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いつもこのブログに足を運んでいただいてありがとうございます!
このたびカウンターが3000を超えました!めでたいです!
ただ昨日の就寝後から1日の間検索ロボットがなんだかクレイジーになってて20回とか訪問していてあたふた(汗)
今後とも長らくよろしくお願いいたします♪
このブログでは音楽の話をすること、特定の曲について書いたり紹介したりすることが多いですが、音楽について言葉で語ることについて、話す音を選ぶことについてはよくよく考えながら試行錯誤しています。難しいですが考えるプロセスも選ぶプロセスも文として形にするプロセスも楽しいです。
いつも思うのは特定のジャンルや作曲家の音楽に最初に出会う際に曲のチョイスによってはそのジャンル・作曲家の印象を悪くすることもあることだったり(そしてこの初印象は結構頑固だったりするのが厄介!)。あと特にクラシック音楽においては一曲聴いてそこから広がらない、次に何を聴いたらいいかわからなくてそのまま、ということが多いように思えるので・・・
曲をおすすめしながらその次のステップまで示せるような、そんな曲のすすめかたができたらいいなあと思い努力しています。
そういえばちょっとの間キーワードto音楽もやってませんね・・・ちょっと下準備が必要になるので忙しいときはついつい敬遠しちゃうのですがまたそのうち。
ご無沙汰、といえばメンタルヘルス関係のエントリーもご無沙汰ですね。
話は今あるのですがこれで1エントリーは立たないと思うのでちょっと今日お話しさせてもらいます。
Facebookでこちらのメンタルヘルス団体を幾つかフォローしているのですが、そのうちの一つのアカウントから研究のためのアンケートのお知らせがあったのでアンケートをやってみました。
研究は自傷行為についての調査で、自傷経験のある人を対象にしたアンケートで。
人口統計学的な特徴だったり、自傷に関連があると思われる経験や要因だったり、対人関係についての質問だったり、自傷体験についての質問だったりについて答えました。
仕事で臨床試験などの計画書や報告書の翻訳をすることが多く、アンケート式の研究も一部あるのですが、そういえばあんまりアンケート自体は翻訳したことがないなあ・・・と思いながら。でもいろんなとこでそういう研究を見てるとこういうアンケートを作るのがいかに難しいか、というのは分かります。
自傷については(自分の体験とは別に)いろいろ勉強したりしたので質問がアンケートに入ってる理由とかもある程度予想がつきますね。そう言う意味でもアンケートをやってものすごく興味深かったです。
実際インターネットでアンケートをやるとどれくらいサンプルが集まるか、結果どういう集団になるか、というのは見当もつかないのですが(インターネットのアンケート式の研究の翻訳は抄訳もやったことないですねえ)。
研究結果を知ることがあるのかも分からないですが研究で何らかの新しい傾向とかの発見があって、それが治療やケアの実践につながるといいな、と思います。
今日はヴィラ=ロボスの「ブラジルのバッハ」第4番第2楽章に別れを告げた日でした。
いざ第3楽章、いざサンバのリズム!といいたいながらも第2楽章に未練たらたら。ここが上手く弾けてない、とかそういう話でもなく、ただ単に第2楽章がものすごく好きで別れるのが辛い!という(笑)もうあれだけ弾いてもいいですもん。
やっぱり和音進行の美しさとそれから生まれる色彩の美しさ、そしてなんといってもこの第2楽章は「光」が素晴らしかった!こんな曲は他にはない!と思われるような光の美しさ。
うーん去るのが惜しい、でももっとヴィラ=ロボスを味わいたいですし、いつかまとめて、または選んで「ブラジルのバッハ」第4番を弾けるようになるため先に進まないと、ですね。
最近仕事中の新しい楽しみができました。
それはネットラジオで「Face to Ace 碓氷峠音楽堂本舗」(FM軽井沢)のアーカイブを聴き進めること。
タイトルにあるようにACEさん海月さんのユニット、face to aceがパーソナリティなのです。
そしてリンクにあるように今日現在で#145まである・・・中、やっと#6までたどりつきました。亀の歩みです(他にもいつも通りの音楽とか聴いてますし、いっぺんにたくさん聴けないので・・・)。
オープニングでACEさんが「さわやかな音楽と冷ややかな半笑いをお届けする」とおっしゃってるのですが私は笑い上戸(持病の双極性障害とか情緒不安定も関連してるのかな、なんらかの形で)なので大抵75%以上の笑いになります(笑)音楽もトークも夕方の仕事にぴったりで楽しんで聴いています。
で、軽井沢といえばメシアンが日本に行ったときに書いた「七つの俳諧」じゃないか、と。
数年前(メシアンイヤーの時)にアカデミーとマイケルが演奏したのを生で聴いて以来だな、おかしいなと思ったら大学の図書館に録音がなかった!どっかで買わなくちゃなあ。
鳥のカタログの舞台となってるフランス各地も行ってみたいけど(特にウエッサン島)、せっかく身近な日本なんだから七つの俳諧の舞台も行ってみたいな、と改めて。
出てくる地名は奈良・宮島・軽井沢・山中湖(最初の2つについては母が「修学旅行みたい」と言ってました。まあ観光ですもんね、メシアンも)。私はどこもまだ行ったことがないです。(でも山中湖は両親の家から割と近いかも・・・?)
「七つの俳諧」は日本では特に日本が舞台ということでちょっと親近感を過度に期待されてしまってがっかりするパターンがありがちではないかな、と。メシアンの楽器使いってもともとちょっと特殊ですし(だからメシアンはまずピアノ曲をおすすめします)、この曲ではわりと楽器のパートが断片化してる上、曲における鳥の声の部分が比較的多いのもあり(メシアンみたいに鳥の声から風景を描くのは難しい・・・)。
良い曲は良い曲なんですよね。ちょっと耳が慣れなくちゃ難しいです、でも。アカデミーで上記演奏をした友達の一人もちょっとぴんとこなかった、と言ってましたし。
(ここでさっきの「作曲家の初印象の曲」の話に戻るわけですね)
メシアンはメルボルンにも(演奏・鳥関係で)来てて、オーストラリアに来たときの鳥の声体験は「彼方の閃光」という曲に現れてます。その時はメシアン夫妻はMt. Dandenongを訪れてたそうですが、そこは私も何度か行ったことがあります。ただ「彼方の閃光」の曲の方はまだまだよく知らない!大変だ、勉強しなきゃ!
ということでこれからもこんな調子で色々書いていきたいと思います。
あまりブログを書くために無理はしたくないんですが、「忙しい」理由で手が回ってないトピックやエリアがかなり存在しているのでなんとかしたいなあ。
それからこれで463エントリー目、500エントリー記念もちょっと視野にいれなくちゃ。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Federico's Little Song for Children」 第4楽章「Caracola」
クラムも割と触れてない曲集がちょこちょこと。今日は久しぶりのicebreakerです。
1986年に書かれたこの曲集もそのタイトル通りロルカの詩が歌詞として使われています。
楽器編成はソプラノ、ハープ、そしてなんとフルート奏者がピッコロ、フルート、アルトフルートとバスフルートを持ち替えするというなかなかびっくりな編成。
この「Caracola」はそんななかでも一番特殊と思われるバスフルートが使われてます。同じくクラムのLux Aeternaでも使われる楽器ですが響きはもっと暗くハスキーな感じ(あっちはものすごいゆっくりなビブラートをかけたリッチな音ですからねー)。
そして言わずもがなソプラノも、そしてハープも活躍しています。といってもどのパートも比較的断片的かな。でもその分それぞれの楽器がちゃんと聞こえる・・・というか。
「Caracola」はかたつむりや、巻き貝の類を指す言葉で。(ロルカは他にも「白いcaracola」「黒いcaracola」という題の詩を書いています)
この詩いいんですよね~短いながらも世界がちゃんと確立してて。内容はちなみにざっくり言えば「海で貝を拾って耳に当てると海の音がする」というあれです。もちろん詩なのでこんなざっくりはいってないですが。
で、結局曲に起こす前の詩が好きで、あとそれぞれの楽器のパートが好きで。でも好きだからこそなのか、曲の全体としては今日はじめてぴんと来始めたんですよね。
割といい色してますし、これからじわじわ自分の中で伸びていくといいな、という願いもこめて今日紹介にチョイスしました。
クラム初心者にはちょっと向いてないかな(この曲だけじゃなくてリンクしたCDに収録されてる曲全部)、と思われますがそういった注意も含めて紹介、ということで。
このたびカウンターが3000を超えました!めでたいです!
ただ昨日の就寝後から1日の間検索ロボットがなんだかクレイジーになってて20回とか訪問していてあたふた(汗)
今後とも長らくよろしくお願いいたします♪
このブログでは音楽の話をすること、特定の曲について書いたり紹介したりすることが多いですが、音楽について言葉で語ることについて、話す音を選ぶことについてはよくよく考えながら試行錯誤しています。難しいですが考えるプロセスも選ぶプロセスも文として形にするプロセスも楽しいです。
いつも思うのは特定のジャンルや作曲家の音楽に最初に出会う際に曲のチョイスによってはそのジャンル・作曲家の印象を悪くすることもあることだったり(そしてこの初印象は結構頑固だったりするのが厄介!)。あと特にクラシック音楽においては一曲聴いてそこから広がらない、次に何を聴いたらいいかわからなくてそのまま、ということが多いように思えるので・・・
曲をおすすめしながらその次のステップまで示せるような、そんな曲のすすめかたができたらいいなあと思い努力しています。
そういえばちょっとの間キーワードto音楽もやってませんね・・・ちょっと下準備が必要になるので忙しいときはついつい敬遠しちゃうのですがまたそのうち。
ご無沙汰、といえばメンタルヘルス関係のエントリーもご無沙汰ですね。
話は今あるのですがこれで1エントリーは立たないと思うのでちょっと今日お話しさせてもらいます。
Facebookでこちらのメンタルヘルス団体を幾つかフォローしているのですが、そのうちの一つのアカウントから研究のためのアンケートのお知らせがあったのでアンケートをやってみました。
研究は自傷行為についての調査で、自傷経験のある人を対象にしたアンケートで。
人口統計学的な特徴だったり、自傷に関連があると思われる経験や要因だったり、対人関係についての質問だったり、自傷体験についての質問だったりについて答えました。
仕事で臨床試験などの計画書や報告書の翻訳をすることが多く、アンケート式の研究も一部あるのですが、そういえばあんまりアンケート自体は翻訳したことがないなあ・・・と思いながら。でもいろんなとこでそういう研究を見てるとこういうアンケートを作るのがいかに難しいか、というのは分かります。
自傷については(自分の体験とは別に)いろいろ勉強したりしたので質問がアンケートに入ってる理由とかもある程度予想がつきますね。そう言う意味でもアンケートをやってものすごく興味深かったです。
実際インターネットでアンケートをやるとどれくらいサンプルが集まるか、結果どういう集団になるか、というのは見当もつかないのですが(インターネットのアンケート式の研究の翻訳は抄訳もやったことないですねえ)。
研究結果を知ることがあるのかも分からないですが研究で何らかの新しい傾向とかの発見があって、それが治療やケアの実践につながるといいな、と思います。
今日はヴィラ=ロボスの「ブラジルのバッハ」第4番第2楽章に別れを告げた日でした。
いざ第3楽章、いざサンバのリズム!といいたいながらも第2楽章に未練たらたら。ここが上手く弾けてない、とかそういう話でもなく、ただ単に第2楽章がものすごく好きで別れるのが辛い!という(笑)もうあれだけ弾いてもいいですもん。
やっぱり和音進行の美しさとそれから生まれる色彩の美しさ、そしてなんといってもこの第2楽章は「光」が素晴らしかった!こんな曲は他にはない!と思われるような光の美しさ。
うーん去るのが惜しい、でももっとヴィラ=ロボスを味わいたいですし、いつかまとめて、または選んで「ブラジルのバッハ」第4番を弾けるようになるため先に進まないと、ですね。
最近仕事中の新しい楽しみができました。
それはネットラジオで「Face to Ace 碓氷峠音楽堂本舗」(FM軽井沢)のアーカイブを聴き進めること。
タイトルにあるようにACEさん海月さんのユニット、face to aceがパーソナリティなのです。
そしてリンクにあるように今日現在で#145まである・・・中、やっと#6までたどりつきました。亀の歩みです(他にもいつも通りの音楽とか聴いてますし、いっぺんにたくさん聴けないので・・・)。
オープニングでACEさんが「さわやかな音楽と冷ややかな半笑いをお届けする」とおっしゃってるのですが私は笑い上戸(持病の双極性障害とか情緒不安定も関連してるのかな、なんらかの形で)なので大抵75%以上の笑いになります(笑)音楽もトークも夕方の仕事にぴったりで楽しんで聴いています。
で、軽井沢といえばメシアンが日本に行ったときに書いた「七つの俳諧」じゃないか、と。
数年前(メシアンイヤーの時)にアカデミーとマイケルが演奏したのを生で聴いて以来だな、おかしいなと思ったら大学の図書館に録音がなかった!どっかで買わなくちゃなあ。
鳥のカタログの舞台となってるフランス各地も行ってみたいけど(特にウエッサン島)、せっかく身近な日本なんだから七つの俳諧の舞台も行ってみたいな、と改めて。
出てくる地名は奈良・宮島・軽井沢・山中湖(最初の2つについては母が「修学旅行みたい」と言ってました。まあ観光ですもんね、メシアンも)。私はどこもまだ行ったことがないです。(でも山中湖は両親の家から割と近いかも・・・?)
「七つの俳諧」は日本では特に日本が舞台ということでちょっと親近感を過度に期待されてしまってがっかりするパターンがありがちではないかな、と。メシアンの楽器使いってもともとちょっと特殊ですし(だからメシアンはまずピアノ曲をおすすめします)、この曲ではわりと楽器のパートが断片化してる上、曲における鳥の声の部分が比較的多いのもあり(メシアンみたいに鳥の声から風景を描くのは難しい・・・)。
良い曲は良い曲なんですよね。ちょっと耳が慣れなくちゃ難しいです、でも。アカデミーで上記演奏をした友達の一人もちょっとぴんとこなかった、と言ってましたし。
(ここでさっきの「作曲家の初印象の曲」の話に戻るわけですね)
メシアンはメルボルンにも(演奏・鳥関係で)来てて、オーストラリアに来たときの鳥の声体験は「彼方の閃光」という曲に現れてます。その時はメシアン夫妻はMt. Dandenongを訪れてたそうですが、そこは私も何度か行ったことがあります。ただ「彼方の閃光」の曲の方はまだまだよく知らない!大変だ、勉強しなきゃ!
ということでこれからもこんな調子で色々書いていきたいと思います。
あまりブログを書くために無理はしたくないんですが、「忙しい」理由で手が回ってないトピックやエリアがかなり存在しているのでなんとかしたいなあ。
それからこれで463エントリー目、500エントリー記念もちょっと視野にいれなくちゃ。
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Federico's Little Song for Children」 第4楽章「Caracola」
クラムも割と触れてない曲集がちょこちょこと。今日は久しぶりのicebreakerです。
1986年に書かれたこの曲集もそのタイトル通りロルカの詩が歌詞として使われています。
楽器編成はソプラノ、ハープ、そしてなんとフルート奏者がピッコロ、フルート、アルトフルートとバスフルートを持ち替えするというなかなかびっくりな編成。
この「Caracola」はそんななかでも一番特殊と思われるバスフルートが使われてます。同じくクラムのLux Aeternaでも使われる楽器ですが響きはもっと暗くハスキーな感じ(あっちはものすごいゆっくりなビブラートをかけたリッチな音ですからねー)。
そして言わずもがなソプラノも、そしてハープも活躍しています。といってもどのパートも比較的断片的かな。でもその分それぞれの楽器がちゃんと聞こえる・・・というか。
「Caracola」はかたつむりや、巻き貝の類を指す言葉で。(ロルカは他にも「白いcaracola」「黒いcaracola」という題の詩を書いています)
この詩いいんですよね~短いながらも世界がちゃんと確立してて。内容はちなみにざっくり言えば「海で貝を拾って耳に当てると海の音がする」というあれです。もちろん詩なのでこんなざっくりはいってないですが。
で、結局曲に起こす前の詩が好きで、あとそれぞれの楽器のパートが好きで。でも好きだからこそなのか、曲の全体としては今日はじめてぴんと来始めたんですよね。
割といい色してますし、これからじわじわ自分の中で伸びていくといいな、という願いもこめて今日紹介にチョイスしました。
クラム初心者にはちょっと向いてないかな(この曲だけじゃなくてリンクしたCDに収録されてる曲全部)、と思われますがそういった注意も含めて紹介、ということで。
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前回のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日は早朝からすごい嵐で精神がかなり悪影響を受けてたところに身体のサイクルだったり変則スケジュールだったり(こんなときにいつもと違ったことするもんじゃないですね)でかなり不調でした。どうも頭に雲がかかったみたいな鈍さと重さ。幸い仕事はコピペの部分が多くてさくさく進んで助かりましたが。
こういう日は決まってどっかで電車の運行が止まりますね。今日はトラムもちょっと止まってたとこあったみたいですし。
変な天気が多い割には公共交通機関はかなり脆弱なメルボルン。だれもが不満に思ってることだけど州政府はなかなか動いてくれないという、全く困ったものではあります。
去年メルボルンがMost Liveable City(世界で最も住みやすい街)として数年ぶりにバンクーバー(とウィーン?)を抜き返して1位に返り咲きましたが、このニュースを聞いたとき(確かこのブログに書いてるんじゃないかな)かなり驚きました。
メルボルンはインフラの面でも観光の面でも他のあらゆる面でもここ数年大きな変化はないですし、やっぱりこの交通機関のぼろっちさは街として評価をするのになかなかネックなんじゃないか、と思いますし。
その他にも思ってみると紫外線の強さとか、この天気の不安定さ、観光(特に都市部)のぱっとしないのもありますし、街も例えば日本の大都市と比べちゃうとそんなにきれいでも大きくもないですし、サービスの便利さもまだまだ全然、というところたくさんありますし。基本もろもろ遅れたりととなってなかったり、いい加減なことも色々あったり。
それで世界のあんな素敵なところやこんな綺麗なところや、そういうものを超えてMost Liveable Cityになれるのはなんか不思議なことだと住んでて思います。
でも実際住んでて心地良い何かがあるのは確かで。メルボルンに住んで16年近く、この町で暮らしながら観光客的な目線も忘れず維持して・・・そして多少の特殊な事情はあるものの自分の意思で両親から離れてここに住むと決めた、それにはやっぱりこの町に対して色々思うことがあったということで。
(特殊な事情、というのはメンタルヘルス周りだったり音楽周りだったり友達がこちらでできている、という確かにメルボルンの長所・魅力とは関連しているのですが必ずしもみんなに当てはまらないこと、ということです)
日本に住んでたらきっと気にすることはなかったと思いますが、「多文化社会」ってのはやっぱいいな、と思います。色んな肌の色の人が歩いてたり、いろんな言語が飛び交ったり、色んな本場の料理や色んな国ベースのお店があったりとか。それがなんか楽しいですし、自然になって。
世界全体と比較してどうかは分かりませんがメルボルンは様々な人種だったり、ファッション文化だったり同性愛者をはじめとした性嗜好に関して割と寛容な方だと思います。(あくまで私が知ってる範囲ですし、問題がまったくないわけではないですが)
私にとって大切なのはメンタルヘルスとアートの面ですかね。
メンタルヘルスのケアに関しては割とケア体制がありますし、コミュニティとしてもそういった病気で苦しんでいる患者さんに対しては比較的寛容でsupportingな態度の人が多いみたいですし。
アートに関しては大小様々なギャラリーで国内外の作品だったり有名な作品の展示があったり。音楽も国内外の演奏家ラインアップやアンサンブルのレベル(&元気)、最新の作曲を含むレパートリーの幅の充実だったり。(うちの両親がいつもうらやましがります、こちらでのコンサートの話をしたり)
音楽と言えばユースオケや小中高での音楽の教育(レッスン)などのシステムには通ってきた一人として本当に感謝していますし、音大生の就職先を提供しているという意味でも良いですしね。
それから街の規模も大きくない方がいいですし、あんまり賑やかしいのもあれですし。あくまでも個人的な好みですが。
トラムも電車もあるけど歩いて回れちゃう、のんびりたらたら歩いてても周りが気にならない、それから庭園や建築など見てて面白いものもたくさんありますし。
街の全体的な雰囲気もまたメルボルンは好きです。古い建物のそびえ立つのとか、小道やアーケードにカフェがあるのとか。忙しすぎず、どこか心地良い。
メルボルンのあるヴィクトリア州は国内旅行者が一番多い州でもあります。
観光といえばやっぱりペンギンのいるフィリップ島だったりワイナリーで有名なヤラバレーなどのエリア、グレート・オーシャン・ロードやWilson's Promontory、Grampiansなど主に郊外などが行き先になりますが、オーストラリアの他の場所にはない観光名所がたくさんあって、海外から見るとあんまりぱっとしないかもしれないけど国内ではとってもポピュラーなところがたくさんあったり。
Most Liveable Cityに見られる「暮らしやすさ」というのは観光で来るだけではなかなかわかりにくい(または観光においてあまり重視しない、見ない)ところも多くあると思います。
それに加えて住んでいると割と自然なことだったり、あとはなかなかこういう雰囲気的なものもなかなか言葉や写真だと説明しにくいところがたくさんあったり。(ついでにそういう雰囲気もある程度街に慣れないと感じられないこともあるみたいですし)
なのでいつもメルボルンの話をするときにこの魅力が伝わってるかな?と色々不安というか迷うことが多いのですが・・・でも去年の大晦日についてのエントリーは比較的うまくいったかも?
これからもメルボルンという街がどれだけ素敵で心地良くて楽しい街か、ということだったり自分のこの町への思いをなんとか伝えていきたいと思います。
今日の一曲: アラム・ハチャトゥリアン 「ガイーヌ」より「目覚めとアイーシャの踊り」
最近ショスタコーヴィチとプロコフィエフ以外の「ソヴィエトの作曲家」に大分愛着が湧いてきて嬉しいです。この時代この土地、本当に魅力的な音楽がいっぱい!
そのなかでもハチャトゥリアンはソヴィエト広しといえども今のアルメニアにあたる地域の出身で、ロシアソヴィエトの面々とはかなり違った味付けと文化圏の音楽を書きます。
ちょっと東洋風だったりちょっと中東風だったり、小アジアの地理と文化が垣間見える音楽です。
バレエ「ガイーヌ」(ガヤネー)の中で一番有名な「剣の舞」は私が生涯で初めて好きになった曲ですが、最近はこのバレエの他の曲にもはまりはじめています。素晴らしいキャラクタ-!
その中でもこの「目覚めとアイーシャの踊り」は最初のいかにも20世紀の「夜の音楽」的なハーモニー(不協和音)や楽器の使い方からものすごくエキゾチックな香りが漂うアイーシャの踊りまで良い味を出しています♪
東欧よりも東の音楽でのバイオリンの使われ方ってやっぱり独特だと思います。この曲でのそれは中国の二胡に通じるようなあの甘さがあって、なんか大陸でつながってるんだなーという不思議な実感。一度民族音楽をハンガリーから中国までたどってみると面白そうです。
で、そのバイオリンをサポートしてるオケ、特にハープなんかがまこの少しおとぎ話のような雰囲気を醸し出して。
そして最後の最後の方でチェレスタが入って来るとこなんかいいですね!(オケにおいてチェレスタの登場って大抵こんな感じ(笑))
まるで異国のスイーツを一皿味わうみたいな素敵な体験ですね~♪
(ソヴィエトのオケはレベルも高いですしものすごいエネルギッシュです。是非とも本場のオケで味わいください♪)
今日は早朝からすごい嵐で精神がかなり悪影響を受けてたところに身体のサイクルだったり変則スケジュールだったり(こんなときにいつもと違ったことするもんじゃないですね)でかなり不調でした。どうも頭に雲がかかったみたいな鈍さと重さ。幸い仕事はコピペの部分が多くてさくさく進んで助かりましたが。
こういう日は決まってどっかで電車の運行が止まりますね。今日はトラムもちょっと止まってたとこあったみたいですし。
変な天気が多い割には公共交通機関はかなり脆弱なメルボルン。だれもが不満に思ってることだけど州政府はなかなか動いてくれないという、全く困ったものではあります。
去年メルボルンがMost Liveable City(世界で最も住みやすい街)として数年ぶりにバンクーバー(とウィーン?)を抜き返して1位に返り咲きましたが、このニュースを聞いたとき(確かこのブログに書いてるんじゃないかな)かなり驚きました。
メルボルンはインフラの面でも観光の面でも他のあらゆる面でもここ数年大きな変化はないですし、やっぱりこの交通機関のぼろっちさは街として評価をするのになかなかネックなんじゃないか、と思いますし。
その他にも思ってみると紫外線の強さとか、この天気の不安定さ、観光(特に都市部)のぱっとしないのもありますし、街も例えば日本の大都市と比べちゃうとそんなにきれいでも大きくもないですし、サービスの便利さもまだまだ全然、というところたくさんありますし。基本もろもろ遅れたりととなってなかったり、いい加減なことも色々あったり。
それで世界のあんな素敵なところやこんな綺麗なところや、そういうものを超えてMost Liveable Cityになれるのはなんか不思議なことだと住んでて思います。
でも実際住んでて心地良い何かがあるのは確かで。メルボルンに住んで16年近く、この町で暮らしながら観光客的な目線も忘れず維持して・・・そして多少の特殊な事情はあるものの自分の意思で両親から離れてここに住むと決めた、それにはやっぱりこの町に対して色々思うことがあったということで。
(特殊な事情、というのはメンタルヘルス周りだったり音楽周りだったり友達がこちらでできている、という確かにメルボルンの長所・魅力とは関連しているのですが必ずしもみんなに当てはまらないこと、ということです)
日本に住んでたらきっと気にすることはなかったと思いますが、「多文化社会」ってのはやっぱいいな、と思います。色んな肌の色の人が歩いてたり、いろんな言語が飛び交ったり、色んな本場の料理や色んな国ベースのお店があったりとか。それがなんか楽しいですし、自然になって。
世界全体と比較してどうかは分かりませんがメルボルンは様々な人種だったり、ファッション文化だったり同性愛者をはじめとした性嗜好に関して割と寛容な方だと思います。(あくまで私が知ってる範囲ですし、問題がまったくないわけではないですが)
私にとって大切なのはメンタルヘルスとアートの面ですかね。
メンタルヘルスのケアに関しては割とケア体制がありますし、コミュニティとしてもそういった病気で苦しんでいる患者さんに対しては比較的寛容でsupportingな態度の人が多いみたいですし。
アートに関しては大小様々なギャラリーで国内外の作品だったり有名な作品の展示があったり。音楽も国内外の演奏家ラインアップやアンサンブルのレベル(&元気)、最新の作曲を含むレパートリーの幅の充実だったり。(うちの両親がいつもうらやましがります、こちらでのコンサートの話をしたり)
音楽と言えばユースオケや小中高での音楽の教育(レッスン)などのシステムには通ってきた一人として本当に感謝していますし、音大生の就職先を提供しているという意味でも良いですしね。
それから街の規模も大きくない方がいいですし、あんまり賑やかしいのもあれですし。あくまでも個人的な好みですが。
トラムも電車もあるけど歩いて回れちゃう、のんびりたらたら歩いてても周りが気にならない、それから庭園や建築など見てて面白いものもたくさんありますし。
街の全体的な雰囲気もまたメルボルンは好きです。古い建物のそびえ立つのとか、小道やアーケードにカフェがあるのとか。忙しすぎず、どこか心地良い。
メルボルンのあるヴィクトリア州は国内旅行者が一番多い州でもあります。
観光といえばやっぱりペンギンのいるフィリップ島だったりワイナリーで有名なヤラバレーなどのエリア、グレート・オーシャン・ロードやWilson's Promontory、Grampiansなど主に郊外などが行き先になりますが、オーストラリアの他の場所にはない観光名所がたくさんあって、海外から見るとあんまりぱっとしないかもしれないけど国内ではとってもポピュラーなところがたくさんあったり。
Most Liveable Cityに見られる「暮らしやすさ」というのは観光で来るだけではなかなかわかりにくい(または観光においてあまり重視しない、見ない)ところも多くあると思います。
それに加えて住んでいると割と自然なことだったり、あとはなかなかこういう雰囲気的なものもなかなか言葉や写真だと説明しにくいところがたくさんあったり。(ついでにそういう雰囲気もある程度街に慣れないと感じられないこともあるみたいですし)
なのでいつもメルボルンの話をするときにこの魅力が伝わってるかな?と色々不安というか迷うことが多いのですが・・・でも去年の大晦日についてのエントリーは比較的うまくいったかも?
これからもメルボルンという街がどれだけ素敵で心地良くて楽しい街か、ということだったり自分のこの町への思いをなんとか伝えていきたいと思います。
今日の一曲: アラム・ハチャトゥリアン 「ガイーヌ」より「目覚めとアイーシャの踊り」
最近ショスタコーヴィチとプロコフィエフ以外の「ソヴィエトの作曲家」に大分愛着が湧いてきて嬉しいです。この時代この土地、本当に魅力的な音楽がいっぱい!
そのなかでもハチャトゥリアンはソヴィエト広しといえども今のアルメニアにあたる地域の出身で、ロシアソヴィエトの面々とはかなり違った味付けと文化圏の音楽を書きます。
ちょっと東洋風だったりちょっと中東風だったり、小アジアの地理と文化が垣間見える音楽です。
バレエ「ガイーヌ」(ガヤネー)の中で一番有名な「剣の舞」は私が生涯で初めて好きになった曲ですが、最近はこのバレエの他の曲にもはまりはじめています。素晴らしいキャラクタ-!
その中でもこの「目覚めとアイーシャの踊り」は最初のいかにも20世紀の「夜の音楽」的なハーモニー(不協和音)や楽器の使い方からものすごくエキゾチックな香りが漂うアイーシャの踊りまで良い味を出しています♪
東欧よりも東の音楽でのバイオリンの使われ方ってやっぱり独特だと思います。この曲でのそれは中国の二胡に通じるようなあの甘さがあって、なんか大陸でつながってるんだなーという不思議な実感。一度民族音楽をハンガリーから中国までたどってみると面白そうです。
で、そのバイオリンをサポートしてるオケ、特にハープなんかがまこの少しおとぎ話のような雰囲気を醸し出して。
そして最後の最後の方でチェレスタが入って来るとこなんかいいですね!(オケにおいてチェレスタの登場って大抵こんな感じ(笑))
まるで異国のスイーツを一皿味わうみたいな素敵な体験ですね~♪
(ソヴィエトのオケはレベルも高いですしものすごいエネルギッシュです。是非とも本場のオケで味わいください♪)
前回のエントリーに拍手ありがとうございます!
以前このブログに書いたと思うんですが、いつも自分の部屋から庭を見ながら仕事をしていると、Indian Mynaというオーストラリアでは至る所にいる鳥の特定の夫婦(スパム夫妻と呼んでいます)が大抵庭を歩いていて。
スパムは元は隣のアパートの巣で生まれ育って以来数年もうここらをテリトリーとしていて、たまにMagpieの家族にリンチされそうになったり、WattlebirdやBlackbirdの夫婦達と言い争いになったり、最近はちょっと定期的に通る猫が現れたりしながらずっとうちの庭をつついています。
そうやってずっとこちらもスパム達を見ているので他のMynaが庭に現れても外見である程度識別できるようになりました。向こうも私の姿を見てそんなに驚かないようになったような気が。
そんな庭に一昨日くらいになにやら小さめのMynaが3羽ほど、なにやらお互いを追いかけて走り回ったり、ぴょこぴょこ跳ねたり。外見や様子を見ているとどうやらまだ若い兄弟たちのよう。
で、しばらく見てると周りにスパムと嫁がいるじゃないか!これはもしかして2羽の間にできた子ども達!?
ものすごく微笑ましい、というか自分のことのように喜びました♪
鳥と言っても夫婦関係は種により色々でMynaの場合は一生寄り添うかわかりませんし、何にしても鳥たちの寿命は人間よりもものすごく短いですし、どれくらいこの夫婦を見守ることができるか分かりませんがこれからも窓の外を意識していきたいです。子ども達も一羽くらいここら辺をテリトリーにするかな。
今日はトゥーランガリラの彼(っていうかこのブログではコンサートのお知らせで名前出てるじゃん)とシティでちょっと時間を過ごしました。遅めのランチ→ちょっぴり散歩、メインはおしゃべり、という感じで。
やっぱりというかなんというか、話のトピックは音楽が中心。
近況からマーラーの話に入りますもんね(笑)オーケストラプロジェクトのマーラーの話からカウベルの使い方の話とか、あとは時と状態を選ぶよね、という話とか。
軽躁のときはマーラーはだめだなー、と話したのですが知り合いに躁状態でやっぱり特定の音楽を避ける人がいるらしくて。まあ音楽の作用とか役割というのは「心を動かす」ことですから、不安定な精神状態の人間には特に影響があって当たり前だよね、という結論に。
好みがびっくりするほど似てたり、と以前書きましたが、彼は私が割と近く感じるマーラーとかショスタコにはそんなに惹かれない、ということについても話しましたね。これらの作曲家はどっちかというと自分の育ち(育てられた音楽・人生の経緯)だったり自分の病気だったりに密接に関連してるからね、という話だったり、だからあんまり好きでない、という人にどうやって「音楽として」お勧めしたらいいか難しいという話だったり。
あとは私は何も聞いてないのですが私のピアノの先生のバースデーコンサートがあるらしく。
私も彼もStephenに習ってたことがあり、さらに2人ともマイケルに数回レッスンを受けたことがある、という経歴の類似(笑)
メルボルンのピアノ弾きコミュニティの話もしましたね。以前ここで書いた「うちらの先生は二足のわらじ的なピアニストが生徒のことが多いよね」という話だったり。
そうやってゆるゆる歩いてたのは普段はあんまり行かないシティの西半分。
普段住んでてもなかなかシティも行ったことないとこいっぱいあるよね、なんて話しながら特に何があるでもないBourke Streetの西側を歩く、という(笑)
メルボルンのシティは割と小さいですが、碁盤の目状になっている通りや、小道をみんな巡って歩くと数日かかるだろうな、という話をしたり。
今回は時間が比較的短かったですが、次回はそこらへんの公園・庭園でゆっくりっていうのもいいかもね、と言ってみたり。(少なくとも私は)一緒にいて心地良いと思ってますが、実際に2人で遊びにいったのはこれが2回目。色々まだどうふるまったり何をして遊ぶのが相手は楽しいのかとか模索中なところもありますが、今日過ごしてみてもちょっと自分でここにいこう、とかこれしようとか言って主導権を握ってみたほうが良いのかな、と思えるくらいには2人で遊びにいくことに慣れてきたかな、と。
どうやら誘うのはこちら、ということで確定なので(笑)普段からちょっと探してみるのもいいのかも。
あとは日本に一時帰国した時の写真とかもやっと!見せましたしね(笑)
彼は仲の良いお姉さんがいて、今度日本にいって英語を教えたりとかしたいと言ってるみたいで、それなら一緒に行ってコンサートとかやったり観光とかもしたりしたいらしいです。
写真見せて煽っておきましたよー(笑)是非是非観光も音楽も日本でどんどん!と背中を押して。実現するといいですね。
温泉旅館と花鳥園の写真はやっぱり食いつきがよかったですね。(フクロウと撮った写真はこっちの友達にものすごく好評ですわー)
それから新しい年になってこれから音楽をどうするか、という話もしました。私は自分と音楽の立ち位置で迷ってることを話したり、彼は今後演奏中心にもっと積極的に行こうかと思ってるという話をしたり、そんななか今度小規模のオペラ(Chamber Opera)の監督もやってみる予定があるとか、活動の幅も広げているみたいで。
何歳か年下だけどしっかりしているなあー。ふがいない年上の私はそっと応援しているです(汗)
しゃべったりしゃべらなかったりで3時間弱?本当はもっとゆっくり一緒にいたかったですがものすごく心地良くて、心がすっと楽になりました。良い子です。そして良い友達関係をはぐくむことができてなによりです。
つっついてくれればなんとかするということなので今度はあんまり間があかないうちになんとかまた会いたいですね。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏第1番 第2楽章
ショスタコの書いた15の弦楽四重奏は良い曲揃いで弦楽四重奏というジャンルの中でもかなりクオリティが高いもので。それからものすごく、ショスタコの正直な内面を示す、という意味でも貴重かつユニークな作品群です。
でもこのブログではあんまり扱わってなくて、それは懸念すべきことだな、と思った次第で今回はこの曲を選びました。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲ははバルトークと違って人生の後半に書き始められたものなので(バルトークは6曲が最晩年を除いて人生の大部分に渡って書かれてる)、この第1番が書かれた時点でかなりスタイルが確立してるとは言えます。ただそれでも「初めての弦楽四重奏」ということで初々しい何かもあり。(15番と比べるとすごいですよ。あれはまた別世界、というか15つを通して長い内面的な旅が存在するようなものです。そしてそれがまた15の交響曲とはまた違った旅ですねー)
第1番の第2楽章は最初に聞いたときからものすごく魅力的だと思った曲です。なんたってビオラのソロ、それも他の奏者が弾かないなか一人でメロディーを奏でるところから始まる!かっこいい!美しい!
一応テンポは「モデラート」(中程度の速さ)となってますが、感覚としては「アンダンテ」(歩くテンポで)に近いものがあります。今日のメルボルンの空のような灰色の空の下を一人気ままに歩く、そんな感じ
大まかにいうとこの楽章はバリエーションみたいになってます。といってもそんなに曲調が変化せず、メロディーもほとんどそのまま他の楽器にパスされますし。元のメロディーが民謡的なものなこと、それから終始シンプルな感じで進んでいくのがものすごーく心地良い。
ショスタコは弦楽四重奏でもかなり複雑なものを書くことがあるなか、このロシア的(そしてソヴィエト的)な素朴さははっとするような魅力があります。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏を聴くにも、入門的に弦楽四重奏がどんなアンサンブルかを聴くにも(もちろんキャパシティとしてはもっと凄いこともできるアンサンブルですがとりあえず、という感じで)、そしてビオラの音を聴くにもおすすめな曲です。
以前このブログに書いたと思うんですが、いつも自分の部屋から庭を見ながら仕事をしていると、Indian Mynaというオーストラリアでは至る所にいる鳥の特定の夫婦(スパム夫妻と呼んでいます)が大抵庭を歩いていて。
スパムは元は隣のアパートの巣で生まれ育って以来数年もうここらをテリトリーとしていて、たまにMagpieの家族にリンチされそうになったり、WattlebirdやBlackbirdの夫婦達と言い争いになったり、最近はちょっと定期的に通る猫が現れたりしながらずっとうちの庭をつついています。
そうやってずっとこちらもスパム達を見ているので他のMynaが庭に現れても外見である程度識別できるようになりました。向こうも私の姿を見てそんなに驚かないようになったような気が。
そんな庭に一昨日くらいになにやら小さめのMynaが3羽ほど、なにやらお互いを追いかけて走り回ったり、ぴょこぴょこ跳ねたり。外見や様子を見ているとどうやらまだ若い兄弟たちのよう。
で、しばらく見てると周りにスパムと嫁がいるじゃないか!これはもしかして2羽の間にできた子ども達!?
ものすごく微笑ましい、というか自分のことのように喜びました♪
鳥と言っても夫婦関係は種により色々でMynaの場合は一生寄り添うかわかりませんし、何にしても鳥たちの寿命は人間よりもものすごく短いですし、どれくらいこの夫婦を見守ることができるか分かりませんがこれからも窓の外を意識していきたいです。子ども達も一羽くらいここら辺をテリトリーにするかな。
今日はトゥーランガリラの彼(っていうかこのブログではコンサートのお知らせで名前出てるじゃん)とシティでちょっと時間を過ごしました。遅めのランチ→ちょっぴり散歩、メインはおしゃべり、という感じで。
やっぱりというかなんというか、話のトピックは音楽が中心。
近況からマーラーの話に入りますもんね(笑)オーケストラプロジェクトのマーラーの話からカウベルの使い方の話とか、あとは時と状態を選ぶよね、という話とか。
軽躁のときはマーラーはだめだなー、と話したのですが知り合いに躁状態でやっぱり特定の音楽を避ける人がいるらしくて。まあ音楽の作用とか役割というのは「心を動かす」ことですから、不安定な精神状態の人間には特に影響があって当たり前だよね、という結論に。
好みがびっくりするほど似てたり、と以前書きましたが、彼は私が割と近く感じるマーラーとかショスタコにはそんなに惹かれない、ということについても話しましたね。これらの作曲家はどっちかというと自分の育ち(育てられた音楽・人生の経緯)だったり自分の病気だったりに密接に関連してるからね、という話だったり、だからあんまり好きでない、という人にどうやって「音楽として」お勧めしたらいいか難しいという話だったり。
あとは私は何も聞いてないのですが私のピアノの先生のバースデーコンサートがあるらしく。
私も彼もStephenに習ってたことがあり、さらに2人ともマイケルに数回レッスンを受けたことがある、という経歴の類似(笑)
メルボルンのピアノ弾きコミュニティの話もしましたね。以前ここで書いた「うちらの先生は二足のわらじ的なピアニストが生徒のことが多いよね」という話だったり。
そうやってゆるゆる歩いてたのは普段はあんまり行かないシティの西半分。
普段住んでてもなかなかシティも行ったことないとこいっぱいあるよね、なんて話しながら特に何があるでもないBourke Streetの西側を歩く、という(笑)
メルボルンのシティは割と小さいですが、碁盤の目状になっている通りや、小道をみんな巡って歩くと数日かかるだろうな、という話をしたり。
今回は時間が比較的短かったですが、次回はそこらへんの公園・庭園でゆっくりっていうのもいいかもね、と言ってみたり。(少なくとも私は)一緒にいて心地良いと思ってますが、実際に2人で遊びにいったのはこれが2回目。色々まだどうふるまったり何をして遊ぶのが相手は楽しいのかとか模索中なところもありますが、今日過ごしてみてもちょっと自分でここにいこう、とかこれしようとか言って主導権を握ってみたほうが良いのかな、と思えるくらいには2人で遊びにいくことに慣れてきたかな、と。
どうやら誘うのはこちら、ということで確定なので(笑)普段からちょっと探してみるのもいいのかも。
あとは日本に一時帰国した時の写真とかもやっと!見せましたしね(笑)
彼は仲の良いお姉さんがいて、今度日本にいって英語を教えたりとかしたいと言ってるみたいで、それなら一緒に行ってコンサートとかやったり観光とかもしたりしたいらしいです。
写真見せて煽っておきましたよー(笑)是非是非観光も音楽も日本でどんどん!と背中を押して。実現するといいですね。
温泉旅館と花鳥園の写真はやっぱり食いつきがよかったですね。(フクロウと撮った写真はこっちの友達にものすごく好評ですわー)
それから新しい年になってこれから音楽をどうするか、という話もしました。私は自分と音楽の立ち位置で迷ってることを話したり、彼は今後演奏中心にもっと積極的に行こうかと思ってるという話をしたり、そんななか今度小規模のオペラ(Chamber Opera)の監督もやってみる予定があるとか、活動の幅も広げているみたいで。
何歳か年下だけどしっかりしているなあー。ふがいない年上の私はそっと応援しているです(汗)
しゃべったりしゃべらなかったりで3時間弱?本当はもっとゆっくり一緒にいたかったですがものすごく心地良くて、心がすっと楽になりました。良い子です。そして良い友達関係をはぐくむことができてなによりです。
つっついてくれればなんとかするということなので今度はあんまり間があかないうちになんとかまた会いたいですね。
今日の一曲: ドミトリ・ショスタコーヴィチ 弦楽四重奏第1番 第2楽章
ショスタコの書いた15の弦楽四重奏は良い曲揃いで弦楽四重奏というジャンルの中でもかなりクオリティが高いもので。それからものすごく、ショスタコの正直な内面を示す、という意味でも貴重かつユニークな作品群です。
でもこのブログではあんまり扱わってなくて、それは懸念すべきことだな、と思った次第で今回はこの曲を選びました。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏曲ははバルトークと違って人生の後半に書き始められたものなので(バルトークは6曲が最晩年を除いて人生の大部分に渡って書かれてる)、この第1番が書かれた時点でかなりスタイルが確立してるとは言えます。ただそれでも「初めての弦楽四重奏」ということで初々しい何かもあり。(15番と比べるとすごいですよ。あれはまた別世界、というか15つを通して長い内面的な旅が存在するようなものです。そしてそれがまた15の交響曲とはまた違った旅ですねー)
第1番の第2楽章は最初に聞いたときからものすごく魅力的だと思った曲です。なんたってビオラのソロ、それも他の奏者が弾かないなか一人でメロディーを奏でるところから始まる!かっこいい!美しい!
一応テンポは「モデラート」(中程度の速さ)となってますが、感覚としては「アンダンテ」(歩くテンポで)に近いものがあります。今日のメルボルンの空のような灰色の空の下を一人気ままに歩く、そんな感じ
大まかにいうとこの楽章はバリエーションみたいになってます。といってもそんなに曲調が変化せず、メロディーもほとんどそのまま他の楽器にパスされますし。元のメロディーが民謡的なものなこと、それから終始シンプルな感じで進んでいくのがものすごーく心地良い。
ショスタコは弦楽四重奏でもかなり複雑なものを書くことがあるなか、このロシア的(そしてソヴィエト的)な素朴さははっとするような魅力があります。
ショスタコーヴィチの弦楽四重奏を聴くにも、入門的に弦楽四重奏がどんなアンサンブルかを聴くにも(もちろんキャパシティとしてはもっと凄いこともできるアンサンブルですがとりあえず、という感じで)、そしてビオラの音を聴くにもおすすめな曲です。
昨日のなんだかぐるぐるしたエントリーに拍手ありがとうございます(礼)
今回もまたまとまらないのでいろいろと。
ツイッターでは話してたのですが、最近弾き始めたラヴェルの「クープランの墓」の位置的にも自分が弾くにも最後の楽章「トッカータ」、しばらく練習していたのですが昨日あたりギブアップすることにしました。
この曲は一般的に(あくまでも一般的に、ですが)難しいとされているラヴェルのピアノ曲の中でも特に難しい分類に入るので始めるときから「あんまりムキ似なる必要はない」と自分に言い聞かせていましたが、やっぱり難しかった!(笑)
ちょうど(こないだの今日の一曲で紹介しました)ドビュッシーの「Voiles」を弾こうかな、と思ったところだったのでそちらにスイッチ。
「クープランの墓」をコンプリートできたら素晴らしいことなのですが、いかんせん技量不足。主に技巧の面で。一旦(すぐではないですが)以前全楽章弾いている「鏡」をまた一周してから再チャレンジしたいです。
メルボルンでは全く珍しいことでもなんでもないのですがこないだの暑さが嘘のように20℃代 and/or 曇天・雨天という日々が続いています。それにある低調に加えて身体のサイクルの低調もありなんとなく上手くいろいろ回っていない今日この頃。ここでも一部片鱗を書いてはいましたが・・・
そんな中明後日にトゥーランガリラの彼と遊びにいく約束があったりします。今の予報だと21℃でshower or two(前回数ヶ月前に会ったときとそんなかわらんよな・・・)。遅めのランチをして、きっとまた歩くんですがあんまり雨が降らないといいなあ・・・
もうちょっと頻繁に会いたいな、とは思ってるんですがどうもお互い都合がつかず(汗)会って特別どこか行きたいとかしたいとかなくて大分漠然としているのでなかなか誘いづらいのもあり。うーん。というかもともと友達と遊びに行こうと積極的に画策する人ではないのですよ・・・お互い(笑)
でも一緒にいて安心しますし、あんまり話がつもると気負ったり焦ったりするのでね。ちょくちょくなんとか、と思ってます。
ということでその日に一部が納期となってる仕事を今頑張って進めているところです。
昼のピアノの時間だったり夜の時間だったりを返上したりしてなんとかペースを調整できるのはやっぱりありがたい。
今仕事のBGMはランダム再生を好む傾向があるのですが、あんまりランダムばっかやってるとどうも音楽に対する集中力が散漫になりやすいような経験があったので、ランダムで聴いてて「これ最近ちゃんと聴いてないな」とか「もう一回全体通して聴きたいな」と思った曲をメモしておいて次の日の朝の部のBGMとして全楽章聴いたり、とかしています。
仕事しながらだと頭に入ってこない部分も結構ありますが仕事の時間も音楽のインプットには貴重な時間。なんたって5~8時間ですからね、1日に。仕事に対しても音楽に対しても有効に使いたいと思いながらただいま試行錯誤しています。
で、昨日書いてました買いたいCD・DVDもちょっと目処がつきました。
こんな感じかな・・・
1) ジョージ・クラム Songs, Drones and Refrains of Death / A Little Suite for Christmas / Apparition
2) ラフマニノフ 「鐘」
3) メシアン トゥーランガリラ交響曲 (ベルリンフィル、ケント・ナガノ、ピエール=ローラン・エマール、ドミニク・キム)
4) たま パルテノン銀座通り
5) 聖飢魔II まわりやがれ(DVD)
メシアンはこないだカウントダウンで聴いて「すごい!」と思った録音です。ものすごい前のめりでものすごい勢いがあるんだけどひとっつもぶれることない、さすが一流の奏者!と思って即メモしました(笑)エマールもメシアンだったり基本私が好きなあたりの音楽をたくさん弾くピアニストで(特にリゲティの練習曲すごいですね)、すごい楽しみにしています。
ラフマニノフは(フィギュアで使ったやつじゃないほうの「鐘」です)大学にあるCDが英語→ロシア語→英語の再翻訳版しかないので、ロシア語版が欲しいとずっと思ってて。きっとこの録音だとロシア語だと思うけど・・・
クラムは同じ録音が大学の図書館にあって借りて入れてたのですがクラムはCDを積極的に集めてるので。メルボルンで買えるやつもまだ少数残ってるのですが、このSongs, Drones~の録音は素晴らしいですし、ApparitionはJan DeGaetaniが歌っててこれもまた最高な演奏で。
たまはいつも4人の時のCDを買うか3人の時のCDを買うかで悩むのですが(サウンドは小さい頃から聴いているので「4たま」の方が慣れてて買いやすかったりするところがあるのかな・・・)、今回「3たま」のCDを初めて買ってみることに。Instrumentalが入ってるしょぼたまシリーズも買いたいぞ~
基本聖飢魔II関連は妹が選ぶ・買うに任せていたのですが(一部は私がプレゼントとして買ってますが)、今回私も腰を上げてみました。妹はおそらくライブなどの方を優先しているため私はちょっと違う方向に。(和尚のクッキングにつられたわけじゃ・・・もちろんありますがな(笑))どうせ二人で見るんだ(笑)
なかなかMP3購入するだけじゃ気が済まないようなところがあるのですね。本もそうで、なんとなく手元に本としてあるのが安心するというか。CDも本もだからちょっと収納スペースの危機が迫ってるわけですが・・・(汗)
音楽は仕事中に聴けますけど本はそうもいかないものだからちょっとばかり積ん読になってしまったり。こないだも一応休みだったんですがゲームも本も手つかず、ということで・・・
昨日からちょっとずつこないだ買いましたWalt Whitmanの詩集は読み始めました。最初のやつは長かったんで飛ばして、前々から気になってた「I sing the body electric」だったり(面白かったです、好きな詩ですね)、もうちょっと後期の短めのだったり。
今日は一部クラムの「Apparition」の歌詞となっているWhen Lilacs Last in the Dooyard Bloom'dを読もうかと思います。昨日からなんだかこの曲の「歌い手」を絵にしてみたい欲が沸いてきて。いつになるかわかりませんが形にできたらな、と思います。
それでは明日も仕事を頑張ろうと思います~
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Apparition」 第4楽章 「Dark Mother Always Gliding Near with Soft Feet」
今日は室内楽にしたかったですが何回か話に出てきましたし歌曲もなかなか扱ってないのでまあいっか・・・
(次回こそ室内楽を!)
それにしてもApparition、以前生で聴いて以来私にとって歌曲の中の最高峰として確固たる地位を築いています。弾きたい弾きたい!
先ほど「歌い手」の話をしましたが、どうやら元の詩の語り手とクラムの書く歌い手にはちょっと違いがあるような気がします。(他にも元の詩と音楽で違うところがどうやらちらほら出てき始めていますが)
クラムの作品での歌い手って人間自身というよりもなにかの体現、というか、象徴というか、そういうところがあって。この曲だと(まだ詰めてないイメージですが今の印象としては)夜や自然の擬人化とか、Dark MotherでありStrong Deliveress(第6楽章)である死への誘い手だったり、そういうところがあって。
そういった歌い手の表現がまたやっぱり凄い。ものすごく息の長いささやく語りかけのような部分だったり、あとは最近スコアを見てびっくりした2オクターブマイナス半音の跳躍。これがまた力んだりせずに弱音ですっといかなくちゃいけないのは聴いてて本当に難しそう。(でも時間をたっぷりかけられるのはありがたいんでしょうか、歌い手としては)
Jan DeGaetaniはさすがそつなくこなしてますね-。そして前回生で聴いた方もすごかったです。
とにかくピアニストも歌い手もものすごーく繊細な表現が求められる曲で、ちょっと気になるのはこれを大きなホールでやるのはまた難しいんだろうな、ということ。ものすごくこう、paleなフラットな感じをキープしながら大きいホールの隅々まで聴かせる、というのは・・・うーん、想像もつかない。
IntimateなこのApparitionの中でも特にIntimateな楽章ですね。
他に類をないクラムの歌曲にぞっこんです。
今回もまたまとまらないのでいろいろと。
ツイッターでは話してたのですが、最近弾き始めたラヴェルの「クープランの墓」の位置的にも自分が弾くにも最後の楽章「トッカータ」、しばらく練習していたのですが昨日あたりギブアップすることにしました。
この曲は一般的に(あくまでも一般的に、ですが)難しいとされているラヴェルのピアノ曲の中でも特に難しい分類に入るので始めるときから「あんまりムキ似なる必要はない」と自分に言い聞かせていましたが、やっぱり難しかった!(笑)
ちょうど(こないだの今日の一曲で紹介しました)ドビュッシーの「Voiles」を弾こうかな、と思ったところだったのでそちらにスイッチ。
「クープランの墓」をコンプリートできたら素晴らしいことなのですが、いかんせん技量不足。主に技巧の面で。一旦(すぐではないですが)以前全楽章弾いている「鏡」をまた一周してから再チャレンジしたいです。
メルボルンでは全く珍しいことでもなんでもないのですがこないだの暑さが嘘のように20℃代 and/or 曇天・雨天という日々が続いています。それにある低調に加えて身体のサイクルの低調もありなんとなく上手くいろいろ回っていない今日この頃。ここでも一部片鱗を書いてはいましたが・・・
そんな中明後日にトゥーランガリラの彼と遊びにいく約束があったりします。今の予報だと21℃でshower or two(前回数ヶ月前に会ったときとそんなかわらんよな・・・)。遅めのランチをして、きっとまた歩くんですがあんまり雨が降らないといいなあ・・・
もうちょっと頻繁に会いたいな、とは思ってるんですがどうもお互い都合がつかず(汗)会って特別どこか行きたいとかしたいとかなくて大分漠然としているのでなかなか誘いづらいのもあり。うーん。というかもともと友達と遊びに行こうと積極的に画策する人ではないのですよ・・・お互い(笑)
でも一緒にいて安心しますし、あんまり話がつもると気負ったり焦ったりするのでね。ちょくちょくなんとか、と思ってます。
ということでその日に一部が納期となってる仕事を今頑張って進めているところです。
昼のピアノの時間だったり夜の時間だったりを返上したりしてなんとかペースを調整できるのはやっぱりありがたい。
今仕事のBGMはランダム再生を好む傾向があるのですが、あんまりランダムばっかやってるとどうも音楽に対する集中力が散漫になりやすいような経験があったので、ランダムで聴いてて「これ最近ちゃんと聴いてないな」とか「もう一回全体通して聴きたいな」と思った曲をメモしておいて次の日の朝の部のBGMとして全楽章聴いたり、とかしています。
仕事しながらだと頭に入ってこない部分も結構ありますが仕事の時間も音楽のインプットには貴重な時間。なんたって5~8時間ですからね、1日に。仕事に対しても音楽に対しても有効に使いたいと思いながらただいま試行錯誤しています。
で、昨日書いてました買いたいCD・DVDもちょっと目処がつきました。
こんな感じかな・・・
1) ジョージ・クラム Songs, Drones and Refrains of Death / A Little Suite for Christmas / Apparition
2) ラフマニノフ 「鐘」
3) メシアン トゥーランガリラ交響曲 (ベルリンフィル、ケント・ナガノ、ピエール=ローラン・エマール、ドミニク・キム)
4) たま パルテノン銀座通り
5) 聖飢魔II まわりやがれ(DVD)
メシアンはこないだカウントダウンで聴いて「すごい!」と思った録音です。ものすごい前のめりでものすごい勢いがあるんだけどひとっつもぶれることない、さすが一流の奏者!と思って即メモしました(笑)エマールもメシアンだったり基本私が好きなあたりの音楽をたくさん弾くピアニストで(特にリゲティの練習曲すごいですね)、すごい楽しみにしています。
ラフマニノフは(フィギュアで使ったやつじゃないほうの「鐘」です)大学にあるCDが英語→ロシア語→英語の再翻訳版しかないので、ロシア語版が欲しいとずっと思ってて。きっとこの録音だとロシア語だと思うけど・・・
クラムは同じ録音が大学の図書館にあって借りて入れてたのですがクラムはCDを積極的に集めてるので。メルボルンで買えるやつもまだ少数残ってるのですが、このSongs, Drones~の録音は素晴らしいですし、ApparitionはJan DeGaetaniが歌っててこれもまた最高な演奏で。
たまはいつも4人の時のCDを買うか3人の時のCDを買うかで悩むのですが(サウンドは小さい頃から聴いているので「4たま」の方が慣れてて買いやすかったりするところがあるのかな・・・)、今回「3たま」のCDを初めて買ってみることに。Instrumentalが入ってるしょぼたまシリーズも買いたいぞ~
基本聖飢魔II関連は妹が選ぶ・買うに任せていたのですが(一部は私がプレゼントとして買ってますが)、今回私も腰を上げてみました。妹はおそらくライブなどの方を優先しているため私はちょっと違う方向に。(和尚のクッキングにつられたわけじゃ・・・もちろんありますがな(笑))どうせ二人で見るんだ(笑)
なかなかMP3購入するだけじゃ気が済まないようなところがあるのですね。本もそうで、なんとなく手元に本としてあるのが安心するというか。CDも本もだからちょっと収納スペースの危機が迫ってるわけですが・・・(汗)
音楽は仕事中に聴けますけど本はそうもいかないものだからちょっとばかり積ん読になってしまったり。こないだも一応休みだったんですがゲームも本も手つかず、ということで・・・
昨日からちょっとずつこないだ買いましたWalt Whitmanの詩集は読み始めました。最初のやつは長かったんで飛ばして、前々から気になってた「I sing the body electric」だったり(面白かったです、好きな詩ですね)、もうちょっと後期の短めのだったり。
今日は一部クラムの「Apparition」の歌詞となっているWhen Lilacs Last in the Dooyard Bloom'dを読もうかと思います。昨日からなんだかこの曲の「歌い手」を絵にしてみたい欲が沸いてきて。いつになるかわかりませんが形にできたらな、と思います。
それでは明日も仕事を頑張ろうと思います~
今日の一曲: ジョージ・クラム 「Apparition」 第4楽章 「Dark Mother Always Gliding Near with Soft Feet」
今日は室内楽にしたかったですが何回か話に出てきましたし歌曲もなかなか扱ってないのでまあいっか・・・
(次回こそ室内楽を!)
それにしてもApparition、以前生で聴いて以来私にとって歌曲の中の最高峰として確固たる地位を築いています。弾きたい弾きたい!
先ほど「歌い手」の話をしましたが、どうやら元の詩の語り手とクラムの書く歌い手にはちょっと違いがあるような気がします。(他にも元の詩と音楽で違うところがどうやらちらほら出てき始めていますが)
クラムの作品での歌い手って人間自身というよりもなにかの体現、というか、象徴というか、そういうところがあって。この曲だと(まだ詰めてないイメージですが今の印象としては)夜や自然の擬人化とか、Dark MotherでありStrong Deliveress(第6楽章)である死への誘い手だったり、そういうところがあって。
そういった歌い手の表現がまたやっぱり凄い。ものすごく息の長いささやく語りかけのような部分だったり、あとは最近スコアを見てびっくりした2オクターブマイナス半音の跳躍。これがまた力んだりせずに弱音ですっといかなくちゃいけないのは聴いてて本当に難しそう。(でも時間をたっぷりかけられるのはありがたいんでしょうか、歌い手としては)
Jan DeGaetaniはさすがそつなくこなしてますね-。そして前回生で聴いた方もすごかったです。
とにかくピアニストも歌い手もものすごーく繊細な表現が求められる曲で、ちょっと気になるのはこれを大きなホールでやるのはまた難しいんだろうな、ということ。ものすごくこう、paleなフラットな感じをキープしながら大きいホールの隅々まで聴かせる、というのは・・・うーん、想像もつかない。
IntimateなこのApparitionの中でも特にIntimateな楽章ですね。
他に類をないクラムの歌曲にぞっこんです。
前のエントリーに拍手ありがとうございます。
今日は昨日よりも大幅にぐるぐるするエントリーです。
ああ音楽の事が書きたいけれどネタが浮かばない・・・
でも一応ちょっと昨日の話とか昨日の一曲の話につながってるような。
以前「楽器と性格」シリーズできっと触れたと思うのですが、私が思う「チェロ気質」の特徴の一つとして「興味の幅・視野は基本広いが、本当に好きなものはかなり狭く濃く、のめり込んだらひたすらはまる」というのがありまして。
昨日の話に関連するキーワードでいうと専門志向、スノッブ的な、象牙の塔など、まあそういう(自分が思うところの)深みにはまってしまって周りが見えなくなる可能性がある、そんな性質が自分にあることを自覚していて。
あと一般的に「好きなものは多い方が楽しい」との信念(?)もありなるべく好きなもの、興味の幅を普段から広げようと一応努力はしています。
例えば音楽であればクラシック音楽のなかの玄人好みのもの、特に現代音楽の一部に対してものすごい愛と執着心があって、他を疎む・軽んじる可能性があるのは重々承知なので、クラシック音楽の他の時代の音楽や他のジャンルの音楽も聴いたり、なるべくオープンな態度を心がけています。
もちろん自分の、いわゆる専門の音楽(特にクラム)に限らずですが音楽だけじゃなくていろんな方面に広い知識と想像力、インスピレーションの種になるものが求められますし。それはもちろん音楽だけじゃなくて創作もそうですし、普段普通に暮らしていてもきっとそうですね。
そうやって好きなものを広げていくと、「普通に好き」なものが広がるだけじゃなく、「ものすごく集中して好きなもの」も増えてきて。今それで贅沢な悩みに大いに悩んでるところです。
たまーに(オーストラリアで頼むと時間がかかったり、ということもあり)日本でamazonでCDやらDVDを頼もうとしているのですが、絞るのが本当に難しい!
クラシック系統でこっちのお店で手に入らないやつはもちろん(何よりもクラム優先)、たまのアルバムもゆっくり集めてますし、今回聖飢魔IIのDVDでおそらく妹とは優先順位が違うと思われるものも入手したいですし。
この「購入する」行為と「ものすごく集中して好きなもの」が悩みになったことは実は過去にもあって(笑)藤崎竜「封神演義」の完全版が出たとき、一時帰国中にセットで(全18巻)買ったことがあって、それをおそらく3分の2近くスーツケースに入れて持って帰って、さらに残りを他の荷物と送ってもらったり。
持ち前のせっかちさもあり「好き」という気持ちと「もっと知りたい」という思いに行動を追いつかせようとすると大変になるのです。
封神演義、たま、聖飢魔IIなどでそうですが、結構「遅れてきたファン」になることが多いんですよね。すでに情報がかなりそろっている、だからそれを見て焦る、というのがあるような気がする。昨日の一曲のSpice Girlsなんかはものすごくリアルタイムにはまってたのでその都度その都度、だったわけですが。
そういうところを意識して、ちょっと困惑ににた思いを抱くのはやっぱりクラシック音楽と違うかな。クラシックだと(説明しにくいのですが)常にちょっとリアルタイムなところもあり、そうでないままずっと続いている部分もあり。
あとは昨日のSpice Girlsつながりで考えてたことは自分は当時Spice Girlsの「ファン」だったのかな、という事で。まあローティーンなりにそうだったのかな、と思います。シングルこそ一枚も買ってませんが、アルバム2枚、ライブのビデオも何回も見ましたし、映画は確か最初は映画館で見たような気もしますし。まああとは歌ったり踊ったりも、ね(若かったなあ!)
この「ファン」という感覚もものすごく自分にとって掴みにくい、というか。
(好きだったら好きでそれでいいじゃないか、と思えないところがまた自分の考えすぎる癖で、いいところでもあり悪いところでもあるのですが・・・)
少なくとも自分にとって一番心を注いでいるのは弾くにしても聴くにしても勉強するにしても(ざっくりくくれば)クラシック音楽で、なかなかそれと同じような気持ちってのはないのですよね。それは自分が「弾いているから」というだけでも差がでますが・・・
だから他のジャンル(というかジャンルで好きにならずにピンポイントで好きになる傾向なのですが)に対してはどうしても「自分はファンと言えるほどこれが好きか、これのことを知っていてそれだけ労力を注いでるか」ということに自信が持てなくなってしまう。
あとクラシック音楽において「ファン」のコンセプトがちょっと気持ち違うような気もするのですね。少なくとも私にとっては。
作曲家のファン、というのはあまりきかないですし、既に亡くなっている奏者のファン、というのもあまり聴かないですし。まあ単に「ファン」という言葉自体のイメージもあるのですが・・・
(でも私が以前クラム弾きの先輩がしたみたいにジョージ・クラムにメール書いたらファンレターになるんじゃないかな。あとマイケルには毎回CD買ったらサインしてもらってますしね(笑))
それからクラシックに明るい人はどっちかというと好きなエリアよりも嫌いなエリアの方が具体的な印象もありますし。
あとは弾き手としての専門分野、とかもちょっと「ファン」とは違いますしね。以前書いたかもしれませんが面白いのは「メシアンが好き」というメシアン弾きの人はほんとうにメシアンにぞっこんで彼の作品をアクティブに、集中的に弾く傾向がある、ということで。なんとなくこれは「ファン」に近いものがあるかな。(リストもそういう傾向がありますが、ただ彼の場合は存命中に今でいうのと同じ意味の「ファン」がいましたからね。元祖スターですよ。)
人によっては弾いている、または好きな音楽・作曲家をどちらかというと神を崇拝するに近い感じで好きな人もいますが、それは他のジャンルにも一部いることですよね。
うーん、実際のところどれくらい感覚が違うんだろう。少なくとも私にとっては自分の専門分野としてのクラシック音楽と、他に集中的に好きなものを比較すると、「好き」の量はまあ比較するべきじゃないけど質(善し悪しではなく)についてはやっぱり違うような気がするんですよね。
だからクラシックの方を好きだという感覚で他を捉えようとして困惑する。
それから情報量の差ももちろんありますね。クラシック音楽については(全体と比べるとわずかですが)自分の中にある程度評価材料だったり語りの材料だったりにもなり得るデータがある。たまについてもある程度はある(少なくとも自分が安定する程度には)。
それが欠乏していると今現在感じるのが聖飢魔IIですね。バンドが積み重ねて来たものの量に対して自分が好きでいた時間の長さが極端に短いですから。ここで「知らないといけない」(あくまでも自分が思う)という気持ちと好奇心とせっかちさが相乗効果を起こして「知りたい」と思う気持ちが跳ね上がるわけです(笑)
聖飢魔IIの(元)構成員様達も今は他のユニットでご活躍していて、ちらほらながらもそっちの音楽も耳に入る機会があり。でもファンと言うにも好きというにももっと知らなくちゃ、と思ってしまう私の心理に悩まされているところです(笑)ただ聖飢魔IIのCDとかDVDとかもあんまりそろってないのに・・・!という(笑)
例えば元・エース長官=現・ACEさんが今活動してらっしゃるface to aceの音楽をちらっと聞いて好きだなーと思いながら今いろいろなんとかやりくりしようとしていながらなにもできず・・・(苦笑)
(聖飢魔IIでもエース長官寄りなんですよね、と書こうとしたところでまたもや「それを判断するには情報が足りてない」と脳が言ってしまう。嗚呼考えすぎ気質。あと偏らずに広く全員好きでいたい、という前述のような性質もきっと一枚噛んでる)
音楽に限らずですがきっと私の人生は気持ちが先走ってそれを思考がブレーキかけてなんとかまとめようとしながら行動がそのうちに必死に追いつこうとする、の繰り返しなんでしょうなあ。
なんか他人が読んで面白いかまったく分からない変なぐるぐるしたエントリーでしたがまたなんかちゃんとしたことを次回は書こうと思ってます。すみませんでした。
今日の一曲: フランシス・プーランク 即興曲第12番
最近始めたこの曲。正直言ってたいそうな曲ではないのですが、それでも(だからこそ?)魅力にあふれた一曲です。
ワルツ風に書かれたこの曲は「シューベルトを讃えて」書かれた曲です。関係があるかどうか分かりませんがシューベルトもまた即興曲(4つセットが2つ)が有名な作曲家ですね。
ワルツといえば以前紹介したロシアのバレエにおけるワルツとか、ウィーンの社交場で踊られたウィンナー・ワルツとか、交響曲の一部だったり組曲の一部だったり、いろんなスタイルがあります。シューベルトはウィーンっ子なのですがこの曲だとあんまりウィンナー・ワルツみたいにリズムを崩す(2拍目を早く、3拍目を遅く)のも違うなあ・・・と思いながら練習でさりげなくちょっと取り入れてみたり実験したりしているこの頃です。
出来が楽しみです(笑)
プーランクが楽譜に「1拍目を強く」というようなことを書いてるのですが、これ意識してやると結構腰が入りますね!軽やかに、優雅に、でもしっかりと、エネルギッシュに。
時代もそうなのかもしれませんがこのワルツの華やかさはなんだか既に足一本分くらい過去のものとなっているような、そんな空気もあります。何か知らないけど懐かしさがある、というか「here now」という感覚とは違う存在感がある、というか。
もともとワルツというのは19世紀において「流行」みたいな側面もありましたしね。
本当に明るくて華やかで、ちょっとパロディー的なユーモアもあって。本当に素直な目で見える分しかこの曲にはないような気もしますが、ひねくれた私でも全15曲からいくつか選ぶと決めた際「あ、これ弾きたいな」と思わせる何かがあって。
まだ音も十分にさらえてないながらも心のどこかでその「何か」を感じて、なんだか弾いててものすごく楽しんでます。
今日は昨日よりも大幅にぐるぐるするエントリーです。
ああ音楽の事が書きたいけれどネタが浮かばない・・・
でも一応ちょっと昨日の話とか昨日の一曲の話につながってるような。
以前「楽器と性格」シリーズできっと触れたと思うのですが、私が思う「チェロ気質」の特徴の一つとして「興味の幅・視野は基本広いが、本当に好きなものはかなり狭く濃く、のめり込んだらひたすらはまる」というのがありまして。
昨日の話に関連するキーワードでいうと専門志向、スノッブ的な、象牙の塔など、まあそういう(自分が思うところの)深みにはまってしまって周りが見えなくなる可能性がある、そんな性質が自分にあることを自覚していて。
あと一般的に「好きなものは多い方が楽しい」との信念(?)もありなるべく好きなもの、興味の幅を普段から広げようと一応努力はしています。
例えば音楽であればクラシック音楽のなかの玄人好みのもの、特に現代音楽の一部に対してものすごい愛と執着心があって、他を疎む・軽んじる可能性があるのは重々承知なので、クラシック音楽の他の時代の音楽や他のジャンルの音楽も聴いたり、なるべくオープンな態度を心がけています。
もちろん自分の、いわゆる専門の音楽(特にクラム)に限らずですが音楽だけじゃなくていろんな方面に広い知識と想像力、インスピレーションの種になるものが求められますし。それはもちろん音楽だけじゃなくて創作もそうですし、普段普通に暮らしていてもきっとそうですね。
そうやって好きなものを広げていくと、「普通に好き」なものが広がるだけじゃなく、「ものすごく集中して好きなもの」も増えてきて。今それで贅沢な悩みに大いに悩んでるところです。
たまーに(オーストラリアで頼むと時間がかかったり、ということもあり)日本でamazonでCDやらDVDを頼もうとしているのですが、絞るのが本当に難しい!
クラシック系統でこっちのお店で手に入らないやつはもちろん(何よりもクラム優先)、たまのアルバムもゆっくり集めてますし、今回聖飢魔IIのDVDでおそらく妹とは優先順位が違うと思われるものも入手したいですし。
この「購入する」行為と「ものすごく集中して好きなもの」が悩みになったことは実は過去にもあって(笑)藤崎竜「封神演義」の完全版が出たとき、一時帰国中にセットで(全18巻)買ったことがあって、それをおそらく3分の2近くスーツケースに入れて持って帰って、さらに残りを他の荷物と送ってもらったり。
持ち前のせっかちさもあり「好き」という気持ちと「もっと知りたい」という思いに行動を追いつかせようとすると大変になるのです。
封神演義、たま、聖飢魔IIなどでそうですが、結構「遅れてきたファン」になることが多いんですよね。すでに情報がかなりそろっている、だからそれを見て焦る、というのがあるような気がする。昨日の一曲のSpice Girlsなんかはものすごくリアルタイムにはまってたのでその都度その都度、だったわけですが。
そういうところを意識して、ちょっと困惑ににた思いを抱くのはやっぱりクラシック音楽と違うかな。クラシックだと(説明しにくいのですが)常にちょっとリアルタイムなところもあり、そうでないままずっと続いている部分もあり。
あとは昨日のSpice Girlsつながりで考えてたことは自分は当時Spice Girlsの「ファン」だったのかな、という事で。まあローティーンなりにそうだったのかな、と思います。シングルこそ一枚も買ってませんが、アルバム2枚、ライブのビデオも何回も見ましたし、映画は確か最初は映画館で見たような気もしますし。まああとは歌ったり踊ったりも、ね(若かったなあ!)
この「ファン」という感覚もものすごく自分にとって掴みにくい、というか。
(好きだったら好きでそれでいいじゃないか、と思えないところがまた自分の考えすぎる癖で、いいところでもあり悪いところでもあるのですが・・・)
少なくとも自分にとって一番心を注いでいるのは弾くにしても聴くにしても勉強するにしても(ざっくりくくれば)クラシック音楽で、なかなかそれと同じような気持ちってのはないのですよね。それは自分が「弾いているから」というだけでも差がでますが・・・
だから他のジャンル(というかジャンルで好きにならずにピンポイントで好きになる傾向なのですが)に対してはどうしても「自分はファンと言えるほどこれが好きか、これのことを知っていてそれだけ労力を注いでるか」ということに自信が持てなくなってしまう。
あとクラシック音楽において「ファン」のコンセプトがちょっと気持ち違うような気もするのですね。少なくとも私にとっては。
作曲家のファン、というのはあまりきかないですし、既に亡くなっている奏者のファン、というのもあまり聴かないですし。まあ単に「ファン」という言葉自体のイメージもあるのですが・・・
(でも私が以前クラム弾きの先輩がしたみたいにジョージ・クラムにメール書いたらファンレターになるんじゃないかな。あとマイケルには毎回CD買ったらサインしてもらってますしね(笑))
それからクラシックに明るい人はどっちかというと好きなエリアよりも嫌いなエリアの方が具体的な印象もありますし。
あとは弾き手としての専門分野、とかもちょっと「ファン」とは違いますしね。以前書いたかもしれませんが面白いのは「メシアンが好き」というメシアン弾きの人はほんとうにメシアンにぞっこんで彼の作品をアクティブに、集中的に弾く傾向がある、ということで。なんとなくこれは「ファン」に近いものがあるかな。(リストもそういう傾向がありますが、ただ彼の場合は存命中に今でいうのと同じ意味の「ファン」がいましたからね。元祖スターですよ。)
人によっては弾いている、または好きな音楽・作曲家をどちらかというと神を崇拝するに近い感じで好きな人もいますが、それは他のジャンルにも一部いることですよね。
うーん、実際のところどれくらい感覚が違うんだろう。少なくとも私にとっては自分の専門分野としてのクラシック音楽と、他に集中的に好きなものを比較すると、「好き」の量はまあ比較するべきじゃないけど質(善し悪しではなく)についてはやっぱり違うような気がするんですよね。
だからクラシックの方を好きだという感覚で他を捉えようとして困惑する。
それから情報量の差ももちろんありますね。クラシック音楽については(全体と比べるとわずかですが)自分の中にある程度評価材料だったり語りの材料だったりにもなり得るデータがある。たまについてもある程度はある(少なくとも自分が安定する程度には)。
それが欠乏していると今現在感じるのが聖飢魔IIですね。バンドが積み重ねて来たものの量に対して自分が好きでいた時間の長さが極端に短いですから。ここで「知らないといけない」(あくまでも自分が思う)という気持ちと好奇心とせっかちさが相乗効果を起こして「知りたい」と思う気持ちが跳ね上がるわけです(笑)
聖飢魔IIの(元)構成員様達も今は他のユニットでご活躍していて、ちらほらながらもそっちの音楽も耳に入る機会があり。でもファンと言うにも好きというにももっと知らなくちゃ、と思ってしまう私の心理に悩まされているところです(笑)ただ聖飢魔IIのCDとかDVDとかもあんまりそろってないのに・・・!という(笑)
例えば元・エース長官=現・ACEさんが今活動してらっしゃるface to aceの音楽をちらっと聞いて好きだなーと思いながら今いろいろなんとかやりくりしようとしていながらなにもできず・・・(苦笑)
(聖飢魔IIでもエース長官寄りなんですよね、と書こうとしたところでまたもや「それを判断するには情報が足りてない」と脳が言ってしまう。嗚呼考えすぎ気質。あと偏らずに広く全員好きでいたい、という前述のような性質もきっと一枚噛んでる)
音楽に限らずですがきっと私の人生は気持ちが先走ってそれを思考がブレーキかけてなんとかまとめようとしながら行動がそのうちに必死に追いつこうとする、の繰り返しなんでしょうなあ。
なんか他人が読んで面白いかまったく分からない変なぐるぐるしたエントリーでしたがまたなんかちゃんとしたことを次回は書こうと思ってます。すみませんでした。
今日の一曲: フランシス・プーランク 即興曲第12番
最近始めたこの曲。正直言ってたいそうな曲ではないのですが、それでも(だからこそ?)魅力にあふれた一曲です。
ワルツ風に書かれたこの曲は「シューベルトを讃えて」書かれた曲です。関係があるかどうか分かりませんがシューベルトもまた即興曲(4つセットが2つ)が有名な作曲家ですね。
ワルツといえば以前紹介したロシアのバレエにおけるワルツとか、ウィーンの社交場で踊られたウィンナー・ワルツとか、交響曲の一部だったり組曲の一部だったり、いろんなスタイルがあります。シューベルトはウィーンっ子なのですがこの曲だとあんまりウィンナー・ワルツみたいにリズムを崩す(2拍目を早く、3拍目を遅く)のも違うなあ・・・と思いながら練習でさりげなくちょっと取り入れてみたり実験したりしているこの頃です。
出来が楽しみです(笑)
プーランクが楽譜に「1拍目を強く」というようなことを書いてるのですが、これ意識してやると結構腰が入りますね!軽やかに、優雅に、でもしっかりと、エネルギッシュに。
時代もそうなのかもしれませんがこのワルツの華やかさはなんだか既に足一本分くらい過去のものとなっているような、そんな空気もあります。何か知らないけど懐かしさがある、というか「here now」という感覚とは違う存在感がある、というか。
もともとワルツというのは19世紀において「流行」みたいな側面もありましたしね。
本当に明るくて華やかで、ちょっとパロディー的なユーモアもあって。本当に素直な目で見える分しかこの曲にはないような気もしますが、ひねくれた私でも全15曲からいくつか選ぶと決めた際「あ、これ弾きたいな」と思わせる何かがあって。
まだ音も十分にさらえてないながらも心のどこかでその「何か」を感じて、なんだか弾いててものすごく楽しんでます。
