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前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
感想まとめ終わった!と思ったところでネタが尽き更新が途切れる、という事態(汗)
家に居てひたすら仕事してピアノしてご飯作って(洗濯物は忘れがち)、くらいですからねー。
そしてここ数日体のサイクル+メシアンの暗譜・仕事などで頭を使うとものすごく眠くなるという不便。あんまり昼間に寝すぎないようにとは言われているのですが・・・
明日はちょっとぶりにピーターとランチ。その前に仕事が片付いてよかったー(どっちにしろ納期はまだ先ですが)。
ピアノも一日休んでゆっくり。何するかよくわからないですがゆっくり。 16℃で昼間だからそんなに寒くないかな。
散歩にいい天気だといいな。
メルボルンの冬ってなかなか植物模様が面白いですよ。特にそこら辺を歩いていて人のうちの庭に生えてる植物。
今はちょうどミモザの季節で満開なんですけど、サクラが咲き始めてたり、ユーカリの花も咲いていれば(おそらく前の夏から残っているのではない)極楽鳥花も咲いているし、もはや何の季節かよくわからない(汗)
今年はでも暖冬・・・なんじゃないのかな、少なくともここ1~2週間真冬のはずなのに15~16℃の日が何日もあったりするのは。
ちょっと前日本のニュースで今夏エルニーニョが来る、というのを聞いたのですがそれがこちらのこれからの天気にどう影響するか、さてはて。
今もちょこちょこやることが溜まっていながらすっかり睡魔の餌食になりかけで(汗)
なので今回はここらで。明日はゆっくり息抜きしてきたいです。
今日の一曲: アンリ・トマジ トランペット協奏曲 第1楽章
CDUniverseのリンク(試聴あり)
iTunes storeで購入したCDの一つ。フランスの20世紀のトランペット協奏曲4つ(ジョリヴェ、トマジ、プラネル、デザンクロ)を集めたCDです。以前も書いてますが去年トマジとデザンクロを弾いてて、このCDで手元にやっと録音を手に入れたんです。いやあ心持ちが落ち着きました(笑)
調べてみたらトマジはこのブログでは第2楽章しか紹介してなかったのですね(汗)ということで今回は第1楽章を。
このCDの4つのトランペット協奏曲は同じフランス、ほぼ同時代といえども結構キャラクターの違うものが集まっていますが、フランスのちょっとひねくれたユーモアなんかはこのトマジが一番味わえるんじゃないかな。
あとはきはきした、ちょっと都会的な洗練された快活さも。
特に冒頭がなんか「トランペット協奏曲だ!」って感じでいいですね。最初から存在感が出るようなソロ、続くジャズ風のミュート付きのメロディー。オケもコンパクトな感じでトランペットのサポートをさくさくと。
ちょっとハーモニーとか曲の展開に癖はありますが、割と聞きやすいと思います。(聴きやすさだとプラネル>トマジ>デザンクロ>ジョリヴェかな?)さっき書いたようにちょっとジャズが入ってると思うと割と納得がいくところたくさん。
前回これを弾いたときのことはよく覚えてるのですが、この録音を聴いて「やっぱりプロは違うな!」と思いました。
なんというか、オケの弾き方がフランス音楽の精神をうまくとらえているというか(スロヴァキアのオケらしいですが)。ものすごくコンパクトで、びしっと音がそろってて、ハーモニーのバランスとかリズムのセンスとか。
ピアノで一人でこの「フランス音楽独特なセンス」をなんとか掴み始めるのも難しかったですがオケだともっと難しい。人数がまず多いですからね。
ということでこの録音ではそんなフランス的にセンスの光るオケの演奏も楽しめます。もちろんトランペットのソロもすごいですが是非オケにも耳を傾けてください~
感想まとめ終わった!と思ったところでネタが尽き更新が途切れる、という事態(汗)
家に居てひたすら仕事してピアノしてご飯作って(洗濯物は忘れがち)、くらいですからねー。
そしてここ数日体のサイクル+メシアンの暗譜・仕事などで頭を使うとものすごく眠くなるという不便。あんまり昼間に寝すぎないようにとは言われているのですが・・・
明日はちょっとぶりにピーターとランチ。その前に仕事が片付いてよかったー(どっちにしろ納期はまだ先ですが)。
ピアノも一日休んでゆっくり。何するかよくわからないですがゆっくり。 16℃で昼間だからそんなに寒くないかな。
散歩にいい天気だといいな。
メルボルンの冬ってなかなか植物模様が面白いですよ。特にそこら辺を歩いていて人のうちの庭に生えてる植物。
今はちょうどミモザの季節で満開なんですけど、サクラが咲き始めてたり、ユーカリの花も咲いていれば(おそらく前の夏から残っているのではない)極楽鳥花も咲いているし、もはや何の季節かよくわからない(汗)
今年はでも暖冬・・・なんじゃないのかな、少なくともここ1~2週間真冬のはずなのに15~16℃の日が何日もあったりするのは。
ちょっと前日本のニュースで今夏エルニーニョが来る、というのを聞いたのですがそれがこちらのこれからの天気にどう影響するか、さてはて。
今もちょこちょこやることが溜まっていながらすっかり睡魔の餌食になりかけで(汗)
なので今回はここらで。明日はゆっくり息抜きしてきたいです。
今日の一曲: アンリ・トマジ トランペット協奏曲 第1楽章
CDUniverseのリンク(試聴あり)
iTunes storeで購入したCDの一つ。フランスの20世紀のトランペット協奏曲4つ(ジョリヴェ、トマジ、プラネル、デザンクロ)を集めたCDです。以前も書いてますが去年トマジとデザンクロを弾いてて、このCDで手元にやっと録音を手に入れたんです。いやあ心持ちが落ち着きました(笑)
調べてみたらトマジはこのブログでは第2楽章しか紹介してなかったのですね(汗)ということで今回は第1楽章を。
このCDの4つのトランペット協奏曲は同じフランス、ほぼ同時代といえども結構キャラクターの違うものが集まっていますが、フランスのちょっとひねくれたユーモアなんかはこのトマジが一番味わえるんじゃないかな。
あとはきはきした、ちょっと都会的な洗練された快活さも。
特に冒頭がなんか「トランペット協奏曲だ!」って感じでいいですね。最初から存在感が出るようなソロ、続くジャズ風のミュート付きのメロディー。オケもコンパクトな感じでトランペットのサポートをさくさくと。
ちょっとハーモニーとか曲の展開に癖はありますが、割と聞きやすいと思います。(聴きやすさだとプラネル>トマジ>デザンクロ>ジョリヴェかな?)さっき書いたようにちょっとジャズが入ってると思うと割と納得がいくところたくさん。
前回これを弾いたときのことはよく覚えてるのですが、この録音を聴いて「やっぱりプロは違うな!」と思いました。
なんというか、オケの弾き方がフランス音楽の精神をうまくとらえているというか(スロヴァキアのオケらしいですが)。ものすごくコンパクトで、びしっと音がそろってて、ハーモニーのバランスとかリズムのセンスとか。
ピアノで一人でこの「フランス音楽独特なセンス」をなんとか掴み始めるのも難しかったですがオケだともっと難しい。人数がまず多いですからね。
ということでこの録音ではそんなフランス的にセンスの光るオケの演奏も楽しめます。もちろんトランペットのソロもすごいですが是非オケにも耳を傾けてください~
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前のエントリーに拍手ありがとうございます!
今日はGPのところにいって胃組織の生検結果を聞いてきました。ヘリコバクター・ピロリ菌はいなかったのことです。
つまり抗ウイルス薬で治療を受ける必要はないのですが、なんか症状を抑えながらひくのを待つしかないのですかねえ。
さて、もう一昨日になってしまったレクチャーの感想。
まずは久しぶりに行ったレクチャーがどういう背景のものだったか、について。
メルボルン大学では最近神経科学の新しい施設(および建物)を設立して、神経科学、そして神経科学と他の学問の分野を融合する研究をどんどん進めていこうとしているらしいです。
その施設、Neuroscience Instituteが一連のレクチャーシリーズを今回開催していてその第1弾が一昨日行ってきたレクチャーだったわけです。
Neuroscience Instituteの管轄の分野の一つとして同じくメルボルン大学のMusic, Mind and Wellbeing(これまでのレクチャーはここが主催のが多かったです)が音楽と神経科学をつなぐエリアとして今回のレクチャーを担当しました。
なので、今回のレクチャーはそのMusic, Mind and Wellbeingの活動の概要とか、それに関する基本のところをカバーするような内容でした。だから久しぶりに基本を確認するという意味では有意義だったけれどもっと専門的な、フォーカスしたトピックのも聞きたいなあ・・・と。
今後のNeuroscience Instituteのレクチャーシリーズでなんか行けるのがあるかなあ。(音楽に関連なくてもいいですし。他主催でもいいんですが)
レクチャーの前半は音楽が脳に与える影響、そして音楽と神経科学の相互関係についての話でした。
まだ一般に根強く言われている「芸術は右脳、言語は左脳」(でしたっけ)は音楽には当てはまらず、脳の様々な分野に大きな影響を与えるという話から。(ちなみに健康な脳にも障害がある脳にも影響があることは強調されてましたね)
同じ音楽でも弾く楽器などによって脳の発達する部分が違ったり、あと言語と音楽の処理する部分で共通する脳の箇所があってそれを利用して脳梗塞のあとの失語症のリハビリに歌を使ったりする話とか。音楽と記憶(特にエピソード的記憶)のつながりの強さを利用して認知症などの記憶障害のリハビリに使ったり。
あと直接音楽とは関わらないけれど、たとえば自分のやっていることを継続的にモニタリングして評価することだったり記憶などが音楽をやることを通じて発達することだったり(キャリーオーバー効果というらしいです。例えば音楽をやる生徒は成績が伸びる、という研究結果がでるのはこの効果によるものだそうですよ)。
それから音楽は個人だけでなく社会的な人と人とのつながりにもまた大きな影響を与えるということが最近の研究でも分かっているそうです。
音楽に関する研究を通じて神経科学において多くのことが解明されてきた、という話もありました。
前述脳の多岐にわたる影響はもちろんそうですが、音楽はやってる人とやってない人がすっぱり分かれるのではなく経験の量がグラデーションになるので様々な変数で研究ができるんだそう。
さらに音楽に関する神経科学の研究の結果(例えば演奏時の不安などについて)が音楽分野にフィードバックされるようにもなってきているそうです。
ここまでの話は主に音楽と脳(神経科学)に関する研究分野だったのですが、Music, Mind and Wellbeingはもっと広く音楽と科学をつなぐ様々な分野を扱っています。
英語なんですがMMWのサイトのこのページの図が分かりやすいですね。音楽と科学を介して神経科学、楽器のデザイン、演奏、教育、メンタルヘルス、音響、コミュニティ、文化など本当にたくさんのつながり&広がりがあります。
ちなみにこの図でいうと私が特に興味がある分野は左端の二つ(物理・工学と心理学・神経科学)かなあ・・・音楽療法、というのはちょっと違うようだけれど左半分のあと2つもちょっと。元々が心理学一般でも神経科学寄りのが好きなんで。
そのもっと広い活動だと例えばプロ(およびプロを目指す)音楽家を助けるような取り組みだけではなく音楽・演奏機会をもっとaccessibleにする試み、学校における音楽プログラムの充実、さらには新しい記譜法をあみだしたり、ちいさな子どもが使いやすい楽器の発明(製品化なども含め)、などなど。
教育については私立校で育ったため他の学校のことは知らないのですが、学校によっては音楽のプログラムがない、音楽を専門に教えられる先生がいない、というところもあるそうで。先ほどもちょろっと書いたのですがこのレクチャーを始め様々なところで発表されているように音楽は子どもの成績、就学などにおける態度、感情のmanagementや社会スキルに良い影響を与えることが分かっている、経験的な結果と研究による結果があるにも関わらず音楽はどうしても教育においてないがしろにされてしまうそうで。
(オケや吹奏楽、室内楽から先生との音楽的な雑談まで様々な機会を与えてくれた母校には本当に感謝しきれないですね)
これはオーストラリアだけに言えることではないのでオーストラリアでもそうですが他でももっと声が上がるといいな、と思っています。
そうそう、レクチャーも面白かったですが新しくできた建物も面白かったです。Melbourne Brain Centreといって音楽科の建物のすぐ隣にあるのですが、中にはレクチャーのあったホール、そしてReadingsという本屋(外の世界(笑)のReadingsよりも小さいのですが、精神医学や神経科学などの本が特に充実していて美味しすぎる!あと当該分野の新刊が載ってるニュースレターまであって!)もあり、さらにはその隣にカフェまで。
研究施設部分(2階以上)は関係者だけが入れるガラスのゲートで隔てられていてなんだか近未来。
こんなところで研究してみたいなあ、というのもあるのですが(といっても中はどんな感じか知らないですが)いつか音楽と科学、心理学あたりに関わる研究をやるのに憧れます。そして音楽と神経科学とかの研究の参加者となってみたいです。脳のMRI画像を撮ってもらったり(今回のレクチャーで言われていたことが本当なら私の脳の構造的な発達は私の音楽的な経歴を事細かに反映しているプロファイルなわけですしね)。
改めて自分のあこがれを再認識しながらこれからもちょこちょこ音楽に関係あったり関係なかったりする神経科学や心理学などのレクチャーを聴きに行かないと、とこれも再認識。
今の季節は寒いけれどあとでアイリッシュパブも行けるしもちょっと勉強の機会を活用しないと。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 第2楽章
こないだThomas' Musicで買ったCD。といってもこの楽章だけは前から「ショスタコーヴィチ名曲集」みたいなCDに入っててちょこっと知っていました。
ショスタコーヴィチは結構暗い重いイメージ、というかそういうのが私の好みなのですがこの第10番は割と派手目、騒がしめ、そしてさくさくしています。
私にとってショスタコの交響曲って聴き親しんでるのが奇数の番号が多くて、そうすると新しい交響曲に出会うとすでに知ってる2つの間、という位置づけになるんですよね。そういう見方だとこの第10番はものすごくしっくり来る。第9番の軽さと、第11番の作曲法とどっちも持ち合わせている。でも第9番は完全にスターリンと戦争のこき下ろしに書いた風刺交響曲なのでDSCHのテーマ(ショスタコ自身を表す)に特徴付けられるこの交響曲とは目的・性質が違います。さらに第11番は物語性が強い標題音楽なのに対して第10番はもっとがっつり純粋な「交響曲」なところが強い。
この第2楽章はそんななかでも聴いててすかっとしますね。
テンポだったり勢いの良さだったり、派手さだったりものすごくストレートな性質だったり。
普段(特にこのコーナーでは)理屈っぽい私ですが単純で派手で勢いのいい曲も大好きです(笑)もうそれだけで満足できるし、聴いてて楽しい曲。
こういうショスタコの交響曲ではお決まりのピッコロの大活躍を始め、バイオリン協奏曲第1番なんかでも見られるような木管の機動力高いアンサンブルが格好いいですね。ショスタコって金管が強いイメージがどうしてもあるのですが木管だけでオクターブ離れて弾かせる部分もすごいですよ。あれは改めて考えるとショスタコ独特なテクニックかもしれない。
あとは打楽器、この時代より前の交響曲(マーラー除く)と比べると大分多用されているようにも思えますがショスタコの打楽器使いは本当に的確です。ちゃんと要るところに使ってる。なんといってもスネアドラムが(特にこの楽章では)格好いい、そして気持ちいい。
やっぱりその、明るい感じの爽快ではやっぱりないんですが、暗い爽快としては本当に満足感いっぱいの曲です(笑)聴き手にそういう感じの爽快感をしっかり与えられる感覚がやっぱりショスタコは映画音楽書きだな、と思いますね。どういう風に、という説明は難しいんですが。
すかっとしたいときにお薦めの曲です。
(ちなみにリンクした録音、指揮はショスタコの息子さん、マキシム・ショスタコーヴィチです)
今日はGPのところにいって胃組織の生検結果を聞いてきました。ヘリコバクター・ピロリ菌はいなかったのことです。
つまり抗ウイルス薬で治療を受ける必要はないのですが、なんか症状を抑えながらひくのを待つしかないのですかねえ。
さて、もう一昨日になってしまったレクチャーの感想。
まずは久しぶりに行ったレクチャーがどういう背景のものだったか、について。
メルボルン大学では最近神経科学の新しい施設(および建物)を設立して、神経科学、そして神経科学と他の学問の分野を融合する研究をどんどん進めていこうとしているらしいです。
その施設、Neuroscience Instituteが一連のレクチャーシリーズを今回開催していてその第1弾が一昨日行ってきたレクチャーだったわけです。
Neuroscience Instituteの管轄の分野の一つとして同じくメルボルン大学のMusic, Mind and Wellbeing(これまでのレクチャーはここが主催のが多かったです)が音楽と神経科学をつなぐエリアとして今回のレクチャーを担当しました。
なので、今回のレクチャーはそのMusic, Mind and Wellbeingの活動の概要とか、それに関する基本のところをカバーするような内容でした。だから久しぶりに基本を確認するという意味では有意義だったけれどもっと専門的な、フォーカスしたトピックのも聞きたいなあ・・・と。
今後のNeuroscience Instituteのレクチャーシリーズでなんか行けるのがあるかなあ。(音楽に関連なくてもいいですし。他主催でもいいんですが)
レクチャーの前半は音楽が脳に与える影響、そして音楽と神経科学の相互関係についての話でした。
まだ一般に根強く言われている「芸術は右脳、言語は左脳」(でしたっけ)は音楽には当てはまらず、脳の様々な分野に大きな影響を与えるという話から。(ちなみに健康な脳にも障害がある脳にも影響があることは強調されてましたね)
同じ音楽でも弾く楽器などによって脳の発達する部分が違ったり、あと言語と音楽の処理する部分で共通する脳の箇所があってそれを利用して脳梗塞のあとの失語症のリハビリに歌を使ったりする話とか。音楽と記憶(特にエピソード的記憶)のつながりの強さを利用して認知症などの記憶障害のリハビリに使ったり。
あと直接音楽とは関わらないけれど、たとえば自分のやっていることを継続的にモニタリングして評価することだったり記憶などが音楽をやることを通じて発達することだったり(キャリーオーバー効果というらしいです。例えば音楽をやる生徒は成績が伸びる、という研究結果がでるのはこの効果によるものだそうですよ)。
それから音楽は個人だけでなく社会的な人と人とのつながりにもまた大きな影響を与えるということが最近の研究でも分かっているそうです。
音楽に関する研究を通じて神経科学において多くのことが解明されてきた、という話もありました。
前述脳の多岐にわたる影響はもちろんそうですが、音楽はやってる人とやってない人がすっぱり分かれるのではなく経験の量がグラデーションになるので様々な変数で研究ができるんだそう。
さらに音楽に関する神経科学の研究の結果(例えば演奏時の不安などについて)が音楽分野にフィードバックされるようにもなってきているそうです。
ここまでの話は主に音楽と脳(神経科学)に関する研究分野だったのですが、Music, Mind and Wellbeingはもっと広く音楽と科学をつなぐ様々な分野を扱っています。
英語なんですがMMWのサイトのこのページの図が分かりやすいですね。音楽と科学を介して神経科学、楽器のデザイン、演奏、教育、メンタルヘルス、音響、コミュニティ、文化など本当にたくさんのつながり&広がりがあります。
ちなみにこの図でいうと私が特に興味がある分野は左端の二つ(物理・工学と心理学・神経科学)かなあ・・・音楽療法、というのはちょっと違うようだけれど左半分のあと2つもちょっと。元々が心理学一般でも神経科学寄りのが好きなんで。
そのもっと広い活動だと例えばプロ(およびプロを目指す)音楽家を助けるような取り組みだけではなく音楽・演奏機会をもっとaccessibleにする試み、学校における音楽プログラムの充実、さらには新しい記譜法をあみだしたり、ちいさな子どもが使いやすい楽器の発明(製品化なども含め)、などなど。
教育については私立校で育ったため他の学校のことは知らないのですが、学校によっては音楽のプログラムがない、音楽を専門に教えられる先生がいない、というところもあるそうで。先ほどもちょろっと書いたのですがこのレクチャーを始め様々なところで発表されているように音楽は子どもの成績、就学などにおける態度、感情のmanagementや社会スキルに良い影響を与えることが分かっている、経験的な結果と研究による結果があるにも関わらず音楽はどうしても教育においてないがしろにされてしまうそうで。
(オケや吹奏楽、室内楽から先生との音楽的な雑談まで様々な機会を与えてくれた母校には本当に感謝しきれないですね)
これはオーストラリアだけに言えることではないのでオーストラリアでもそうですが他でももっと声が上がるといいな、と思っています。
そうそう、レクチャーも面白かったですが新しくできた建物も面白かったです。Melbourne Brain Centreといって音楽科の建物のすぐ隣にあるのですが、中にはレクチャーのあったホール、そしてReadingsという本屋(外の世界(笑)のReadingsよりも小さいのですが、精神医学や神経科学などの本が特に充実していて美味しすぎる!あと当該分野の新刊が載ってるニュースレターまであって!)もあり、さらにはその隣にカフェまで。
研究施設部分(2階以上)は関係者だけが入れるガラスのゲートで隔てられていてなんだか近未来。
こんなところで研究してみたいなあ、というのもあるのですが(といっても中はどんな感じか知らないですが)いつか音楽と科学、心理学あたりに関わる研究をやるのに憧れます。そして音楽と神経科学とかの研究の参加者となってみたいです。脳のMRI画像を撮ってもらったり(今回のレクチャーで言われていたことが本当なら私の脳の構造的な発達は私の音楽的な経歴を事細かに反映しているプロファイルなわけですしね)。
改めて自分のあこがれを再認識しながらこれからもちょこちょこ音楽に関係あったり関係なかったりする神経科学や心理学などのレクチャーを聴きに行かないと、とこれも再認識。
今の季節は寒いけれどあとでアイリッシュパブも行けるしもちょっと勉強の機会を活用しないと。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 交響曲第10番 第2楽章
こないだThomas' Musicで買ったCD。といってもこの楽章だけは前から「ショスタコーヴィチ名曲集」みたいなCDに入っててちょこっと知っていました。
ショスタコーヴィチは結構暗い重いイメージ、というかそういうのが私の好みなのですがこの第10番は割と派手目、騒がしめ、そしてさくさくしています。
私にとってショスタコの交響曲って聴き親しんでるのが奇数の番号が多くて、そうすると新しい交響曲に出会うとすでに知ってる2つの間、という位置づけになるんですよね。そういう見方だとこの第10番はものすごくしっくり来る。第9番の軽さと、第11番の作曲法とどっちも持ち合わせている。でも第9番は完全にスターリンと戦争のこき下ろしに書いた風刺交響曲なのでDSCHのテーマ(ショスタコ自身を表す)に特徴付けられるこの交響曲とは目的・性質が違います。さらに第11番は物語性が強い標題音楽なのに対して第10番はもっとがっつり純粋な「交響曲」なところが強い。
この第2楽章はそんななかでも聴いててすかっとしますね。
テンポだったり勢いの良さだったり、派手さだったりものすごくストレートな性質だったり。
普段(特にこのコーナーでは)理屈っぽい私ですが単純で派手で勢いのいい曲も大好きです(笑)もうそれだけで満足できるし、聴いてて楽しい曲。
こういうショスタコの交響曲ではお決まりのピッコロの大活躍を始め、バイオリン協奏曲第1番なんかでも見られるような木管の機動力高いアンサンブルが格好いいですね。ショスタコって金管が強いイメージがどうしてもあるのですが木管だけでオクターブ離れて弾かせる部分もすごいですよ。あれは改めて考えるとショスタコ独特なテクニックかもしれない。
あとは打楽器、この時代より前の交響曲(マーラー除く)と比べると大分多用されているようにも思えますがショスタコの打楽器使いは本当に的確です。ちゃんと要るところに使ってる。なんといってもスネアドラムが(特にこの楽章では)格好いい、そして気持ちいい。
やっぱりその、明るい感じの爽快ではやっぱりないんですが、暗い爽快としては本当に満足感いっぱいの曲です(笑)聴き手にそういう感じの爽快感をしっかり与えられる感覚がやっぱりショスタコは映画音楽書きだな、と思いますね。どういう風に、という説明は難しいんですが。
すかっとしたいときにお薦めの曲です。
(ちなみにリンクした録音、指揮はショスタコの息子さん、マキシム・ショスタコーヴィチです)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます~
一昨日はメル響のコンサートを聴きに行って昨日はレクチャーに。とりあえず時系列に前者の感想を今日。
まずコンサートのプログラム。ちょっと変わってましたがいいプログラムでした:
(指揮者: David Robertson)
ベートーヴェン 交響曲第5番
(休憩)
Dean 「Amphitheatre」
ドビュッシー クラリネットとオーケストラのための狂詩曲(クラリネット: David Thomas)
レスピーギ 「ローマの松」
DeanのAmphitheatreとレスピーギはローマつながり、ということになるのかな?そして交響曲が最後という通常のコンサートプログラムとは違って今回はベートーヴェン5番が序曲扱い。
それに伴ってベートーヴェンのこの曲の演奏もまたどこか「序曲っぽい」弾き方でしたね。楽章間にあまり間をとらず全体的にさくさくした感じで(特に第4楽章)。そして第2楽章がスローな楽章なのに結構ダイナミックでびっくり&楽しかった。
それにしても毎度ながらコントラバスの前のめり感がいいですなあ(笑)音はしっかり出して、ぐいぐい曲を引っ張っていく感じ。そして意外とベートーヴェンの5番ってビオラが前にでるところありますね。
DeanのAmphitheatreは一応録音は持ってるもののあんまり知らない曲でしたが、他のDeanの曲と同じく生演奏に触れるとやっぱりぐっと親しみを感じますね。彼の作品ってどれも複雑な書かれ方をしてるんですが、ここ2年で聞いた10曲以上、どれもものすごく好きです。(といっても音楽をちゃんと理解できてるか、は自信ないですが)
Twitterでもつぶやいてたのですが、彼はオーストラリアの宝で、今の時代の音楽の宝だと思います。オケ使い、楽器使い(特にクラリネット族&打楽器)の緻密さ、複雑さ、そして音楽の組み立て方、全体的な音楽の質の高さ。
是非ともオーストラリアで、そして海外でもっと演奏されて欲しいと思いますし、次の時代にも残ってほしいと私は思います。
それからこのAmphitheatreでコントラバスクラリネットが使われていたのですが、プログラムに書いてあったことによるとメル響が寄付金で購入した新しい楽器だそうです(これまでも使ってますが、レンタルだったようです)。
コントラバスクラリネットを買った、ということはこれからDeanやアデズやその他21世紀の音楽でこの楽器を使う物をどんどん弾いていく意志の表れではないかと私は読んでいます(元を取るため。でないとレンタル続けたはず)。とっても楽しみ。
ドビュッシーのソリストは普段メル響で普段主席クラリネット奏者をやっている方です。
だから普段コンサートでちょこちょこ演奏は聴いているはずなんですが、こうやって改めてソロを、という形は初めて。
面白かったですね、なんか曲と楽器の性質にユーモアはものすごく感じられるんですが、同時に音のベースがとっても真面目そうでまっすぐで。(母には「フランス風?ドイツ風?」と聴かれましたがドイツ風だと思います)
そして今日のメインディッシュ、レスピーギ。これが聴きたくてこのコンサートに行ったんです。
メインディッシュと言っても実はこの曲、4楽章あるのに全部で30分弱。(曲を知ってる人に話すと驚かれますね、ボリュームに対して時間が意外に短いので)
ちょこちょこアンサンブル、テンポのずれはあったのもののエキサイティングな演奏でした。
特にこの曲はバンダ(ステージ以外のところで演奏する)のトランペット、金管隊の存在が特徴的。今回第4楽章の金管バンダはバルコニーの後方、両角にいました。だからホールに座っているクライマックスでは音があらゆる方向から包んで響くような感覚がすごい!
さらに今回メルボルン・タウンホールでのコンサートということで南半球一の大きさのパイプオルガンのペダルノートの低音がすごかった!音程とかじゃなく鼓膜が直接振動する感覚。今月末にはHamer Hallが再開するということで(通りかかったら工事も大分進んでました・・・きっと)、こういう演奏の体験はタウンホールならでは、というところがあると思うので貴重な経験でした。やっぱりローマの松はタウンホールがいいですね。
ローマの松、音楽玄人の友達にこの曲が大好きだと言うと決まって「そんなに?」と言われるのですが(レスピーギの作品全体そうです)、でもやっぱり自分にとっては愛して止まない曲です。本当に好き。特に第2楽章。そして第4楽章も毎回盛り上がる(金管の血が騒ぐんでしょうか)。
反面クラシックに詳しくない人にはレスピーギってまだまだマイナーな作曲家なのでもっともっと広く知られて、聴かれて欲しいと思います。(ローマの松を始め30分くらいで聴ける曲が多いですから、交響曲サイズはちょっと・・・という人でも是非。)
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ローマの松」 第3楽章「ジャニコロの松」
買ったものシリーズを中断してコンサートから。これを機に猛プッシュしておきたいです、ローマの松。
実のところはローマの松は全4楽章が切れ目なしに演奏されますが、一応4つの別々の風景になっています。
第3楽章は「ジャニコロの松」。真夜中で満月に照らされ、夜のそよ風に枝をかすかに揺らす松の風景。ものすごく美しい楽章で、聴き所もたくさん。
まずこの楽章の最初を告げるピアノのソロ。レスピーギはピアノやチェレスタ、ハープをオケ曲に割と多く使う作曲家ですが、そのなかでもこのソロは最高の美しさを誇ります。
さらにそれに続く孤高のクラリネットソロもまたいいですね。サポートする弦楽器のソフトな和音の美しさと相まって満月の風景を表現します。
それから途中でバイオリン(コンマス)、チェロのリーダー、そしてチェレスタのトリオがあるところがまた素敵で。
あそこに夢のような響きを与えるのは本当にチェレスタじゃなくちゃいけないですし、良い感じの引き立て役。
さらにさらに楽章の最後の部分でナイチンゲールの本物の鳴き声をテープで流す部分があるので最後まで注意して聴いてください♪(録音テープを使う曲としては世界初だそうです)
ナイチンゲール(サヨナキドリ)って結構複雑なメロディーを歌ったりすることができるのですが(メシアンの鳥のカタログ「モリヒバリ」などで聴けます)、どんな歌声が聞けるかは演奏によりけりです。
松という植物が日本人にとって身近だったようにまたイタリア人の生活・文化・風景にも身近で、そしてこの曲の(例えば第2楽章とか)にちょこちょこ日本と近いようなエレメントが出てきます。
そんなちょっとだけ似た文化を味わい、そしてレスピーギが愛するローマの美しさをこの曲を通じて、ちょっとした旅行みたいに味わって欲しいな、と思います。
ローマの松、本当に大好きです♪
そしてローマで松をみたついでに同じくレスピーギの「ローマの祭り」「ローマの噴水」と観光を続けてみてはいかがでしょうか(笑) (この三曲はまとめて「ローマ三部作」として知られていて、リンクした録音のように3つまとめて同じCDに収録されていることがたびたびあります)
一昨日はメル響のコンサートを聴きに行って昨日はレクチャーに。とりあえず時系列に前者の感想を今日。
まずコンサートのプログラム。ちょっと変わってましたがいいプログラムでした:
(指揮者: David Robertson)
ベートーヴェン 交響曲第5番
(休憩)
Dean 「Amphitheatre」
ドビュッシー クラリネットとオーケストラのための狂詩曲(クラリネット: David Thomas)
レスピーギ 「ローマの松」
DeanのAmphitheatreとレスピーギはローマつながり、ということになるのかな?そして交響曲が最後という通常のコンサートプログラムとは違って今回はベートーヴェン5番が序曲扱い。
それに伴ってベートーヴェンのこの曲の演奏もまたどこか「序曲っぽい」弾き方でしたね。楽章間にあまり間をとらず全体的にさくさくした感じで(特に第4楽章)。そして第2楽章がスローな楽章なのに結構ダイナミックでびっくり&楽しかった。
それにしても毎度ながらコントラバスの前のめり感がいいですなあ(笑)音はしっかり出して、ぐいぐい曲を引っ張っていく感じ。そして意外とベートーヴェンの5番ってビオラが前にでるところありますね。
DeanのAmphitheatreは一応録音は持ってるもののあんまり知らない曲でしたが、他のDeanの曲と同じく生演奏に触れるとやっぱりぐっと親しみを感じますね。彼の作品ってどれも複雑な書かれ方をしてるんですが、ここ2年で聞いた10曲以上、どれもものすごく好きです。(といっても音楽をちゃんと理解できてるか、は自信ないですが)
Twitterでもつぶやいてたのですが、彼はオーストラリアの宝で、今の時代の音楽の宝だと思います。オケ使い、楽器使い(特にクラリネット族&打楽器)の緻密さ、複雑さ、そして音楽の組み立て方、全体的な音楽の質の高さ。
是非ともオーストラリアで、そして海外でもっと演奏されて欲しいと思いますし、次の時代にも残ってほしいと私は思います。
それからこのAmphitheatreでコントラバスクラリネットが使われていたのですが、プログラムに書いてあったことによるとメル響が寄付金で購入した新しい楽器だそうです(これまでも使ってますが、レンタルだったようです)。
コントラバスクラリネットを買った、ということはこれからDeanやアデズやその他21世紀の音楽でこの楽器を使う物をどんどん弾いていく意志の表れではないかと私は読んでいます(元を取るため。でないとレンタル続けたはず)。とっても楽しみ。
ドビュッシーのソリストは普段メル響で普段主席クラリネット奏者をやっている方です。
だから普段コンサートでちょこちょこ演奏は聴いているはずなんですが、こうやって改めてソロを、という形は初めて。
面白かったですね、なんか曲と楽器の性質にユーモアはものすごく感じられるんですが、同時に音のベースがとっても真面目そうでまっすぐで。(母には「フランス風?ドイツ風?」と聴かれましたがドイツ風だと思います)
そして今日のメインディッシュ、レスピーギ。これが聴きたくてこのコンサートに行ったんです。
メインディッシュと言っても実はこの曲、4楽章あるのに全部で30分弱。(曲を知ってる人に話すと驚かれますね、ボリュームに対して時間が意外に短いので)
ちょこちょこアンサンブル、テンポのずれはあったのもののエキサイティングな演奏でした。
特にこの曲はバンダ(ステージ以外のところで演奏する)のトランペット、金管隊の存在が特徴的。今回第4楽章の金管バンダはバルコニーの後方、両角にいました。だからホールに座っているクライマックスでは音があらゆる方向から包んで響くような感覚がすごい!
さらに今回メルボルン・タウンホールでのコンサートということで南半球一の大きさのパイプオルガンのペダルノートの低音がすごかった!音程とかじゃなく鼓膜が直接振動する感覚。今月末にはHamer Hallが再開するということで(通りかかったら工事も大分進んでました・・・きっと)、こういう演奏の体験はタウンホールならでは、というところがあると思うので貴重な経験でした。やっぱりローマの松はタウンホールがいいですね。
ローマの松、音楽玄人の友達にこの曲が大好きだと言うと決まって「そんなに?」と言われるのですが(レスピーギの作品全体そうです)、でもやっぱり自分にとっては愛して止まない曲です。本当に好き。特に第2楽章。そして第4楽章も毎回盛り上がる(金管の血が騒ぐんでしょうか)。
反面クラシックに詳しくない人にはレスピーギってまだまだマイナーな作曲家なのでもっともっと広く知られて、聴かれて欲しいと思います。(ローマの松を始め30分くらいで聴ける曲が多いですから、交響曲サイズはちょっと・・・という人でも是非。)
今日の一曲: オットリーノ・レスピーギ 「ローマの松」 第3楽章「ジャニコロの松」
買ったものシリーズを中断してコンサートから。これを機に猛プッシュしておきたいです、ローマの松。
実のところはローマの松は全4楽章が切れ目なしに演奏されますが、一応4つの別々の風景になっています。
第3楽章は「ジャニコロの松」。真夜中で満月に照らされ、夜のそよ風に枝をかすかに揺らす松の風景。ものすごく美しい楽章で、聴き所もたくさん。
まずこの楽章の最初を告げるピアノのソロ。レスピーギはピアノやチェレスタ、ハープをオケ曲に割と多く使う作曲家ですが、そのなかでもこのソロは最高の美しさを誇ります。
さらにそれに続く孤高のクラリネットソロもまたいいですね。サポートする弦楽器のソフトな和音の美しさと相まって満月の風景を表現します。
それから途中でバイオリン(コンマス)、チェロのリーダー、そしてチェレスタのトリオがあるところがまた素敵で。
あそこに夢のような響きを与えるのは本当にチェレスタじゃなくちゃいけないですし、良い感じの引き立て役。
さらにさらに楽章の最後の部分でナイチンゲールの本物の鳴き声をテープで流す部分があるので最後まで注意して聴いてください♪(録音テープを使う曲としては世界初だそうです)
ナイチンゲール(サヨナキドリ)って結構複雑なメロディーを歌ったりすることができるのですが(メシアンの鳥のカタログ「モリヒバリ」などで聴けます)、どんな歌声が聞けるかは演奏によりけりです。
松という植物が日本人にとって身近だったようにまたイタリア人の生活・文化・風景にも身近で、そしてこの曲の(例えば第2楽章とか)にちょこちょこ日本と近いようなエレメントが出てきます。
そんなちょっとだけ似た文化を味わい、そしてレスピーギが愛するローマの美しさをこの曲を通じて、ちょっとした旅行みたいに味わって欲しいな、と思います。
ローマの松、本当に大好きです♪
そしてローマで松をみたついでに同じくレスピーギの「ローマの祭り」「ローマの噴水」と観光を続けてみてはいかがでしょうか(笑) (この三曲はまとめて「ローマ三部作」として知られていて、リンクした録音のように3つまとめて同じCDに収録されていることがたびたびあります)
前回のエントリーに拍手どうもです~
もうすぐコンサート聞きにいくはずだな・・・と思ったらもう明日でした。メル響でローマの松!楽しみー!
そして火曜日はメンタルヘルス&音楽系のセミナーというかレクチャーがあるので後でアイリッシュパブでご飯食べたれたらなあ。アイリッシュシチューの季節ですよ。
アイリッシュシチューの季節=冬、ということでそろそろこれをやらなきゃ、というキーワードto音楽の四大元素版。
夏にやればよかったですね、水。(炎やったんですよ、それもぴったりではありますが)まあ日本が夏だからまあいいや。
ではさっそく。
1) Fluid: 武満 「夢の引用」
四大元素の中において水の最大の特徴といえば「液体」・「液体的」であること。つかもうとすれば流れ、波打ち、形を変えるなめらかで柔らかく湿った存在。よくよく考えてみると不思議で非現実的?な存在ですね。様々な作曲家が水を題材に色んな曲を書いてますが、そんな不思議で美しい水の性質をものすごくよく表現していると思ったのがこの曲。ドビュッシーの「海」を引用しながら夢のように、固体よりも柔らかく気体よりも存在感を持って流れる曲です。
2) Mirror: アデズ 「Arcadiana」より「Venezia Notturna」
水は昔から物を映す性質から「鏡」のように使われてきました。ナルキッソスの神話が特に有名ですね。揺れながら反映する様子を表すならこの曲。題は「ヴェネツィア夜想曲」という意味で、ヴェネツィアの夜にゴンドラで揺れる水が町の明かりを映す様子を思わせる曲です。鏡と違って寸分違わず、ではないですが風情のある反映ですね。
3) Drowning: スクリャービン 練習曲 op. 42-5
水は潤すこともあれば「溺れさせる」こともある、という危険な一面も。スクリャービンはやっぱ「炎」の作曲家で、この曲もそういう燃えるエネルギーがあるながらも、でもやっぱり「溺れる」といったイメージはこの曲に敵うものはないですねえ。たくさんの音の波に息をつく間もなく溺れるばかり。苦しさの感覚も含めてほんとリアルな「溺れる」曲です。
4) Cleansing: ペルト Summa
炎もそうですが水も「浄化する」イメージがありますね。洗う、濯ぐ、洗い流す。精神的な「心の洗濯」的な意味で言うならやっぱりペルトの音楽がふさわしいと思います。東欧・旧ソヴィエトにおいてミニマルミュージックは(共産主義で宗教が許されないため)宗教に変わる魂の救済・癒やしの役割でしたしね。特にペルトの音楽はその傾向が強い中、音楽が流れるテンポを考えるとこの曲が一番このキーワードに合うんじゃないかしらん。
5) Flow: ホルスト 「惑星」より「海王星」
水は動いている、「流れる」イメージがやっぱり強いですね。例えば川を題材にした曲(シューベルトの「美しい水車小屋の娘」とかスメタナの「モルダウ」とか)はあるながらもここでは「海王星」を推したいです。水の流れに身をゆだねてどこか知らないところへ運ばれる感覚というか、ゆったりながらも逆らえない不可抗力。心地よいけれど、同時に恐ろしい。
6) Transparent: レスピーギ 「ローマの噴水」 第4楽章「黄昏のメディチ荘の噴水」
水にも色々ありますが、「透明」であるのが理想的な形とされます。透き通った水と水を透かして見る景色だったらレスピーギの「ローマの噴水」が良いかな。生き生きしますよね、水が。中でもこの最終楽章ではその透明さが際立っています。噴き上がって散り、きらめく水が夕方の空と豪勢な建築に動き、潤いと輝きを与えます。
7) Depth: クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」より「Casida of the boy wounded by the water」
足のつかないほど深い水、というのは泳げる人でも危険なもので。様々な神話・昔話で見られる「深み」に棲んでいる魔物(ケルピーとか河童とか)は子どもに深い水の危険を教えるためのものらしいです。そんな底の見えない、得体の知れない暗い水のイメージがこの曲。子どもが沈んでいく深い水の底の暗さをまざまざと表した音楽です。
8) Flexible: Nelson 「Metallephonic」 第4楽章「Mercury」
こちらは水星でなく水銀の方のMercuryです。先ほどのFluidと似ていますが、水はそれを入れた入れ物の形になる、どんな形にでもなれる「柔軟さ」を持っています。それも空気と違ってちゃんと満たしている。その変わりやすさ・存在感をどちらも満たすのがこの曲かな。即座に形を変えてその形に落ち着く感がテューバの重み、鉄琴などの柔らかさを持って表現されています。
9) Source: クラム 「鯨の声」
水は生命の「源」。命は水の中で生まれ、水は命を支える。太古の生命が生まれ進化していく舞台としての「水」だったらもうこの曲しかないでしょう。「鯨の声」は始生代から新生代の人間の登場まで、長い年月の間命を抱いてきた海の物語。今回はその時代の変化も合わせて、ということで全楽章ひっくるめてどうぞ。
10) Luring: ラヴェル 「夜のガスパール」 第1楽章「ウンディーネ」
「炎はすぐ危険だとわかるけれど水は一見危険に見えない」よく言われますが、文学などでも湖や川などが美しいと水が「誘っているよう」という表現をちょこちょこ見ます。そのライン上の最高峰がこの「ウンディーネ」ではないかと思います。人間を水中の世界に永遠に引きずりこもうと誘惑する水の精。この音楽もその魅惑的な美しさが表れています。
11) Barrier: メシアン 「鳥のカタログ」 第13楽章「ダイシャクシギ」
川、海など水はこちらとあちらを「隔てるもの」としての役割もあります。川や海に国境などが引かれるのはもちろん、水があると一般的になんらかの別の手段を使って越えなくちゃいけないわけですしね。そして三途の川などこの世とは違う世界が川や海の向こうにある、という伝説も多いです。このダイシャクシギは霧に包まれたヨーロッパの西端の「最果ての地」の向こうを思う曲ということでここにチョイスしました。
12) Storm: ドビュッシー 「海」 第3楽章 「風と海の対話」
Storm=「嵐」。降りしきる雨、雹、渦巻く雲、氾濫する川、荒れる海など水が様々な形で荒れ狂う気象現象です。ここまで紹介してきた水と同じ性質を持ちながら、はるかにダイナミックで暴力的な水の姿。やっぱり「荒れ狂う海」の部分は外せなかったのでドビュッシーの「海」からチョイス。最初は風がメインですが中間部辺りから弦の激しくうねる波のような音型だったり、水の荒々しさが感じられます。
うーん、今回ちょっと文がちょっとぐちゃっとなっててすみません(汗)
あと音楽で水を題材にしてたり水のイメージがあったりする曲って本当に多くて(特にピアノにおいて)、ここで選べなかった曲がたっくさん!あるんです。例えばアデズの「Arcadiana」は上で紹介した以外にも水題材の楽章があったり、ドビュッシーなんかも結構水にまつわる曲書いてますし。
ただキーワードに当てはめるとなるとやっぱりこういうチョイスになるかなあ・・・・
キーワードto音楽シリーズはもうちょっとちょこちょこやらないと形にするのが難しい・・・とちょっと反省してます。
今日の一曲はキーワードto音楽なので今日の一曲はおやすみです。
もうすぐコンサート聞きにいくはずだな・・・と思ったらもう明日でした。メル響でローマの松!楽しみー!
そして火曜日はメンタルヘルス&音楽系のセミナーというかレクチャーがあるので後でアイリッシュパブでご飯食べたれたらなあ。アイリッシュシチューの季節ですよ。
アイリッシュシチューの季節=冬、ということでそろそろこれをやらなきゃ、というキーワードto音楽の四大元素版。
夏にやればよかったですね、水。(炎やったんですよ、それもぴったりではありますが)まあ日本が夏だからまあいいや。
ではさっそく。
1) Fluid: 武満 「夢の引用」
四大元素の中において水の最大の特徴といえば「液体」・「液体的」であること。つかもうとすれば流れ、波打ち、形を変えるなめらかで柔らかく湿った存在。よくよく考えてみると不思議で非現実的?な存在ですね。様々な作曲家が水を題材に色んな曲を書いてますが、そんな不思議で美しい水の性質をものすごくよく表現していると思ったのがこの曲。ドビュッシーの「海」を引用しながら夢のように、固体よりも柔らかく気体よりも存在感を持って流れる曲です。
2) Mirror: アデズ 「Arcadiana」より「Venezia Notturna」
水は昔から物を映す性質から「鏡」のように使われてきました。ナルキッソスの神話が特に有名ですね。揺れながら反映する様子を表すならこの曲。題は「ヴェネツィア夜想曲」という意味で、ヴェネツィアの夜にゴンドラで揺れる水が町の明かりを映す様子を思わせる曲です。鏡と違って寸分違わず、ではないですが風情のある反映ですね。
3) Drowning: スクリャービン 練習曲 op. 42-5
水は潤すこともあれば「溺れさせる」こともある、という危険な一面も。スクリャービンはやっぱ「炎」の作曲家で、この曲もそういう燃えるエネルギーがあるながらも、でもやっぱり「溺れる」といったイメージはこの曲に敵うものはないですねえ。たくさんの音の波に息をつく間もなく溺れるばかり。苦しさの感覚も含めてほんとリアルな「溺れる」曲です。
4) Cleansing: ペルト Summa
炎もそうですが水も「浄化する」イメージがありますね。洗う、濯ぐ、洗い流す。精神的な「心の洗濯」的な意味で言うならやっぱりペルトの音楽がふさわしいと思います。東欧・旧ソヴィエトにおいてミニマルミュージックは(共産主義で宗教が許されないため)宗教に変わる魂の救済・癒やしの役割でしたしね。特にペルトの音楽はその傾向が強い中、音楽が流れるテンポを考えるとこの曲が一番このキーワードに合うんじゃないかしらん。
5) Flow: ホルスト 「惑星」より「海王星」
水は動いている、「流れる」イメージがやっぱり強いですね。例えば川を題材にした曲(シューベルトの「美しい水車小屋の娘」とかスメタナの「モルダウ」とか)はあるながらもここでは「海王星」を推したいです。水の流れに身をゆだねてどこか知らないところへ運ばれる感覚というか、ゆったりながらも逆らえない不可抗力。心地よいけれど、同時に恐ろしい。
6) Transparent: レスピーギ 「ローマの噴水」 第4楽章「黄昏のメディチ荘の噴水」
水にも色々ありますが、「透明」であるのが理想的な形とされます。透き通った水と水を透かして見る景色だったらレスピーギの「ローマの噴水」が良いかな。生き生きしますよね、水が。中でもこの最終楽章ではその透明さが際立っています。噴き上がって散り、きらめく水が夕方の空と豪勢な建築に動き、潤いと輝きを与えます。
7) Depth: クラム 「Songs, Drones and Refrains of Death」より「Casida of the boy wounded by the water」
足のつかないほど深い水、というのは泳げる人でも危険なもので。様々な神話・昔話で見られる「深み」に棲んでいる魔物(ケルピーとか河童とか)は子どもに深い水の危険を教えるためのものらしいです。そんな底の見えない、得体の知れない暗い水のイメージがこの曲。子どもが沈んでいく深い水の底の暗さをまざまざと表した音楽です。
8) Flexible: Nelson 「Metallephonic」 第4楽章「Mercury」
こちらは水星でなく水銀の方のMercuryです。先ほどのFluidと似ていますが、水はそれを入れた入れ物の形になる、どんな形にでもなれる「柔軟さ」を持っています。それも空気と違ってちゃんと満たしている。その変わりやすさ・存在感をどちらも満たすのがこの曲かな。即座に形を変えてその形に落ち着く感がテューバの重み、鉄琴などの柔らかさを持って表現されています。
9) Source: クラム 「鯨の声」
水は生命の「源」。命は水の中で生まれ、水は命を支える。太古の生命が生まれ進化していく舞台としての「水」だったらもうこの曲しかないでしょう。「鯨の声」は始生代から新生代の人間の登場まで、長い年月の間命を抱いてきた海の物語。今回はその時代の変化も合わせて、ということで全楽章ひっくるめてどうぞ。
10) Luring: ラヴェル 「夜のガスパール」 第1楽章「ウンディーネ」
「炎はすぐ危険だとわかるけれど水は一見危険に見えない」よく言われますが、文学などでも湖や川などが美しいと水が「誘っているよう」という表現をちょこちょこ見ます。そのライン上の最高峰がこの「ウンディーネ」ではないかと思います。人間を水中の世界に永遠に引きずりこもうと誘惑する水の精。この音楽もその魅惑的な美しさが表れています。
11) Barrier: メシアン 「鳥のカタログ」 第13楽章「ダイシャクシギ」
川、海など水はこちらとあちらを「隔てるもの」としての役割もあります。川や海に国境などが引かれるのはもちろん、水があると一般的になんらかの別の手段を使って越えなくちゃいけないわけですしね。そして三途の川などこの世とは違う世界が川や海の向こうにある、という伝説も多いです。このダイシャクシギは霧に包まれたヨーロッパの西端の「最果ての地」の向こうを思う曲ということでここにチョイスしました。
12) Storm: ドビュッシー 「海」 第3楽章 「風と海の対話」
Storm=「嵐」。降りしきる雨、雹、渦巻く雲、氾濫する川、荒れる海など水が様々な形で荒れ狂う気象現象です。ここまで紹介してきた水と同じ性質を持ちながら、はるかにダイナミックで暴力的な水の姿。やっぱり「荒れ狂う海」の部分は外せなかったのでドビュッシーの「海」からチョイス。最初は風がメインですが中間部辺りから弦の激しくうねる波のような音型だったり、水の荒々しさが感じられます。
うーん、今回ちょっと文がちょっとぐちゃっとなっててすみません(汗)
あと音楽で水を題材にしてたり水のイメージがあったりする曲って本当に多くて(特にピアノにおいて)、ここで選べなかった曲がたっくさん!あるんです。例えばアデズの「Arcadiana」は上で紹介した以外にも水題材の楽章があったり、ドビュッシーなんかも結構水にまつわる曲書いてますし。
ただキーワードに当てはめるとなるとやっぱりこういうチョイスになるかなあ・・・・
キーワードto音楽シリーズはもうちょっとちょこちょこやらないと形にするのが難しい・・・とちょっと反省してます。
今日の一曲はキーワードto音楽なので今日の一曲はおやすみです。
前回のエントリーに拍手ありがとうです~
最近ちょこちょこ聖飢魔II関係の検索キーワードも出てきてなんか恐縮です(汗)たまーに言及があります。
今日はうちに車が来ました。
車を購入したほうが、と前から言ってたのですが、最近やっとなんとかすることになって。
といっても私はお金の負担は多いだけで実際の諸々は妹と妹の彼氏に任せっきりで。
でもなんとか中古で良い車買えましたよ~日産のTiida(セダン)、かなり新しいモデルです。
これから運転レッスンを再開して必要なときに使えるようにしないと。
さて、今日はそのことでなく久しぶりにメンタルヘルス関係でちょっと書いてみようと思いまして。
なんとなーく今日、「そういえば躁うつ病っていう病名が使われなくなったのいつだっけ」と思ったんですよ。
おぼろげながら「精神分裂病」という病名が「統合失調症」というのに変わったのと同じくらいじゃなかったかなあ、と。
とりあえず躁鬱病=今で言うところの双極性障害をwikipedia(英語・日本語)で調べてみてもどこからかは書いてない(精神障害の診断と統計の手引き=DSMではどっかで変わってるはずでしょうに)。どういう経緯で正式名称が変わったかも書いていない。
思いつく理由としてはやっぱり一口に「躁」と「鬱」がある精神疾患といってもその種類、各症状の程度は様々で、ここ数十年でタイプ分けも大分細分化された結果「躁うつ病」では表現が正確さに欠けるってことになったのかなあー・・・と。(あくまでも想像ですが)
「躁」と「鬱」の二つくっきり、でなくてその間のグラデーションも含めて、というのが今の見方ということです。
「精神分裂病」→「統合失調症」は英語がSchizophreniaのままだけれど日本語訳が変わった例。こちらははっきりと2002年に変わった、と書いてありますね。言葉をそのまま訳した結果、疾患を適切に表現していなかったり、それが差別や誤解・誤認に繋がったりする、といった訴えが病名が変わったきっかけだそうで。精神が分裂するわけじゃないですからねえ。
(そもそもこのSchizophreniaという言葉が古代の精神医学がベースとなった名称で、必ずしも今の医学に照らし合わせて正しいわけではないですからね・・・この疾患に限ったことではないですが)
化学、生物学、医学あたりの日本語での専門用語って外国語から翻訳された、先ほどのschizophreniaみたいに直訳に近い例もあってたまに不自然だったり意味が不明確・不正確だったりすることもあるんですが、その傾向は精神医学周りで特に強いような気がします。
例えば統合失調症の特徴的な症状と言われる「精神病」、「精神病症状」(Psychosis, psychotic symptoms)はどうにかならないものかなあ、と思います。(これもまた不正確な表現が誤解・誤認を生みかねない例だったり、あとざっくりしすぎじゃないか思うのです)
要するに現実の認識に障害が起こる、幻覚や妄想などの症状の事を指す言葉なのですが。
あと前も書いてますがアレキシサイミア=「失感情症」は違うだろうと。明らかに不正確。
感情がなくなるのではなく感情が認識できない・表現できない現象(=感情が存在しないわけではない)ですからね。
ただまだ一般的にあまり知られてなかったり、分かっていることがそこまで多くなかったり、差別がどうこうという話になりにくいのがあるのかな。問題視はされてなさそうです。
そういえば「食欲不振」としてのAnorexiaと摂食障害である「神経性無食欲症(拒食症)」であるAnorexia Nervosaはちゃんと分けて使うべき、ということがこちらで何回か話になってましたね。
英語だとどうしてもAnorexia Nervosaの事をAnorexiaと略してしまいますし、摂食障害は若い人に関連する深刻な社会問題として話を聞く機会が多いですし(少なくとも症状としての食欲不振よりは)。
ちなみに拒食症の英語の情報サイトなどだと「AN」と表記しているところが見られますね。
あとは「世間一般でざっくりした・誤解された意味で使われて本来の専門用語の意味に対してずれが生じている」例もありますね。ちょっと前にTwitterで流れて来た例だとヒステリーとかノイローゼとか。
こういう疾患に対して正しい知識を持たず「だいたいこんな感じ」くらいの認識でレッテル貼りに使われることが多いからこういうずれが起こるんですかねえ。
・・・で、こういう精神医学の用語の正確さとか表すところとかを調べてたら「あ、そういえばDSM-Vが出るのもう来年じゃん」と気づいて。
DSMは「精神障害の診断と統計の手引き」という精神疾患の分類などを記した、診断の基準となる本で、DSM-Vはその第5版。数年ごとに改訂されているのですが、その第5版を来年出すために今諸々協議・作業が行われているそうです。
毎回改訂の際には新しく「病気」とみなされるようになるものに関して疑問、議論が起こるのですが英語のwikipediaで見てみると今回も結構物議を醸し出しそうです。
あれもこれも病気にして、と言われることが多い DSMですが、私は色々興味深いと思っています。
主観・客観合わせても症状が正確に把握できないことがあったり、症状がにたりかぶったりしたり、どこまで個人差や性格でどこから病気か不明確な精神疾患をなんとか識別して適切な対応・治療にたどり着くよう試行錯誤しながらシステムを作りだしていくこの過程が本当に面白いと思います。こんな難しいことってないと思いますよ。決まったファイナルアンサーなんてないですし、きっと何を同分類しても問題が出たり文句が来たりしますしね(汗)
なんというか、こうやって精神疾患の線引きや分類、研究をすることは大げさに聞こえるかもしれませんが人間が人間の精神・魂・存在と真剣に向き合う一つの形だと思います。
今回の改訂をざっと読んで面白いな、と思ったのは統合失調症のタイプ分けが大きく減る予定だということ(数版比べてみると試行錯誤のすごさが分かります)、パーソナリティ障害の分類法が変わる予定なこと、あと性同一障害や発達障害に関する変更も巷でちょこちょこ話を聞きますね。双極性障害に関しても変更があるみたいなのでそちらも興味深いです。
どうやってか分からないですが(大学の図書館に入りますよね?)第5版が出たら是非見てみたいと思います。できたら一つ前の改訂第4版と比べたりも。できるかなー(汗)
今日の一曲: face to ace 「Missing Word」
こないだ日本から送ってもらった3枚も紹介しなければ!ということでこちらから。
購入したのは 弦楽五重奏とコラボのセルフカバーミニアルバム「fuse」ですが、face to aceのファーストシングルだった曲だそうです、これ(選んでから気づいた)。ACEさん作詩作曲。
そうかーここから始まったのかーとかにやにやしてしまってすみません(汗)
しっとりしている、濃いサウンドがものすごく好きです。それからサビで後ろにきこえるギターが!(他の曲でもこういうのに弱いのですよ私)それから他の楽曲でも見られる回るようなメロディー。
あと弦楽五重奏の使い方に関しては曲によって賛否あるのですが、この曲はオープニングのソロとかチェロのカウンターメロディーとか「moments」がありますね。(ビオラは未だに見つかってません、残念・・・)
face to aceの楽曲で私が好きなのはいつも「色彩」で。それがもうこの曲から、この曲の最初からそこにしっかりあるのがものすごく安心しますし嬉しいですし好きです。
この「fuse」というアルバムは前述のようにセルフカバーで、初期の曲から聴けるのが(最近ファンになった自分には)嬉しいです。
あ、あと「fuse」はジャケットも好きです♪(上のリンク参照)
最近ちょこちょこ聖飢魔II関係の検索キーワードも出てきてなんか恐縮です(汗)たまーに言及があります。
今日はうちに車が来ました。
車を購入したほうが、と前から言ってたのですが、最近やっとなんとかすることになって。
といっても私はお金の負担は多いだけで実際の諸々は妹と妹の彼氏に任せっきりで。
でもなんとか中古で良い車買えましたよ~日産のTiida(セダン)、かなり新しいモデルです。
これから運転レッスンを再開して必要なときに使えるようにしないと。
さて、今日はそのことでなく久しぶりにメンタルヘルス関係でちょっと書いてみようと思いまして。
なんとなーく今日、「そういえば躁うつ病っていう病名が使われなくなったのいつだっけ」と思ったんですよ。
おぼろげながら「精神分裂病」という病名が「統合失調症」というのに変わったのと同じくらいじゃなかったかなあ、と。
とりあえず躁鬱病=今で言うところの双極性障害をwikipedia(英語・日本語)で調べてみてもどこからかは書いてない(精神障害の診断と統計の手引き=DSMではどっかで変わってるはずでしょうに)。どういう経緯で正式名称が変わったかも書いていない。
思いつく理由としてはやっぱり一口に「躁」と「鬱」がある精神疾患といってもその種類、各症状の程度は様々で、ここ数十年でタイプ分けも大分細分化された結果「躁うつ病」では表現が正確さに欠けるってことになったのかなあー・・・と。(あくまでも想像ですが)
「躁」と「鬱」の二つくっきり、でなくてその間のグラデーションも含めて、というのが今の見方ということです。
「精神分裂病」→「統合失調症」は英語がSchizophreniaのままだけれど日本語訳が変わった例。こちらははっきりと2002年に変わった、と書いてありますね。言葉をそのまま訳した結果、疾患を適切に表現していなかったり、それが差別や誤解・誤認に繋がったりする、といった訴えが病名が変わったきっかけだそうで。精神が分裂するわけじゃないですからねえ。
(そもそもこのSchizophreniaという言葉が古代の精神医学がベースとなった名称で、必ずしも今の医学に照らし合わせて正しいわけではないですからね・・・この疾患に限ったことではないですが)
化学、生物学、医学あたりの日本語での専門用語って外国語から翻訳された、先ほどのschizophreniaみたいに直訳に近い例もあってたまに不自然だったり意味が不明確・不正確だったりすることもあるんですが、その傾向は精神医学周りで特に強いような気がします。
例えば統合失調症の特徴的な症状と言われる「精神病」、「精神病症状」(Psychosis, psychotic symptoms)はどうにかならないものかなあ、と思います。(これもまた不正確な表現が誤解・誤認を生みかねない例だったり、あとざっくりしすぎじゃないか思うのです)
要するに現実の認識に障害が起こる、幻覚や妄想などの症状の事を指す言葉なのですが。
あと前も書いてますがアレキシサイミア=「失感情症」は違うだろうと。明らかに不正確。
感情がなくなるのではなく感情が認識できない・表現できない現象(=感情が存在しないわけではない)ですからね。
ただまだ一般的にあまり知られてなかったり、分かっていることがそこまで多くなかったり、差別がどうこうという話になりにくいのがあるのかな。問題視はされてなさそうです。
そういえば「食欲不振」としてのAnorexiaと摂食障害である「神経性無食欲症(拒食症)」であるAnorexia Nervosaはちゃんと分けて使うべき、ということがこちらで何回か話になってましたね。
英語だとどうしてもAnorexia Nervosaの事をAnorexiaと略してしまいますし、摂食障害は若い人に関連する深刻な社会問題として話を聞く機会が多いですし(少なくとも症状としての食欲不振よりは)。
ちなみに拒食症の英語の情報サイトなどだと「AN」と表記しているところが見られますね。
あとは「世間一般でざっくりした・誤解された意味で使われて本来の専門用語の意味に対してずれが生じている」例もありますね。ちょっと前にTwitterで流れて来た例だとヒステリーとかノイローゼとか。
こういう疾患に対して正しい知識を持たず「だいたいこんな感じ」くらいの認識でレッテル貼りに使われることが多いからこういうずれが起こるんですかねえ。
・・・で、こういう精神医学の用語の正確さとか表すところとかを調べてたら「あ、そういえばDSM-Vが出るのもう来年じゃん」と気づいて。
DSMは「精神障害の診断と統計の手引き」という精神疾患の分類などを記した、診断の基準となる本で、DSM-Vはその第5版。数年ごとに改訂されているのですが、その第5版を来年出すために今諸々協議・作業が行われているそうです。
毎回改訂の際には新しく「病気」とみなされるようになるものに関して疑問、議論が起こるのですが英語のwikipediaで見てみると今回も結構物議を醸し出しそうです。
あれもこれも病気にして、と言われることが多い DSMですが、私は色々興味深いと思っています。
主観・客観合わせても症状が正確に把握できないことがあったり、症状がにたりかぶったりしたり、どこまで個人差や性格でどこから病気か不明確な精神疾患をなんとか識別して適切な対応・治療にたどり着くよう試行錯誤しながらシステムを作りだしていくこの過程が本当に面白いと思います。こんな難しいことってないと思いますよ。決まったファイナルアンサーなんてないですし、きっと何を同分類しても問題が出たり文句が来たりしますしね(汗)
なんというか、こうやって精神疾患の線引きや分類、研究をすることは大げさに聞こえるかもしれませんが人間が人間の精神・魂・存在と真剣に向き合う一つの形だと思います。
今回の改訂をざっと読んで面白いな、と思ったのは統合失調症のタイプ分けが大きく減る予定だということ(数版比べてみると試行錯誤のすごさが分かります)、パーソナリティ障害の分類法が変わる予定なこと、あと性同一障害や発達障害に関する変更も巷でちょこちょこ話を聞きますね。双極性障害に関しても変更があるみたいなのでそちらも興味深いです。
どうやってか分からないですが(大学の図書館に入りますよね?)第5版が出たら是非見てみたいと思います。できたら一つ前の改訂第4版と比べたりも。できるかなー(汗)
今日の一曲: face to ace 「Missing Word」
こないだ日本から送ってもらった3枚も紹介しなければ!ということでこちらから。
購入したのは 弦楽五重奏とコラボのセルフカバーミニアルバム「fuse」ですが、face to aceのファーストシングルだった曲だそうです、これ(選んでから気づいた)。ACEさん作詩作曲。
そうかーここから始まったのかーとかにやにやしてしまってすみません(汗)
しっとりしている、濃いサウンドがものすごく好きです。それからサビで後ろにきこえるギターが!(他の曲でもこういうのに弱いのですよ私)それから他の楽曲でも見られる回るようなメロディー。
あと弦楽五重奏の使い方に関しては曲によって賛否あるのですが、この曲はオープニングのソロとかチェロのカウンターメロディーとか「moments」がありますね。(ビオラは未だに見つかってません、残念・・・)
face to aceの楽曲で私が好きなのはいつも「色彩」で。それがもうこの曲から、この曲の最初からそこにしっかりあるのがものすごく安心しますし嬉しいですし好きです。
この「fuse」というアルバムは前述のようにセルフカバーで、初期の曲から聴けるのが(最近ファンになった自分には)嬉しいです。
あ、あと「fuse」はジャケットも好きです♪(上のリンク参照)
