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~名もない蛾と虹の錯乱~ 内の思いと外の色彩をつらつらと。
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キーワードto音楽: 炎にまつわるエトセトラ
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
ちょっとスケジュールの立て方(というか仕事の受けよう)を間違えて納期がだいぶきつくなってしまいました。たぶん。
とりあえず明日はピアノなしで一日仕事+夜も働く、で様子見。もしかしたらピアノ時間をこれからちと削り気味になるかも。あーあ。
とりあえず音楽書けたり碓氷峠かけたりしてなんとか乗り切らないと。

ということでもしかしたらこちらもちょっとご無沙汰するかもしれないので心の荷を今日下ろしていこうと思います。
久しぶりのキーワードto音楽!「四大元素に関するイメージ」シリーズになります。一応去年の季語のと同じく季節ごとに一つ、というペースで続けたいシリーズ。できたら来年は季語に戻って、そしてその後は四大元素・・・とそこまで続くかわからないのですがある程度リサイクルできるようになってるかも。
とりあえず続くといいな。(そしてほかのキーワードto音楽もちょこちょこ)

それでは今回は夏ということで「炎」に関するイメージを。元のキーワードは英語で考えたので英語表記にします。

1) Passion: シューマン 「ウィーンの謝肉祭の道化芝居」 第4楽章「間奏曲」
日本語で言えば情熱、いわゆる心の炎ですね。シューマンは炎の中でもこれが得意分野ですよね~この曲は特に熱情が迸るような、理性の門を破って翔るものすごい勢いがあります。(ちなみにこないだランダム再生で聖飢魔IIの「アダムの林檎」→この曲と続けて流れて、なんか似たような炎を感じましたね。)

2) Beacon: スクリャービン 「炎に向かって」
日本語でどう言ったらいいかわからないんですが、要するに目印や導き手となる光や火のことを指す言葉。スクリャービンのこの曲の場合は物理的というよりは精神的なものですね。暗闇の中から炎を見つけ、それに向かい一体となり燃え上がるエクスタシー。神秘的なテイストでお送りします。

3) Progress: ショスタコーヴィチ 交響曲第11番「1905年」 第4楽章「警鐘」
よく神話で人が神から何らかの手段で火を得てそこから文明が「進歩」した、という話がありますが、食べ物を調理保存すること(+それにまつわる文化)、鉄を鍛えること、夜に明かりを得ること、エネルギーを生み出すこと・・・そういった「進歩」をちょっと悪い意味に解釈して選んだのがこの曲。この曲にまつわる詳細はまた後日。とにかく20世紀を前へ前へ突っ走る鋼とコンクリートと炎の音楽に警鐘を鳴らす側面がある曲です。

4) Spark: Michael Kieran Harvey 「Addict」
ゲームSacrificeの炎の神Pyroが火の長所として「想像力のひらめきの火花」という表現をしたところから得たキーワード。火花は古には(そして今も)火をおこす最初のきっかけ。それは一瞬輝く、とらえなければまた消えてしまう。それがなんだかマイケルの思考回路を表すようだな、と思ってチョイス。たくさんの火花とニューロンの電気信号がピアノとシンセサイザーで駆け巡ります。

5) Rage: ヴェルディ 「レクイエム」より「Dies Irae」
意味は激怒、憤怒など。怒りはよく炎に例えられるということでチョイス。タイトルが「怒りの日」、ということもありますが数ある「怒りの日」の中でも特に炎属性が強い、荒れ狂うのがすさまじい!心の底が暴れ出すような曲調に(私の持ってる録音では)大砲のようなティンパニの音。これが怒りでなくて、炎でなくてなんなのか。

6) Destruction: クラム マクロコスモス第2巻 第7楽章「トラ!トラ!トラ!」&第8楽章「ノストラダムスの予言」
Destruction=破壊。神話において世界を滅ぼすことになってるのが多いエレメントは炎ですね。筆頭として新約聖書の「ヨハネの黙示録」。私がこの2曲を弾くときは(メシアンの20のまなざし第18番もそうですが)ヨハネの黙示録をイメージしています。空から炎が注ぎ地が燃え上がる、血と火が川となって流れる完膚無き無差別破壊。

7) Warfare: ワーグナー 「ニーベルンクの指環」 「ワルキューレ」より「ワルキューレの騎行」
先ほどの「進歩」「破壊」につながって「戦争」も昔の昔から炎と結びつけられます。ワルキューレは北欧の戦乙女で、戦死した英雄の魂を回収しに出向くのです。戦あるところに彼女たちあり、ということで。もちろんホルストの「火星」もにたイメージですが、こちらの方が実際に「炎」を感じる気がしてチョイスしました。

8) Warmth: チャイコフスキー 「四季」より「1月:炉端にて」
この場合のWarmthは暖かさとかぬくもりというより「暖(だん)」ですね。毛皮を持たない人間が冬の寒さをしのぐのに炎はとっても大切。日本の童謡「たきび」とも似たイメージですね。外の寒さと風と、火の暖かさと、そしてどこか寂しい気分とで成り立つ独特の風景、そして独特の心持ち。

9) Infernal: プロコフィエフ 交響曲第3番「炎の天使」 第1楽章
炎はキリスト教関連においては地獄にて燃えさかり、罪人を焼き、罰し苦しめるものともされています。そんな暗く激しい、独特の臭い(あくまでもイメージ)を放つ炎をこの曲の特に冒頭は思わせます。炎の天使、とはこの曲において悪魔のこと。交響曲全体(およびそのストーリー)に漂う救われない背徳の雰囲気がまあすばらしいですね!

10) Divine: メシアン 「幼子イエスに注ぐ20のまなざし」 第20楽章「愛の教会のまなざし」
先ほどと反対に、炎はキリスト教圏やゾロアスター教を始め様々な神話・宗教で「聖なるもの」としても捉えられています。メシアンにおけるそれは神の愛だったり、聖なる光であったり、ものすごい喜びと荘厳さを兼ね備えたイメージがありますね。そしてメシアンなので炎はきっと七色に光りますよ!

11) Wild: メシアン 練習曲「火の島I」
今回もメシアンかぶり。自然において火山や山火事など炎は「猛々しく」、激しく荒れ狂うイメージです(本能のイメージに通じるところもありますね)。とにかくこのパワーが伝えたい、と思ったらこの曲しかない。火山の中に潜んでいる熱と動きと爆発性をそのまま音楽にしたような躍動感と激しさ、パワーに満ちた音楽で、本能と生命に訴えかけます。

12) Determination: ブラームス 交響曲第1番 第1楽章
以前ツイッターで炎には速く激しく広がるような「外的な」「自由な」「明るい」炎と、その場でひたすら温度を上げ濃く燃える「内的な」「拘束された」「暗い」炎がある、というような話をしましたが(いつか広げたい!)、その後者をより強くカバーするためにこのキーワードとこの曲を選びました。意味は「断固した決意」が近いでしょうか。狙いを定め、動くタイミングを計りながら心の中で激しく燃やす炎です。


今年の抱負として炎というエレメントをもっと自分のものにしたいとありましたが今回のエントリーがその助けになるかは書いてみてちょっと自信ないです(汗)なんだろうなあ、いろいろカバーできてないこと、イメージを形にできてないこと、いろいろあって。こういうアプローチでまだできること、することたくさんあると思うんだけど。
とりあえず少しでも糧になって、第一歩となればいいなあ・・・さてどうなるか。要精進。


(今日の一曲はキーワードto音楽なのでお休みです)

拍手[1回]

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ハープシコード素人によるハープシコードの話
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
昨日はちょっと夕方出かけてました。Northcoteの方でちょっと飲んだりなんだり。
おいしいカクテル飲みましたよ。なんかちょっとレモネードみたいな感じの。Lemon Myrtle味のウオッカとかDOM Benedictineとかが入ってて。DOM Benedictineは薬草系リキュールみたいですね。27種類のハーブが入ってるとか。今度はシャルトリューズとか飲みたいなあ。

さて、前回から言っていたハープシコードの話。
たいしたことは書けないのです(笑)なぜなら弾いたことはないので。
ちょっとだけちょろっと触る程度に弾いたことはあります。お気に入りのあのただでさえほかのよりも狭い練習室にピアノと一緒に入ってたので。ただ誰も使わないのかものすごーく音がずれてて気持ち悪く。

よく言われがちなことなのですが、ハープシコードはピアノの前駆楽器ではどうやらないようです。
ピアノの原型もハープシコードと同じ時期に存在していたらしいですし、あと他人のそら似、ではないですがメカニズムはにているけど音を出す方法が違ったり。ピアノはハンマーが弦を「打つ」楽器ですがハープシコードは弦を爪で「はじく」楽器ですし。
ただ時代の音楽や作曲家の需要、音楽のあり方、そしてピアノの改良とかでピアノが台頭した、という流れでしょうか。
なので今の認識としてはハープシコードは主にバロック時代以前に活躍した楽器(+20世紀におけるリバイバル)という感じになっています。

でも弾き方は同じなのでピアニストがハープシコードも弾くんです。
(トゥーランガリラの彼は去年は大学でハープシコードも専攻してました)
それでも違いは多々ありますよ。強弱の幅、そして強弱の変化のしかたが限られてたり、音の伸びはほとんどありませんし、あとオルガンのように鍵盤が連動できたり音色が変えられたりとかしますし。
あとキーのタッチはハープシコードの方が大幅に軽い!なのでスカルラッティとかの作曲家がハープシコードなどを対象にして書いた曲はものすごい速いパッセージとかあるんですよね。今のピアノだと本当に技巧と指がしっかりしてないとちょっと難しい。

(ちゃんと)弾いたことはないですが何回か大学のオケでハープシコードを使ったことがあって、マネージャーとして関わったことはあります。主に運ぶのとか、チューニングを見届けるのとか。
ハープシコードは本体と支える棒と、あと本体を乗せる部分が別になってて、それもねじとかで止めるようなものじゃないのでかなり繊細かつひやひやものなんです。(もちろん楽器自体も古いですし)
しかもチューニングもピアノ以上に時間と労力(プロの調律師の方の)を使いますし、ずれやすい、という印象もあり。(ピアノはずっと改良され続けてますがハープシコードはそうでもないんだろうなあ・・・)
少なくとも私にとっては壊れ物扱いというか、そういう印象があります。どのみちピアノみたいにがつがつ弾いてもそれが反映できない楽器でもありますし。

ハープシコードはチェンバロ、クラヴサンという呼び方もあります。(順に英語、ドイツ語、そしてフランス語での呼び名)
クラヴサンっていいですね、名前。言葉の響きもそうですが、私が好きなハープシコードの曲はバロック時代だとたいていフランスものなので(詳しくはないですがラモーとかクープランとか聞くと好きですね~)。
ピアノでもいつか弾きたいなあ。

前々から母がハープシコードを弾いたらどうか、というんですよ。(いろんな方面からこれはどうだ、あれはどうだと言われるのですがその中の一つです)
弾いてほしい、というよりはハープシコードの蓋に絵を描きたいそうです。
ハープシコードもグランドピアノのように蓋をこちらに向けて斜めに開けて棒で支えて音を聴衆に向かって響かせるのですが、聴衆に向く面(閉じたとき下になる面)に絵が描いてあることが多いんですね。
大学のMelba Hallにあるハープシコードは油絵の具でオーストラリアのoutbackの風景が描かれていて、それがまあ美しい!(オーストラリアの曲以外を弾いていて音楽にマッチするか、という問題は別として・・・)
そういうのが母もやりたいらしくて、私も母が描いたハープシコードで弾いてみたいとは思ってるのですがなかなか実現は難しい(笑)

あんまり古音楽には比較的興味が薄かったのもあって、ハープシコードの音はよく聴いていて親しく好きだったながらも特別な魅力を抱くことは長いことなかったのですがその認識を変えたのはこれまたジョージ・クラムでした。
Songs, Drones, Refrains of Deathという曲はピアノとハープシコードを1人の奏者が(確か)掛け持ちしているのですが、ピアノだけでなくハープシコードもアンプで制御するんです。それでハープシコードにアンプがかかったところに手のひらクラスターを弾く(たたく)、という音がすごい!電気ノイズですよ!(笑)(ただし録音により結構差はでるようです・・・楽器の違いかアンプの調節の違いか)ちなみに第2部の速いSong of the Ridersの部分で何回かやってるので是非お聞きください。おすすめの録音はSpeculum Musicaeの演奏。

とにかくこれで自分のハープシコードに対する認識が一新しまして。
(いや、もともと好きではあるのですが改めて注目するようになった、ということで)
20世紀は古音楽のリバイバル=新古典主義だったり、楽器の弾き方を広げたり(特殊奏法など)、そういう中でハープシコードも(あんまり楽器自体に改良が加えられてないにもかかわらず)新しく注目を浴びるようになって。

その中でも私が際立ってると思うのが去年からちょくちょく話がでているトマス・アデズだと思います。これも一昨年のコンサートで生で彼の新古典主義的な音楽を聴いてからずっと思ってることで。
バロック音楽に見られるIntimateでシンプルで透明な感じを今の言語で表現したみたいな、言葉で説明するのは難しいですが新しさと懐かしさが同居した感じがハープシコードの音にあったりするんですよね。
持ってる録音の中だと(コンサートで聴いたやつは持ってないのが多い・・・)おすすめはSonata da Cacciaですね。ハープシコードにホルン、オーボエというバロック~古典時代あたりで活躍していた楽器(さらに神話時代までさかのぼれる楽器でもありますね)を組み合わせたどこか古くて、でもちょっと現代的なひねくれや洗練がおもしろいです。

今回ちょっと縁がないようであるようで、思い立たないとなかなか扱うことのないエリアについて書けてなんだかほっとしています。
忙しい忙しいとはいうけれどあとはキーワードto音楽を近いうちにできればこのブログに関してはもっと安心するかな・・・とか思ってます。
ちょこちょこ考えためる癖つけないと。


今日の一曲: ヨハン・セバスチャン・バッハ 平均律第2巻 第24番



バッハの書いた音楽のうち今ピアノで弾かれているものは一般的にピアノのために、とかハープシコードのために、とかではなく「鍵盤楽器で弾くため」に書かれているそうで。
なのでもちろんハープシコードの演奏も多々巷にはあります。同じ曲をピアノで、そしてハープシコードで聞き比べてみるのもおもしろいですよ♪

さて、平均律第2巻第24番。2巻あってそれぞれ24曲ある、つまり「平均律クラヴィーア曲集」という名の曲集最後の曲です。ロ短調です。バッハはロ短調に名曲が多い、と一般的にいえると思いますがいかがでしょうか。
第1巻の24番は結構、なんというか・・・神聖な、特別なものという扱いですが(詳しい話はおいおいできれば、と思っています)、第2巻の24番はそんなにメジャーな扱いではないような気がします。生で聴いたことは一回もない。

ただうちに限ってはこの曲はメジャー中のメジャー曲で。
それはなぜかというと、Macintosh用のコンピュータゲーム、「Glimmer!」の冒頭BGMにこの第24番の前奏曲が使われていたから。あの紫と金で表裏を彩られた球が裏返り続けるグラフィックにこの曲はやられますよ。
このゲームは3Dめがねをかけて遊ぶパズルゲームで、シンプルながらもなかなかトリックがあったり幾何学的なデザインが素敵だったりで面白かったのですが、冒頭だけでなくすべてのBGMがバッハの平均律第2巻からとられているんです。(各レベルには一つずつフーガが、そして冒頭に24番の前奏曲、全クリアで1番の前奏曲)
このバッハの音楽のハープシコード演奏がゲームのグラフィックスの幾何学的なデザインとうまくマッチして、ゲームが面白いのに加えて音楽に対しても不思議な好感・共感が感じられます。

この第24番の前奏曲はなんというか「ああこれバッハだよな」という、どこか幾何学的に絡み合うようなデザインの音楽に、さすがはロ短調というような不思議な暗さと渋さがあり。
そしてフーガはどっちかというと組曲の最後に位置する「ジーグ」と呼ばれる踊りに似ていますね。はねたり回ったり(イギリスやスコットランドで見られるのと似てる踊りです)。

確かに第1巻の終わりと比べると荘厳な雰囲気があるわけでもないですが、でもなんだろうな、こういうエンディングも全然ありなんですよね。それは確実にいえるんですが。
とにかくフーガよりも前奏曲推しです。微妙にのめり込む魅力があります(笑)ハープシコードで弾くとなおさらに。響きがもう、なんか小宇宙というか。
いつか弾きたい♪

拍手[2回]

芸術と心のメンテナンスと
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
そしてちょっとご無沙汰しててすみません。無事新しいPCを買いました。
英語キーボードなので括弧のキーの位置が違うのがちと慣れませんが今日は仕事も新しいPCでやりましたしとりあえずOKぽいです。
あとはATOKかな・・・

ブログ更新がない間もなにを書こうか考えてました。ストックはあるにこしたことがない、というかいくつか書きたいトピックがあると安心しますので。
で、ハープシコードの話を少ししようか、と思ってたのですが今日また碓氷峠音楽堂本舗を聴いてて(ただいま第22回まで聴き終わり)ちょっと思ったことがあったので。

概要としては、同じ音楽を作る・音楽に携わる活動でもレコーディングなどでスタジオにいる時間とコンサートなどで人に向けて演奏する、人と触れ合う時間の違いだったりバランスだったり、そういう話をしてらしたのですね。ACEさんと海月がちらっと。
それを聴いて「あ、やっぱりそういうところの管理とかメンテナンスとかものすごくしっかりしてるしそういうことにおいての自分の心の中の欲求の移り変わりもちゃんと把握してるなあ」と。
(あらら、言葉に直すとうまくいかないものですなあ・・・もうちょっとこう、直感的ではありますがちゃんと考えてたんですが)
当たり前のことではあるのかもしれませんが自分はまだまだなので。

なんらかの形で芸術に携わる、なにかと創る人はプロでもそうでなくてもやっぱり「魂が一番の資本」だと私は常日頃思っていて。
たとえば今のACEさん海月さんの話にあったような「内外のバランス」についてはやっぱり芸術を「生業」としている方々にとってはものすごく重要な話だと思うんですよ。そうでない人にももちろん大事ですが、ひときわ。

芸術家は精神を病んでる、アンバランスな方がいいというかクリエイティブな、突飛なものが作れる、感性が独特なイメージが巷にはあるようにも思われますが、「形にする」プロセスにはやっぱり心が万全な状態であるほうがいい・・・はずだと思うんですよ。
あまりにも精神の状態が悪いと心にあるもの、溢れるものに振り回されたり飲まれたりして形にできなくなる、というのはこれまでに何度も経験してきたことですし。一旦アンバランスになったら転がり落ちるのにブレーキをかけるのは至難の業です。
あと精神のアンバランスが創造性を助け、そしてその後にコントロールを失い命まで失ったといえばシューマンが有名、かつ典型的な例ですね。

私は音楽など周りでのメンタルヘルスケアをドクター、そして病院のプログラムなどを通じて学びましたが、そういうものが確立していない時代に生きていた作曲家たちはどうだったかな、と先ほどの話を聴いて思いをはせてみたくなったのです。
先ほどのシューマンは外的要因(=病気)が不可抗力として働いていましたし、似たようにモーツァルトも外的要因(=妻の浪費などによる貧困、後の病気など)により自分の心のメンテナンスは比較的乏しかったと思われます。

ただ他の作曲家を考えてみるとメンテナンス的なことがエピソードとして残ってたりするんですよね。
メシアンだったら鳥類学者としてのフィールドワーク的な活動だったり、ショスタコーヴィチだったらおそらく心を共にする仲間たちと本音の音楽を披露することだったり。ベートーヴェンは散歩をしたと聞いていますし。

そのなかでちょっと特殊な内外のバランスの管理のしかたをした人が一人いるんですよね。
それがグスタフ・マーラー。
彼は夏以外の季節、つまりコンサートなどのシーズンの間は指揮者としてオーケストラで活動して、夏は別荘で作曲に専念する、という年間スケジュールだったそうです。
少なくとも自分には真似できない(ちょこちょこ切り替えなくちゃだめなんですよねー・・・気分のサイクルもありますが)、結構極端なサイクルだと思うんですが。もしかしたらマーラーも季節による心の動きのパターンがあったのかしら。

芸術家を作るもの、支える外的要因(マーラーだったら妻アルマとか)って面白いなあ、と思いますし、芸術家が「創る」ために自分で自分の心の動きを把握したり調節したりしてよりよいものを作る心を保とうとしている(主目的が直接的にそれかどうかは別として)のを見るのは本当に興味深いです。

とはいえども現実においてはいつも自分の心の動きとともに行動できるわけではないんですよね。
物理的にそう行動できないならばそれを補う、代わりになるものを創ることができるのも芸術家、ということもありますね。
「外」に心はあるのだけれど、物理的にできないから「内」にいながら「外」で得たものを糧にして「外」に思いを馳せ、その状態に自分が一致できるまでの間心を支える・・・というような。
その「別の」場所や状態への欲求とか憧れがまた特別なものを創りだす動力になる・・・とか。
ちゃんと表現できなくてついつい言葉を濁してしまう(汗)

創る人と作品のつながりも興味深いですが、創る人と創るプロセスに関わる思考・行動・感覚、そしてそれによりできた作品とのつながりもまた興味深いですね。
私はプロではないですが何らかの「創る」活動は自分の心の多くを占めていますし、メンタルヘルスのケアとも関連深いのでそういうところを(創ること自体に加えて)生きながら探っていくのもまた楽しみですし、自分にとって大事だと思います。
少しずつ気にしながら少しずつうまくやっていけたらなあ。

ということで次回ハープシコードの話をなんとかまとめたいと思います。そんなに詳しくはない視点から、ということになりますのでそんなにたいした話ではないですがね(汗)


今日の一曲: グスタフ・マーラー 交響曲第5番第1楽章(ピアノ編曲)



今日の一曲はマーラーじゃなきゃ!と思いましたがはて何にしようかと思いちょっとぐるぐるしたところでこの曲を選びました。
マーラーは音楽に関する色々な側面においてすべてすごい、のですが先ほど書きましたように夏に作曲を集中してやるため(それ自体も驚きながら)、この交響曲第5番みたいな大曲を作曲しながら他の小規模でない曲も同時進行しちゃう、というのもまた超人的・・・(マーラーの曲はジャンル超えてお互いにつながりがあるのでそういう意味ではやりやすいところもあるのかもしれませんが)

マーラーの5番は有名ですが、彼自身が編曲したピアノ版はちょっとレアもの扱いです。なんと本人の演奏がピアノロール(紙による録音・再生装置のついたピアノ)の演奏として残ってるのです!これは貴重!
ピアノロールといえばラフマニノフも有名ですね。現存しているラフマニノフ演奏の録音はピアノロールが多いです。
もちろんピアノロールでどれくらい弾き手の演奏が正確に忠実に伝わるか、というのはいろいろ議論されていますが、歴史的・音楽的価値はそれでも結構高いと思います。

そもそもマーラーはあんまりピアノ曲、そしてピアノが入ってる曲を書いてないのでものすごく意外性があるというか。
マーラーの交響曲を聴いているとこれはピアノの前で考えたんじゃないだろうな、というようなオケ使いおよび音楽の複雑さですし。(そもそもピアノで弾けるんだ!と。マーラーは弾き手としてもしっかり弾いてますし(
でもこのピアノ版、予想以上にオケの各パートをカバーしてて面白いです。元の曲を知ってからピアノ版を聞く、というのが前提ですがとにかく「へえーなるほどー」と思っちゃう編曲です。

今ふと思ったのですがピアノ版を聞いてから元のオケ版、というのもありかな、と。なんせオケの複雑さもありますし、以前レクチャーで聞いたように耳が慣れてないとなかなか難しいところもあるかもしれないので・・・(ただ入手するのはやっぱりオケ版のほうがずーっと容易。と思ったらamazonにMP3アルバムとしてピアノ版もあった!)
どっちにしてもこの「作曲家が弾いている」という貴重でちょっと不思議な感覚(ぬくもり?)を体験してほしいな、と思いますし、マーラーの5番は聞きやすく、バランスもとれていて、どこをとっても魅力的なマーラーの音楽をある意味代表するすばらしい曲なのでひとつどうか聞いてほしいな、と思います。
(オケ版はCDとして持ってて損はない!と力説します!)

拍手[1回]

「鳥のカタログ」周りで・・・
前回のエントリーに拍手ありがとうございます♪

相変わらずのろのろとしたPCにストレスを感じつつ仕事したり、間に練習もしたり。
練習もやっぱり新しい曲が多いとぐるぐるすることもありいろいろ壁を感じますが・・・
でも例えばプロコフィエフは「楽しんで弾けるほどの余裕がほしい」(果たしてできるのか・・・)というモチベーションのもとトリッキーな音さらいプロセスにがっつり取り組んでますし。
やっぱりですね、曲の全体的なビジョンだったり、この曲で何がしたいのかがわからなくて悩むより音が弾けなくて悩むほうが楽です。少なくとも精神的にはずっと楽。
「この曲で何がしたいのか」がちょっとまだわからないバルトークともうまく付き合っていきたいです。

バルトークも始めましたが今日は鳥のカタログの新しいのも始めましたよ~
第2楽章「ニシコウライウグイス」(「キガシラコウライウグイス」としている版もあるそうです)。
これで鳥カタは5曲目。全部で7巻、全部で13曲なのでまだまだ。
(モリヒバリ→ダイシャクシギ→モリフクロウ→ヒメコウテンシ→ニシコウライウグイス)
20のまなざしを弾き始めてから2年遅れで始めた、というのもありますし、20のまなざしよりも各曲の平均の長さが長いのもありますが、それをひっくるめても「まだまだだなー」と思います。
今まで弾いてきた曲は(ダイシャクシギを除くと)比較的短く、でてくる鳥の種類も少ないですが、最終的には全長27分超?の第7楽章も弾けなくちゃいけないですしね。曲集全体で3時間半?とかですし。先は長い。

以前から「冒頭で損する」とか「間違った初印象」とか、そういう話をちょくちょくしてますが、「鳥のカタログ」が昔私にとってまさにそれだったんですよね。第1楽章から聴いてこの曲集を好きになれる人はメシアンをちょっと知ってる人でも少ないんじゃないかなあ・・・と。
(でも聴いてても弾いてても音楽の性質は「20のまなざし」と「鳥のカタログ」ではだいぶ違いますねー)

そんな私が「鳥のカタログ」を好きになったきっかけが今弾いてる「ニシコウライウグイス」で。
最初の2つの和音で恋に落ちた、というか。あの黄金の色、不思議な音色、そして暖かな光。この主役の鳥の姿もまたすばらしいですよ。オスの黄金色のボディに映える黒のコントラスト、それがまたイラストとかだと周りの植物の濃緑色にまたマッチして。
曲の後半のスローな部分の光と色もまた美しいとしか表現しようがないです(というかそこはメシアン自身の前書きが一番かなー)。

「鳥のカタログ」を習得するにおいては他の曲とは違うところ、特殊なところがあるような気がします。
鳥の実際の声を聴いたり、姿や環境(季節や風景など)を知ったり、ピアノ以外でいろいろすることがあるのがまずあって。
あと鳥の音楽的常識は人間の音楽的常識と違うな、というのもあり。(他の曲から鳥カタに入ってくるとそういうとこのタッチだったり勘、感覚が失われた、と感じることが多いんですよね)
ピアノを弾く、というよりはいかに鳥の声を再現するか、いかに鳥に近づくか、という思考が多くなります。

そういう「普通ピアノですること」とはちょっと違うことをするのが好き、というのもありますが、「鳥のカタログ」で私が本当に楽しい、と思うのは「空間を創りあげる」ことで。
鳥の声をリアルに再現しながら、他の風景をも忠実に再現して、それから音楽における「間」もいろいろ試して駆使していつもすんでいる自分の家のリビングルームの中にフランスの野外を創りだす、というこれがなんといっても好きなプロセスなんです。
それは聴覚に限ったことでなく、温度や湿度など、五感に訴える世界を作らなくちゃいけない、というのがまた燃える。
例えば外の鳥の鳴き声に合わせて間を調節してみたり、そうやって外の世界とのつながりを作ったり。
限られた空間と時間の中で、その空間と時間よりもはるかに大きい世界を作り出すのが(音楽に限らず)自分がやろうとしていることの大事な一部だと思います。
そして「鳥のカタログ」はそういった意味でも「自分のしたいこと」の大事な一部で。

もちろん20のまなざしも好きですし(そして今でも30歳になるまでに全曲制覇、と思ってます。あと4つ)、あれはあれで素晴らしいんですが・・・
「鳥のカタログ」も自分の心の中にものすごく特別なポジションを築いています。こういう音楽って(メシアンの外では特に)存在しないので・・・
あともともと鳥好きだから、という理由もありますね(笑)少なくとも鳥のいる風景(視覚的・聴覚的)に親しんでるとそれだけで鳥カタの見方って変わると思いますし。
そもそも日本人は鳥や植物や温度や天候や、そういった季節の移り変わりや季節の風景に親しみが深いので「鳥のカタログ」は結構相性がいいというか親しみやすいと思います。ほぼガイジンの感覚としては例えば俳句や短歌にものすごく似てると思いますよ(ちょっと長いですが)。

ちなみに次弾く「鳥のカタログ」も決まってます。次は第3楽章の「イソヒヨドリ」。これも不思議な鳴き声と特徴的な外見を持った鳥で、海の情景とあってこれまた新鮮。ものすごく好きな曲で今からもう楽しみです。
そのあとはきっと冬の間に20のまなざしを1つ2つ?はさんで。そのあとは第9楽章の「ヨーロッパウグイス」で葦原の情景かな。

それから「鳥のカタログ」を聴くときに、という話を少し。
先ほど言いましたが第1楽章から聴くととっつきづらいです。最初は比較的短くて、鳥の鳴き声とそれ以外の「風景をあらわす部分」がはっきり分かれている(そして後者が特徴的&聴き易い)ものが良いかしら。
お勧めスターターは第2楽章「ニシコウライウグイス」、第6楽章「モリヒバリ」。第9楽章「ヨーロッパウグイス」、第13楽章「ダイシャクシギ」あたりもいけるかな。雰囲気なら第5楽章「モリフクロウ」もなかなか面白いです(不協和音的ですが、フクロウ3種の鳴き声はわかりやすいので一応リストに加えました)。

英語でいうところのいわゆるGreenieでは私はないのですが、メシアンが自然を愛するのを、音楽を通して私も愛していて。
人生のほとんどの時間を都会で育ってすごしている私ですが、そうでない時間をものすごく愛しく思っていますし、いつも自然と近くありたい、と思っていて。
自分の心の中にある自然の世界を自分の手で音楽を通じて作り上げるのもだからものすごく大切で。
もっと鳥に近く、もっと自然に近く、自分の手でもっといろいろなものを、もっと濃密で鮮やかで広い世界を創りたい。その1つの形として「鳥のカタログ」を弾き感じ創ることを大事にしていけたらなあ・・・と思います。
(もちろん「ピアノを弾く」ということとして「鳥のカタログを弾く」のもそうですが!)

鳥のカタログで新しい楽章を始めたときに恒例なんですが鳥の鳴き声とか動画をとあるサイトで調べたりするのですが、このPCではブックマークされてない!(汗)
「可愛い!」とか言って結構時間かけちゃうんですが私が鳥カタを弾くときには欠かせないプロセスなのでなるべく早く対応したいですね~


今日の一曲: オリヴィエ・メシアン 「鳥のカタログ」 第6楽章「モリヒバリ」



ニシコウライウグイスはちょっと待ってください!必ずやります!(メモメモ)
スターターとして挙げたもう1つの曲を。こっちのほうがわかりやすく解説できる自信が大きいので(汗)

鳥のカタログでは夜を舞台にした(そう、鳥は夜にも鳴くらしいです)曲がいくつかあります。
第7,8楽章は夜から始まりますし、第5,6楽章は短いですが完全に夜の世界。
そんな中の第6楽章、モリヒバリ。

この曲を初めましてに選んだ理由としては:
(1)でてくる鳥が2種類のみ(モリヒバリとサヨナキドリ(ナイチンゲール))
(2)モリヒバリの鳴き声が大変メロディックで特徴的
(3)曲が短め
(4)夜の闇の描写がわかりやすく(最初にも見られる和音の連続)、鳥の鳴き声からも識別しやすい
(5)全体的に聴きやすい(比較的)

同じ「夜」の風景でもモリフクロウとモリヒバリではちょっと情景が違います。モリフクロウはひたすら闇の暗さ、恐怖を、そしてモリヒバリは夜の神秘さ、静かさ、月の光など。
(隣同士の曲でもありますので比較して聞いてみるのもいいかも)

とにかくこのモリヒバリの流れるような歌声。ちょっとバリエーション形式にも通じるような、それからちょっと即興的なところがあって。
この鳴き声が夜更けに聞こえたら思わず耳をすませてしまうような美しい歌です。
そしてサヨナキドリはそれとまた対照的で。断片的な、まったく違った性質の鳴き声をころころ変える即興性。どっかぶっきらぼうなときもあったり、繊細さを見せたり。ちょっとピアノでは普段使わないような強弱とかを使うのがちょっと弾き手にとってはトリッキーだったり。

できたら月のきれいな夜にそっとかけてみてほしい曲です。
(そしてサヨナキドリの鳴き声がちょっと不協和音的でもめげずに最後まで聞いてみてくださいね)
今回リンクしたのはマイケルの録音以外で持ってるもう一つの録音、ムラロの演奏にしてみました。

拍手[1回]

嗚呼。
前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
ちょっと間が開いてすみません。理由はといえば平たく言うと・・・

普段使ってるPCがぶっ壊れました。
やっぱりいつも感じるPCの熱がいけなかったのかおそらく基盤が悪い、といわれまして。
次はどうするか、とりあえず古いPC(首が据わらない・遅い)を使ってます。仕事にはまあ大丈夫なのですがそのほかのことにおいてだいぶもどかしい・・・せめてATOKを!

ピアノの練習、小改編期に入ったようで。
おそらく今の自分の弾いてるのの出来というよりもふんぎりをつけたくなっている気分、というか悩んでいたらどっちかというと進んでしまうという、音楽とはちと関係ないかもしれない自分の状態によるものがあるのかもしれないですが・・・
改編後のプログラムはこんな感じ:

バルトーク 「戸外にて」 第2楽章「舟歌」
プロコフィエフ ピアノソナタ第2番第4楽章
プーランク 即興曲第3番
メシアン 「鳥のカタログ」より「ニシコウライウグイス」
ヴィラ=ロボス 「ブラジルのバッハ」第4番 第3楽章
クラム 「Eine Kleine Mitternachtmusik」 第6~7楽章

ヴィラ=ロボスはもう懐かしくて懐かしくて。結構昔から覚えてるんですよね、第3楽章は。意外と時間がかからなさそうな予感。
あと鳥のカタログは「ヒメコウテンシ」から「ニシコウライウグイス」に。前者の最後のページのヒバリの鳴き声がなんか名残惜しいです。あれ楽しいんですよね~いつかまた帰ってきたい。
ニシコウライウグイスは何回か初見してるんでこれも結構すでに弾けるところがちらほらある・・・はず。

プーランクがトリッキーですね。1つのフレーズにほとんど必ずハーモニーというかキーの変化があって、それがまあ気まぐれでつかみにくいのなんの。たまの知久さんの音楽にみられるのと同じようなひねくれ感というか小悪魔感(ちょっと違うか?)というかいじらしさがこの曲と、次に弾く第1番に見られて、それが好きで選んだんですがいざ弾くとなると難しい。頭の切り替えなんとかついていかないと。

以前双極性障害と創造性についての論文を読まなきゃ、といってましたがなんと本もあるそうです。以前ブログでも紹介しました「生きるための自殺学」の著者であるケイ・ジャミソン女史の著書で原題は「Touched with Fire」という本。大学の図書館で検索かけてみたら「Missing」となってたので州立図書館(まだ使ったことがない!)とか最寄の図書館で借りて読めたらな、と思ってます。面白かったら買ってもよいですし。
内容も面白そうですがタイトルにもやはりぴんとくるものがありますね。1990年代に書かれた、というのがちょっと驚きです。まだそういうことは最近になってから研究されるようになったものと勝手に思い込んでましたので。

前に書いたと思うのですが、あんまり自分の病気を美化したくない、というか。そういう気持ちがあって。
だから以前はそういうつながりがあることを聞いてもわりと疑わしかったのですが、これだけ研究からのデータや知見がそろってるならやっぱり知ってみるべきかな、と思います。
自分に無関係なことではないですし、これから自分の病気と(おそらく一生)付き合ってくに当たって大切なこともあると思いますし。興味深いことたくさんありそうですしね~

話は変わりまして、メルボルンにはチョコレート専門店がいくつかメジャーなのがありますが(Koko Black, Haigh's, Darrell Lea, Chocolate Boxなどなど)、いつの間にかLindtの店+カフェがいくつかアクセスできるところに出来てまして。シティだとCollins StreetとあとサウスバンクのSouthgateにも今はあるんですよね。
基本的にLindtのお店にいくと板チョコのExcellenceシリーズをおやつ用に買うのが習慣になっています。
キャラメル、ダークとオレンジ、チリなどいろいろありますが私は新しく出た(いつだっけ)PassionfruitとSea Saltが贔屓です。(普通のスーパーだと売ってないのでそういうときはDark orangeを買います)
これがおいしいんだ!比較的少量でも満足できる味と香り(passionfruitなど)。結構贅沢しちゃってるかしら。
Koko blackも最近行ってないですがLindtカフェもいきたいなあ・・・アイスココア(日本の感覚とは違いますが)のおいしい時期にゆっくりしに行きたいですね。(テイクアウェイのチョコは涼しい時期がよいですが)

そして未だに息苦しくて困ってます。外に行ったときとか、あと特に夜とか。
一応もう一ヶ月ほど(ちょうど昨日くらいに買った薬がなくなった)ステロイドを吸引していますが・・・ちゃんと吸引してないのかなあ=ちゃんと薬が届いていないのかなあ。
ちゃんと添付の書類の通りにやってるつもりではいますが、なんせもろもろ不器用なもんで・・・
書類が悪いんじゃないよ、と心の中でひっそり謝ってたり(職業柄(笑))
普通に生きていくうえには別に命にかかわったりとかすることはないんですが、どうも不便というか心地悪いというか。
気道を気にせず歌ったり笑ったりしたいものです。

あとは今週末友達と飲みにいけるよう根回ししなきゃ(笑)割と自分が言い出さなくちゃいけない機会が多いですがめげずになんとかしなきゃですね。


今日の一曲: マヌエル・デ・ファリャ 「Suite Populaires Espagnole」より「Jota(ホタ)」(チェロとギター版)



最近複数の要因によりギターが入る音楽を聴く機会が多くなりました(父のこともあって昔からよく聴く楽器ではありますが)。
そんななかでもこれはちょっと異色の曲だと思います。スペインギターはよく聴きますがチェロとのコンビですよ!しかも私がもってる録音はチェロにジャクリーヌ・デュ・プレ、ギターにジョン・ウィリアムスというこれまたすごいコンビネーション。

でもこの曲Wikipediaで元のアレンジとか邦題とか調べようとしてもひっかからないんですよね。タイトルからして組曲なのですが、どうやらアンコール曲としてこれだけ一人歩きしている感じ・・・?

プロコフィエフのロミジュリではバイオリンがマンドリンの代役をすることもありますが、ギターだったらやっぱりチェロのほうが音的にも音域的にも、それから感触も似ていますね(ギターは父のをちょっと触ってみただけですが)。
こうやって一緒にピチカートしてるのを聴いてるとその似てるのが感じられます。本当にじゃかじゃか(弦は4本ですが)やってますもの。

そのちょっと見ない2つの楽器のコンビの音色の暖かさもそうですが、ものすごく民俗音楽のにおいがするリズムの楽しさ、自由さ、はさまれる歌のメロディーもまた素敵で。
チェロはもっとスペイン曲を弾くべきだ(そしてピチカートをどんどんギター風に使うべきだ)!と強く思わせますね♪

リンクしたCDはチェロの定番、そしてデュ・プレの定番(エルガー!)が入ってますがフォーレのエレジー、さらにはブルッフのコル・ニドライがものすごくお勧めですよ~

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