ターンで町をたたんで次のターンでそのまま移動して、別の場所でまた(たたむ前と同じ)町を広げて拠点とすることができるそうです。
最終的には父の敵Sahiraとの対決になるのですが、彼女はとんでもないB***hですな。
なんというか、いちいち台詞が。ゲームの中の話ですが人の父親についてめちゃくちゃひどいこと行ってくるのですっかり頭に来て。ちゃぶ台ものですよ、もう。あとイラストもほぼ裸の衣装ですがアイコンはさらにほぼ裸だし。
同じNomads同士の戦いで、そんなに手強い相手じゃないなあー・・・と思っていたのですが、本拠(と思われる町)を占拠したらShadowlandという異界に逃げやがりましたよ、あの女。
(注:WizardはWizard's towerという塔があれば倒されてもそこによみがえることができます。つまり自分が所有する町の複数にwizard's towerがあれば一つ塔が占拠されてもそっちに蘇る)
Shadowlandというのは今作で新しくやってきたShadow Demonsという悪魔っぽい種族が住んでいる異界。どうやらSahiraはShadow Demonsの力を借りて自分の支配を広げようとしているらしく・・・
「まだシナリオ終わらないのか!」とがっくりしたところで一旦中断しました。イマココ。
Age of Wondersはこれまで通り地上と地下では勝手が違いますが、Shadowlandもまた勝手が違って、瘴気にやられたり(ナウシカ風?)機動力がぐーんとあがったり。風景が新鮮です(ナウシカ風味)。
キャンペーンのストーリー・攻略を隅から隅まで読んだSacrificeの時とは違ってAoW: Shadow Magicは今のところ攻略は読んでいません。きっとなしでしばらくがんばれる。
ただ種族毎のメリット・デメリットだったりゲーム内の世界の歴史なんかは最近じっくり読んでます。いつもお世話になっているファンサイト(英語)なのですが、前作までのデータ(今作は一部)がものすごく充実してて。
Juliaを巡るエルフ周りの話とか面白いですね。第1作ではダークエルフに転じた異母兄Meandorにものすごく敵対されていたけれど今作のキャラ紹介では和解したみたいなこと書いてあるし、今年発売される次回作ではエルフとダークエルフが手を組んで一つの種族(あるいはサイド)になるみたいなことが書いてあったし。
今作に至るまでの人間という種族の発展というか変化というかもめざましいですし、ストーリーの根幹に直接は関わってない各種族の動きも面白い。これからもっともっと深く知りたいですね。
ということでゲームもやりながらもちょっと落ち着いて考えたいです。
創作・・・特に。インプットに向いている時期、というのかもしれませんが。
今日の一曲はお休みです。
最近すっかり昼は仕事・ピアノ(先生に連絡がつかない)に精を出し、夜は夜でゲームと書き物(少しずつ)に精を出し。
ブログに書くこと=主に音楽関連でもうちょっとゆっくり考え事したいのですが頭が向かないというか。ゲームやってるから、じゃなくて頭の中がせわしいからゲームに向いてしまうというか。
創作の方もちょこちょこなんとかするですよー(明後日の方向に向かって呼びかける)
そんな中Age of Wondersの次作の話が公式フォーラムで盛り上がってたりなのでちょこちょこ進めています。Age of WondersシリーズはTriumph Studio制作のファンタジー(ターン制)戦略ゲームで、舞台となる Valley of Wondersでそれぞれの種族を率い各々の思惑と意図を持ち群雄割拠する半分不死の魔法使い(wizard)の1人としてプレイします。
ついこないだまではAge of Wonders: Shadow Magicはシングルプレイヤー用マップ(ランダム生成)でいろんな種族の使い勝手を試していたのですが世界観とかストーリー・歴史も併せて色々知りたくなったのでキャンペーンゲームにちょっと手を出してみました。
キャンペーンゲームで最初に選択できるのは次の3つのルートです:
1)チュートリアル(HalflingのSymon主人公)
2)Elfの女王Julia(AoW第1作の主人公)のルート
3)Nomadsの若きリーダーKe-nanのルート
ちなみにストーリーの都合上プレイヤーwizardの種族は固定ですが、操るエレメントは(チュートリアル以外)変えられます。変えたところでどれくらいプレイに影響がでるか分からないですが。
始めたのは3)のNomadsルート。(2も3も最初のシナリオはEasyとあるのですが、始める前にさらに難易度設定があったので「ビギナー」に設定しました(笑))
Nomadsは今作追加された、ちょこっと変わった特徴のある種族です(後述)。
このシナリオが始まるまでのおおまかなストーリーとしては・・・
Nomadsと一口に言ってもたくさんの部族がゲーム内の世界には点在していたのですが、それを主人公のKe-nanの父親がひとまとめにしてThe Great Tentという集まりを作ったそうで。
そしてNomadsが勢力としてまとまってきたころ第2作の主人公であるMerlinがKe-nanを呼び出して、the Great Tentを後にしている間に父親が突然急病→亡くなり、後を任されていたという女wizard、Sahiraが権力を奪ってしまった・・・という流れらしいです。
で、ゲームに突入するという訳ですが、なかなかこれが気の滅入るスタートで。
まず近隣のwizard2人に宣戦布告を受ける。Orcを率いるKarissa、Halflingを率いるMarinusなのですが2人の台詞からするにこの世界の中ではどうもあんまり良く思われてない・・・というかむしろ蔑まれてるみたいで。エルフとかみたいに長い歴史もないし、自分の土地を持たないし、いきなり領土に入ってきたらいい気はしないしなあ・・・でもちとへこむ。
(ただしこの2人に関しては完全に「民族差別」というあれだったようで、後ほど人となりを実際に行動で見せれば味方についてくれます。Karissaの態度の変わりようったらもう・・・)
スタートでもう一つ参ったのがプレイ開始すぐで逃げなくちゃいけないこと。
自分所有の町をベースにしてしっかり経済を回して防御・攻撃の手はずを整えて・・・という通常の流れではなく最寄りの町に着いたら「町をたたんで」さっさと逃げる、という流れに。
この「町をたたむ」というのがNomads独特の特徴で、キャラバンさえあれば1ターンで町をたたんで次のターンでそのまま移動して、別の場所でまた(たたむ前と同じ)町を広げて拠点とすることができるそうです。
最終的には父の敵Sahiraとの対決になるのですが、彼女はとんでもないB***hですな。
なんというか、いちいち台詞が。ゲームの中の話ですが人の父親についてめちゃくちゃひどいこと行ってくるのですっかり頭に来て。ちゃぶ台ものですよ、もう。あとイラストもほぼ裸の衣装ですがアイコンはさらにほぼ裸だし。
同じNomads同士の戦いで、そんなに手強い相手じゃないなあー・・・と思っていたのですが、本拠(と思われる町)を占拠したらShadowlandという異界に逃げやがりましたよ、あの女。
(注:WizardはWizard's towerという塔があれば倒されてもそこによみがえることができます。つまり自分が所有する町の複数にwizard's towerがあれば一つ塔が占拠されてもそっちに蘇る)
Shadowlandというのは今作で新しくやってきたShadow Demonsという悪魔っぽい種族が住んでいる異界。どうやらSahiraはShadow Demonsの力を借りて自分の支配を広げようとしているらしく・・・
「まだシナリオ終わらないのか!」とがっくりしたところで一旦中断しました。イマココ。
Age of Wondersはこれまで通り地上と地下では勝手が違いますが、Shadowlandもまた勝手が違って、瘴気にやられたり(ナウシカ風?)機動力がぐーんとあがったり。風景が新鮮です(ナウシカ風味)。
キャンペーンのストーリー・攻略を隅から隅まで読んだSacrificeの時とは違ってAoW: Shadow Magicは今のところ攻略は読んでいません。きっとなしでしばらくがんばれる。
ただ種族毎のメリット・デメリットだったりゲーム内の世界の歴史なんかは最近じっくり読んでます。いつもお世話になっているファンサイト(英語)なのですが、前作までのデータ(今作は一部)がものすごく充実してて。
Juliaを巡るエルフ周りの話とか面白いですね。第1作ではダークエルフに転じた異母兄Meandorにものすごく敵対されていたけれど今作のキャラ紹介では和解したみたいなこと書いてあるし、今年発売される次回作ではエルフとダークエルフが手を組んで一つの種族(あるいはサイド)になるみたいなことが書いてあったし。
今作に至るまでの人間という種族の発展というか変化というかもめざましいですし、ストーリーの根幹に直接は関わってない各種族の動きも面白い。これからもっともっと深く知りたいですね。
ということでゲームもやりながらもちょっと落ち着いて考えたいです。
創作・・・特に。インプットに向いている時期、というのかもしれませんが。
今日の一曲はお休みです。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
White Nightの公式ページをみたら世界のいろんな都市でこういうオールイベントが企画されているようで(メルボルンは今年が初(英語で言うとInaugural)でこれから毎年やる予定だそうです。)、リストを見てみると日本・京都・10月5日とか書いてあるじゃないですか。ぐーぐるさんはまだ何にも知らんよーというのですが続報を期待してます。地域密着、というかそれぞれの都市の特色を生かした、各都市で違う色合いのイベントになったらいいなあ、と勝手に思っているんですが。
さて、そんなわけで夏をエンジョイな天候が続いていたのですが昨夜ものすごい嵐になって(一度夜中に目が覚めました)、今日は午前中から昼過ぎまでずっと雨。気温もぐっと下がりました。
それがどうもいけなかったのか今日は午後から背中まで痛い頭痛に襲われ。最近首~腕の調子も悪目だったのですがやっぱり背痛は首と関係があるようです・・・ストレッチはちゃんとまじめにやらねば。
仕事がなんせ忙しいのですが行きたいコンサートも色々。3月上旬に予約したKronos Quartetのコンサートはなんとしてでも行きますし、メル響も国立アカデミーもシーズンが始まってますし(ただまだちゃんと見てないんだ、なんとかせねば)。
なんといっても3月3日=今週日曜日3MBSラジオ主催でFederation Squareで開催される1日ベートーヴェンピアノソナタマラソンに行きたいんですがね-。知ってる人も弾きますし、こういうイベントはなかなか出会えないですし。ただやっぱり仕事が・・・(汗)
そんな中でピアノのレッスンをなんとか・・・と先生にメールしました。まだ返事は来てません。
自分の耳で自分の演奏を聴いて自分の頭で評価するのには若干限界がきているこの頃。なかなか自信が持てずにいます。
でもだんだんまとまって来た感はあるんですよね、大部分は。大きな技術的or音楽的問題を抱えてる曲はほぼない。主に技術的。
一番懸念してるのはメシアン(鳥カタ)の暗譜ですかねえ・・・
ヒメコウテンシは大丈夫だと思うんですが、今回初で弾く&プログラム中最長曲であるイソヒヨドリは全くそっちに関してはまだ。(そもそもまだ楽譜見ても心配なところがたくさん)
大学の最終試験で一回弾いているダイシャクシギにしても試験のときには4ページ分だけ楽譜見て弾きましたから。それも全く覚えられなかったってわけじゃないんですがその時の記憶がどれだけ水面下に残っているかは自信ないです。
でもやっぱりメシアンは、そして鳥のカタログは難しいながらも自分にとって近い音楽です。
そして完全に手前味噌ですが鳥がどんどん自分の弾き方に入ってきているというか、鳥が板についてきているというか。
ただやっぱりちょくちょく元の鳥の声と照合したりするのも重要ですし、音の正確さももっと突き詰めていかなきゃいけないし。今まだ結構パッセージ毎のニュアンスとか表現重視なんですよね。もっとミクロに迫ってかないと。
今日はでもダイシャクシギを通してたら外でmynaが3羽ほど(みんなでかかったのでスパムの家系かも)塀の上に止まってぴよぴよ騒いでこっちを見ていました。
これをどう解釈すればいいのか・・・ちゃんと鳥の声に聞こえてるのかな、とか期待しちゃいますよ。
でも鳥の声に聞こえたところでさえずりとかカモメの声とかテリトリーの主張なので。テリトリーをとったり雌をとったりそういう意図はないんですよ。あの子たちとは共生したいと思ってます。
(ただ窓ガラスのこっち側のテリトリーは主張する権利ありますよね)
そしてこないだのWarrnamboolでの景色や音がイソヒヨドリとつながり、というのを始めとして曲同士の関連とか、音楽以外、クラシック音楽以外でのイメージのつながりなんかも順調に育っている・・・かな。
フォーレの前奏曲第5番、ラフマニノフの練習曲「音の絵」の第7番や「ダイシャクシギ」には似たような灰色のつながりがあったり、流れる水のつながり、海のつながりがあったり。
あとface to aceの春がモチーフの曲にある感覚をフォーレの前奏曲第7番に持って行きたかったり。
まだまだどの曲も「良い演奏」ができる状態ではないですが、だんだん弾くに当たって余裕がでてくるようなところもあるのでそういうイメージのつながりを積極的に探して表現に育てていければいいな、と思っています。
・・・にしてももうちょっとゆっくりしたい。
創作の方も途切れ途切れですしね、もっとゲームもゆっくりしたい・・・もある。
首のこともありますし無理なく行きたいです。
今日の一曲: Chet Atkins 「Smokey Mountain Lullaby」(ソロギター編曲:Tommy Emmanuel)
夕方の仕事とか夕飯作りの時にしょっちゅう聴いてる曲です。
一日が終わったーというか、とにかく心が落ち着く曲。もともとギター=父の弾く音、だからアコースティックギターは落ち着くのですが、なんともシンプルでハーモニーと響きが美しいです、この曲は。
私がこの曲を知ったのは父が持ってるCD(サイン入り)「The Day Finger Pickers Took Over the World」だったのですが、今ちょろっと動画検索してみたら教則本などにも入っていてTommyの演奏だったり弾いてみた動画だったり色々ありますねー。超絶技巧よりも表現力が問われる美しい人なので好きな人、弾いてみたいと思う人結構いるのかな。
いいな、タブ譜もあるみたいだし父に弾けと言いたいですな(笑)。弾いてくれないかな。あるいは私がチェレスタで弾く、というのもありではないか。
上にリンクする録音とは別にようつべの動画をひとつこちらにリンク。Tommyの割と最近の演奏です。ギター一本だとこういう演奏になるんですね。
White Nightの公式ページをみたら世界のいろんな都市でこういうオールイベントが企画されているようで(メルボルンは今年が初(英語で言うとInaugural)でこれから毎年やる予定だそうです。)、リストを見てみると日本・京都・10月5日とか書いてあるじゃないですか。ぐーぐるさんはまだ何にも知らんよーというのですが続報を期待してます。地域密着、というかそれぞれの都市の特色を生かした、各都市で違う色合いのイベントになったらいいなあ、と勝手に思っているんですが。
さて、そんなわけで夏をエンジョイな天候が続いていたのですが昨夜ものすごい嵐になって(一度夜中に目が覚めました)、今日は午前中から昼過ぎまでずっと雨。気温もぐっと下がりました。
それがどうもいけなかったのか今日は午後から背中まで痛い頭痛に襲われ。最近首~腕の調子も悪目だったのですがやっぱり背痛は首と関係があるようです・・・ストレッチはちゃんとまじめにやらねば。
仕事がなんせ忙しいのですが行きたいコンサートも色々。3月上旬に予約したKronos Quartetのコンサートはなんとしてでも行きますし、メル響も国立アカデミーもシーズンが始まってますし(ただまだちゃんと見てないんだ、なんとかせねば)。
なんといっても3月3日=今週日曜日3MBSラジオ主催でFederation Squareで開催される1日ベートーヴェンピアノソナタマラソンに行きたいんですがね-。知ってる人も弾きますし、こういうイベントはなかなか出会えないですし。ただやっぱり仕事が・・・(汗)
そんな中でピアノのレッスンをなんとか・・・と先生にメールしました。まだ返事は来てません。
自分の耳で自分の演奏を聴いて自分の頭で評価するのには若干限界がきているこの頃。なかなか自信が持てずにいます。
でもだんだんまとまって来た感はあるんですよね、大部分は。大きな技術的or音楽的問題を抱えてる曲はほぼない。主に技術的。
一番懸念してるのはメシアン(鳥カタ)の暗譜ですかねえ・・・
ヒメコウテンシは大丈夫だと思うんですが、今回初で弾く&プログラム中最長曲であるイソヒヨドリは全くそっちに関してはまだ。(そもそもまだ楽譜見ても心配なところがたくさん)
大学の最終試験で一回弾いているダイシャクシギにしても試験のときには4ページ分だけ楽譜見て弾きましたから。それも全く覚えられなかったってわけじゃないんですがその時の記憶がどれだけ水面下に残っているかは自信ないです。
でもやっぱりメシアンは、そして鳥のカタログは難しいながらも自分にとって近い音楽です。
そして完全に手前味噌ですが鳥がどんどん自分の弾き方に入ってきているというか、鳥が板についてきているというか。
ただやっぱりちょくちょく元の鳥の声と照合したりするのも重要ですし、音の正確さももっと突き詰めていかなきゃいけないし。今まだ結構パッセージ毎のニュアンスとか表現重視なんですよね。もっとミクロに迫ってかないと。
今日はでもダイシャクシギを通してたら外でmynaが3羽ほど(みんなでかかったのでスパムの家系かも)塀の上に止まってぴよぴよ騒いでこっちを見ていました。
これをどう解釈すればいいのか・・・ちゃんと鳥の声に聞こえてるのかな、とか期待しちゃいますよ。
でも鳥の声に聞こえたところでさえずりとかカモメの声とかテリトリーの主張なので。テリトリーをとったり雌をとったりそういう意図はないんですよ。あの子たちとは共生したいと思ってます。
(ただ窓ガラスのこっち側のテリトリーは主張する権利ありますよね)
そしてこないだのWarrnamboolでの景色や音がイソヒヨドリとつながり、というのを始めとして曲同士の関連とか、音楽以外、クラシック音楽以外でのイメージのつながりなんかも順調に育っている・・・かな。
フォーレの前奏曲第5番、ラフマニノフの練習曲「音の絵」の第7番や「ダイシャクシギ」には似たような灰色のつながりがあったり、流れる水のつながり、海のつながりがあったり。
あとface to aceの春がモチーフの曲にある感覚をフォーレの前奏曲第7番に持って行きたかったり。
まだまだどの曲も「良い演奏」ができる状態ではないですが、だんだん弾くに当たって余裕がでてくるようなところもあるのでそういうイメージのつながりを積極的に探して表現に育てていければいいな、と思っています。
・・・にしてももうちょっとゆっくりしたい。
創作の方も途切れ途切れですしね、もっとゲームもゆっくりしたい・・・もある。
首のこともありますし無理なく行きたいです。
今日の一曲: Chet Atkins 「Smokey Mountain Lullaby」(ソロギター編曲:Tommy Emmanuel)
夕方の仕事とか夕飯作りの時にしょっちゅう聴いてる曲です。
一日が終わったーというか、とにかく心が落ち着く曲。もともとギター=父の弾く音、だからアコースティックギターは落ち着くのですが、なんともシンプルでハーモニーと響きが美しいです、この曲は。
私がこの曲を知ったのは父が持ってるCD(サイン入り)「The Day Finger Pickers Took Over the World」だったのですが、今ちょろっと動画検索してみたら教則本などにも入っていてTommyの演奏だったり弾いてみた動画だったり色々ありますねー。超絶技巧よりも表現力が問われる美しい人なので好きな人、弾いてみたいと思う人結構いるのかな。
いいな、タブ譜もあるみたいだし父に弾けと言いたいですな(笑)。弾いてくれないかな。あるいは私がチェレスタで弾く、というのもありではないか。
上にリンクする録音とは別にようつべの動画をひとつこちらにリンク。Tommyの割と最近の演奏です。ギター一本だとこういう演奏になるんですね。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
まだ仕事にピアノに気が抜けないながらもなんとか時間を作って昨日White Night Melbourneに行ってきました。
White Night Melbourneとは夜の7時から次の朝7時までメルボルンのシティを中心に芸術、音楽、ダンス、ライトアップや噴水などたくさんのイベントが夜通し行われる夏の夜のお祭り。
さすがに夜通し遊んではいられなかったのですが存分に楽しんで来ましたよ~
公式サイトはこちら。そして今日は新聞2紙に写真ギャラリーが載ってました。(The Ageはこちら、Herald Sunはこちら。前者は始めから終わりまで写真があります)
そして私が撮ってきた写真はこちらに。何枚かこちらにも貼りながらレポ書きます。

シティの屋外・施設内のいろんなところでいろんなイベントが起こっているのでサイトで見た段階で情報過多になってしまってあんまり行く場所は決めてなかったのですが、とりあえず州立図書館で友達と落ち合うことに。州立図書館では写真の八角形のドームがあるReading Roomで合唱や器楽の演奏がずっと続いていました。ライトアップも写真の通り。
州立図書館では他に普段は公開されていないQueen's Hallという部屋が公開されていたのでそちらもぶらりと。
で、Queen's Hallから始まるツアーみたいのがあったのですがどうも時間がかかるようで&集団行動が耐えられなくて離脱。シティの真ん中を縦断するSwanston Streetはいつもは歩行者+トラムの道なのですが今夜は完全に歩行者オンリー。歩く人だけじゃなくてストリートパフォーマーもそこここにいました。
Flinders Street Stationでは野外コンサートをやっていたり、Federation Squareでは誰でも参加可、様々なスタイルのダンスセッションをやっていたり。

なんといっても今回のハイライトはメルボルンの主要建築物のライトアップでしたね。先ほどの州立図書館、Flinders Street Station(写真)、聖ポール大聖堂(表も裏も)からずらっと東に次の交差点のForum Theatreまでカラフルな、まるでロシアに来たような色彩に。普段のイメージとはがらっと変わります。
ヤラ川沿いのBirrarung Marrでは映像アートの装置(写真)が置いてあったり、風船のモンスターが現れていたり。それから川で噴水&レーザーショーもやってましたね。
さらに南に行って州立劇場でただいま上演中の「War Horse」にちなんだ劇場で使う人形やかぶりものの類いなどの展示を見たり、Spiegeltentの外で飲んでいる人たちを見ながら((上の写真)おそらく中でキャバレーとかやってたかと)ヴィクトリア国立美術館へ。

美術館のライトアップは今特別展をやっている「新印象派展」からだそうです。
美術館ものすごく混んでましたねー。美術館に限らず図書館もそうでしたし屋外すべてそうなんですがすごい人出で!大晦日以上の人出だったかもしれません。
美術館では写真右の泡の彫刻を見ました。人が多くてあんまり動き回るのもあれだったので他は見れず・・・
それからサウスバンクのSouthgateに。廊下の真ん中に椅子並べて映像上映しているのを通り過ぎて、いつものジェラート屋さんに。ここも珍しく並びましたよ、夜中の12時なのに。
あとはSt. Kilda Roadの路上で演奏やってるのをちょっと聞いたりなんだりしてたらどうも離脱前に一緒にいた友達と合流のめどがつかないようなので終電で帰りました。
この夜、トラムは(一部路線ならびに歩行者オンリー区間以外は)一晩中通っていたのですが、電車は普段の土曜日と同じ運行(1時周りに終電)。でも終電もそんなに混んでなかったのできっとシティにいたたくさんの人はトラムで帰るかオールナイター覚悟で出てたみたいでそれもびっくり。(大晦日は花火始まるくらいでももうかなり混みますからねー)
メルボルンは普段から様々な形態の芸術が(特にシティ周りで)楽しめる街ですが、この夜はそれが一気にあふれたというか、放出したというか爆発したというか。もう一晩でもめぐり切れないくらいどこにいっても何かしらんアートがあって、それがものすごく生き生きしていて、カラフルで。それを見にこんなに多くの人が集まって、人が積極的に芸術に関わって。
夏の夜を楽しむ、いつもと違う街を楽しむだけでなくいろんな芸術をめいっぱい楽しめるWhite Nightはなんともメルボルンらしい夏の祭典ですね。
人出、イベント数も驚くほど多かったですが音だったり光だったりこんなにも贅沢に電気をじゃんじゃん使うのもまた珍しい規模だと思います。芸術って一般的には社会にものすごく必須なものではない、というか優先順位何かと下げられがちな分野なんですが、それを大事にするほど人の心や社会を豊かにするもので。こうやって必ずしもものすごく必須なものではない用途に電気などのリソースをたっぷり割いて人が楽しむことができる、そういう余裕があって政府がそういうことを大事にしてくれる、ということはものすごく幸せで恵まれているなあ、とちょっと思いました。
そういうこと差し引いてもものすごく楽しかったですよ。来年はもっとホームグラウンドから離れていろんな演奏とか聴きに行ったりもしたいですね。イベントの数がすごいし、今回州立劇場の舞台裏ゴーストツアーが1週間前に予約いっぱいになったりしていたらしいので行くところちゃんと決めて回らなきゃ。
それからできればオールナイター。少なくともお酒は一度飲めるくらいに。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「風変わりな店」より「タランテラ」
White Nightがどこかワンダーランド的な要素があって、何かいつもの昼のメルボルンとは違う魔法にかかったようなところがあった(それはなんとか創作にしたいですね、その感覚)のとちょっとつなげてこのバレエから一つ。
レスピーギは編曲も色々手がけていますが(「古風なアリアと舞曲」も編曲ですし、ラフマニノフの練習曲もいくつか編曲しています)、このバレエ・リュスのために書かれたバレエはロッシーニのピアノ曲を編曲して集めた作品だそうで。(同じイタリアだからか、ラフマニノフの練習曲の編曲とはやっぱりなじみが違いますね!)
店の人形が本当は生きている、というストーリーは同じバレエ・リュスつながりでストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」にも似ていますがこちらはもっと明るい話です。
そもそも「タランテラ」というのはイタリア南部の舞踊音楽なのですが、クラシックである程度名が知られている作曲家で当該地方出身の人っていないんですよね。ロッシーニはイタリアでも北部ですし、レスピーギもそう。(ボローニャだったかな、どっちも。出身でなくとも縁はあるはず)
あとギター音楽でイタリアの北半分出身の作曲家の誰かがタランテラを書いてますが、結局ネイティブなタランテラに近いのはそれかこの「風変わりな店」のか、ということになりそうです。私の知る限り。
(ちなみに有名なタランテラはロシアとかポーランドとかそっちに多いですね)
オケで演奏するタランテラではタンバリンが重要。(バレエではダンサーが持つこともあります)
この「風変わりな店」のタランテラはタンバリンの活躍だけ聴いててもかなり楽しめます。
でもなんといってもこの舞踊特有の燃えるような、速くぐるぐる回る、狂うような熱とステップは本当にたまらない。小さい頃から魅せられてやまないスタイルです。
そしてこの「風変わりな店」だったり、はたまたラヴェルの「マ・メール・ロワ」だったりチャイコフスキーの「くるみ割り人形」だったりストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」もちょっとそうだったり、おとぎ話スケールというか子供目線というかそういうこじんまりしたところがある、でもフルカラーでお送りされる魔法の音楽は本当に魅力的ですね。愛しいです。
リンクしたのはちょっと変わった組み合わせの曲。デュカスの「魔法使いの弟子」、サン=サーンスの「死の舞踏」とこの「風変わりな店」。先ほどのそのおとぎ話スケール云々に近いものがある組み合わせですね。
他にもレスピーギの他の作品とカップリングしたのもいくつかあるのですが、そういえばレスピーギはほぼ大学でも借り尽くしたようなところがあって最近新しい曲に出会ってない。「ブラジルの印象」とか「教会の窓」とかどっかで入手せねば・・・
まだ仕事にピアノに気が抜けないながらもなんとか時間を作って昨日White Night Melbourneに行ってきました。
White Night Melbourneとは夜の7時から次の朝7時までメルボルンのシティを中心に芸術、音楽、ダンス、ライトアップや噴水などたくさんのイベントが夜通し行われる夏の夜のお祭り。
さすがに夜通し遊んではいられなかったのですが存分に楽しんで来ましたよ~
公式サイトはこちら。そして今日は新聞2紙に写真ギャラリーが載ってました。(The Ageはこちら、Herald Sunはこちら。前者は始めから終わりまで写真があります)
そして私が撮ってきた写真はこちらに。何枚かこちらにも貼りながらレポ書きます。
シティの屋外・施設内のいろんなところでいろんなイベントが起こっているのでサイトで見た段階で情報過多になってしまってあんまり行く場所は決めてなかったのですが、とりあえず州立図書館で友達と落ち合うことに。州立図書館では写真の八角形のドームがあるReading Roomで合唱や器楽の演奏がずっと続いていました。ライトアップも写真の通り。
州立図書館では他に普段は公開されていないQueen's Hallという部屋が公開されていたのでそちらもぶらりと。
で、Queen's Hallから始まるツアーみたいのがあったのですがどうも時間がかかるようで&集団行動が耐えられなくて離脱。シティの真ん中を縦断するSwanston Streetはいつもは歩行者+トラムの道なのですが今夜は完全に歩行者オンリー。歩く人だけじゃなくてストリートパフォーマーもそこここにいました。
Flinders Street Stationでは野外コンサートをやっていたり、Federation Squareでは誰でも参加可、様々なスタイルのダンスセッションをやっていたり。
なんといっても今回のハイライトはメルボルンの主要建築物のライトアップでしたね。先ほどの州立図書館、Flinders Street Station(写真)、聖ポール大聖堂(表も裏も)からずらっと東に次の交差点のForum Theatreまでカラフルな、まるでロシアに来たような色彩に。普段のイメージとはがらっと変わります。
ヤラ川沿いのBirrarung Marrでは映像アートの装置(写真)が置いてあったり、風船のモンスターが現れていたり。それから川で噴水&レーザーショーもやってましたね。
さらに南に行って州立劇場でただいま上演中の「War Horse」にちなんだ劇場で使う人形やかぶりものの類いなどの展示を見たり、Spiegeltentの外で飲んでいる人たちを見ながら((上の写真)おそらく中でキャバレーとかやってたかと)ヴィクトリア国立美術館へ。
美術館のライトアップは今特別展をやっている「新印象派展」からだそうです。
美術館ものすごく混んでましたねー。美術館に限らず図書館もそうでしたし屋外すべてそうなんですがすごい人出で!大晦日以上の人出だったかもしれません。
美術館では写真右の泡の彫刻を見ました。人が多くてあんまり動き回るのもあれだったので他は見れず・・・
それからサウスバンクのSouthgateに。廊下の真ん中に椅子並べて映像上映しているのを通り過ぎて、いつものジェラート屋さんに。ここも珍しく並びましたよ、夜中の12時なのに。
あとはSt. Kilda Roadの路上で演奏やってるのをちょっと聞いたりなんだりしてたらどうも離脱前に一緒にいた友達と合流のめどがつかないようなので終電で帰りました。
この夜、トラムは(一部路線ならびに歩行者オンリー区間以外は)一晩中通っていたのですが、電車は普段の土曜日と同じ運行(1時周りに終電)。でも終電もそんなに混んでなかったのできっとシティにいたたくさんの人はトラムで帰るかオールナイター覚悟で出てたみたいでそれもびっくり。(大晦日は花火始まるくらいでももうかなり混みますからねー)
メルボルンは普段から様々な形態の芸術が(特にシティ周りで)楽しめる街ですが、この夜はそれが一気にあふれたというか、放出したというか爆発したというか。もう一晩でもめぐり切れないくらいどこにいっても何かしらんアートがあって、それがものすごく生き生きしていて、カラフルで。それを見にこんなに多くの人が集まって、人が積極的に芸術に関わって。
夏の夜を楽しむ、いつもと違う街を楽しむだけでなくいろんな芸術をめいっぱい楽しめるWhite Nightはなんともメルボルンらしい夏の祭典ですね。
人出、イベント数も驚くほど多かったですが音だったり光だったりこんなにも贅沢に電気をじゃんじゃん使うのもまた珍しい規模だと思います。芸術って一般的には社会にものすごく必須なものではない、というか優先順位何かと下げられがちな分野なんですが、それを大事にするほど人の心や社会を豊かにするもので。こうやって必ずしもものすごく必須なものではない用途に電気などのリソースをたっぷり割いて人が楽しむことができる、そういう余裕があって政府がそういうことを大事にしてくれる、ということはものすごく幸せで恵まれているなあ、とちょっと思いました。
そういうこと差し引いてもものすごく楽しかったですよ。来年はもっとホームグラウンドから離れていろんな演奏とか聴きに行ったりもしたいですね。イベントの数がすごいし、今回州立劇場の舞台裏ゴーストツアーが1週間前に予約いっぱいになったりしていたらしいので行くところちゃんと決めて回らなきゃ。
それからできればオールナイター。少なくともお酒は一度飲めるくらいに。
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「風変わりな店」より「タランテラ」
White Nightがどこかワンダーランド的な要素があって、何かいつもの昼のメルボルンとは違う魔法にかかったようなところがあった(それはなんとか創作にしたいですね、その感覚)のとちょっとつなげてこのバレエから一つ。
レスピーギは編曲も色々手がけていますが(「古風なアリアと舞曲」も編曲ですし、ラフマニノフの練習曲もいくつか編曲しています)、このバレエ・リュスのために書かれたバレエはロッシーニのピアノ曲を編曲して集めた作品だそうで。(同じイタリアだからか、ラフマニノフの練習曲の編曲とはやっぱりなじみが違いますね!)
店の人形が本当は生きている、というストーリーは同じバレエ・リュスつながりでストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」にも似ていますがこちらはもっと明るい話です。
そもそも「タランテラ」というのはイタリア南部の舞踊音楽なのですが、クラシックである程度名が知られている作曲家で当該地方出身の人っていないんですよね。ロッシーニはイタリアでも北部ですし、レスピーギもそう。(ボローニャだったかな、どっちも。出身でなくとも縁はあるはず)
あとギター音楽でイタリアの北半分出身の作曲家の誰かがタランテラを書いてますが、結局ネイティブなタランテラに近いのはそれかこの「風変わりな店」のか、ということになりそうです。私の知る限り。
(ちなみに有名なタランテラはロシアとかポーランドとかそっちに多いですね)
オケで演奏するタランテラではタンバリンが重要。(バレエではダンサーが持つこともあります)
この「風変わりな店」のタランテラはタンバリンの活躍だけ聴いててもかなり楽しめます。
でもなんといってもこの舞踊特有の燃えるような、速くぐるぐる回る、狂うような熱とステップは本当にたまらない。小さい頃から魅せられてやまないスタイルです。
そしてこの「風変わりな店」だったり、はたまたラヴェルの「マ・メール・ロワ」だったりチャイコフスキーの「くるみ割り人形」だったりストラヴィンスキーの「ペトルーシュカ」もちょっとそうだったり、おとぎ話スケールというか子供目線というかそういうこじんまりしたところがある、でもフルカラーでお送りされる魔法の音楽は本当に魅力的ですね。愛しいです。
リンクしたのはちょっと変わった組み合わせの曲。デュカスの「魔法使いの弟子」、サン=サーンスの「死の舞踏」とこの「風変わりな店」。先ほどのそのおとぎ話スケール云々に近いものがある組み合わせですね。
他にもレスピーギの他の作品とカップリングしたのもいくつかあるのですが、そういえばレスピーギはほぼ大学でも借り尽くしたようなところがあって最近新しい曲に出会ってない。「ブラジルの印象」とか「教会の窓」とかどっかで入手せねば・・・
前回のエントリーに拍手どうもです~
新しいPCのおまけについてきたReader、ほとんど使ってません。あんまり外にでないというのももちろんありますが・・。
ただPCに入ってた論文いくつか入れました。縦書きのpdfはどうやらだめっぽいですが(文学作品の中でのヒグラシの話なのに!)日本語も英語もちょこちょこ入れてみました。あとは読むだけ。
前も書いたのですが読むときはがっつり、という読み方なので小説とか中身・長さがフルサイズ(自分基準)の本だとあんまり読まないと思うので。
だからちょこちょこ読めて、手元に置いておきたくて、ふと思いついたときに好きなところが参照しやすいということで詩集をいくつか入れとこうかな、と思いまして。
手元に置いておきたい詩集、と考えるともう7人ほど手元に置きたい詩人が浮かびます。例によって音楽を通じてその作品を知った詩人ばかりです。
ということで今日はその7人の詩人に関連のある音楽作品を紹介します。
1)ライナー・マリア・リルケ: ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第9楽章「詩人の死」
リルケの詩は出身国であるドイツを中心にたくさんの歌曲に使われていますが、私が知ってると言えるのはショスタコの14番(交響曲とはいいながらどっちかというと歌曲集)だけですね。リルケの詩は割とストレートで癖のない印象があるのですが、ショスタコの書くこの曲の繊細さ、弦の音の透明さはぴったりですね。死んだ詩人を前にして時と空間が凍り止まった感覚。
2)ギヨーム・アポリネール: ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第3楽章「ローレライ」
同じくショスタコ14番から。11つある楽章の中の5つはアポリネールの詩なんですが、その中で一番好きな「自殺者」(第4楽章)は好きだ好きだといつも話しているような印象なのでこちらを。こちらも詩が美しくて(あらすじは「ブレンターノのローレライ」と同じ)、それをオペラのようにレチタティーヴォとアリアに仕立てて詩の中で登場人物に動きがあるところと時がとまったようになるところを分けているのがうまくできてるなあ、と思うのです。あとチェレスタもいるよ。チェロソロから次の楽章につながるよ。
3)フェデリコ・ガルシーア・ロルカ: クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」より「Casida of the Boy Wounded by Water」
ロルカももとはショスタコの14番から知ったのですが、プーランクが彼の死においてバイオリンソナタを捧げてたり色々音楽家と縁がある詩人です。その中でもやっぱり何よりクラムでしょう。ロルカの詩の数々を歌曲にしているクラムですが、その詩と音楽との融合はこの曲が一番です。この最初から闇に満ちた曲を締めくくる、澱んだ水の深さと暗さが心の奥まで染み渡る音楽。ピアノの弾むような低音のリズムが後で夢に出る・・・かも。
4)ウィリアム・バトラー・イエイツ: ウォーロック 「シャクシギ」 第3楽章「The Withering of the Boughs」
イエイツの名前はケルト神話・ケルト史周りで聞いたことはあるけどあんまり読んでないです。作品も多いですし。ただ彼は日本の能などの作品を編纂していたりもしていて、これはイエイツの作品も日本の伝統芸能の作品ももっと知れとつつかれているのでは(汗)でもこの「シャクシギ」に使われてる詩は探して読みましたよ。音楽は一続きですが詩でいえばこれが一番好き。風景の描写がすばらしい。ウォーロックの音楽にも風を感じて風景に心が解けていくようなところがあり。でもなんといってもコールアングレの渋さに惚れ惚れします。
5)ウィルフレッド・オーウェン: ブリテン 「戦争レクイエム」より「Dies Irae - Lacrimosa」
今いつもお世話になってる歌曲に使われている詩とその翻訳を乗せたサイトをみたらオーウェンはブリテン以外でも歌曲にしている作曲家がいてなんだかうれしかった(なんでかな)。Dies Iraeは他の楽章よりもさらに元々のカトリックのレクイエムの歌詞とオーウェンの詩のミックス&対比がてんこもりなのですが、Lacrimosaの部分はその名の通り涙のセクションです。ここで使われてる詩は「Futility」=「無駄なこと」というのですが、戦いの中倒れた仲間を起こそうとする詩とLacrimosaの立ち替わり入れ替わりが。言葉で説明できない不思議な成り立ち。
6)エドガー・アラン・ポー: ラフマニノフ 「鐘」 第3楽章
ポーは有名ではあるけれど案外歌曲になっている作品が少ないような。今回言及した他の詩人と比べて時代が新しいわけではないようだけれど大西洋の向こうだからなのかなあ・・・
ラフマニノフの「鐘」(毎回くどいようですがフィギュアで使われてない方)は音楽だったら第4楽章が一番のお気に入りですが元の詩だったら第3楽章の真鍮の鐘が圧巻。曲で使われてるロシア語版もしっかり韻を踏んでるのですが、元の英語版のたたみかけるような繰り返しと執拗な韻のパワーがすごい。表だった形ではなく狂気が伝わってきます。
7)ウォルト・ホィットマン: クラム 「Apparition」より「Dark Mother Always Gliding with Soft Feet」
ポーとだいたい似たような時代で同じアメリカでちょっと似た闇のスタイルのホィットマンは歌曲が結構書かれてるようで。うーむ。何はともあれまたクラムです。「Apparition」はホイットマンの「リンカーン大統領の追憶」という詩集の「When Lilac Last in Dooryard Bloom'd」という詩の中の「Death Carol」と呼ばれる部分を中心に音楽にしているのですが、このDark Mother~の部分はピアノ伴奏の音がほとんどなく、ほぼアカペラ状態。まるで空気か幽霊のように透き通っているながらもものすごい包容力を感じる声と語感に不思議と心地よさを感じます(それはこの曲の他の部分にも言えるかな)
ということで今回は詩を紹介するのではなく詩を重視して曲を選んで曲を紹介してみました。
そしてなんだかんだで曲をいくつか紹介したので今日の一曲はお休み。
新しいPCのおまけについてきたReader、ほとんど使ってません。あんまり外にでないというのももちろんありますが・・。
ただPCに入ってた論文いくつか入れました。縦書きのpdfはどうやらだめっぽいですが(文学作品の中でのヒグラシの話なのに!)日本語も英語もちょこちょこ入れてみました。あとは読むだけ。
前も書いたのですが読むときはがっつり、という読み方なので小説とか中身・長さがフルサイズ(自分基準)の本だとあんまり読まないと思うので。
だからちょこちょこ読めて、手元に置いておきたくて、ふと思いついたときに好きなところが参照しやすいということで詩集をいくつか入れとこうかな、と思いまして。
手元に置いておきたい詩集、と考えるともう7人ほど手元に置きたい詩人が浮かびます。例によって音楽を通じてその作品を知った詩人ばかりです。
ということで今日はその7人の詩人に関連のある音楽作品を紹介します。
1)ライナー・マリア・リルケ: ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第9楽章「詩人の死」
リルケの詩は出身国であるドイツを中心にたくさんの歌曲に使われていますが、私が知ってると言えるのはショスタコの14番(交響曲とはいいながらどっちかというと歌曲集)だけですね。リルケの詩は割とストレートで癖のない印象があるのですが、ショスタコの書くこの曲の繊細さ、弦の音の透明さはぴったりですね。死んだ詩人を前にして時と空間が凍り止まった感覚。
2)ギヨーム・アポリネール: ショスタコーヴィチ 交響曲第14番 第3楽章「ローレライ」
同じくショスタコ14番から。11つある楽章の中の5つはアポリネールの詩なんですが、その中で一番好きな「自殺者」(第4楽章)は好きだ好きだといつも話しているような印象なのでこちらを。こちらも詩が美しくて(あらすじは「ブレンターノのローレライ」と同じ)、それをオペラのようにレチタティーヴォとアリアに仕立てて詩の中で登場人物に動きがあるところと時がとまったようになるところを分けているのがうまくできてるなあ、と思うのです。あとチェレスタもいるよ。チェロソロから次の楽章につながるよ。
3)フェデリコ・ガルシーア・ロルカ: クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」より「Casida of the Boy Wounded by Water」
ロルカももとはショスタコの14番から知ったのですが、プーランクが彼の死においてバイオリンソナタを捧げてたり色々音楽家と縁がある詩人です。その中でもやっぱり何よりクラムでしょう。ロルカの詩の数々を歌曲にしているクラムですが、その詩と音楽との融合はこの曲が一番です。この最初から闇に満ちた曲を締めくくる、澱んだ水の深さと暗さが心の奥まで染み渡る音楽。ピアノの弾むような低音のリズムが後で夢に出る・・・かも。
4)ウィリアム・バトラー・イエイツ: ウォーロック 「シャクシギ」 第3楽章「The Withering of the Boughs」
イエイツの名前はケルト神話・ケルト史周りで聞いたことはあるけどあんまり読んでないです。作品も多いですし。ただ彼は日本の能などの作品を編纂していたりもしていて、これはイエイツの作品も日本の伝統芸能の作品ももっと知れとつつかれているのでは(汗)でもこの「シャクシギ」に使われてる詩は探して読みましたよ。音楽は一続きですが詩でいえばこれが一番好き。風景の描写がすばらしい。ウォーロックの音楽にも風を感じて風景に心が解けていくようなところがあり。でもなんといってもコールアングレの渋さに惚れ惚れします。
5)ウィルフレッド・オーウェン: ブリテン 「戦争レクイエム」より「Dies Irae - Lacrimosa」
今いつもお世話になってる歌曲に使われている詩とその翻訳を乗せたサイトをみたらオーウェンはブリテン以外でも歌曲にしている作曲家がいてなんだかうれしかった(なんでかな)。Dies Iraeは他の楽章よりもさらに元々のカトリックのレクイエムの歌詞とオーウェンの詩のミックス&対比がてんこもりなのですが、Lacrimosaの部分はその名の通り涙のセクションです。ここで使われてる詩は「Futility」=「無駄なこと」というのですが、戦いの中倒れた仲間を起こそうとする詩とLacrimosaの立ち替わり入れ替わりが。言葉で説明できない不思議な成り立ち。
6)エドガー・アラン・ポー: ラフマニノフ 「鐘」 第3楽章
ポーは有名ではあるけれど案外歌曲になっている作品が少ないような。今回言及した他の詩人と比べて時代が新しいわけではないようだけれど大西洋の向こうだからなのかなあ・・・
ラフマニノフの「鐘」(毎回くどいようですがフィギュアで使われてない方)は音楽だったら第4楽章が一番のお気に入りですが元の詩だったら第3楽章の真鍮の鐘が圧巻。曲で使われてるロシア語版もしっかり韻を踏んでるのですが、元の英語版のたたみかけるような繰り返しと執拗な韻のパワーがすごい。表だった形ではなく狂気が伝わってきます。
7)ウォルト・ホィットマン: クラム 「Apparition」より「Dark Mother Always Gliding with Soft Feet」
ポーとだいたい似たような時代で同じアメリカでちょっと似た闇のスタイルのホィットマンは歌曲が結構書かれてるようで。うーむ。何はともあれまたクラムです。「Apparition」はホイットマンの「リンカーン大統領の追憶」という詩集の「When Lilac Last in Dooryard Bloom'd」という詩の中の「Death Carol」と呼ばれる部分を中心に音楽にしているのですが、このDark Mother~の部分はピアノ伴奏の音がほとんどなく、ほぼアカペラ状態。まるで空気か幽霊のように透き通っているながらもものすごい包容力を感じる声と語感に不思議と心地よさを感じます(それはこの曲の他の部分にも言えるかな)
ということで今回は詩を紹介するのではなく詩を重視して曲を選んで曲を紹介してみました。
そしてなんだかんだで曲をいくつか紹介したので今日の一曲はお休み。
